大手受験予備校代々木ゼミナール(代ゼミ)が大規模な支店校の廃止などの営業規模を縮小するとの報道がありました。
少子化に伴う経営の悪化ということでしたが、浪人生を対象にした営業戦略の見直しということでした。
以前、私の高校時代であれば大学に行くためには一浪は普通、二浪だって別に違和感のあるものではありませんでした。
一定水準の大学に行こうとすれば、相応の努力と学力を身につける必要があったわけで、少なくとも一定数の高校生が上位校を目指し、そこにはその内実が伴っているかどうかどうかはともかく受験競争が繰り広げられてきたわけです。
浪人生の存在は、少なくとも競争率を上げ、一年余分に勉強してきた人たちが参入してくるから一定の競争が確保されることになります。
しかし、大学全入時代を迎え、少なくとも浪人せずとも大学には簡単に行けるようになりました。
むしろ、大学側こそが少子化の影響をまともに受け、学生の確保に躍起になり、人物本位という名の下に、学力がなくても面接のみで合格させるなどという状況に陥っています。
それが京都大学などの大学にも波及するなど事態は深刻です。
「
学力以外の要素での選抜」
このような状況になれば、もはや予備校自体が不要になっていきます。
少子化による市場の縮小というより、過剰な大学の存在こそが予備校の市場規模を縮小させているようにも思えます。
「
法科大学院制度の在り方 田中真紀子文科相の「決断」から考える」
司法試験関連の予備校も低迷していると言われています。
法曹志望者離れがそもそもの原因ではありますが、他方で、法科大学院自体は「全入」状態となっており、司法試験年間合格者数も2000人というように、はっきりと合格しやすくなり、法科大学院の入学者数も2000人代前半であることからすると、極論すれば「全員合格」時代です。
予備校に行ってあくせくして勉強する必然性もなくなってきているのです。
代ゼミの規模縮小は、日本の大学の在り方そのものが問われているのではないか、あるいは児童・生徒の資質の変化そのものが問われているのではないか、と思われます。
一浪してまで目標とする大学に行こうとするよりは、入れる大学へというような意識変化、背景には一浪するだけの経済的なゆとりもなくなってきていることも指摘されていますが、それ自体は日本の経済力の衰退を示すものと言えますが、面接入試を希望する生徒が少なくないことからすれば、経済力の衰退ばかりが原因ではないように思います。
予備校の是非はともかく、全体の学力の低下、さらには学生自身が学力を向上させようという意欲が減退し、楽な方ばかりに向かっているという現実があり、全体としての劣化を感じざるを得ません。
「
国力は低下の一途 日本の現状を知った方がいい 軍隊に人を出すなんて愚の骨頂」
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