先日、兵庫県の県営住宅で、騒音がうるさいと階下の住人が騒音を出していた住人を殺したという事件がありました。
報道によれば、その被害者の73歳の住人は、数年前からクラシック音楽を大音量で流し続けていたということです。
大音量で連日、流されれば普通の感覚の持ち主であれば精神がやられてしまいます。
このような騒音事件はこれだけでなく、「騒音おばさん」の事件も有名です。
引越、引越と隣家に向かって騒音を出し続けた事件で、2005年4月に逮捕され、その後、傷害罪(近隣の女性に精神的な病気に罹患させたこと)で有罪となりました。
1996年から音楽を流し続け、さらには2002年からは24時間、流し続けたそうですが、このようなことをされたら、誰だって参ってしまいます。
騒音をめぐり刑事事件にまでなっているものは数多いのです。
しかし、問題なのは意図的な騒音行為が放置されている点です。明らかに他人に対し、苦痛を与えるだけの行為であり、しかもそれは故意に行われているものです。
騒音を発生させる行為が、「傷害」という結果が生じない限り、取締りの対象とはならないということ自体が問題です。
一定の基準を作り、行政による中止命令などの制度を整備していかない限りは、騒音を意図的に発生させる行為を抑制することは難しいかと思います。
少なくとも、個人で一般民事訴訟手続きなどで対応しうるようなものではなく(訴訟手続きですら大変なのに抑止力がない)、自己責任論で片付ける問題でもありません。
誰もが快適な生活を送りたいというのが願いなのですから、それを公的な機関が実現することは当然の責務でしょう。
これほどの明らかな騒音であれば、取締りは容易ですが、ここまでひどくなくても騒音を出し続ける人たちはいます。全く気遣いのない人たちです。
騒音以外にも不快な行為などはよく体験するものです。
携帯はスマホをいじりながらの歩行、運転などもその1つです。
「
飲酒、携帯しながらの運転が危険運転ではない? スマホ中毒を社会問題として考えよう」
くわえタバコや、ポイ捨てなども同様です。一定の地域では禁止され、制裁が科せられるところもありますが、一般的には野放しです。車の窓の外に向けて灰を落とす神経が理解できません。そして火が付いたまま投げ捨てるなど、人格レベルに問題がある行動です。
昔は、人の目があるから、迷惑行動が抑制されるなどと言われていたことがありました。人目をはばからず問題行動をとっているのは、主にはヤクザ系の人たちだったようにも思います。
しかし、最近は、人目を気にしない層が出現し、上述した問題行動や車中での化粧(化粧自体はどうでもいいです。化粧品の粉などを周囲にまき散らすことが大問題であり、不快なのです)など、抵抗感なく行える、周囲の視線など全く気にしない層です。都市部を中心に、誰からどのように見られていようと一切、お構いなしという層ですが、これからますます増えていくことでしょう。
周囲の目など意にも介さない行為を見るから、極論すればツイッターなどでインターネット上にアップしてさらし者にしたいという欲求が出てくるのでしょう。確かに、インターネット上にアップされれば、いくら周囲の視線が気にならない人たちでも少しは考えるかもしれません。
とはいえ、インターネット上にアップする行為は、やはり行き過ぎと思われます。
先般、まんだらけで起きた窃盗事件の犯人の画像をアップするかどうかということでも大いに論争になりましたが、やはり、インターネット上にアップすることの影響力の大きさからすれば、これをそのまま許容するわけにはいかないでしょう。
人々が暗黙のルールに従い、他者に対する思いやりがあれば、本来、円満に日常生活が送れるはずなのに、それが何故かギスギスするようになる、閉塞感漂う現代社会が生み出す人々の問題行動。その問題行動を起こす人に限って我が物顔で振る舞い、周囲が萎縮する構造。
以前に比べても自己中心的な発想の人たちが増えてきたような社会の中で、私たちがどう関わっていくのかが大きな課題です。
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