未だに法科大学院の「理念」を口にするマスコミたち 法科大学院に「理念」などそもそも存在しない
- 2014/09/16
- 09:27
今年の司法試験合格者数は、昨年度よりも239人減少し、しかも予備試験経由の受験者の合格者数も120人から163人へと43人が増加したため、昨年度に比べても法科大学院経由の合格者は、1929人から1647人と282人も減少したことになります。
このような状況の中では、ますます法科大学院志望者が激減することは間違いありません。もう危殆に瀕した状態、末期を迎えているのです。
本来であれば、このような法科大学院制度自体は廃止すべきなのです。「法科大学院」という名称の教育機関を残すかどうかは、さておくとしても少なくとも司法試験受験資格要件とする法科大学院制度は廃止すべき状況に来ているのです。
しかし、マスコミの中には、法科大学院制度の「理念」に立ち返れというような論調が目立つことに唖然とさせられます。
もともとマスコミはこぞってこの司法「改革」に共鳴し、推進してきました。この司法「改革」は構造改革の一貫として位置づけられているもので、決して、国民の基本的人権の保障などの強化のための改革ではなく、むしろ企業の経済活動を保障するための改革でした。だから、マスコミはこぞって、この「改革」を推進したのです。
ところが、現実には構造改革そのものが格差社会を産み出し、世間から批判の対象となりました。構造改革の頓挫とともに司法「改革」も頓挫したのです。法曹人口を激増させるという政策そのものが失敗し、2013年8月には、司法試験年間合格者数を3000人を目指すとされた閣議決定も撤回されたのです。
しかし、マスコミは、この司法「改革」の失敗は断じて認めないという姿勢です。推進してきた当時から批判され続け、しかも結果が出せていないにも関わらず、頑として認めませんでした。この分野は特殊ですから、担当する論説委員はほぼ固定されていることと思われますが、決して、誤りを認めないのです。格差社会批判に対しては、いつの間にかそれに便乗する形で立ち位置を変えているのですが、この司法「改革」問題では、それすらもせず、法科大学院制度の「理念」なるものを持ち出して自分たちの従来からの路線を正当化しようといるだけなのです。
この「理念」とは単純なものです。点での選抜からプロセス重視というものです。
そして、司法審意見書は、このように述べています。
「•「法の支配」の直接の担い手であり、「国民の社会生活上の医師」としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る。
•専門的な法知識を確実に習得させるとともに、それを批判的に検討し、また発展させていく創造的な思考力、あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。
•先端的な法領域について基本的な理解を得させ、また、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに、実際に社会への貢献を行うための機会を提供しうるものとする。」
一番、最初に記載されたものは、字面を並べただけのもので、これでよくも「理念」などといえたものです。
もともと、法科大学院制度の目的は、2つあります。
①司法試験年間合格者数を激増させるにあたって、ただ数だけを増やしてしまっては水準が下がることは明らかなので、受験資格制限、即ち、法科大学院課程を修了させることで、受験者全体の水準の底上げをすること。
これは、2番目の理念のことです。要は、合格者の数だけ増やしてしまうとこれまでの旧司法試験では選抜機能を果たさせなくなるからにすぎません。
「司法制度改革の「原点」」
「法科大学院は法曹養成制度の中核たりえない」
②文科省の推進した職業専門大学院の一貫として、高度な国際分野、知財など財界の欲する人材を養成すること
これは、3番目の理念のことです。
合格者の数を増やす以上、一番、重要なのは②となります。③は、②を達成できて始めて可能になるものです。従って、②さえおぼつかないのに、③を理念として掲げていること自体、滑稽なのです。
マスコミは、法科大学院の「改革」が必要だという主張だけでなく、法科大学院側が目の敵にしている予備試験の制限まで主張し始めました。
「だが、社会人など幅広い人材を法曹の世界に送り込むためにも、実務家によるきめ細かな授業を重視する法科大学院の理念は今後も尊重してもらいたい。政府が進める予備試験の見直しは不可欠だ。」(毎日新聞2014年9月15日)
「予備試験の見直しも待ったなしだ。経済的理由で大学院に通えない人たちを念頭に置く以上、受験に制限を設けるべきだ。」(北海道新聞2014年9月14日)
「法科大学院ではなく予備試験を経た合格者が、11人に1人にまで増えている。社会人受験者などを想定した特例だが、法曹への最短コースとして学生が挑戦する現実がある。法科大学院の充実が図られるのであれば、予備試験のあり方も検討するべきだろう。」(朝日新聞2014年9月12日)
「予備試験は本来、経済的な理由で法科大学院に通えない人などに門戸を開く例外的なコースである。それが「近道」として利用され、大学や法科大学院に在籍しながら受験する人が増えている。試験による一発勝負ではなく、じっくりと創造力や法的な分析力を養う、という司法改革の理念に逆行する流れといえる。法科大学院在籍中の受験を制限することを検討する必要もあろう。」(日経2014年9月10日)
政府が予備試験制限を進めているという話は聞いたことがありませんが、むしろ、予備試験の制限は、法曹制度、法曹養成制度そのものを破壊します。
「司法試験予備試験をどのように位置づけるのか 法科大学院を守るための予備試験制限は許されない」
マスコミは、未だに「改革が~」とか「法科大学院の理念が~」ということを口にしていますが、このような悪質な論調は、止めて頂きたいと思います。
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このような状況の中では、ますます法科大学院志望者が激減することは間違いありません。もう危殆に瀕した状態、末期を迎えているのです。
本来であれば、このような法科大学院制度自体は廃止すべきなのです。「法科大学院」という名称の教育機関を残すかどうかは、さておくとしても少なくとも司法試験受験資格要件とする法科大学院制度は廃止すべき状況に来ているのです。
しかし、マスコミの中には、法科大学院制度の「理念」に立ち返れというような論調が目立つことに唖然とさせられます。
もともとマスコミはこぞってこの司法「改革」に共鳴し、推進してきました。この司法「改革」は構造改革の一貫として位置づけられているもので、決して、国民の基本的人権の保障などの強化のための改革ではなく、むしろ企業の経済活動を保障するための改革でした。だから、マスコミはこぞって、この「改革」を推進したのです。
ところが、現実には構造改革そのものが格差社会を産み出し、世間から批判の対象となりました。構造改革の頓挫とともに司法「改革」も頓挫したのです。法曹人口を激増させるという政策そのものが失敗し、2013年8月には、司法試験年間合格者数を3000人を目指すとされた閣議決定も撤回されたのです。
しかし、マスコミは、この司法「改革」の失敗は断じて認めないという姿勢です。推進してきた当時から批判され続け、しかも結果が出せていないにも関わらず、頑として認めませんでした。この分野は特殊ですから、担当する論説委員はほぼ固定されていることと思われますが、決して、誤りを認めないのです。格差社会批判に対しては、いつの間にかそれに便乗する形で立ち位置を変えているのですが、この司法「改革」問題では、それすらもせず、法科大学院制度の「理念」なるものを持ち出して自分たちの従来からの路線を正当化しようといるだけなのです。
この「理念」とは単純なものです。点での選抜からプロセス重視というものです。
そして、司法審意見書は、このように述べています。
「•「法の支配」の直接の担い手であり、「国民の社会生活上の医師」としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る。
•専門的な法知識を確実に習得させるとともに、それを批判的に検討し、また発展させていく創造的な思考力、あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。
•先端的な法領域について基本的な理解を得させ、また、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに、実際に社会への貢献を行うための機会を提供しうるものとする。」
一番、最初に記載されたものは、字面を並べただけのもので、これでよくも「理念」などといえたものです。
もともと、法科大学院制度の目的は、2つあります。
①司法試験年間合格者数を激増させるにあたって、ただ数だけを増やしてしまっては水準が下がることは明らかなので、受験資格制限、即ち、法科大学院課程を修了させることで、受験者全体の水準の底上げをすること。
これは、2番目の理念のことです。要は、合格者の数だけ増やしてしまうとこれまでの旧司法試験では選抜機能を果たさせなくなるからにすぎません。
「司法制度改革の「原点」」
「法科大学院は法曹養成制度の中核たりえない」
②文科省の推進した職業専門大学院の一貫として、高度な国際分野、知財など財界の欲する人材を養成すること
これは、3番目の理念のことです。
合格者の数を増やす以上、一番、重要なのは②となります。③は、②を達成できて始めて可能になるものです。従って、②さえおぼつかないのに、③を理念として掲げていること自体、滑稽なのです。
マスコミは、法科大学院の「改革」が必要だという主張だけでなく、法科大学院側が目の敵にしている予備試験の制限まで主張し始めました。
「だが、社会人など幅広い人材を法曹の世界に送り込むためにも、実務家によるきめ細かな授業を重視する法科大学院の理念は今後も尊重してもらいたい。政府が進める予備試験の見直しは不可欠だ。」(毎日新聞2014年9月15日)
「予備試験の見直しも待ったなしだ。経済的理由で大学院に通えない人たちを念頭に置く以上、受験に制限を設けるべきだ。」(北海道新聞2014年9月14日)
「法科大学院ではなく予備試験を経た合格者が、11人に1人にまで増えている。社会人受験者などを想定した特例だが、法曹への最短コースとして学生が挑戦する現実がある。法科大学院の充実が図られるのであれば、予備試験のあり方も検討するべきだろう。」(朝日新聞2014年9月12日)
「予備試験は本来、経済的な理由で法科大学院に通えない人などに門戸を開く例外的なコースである。それが「近道」として利用され、大学や法科大学院に在籍しながら受験する人が増えている。試験による一発勝負ではなく、じっくりと創造力や法的な分析力を養う、という司法改革の理念に逆行する流れといえる。法科大学院在籍中の受験を制限することを検討する必要もあろう。」(日経2014年9月10日)
政府が予備試験制限を進めているという話は聞いたことがありませんが、むしろ、予備試験の制限は、法曹制度、法曹養成制度そのものを破壊します。
「司法試験予備試験をどのように位置づけるのか 法科大学院を守るための予備試験制限は許されない」
マスコミは、未だに「改革が~」とか「法科大学院の理念が~」ということを口にしていますが、このような悪質な論調は、止めて頂きたいと思います。
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