コメント
No title
ブルカ、ブルキニ着用の禁止の前にすることがあるでしょう。公共の場で人間に対して(宗教的な理由で)身に着けているものを「取らせる、脱がせる」ことの禁止です。どういう神経なのでしょう(威嚇のために着用しているものなどの例外はあるかもしれません)。
彼らが脱がせているのは、ただ単純に「布一枚」なのかということを考えてほしいです。
彼らが脱がせているのは、ただ単純に「布一枚」なのかということを考えてほしいです。
No title
井の中の蛙であるブログ主では日本人が受けてる人種差別を知らないでしょうね。
私自身アメリカ、オーストラリアで「ジャップ」「モンキー」と罵倒されたのは数知れず、それでもフランス人、ドイツ人の冷酷な無視よりはまだマシでしたけどね。
フランス、ドイツ、イギリスで流暢でないその国の母国語でレストランにアジア人が入店すれば、どういう扱いを受けるか一度ブログ主も経験してみると良いでしょう。おそらく入口で何十分も待たされたり、席に案内されても注文を取りにこなかったりと貴重な経験ができますよ。
私自身アメリカ、オーストラリアで「ジャップ」「モンキー」と罵倒されたのは数知れず、それでもフランス人、ドイツ人の冷酷な無視よりはまだマシでしたけどね。
フランス、ドイツ、イギリスで流暢でないその国の母国語でレストランにアジア人が入店すれば、どういう扱いを受けるか一度ブログ主も経験してみると良いでしょう。おそらく入口で何十分も待たされたり、席に案内されても注文を取りにこなかったりと貴重な経験ができますよ。
これは難しいな……
モスクで逆(短パン……って今は言わない?半袖の女性に…)ってのは見たことあるので、宗教が違う国(しかも日本はそこまで宗教的ともいえない)に行き来するのは大変だと思いますねぇ……いやなら来るな(行くな)って話になってしまうと……。
とはいえフランスだから、そのブルキニの下に何か隠しているのでは……という不安もよくわかる。
んじゃ、他の場所に連れていって検査するのはいいのか?っていう話になると、これも一歩間違えると強者側のやりたい放題になりかねない。
海水浴場の前に金属探知機ゲート……っていうのが無難な落としどころになるのも無粋だな……。
とはいえフランスだから、そのブルキニの下に何か隠しているのでは……という不安もよくわかる。
んじゃ、他の場所に連れていって検査するのはいいのか?っていう話になると、これも一歩間違えると強者側のやりたい放題になりかねない。
海水浴場の前に金属探知機ゲート……っていうのが無難な落としどころになるのも無粋だな……。
イーグルさん
ブログ主さんは中国やオーストラリアでのご経験について書かれていましたよ(どちらも最近)。きっと他にも。そうでなくても、国内で外国人の方の問題に接していらっしゃるでしょう。ヘイトスピーチの問題など、ブログ内でも。
それから、こんなのもあるようですよ。
「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さ(青さ)を知る」・・・どうもされど以下は後付けされたようなのですが、うまいこと言うなあと思っています。
そうそう、先日から記事で紹介されている池田浩士先生は定年退職までドイツに行かれたことがなかったのだそうです(2004年の情報)。
「その場所に行っても見えない者には見えない、その場所に行かなくても見える者には見える――必要なのは、その時代の社会と人びとをそのもっとも具体的な姿で再構成する『想像力』なのだ、と彼は考えている」とご著書の解説にありました。
このブログでイーグルさんの海外経験を読まれている方もいらっしゃるでしょう。それにしてもひどいですね。イーグルさんなら抗議もお上手そうな気もしますが。書かれていらっしゃるようなケースについては、どんな形であっても(後からでも)抗議すべきだと思います。
それから、こんなのもあるようですよ。
「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さ(青さ)を知る」・・・どうもされど以下は後付けされたようなのですが、うまいこと言うなあと思っています。
そうそう、先日から記事で紹介されている池田浩士先生は定年退職までドイツに行かれたことがなかったのだそうです(2004年の情報)。
「その場所に行っても見えない者には見えない、その場所に行かなくても見える者には見える――必要なのは、その時代の社会と人びとをそのもっとも具体的な姿で再構成する『想像力』なのだ、と彼は考えている」とご著書の解説にありました。
このブログでイーグルさんの海外経験を読まれている方もいらっしゃるでしょう。それにしてもひどいですね。イーグルさんなら抗議もお上手そうな気もしますが。書かれていらっしゃるようなケースについては、どんな形であっても(後からでも)抗議すべきだと思います。
No title
ブログ主さんは中国やオーストラリアでのご経験について書かれていましたよ(どちらも最近)。
↑
いいえ、私が知る限りこの2ヶ国です。
池田先生についてですが、なぜ今更ドイツに行かれたのでしょうか?
想像力だけでは満足できなかったのでしょうか?
マウントクック、テカポ湖、クライストチャーチ大聖堂、レイスルイーズ、ナイアガラの滝、グランドキャニオン、ハリウッド、ゴールデンゲートブリッジ、モンブラン、マッターホルンなどなど。
masaki様にもオススメしますよ。
旅行だから良いけど、食べ物について池田先生が同じ想像力を働かせたら皆腹を抱えて大笑いしますよ。
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いいえ、私が知る限りこの2ヶ国です。
池田先生についてですが、なぜ今更ドイツに行かれたのでしょうか?
想像力だけでは満足できなかったのでしょうか?
マウントクック、テカポ湖、クライストチャーチ大聖堂、レイスルイーズ、ナイアガラの滝、グランドキャニオン、ハリウッド、ゴールデンゲートブリッジ、モンブラン、マッターホルンなどなど。
masaki様にもオススメしますよ。
旅行だから良いけど、食べ物について池田先生が同じ想像力を働かせたら皆腹を抱えて大笑いしますよ。
No title
すみません、誤解を招く書き方でした。池田先生のその後の海外渡航事情はわかりません。
(外国に)「行けばいいというものではない」ということがわかるエピソードだと思って引いたものです。海外に行くこと=視野が広がる、ではありませんから。
おすすめの観光地情報、ありがとうございます。
(外国に)「行けばいいというものではない」ということがわかるエピソードだと思って引いたものです。海外に行くこと=視野が広がる、ではありませんから。
おすすめの観光地情報、ありがとうございます。
No title
masakiさん
人種差別を別にすれば、それでも白人はアジア人よりマナーはいいですよ。
飲食店で威張る人も歩きタバコする人も信号無視する人も電車の中で足を投げ出す人もエスカレーターを歩く人もほとんど見かけませんからね。
人種差別を別にすれば、それでも白人はアジア人よりマナーはいいですよ。
飲食店で威張る人も歩きタバコする人も信号無視する人も電車の中で足を投げ出す人もエスカレーターを歩く人もほとんど見かけませんからね。
No title
うーん、環境によってはそういうところもあるのかもしれませんね。
ここ、アジアの、日本の、ブログのコメント欄には、威張る人が、
たまにいて興味深いですね。
ブログのポリシーからすれば黄色&赤信号を無視する人も。
エスカレーターは本当に不思議ですね。
ありがとうございました。
ここ、アジアの、日本の、ブログのコメント欄には、威張る人が、
たまにいて興味深いですね。
ブログのポリシーからすれば黄色&赤信号を無視する人も。
エスカレーターは本当に不思議ですね。
ありがとうございました。
No title
ことがわかるエピソードだと思って引いたものです。海外に行くこと=視野が広がる、ではありませんから。
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多様な文化や風習に触れさせるために、想像だけで渡航したことのない国を実際に体験させて思い込みや偏見をスポイルさせることだと思います。
もし視野が広がらないなら何百万円も費やしてまで何故親は子に留学をさせ、官庁や企業はキャリア、幹部候補に海外勤務を命じるのでしょうか?
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多様な文化や風習に触れさせるために、想像だけで渡航したことのない国を実際に体験させて思い込みや偏見をスポイルさせることだと思います。
もし視野が広がらないなら何百万円も費やしてまで何故親は子に留学をさせ、官庁や企業はキャリア、幹部候補に海外勤務を命じるのでしょうか?
No title
視野が広がる部分も多いからだと思います。
また、個人単位でいえば、個の視野は多少広がるし、何らかの理解も深まるでしょう(あくまでも当人比)。
しかし、だからといって、海外渡航経験者あるいは色んな意味で海外経験が豊富なものが海外渡航の経験のないものよりも広い視野、深い見識を有する、ということではないと考えます。
例えば、ざっくり書きますが、どんな文化圏でも他者の尊重ができる人は尊敬されると理解しています。しかし、そのようなことを複数の文化圏で学んで経験してきたにもかかわらず、ちょっと見方の異なる隣人も、その考えも尊重できない、このような場合もあるように思います。
これで回答になればいいのですが。
この記事のコメント欄からはこれで失礼いたします。
また、個人単位でいえば、個の視野は多少広がるし、何らかの理解も深まるでしょう(あくまでも当人比)。
しかし、だからといって、海外渡航経験者あるいは色んな意味で海外経験が豊富なものが海外渡航の経験のないものよりも広い視野、深い見識を有する、ということではないと考えます。
例えば、ざっくり書きますが、どんな文化圏でも他者の尊重ができる人は尊敬されると理解しています。しかし、そのようなことを複数の文化圏で学んで経験してきたにもかかわらず、ちょっと見方の異なる隣人も、その考えも尊重できない、このような場合もあるように思います。
これで回答になればいいのですが。
この記事のコメント欄からはこれで失礼いたします。
難しいね
オランダで黒人に血塗れにされたワイが来ましたよ。
しょせん、奴等にとって、日本人なんか最下等生物やねんチクショーめが。
日本人女性はモテますよ。すぐに寝れるし、流されやすくて大人しくて後腐れなくポイできるから。
日本人男性もモテますよ。ゲイの人には。
私は滅茶苦茶モテました。ゲイに。変な気分になりました。あ、死守したので大丈夫です。
それはともかく、ブルカやブルキニ。
これも筋論に従えばblog主のいうのが筋だけど、難しいね。ユタヤンさんのいうように。
欧州人がイスラム系移民に恐怖を感じるのは良くわかります。レコンキスタよりこのかた、有り得なかった恐怖だと思う。
イスラム教は宗教の枠に留まらない宗教で、国家統治や日常生活の手引き書でもある。その意味で凄く世俗的。
だから、イスラム教徒は移民しても現地の風習に染まらないし、逆に現地の風習をイスラム風に変えることを躊躇しない。郷にいっても郷に従わない。
ゆえに、イスラムは移民に向かない民族ってか宗教だと個人的には思う。
あまつさえ出生率が高いし、出身地から親族をバンバン呼ぶ。
そりゃ現地に住んでる人にすれば、自国のミームを乗っ取られ消滅させられるような恐怖を感じると思う。欧州は移民国家じゃないし。
加えて一般人を狙ったテロがこれだけ起きていればね。
ついでにいえば、欧州でブルカやブルキニ規制に反対するようなどちらかっていうと左翼の欧州人に限って、「クジラ食うな野蛮人」とかいうんだよなぁ。
ぶっちゃけ、奴等は他民族の文化に配慮なんかしとらんねん。自分を「多文化共生に寛容な良い人」と思いたいだけやねん。
しょせん、奴等にとって、日本人なんか最下等生物やねんチクショーめが。
日本人女性はモテますよ。すぐに寝れるし、流されやすくて大人しくて後腐れなくポイできるから。
日本人男性もモテますよ。ゲイの人には。
私は滅茶苦茶モテました。ゲイに。変な気分になりました。あ、死守したので大丈夫です。
それはともかく、ブルカやブルキニ。
これも筋論に従えばblog主のいうのが筋だけど、難しいね。ユタヤンさんのいうように。
欧州人がイスラム系移民に恐怖を感じるのは良くわかります。レコンキスタよりこのかた、有り得なかった恐怖だと思う。
イスラム教は宗教の枠に留まらない宗教で、国家統治や日常生活の手引き書でもある。その意味で凄く世俗的。
だから、イスラム教徒は移民しても現地の風習に染まらないし、逆に現地の風習をイスラム風に変えることを躊躇しない。郷にいっても郷に従わない。
ゆえに、イスラムは移民に向かない民族ってか宗教だと個人的には思う。
あまつさえ出生率が高いし、出身地から親族をバンバン呼ぶ。
そりゃ現地に住んでる人にすれば、自国のミームを乗っ取られ消滅させられるような恐怖を感じると思う。欧州は移民国家じゃないし。
加えて一般人を狙ったテロがこれだけ起きていればね。
ついでにいえば、欧州でブルカやブルキニ規制に反対するようなどちらかっていうと左翼の欧州人に限って、「クジラ食うな野蛮人」とかいうんだよなぁ。
ぶっちゃけ、奴等は他民族の文化に配慮なんかしとらんねん。自分を「多文化共生に寛容な良い人」と思いたいだけやねん。
暴力批判をせず、イスラーム憎悪に顛落する愚
ブルキニをまとったムスリマ、ビキニ姿の女性たち、みんなそれぞれに楽しそうに波と遊んでいる平和な光景をネットで見かけるが、そこになぜ行政が争いの種をまくのか?
シャルリーエブドの下劣なヘイトクライムに続き、(なお、報復のテロを批判すべきことは言うまでも無い。)今回のブルキニ禁止も、カンヌ市長によれば
「ブルキニは一種のユニホームであり、イスラム教過激主義の象徴だ。・・・」【注1】
とは、無茶苦茶である。自治体の首長がこれでは、憎悪は広がるばかりである。
ブルキニという生活文化が、「イスラム教過激主義の象徴」というのは断じてあり得ない。そんなことを言い出したら、アランブラ宮殿(スペインのアンダルシア地方だが)など、イスラーム建築さえ排除の対象になりかねない。こうした排他思想は極端な原理主義と言えよう。
サウジなど、一部の国で風紀警察(宗教警察)という類いの存在がある。【注2】人々の生活に干渉し服装や行動などが、彼らの拡大解釈による「教義」に反していないか監視をする。ブルキニ禁止は生活に干渉するという点で、風紀警察の裏返しなのである。それはブルキニを脱ぐよう指導するフランス警察に一目瞭然だ。
さて、ブルキニを着用を希望するムスリマの気持ちを、ヒジャブ着用に置き換えて考えてみたい。
先のリオ五輪ビーチバレーでは、エジプトの選手がヒジャブ姿で登場した。
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37032098
(なお、すべてのスポーツについて、ヒジャブ着用が認められているわけではない。)
同じエジプト選手でも髪を覆う人や、そうしない人もいる。この写真からわかることは、信仰に対して本人の自由な意思があり、周囲も認める環境があることだ。換言すれば、ヒジャブ着用は、国家の強制の有無、周囲との兼ね合いや、本人の信仰との距離感など、様々である。【注3】
イスラームとはいえ、信仰は時代と地域の社会制度により様々に解釈され変容していくのだろう。また、『家・共同体の宗教』から『個人の宗教』へと変容する環境があることもわかる。家族や周囲からの束縛が無いケースでは、信仰との距離をコントロールできるということだ。ヒジャブ着用も宗教的シンボルとはせずに、実用品・生活文化にすぎないものとして捉えることも可能だ。
つまり、「ある種の洗脳」により社会的な「強制の要素」があるのは、ごく限られたケースだろう。イスラーム世界に生きる女性たちは、抑圧を受けおとなしくしているわけではなく、それぞれの社会制度の中で、主体的に、そしてしたたかに生きている。【注4】
後藤絵美氏はこう論じる。
「ブルキニ(およびそれに類する装い)に対する、固定的で否定的なイメージから一歩踏み出し、それを着用したいと望む女性たちを理解してみようという姿勢ではないだろうか。」【注5】
トルコは以前フランスと同様に厳格にヒジャブ着用などを禁止してきたが、近年は民意に押され規制も緩和されたようだ。この先どうなるかわからないが、宗教を大切にする国家であって欲しい。そしてフランスは早く目を覚まして欲しい。ブルキニは人前で肌をさらさないという教義の実践ができると同時に、紫外線から肌を守る実用的な生活用品(日本にも「ラッシュガード」がある。)であり、とてもファッショナブルなものである。過激な暴力集団とは何の関係もない。
【注】
1. フランスの「ブルキニ」禁止令と癒せない病理
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160909-OYT8T50003.html
2. 「サウジ宗教警察」と戦う無謀な男の正体
http://toyokeizai.net/articles/-/127977
宗教警察を長く勤めたガムディ氏は、「サウジにおいて宗教として実践されていることの多くは、実際にはイスラム教と混同されたアラブ文化の慣行だ」と説いている。彼の問題提起や行動に対し、高位の聖職者は「国家は誰かに命じてこの男を召喚させ、拷問する必要がある」と物騒な発言をする。
なお、割礼の問題も教義とは関係ないが、宗教が土着の慣習とシンクレティズムされているので、厄介である。
3. https://twitter.com/masanorinaito/status/770720395011952640
4. 女子教育が禁じられたタリバン政権下でも、タリバンのいないところではブルカを取ったり、人家の一角を教室にして教育が続けられたという。(中西 久枝「イスラームとモダニティ」風媒社 /2002:『第8章 イスラームとヴェール』)
5. ブルキニ禁止問題から考えたこと――よりよい共生に必要なものとは?
http://synodos.jp/international/18073
シャルリーエブドの下劣なヘイトクライムに続き、(なお、報復のテロを批判すべきことは言うまでも無い。)今回のブルキニ禁止も、カンヌ市長によれば
「ブルキニは一種のユニホームであり、イスラム教過激主義の象徴だ。・・・」【注1】
とは、無茶苦茶である。自治体の首長がこれでは、憎悪は広がるばかりである。
ブルキニという生活文化が、「イスラム教過激主義の象徴」というのは断じてあり得ない。そんなことを言い出したら、アランブラ宮殿(スペインのアンダルシア地方だが)など、イスラーム建築さえ排除の対象になりかねない。こうした排他思想は極端な原理主義と言えよう。
サウジなど、一部の国で風紀警察(宗教警察)という類いの存在がある。【注2】人々の生活に干渉し服装や行動などが、彼らの拡大解釈による「教義」に反していないか監視をする。ブルキニ禁止は生活に干渉するという点で、風紀警察の裏返しなのである。それはブルキニを脱ぐよう指導するフランス警察に一目瞭然だ。
さて、ブルキニを着用を希望するムスリマの気持ちを、ヒジャブ着用に置き換えて考えてみたい。
先のリオ五輪ビーチバレーでは、エジプトの選手がヒジャブ姿で登場した。
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37032098
(なお、すべてのスポーツについて、ヒジャブ着用が認められているわけではない。)
同じエジプト選手でも髪を覆う人や、そうしない人もいる。この写真からわかることは、信仰に対して本人の自由な意思があり、周囲も認める環境があることだ。換言すれば、ヒジャブ着用は、国家の強制の有無、周囲との兼ね合いや、本人の信仰との距離感など、様々である。【注3】
イスラームとはいえ、信仰は時代と地域の社会制度により様々に解釈され変容していくのだろう。また、『家・共同体の宗教』から『個人の宗教』へと変容する環境があることもわかる。家族や周囲からの束縛が無いケースでは、信仰との距離をコントロールできるということだ。ヒジャブ着用も宗教的シンボルとはせずに、実用品・生活文化にすぎないものとして捉えることも可能だ。
つまり、「ある種の洗脳」により社会的な「強制の要素」があるのは、ごく限られたケースだろう。イスラーム世界に生きる女性たちは、抑圧を受けおとなしくしているわけではなく、それぞれの社会制度の中で、主体的に、そしてしたたかに生きている。【注4】
後藤絵美氏はこう論じる。
「ブルキニ(およびそれに類する装い)に対する、固定的で否定的なイメージから一歩踏み出し、それを着用したいと望む女性たちを理解してみようという姿勢ではないだろうか。」【注5】
トルコは以前フランスと同様に厳格にヒジャブ着用などを禁止してきたが、近年は民意に押され規制も緩和されたようだ。この先どうなるかわからないが、宗教を大切にする国家であって欲しい。そしてフランスは早く目を覚まして欲しい。ブルキニは人前で肌をさらさないという教義の実践ができると同時に、紫外線から肌を守る実用的な生活用品(日本にも「ラッシュガード」がある。)であり、とてもファッショナブルなものである。過激な暴力集団とは何の関係もない。
【注】
1. フランスの「ブルキニ」禁止令と癒せない病理
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160909-OYT8T50003.html
2. 「サウジ宗教警察」と戦う無謀な男の正体
http://toyokeizai.net/articles/-/127977
宗教警察を長く勤めたガムディ氏は、「サウジにおいて宗教として実践されていることの多くは、実際にはイスラム教と混同されたアラブ文化の慣行だ」と説いている。彼の問題提起や行動に対し、高位の聖職者は「国家は誰かに命じてこの男を召喚させ、拷問する必要がある」と物騒な発言をする。
なお、割礼の問題も教義とは関係ないが、宗教が土着の慣習とシンクレティズムされているので、厄介である。
3. https://twitter.com/masanorinaito/status/770720395011952640
4. 女子教育が禁じられたタリバン政権下でも、タリバンのいないところではブルカを取ったり、人家の一角を教室にして教育が続けられたという。(中西 久枝「イスラームとモダニティ」風媒社 /2002:『第8章 イスラームとヴェール』)
5. ブルキニ禁止問題から考えたこと――よりよい共生に必要なものとは?
http://synodos.jp/international/18073