新任検事に辞令が下りたというニュースが配信されていました。
「
新任検事:「初心忘れず」74人に辞令 女性は29人」(毎日2014年12月23日)
全体の司法修習終了の数が1973人ですが、その中で検事となった者はわずか74人ということですので、相も変わらず弁護士か就職未定者ばかりが増えていくという状況です。
それはさておき、毎日新聞の新任検事の紹介が異様です。
辞令交付式後に取材に応じた平山陽子さん(29)は、名古屋芸術大で声楽を学んだ異色のキャリアの持ち主。高校時代にミュージカルの俳優に憧れて入学したが、「大学の4年間で食べていくだけの実力がないことを強く感じた」と方向転換。元々法学部志望で10年に法科大学院に入学した。法科大学院制度には課題もあるが、平山さんは「大学で法律を学んでいない者にも法曹への道を開いてくれるありがたい制度」と評価し、「初心を忘れず、温かみのある検察官になりたい」と語った。
新任検事としての抱負ではなく、法科大学院制度の自画自賛コメントの紹介です。
声楽を学んだ経緯というのが「異色」という評価をすること自体が時代遅れです。
そのような経歴が法曹としてどのような意味を持つのかという視点は恐らく全くないでしょう。
要は、法科大学院制度ができた → 誰でも、あるいはどの分野からでも法曹になれるようになったということを言いたい! ということは伝わってくるのですが、未だにこのようなことを法科大学院制度のメリットと言ってはばからないところに痛々しさがあります。
既に旧試験の時代から、誰でも、どの分野からでも法曹になれましたし、現にそうでした。もっとも法学部出身者が圧倒的多数でしたが、それでも門戸は誰にでも開かれていたのが司法試験(旧試験)でした。
今時、いろんな分野の人が法曹になれたのは、法科大学院制度のお陰ではありません。単に司法試験合格者数を増加させたから、その結果、合格水準を下げた、それだけです。
既に瓦解寸前の法科大学院制度をここまで持ち上げる、提灯記事は「異色」だと思います。
この少し前にも法曹養成に関する顧問会議において、琉球大学法科大学出身者が法科大学院制度を絶賛する意見陳述をしていました。
「
自分の頭で考えることを教わるのが法科大学院? 今まで自分の頭で考えたことがなかったのだろうか。」
これが何故、自画自賛と言えるかといえば、例えば、私は、司法試験合格者の減員を目指す活動をしていますが、その中で新人弁護士などから聞く言葉は、「私は2000人(あるいは1500人)の中で合格した。にも関わらず1000人まで減らせと言うことに抵抗感がある」というものでしたが、これと比較してみてください。
何と殊勝な言葉でしょうか。ご自身が増員の結果、合格したのではないかという思いがあるが故の発言です。
もちろん、それでも1000人まで減員せよと主張することは矛盾ではありません。法曹制度の問題であり、その制度がどのようにあるべきかということは誰でも発言できる問題だからです。
それに引き替え、法科大学院制度ができたから、という発言をする人たちには、心底、法曹には向かない人たちと思います。
何故って、この程度の論理思考もできないからです。
未だに法科大学院制度のお陰とか、声楽コースを異色だとか言っていることが法科大学院制度の悲哀を漂わせています。
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