以前、モラハラについてエントリーしました。
「
モラハラ相談急増 その対策が相談窓口なんだろうか」
この中で、モラハラについての概念が不明確ではないかというご指摘を受け、私自身、再度、考えましたが、従来、言われてきたモラハラと、暴言等によって相手を支配してしまうというモラハラでは、かなり質的に違いますので、この点では、私の先日の意見は、定義づけが不十分であり、再考すべきと思いました。
従来、言われていたモラルハラスメントとは、そのご本人が意識しているかどうかを問わず、普通ならやらないようなモラルに反する行為をすることによって、その相手方に対し、不快にさせる行為(言動)のことです。
先般、北海道新聞が問題にするような案件は、怒鳴りつけるような行為によって相手を支配しようというものですから(要は、DVのように直接、身体に対する暴力行為は行わない)、怒鳴りつける行為自体に大きな問題があり、その行為だけで違法性を帯びてきます。
これについては、先日、エントリーしたとおりです。
これに対して、モラルに反する程度の行為であれば通常は違法とはされません。あくまでモラルに反する行為に過ぎないからです。
街中では、これに該当するような言動をよく見かけます。
携帯電話をしながらぶつかってくるんじゃないかという歩き方はまさにどけどけという歩き方と変わらない。
車内が混み合っているのに座席を複数、占拠する。
列車が駅に止まるのに入口を開けないで塞いでいる。
しかし、モラルに反する行為に過ぎないとはいえ、普通の感覚があればやらない行為だし、だからこそ、された方が不快な気持ちになるものです。
それが単発の行為であれば、それを違法とべきことにはなりません。だからモラルの問題なのであり、直接、法律が介入して違法としてしまうのであれば、もはやモラルの問題ではなく、強制力が働くことになり、どこまで国家が介入すべきことなのかという根源的な問題ということになるのです。
モラルハザードとして、その行為に不快に感じても、
それ以上に国家が介入することによって国民を縛り付けることの弊害を考える必要もあります。
国民生活の行動様式の隅々にまで国家が介入してくるという意味であり、普通は息苦しく感じるはずです。
また、その国家の介入が濫用されることも併せ考えておく必要があります。
例えば、肩に触ったということが暴行罪に適用を受けるのか、あるいは侮辱する言動すべてが侮辱罪の適用を受けるのか(但し、公然性の要件があることに注意)、ということもあります。常識的な線引きは必要です。
その意味では夫婦間で、例えば怒鳴り合いの口論になったとしても、すべてが違法というわけではなく、モラルの問題として処理すべきものもあるということになります。
しかし、このモラハラ行為が単発であればいいですが、夫婦や家族、職場ということになりますと、それが継続してなされることも少なくありません。
それが蓄積されてくれば、大きな不満になり、鬱積していくことも間違いありません。
これが夫婦間の場合、鬱積が貯まっているというだけでは離婚原因になりえないでしょう。鬱積しているというだけでは、表面上の夫婦関係は「円満」に見えるでしょうし、他方配偶者はモラハラをしている当事者ですから、相手が不満に思っているなどと全く考えたこともないでしょう。1つ1つの行為をみれば大したことはない、それくらい我慢できないのかということになるわけです。
そうなると、ある日、突然に忍耐の尾が切れてということになり、離婚を切り出せば他方配偶者にとっては寝耳に水ということになり、極端な場合には取り返しのつかないことになる場合です。
箸の持ち方が…という程度で口論になって殴り殺してしまったような高齢者の夫婦の事件をみると、「それだけのことで何で?」なんて思ってしまうようではダメで、むしろ普通はこの程度のことで人情沙汰にはならないわけですから、これまでの間に何があったのかということの方が重要です。
こういったモラハラ行為について、私が普段、感じるのは、何故、モラハラをされた側が我慢しなければならないのかという点です。
世の中には、穏便にとか、我慢すればいいのというような意見もありますが、それを他人にまで強要すべきではなく、そのような発想は、モラハラ行為をしている方を免罪しているだけでなくむしろ助長しているということになります。
その1つ1つの言動が違法でなかったとしても、やはり一定継続される、あるいは継続が予想されるような場合には違法とし、特に夫婦関係においては離婚原因として再評価すべきということです。
なぜなら、
夫婦関係は、法律によって継続的、永続的関係を強制する要素があるわけですから、一方の犠牲において他方が幸福を得るような関係を強制すべきではないからです。
我慢に我慢を重ねた結果、やっぱりダメだったというとき、その人生に誰も責任を負ってくれません。婚姻関係の継続を強要されたことのつけを負わされるのは不合理です。
最悪なのは、先に挙げた刃傷沙汰になってしまう場合で、お互いに不幸です。
特に、一定の時点でもう継続できないと思ったとき、それ以降、夫婦関係の継続を強要されるのは全くもって地獄でしょうから、早期の解放こそ必要なのです。
現状の離婚裁判の実態は、一定程度の我慢を前提にして双方の婚姻関係維持に向けた努力を求めるものですが、一方的にどちらかに我慢を強いてはいないのか、今一度、検証すべきでしょう。
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