コメント
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学校が高校生への校則(しつけ)に対して「憲法13条の幸福追求権」や「公共の福祉に抵触しない範囲」を反論としてもってくるとは、非常にユニークな先生ですね。
ま、この先生の考えは単に「高校生=成人」という考えです。もし、対象者が小中学生なら、さずかにこの先生も「憲法13条により小中学生もピアスは可」とは書かないでしょうから。
しかし、最近の高校生は成人と同一視(勿論、権利だけではなく義務もね)して良いのかどうかは、議論の余地があるとこですね。
ま、この先生の考えは単に「高校生=成人」という考えです。もし、対象者が小中学生なら、さずかにこの先生も「憲法13条により小中学生もピアスは可」とは書かないでしょうから。
しかし、最近の高校生は成人と同一視(勿論、権利だけではなく義務もね)して良いのかどうかは、議論の余地があるとこですね。
こんなどうしょうもない愚文に氏名年齢まで明かして大丈夫なの?この先生。
この教師のお墨付きで生徒がピアス&茶髪にした結果、就職が無かったらどう責任を取るんだろう?
この教師のお墨付きで生徒がピアス&茶髪にした結果、就職が無かったらどう責任を取るんだろう?
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この先生の意見に同感。人に迷惑をかけなければ、個人の自由を尊重したい。
この先生は教員歴10年ほどかな。自らの経験から髪を染めたりピアスすること=非行化とはとらえていないんでしょう。もし迷惑行為があるならばその迷惑行為を取り締まりの対象にすればいいだけのこと。外見などでは判断しない。
この先生は教員歴10年ほどかな。自らの経験から髪を染めたりピアスすること=非行化とはとらえていないんでしょう。もし迷惑行為があるならばその迷惑行為を取り締まりの対象にすればいいだけのこと。外見などでは判断しない。
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書かれているように全員丸坊主とかあまりにも画一的なのは怖い気がするのですが・・・記事中の「我慢を教える」ってものすごい違和感です。
最後の「一律禁止ではない」というのがとてもいいと思いました。例外的なものとして、中高生でも白髪に悩み髪の毛を染めているケースもあります。あざなどを専用の化粧品でカバーしているケースも。
例えば、髪の毛の色で個性を発揮できると思っているような場合は、個性とは何かを話しあってほしいです。ピアスは、エスカレートして何個も穴をあける人、耳以外の場所のピアス(鼻とかまぶたとか)やはり威嚇になり得ると思います。
一方、私は威嚇にならないようなことを心配しています。対象が女子中心になりますが。これは茶髪の延長線上にあるのかなあと思いますが、どうでしょう。
まつ毛エクステ、まつ毛パーマ、カラーコンタクト、それほど多くないとはいえ眉毛入れ墨(アートメイク、眉タトゥー)などです。バサバサのつけまつ毛と違って本物のまつ毛を利用するのでとても自然に見えますが、もともとのまつ毛がいたみ少なくなっていくそうです。カラーコンタクトは青や茶色は知っていたのですが、最近の流行りは黒目を大きく見せるもの。眉毛の入れ墨はそれほど多くないとはいえ、こういうものは一度やってしまうと取り返しが…と話しあってみてほしいです。「あの子もやっているから私も…」という安易な気持ちでやってしまうこともあるのかもしれません。
そのような危険をおかしてまで…というような高校生もけっこういると思いますし、彼らは我慢なんてしていないわけです。
最後の「一律禁止ではない」というのがとてもいいと思いました。例外的なものとして、中高生でも白髪に悩み髪の毛を染めているケースもあります。あざなどを専用の化粧品でカバーしているケースも。
例えば、髪の毛の色で個性を発揮できると思っているような場合は、個性とは何かを話しあってほしいです。ピアスは、エスカレートして何個も穴をあける人、耳以外の場所のピアス(鼻とかまぶたとか)やはり威嚇になり得ると思います。
一方、私は威嚇にならないようなことを心配しています。対象が女子中心になりますが。これは茶髪の延長線上にあるのかなあと思いますが、どうでしょう。
まつ毛エクステ、まつ毛パーマ、カラーコンタクト、それほど多くないとはいえ眉毛入れ墨(アートメイク、眉タトゥー)などです。バサバサのつけまつ毛と違って本物のまつ毛を利用するのでとても自然に見えますが、もともとのまつ毛がいたみ少なくなっていくそうです。カラーコンタクトは青や茶色は知っていたのですが、最近の流行りは黒目を大きく見せるもの。眉毛の入れ墨はそれほど多くないとはいえ、こういうものは一度やってしまうと取り返しが…と話しあってみてほしいです。「あの子もやっているから私も…」という安易な気持ちでやってしまうこともあるのかもしれません。
そのような危険をおかしてまで…というような高校生もけっこういると思いますし、彼らは我慢なんてしていないわけです。
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どこまでが迷惑を掛けないということになるのかという問題と、もう1つはやはり学校だということも無視し得ないのではないかなと思います。
以前、裁判所の男性職員が髪の毛を緑色に染めていた人がいました。長くはいなかったようです。
これは個性というより、何か気に入らないことがあったんだね、そういう意思表示かなと思いました。
誰に対するものなのかはわかりません。職場なのか家庭なのか。
そのような意思表示に対しては近寄りがたく、来庁者にとっても違和感しかなかったと思います。
以前、裁判所の男性職員が髪の毛を緑色に染めていた人がいました。長くはいなかったようです。
これは個性というより、何か気に入らないことがあったんだね、そういう意思表示かなと思いました。
誰に対するものなのかはわかりません。職場なのか家庭なのか。
そのような意思表示に対しては近寄りがたく、来庁者にとっても違和感しかなかったと思います。
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緑!ですか。
私なんかすぐに思い浮かべるのは『らいおんみどりの日ようび』というよく知られている童話ですが、そのファンだったとしても、何かへの意思表示のシンボルカラーが緑だったとしても、そうでないにしても、ご自身に接する人の気持ちを優先してほしいです。ある程度の気遣いができるなら茶色はあっても緑はないように思います。それもコミュニケーションの一部です。
特にお勤めが裁判所となると(その方が一般の方に接する業務を担当していたかどうかはわかりませんが)、やはり多くの人が緊張して訪ねる場所であることを思えば、お堅い(本当の中身がどうであっても)-堅実に対応してくださるという情報・安心感を提供するのも仕事のうちかなあと思うのですが。高校生とちがってお給料もらっているんですから。
もちろん、申し分のないまじめそうな外見でも悪いことをする人はたくさんいるわけですけど。
私なんかすぐに思い浮かべるのは『らいおんみどりの日ようび』というよく知られている童話ですが、そのファンだったとしても、何かへの意思表示のシンボルカラーが緑だったとしても、そうでないにしても、ご自身に接する人の気持ちを優先してほしいです。ある程度の気遣いができるなら茶色はあっても緑はないように思います。それもコミュニケーションの一部です。
特にお勤めが裁判所となると(その方が一般の方に接する業務を担当していたかどうかはわかりませんが)、やはり多くの人が緊張して訪ねる場所であることを思えば、お堅い(本当の中身がどうであっても)-堅実に対応してくださるという情報・安心感を提供するのも仕事のうちかなあと思うのですが。高校生とちがってお給料もらっているんですから。
もちろん、申し分のないまじめそうな外見でも悪いことをする人はたくさんいるわけですけど。
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校則の過度の自由化は学力の大幅な低下をもたらし、害になると思います。私が高校生のとき、近くに制服もなく、校則もほとんどない高校がありました。その高校は自由を売りにしていた訳です。確か偏差値60弱の学力の生徒が集まる、まずまずの水準の学校でした。しかし、過度の自由な校風のため、退廃的な学生が多くなり、、進学実績もガタ落ちになっていました。今、その高校のレベルはかなり低くなっているそうです。
私の担任の教師も「過度の自由は学生の学力・質の低下を必ずもたらす」と述べていましたが、本件の教師は、そうした本質を考えず、ピアスや髪染めの自由を叫んでいるのでしょう。
私の担任の教師も「過度の自由は学生の学力・質の低下を必ずもたらす」と述べていましたが、本件の教師は、そうした本質を考えず、ピアスや髪染めの自由を叫んでいるのでしょう。
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法さんのコメント、昔読みたかったです。
私は、地理的にも精神的にもとても田舎者で(それを卑下するものではありません)、高校生のとき、都会の親戚の家で、通う高校の規則がきびしいことをこぼしたところ、「mちゃんの高校はよほどレベルが低いんだな。都会ではレベルの高い高校ほど自由」と言われ、打ちのめされたのでした。それ以来とらわれています。上記のレベルは偏差値というよりも精神風土の意味合いも大きかったようですが。また、私が通った高校できびしかったのはピアスや茶髪というよりも、行動に対するものでした(○○は保護者同伴など)。
自由の度合いや偏差値その他に関わらず、高校生には自分で考えてほしいものです―どこまでが学校の管理や方針が及ぶ領域か、どこからが他人に迷惑とまではいかなくても違和感、不快感を与える可能性があるのか。
教員の側、学校の側から、完全に自由、好きなようにやってくれ、では、教育・指導の放棄にもなり得ます。その自由について年度毎に生徒とともに考え、ゆるいガイドラインのようなものがあってもいいのかな、とも思います。
私は、地理的にも精神的にもとても田舎者で(それを卑下するものではありません)、高校生のとき、都会の親戚の家で、通う高校の規則がきびしいことをこぼしたところ、「mちゃんの高校はよほどレベルが低いんだな。都会ではレベルの高い高校ほど自由」と言われ、打ちのめされたのでした。それ以来とらわれています。上記のレベルは偏差値というよりも精神風土の意味合いも大きかったようですが。また、私が通った高校できびしかったのはピアスや茶髪というよりも、行動に対するものでした(○○は保護者同伴など)。
自由の度合いや偏差値その他に関わらず、高校生には自分で考えてほしいものです―どこまでが学校の管理や方針が及ぶ領域か、どこからが他人に迷惑とまではいかなくても違和感、不快感を与える可能性があるのか。
教員の側、学校の側から、完全に自由、好きなようにやってくれ、では、教育・指導の放棄にもなり得ます。その自由について年度毎に生徒とともに考え、ゆるいガイドラインのようなものがあってもいいのかな、とも思います。
自由は結構ですが
真っ赤にや真黄色に染めたらどうなんだろう?
ピアスにしても顔中に着けたらどうなんだろう?
ピアスにしても顔中に着けたらどうなんだろう?
服装・頭髪規制は必須ではない
全日制の高校ではたいてい制服や頭髪規制があるが、偏差値レベル最底辺に位置付けられている定時制(夜間)高校の多くは、服装や髪型を規制していない。
これは服装頭髪規制が高校運営の必須条件ではないことを意味する。
それよりも世間の多数派が、高校生というより15~18歳の子供が派手な恰好や染髪をしてほしくないと考えているためだと思う。そういう格好をしている生徒の多い高校は『底辺校」のレッテルを張らて学校の評判が悪くなるから。
定時制高校生は、15~18歳とは限らず、教師より年上の生徒もいるため、規制なんてできない。世間も定時制高校を「高校」とは見なさず、在籍する生徒も「高校生」ではなく「社会人が夜間高校に行っている」と見なされるので、学校の評判が悪くなることもない。最初からそういうコンセプトの学校だから。
私自身は服装や髪型はどちらかといえば自由なほうがいいと思う。80年代の「管理教育」全盛期を知っている者として、当時は本当にひどかった。
「威嚇効果」については、服装や髪型ではなく、「眼つき」によるのではにかと。
これは服装頭髪規制が高校運営の必須条件ではないことを意味する。
それよりも世間の多数派が、高校生というより15~18歳の子供が派手な恰好や染髪をしてほしくないと考えているためだと思う。そういう格好をしている生徒の多い高校は『底辺校」のレッテルを張らて学校の評判が悪くなるから。
定時制高校生は、15~18歳とは限らず、教師より年上の生徒もいるため、規制なんてできない。世間も定時制高校を「高校」とは見なさず、在籍する生徒も「高校生」ではなく「社会人が夜間高校に行っている」と見なされるので、学校の評判が悪くなることもない。最初からそういうコンセプトの学校だから。
私自身は服装や髪型はどちらかといえば自由なほうがいいと思う。80年代の「管理教育」全盛期を知っている者として、当時は本当にひどかった。
「威嚇効果」については、服装や髪型ではなく、「眼つき」によるのではにかと。
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記事は全日制の高校を想定して書かれていると思いますよ。定時制や通信制(スクーリングはありますが)の高校もありますね。フリースクールで昔でいう大検の勉強をしている人たちも。色々考えました。
しかし「威嚇」―「眼つき」ですか。確かにそんな人もいるのかもしれません。が…中学生のとき、心や頭をからっぽにしてぼんやりしていたとき、「なんだその目は」と不当な叱責をうけたことがある私としては考え込んでしまいます。びっくりしましたが、教師のほうに、よほど後ろ暗いことがあったのかな、と思い返しています。
しかし「威嚇」―「眼つき」ですか。確かにそんな人もいるのかもしれません。が…中学生のとき、心や頭をからっぽにしてぼんやりしていたとき、「なんだその目は」と不当な叱責をうけたことがある私としては考え込んでしまいます。びっくりしましたが、教師のほうに、よほど後ろ暗いことがあったのかな、と思い返しています。
覧古考新:「クリエーター(大文字)の意思」
「他人に迷惑をかけないなら何をやってもよい」という考えには、違和感がある。
クリスチャンは「神が人間を創った」と考えるが、そこには当然ながら「クリエーター(大文字)の意思」があると考える。
問:人の主な目的は何ですか。
答:人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです 。
(ウエストミンスター小教理問答)
問:人生の主な目的は何ですか。
答:神を知りことであります。
(ジュネーブ教会信仰問答)
クリスチャンは「神が人間を創った」と考えるが、そこには当然ながら「クリエーター(大文字)の意思」があると考える。
問:人の主な目的は何ですか。
答:人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです 。
(ウエストミンスター小教理問答)
問:人生の主な目的は何ですか。
答:神を知りことであります。
(ジュネーブ教会信仰問答)
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中、高校生みんなが、金髪にしていっぱいピアスを開けたらタトゥーをしていたら、だれもそうする人を奇異な目で見たりしないと思います。脅威も感じないでしょうし。就職でも髪の色での差別は起こらなくなるでしょう。
ただ、同時にカラーリングをすると肌がダメージを受け将来化学物質に過敏に反応する可能性があるとか、若いころにタトゥーやピアスをして後悔している人の情報をあたえるとか、変質者などの存在や彼らから身を守る方法、白人の外見だけがカッコいいわけではないなど、もっと自分を大切にすることを教える科学や社会の教育が必要に思います。
きちんとした教育と周囲から愛情を子どもに与えていれば、自分の体を傷つけることなく、自分の好きなスタイルを選べる社会がいいように思います。
それができないから、子どもを含め人々の人権を奪っているように感じます。抑圧はいいことには繋がらないと思います。人へのネットなど見えないところでの攻撃やいじめなど、ネガティブなことの一因になると思社会います。
学生だけでなく、会社などでも、服装や個人の外見が自由になればもっとお互いに他人を尊重できると思います。自己犠牲をすることが他人を尊重することだという考えではなく、自己表現することでお互いを尊重できたら社会の閉塞感も少なくなると思います。
ただ、同時にカラーリングをすると肌がダメージを受け将来化学物質に過敏に反応する可能性があるとか、若いころにタトゥーやピアスをして後悔している人の情報をあたえるとか、変質者などの存在や彼らから身を守る方法、白人の外見だけがカッコいいわけではないなど、もっと自分を大切にすることを教える科学や社会の教育が必要に思います。
きちんとした教育と周囲から愛情を子どもに与えていれば、自分の体を傷つけることなく、自分の好きなスタイルを選べる社会がいいように思います。
それができないから、子どもを含め人々の人権を奪っているように感じます。抑圧はいいことには繋がらないと思います。人へのネットなど見えないところでの攻撃やいじめなど、ネガティブなことの一因になると思社会います。
学生だけでなく、会社などでも、服装や個人の外見が自由になればもっとお互いに他人を尊重できると思います。自己犠牲をすることが他人を尊重することだという考えではなく、自己表現することでお互いを尊重できたら社会の閉塞感も少なくなると思います。
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他人に迷惑かけなければ自由にしていい
これだと他人の主観での【迷惑】が曖昧で、
誰かが黒髪が迷惑だと思えばそれに配慮しないといけなくなる。
迷惑ってどこまでがそうなのか聞かないとわからないし、結局他人に決めさせていいの?ってなる。
他人の自由を奪わなければ自由にしていい
これでいいと思う。
そもそも髪を染める=悪いヤツっていう概念は髪を染めるのがイケナイ事だから、
不良はイケナイ事をして反社会性を表現しているだけなので、
髪を染める事をふつうにすればいい、要するに解禁すればいい。
で、学校は勉強するところだから髪を染めるなっていう理論がわからない。
学校は勉強をするところなのだから、生徒がちゃんと勉強をしているかを見るべき。
髪を染めるのは勉強と関係ない事なのに、なんで他人に外見を決められなければいけないのか?説明できてない。
黒髪でも勉強をしない子もいるし、金髪でも勉強をする子もいる。
校則の過度の自由化で学力が低下するって
本当に自由化が問題で学力が低下したんでしょうか?
たぶん違うと思います、だって学力世界一のフィンランドを見ればわかりますよ、
高校の校則は調べても出てこなかったですが小・中学校はたった十行です。
学力は校則よりも、教師の質や教育の質だと思います。
だからって校則をすべてなくせなんて言わないですけども
勉強と関係のない事は自由にすべきです。
これだと他人の主観での【迷惑】が曖昧で、
誰かが黒髪が迷惑だと思えばそれに配慮しないといけなくなる。
迷惑ってどこまでがそうなのか聞かないとわからないし、結局他人に決めさせていいの?ってなる。
他人の自由を奪わなければ自由にしていい
これでいいと思う。
そもそも髪を染める=悪いヤツっていう概念は髪を染めるのがイケナイ事だから、
不良はイケナイ事をして反社会性を表現しているだけなので、
髪を染める事をふつうにすればいい、要するに解禁すればいい。
で、学校は勉強するところだから髪を染めるなっていう理論がわからない。
学校は勉強をするところなのだから、生徒がちゃんと勉強をしているかを見るべき。
髪を染めるのは勉強と関係ない事なのに、なんで他人に外見を決められなければいけないのか?説明できてない。
黒髪でも勉強をしない子もいるし、金髪でも勉強をする子もいる。
校則の過度の自由化で学力が低下するって
本当に自由化が問題で学力が低下したんでしょうか?
たぶん違うと思います、だって学力世界一のフィンランドを見ればわかりますよ、
高校の校則は調べても出てこなかったですが小・中学校はたった十行です。
学力は校則よりも、教師の質や教育の質だと思います。
だからって校則をすべてなくせなんて言わないですけども
勉強と関係のない事は自由にすべきです。