コメント
仮に自分がクレイジーだとする。でも自分ではクレイジーだとは思っていない。ところがまわり全員が自分をクレイジーだと言いだす。するとそこで、自分はクレイジーなのかもしれないと思いはじめる。
さて、上記の様に自分に疑いをもてる人は真にクレイジーでは無いそうです。単なるエキセントリックな人。
一方で、真にクレイジーな人は自分や自説の異常さに気付けません。他者の指摘が理解できず、自分への否定と受け取り、激昂して攻撃的になったり、自己憐憫の燃料としたり、闘争心を燃え上がらせたりします。
ここで言うクレイジーは神経症に近いものです。
さて、上記の様に自分に疑いをもてる人は真にクレイジーでは無いそうです。単なるエキセントリックな人。
一方で、真にクレイジーな人は自分や自説の異常さに気付けません。他者の指摘が理解できず、自分への否定と受け取り、激昂して攻撃的になったり、自己憐憫の燃料としたり、闘争心を燃え上がらせたりします。
ここで言うクレイジーは神経症に近いものです。
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>特攻作戦が愚策、しかし、特攻で死んでいった人たちが「英霊」などという詭弁がどうして通用すると思っているのでしょうか。両者は全く両立しない関係です。
この具体的な論証はどこでしょうか?
>死ななくても済んだのですよ。それを「英霊」扱いするなどというのは、あまりにばかげているし、冒涜そのものでしょう。特攻作戦が愚策だったことに問題の所在を矮小化する手法は、ウヨク勢力のよくある手口です
何の説明にもなっていないこれ以降ではありませんよね?
私は、特攻が愚策であることと、特攻隊員の自己犠牲精神を讃えることは並立すると述べました。
それに対する反論として体をなしていない具体的な指摘は必要でしょうか?
恐らく、自覚されているから「自己犠牲」という言葉を使う事を避けたと思われますので不要でしょう。
この様な、説明にも反論にもなっていないものをさも体をなしているかの様に繕う言葉遊びこそを「詭弁」と私は認識しています。
その他の事については、正直どうでも良いです。
特攻隊員が死ななくても良かったというのは指摘通りです。
それに対する「犬死」という言葉の選択の是非など、発する人の品位の問題でしかありませんからね。
ただ、舞の海氏への事実無根な批判の時と同様に、自己正当化の為に支離滅裂な主張をしてしまう様な展開だけは見苦しいのでご注意ください。
「昭和や天皇は軍国主義そのもの!」などという理解不能な発言はもう見たくありませんので。
この具体的な論証はどこでしょうか?
>死ななくても済んだのですよ。それを「英霊」扱いするなどというのは、あまりにばかげているし、冒涜そのものでしょう。特攻作戦が愚策だったことに問題の所在を矮小化する手法は、ウヨク勢力のよくある手口です
何の説明にもなっていないこれ以降ではありませんよね?
私は、特攻が愚策であることと、特攻隊員の自己犠牲精神を讃えることは並立すると述べました。
それに対する反論として体をなしていない具体的な指摘は必要でしょうか?
恐らく、自覚されているから「自己犠牲」という言葉を使う事を避けたと思われますので不要でしょう。
この様な、説明にも反論にもなっていないものをさも体をなしているかの様に繕う言葉遊びこそを「詭弁」と私は認識しています。
その他の事については、正直どうでも良いです。
特攻隊員が死ななくても良かったというのは指摘通りです。
それに対する「犬死」という言葉の選択の是非など、発する人の品位の問題でしかありませんからね。
ただ、舞の海氏への事実無根な批判の時と同様に、自己正当化の為に支離滅裂な主張をしてしまう様な展開だけは見苦しいのでご注意ください。
「昭和や天皇は軍国主義そのもの!」などという理解不能な発言はもう見たくありませんので。
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猪野先生のおっしゃっていることは、まっとうだと思います。
前途ある若者たち(優秀な頭脳と肉体を持っている方々が多かったと想像します)を、「無謀な作戦」で死なせてしまった責任を、誰がどのようにして、取ったのか・・・・・胸が痛みます。
情緒的に祭り上げたりすることは、けっして責任を取ったことにはなりません。
特攻兵の生き残りの一人である映画監督、故岡本喜八監督は、様々な「作品」で「彼ら」を描いておられます。ご自身は、ボートで体当たり作戦をするために、訓練を重ねておられたそうですが、終戦になり、かろうじて生き残ることができたと聞いています。「肉弾」は、そういう境遇の一人の若者を、描いた作品ですが、私がもっとも印象に残っているのは、「日本のいちばん長い日」で描がかれた少年兵たちです。8月8日から9日の未明、日本はポツダム宣言を受諾することを決め、天皇が玉音放送を録音されようとするその頃、厚木基地から少年兵たちが、大勢の見送りを受けながら飛び立っていきます。8日の時点では、いやもっとそれ以前に「終戦」は決まっていたようなものですから、「もう行く必要はない」と止めることがなぜ出来なかったのか?
当時の日本の上層部の混乱は理解できますが・・・
私は、横浜に住んでいますが、上原良司さんという当時、慶応大学の学生で、特攻で亡くなった方の「研究」をしておられる人たちの話を聞く機会があります。上原良司さんは、「遺書」とも言うべき文章をいくつも残しておられますが、こんな立派な考えと豊かな感性を持った方が、どうして死ななければならなかったのかと思います。
前途ある若者たち(優秀な頭脳と肉体を持っている方々が多かったと想像します)を、「無謀な作戦」で死なせてしまった責任を、誰がどのようにして、取ったのか・・・・・胸が痛みます。
情緒的に祭り上げたりすることは、けっして責任を取ったことにはなりません。
特攻兵の生き残りの一人である映画監督、故岡本喜八監督は、様々な「作品」で「彼ら」を描いておられます。ご自身は、ボートで体当たり作戦をするために、訓練を重ねておられたそうですが、終戦になり、かろうじて生き残ることができたと聞いています。「肉弾」は、そういう境遇の一人の若者を、描いた作品ですが、私がもっとも印象に残っているのは、「日本のいちばん長い日」で描がかれた少年兵たちです。8月8日から9日の未明、日本はポツダム宣言を受諾することを決め、天皇が玉音放送を録音されようとするその頃、厚木基地から少年兵たちが、大勢の見送りを受けながら飛び立っていきます。8日の時点では、いやもっとそれ以前に「終戦」は決まっていたようなものですから、「もう行く必要はない」と止めることがなぜ出来なかったのか?
当時の日本の上層部の混乱は理解できますが・・・
私は、横浜に住んでいますが、上原良司さんという当時、慶応大学の学生で、特攻で亡くなった方の「研究」をしておられる人たちの話を聞く機会があります。上原良司さんは、「遺書」とも言うべき文章をいくつも残しておられますが、こんな立派な考えと豊かな感性を持った方が、どうして死ななければならなかったのかと思います。
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↑上記
8日から9日ではなく、14日から15日です。
こんな重要なことを間違えるなんて・・・・・
すみません。
8日から9日ではなく、14日から15日です。
こんな重要なことを間違えるなんて・・・・・
すみません。
覧古考新:細かい指摘いくつか
>戦前の人を人とも思わない教育勅語、軍人勅諭によって国民が洗脳され、
↑
細かい指摘でたいしたことはないが気になったので一言。
文学的表現で「洗脳」という言葉を使うことはあるが、あまり感心しない。
当時の国民(臣民)がブレインウォッシュされていたというのはどうも・・・
別に監禁されていたわけでも、薬物や物理的に脳にダメージを与えられていたわけでもないだろうに。
余計な話ではあるが、安易に「洗脳」という危険な言葉を使うのは、あまりにも雑な思考だと感じる。
>特攻作戦が愚策、しかし、特攻で死んでいった人たちが「英霊」などという詭弁がどうして通用すると思っているのでしょうか。
↑
特攻は「統帥の外道」、「奴隷戦法」。
「決死の作戦」はあるが「必死の作戦」はない。
もちろん「英霊」と持ち上げる考えは、わたしには全くない。
>ノモンハン事件で「日本兵の死者は2万人ですが、ソ連の戦車に火炎瓶で突撃させるようなレベルでの戦闘に全く意味はなく、すべて犬死にさせられたものです。
↑
ノモンハン事件を日本側の一方的な負け戦というのはどうかと。
また、たとえ負け戦だとしても、戦死者を「犬死=無駄な死」と言ってしまうことには抵抗感がある。
↑
細かい指摘でたいしたことはないが気になったので一言。
文学的表現で「洗脳」という言葉を使うことはあるが、あまり感心しない。
当時の国民(臣民)がブレインウォッシュされていたというのはどうも・・・
別に監禁されていたわけでも、薬物や物理的に脳にダメージを与えられていたわけでもないだろうに。
余計な話ではあるが、安易に「洗脳」という危険な言葉を使うのは、あまりにも雑な思考だと感じる。
>特攻作戦が愚策、しかし、特攻で死んでいった人たちが「英霊」などという詭弁がどうして通用すると思っているのでしょうか。
↑
特攻は「統帥の外道」、「奴隷戦法」。
「決死の作戦」はあるが「必死の作戦」はない。
もちろん「英霊」と持ち上げる考えは、わたしには全くない。
>ノモンハン事件で「日本兵の死者は2万人ですが、ソ連の戦車に火炎瓶で突撃させるようなレベルでの戦闘に全く意味はなく、すべて犬死にさせられたものです。
↑
ノモンハン事件を日本側の一方的な負け戦というのはどうかと。
また、たとえ負け戦だとしても、戦死者を「犬死=無駄な死」と言ってしまうことには抵抗感がある。
TC2
(池田清彦氏のツイート)
>特攻隊は犬死です。国は国民が生活するための道具に過ぎません。道具のために死ぬのはアホでしょ。
https://twitter.com/IkedaKiyohiko/status/1214556963461156867
↑
池田氏はTVにも出演している生物学者。
「特攻は犬死」とのツイートに多数のリプライがついて、その後、やや表現をマイルドにしている。
「道具のために死ぬのはアホ」という国家観はわかる。
猪野先生も賛成ではないだろうか。
>特攻隊は犬死です。国は国民が生活するための道具に過ぎません。道具のために死ぬのはアホでしょ。
https://twitter.com/IkedaKiyohiko/status/1214556963461156867
↑
池田氏はTVにも出演している生物学者。
「特攻は犬死」とのツイートに多数のリプライがついて、その後、やや表現をマイルドにしている。
「道具のために死ぬのはアホ」という国家観はわかる。
猪野先生も賛成ではないだろうか。
No title
国家は、国民がより良くし且つするための法的統治団体にすぎません。
これに対して大日本帝国は、2000年の伝統を持つ臣民を統治するための天皇による統治機構。
その統治機構の一部である特攻隊は大日本帝国の統治機構の歯車にすぎません。
替りはいくらでもいます。
今更、朽ち果てた歯車を神社に祭り上げるのは滑稽でしょう。
「公務死」もお祭りしているとか?
これに対して大日本帝国は、2000年の伝統を持つ臣民を統治するための天皇による統治機構。
その統治機構の一部である特攻隊は大日本帝国の統治機構の歯車にすぎません。
替りはいくらでもいます。
今更、朽ち果てた歯車を神社に祭り上げるのは滑稽でしょう。
「公務死」もお祭りしているとか?