この問題は、お二人のブログ記事を読んで興味をひきました。
「
弁護士「事件化」社会の危うさ」(元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記)
「
いつの間にか国民が求めたことにされている現実」(Schulze BLOG)
河野さんがご指摘されるように「小さなことでも」事件化され、訴訟という流れは、昨今、顕著ではないかと思います。
テレビCMもそのような事件漁り的なものもあるようですし、弁護士のホームページ広告にも誘引しているようです。
何でも司法(裁判所)での解決なのか。これが法曹人口を激増させることを提言した司法審意見書(2001年6月)の目指していた社会なのか。
司法審の意見書によれば、司法試験合格者数を年間3000人、しかも、この3000人は少なくともという目標値でした。
米国では弁護士人口が100万人とも言われ、日本との人口比からしても、とてつもない数の弁護士がいます。そして米国は訴訟社会として有名です。
米国の物まねをしたとされる司法審意見書。
その目的とするところは、規制緩和路線を補完するための制度としての司法として再構築することにありました。究極の自己責任社会です。自分の権利は自分で実現せよ、そのためには弁護士(法曹)の増員が必要だ、こんな発想です。
弁護士人口も従来の3倍のペースで増員したら、訴訟社会になることを想定していたのかどうか。
この点についていえば、司法審路線は、訴訟社会は想定していなかった、むしろ訴訟社会を防止しようとしてたものです。
司法審意見書には弁護士費用の敗訴者負担制度が盛り込まれていましたが、これは企業側に有利に働くものであることは常識です。そして訴訟自体を抑制する効果が働きます。企業に対する訴訟を防止できるのです。
規制緩和路線を補完するための司法改革ですから、訴訟が企業に刃を向けること自体は、制度改革としては背理だったわけですし、ましてや司法の容量が大きくなっていくことも国家財政の負担が大きくなることから、これは到底、受け入れられる事態ではないのです。
(もっとも、この敗訴者負担制度は、日弁連や労働界の反対で、廃案になり、制度としては実現しませんでした。)
司法審意見書では、司法試験年間合格者数の激増は提言しても裁判官、検察官の増員についてはほとんど触れていません。裁判所、検察庁の目標値を入れただけです。
裁判所の機能強化と法科社会というのであれば、少なくとも裁判官の大増員が必要となるはずなのですが、そのようなものにはなっていない、つまり訴訟が乱発することは想定せず、むしろ、弁護士費用敗訴社負担のように訴訟を抑制する仕組みを考えていたわけです。
民間ADRの提唱もその1つです。裁判所の民間の下請期間でやってくれという発想は、まさに構造改革の発想そのものなのです。
財界が求めた司法機能の強化は行政訴訟です。
政府が張り巡らす経済活動への規制を、立法改正を待たずに手っ取り早く裁判所の判断で取っ払うこと、これが司法改革の柱の1つです。
行政訴訟といっても諫早湾干拓や原発停止が念頭にあるわけではありません。あくまで経済活動を効率化するため、それを補完する機能として司法改革があったわけです。
「
事後救済型社会と行政訴訟」
それ以外には特許訴訟など企業間の訴訟を迅速に処理する仕組みです。
これらが司法改革に求められた構造改革の補完の側面です。
ところが現実には、弁護士費用敗訴社負担は見送られたものの訴訟件数自体は減少の一途です。
離婚事件は増えていますが、これは離婚自体が増えているという別の社会問題の一端でもあり、事件数が増えればいいというものではありません。
全体の訴訟に関する規模は明らかに縮小しており、日本では訴訟社会になるということはなさそうです。請求額が小さくても訴訟にこだわる層も一時は増えたようにも思いましたが、現在ではこれも減ってきたようにも思います。結局、費用倒れになることが浸透してきたのかもしれません。
いずれにしても弁護士人口の激増は、必要のない人材養成という意味においても明らかな失敗だったわけで、この失敗を認め、司法試験年間合格者数を早急に減員していくことが求められています。
「
平成25年司法試験最終合格発表に関する会長談話」(日弁連)
「
司法試験合格者を早急に減員することを求める会長声明」(札幌弁護士会)
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