私が先日、「どうしてこれが会員の思想信条の自由を侵害されるということになるのか、横井盛也氏の見解に疑問」をエントリーしたところ、横井盛也弁護士より反論が掲載されました。
「
弁護士会の独善 - 安保関連法案は戦争法案ではなく、戦争をしないための法案です」
橫井氏が反論を掲載されたことには敬意を表し、私なりの意見を改めて述べたいと思います。
まず、橫井氏の反論ですが、以下の部分から始まります。
「「弁護士会の戦争法案反対の活動が個々の会員の思想・信条の自由を侵害すると主張されている弁護士」と紹介されているのですが、大きな誤解であり、恥辱です。
戦争法案であれば、私も反対するでしょう。
私は右翼でも国粋主義者でも民族主義者でもありません。
平和をこよなく愛するごく一般的な普通の弁護士です。
今回問題になっているのは、戦争法案ではなく、戦争をしないための安全保障関連法案です。」
安倍内閣が提出した「安全保障関連法案」ですが、私はこれまでも「戦争法案」と表記しています。
確かに弁護士会が主催して行う集会では、「戦争法案」の名称は使いません。
とはいえ、両者が同一のものを指しているということは周知のことであり、私が戦争法案と表記したものが、安倍内閣が提出した「安全保障関連法案」であることはすぐにわかろうというものです。
従って、その表記に対する批判ならまだしも、戦争法案には反対だが、「安全保障関連法案」には賛成と言ってみたところで意味はありません。
橫井氏が次に述べるように「戦争をしないため、させないための方策について、絶対唯一の正解はありません。」の方法論であるならば、見解の相違というのが正しい批判のあり方ないしは指摘ではないでしょうか。
もっとも、この橫井氏の文章は、主語が記載されていません。むしろ日本に限定していないように思います。
日本が戦争をしないためであれば、敢えて集団的自衛権を行使することは、かえって日本が戦争をすることになります。
というより、橫井氏の主張はまさに安倍氏と全く同じという評価が当てはまります。
「
中国による南シナ海の埋め立て 傍観する日米両政府 軍事力は何の解決にもならない」
ところで、橫井氏が問題にしたのは、このような戦争法案の評価の問題ではなく、弁護士会が戦争法案(安全保障関連法案)に反対する決議や運動ができるのかという問題であり、それを「弁護士会は一致」と表現したことの是非ではなかったのでしょうか。
「自民党や公明党の弁護士資格を持つ国会議員らは後者と考えているのであり、弁護士会員の中に同様の考え方をしている人は私以外にも多数いるはずです。」
という部分ですが、多数かどうかはともかく、反対する会員がいることは事実です。
しかし、反対勢力が多数かといえば、先日も日弁連定期総会において、次の宣言が採択されています。
「
安全保障法制等の法案に反対し、平和と人権及び立憲主義を守るための宣言」
会長が独断で行ったものでも、理事会で決議したものもでなく、あくまで総会において採択されていますから、会内は執行部の意見が多数です。
札幌でも定期総会において同様の意見書を採択しましたが、圧倒的多数での採択です。
「
集団的自衛権行使等を容認する閣議決定の撤回を求めるとともに、同閣議決定に基づく関連諸法令の改正及び制定に反対する決議」(札幌弁護士会)
橫井氏は一致する点については、このように述べます。
「弁護士会で一致するとすれば、平和をより確実にする法案が立憲主義に反するか否かについてではなく、平和を望むというただ一点にとどまるのだと思います。」
これだって、平和の意味は何だということになれば、一致はなくなります。
安倍氏のいう「積極的平和主義」でいう「平和」と私が求める「平和」は異なります。同じ「平和」でも一致はしません。
この問題については前回にも述べた通り、大阪弁護士会が「一致」と表現したのは、全会員が一致という意味で表現したものとは思われないことです。
前後の文脈からすれば、特定政党の支持の有無ないしは安倍政権の評価は弁護士会としてはできない、それは一致させるものでもない、しかし、立憲主義という観点からは、弁護士会の目的の範囲として一致できるところ、そのような意味合いとして用いられているものです。
橫井氏の批判は、「私は一致していない」という意味で大阪弁護士会を批判されたと思うのですが、違っていたでしょうか。
だから、私は一致=全会員が戦争法案に反対しているという意味ではなく、その批判はずれていないですか、と指摘したのです。
さて、橫井氏は、その「一致」の範囲だって超えているではないか、ということで以下の主張をされているものと思います。
「しかしながら、日本共産党大阪府委員会のホームページ。
http://www.jcp-osaka.jp/osaka_now/2107その記事や写真などから大阪弁護士会主催の集会が政治運動であり、特定政党の党勢拡大や自民党打倒の運動と密接に繋がっているのではないか、との印象を受けてしまうのです。」
私からみれば、日本共産党が大阪弁護士会の活動を紹介しただけの記事、あるいは大阪弁護士会の運動に便乗したもの(この便乗は否定的評価ではありません、弁護士会の運動に賛同されるならいくらでも便乗してください、という意味です)、という程度のものであって、特定政党と結びついた運動というのは飛躍がありすぎます。
ウヨク勢力は、弁護士会自体をサヨクだとして攻撃していますが、弁護士会は立憲主義から考えてれば当然の結論を述べているだけのことです。
さらにいえば、在野法曹としての日弁連、弁護士会があるのですから、それは権力抑制のための1つの手段です。
権力、特に行政権は濫用されがち、それを抑止するのが司法権ですが、それだけなく、在野法曹としての弁護士会が創設されたこと、それは権力から独立した自治権を付与された弁護士会としての当然の責務として権力との緊張関係があることが想定されているのです。
体制側が人権を制約したり憲法違反なことをしようとすれば、それに対する抑止勢力としての弁護士会が意思表明することはまさに在野法曹としての役割であり、それを「サヨク」などということ自体が右に寄りすぎている人たちからの誹謗・中傷でしかありません。
橫井氏はこのようにも述べます。
「弁護士会の発言力が弱まるとともに多くの国民の支持を失ってしまうのではないかと危惧」
しかし、もともと弁護士会は在野法曹として、基本的人権の擁護という職責を負っていますが、基本的人権の擁護は、多数派からの横暴に対しても戦うことが求められています。特に刑事事件ではそうです。光市事件の弁護団がマスコミからもバッシングを受けていましたが、弁護士会はあくまで少数者の正当な利益を擁護する責任があります。大衆に迎合するなんて、もってのほかです。
特定の政党との結びつきということの危惧であったとしても、これだけで支持を失うなどということはありません。これまでだって、秘密保護法、国家機密法反対の運動などでも同様のことがあったではありませんか。
しかも、現在の国民世論は、圧倒的に安倍政権に対する懐疑の目が向けられているということですが、このような中で弁護士会が何も動かないとすれば、その方が国民の信頼を失います。
橫井氏は会員の声を代弁しているかのように次のようにも述べます。
「大半の弁護士会員は、このような運動に無関心であるか、それより法曹人口の問題を何とかしてもらいたいと考えているのではないでしょうか。」
個々の会員がどのように考えるかという問題と弁護士会が何をなすべきかという問題はごっちゃにしてはいけません。
無関心というのであれば、法曹人口問題にも無関心な会員が少なくないのではないでしょうか。
こう言っては何ですが、大阪弁護士会は法曹人口問題では後ろ向きです。足を引っ張ってるんじゃないかというくらいです。日弁連、東京三会も同じです。
しかし、それ以外の多くの単位会は違います。積極的に行動しています。
札幌弁護士会も中心になって活動している単位会共同行動も前回は24単位会に賛同が拡がりました。大阪弁護士会にも賛同して頂きたいところです。
「
2015年(平成27年)3月19日付共同申入書(PDF)」
法曹人口問題では日弁連執行部とは明らかに見解は異なりますが、思想、信条の自由が侵害されたとは思いません。しかし、憤りはあります。だからこそ会内でも法曹人口問題については日々、活動しています。
それ以上に日弁連が毒まんじゅうを食べなければ刑事司法制度改革はできないなどといって、司法取引を含め政府案を丸呑みしたことには法曹人口問題以上に怒りが込み上げますが、その際は私は「少数」に属するものとして批判はするものの、思想、信条の自由とか全員一致などを求めるものではありません。
「
通信傍受に賛成しようとする日弁連執行部 刑事司法改革で最大の汚点」
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