コメント
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>このオウム事件が起きたとき、私は司法試験を受験している頃で、その年に合格したのですが、江川さんの著作でこの元信者の境遇も読みました。周囲から本当にひどい仕打ちを受けていたということを今でも鮮明に覚えています。オウムに入信することになり、それが駒のように使われるようになったということですが、社会のゆがみこそがこのオウムのようなモンスターを生み出したことを忘れてはなりません。
私は普段、新富町駅か事件のあった築地駅を頻繁に利用します。あなたが司法試験の勉強をしていた「事件の朝」、私は築地駅の近くにいました。
ちょっとした運命のいたずらで巻き込まれてしまうところでした。
一帯は何千と言う被害者の方々で溢れ、路上に倒れ、近くの聖路加国際病院は野戦病院の状態になっていました。
別に裁判員裁判のエントリーは結構ですが、オウムを生み出したのも「社会の歪み」が原因だという論理の飛躍は許せません。朝、「行ってくるよ」と出かけた多くの方々がその家族の待つ家に帰ることはなかったのです。あなたの主張は人の「心」という唯心的な部分を意味なく攻撃してしまうことに留意なさってください。
私は普段、新富町駅か事件のあった築地駅を頻繁に利用します。あなたが司法試験の勉強をしていた「事件の朝」、私は築地駅の近くにいました。
ちょっとした運命のいたずらで巻き込まれてしまうところでした。
一帯は何千と言う被害者の方々で溢れ、路上に倒れ、近くの聖路加国際病院は野戦病院の状態になっていました。
別に裁判員裁判のエントリーは結構ですが、オウムを生み出したのも「社会の歪み」が原因だという論理の飛躍は許せません。朝、「行ってくるよ」と出かけた多くの方々がその家族の待つ家に帰ることはなかったのです。あなたの主張は人の「心」という唯心的な部分を意味なく攻撃してしまうことに留意なさってください。
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>朝、「行ってくるよ」と出かけた多くの方々がその家族の待つ家に帰ることはなかったのです。
何の罪もない人が大勢亡くなられたことには哀悼の意を表したいと思います。しかしオウム事件がなぜ起こったのか感情にとらわれることなく、冷静に検証する必要がありますね。
今回の逆転無罪に対する一審裁判員の感想に、「自信を持って裁いた」とありますが、その自信が「証拠」によるものではなく「市民感覚」によるものであるなら非常に怖いことです。
何の罪もない人が大勢亡くなられたことには哀悼の意を表したいと思います。しかしオウム事件がなぜ起こったのか感情にとらわれることなく、冷静に検証する必要がありますね。
今回の逆転無罪に対する一審裁判員の感想に、「自信を持って裁いた」とありますが、その自信が「証拠」によるものではなく「市民感覚」によるものであるなら非常に怖いことです。
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社会のゆがみこそがこのオウムのようなモンスターを生み出したことを忘れてはなりません。
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この因果関係を具体的に述べられないのに断定すべきではありません。
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この因果関係を具体的に述べられないのに断定すべきではありません。
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今回の逆転無罪に対する一審裁判員の感想に、「自信を持って裁いた」とありますが、その自信が「証拠」によるものではなく「市民感覚」によるものであるなら非常に怖いことです。
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高裁判決は市民感覚で事実認定したから破棄されたのではなく、証人証言の証明力の欠如で破棄されたのですから、自らのイデオロギー上裁判員裁判批判に誘導したい意思はわかりますが、あなたの考えは的外れです。
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高裁判決は市民感覚で事実認定したから破棄されたのではなく、証人証言の証明力の欠如で破棄されたのですから、自らのイデオロギー上裁判員裁判批判に誘導したい意思はわかりますが、あなたの考えは的外れです。
裁判員制度
「裁判員制度はいらないインコのウェブ大運動」のサイトに紹介されている
「博多にわか」の一節は言い得て妙です。
Y子:裁判員制度って知っとうね?
S夫:あぁ!法律の事を全然知らん素人の市民が、裁判の判決を決める仕事ばさせられることやろ。
Y子:そうそう、医者が一緒にするから大丈夫って、外科手術で素人にメスば握らせるようなもんたい。
「市民も判断しやすい事件」なんて、あるはずない、あってはいけない、と思います。
「博多にわか」の一節は言い得て妙です。
Y子:裁判員制度って知っとうね?
S夫:あぁ!法律の事を全然知らん素人の市民が、裁判の判決を決める仕事ばさせられることやろ。
Y子:そうそう、医者が一緒にするから大丈夫って、外科手術で素人にメスば握らせるようなもんたい。
「市民も判断しやすい事件」なんて、あるはずない、あってはいけない、と思います。
私も裁判員制度には反対ですな。
まあ、だからといって本件の一審二審判決にドウコウ言うつもりは無いです。裁判なので。
どうせ最高裁まで行くんだから良いんじゃないですかね。
maruさんは市民感覚が持ち込まれるのは怖いと仰られているが、そもそも一般人の感覚を裁判に持ち込む事が裁判員制度の目的の一つでしょう?
ただし、有罪無罪は法によって決まるし、罪刑も法によって決められてる。
本当は裁判官が法と良心のみで判決決めりゃ良いんだが、その良心とか常識とかにどっか疑いがあるから裁判員とかになっちゃったんじゃなかったかな?
始めと終わりは法曹界の良識の問題じゃないかな、たぶん。
まあ、だからといって本件の一審二審判決にドウコウ言うつもりは無いです。裁判なので。
どうせ最高裁まで行くんだから良いんじゃないですかね。
maruさんは市民感覚が持ち込まれるのは怖いと仰られているが、そもそも一般人の感覚を裁判に持ち込む事が裁判員制度の目的の一つでしょう?
ただし、有罪無罪は法によって決まるし、罪刑も法によって決められてる。
本当は裁判官が法と良心のみで判決決めりゃ良いんだが、その良心とか常識とかにどっか疑いがあるから裁判員とかになっちゃったんじゃなかったかな?
始めと終わりは法曹界の良識の問題じゃないかな、たぶん。
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「市民感覚」とは何か。
地下鉄サリン事件など、何の罪もない人を殺害する。遺族ならずとも許せないと思う。市民感覚から言えば当たり前です。しかし、私が怖いのは、その「許せない」という感情が、目の前にいる被告人が犯人かどうかという判断を曇らせるのではないかと思うのです。事件が大きく取り沙汰されればされるほど、「偏見」にとらわれやすく、オウム元信者というだけでもう「有罪」に傾くのではないか、という怖さ。
それに「犯人」だとしても量刑問題。同じような事件で裁判員によって刑が重かったり軽かったり、不公平にならないか。軽ければラッキー、重ければ運が悪かった。さらに裁判員は被害者に感情移入しがちだから厳罰化する。果たしてそんな裁判になっていいのか。
おいおいその被告人は犯人と違うんじゃないのか、その量刑は重すぎるんじゃないのか、と素人裁判員が判断出来るんだろうか。私は、「市民感覚」は「冤罪」をつくり、「厳罰化」を招くことにならないか怖い気がする。
名作映画「12人の怒れる男」。陪審員の1人が、少年が犯人かどうか分からないから無罪だという。ここから、少年が有罪に間違いないと言う証言を一つ一つ覆していく。密室だけでこれだけ緊迫感のある映画を撮るのはすごいものです。しかし、このヘンリー・フォンダ演ずる陪審員のやってることは、実はプロの弁護人の仕事ではないのか。弁護士はいったい何をやってるんだ。素人の陪審員がプロの弁護士並みのことをやれるのか、と思ったものです。私が、この陪審員をやれるか自信はない。
地下鉄サリン事件など、何の罪もない人を殺害する。遺族ならずとも許せないと思う。市民感覚から言えば当たり前です。しかし、私が怖いのは、その「許せない」という感情が、目の前にいる被告人が犯人かどうかという判断を曇らせるのではないかと思うのです。事件が大きく取り沙汰されればされるほど、「偏見」にとらわれやすく、オウム元信者というだけでもう「有罪」に傾くのではないか、という怖さ。
それに「犯人」だとしても量刑問題。同じような事件で裁判員によって刑が重かったり軽かったり、不公平にならないか。軽ければラッキー、重ければ運が悪かった。さらに裁判員は被害者に感情移入しがちだから厳罰化する。果たしてそんな裁判になっていいのか。
おいおいその被告人は犯人と違うんじゃないのか、その量刑は重すぎるんじゃないのか、と素人裁判員が判断出来るんだろうか。私は、「市民感覚」は「冤罪」をつくり、「厳罰化」を招くことにならないか怖い気がする。
名作映画「12人の怒れる男」。陪審員の1人が、少年が犯人かどうか分からないから無罪だという。ここから、少年が有罪に間違いないと言う証言を一つ一つ覆していく。密室だけでこれだけ緊迫感のある映画を撮るのはすごいものです。しかし、このヘンリー・フォンダ演ずる陪審員のやってることは、実はプロの弁護人の仕事ではないのか。弁護士はいったい何をやってるんだ。素人の陪審員がプロの弁護士並みのことをやれるのか、と思ったものです。私が、この陪審員をやれるか自信はない。
裁判員制度には問題があるが
(同じような事件で裁判員によって刑が重かったり軽かったり、不公平にならないか。)
このような事は裁判官でもあります。
名古屋地裁の常連さんに言わせると
裁判官によって明らかに量刑が違う事があるとのこと。
裁判官が間違い判断をする事は過去の冤罪事件
みれば解るでしょう。
一審では少なくとも1名以上のプロの裁判官が有罪の結論を出しています。
この裁判官は失格ですかね(苦笑)
結局井上死刑囚の証言をどうとらえるかでしょう。
1審では認め、控訴審では認めなかった。
逆の見方をすれば、裁判の3審制が機能している事でもあります。
でも上告審ではわかりませんね。
高裁に差し戻しの可能性ありますよ。
個人的には、このような証拠で殺人未遂罪の適用は無理があると考えています。
このような事は裁判官でもあります。
名古屋地裁の常連さんに言わせると
裁判官によって明らかに量刑が違う事があるとのこと。
裁判官が間違い判断をする事は過去の冤罪事件
みれば解るでしょう。
一審では少なくとも1名以上のプロの裁判官が有罪の結論を出しています。
この裁判官は失格ですかね(苦笑)
結局井上死刑囚の証言をどうとらえるかでしょう。
1審では認め、控訴審では認めなかった。
逆の見方をすれば、裁判の3審制が機能している事でもあります。
でも上告審ではわかりませんね。
高裁に差し戻しの可能性ありますよ。
個人的には、このような証拠で殺人未遂罪の適用は無理があると考えています。
No title
しかし、私が怖いのは、その「許せない」という感情が、目の前にいる被告人が犯人かどうかという判断を曇らせるのではないかと思うのです。事件が大きく取り沙汰されればされるほど、「偏見」にとらわれやすく、オウム元信者というだけでもう「有罪」に傾くのではないか、という怖さ。
↑
はぁ?
そんな感情論は裁判官にも当てはまりますが。
裁判官にも人生経験不足の人もいるだろうし。
それとケイさんが仰る通り、裁判員全員が有罪認定しても、裁判官1人以上が有罪認定しなければ有罪判決は言い渡せないのだから。
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はぁ?
そんな感情論は裁判官にも当てはまりますが。
裁判官にも人生経験不足の人もいるだろうし。
それとケイさんが仰る通り、裁判員全員が有罪認定しても、裁判官1人以上が有罪認定しなければ有罪判決は言い渡せないのだから。
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無罪判決は当然ですが、爆発物取締罰則は違憲無効であるという主張を弁護側が行わなかったことは残念です。もちろん違憲無効の主張が認められることはほとんどないというのは知っていますが、違憲無効のものは違憲無効だと訴え続けなければ違憲無効の爆発物取締罰則によって有罪判決がこれからも出てくるかもしれないのです。