裁判所は、最高裁(東京に1つ)、高裁(全国に8つ)、地裁は各都道府県に1つ(但し、北海道は4つ)がありますが、都道府県の中には、地裁の支部も設置されています。
支部には裁判官が常駐している支部もあれば、常駐せず、週に数日、あるいは1ヶ月に数日、赴くところがあります。
日弁連や弁護士会などは、裁判官の常駐を主張しています。
裁判官の非常駐支部では、合議事件(3人の裁判官による)は扱えず、また特定の手続き(労働審判、債権執行、裁判員裁判)が扱えない、実施しないということになっています。
支部で労働審判を実施しているのは、小倉支部、立川支部のみ
裁判員裁判では、10支部のみ
となっています。ほとんどが本庁(県庁所在地)のみでしか実施していないということです。
他の行政サービスでは県庁所在地まで行かなければ受けられないものはありません。
都道府県レベルでいえば、県の出張所があったり、北海道でいえば振興局(旧支庁)が対応しています。
より身近なところでは、市町村が基礎単位となっています。
これに比べて司法サービスは格段に低いという状態です。
地方においても三権の必要性は存在しており、これは何も東京だとか大都市の問題ではありません。
行政(首長、役所)、立法(地方議会)、司法(裁判所)
司法(裁判所)だけは、最高裁を頂点することなりますが、これは司法権の特徴です。行政や立法の審査を行うことがその役割であり、最高裁のもとに統一した法的処理を行う必要があるからです。憲法は最高裁の傘下に入らない特別裁判所の存在を認めていません。
(行政(首長)、立法(地方議会)でも総務省の指導はありますが、直結はしていません。)
司法の機能(サービス)がないということは、地方のあり方としても問題ということになります。
もっとも地方の過疎化の進行は著しいものがあり、現状では地方の裁判所の支部や簡易裁判所はほとんど事件がないためヒマな状態です。
この支部に裁判官を常駐と言ってみても、それだけで説得力があるとは思えません。
日弁連は、この間、司法「改革」を推進してきましたが、その決まり文句は、裁判官の増員と支部の裁判官の常駐です。そして、
司法「改革」は弁護士だけの増員が目的ではなかったはずだというものです。しかし、司法審意見書(2001年)には司法の機能強化は述べられていますが、裁判官の増員などは求めていません。最高裁などが必要とする数が明記されただけです。
日弁連が昨年9月20日に開催したシンポジウム「市民にとって本当に身近で利用しやすい司法」では、やはろ裁判官は忙しすぎると強調されています。
「
「裁判所は地域で孤立している」 元鳥取県知事が指摘する司法と一般市民の「隔絶」」(弁護士ドットコム)
ところが
事件数は明らかに減少しています。
地裁、簡裁の新受件数は1998年の水準にまで減少しています。一時的な過払訴訟によって事件数は水ぶくれしましたが、それも一過性のものだっただけでなく、それ以上に減少しているのです。
次の狙いは残業代請求だ! とも言われていましたが、現実には新受件数自体を押し上げてはいません。
明らかに地方の支部や簡裁はヒマなのです。むしろこのままでは統廃合の危機すらやってきかねません。
日弁連の決まり文句は、「忙しすぎる裁判官」というものですが、そのようなものは実態とはかけ離れています。
このキャッチフレーズは、最近の日弁連の文書には見あたらなくなっていますが、これでは説得力はないので、当然の流れでしょう。
むしろ、日弁連が司法試験合格者数の激増を正当化するものとして用いられていたのが裁判官の増員の主張でした。
この日弁連ですら、1500人までの減員は口にせざるを得ない状況となっているのですから、端的に以前に主張していたような裁判官の増員を弁護士の増員に絡めるような主張はやめるのが懸命です。最近は、この論調は減ってきたようにも思いますが、上記のシンポのように完全には払拭しきれていません。
とはいえ、支部や簡裁の統廃合は私も反対です。結論は日弁連と同じです。
そのようなことをしたら地方の過疎化に拍車を掛けるだけだからです。地方の均一的な経済の活性化は必要です。東京一極集中が良いはずがありません。
あまりにも過度な東京一極集中政策がなされていますが、まさにこの点こそ批判の視点としなければなりません。
司法予算の増額は求めていく必要がありますが、その理由は「忙しすぎる裁判官」だからではないということです。
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