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No title
私もお寺や神社が近くにある環境で育ちました。赤ちゃんを連れたよその土地から来られたお母さん、近所のおじいさんおばあさん、地域の人々の集いの場でした。エコロジーの原義「人間と自然環境にやさしい」場だったのですよね(南方熊楠もそれもあって神社合祀に反対していたと読んだことがあります)。
靖国神社「みたいな」神社は靖国神社一つでじゅうぶんだと思います。
靖国神社「みたいな」神社は靖国神社一つでじゅうぶんだと思います。
ワンパターンですね
またこの論法ですか?
例によって根拠もなく自分と違う政治的主張をする人間や団体を「悪」と断じてぶっ叩いているわけですね?
こんかいは「王政復古」ですか。ご苦労様です。気持ちよく成れましたか?
あなたは北海道神宮、靖国神社、その他の社、日本会議等の主張をねじ曲げて、存在しない「藁人形」を勝手に作り上げ、それを叩いているわけです。
これは誹謗中傷であり、一種のヘイトスピーチです。
まあ、ヘイトスピーチも言論の自由によって保証されるべきと私は考えてますから、罵倒でも誹謗中傷でもヘイトでも、お好きにどうぞ。
前回エントリを通して、猪野さんは宗教団体が言論の自由を行使することを否定していますが、私はあなたがヘイトスピーチをする事自体は否定しません。
ただ、愚かしいとは思いますがね。
ああ、ちなみに申し上げるが、宗教団体が政治的主張をするのは、法的にも道義的にも全く問題に成りません。
ホントはお分かりですよね?
宗教に限らず、どの法人でも個人でも言論は自由ですよ。
ああ、イーグルさんやケイさんの問いにもタマには逃げずに答えてあげたら如何ですか?
まあ、逃げるのも「自由」ですけどね。
例によって根拠もなく自分と違う政治的主張をする人間や団体を「悪」と断じてぶっ叩いているわけですね?
こんかいは「王政復古」ですか。ご苦労様です。気持ちよく成れましたか?
あなたは北海道神宮、靖国神社、その他の社、日本会議等の主張をねじ曲げて、存在しない「藁人形」を勝手に作り上げ、それを叩いているわけです。
これは誹謗中傷であり、一種のヘイトスピーチです。
まあ、ヘイトスピーチも言論の自由によって保証されるべきと私は考えてますから、罵倒でも誹謗中傷でもヘイトでも、お好きにどうぞ。
前回エントリを通して、猪野さんは宗教団体が言論の自由を行使することを否定していますが、私はあなたがヘイトスピーチをする事自体は否定しません。
ただ、愚かしいとは思いますがね。
ああ、ちなみに申し上げるが、宗教団体が政治的主張をするのは、法的にも道義的にも全く問題に成りません。
ホントはお分かりですよね?
宗教に限らず、どの法人でも個人でも言論は自由ですよ。
ああ、イーグルさんやケイさんの問いにもタマには逃げずに答えてあげたら如何ですか?
まあ、逃げるのも「自由」ですけどね。
No title
さて、それで、私の主張のどこをもって宗教団体の表現の自由を否定しているのですか、具体的に指摘してください。
ちなみに私は、今回の神社本庁などの言動を批判していますが、表現の自由はないなどと一言も申していません。
ちなみに私は、今回の神社本庁などの言動を批判していますが、表現の自由はないなどと一言も申していません。
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No title
護憲派=平和を守る人たち
改憲派=戦争をやろうとする悪の集団
というような、レッテル貼りは間違っていると思います。
先の大戦で亡くなられた方々(英霊)にメッセージを送るのが、なぜ極右なのか良く分かりません。神社にも思想の自由はあるのですから、気に入らなければ参拝しなければよろしいだけかと・・・
ベクトルの向きは真逆ですが、猪野さんのブログもまた極めて政治色の強い内容のブログかと思います。もちろんそれも猪野さんの信条ですから、それを発信する自由、権利は守らなくてはならない。北海道神社も、それと同じもんだと思いますがね。
改憲派=戦争をやろうとする悪の集団
というような、レッテル貼りは間違っていると思います。
先の大戦で亡くなられた方々(英霊)にメッセージを送るのが、なぜ極右なのか良く分かりません。神社にも思想の自由はあるのですから、気に入らなければ参拝しなければよろしいだけかと・・・
ベクトルの向きは真逆ですが、猪野さんのブログもまた極めて政治色の強い内容のブログかと思います。もちろんそれも猪野さんの信条ですから、それを発信する自由、権利は守らなくてはならない。北海道神社も、それと同じもんだと思いますがね。
No title
神社の思想は祭政一致ですよね。
大まかに言えば、天皇陛下に全ての権力を集める思想ですから、私から見ても極右です。
でも、それこそ大昔からですよ。だって、神道ですよ。「古事記」の世界ですから。
大まかに言えば、天皇陛下に全ての権力を集める思想ですから、私から見ても極右です。
でも、それこそ大昔からですよ。だって、神道ですよ。「古事記」の世界ですから。
No title
このようなところにお賽銭などしたら、御利益どころではありません。平和を破壊するための資金源にしかなりません。
しかも国家神道は、かつては日本国民、アジアの人々、そして世界に戦争による惨禍をもたらしたことの片棒を担いでいた宗教です。
靖国神社はあまりに露骨すぎる最悪の戦争賛美のエセ宗教団体ですが、
↑
現役の弁護士の言葉として魚拓取っておきました。
さて、どこにリンクを貼ろうかな。
しかも国家神道は、かつては日本国民、アジアの人々、そして世界に戦争による惨禍をもたらしたことの片棒を担いでいた宗教です。
靖国神社はあまりに露骨すぎる最悪の戦争賛美のエセ宗教団体ですが、
↑
現役の弁護士の言葉として魚拓取っておきました。
さて、どこにリンクを貼ろうかな。
No title
ブログ主様も
教会が「イエスを神の子と信じなさい」と言っているのと、同じ程度に思っておけば良い話だと思います。
再度言いますけど、大昔からですよ。
教会が「イエスを神の子と信じなさい」と言っているのと、同じ程度に思っておけば良い話だと思います。
再度言いますけど、大昔からですよ。
貴方の論法なら
(宗教団体が、露骨な政治活動を行い、憲法「改正」を推進するのですから、恐ろしいことです。)
(宗教団体が、露骨な政治活動を行い、憲法を守ろうを推進するのですから、恐ろしいことです。)
これもアリですよ。
神社なんか元々神道ですからこんなもんでしょう。
行かなきゃいいだけです。
どうしても許せないなら、北海道神宮の入り口で反対運動をされたらいかがですか? まだ参拝客多いですよ。
そういえば田舎の小さな神社の氏子でした。
土地がうちの名義でしたので、町に寄付を申し出たら
上物があるので辞退したいと言われました。
政教分離だからだそうです。
(宗教団体が、露骨な政治活動を行い、憲法を守ろうを推進するのですから、恐ろしいことです。)
これもアリですよ。
神社なんか元々神道ですからこんなもんでしょう。
行かなきゃいいだけです。
どうしても許せないなら、北海道神宮の入り口で反対運動をされたらいかがですか? まだ参拝客多いですよ。
そういえば田舎の小さな神社の氏子でした。
土地がうちの名義でしたので、町に寄付を申し出たら
上物があるので辞退したいと言われました。
政教分離だからだそうです。
そこまで言うなら
参拝は勿論ですが
札幌祭りにも反対してください。
札幌祭りは北海道神宮の例祭ですからね。
こんなことまでこだわるなんて不思議な人ですね。
札幌祭りにも反対してください。
札幌祭りは北海道神宮の例祭ですからね。
こんなことまでこだわるなんて不思議な人ですね。
No title
私は一般人さん
大昔といっても確かに大昔からですが、しかし、飛鳥時代になれば仏教の伝来によって寺社の勢力の方が大きくなり、神社が歴史の表舞台に出てくるのは明治期になってからではないですか。
しかも、ここまで露骨な政治活動を始めたのは、まさに今だと思いますけれど。
私たちが幼少期に接してきた神社は、コミュニティーの場でしたが、そこでは天皇制だとか聞かされたことは全くありませんでしたし。
大昔といっても確かに大昔からですが、しかし、飛鳥時代になれば仏教の伝来によって寺社の勢力の方が大きくなり、神社が歴史の表舞台に出てくるのは明治期になってからではないですか。
しかも、ここまで露骨な政治活動を始めたのは、まさに今だと思いますけれど。
私たちが幼少期に接してきた神社は、コミュニティーの場でしたが、そこでは天皇制だとか聞かされたことは全くありませんでしたし。
No title
札幌祭?
私は、もう以前のような目では見れませんね。
まさに官軍が庶民支配を誇示するうためにやってくる行列にしか見えませんけれどね。
あの行列のための人員もアルバイトを動員しているとか。
もう廃れ行く存在ですね。
私は、もう以前のような目では見れませんね。
まさに官軍が庶民支配を誇示するうためにやってくる行列にしか見えませんけれどね。
あの行列のための人員もアルバイトを動員しているとか。
もう廃れ行く存在ですね。
神社の本質は昔も今も一緒ですよ。
貴方がご存じないだけでしょう。
北海道神宮の御祭神知らないのですが?
明治天皇がいるんですよ。
貴方の思想では相いれないでしょう。
私は大学時代初詣何回か行きましたよ。
社青同の連中とね。
知ってたから教えたら、そんなの関係ないってみんな大笑いでした。
そんなの超越しているから参拝客が訪れているんですよ。まあそんなの関係なくとの方が適当かな。
(あの行列のための人員もアルバイトを動員しているとか。 )
40年以上前もそうです。
なにも不思議ではないですよ(苦笑)
強制よりましでしょう。出来っこないですけど。
神社なんて信仰に関係なく参拝するのが普通です。祭りもそうでしょう。
(もう廃れ行く存在ですね。)
そうかな?
昨年偶然札幌祭りに行ったのですが昔と変わらないですね。
しかしなんでこんな事こだわるんだろうね。
それなら昨日の天皇出席の開会式なんかどう考えるんだろう。他の左翼系ブログでは批判もあったけど、ここでは取り上げませんね。
今週末に飲み会があり、共産党の連中も来る予定だから、国会の出席の件聞いてみようと思って
いますが、ついでにここ件も聞いてみますよ。
北海道神宮の御祭神知らないのですが?
明治天皇がいるんですよ。
貴方の思想では相いれないでしょう。
私は大学時代初詣何回か行きましたよ。
社青同の連中とね。
知ってたから教えたら、そんなの関係ないってみんな大笑いでした。
そんなの超越しているから参拝客が訪れているんですよ。まあそんなの関係なくとの方が適当かな。
(あの行列のための人員もアルバイトを動員しているとか。 )
40年以上前もそうです。
なにも不思議ではないですよ(苦笑)
強制よりましでしょう。出来っこないですけど。
神社なんて信仰に関係なく参拝するのが普通です。祭りもそうでしょう。
(もう廃れ行く存在ですね。)
そうかな?
昨年偶然札幌祭りに行ったのですが昔と変わらないですね。
しかしなんでこんな事こだわるんだろうね。
それなら昨日の天皇出席の開会式なんかどう考えるんだろう。他の左翼系ブログでは批判もあったけど、ここでは取り上げませんね。
今週末に飲み会があり、共産党の連中も来る予定だから、国会の出席の件聞いてみようと思って
いますが、ついでにここ件も聞いてみますよ。
No title
北海道神宮がそのような由来があることくらい、知っていますよ。
問題の所在は、今時、露骨な政治活動を始めたことです。
これ以上、歪めないでくださいね。
問題の所在は、今時、露骨な政治活動を始めたことです。
これ以上、歪めないでくださいね。
今まで初詣に行ってなかったんですか?
明治天皇が祭られていることを知ってて参拝しなかったのであれば謝罪します。
(問題の所在は、今時、露骨な政治活動を始めたことです)
宗教団体の政治活動は自由ですよ。
それとも意に反する主張だから批判するのですか?
北海道神宮が明治天皇を祭っている事は、崇拝または回顧しているって事なんでしょう。
それなら行くのは確かに言行不一致ですね。
私の感覚では、明治天皇なんかそんなの関係ないですね。
神社の主張なんて、聞く気ないですから。
ただ単によろずの神様にお願いしているだけです。
坊さんと説教と同じかな?
坊さんの説教は一応聞かなければならないから
神社の方がマシですか。
(問題の所在は、今時、露骨な政治活動を始めたことです)
宗教団体の政治活動は自由ですよ。
それとも意に反する主張だから批判するのですか?
北海道神宮が明治天皇を祭っている事は、崇拝または回顧しているって事なんでしょう。
それなら行くのは確かに言行不一致ですね。
私の感覚では、明治天皇なんかそんなの関係ないですね。
神社の主張なんて、聞く気ないですから。
ただ単によろずの神様にお願いしているだけです。
坊さんと説教と同じかな?
坊さんの説教は一応聞かなければならないから
神社の方がマシですか。
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No title
>> 旧仮名遣いという時代錯誤も甚だしさもさることながら、「自主憲法の制定」の文字が光ります。
うーん、私の中では憲法改正は極右という位置づけではないので、そこがブログ主様と違いますかね。
「天皇に権力を集中させましょう」と大々的にやりだしたら、極右だと思いますが。
うーん、私の中では憲法改正は極右という位置づけではないので、そこがブログ主様と違いますかね。
「天皇に権力を集中させましょう」と大々的にやりだしたら、極右だと思いますが。
自民党の憲法案20条3項に照らして
島田裕巳(宗教学者)は「神道は、現在の考え方では、まぎれもなく宗教であるということになるが、その長い歴史を考えると、個人が選択する宗教ではなく、社会に共有された習俗という面が強い。」と述べているが、自民党の憲法案20条3項において「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」について国などの公共団体での宗教活動を認めるものになっており、島田氏の論理がそこに見える。
例えば、地鎮祭の玉串料公費支出や、靖国神社の首相参拝などを認めること等々が想定できる。
無論、神道のみが恩恵を受けるわけではない。しかし「社会的儀礼又は習俗的行為」として一般市民が関わる公共の場に神道を新たに拡散できる道を開くものである。神社側の憲法「改正」に対する意気込みは強いだろう。
国により政教分離の度合いは異なるが、日本では歯止めのききにくい社会になっており、今後どんな影響が出るのか非常に危惧をする。
例えば、地鎮祭の玉串料公費支出や、靖国神社の首相参拝などを認めること等々が想定できる。
無論、神道のみが恩恵を受けるわけではない。しかし「社会的儀礼又は習俗的行為」として一般市民が関わる公共の場に神道を新たに拡散できる道を開くものである。神社側の憲法「改正」に対する意気込みは強いだろう。
国により政教分離の度合いは異なるが、日本では歯止めのききにくい社会になっており、今後どんな影響が出るのか非常に危惧をする。
No title
島田裕巳(宗教学者)は「神道は、現在の考え方では、まぎれもなく宗教であるということになるが、その長い歴史を考えると、個人が選択する宗教ではなく、社会に共有された習俗という面が強い。」と述べているが、
↑
教義や教典が無いのですからまさにそうでしょう。
国により政教分離の度合いは異なるが、日本では歯止めのききにくい社会になっており、今後どんな影響が出るのか非常に危惧をする。
↑
戦後70年経過し一度も憲法が改正されていない世界でも希有な国の社会が歯止めがききにくいのですか?
具体的にどんなところですか?
↑
教義や教典が無いのですからまさにそうでしょう。
国により政教分離の度合いは異なるが、日本では歯止めのききにくい社会になっており、今後どんな影響が出るのか非常に危惧をする。
↑
戦後70年経過し一度も憲法が改正されていない世界でも希有な国の社会が歯止めがききにくいのですか?
具体的にどんなところですか?
アメリカ人の素晴らしさを思います。
日本人はアジア人であり
根本的に発想が違うと思います。
アジアは基本的には北朝鮮や戦前の日本
みたいな政治しかできない。
日本人はアジア人であり
根本的に発想が違うと思います。
アジアは基本的には北朝鮮や戦前の日本
みたいな政治しかできない。
No title
アジアの政治のあり方を説明する一つのキーワードは
温情主義と言われることがあります。
個人的にであっても、ちょっとでもお世話になったら、
この人(集団)を信頼、応援。
この「ちょっと」が、そこそこになったり、とってもになったり。
また、自身の思想信条に少しでも近い人や集団が、
それに合わせるような魅力ある言葉を発信する偶像の応援を始めたら、
節操なくそちらに傾いたり・・・。
これはアジアに限らずどこも同じように思うのですが、
どうでしょう。典型的なアメリカ人というのはいませんし、
アジア系アメリカ人も無視軽視できない集団です。
神社の話に戻れば、多くの人が、願をかけたり、お祓いを依頼したり、
お世話になってる感があるーそんなところでこんな情報が発信されると
これに流されてしまう人も多いのでしょう。
温情主義と言われることがあります。
個人的にであっても、ちょっとでもお世話になったら、
この人(集団)を信頼、応援。
この「ちょっと」が、そこそこになったり、とってもになったり。
また、自身の思想信条に少しでも近い人や集団が、
それに合わせるような魅力ある言葉を発信する偶像の応援を始めたら、
節操なくそちらに傾いたり・・・。
これはアジアに限らずどこも同じように思うのですが、
どうでしょう。典型的なアメリカ人というのはいませんし、
アジア系アメリカ人も無視軽視できない集団です。
神社の話に戻れば、多くの人が、願をかけたり、お祓いを依頼したり、
お世話になってる感があるーそんなところでこんな情報が発信されると
これに流されてしまう人も多いのでしょう。
飛躍しすぎです。
(そんなところでこんな情報が発信されると
これに流されてしまう人も多いのでしょう。)
そんな事ないでしょう。
多くの人間は初詣などは単なる習慣で行っているだけです。
これに流されてしまう人も多いのでしょう。)
そんな事ないでしょう。
多くの人間は初詣などは単なる習慣で行っているだけです。
No title
ケイさん、そうですか。うーん、では、それに流されてしまう人も、多くはないかもしれないけれど、いることはいるだろうなあ、にします。確かに、逆にそんなことに疑問を持つ人もいますものね。私は後者なのですが。
これから神社に行くとしたら、その手の情報発信をしていないところの方がいいです、私は。
これから神社に行くとしたら、その手の情報発信をしていないところの方がいいです、私は。
masaki さん
神社そのものが神道です。
何処の神社でも一緒ですよ。
田舎の神主がいない神社なら活動してないだろうけど。
なんでそんなの拘るのかな?
masakiさん札幌の方ですか?
北海道神宮行ったことありませんか?
明治天皇も祭っていますよ。
勿論明治神宮もそうです。
皆、神道なんですよ。
私は天皇制反対論者ですが全然気にしない。
前に書きましたが、社青同の過激な連中と北海道神宮に参拝行きましたが、そのこと話してたら笑い飛ばしていましたよ。
共産党の連中だって行きますよ。
行かないのは創価学会などの、宗教関係者だけですね。
大体そんな事言ってたら神前結婚式どうします?
何処の神社でも一緒ですよ。
田舎の神主がいない神社なら活動してないだろうけど。
なんでそんなの拘るのかな?
masakiさん札幌の方ですか?
北海道神宮行ったことありませんか?
明治天皇も祭っていますよ。
勿論明治神宮もそうです。
皆、神道なんですよ。
私は天皇制反対論者ですが全然気にしない。
前に書きましたが、社青同の過激な連中と北海道神宮に参拝行きましたが、そのこと話してたら笑い飛ばしていましたよ。
共産党の連中だって行きますよ。
行かないのは創価学会などの、宗教関係者だけですね。
大体そんな事言ってたら神前結婚式どうします?
No title
ケイさん、私の個人的な見解をもとにしたコメントを、しかも、すぐにちょっとぶれたりするのに、しっかり受けとめてくださって恐縮です。
29日のコメントはアジアの政治とかアメリカ人とかについて、これは、けっこうまじめにコメントしたのですが、私の神社感はたぶんどっか別のところにも書いたと思うんですけど書いたとおりです。すみません。北海道神宮、何度も行きましたよ。私は人が少ないときに行きます。そういえば神社というより公園感覚で行きました。他のみなさんみたいに深い議論ができなくてすみません。
29日のコメントはアジアの政治とかアメリカ人とかについて、これは、けっこうまじめにコメントしたのですが、私の神社感はたぶんどっか別のところにも書いたと思うんですけど書いたとおりです。すみません。北海道神宮、何度も行きましたよ。私は人が少ないときに行きます。そういえば神社というより公園感覚で行きました。他のみなさんみたいに深い議論ができなくてすみません。
No title
従来の神社は、一応、世俗的でしたが、今回、大ぴらに憲法「改正」署名など始めた、だから問題なのであって、私もこのようなことを主導する神社とは関わりたくはありませんね。
今回の署名集めの号令があったことから神社本庁から離脱した神社もあったということですが、そういう神社にこそ、親しみを感じます。
今回の署名集めの号令があったことから神社本庁から離脱した神社もあったということですが、そういう神社にこそ、親しみを感じます。
神社本庁から離脱した神社
何処の神社ですか?
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No title
ケイさん、どこかで私の神社感書いたとコメントしましたが、この記事の最初のコメントがそうです。すみません、今旅先で小さな画面なので色々と見落としていて失礼しました。育ったところの神社は七五三とかでも行ってるはずなのでまあ神社だなあという感じはしますが、それ以外のところはお祭りの出店が並ぶ時をのぞけば静かな公園に近い感覚です。北海道神宮は獰猛なカラスが多くてお弁当が食べられない公園という感じです。
覧古考新:西行法師の世界
>それにしても神社がここまで極右だったとは驚きです。
>問題の所在は、今時、露骨な政治活動を始めたことです。
>従来の神社は、一応、世俗的でしたが、今回、大ぴらに憲法「改正」署名など始めた、だから問題なのであって、私もこのようなことを主導する神社とは関わりたくはありませんね。
↑
猪野先生ほどの人が何をいまさら驚いているのかと思ったが、これは宗教がメインフィールドのわたしとの違いなのだろう。
一般にはこんな風にここ数年で問題視しはじめた人の方が多数派なのだろうか。
<私は一般人さんのコメント>
>でも、それこそ(神道は)大昔からですよ。
>再度言いますけど、大昔からですよ。
↑
これは間違い。
いまある形の神道はここ最近作られたもの。
「江戸しぐさ」と同じ勘違い。
<ケイさんのコメント>
>神社なんて信仰に関係なく参拝するのが普通です。
>祭りもそうでしょう。
>多くの人間は初詣などは単なる習慣で行っているだけです。
↑
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
西行法師の世界。
>問題の所在は、今時、露骨な政治活動を始めたことです。
>従来の神社は、一応、世俗的でしたが、今回、大ぴらに憲法「改正」署名など始めた、だから問題なのであって、私もこのようなことを主導する神社とは関わりたくはありませんね。
↑
猪野先生ほどの人が何をいまさら驚いているのかと思ったが、これは宗教がメインフィールドのわたしとの違いなのだろう。
一般にはこんな風にここ数年で問題視しはじめた人の方が多数派なのだろうか。
<私は一般人さんのコメント>
>でも、それこそ(神道は)大昔からですよ。
>再度言いますけど、大昔からですよ。
↑
これは間違い。
いまある形の神道はここ最近作られたもの。
「江戸しぐさ」と同じ勘違い。
<ケイさんのコメント>
>神社なんて信仰に関係なく参拝するのが普通です。
>祭りもそうでしょう。
>多くの人間は初詣などは単なる習慣で行っているだけです。
↑
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
西行法師の世界。
No title
>いまある形の神道はここ最近作られたもの。
↑
初耳だ。
祝詞を含めてそうは思えない。
神社参拝を趣味としている私にとって興味深い。
具体的に教えて頂きたい。
↑
初耳だ。
祝詞を含めてそうは思えない。
神社参拝を趣味としている私にとって興味深い。
具体的に教えて頂きたい。
No title
戦地で敵の銃弾に倒れた兵士、または兵站が行き渡らずに餓死した多くの兵士の御霊が、合祀手続きで靖国神社に戻るという誠に安価な政策で国民をだましたのが、靖国思想でしょう。
アメリカンは戦死者は遺体を自国に持ち帰ることが原則です。その原則は30年たってもベトナムで遺体の認識番号等で捜索が続きます。まことに費用が掛かるのです。
要は、
社会や国家が政策結果の犠牲者として、
国民の生命の重要さ・感謝の気持ちが違うのです。
割安に国民の命を使える国は戦争をしやすい。
アメリカンは戦死者は遺体を自国に持ち帰ることが原則です。その原則は30年たってもベトナムで遺体の認識番号等で捜索が続きます。まことに費用が掛かるのです。
要は、
社会や国家が政策結果の犠牲者として、
国民の生命の重要さ・感謝の気持ちが違うのです。
割安に国民の命を使える国は戦争をしやすい。
No title
>大体そんな事言ってたら神前結婚式どうします?
おそらく、「神前結婚式に招待されたらどうしますか」という意味だと思います。
神道式に限らず、宗教形式の結婚式に招待されたら出席を断り、祝電を送るにとどめておくのが正しい態度です。
>いまある形の神道はここ最近作られたもの。
明治維新を「ここ最近」と言うかどうかはともかくとして、神道は明治維新以前とそれ以後(廃仏毀釈・国家神道の確立)で全くといっていいほど違ったものとなったといえます。
明治維新以前は天皇家は真言宗泉涌寺の檀家だったわけですが、国家神道が確立すると国家神道式の皇室祭祀も作られていきました。
なお、神社本庁が「憲法改悪に向けて日本会議と二人三脚」とありますが、神社本庁は日本会議ほどの政治活動力はありません。神社本庁の政治団体が「神道政治連盟」であり、参院選のたびに比例に自民党から候補者を立てていますが、2016年参院選で当選した山谷えり子の得票が249,251であり、自民党の中で9位です。神社本庁は参院選で1人を当選させるのがやっとの力しかなく、日本会議や創価学会の動員力とは比べ物になりません。しかし神社は特定の政治的主張をしているということを知らない人が多いため、神社で神社本庁の政治的主張などを知り、それに引き込まれる人は少ないかもしれませんがいるでしょう。だから神社には近づかないのが安全だし、金を出せば右翼活動に使われる可能性は当然あります。あらかじめそうではない神社であると調べて確認していない限り、神社は避けましょう。
おそらく、「神前結婚式に招待されたらどうしますか」という意味だと思います。
神道式に限らず、宗教形式の結婚式に招待されたら出席を断り、祝電を送るにとどめておくのが正しい態度です。
>いまある形の神道はここ最近作られたもの。
明治維新を「ここ最近」と言うかどうかはともかくとして、神道は明治維新以前とそれ以後(廃仏毀釈・国家神道の確立)で全くといっていいほど違ったものとなったといえます。
明治維新以前は天皇家は真言宗泉涌寺の檀家だったわけですが、国家神道が確立すると国家神道式の皇室祭祀も作られていきました。
なお、神社本庁が「憲法改悪に向けて日本会議と二人三脚」とありますが、神社本庁は日本会議ほどの政治活動力はありません。神社本庁の政治団体が「神道政治連盟」であり、参院選のたびに比例に自民党から候補者を立てていますが、2016年参院選で当選した山谷えり子の得票が249,251であり、自民党の中で9位です。神社本庁は参院選で1人を当選させるのがやっとの力しかなく、日本会議や創価学会の動員力とは比べ物になりません。しかし神社は特定の政治的主張をしているということを知らない人が多いため、神社で神社本庁の政治的主張などを知り、それに引き込まれる人は少ないかもしれませんがいるでしょう。だから神社には近づかないのが安全だし、金を出せば右翼活動に使われる可能性は当然あります。あらかじめそうではない神社であると調べて確認していない限り、神社は避けましょう。
No title
国家神道とは、国家が法令によって他の神道と区別して管理しようした、戦前の神社神道(神社を中心とする神道)のことで、天皇家の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮が全国の神社の頂点に立つ本宗(総本山)とされた。 国家神道という言葉は、第2次大戦後GHQ(連合国軍総司令部)による神道指令(1945年)で使用され一般化。
ここでいう法令は
明治新政府により出された神仏判然令(神仏分離令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達など一連の通達[2]の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。
ここでいう法令は
明治新政府により出された神仏判然令(神仏分離令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達など一連の通達[2]の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。
No title
>>>>いまある形の神道はここ最近作られたもの。
↑そうだねぇ、なごやんさん。
イーグルさんと同じく、聞いてみたいものだ。
ところで、乗ったことないけど、マークXはそんなに良いかね。
隠れた名車かな。
↑そうだねぇ、なごやんさん。
イーグルさんと同じく、聞いてみたいものだ。
ところで、乗ったことないけど、マークXはそんなに良いかね。
隠れた名車かな。
「いまある形の神道」と「かつてあった神道」2-1
それでは「いまある形の神道」と「かつてあった神道」の違いをいくつかあげてみよう。
1.「記紀神話に基づいた神道」と「有象無象の神道」
かつて明治の博物学者南方熊楠は、神仏分離を評して、「神々の大虐殺(ジェノサイド)」と呼んだ。
これは神仏分離が一方的に仏教側にのみ破壊被害が発生(廃仏毀釈)したのではなく、神道側から見ても神社・祠の破却が大量発生したことを意味する。
そもそも「随神の道」とか「古道」と言われた神道には、中心となる教義・経典がない。
その地域ごとに祀られる「神(多くの場合は祟り神)」が、口伝で解き明かされる例が数的には大多数であり、その神の実態でさえ明らかでない場合も珍しくない。
また、全国的に有名な神社の場合、ほぼ仏教と習合しており、神社の依り代が本地仏の仏像(仏画)で、その仏前で読経するという寺院と変わらない姿が常態化していた。
たとえば、京都の八坂神社は、もともとは「祇園社」と呼ばれ天台宗の傘下にあり、その祭神は「牛頭天王」であったが、神仏分離により、現在の社名に変更され、祭神も「素戔嗚尊」に変更されている。
明治期の神仏分離は、そのように「かってあった神道」=「有象無象の神道」を、「いまある形の神道」=「記紀神話に基づいた神道」に再構築する側面を有していた。
2.「習俗・儀礼としての神道」と「宗教としての神道」
神道はその後「宗教ではない」とされ、帝国臣民全員が氏子であり、天皇が氏親と見なされる習俗・儀礼の体系となった。
宗教ではないため、伝道布教は行われず、神職はいわば公務員としてその身分を保証された。
その結果、なにが起こったか。
神道は「幽世(かくりよ)」について、一切発言することを辞めてしまった。
本来、「現世(うつしよ)」と「幽世(かくりよ)」の間を往復循環するのが、神道のダイナミズムであり、そこに「死と新生」の姿を見るはずのものが、「現世(うつしよ)」しか語らなくなってしまった。
宗教ではなくなってしまったのだから、目に見えない「幽世(かくりよ)」について説くのはかえって不都合になる。
せいぜい、「親孝行」とか「みんな仲良く」とか、「現世(うつしよ)」の中だけでも成り立つ、「道徳」を説くだけの存在となった。
また、神道のもっている「修養・修練」という側面も著しく弱くなった。
神道の独特の呼吸法や「レイキ」に関するメソッドも今の神社にはほとんど伝わっていない。
これらは宗教である神道・諸教系の新宗教(大本教・真光など)が主に継承している。
「かってあった神道」は「宗教としての神道」だったが、明治期に「宗教ではない」とされたことで、「いまある形の神道」=「習俗・儀礼としての神道」に変容してしまった。
(つづく)
1.「記紀神話に基づいた神道」と「有象無象の神道」
かつて明治の博物学者南方熊楠は、神仏分離を評して、「神々の大虐殺(ジェノサイド)」と呼んだ。
これは神仏分離が一方的に仏教側にのみ破壊被害が発生(廃仏毀釈)したのではなく、神道側から見ても神社・祠の破却が大量発生したことを意味する。
そもそも「随神の道」とか「古道」と言われた神道には、中心となる教義・経典がない。
その地域ごとに祀られる「神(多くの場合は祟り神)」が、口伝で解き明かされる例が数的には大多数であり、その神の実態でさえ明らかでない場合も珍しくない。
また、全国的に有名な神社の場合、ほぼ仏教と習合しており、神社の依り代が本地仏の仏像(仏画)で、その仏前で読経するという寺院と変わらない姿が常態化していた。
たとえば、京都の八坂神社は、もともとは「祇園社」と呼ばれ天台宗の傘下にあり、その祭神は「牛頭天王」であったが、神仏分離により、現在の社名に変更され、祭神も「素戔嗚尊」に変更されている。
明治期の神仏分離は、そのように「かってあった神道」=「有象無象の神道」を、「いまある形の神道」=「記紀神話に基づいた神道」に再構築する側面を有していた。
2.「習俗・儀礼としての神道」と「宗教としての神道」
神道はその後「宗教ではない」とされ、帝国臣民全員が氏子であり、天皇が氏親と見なされる習俗・儀礼の体系となった。
宗教ではないため、伝道布教は行われず、神職はいわば公務員としてその身分を保証された。
その結果、なにが起こったか。
神道は「幽世(かくりよ)」について、一切発言することを辞めてしまった。
本来、「現世(うつしよ)」と「幽世(かくりよ)」の間を往復循環するのが、神道のダイナミズムであり、そこに「死と新生」の姿を見るはずのものが、「現世(うつしよ)」しか語らなくなってしまった。
宗教ではなくなってしまったのだから、目に見えない「幽世(かくりよ)」について説くのはかえって不都合になる。
せいぜい、「親孝行」とか「みんな仲良く」とか、「現世(うつしよ)」の中だけでも成り立つ、「道徳」を説くだけの存在となった。
また、神道のもっている「修養・修練」という側面も著しく弱くなった。
神道の独特の呼吸法や「レイキ」に関するメソッドも今の神社にはほとんど伝わっていない。
これらは宗教である神道・諸教系の新宗教(大本教・真光など)が主に継承している。
「かってあった神道」は「宗教としての神道」だったが、明治期に「宗教ではない」とされたことで、「いまある形の神道」=「習俗・儀礼としての神道」に変容してしまった。
(つづく)
「いまある形の神道」と「かつてあった神道」2-2
3.「スピリチャル神道」と「御霊信仰の神道」
前記の二点はほぼ宗教学の定説であり、私独自の考え方ではない。
以下は前記定説を踏まえたうえでの私個人の見解。
そもそも「有象無象」であり、かつ「宗教」であった神道の非常に大きなファクターは、「御霊(ごりょう)信仰」であった。
怨みをもって亡くなった人の「怨霊」をいかに慰撫して、その祟りから逃れ、かえって「御霊」に昇華せしめて、霊的に現世(うつしよ)にいる人々に幸福・繁栄をもたらす存在となさしめるか。
「まじない」、「占い」といった類から、「歌道」「読経」に至るまで、すべて「いかに慰撫するか」という視点が含まれていたといっても過言ではない。
この「御霊信仰」は形のうえでは、今でも残っている。
菅原道真を祀る天満宮は学問の神様として今でも参詣者が絶えず、崇徳天皇の血書五部大乗経の話は古典の中でよく語られる。
しかし、一度神道は「宗教であること」を辞めたため、「御霊信仰」の内実はかなり弱められていると考える。
それでは何が「いまある形の神道」にはあるのか。
それは「スピリチャル」だと思う。
パワースポットである神社でなんとなく霊的な気分を味わい、ラッキーアイテムとしての「お守り」「お札」を買い集める。
信仰といった大げさなものではない。
仏教には「業」、キリスト教には「罪」、という解決すべき問題があるように、神道には「怨」という課題があったはずだが、いま神社に「怨」の解消といった重いものを求めて訪れる人など稀だろう。
正直、通天閣のビリケン様と何が違うのだろうと思う。
御朱印あつめも、夏休みにあるポケモンラリーやウルトラマンのスタンプ集めと同じような感覚でしているように見える。
「現世(うつしよ)」だけになった神道の当然の帰結といえるかもしれない。
以上、「いまある形の神道」と「かつてあった神道」を並べて論じてきた。
この変化を好意的にみるか、みないかは各人の判断のわかれるところだろう。
【「いまある形の神道」と「かつてあった神道」:完】
追記
マークXはよい車だ。
おじさん臭いけどね。
前記の二点はほぼ宗教学の定説であり、私独自の考え方ではない。
以下は前記定説を踏まえたうえでの私個人の見解。
そもそも「有象無象」であり、かつ「宗教」であった神道の非常に大きなファクターは、「御霊(ごりょう)信仰」であった。
怨みをもって亡くなった人の「怨霊」をいかに慰撫して、その祟りから逃れ、かえって「御霊」に昇華せしめて、霊的に現世(うつしよ)にいる人々に幸福・繁栄をもたらす存在となさしめるか。
「まじない」、「占い」といった類から、「歌道」「読経」に至るまで、すべて「いかに慰撫するか」という視点が含まれていたといっても過言ではない。
この「御霊信仰」は形のうえでは、今でも残っている。
菅原道真を祀る天満宮は学問の神様として今でも参詣者が絶えず、崇徳天皇の血書五部大乗経の話は古典の中でよく語られる。
しかし、一度神道は「宗教であること」を辞めたため、「御霊信仰」の内実はかなり弱められていると考える。
それでは何が「いまある形の神道」にはあるのか。
それは「スピリチャル」だと思う。
パワースポットである神社でなんとなく霊的な気分を味わい、ラッキーアイテムとしての「お守り」「お札」を買い集める。
信仰といった大げさなものではない。
仏教には「業」、キリスト教には「罪」、という解決すべき問題があるように、神道には「怨」という課題があったはずだが、いま神社に「怨」の解消といった重いものを求めて訪れる人など稀だろう。
正直、通天閣のビリケン様と何が違うのだろうと思う。
御朱印あつめも、夏休みにあるポケモンラリーやウルトラマンのスタンプ集めと同じような感覚でしているように見える。
「現世(うつしよ)」だけになった神道の当然の帰結といえるかもしれない。
以上、「いまある形の神道」と「かつてあった神道」を並べて論じてきた。
この変化を好意的にみるか、みないかは各人の判断のわかれるところだろう。
【「いまある形の神道」と「かつてあった神道」:完】
追記
マークXはよい車だ。
おじさん臭いけどね。
No title
なごやんさん
お話はわかりましたが明治時代じゃ「いまある形の神道はここ最近作られたもの。」ではありませんね。
お話はわかりましたが明治時代じゃ「いまある形の神道はここ最近作られたもの。」ではありませんね。
コメントの流れを確認ください
<わたしは一般人さんのコメント>
>でも、それこそ大昔からですよ。だって、神道ですよ。「古事記」の世界ですから。
>再度言いますけど、大昔からですよ。
↑
コメントの流れを確認ください。
大昔、「古事記」の世界という表現からすれば、わたしは一般人さんは、千年以上前の「古代」を想定していると理解しました。
それと比較して、百五十年程度前の近代であるゆえ、「ここ最近作られたもの」と記述したわけです。
「ここ最近作られたもの」を、ここ数年か数十年とわたしが主張したのであれば、さすがにムリがあります。
神道に対する誤解と似たような勘違いの例としては「天皇(制)」があります。
今の天皇(制)は、古代から続いていることになっていますが、その内実が全く同じであるわけではない(全く違っているわけでもない)。
現代の天皇(制)は「四重の入れ子構造」になっている。
これについたはまた機会があれば、お話ししましょう。
>でも、それこそ大昔からですよ。だって、神道ですよ。「古事記」の世界ですから。
>再度言いますけど、大昔からですよ。
↑
コメントの流れを確認ください。
大昔、「古事記」の世界という表現からすれば、わたしは一般人さんは、千年以上前の「古代」を想定していると理解しました。
それと比較して、百五十年程度前の近代であるゆえ、「ここ最近作られたもの」と記述したわけです。
「ここ最近作られたもの」を、ここ数年か数十年とわたしが主張したのであれば、さすがにムリがあります。
神道に対する誤解と似たような勘違いの例としては「天皇(制)」があります。
今の天皇(制)は、古代から続いていることになっていますが、その内実が全く同じであるわけではない(全く違っているわけでもない)。
現代の天皇(制)は「四重の入れ子構造」になっている。
これについたはまた機会があれば、お話ししましょう。
いや、流れを読んでほしいのはこちらで
記事に内容に関連してる部分にして下さいね。
枝葉にずれようとしないでね。細かい論点で「違う違う」など、どんな事にも言えることですから。
神道と天皇制の関係の話です。
明治に「神道=天皇制」が強化された話は知ってますが、それ以前は、神道と天皇制の関連性は全くなかったんですか??
間違いと指摘するなら、「全く関係がなかった」位は書いてもらわないと。
関連性が深まった程度では、間違いとは言いません。
枝葉にずれようとしないでね。細かい論点で「違う違う」など、どんな事にも言えることですから。
神道と天皇制の関係の話です。
明治に「神道=天皇制」が強化された話は知ってますが、それ以前は、神道と天皇制の関連性は全くなかったんですか??
間違いと指摘するなら、「全く関係がなかった」位は書いてもらわないと。
関連性が深まった程度では、間違いとは言いません。
それと
古事記と今の神道も全く無縁なものなんですか?
そこも、お答えくださいね。
なまじ詳しいと、実社会でもすぐに「違う、違う」と言いたがる人がいてるんだけね。
そんな程度の話ですか?
そうかなと思って、スルーしてたんだけど。
そこも、お答えくださいね。
なまじ詳しいと、実社会でもすぐに「違う、違う」と言いたがる人がいてるんだけね。
そんな程度の話ですか?
そうかなと思って、スルーしてたんだけど。
No title
神道と古神道の違いかと思ったら違うようで。
では
ありゃ、何か変なこと書きましたっけ???
では、「それと」の前のコメントの再送分(類似)
流れを読んでないのは、なごやんさんじゃないんですか??
神道は大昔より、天皇家と関わり合いがあるのかどうかの話の流れですよ。
国家神道の事を言ってるのは分かるが、元より、神道と天皇制は全く関係が無かったんですかね。元々、関りがあったが、明治時代に政治利用されて仏教と切り分けられたって考え方は、おかしいのかな?
間違いだと指摘されるなら、「関係が無い」位の違いを書いてもらわないとね。
ちなみにWIKIでは
皇室と神道[編集]
宮中祭祀に見られるように、皇室と神道は歴史的事実として密接なかかわりを持つことが上げられる。また、神道の信仰の対象としての天皇とその祖先神の存在がある。
↑これも、間違いですか。
細かい宗教の内話をしてるんじゃないですよ。
では、「それと」の前のコメントの再送分(類似)
流れを読んでないのは、なごやんさんじゃないんですか??
神道は大昔より、天皇家と関わり合いがあるのかどうかの話の流れですよ。
国家神道の事を言ってるのは分かるが、元より、神道と天皇制は全く関係が無かったんですかね。元々、関りがあったが、明治時代に政治利用されて仏教と切り分けられたって考え方は、おかしいのかな?
間違いだと指摘されるなら、「関係が無い」位の違いを書いてもらわないとね。
ちなみにWIKIでは
皇室と神道[編集]
宮中祭祀に見られるように、皇室と神道は歴史的事実として密接なかかわりを持つことが上げられる。また、神道の信仰の対象としての天皇とその祖先神の存在がある。
↑これも、間違いですか。
細かい宗教の内話をしてるんじゃないですよ。
とりあえず回答のみ
>それと
>古事記と今の神道も全く無縁なものなんですか?
↑
古事記と今の神道は関係があります。
※ご注意
「それと」という表題から類推すると、「承認待ちコメント2017/08/12(18:59)」 も体制派さんのコメントである可能性があります。
但し、このコメントを投稿する時点では、承認されていないためレスできません。
また 「承認待ちコメント2017/08/12(23:32) 」「承認待ちコメント2017/08/13(00:55)」は、前記「承認待ちコメント2017/08/12(18:59)」が承認されていないことに気づいて 体制派さんが追加してフォローコメントを投稿した可能性があります。
これも承認前のためレスはできません。
あしからずご了承ください。
>古事記と今の神道も全く無縁なものなんですか?
↑
古事記と今の神道は関係があります。
※ご注意
「それと」という表題から類推すると、「承認待ちコメント2017/08/12(18:59)」 も体制派さんのコメントである可能性があります。
但し、このコメントを投稿する時点では、承認されていないためレスできません。
また 「承認待ちコメント2017/08/12(23:32) 」「承認待ちコメント2017/08/13(00:55)」は、前記「承認待ちコメント2017/08/12(18:59)」が承認されていないことに気づいて 体制派さんが追加してフォローコメントを投稿した可能性があります。
これも承認前のためレスはできません。
あしからずご了承ください。
何故か
後のコメントだけが承認されていたので、「最初のは非承認だったのかな?」と再度書き直しました。
ま、管理人様の単なる手違いかも知れません。
別に、なごやんさんも答えなくてもよいよ。
答えるまでもなく結論は出てますから。
ま、管理人様の単なる手違いかも知れません。
別に、なごやんさんも答えなくてもよいよ。
答えるまでもなく結論は出てますから。
とりあえず回答2
>神道と天皇制は全く関係が無かったんですかね。
>元々、関りがあったが、明治時代に政治利用されて仏教と切り分けられたって考え方は、おかしいのかな?
↑
おかしくはないです。
「全く関係が無かったん」という言い方がストローマンくさいですが。
>元々、関りがあったが、明治時代に政治利用されて仏教と切り分けられたって考え方は、おかしいのかな?
↑
おかしくはないです。
「全く関係が無かったん」という言い方がストローマンくさいですが。
だから何よ
現行神道(この言い方もアレだな)の形式が新しいから何だってのよ。
それを言うなら、あらゆる宗教の形式は新しいんだが。
分派とかも出来ないやん。キリスト教でもプゲラやん。
系統は新しくても系譜は古いよ。
ま、古い新しいが何だって話でもあるが。
それを言うなら、あらゆる宗教の形式は新しいんだが。
分派とかも出来ないやん。キリスト教でもプゲラやん。
系統は新しくても系譜は古いよ。
ま、古い新しいが何だって話でもあるが。
馬の耳に念仏か
正直言って、新旧の宗教の形態や信条は置いといて。
現代の我々は自由と民主主義がある程度保障されている社会下で、政治・宗教の思想に関わらず差別されることなく暮らせることができる。
にも関わらず、神社で「憲法改正に署名を」なんて行っていたら、普通に考えて「憲法改正が現代神道の総意」と思うわけ。
ただ前述したように、今の国民は宗教や政治思想に縛られた生活を強いられているわけではないハズ。神道をバックにつけた自民党が政権を取ったからといって、神道の考え方を強要されたり自民党の政治思想を強要されていいはずがない。
なのに、神社へお参りに行くということが「自民党主導の憲法改正を是すること」になるような運動がされていて、政治思想が異なる人にとっては非常に苦痛。
おおらかな神道を否定する行為であって、それは古来からの土着の神々や祖先を敬う思想とはまた別の概念(現政治思想)を勝手に神社側から押し付けられたようで不快になるのは当然。
だから、「問題がない」って言っている人は自分の中に「問題意識がない」からそう思うんであって、そういう人はいくら話をしてもキリがない。理解しようという歩みがないわけだから、問題を感じる人の気持ちなんてわかりようがない。
「問題がない」という発想から論じる人は静かに黙って信じているのものをそのまま信じてればいい。
ただし、戦前戦中の国家神道のありさまをよくよく振り返えれば、問題意識を自分の中で持つことが、国の先々を左右することに繋がると気づくはず。
物事を考えない日本人をそのままにした戦後教育はやはり失敗だったのかもしれないと感じる今日この頃
現代の我々は自由と民主主義がある程度保障されている社会下で、政治・宗教の思想に関わらず差別されることなく暮らせることができる。
にも関わらず、神社で「憲法改正に署名を」なんて行っていたら、普通に考えて「憲法改正が現代神道の総意」と思うわけ。
ただ前述したように、今の国民は宗教や政治思想に縛られた生活を強いられているわけではないハズ。神道をバックにつけた自民党が政権を取ったからといって、神道の考え方を強要されたり自民党の政治思想を強要されていいはずがない。
なのに、神社へお参りに行くということが「自民党主導の憲法改正を是すること」になるような運動がされていて、政治思想が異なる人にとっては非常に苦痛。
おおらかな神道を否定する行為であって、それは古来からの土着の神々や祖先を敬う思想とはまた別の概念(現政治思想)を勝手に神社側から押し付けられたようで不快になるのは当然。
だから、「問題がない」って言っている人は自分の中に「問題意識がない」からそう思うんであって、そういう人はいくら話をしてもキリがない。理解しようという歩みがないわけだから、問題を感じる人の気持ちなんてわかりようがない。
「問題がない」という発想から論じる人は静かに黙って信じているのものをそのまま信じてればいい。
ただし、戦前戦中の国家神道のありさまをよくよく振り返えれば、問題意識を自分の中で持つことが、国の先々を左右することに繋がると気づくはず。
物事を考えない日本人をそのままにした戦後教育はやはり失敗だったのかもしれないと感じる今日この頃
No title
宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり[1]、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 [2][3]。
1899(明治32)年 文部省訓令第十二号「一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件」に、官公立学校だけでなく私立学校でも宗教教育および宗教的儀式は禁止となりますが、ここで「ただし神道は「宗教にあらず」とされてますね」。
日本会議は宗教団体ではないのですね?
1899(明治32)年 文部省訓令第十二号「一般ノ教育ヲシテ宗教外ニ特立セシムルノ件」に、官公立学校だけでなく私立学校でも宗教教育および宗教的儀式は禁止となりますが、ここで「ただし神道は「宗教にあらず」とされてますね」。
日本会議は宗教団体ではないのですね?