コメント
どんな人間にも議論する資格があり、その議論の結果、物事を決めるのが、民主制の基本。
「議論する資格がない」とはそれこそ全体主義そのもの
それから、ブログでしばしば引用される「非国民め」というはだしのゲンの一コマは、「右翼め」「差別主義者め」と罵る左派・リベラル派にそのまま当てはまることですね。
アメリカでも、少数者の権利擁護に熱心な人達が保守派を「差別主義者」とレッテル貼りした結果、大量の隠れトランプ票を産み出し、トランプ大統領を誕生させたことに想いを致すべき。
「議論する資格がない」とはそれこそ全体主義そのもの
それから、ブログでしばしば引用される「非国民め」というはだしのゲンの一コマは、「右翼め」「差別主義者め」と罵る左派・リベラル派にそのまま当てはまることですね。
アメリカでも、少数者の権利擁護に熱心な人達が保守派を「差別主義者」とレッテル貼りした結果、大量の隠れトランプ票を産み出し、トランプ大統領を誕生させたことに想いを致すべき。
「解釈改憲=大人の知恵」という欺瞞(今井一)
制定から約70年、日本国民は一度も憲法に直接触ったことがない。
憲法改定が現実の政治日程に乗り、国民的な議論が交わされたのちに、「国民投票」の形で九条の是非を国民が直接意思表示することは、無意味なことではあるまい。
ようやく、国民が憲法に直接手を出すことができる、その意義は小さくない。いつまでも、憲法を学者と法律家のおもちゃにしていてはいけない。
憲法改定が現実の政治日程に乗り、国民的な議論が交わされたのちに、「国民投票」の形で九条の是非を国民が直接意思表示することは、無意味なことではあるまい。
ようやく、国民が憲法に直接手を出すことができる、その意義は小さくない。いつまでも、憲法を学者と法律家のおもちゃにしていてはいけない。
No title
ハイジャック、連続企業爆破や成田闘争など共産主義を信奉する勢力により日本国民は自由を脅かされてきました。
No title
ようするに、国民主権や平和主義を定めた現憲法が気に入らないだけ。
国民主権などけしからん!平和主義などけしからん!目指せ独裁国家!素直にそう主張すればいい。そう主張するのは勿論自由。
なのに、押し付け憲法だからとか言って真の目的を誤魔化そうとするのだから、議論する資格が無いと言われて当然でしょ。
国民主権などけしからん!平和主義などけしからん!目指せ独裁国家!素直にそう主張すればいい。そう主張するのは勿論自由。
なのに、押し付け憲法だからとか言って真の目的を誤魔化そうとするのだから、議論する資格が無いと言われて当然でしょ。
No title
ネトウヨさんが望む安倍自民独裁国家になったら、ますます国民の自由は脅かされますな~。
憲法
憲法について小沢一郎氏は、こう言ってますわ
生活の党機関紙 第39号(自由党) より抜粋
http://www.liberalparty.jp/special/organa
小沢一郎代表 巻頭提言
憲法の基本的な考え方について
国会の場で本質的な議論をすべき
近代憲法は、国民の権利と福利を増進させるための、国家と主権者との間で交わされる最高位の約束と言えます。 したがって、金科玉条のごとく憲法は何が何でも変えてはならないというものではありません 。
一方で、主権者の権利の保障、つまり権力を制限することを規範とする憲法の理念を骨抜きにするような 「改正」 も、近代憲法の精神に反すると思います。
「極端な護憲派」 と「極端な改憲派」
の議論は 不毛な対立を生む
今の憲法論争をみていると、条文を一字一句たりとも変えてはならないという「極端な護憲派」と、憲法の理念まで変えてしまおうとする「極端な改憲派」の対立という構図になっています。 日本人は物事をとかく極端に二分して考えがちですが、こうした考え方は憲法を議論するうえで不毛な対立を生むだけです。
時代が変われば、新たな人権の要請も生じます。 憲法における基本的人権についても、時代の変遷とともに対応していかなければならないのは当然のことです。 そうした現実を一切無視して、憲法は絶対に変えてはならないということになると、それはもう欽定憲法と言うか、憲法は神様か君主から授かったものということになってしまいます。 憲法制定権力者はあくまでも主権者である国民です。 その意味からも、憲法論議は常にオープンに行っていくべきだと思います。
生活の党機関紙 第39号(自由党) より抜粋
http://www.liberalparty.jp/special/organa
小沢一郎代表 巻頭提言
憲法の基本的な考え方について
国会の場で本質的な議論をすべき
近代憲法は、国民の権利と福利を増進させるための、国家と主権者との間で交わされる最高位の約束と言えます。 したがって、金科玉条のごとく憲法は何が何でも変えてはならないというものではありません 。
一方で、主権者の権利の保障、つまり権力を制限することを規範とする憲法の理念を骨抜きにするような 「改正」 も、近代憲法の精神に反すると思います。
「極端な護憲派」 と「極端な改憲派」
の議論は 不毛な対立を生む
今の憲法論争をみていると、条文を一字一句たりとも変えてはならないという「極端な護憲派」と、憲法の理念まで変えてしまおうとする「極端な改憲派」の対立という構図になっています。 日本人は物事をとかく極端に二分して考えがちですが、こうした考え方は憲法を議論するうえで不毛な対立を生むだけです。
時代が変われば、新たな人権の要請も生じます。 憲法における基本的人権についても、時代の変遷とともに対応していかなければならないのは当然のことです。 そうした現実を一切無視して、憲法は絶対に変えてはならないということになると、それはもう欽定憲法と言うか、憲法は神様か君主から授かったものということになってしまいます。 憲法制定権力者はあくまでも主権者である国民です。 その意味からも、憲法論議は常にオープンに行っていくべきだと思います。
議論をさせなければ改憲はできない
典型的戦後左翼のやり口ですね。
残念です。
まあそれはそうと、終戦から日本国憲法の公布まで時間がなかったこと、その後国内外の情勢が大きく変わったことは、議論をする理由にならないのですか?
残念です。
まあそれはそうと、終戦から日本国憲法の公布まで時間がなかったこと、その後国内外の情勢が大きく変わったことは、議論をする理由にならないのですか?
No title
憲法自体に改正に関する条文がありますからね。
一に選挙、二に選挙、三四はなくて、五に選挙。
いつも「国民主権が〜」と言ってますよね。
それとも憲法改正を阻止する自信が無いのですが?
一に選挙、二に選挙、三四はなくて、五に選挙。
いつも「国民主権が〜」と言ってますよね。
それとも憲法改正を阻止する自信が無いのですが?
No title
そうそう最近民進党は反自民票を狙ってか「憲法改正反対」の頭に「自民党の」を付けて争点ズラして反対してますよね。
なるほどバカではなかったんですね。
なるほどバカではなかったんですね。
質問です
イーグルとコヨーテさんは、自民党憲法改正草案についてどのような感想・ご意見をお持ちなのだろう。
教えていただけるとありがたい。
教えていただけるとありがたい。
昔から破綻している押し付け論
現行憲法が押し付けであると主張している人たちは、農地解放などのいわゆる戦後改革も押し付けであると主張しているようで、歴史の流れを見ようとしない復古主義的なイデオロギーを持っているようです。
復古主義といったところで、明治維新以降の近代化の流れの中の一時期だけに郷愁を持つというものに過ぎないとは思いますが。
戦後改革で確立された労働基本権なども、既に戦前昭和初期に頻発した数ある激しい労働争議の中において少しずつ勝ち取られつつあったもので、戦後にGHQから天降り的に与えられたものではありません。
それはともかくとしても、押し付け論がおかしいと思われるのは何故に戦後ずっと日本人自身が憲法を変えようとはしなかったのか、他ならぬ米国からの再軍備と憲法改正要求に対しても保守政権自身が再軍備は実行しても憲法改正には消極的であったのかということを無視しているからです。
日本人の多数は戦後漸く生活に落ち着きを取り戻し経済成長が始まるという状況の中で、別に憲法を変えなければならないとか思わなかったはずで、むしろ現憲法の平和主義や人権保障や民主主義を喜んで受け入れたと思われます。
そのことは、数年前にTV番組で放送されていた1972年田中角栄の首相就任当時のインタビューでの角栄自身の言葉「日本人は現在の憲法を血肉化している」(そう言う意味だったと思います)に表れていると思います。
角栄のような庶民の出にとっては日本国憲法が保障する戦後民主主義の体制は歓迎すべきものだったと思われます。
戦前の地主制度など半封建的な体制の恩恵にあやかっていて、戦後それを喪失した人たちにとっては日本国憲法に裏打ちされた戦後民主主義も戦後体制も戦後に占領軍が押し付けたものと映ったに違いないでしょうし怨蹉の対象だったでしょう。
そのような戦前に「オイシイ」暮らしをしていた人たちの抱いていた戦前体制への郷愁をイデオロギーとして受け継いでいるのが日本会議であり現在の少なくない数の自民党政治家なのだと思います。
復古主義といったところで、明治維新以降の近代化の流れの中の一時期だけに郷愁を持つというものに過ぎないとは思いますが。
戦後改革で確立された労働基本権なども、既に戦前昭和初期に頻発した数ある激しい労働争議の中において少しずつ勝ち取られつつあったもので、戦後にGHQから天降り的に与えられたものではありません。
それはともかくとしても、押し付け論がおかしいと思われるのは何故に戦後ずっと日本人自身が憲法を変えようとはしなかったのか、他ならぬ米国からの再軍備と憲法改正要求に対しても保守政権自身が再軍備は実行しても憲法改正には消極的であったのかということを無視しているからです。
日本人の多数は戦後漸く生活に落ち着きを取り戻し経済成長が始まるという状況の中で、別に憲法を変えなければならないとか思わなかったはずで、むしろ現憲法の平和主義や人権保障や民主主義を喜んで受け入れたと思われます。
そのことは、数年前にTV番組で放送されていた1972年田中角栄の首相就任当時のインタビューでの角栄自身の言葉「日本人は現在の憲法を血肉化している」(そう言う意味だったと思います)に表れていると思います。
角栄のような庶民の出にとっては日本国憲法が保障する戦後民主主義の体制は歓迎すべきものだったと思われます。
戦前の地主制度など半封建的な体制の恩恵にあやかっていて、戦後それを喪失した人たちにとっては日本国憲法に裏打ちされた戦後民主主義も戦後体制も戦後に占領軍が押し付けたものと映ったに違いないでしょうし怨蹉の対象だったでしょう。
そのような戦前に「オイシイ」暮らしをしていた人たちの抱いていた戦前体制への郷愁をイデオロギーとして受け継いでいるのが日本会議であり現在の少なくない数の自民党政治家なのだと思います。
No title
自民党も、改憲論者も、
押し付けられた憲法だから改正すべし!
と観点から主張するのは止した方がいいと思います。
押し付けられたから改憲するのではなく、
今の憲法の中味に問題があるから改憲すべし、
との主張に絞った方が良いです。こちらが本道です。
護憲派から余計な反論を喰らうだけで、損ですよ。
アメリカから押し付けられたから、というロジックでいけば、
日本各地にある米軍基地だって、押し付けられたも同然なんだから。
ン?なんだか、改憲派に肩入れするようなことを言ってしまったわ(^_^;)
押し付けられた憲法だから改正すべし!
と観点から主張するのは止した方がいいと思います。
押し付けられたから改憲するのではなく、
今の憲法の中味に問題があるから改憲すべし、
との主張に絞った方が良いです。こちらが本道です。
護憲派から余計な反論を喰らうだけで、損ですよ。
アメリカから押し付けられたから、というロジックでいけば、
日本各地にある米軍基地だって、押し付けられたも同然なんだから。
ン?なんだか、改憲派に肩入れするようなことを言ってしまったわ(^_^;)
No title
>イーグルとコヨーテさんは、自民党憲法改正草案についてどのような感想・ご意見をお持ちなのだろう。
↑
私ごときに関心を持って頂きありがとうございます。
まず先になごやん様のご意見を頂ければと存じます。
↑
私ごときに関心を持って頂きありがとうございます。
まず先になごやん様のご意見を頂ければと存じます。
No title
>現行憲法が押し付けであると主張している人たちは、農地解放などのいわゆる戦後改革も押し付けであると主張しているようで、農地解放などのいわゆる戦後改革も押し付けであると主張しているようで
↑
Wikiより
この農地改革は当事者によればナチス・ドイツの世襲農場法も範とした反共政策として意図されており、政府やGHQもその勢力拡大を警戒していた日本共産党の力を大幅に削ぐことになった。従来、賃金労働者と並んで共産党の主要な支持層であった水田および畑作地の小作人の大部分が自作農、つまり土地資本を私有財産として持つようになり、その多くが保守系政党に取り込まれたためである(当時の共産主義諸政党の政策方針では集団化(農地は自給用の田畑のみがコルホーズの協同組合経営として認められ、残りはソフホーズとして国有化され、農業従事者は国から土地を借りて耕作するという形)を目指していたため)。
この通りで目的は共産主義台頭の力を削ぐ目的で行われました。そしてその結果はご存知の通り、農家は自民党の大票田になりました。
それを左翼側が喜んでいたら本末転倒ですね。
>農地解放などのいわゆる戦後改革も押し付けであると主張しているようで
↑
今さら言っているのは誰でしょう?
解放前への復活を期待して言っているのでは無く、恐らくは国内農業の現状の憂いて言っているのではありませんか?
確かに現代に適応した生産・管理・販売が可能な大規模農業を潰したわけですから。
>歴史の流れを見ようとしない復古主義的なイデオロギーを持っているようです。
↑
ソ連及び東欧諸国の崩壊、中国の経済方針転換、北朝鮮の経済破綻、キューバの貧困..............
これこそ共産主義者に言って頂きたいお言葉ですね。
↑
Wikiより
この農地改革は当事者によればナチス・ドイツの世襲農場法も範とした反共政策として意図されており、政府やGHQもその勢力拡大を警戒していた日本共産党の力を大幅に削ぐことになった。従来、賃金労働者と並んで共産党の主要な支持層であった水田および畑作地の小作人の大部分が自作農、つまり土地資本を私有財産として持つようになり、その多くが保守系政党に取り込まれたためである(当時の共産主義諸政党の政策方針では集団化(農地は自給用の田畑のみがコルホーズの協同組合経営として認められ、残りはソフホーズとして国有化され、農業従事者は国から土地を借りて耕作するという形)を目指していたため)。
この通りで目的は共産主義台頭の力を削ぐ目的で行われました。そしてその結果はご存知の通り、農家は自民党の大票田になりました。
それを左翼側が喜んでいたら本末転倒ですね。
>農地解放などのいわゆる戦後改革も押し付けであると主張しているようで
↑
今さら言っているのは誰でしょう?
解放前への復活を期待して言っているのでは無く、恐らくは国内農業の現状の憂いて言っているのではありませんか?
確かに現代に適応した生産・管理・販売が可能な大規模農業を潰したわけですから。
>歴史の流れを見ようとしない復古主義的なイデオロギーを持っているようです。
↑
ソ連及び東欧諸国の崩壊、中国の経済方針転換、北朝鮮の経済破綻、キューバの貧困..............
これこそ共産主義者に言って頂きたいお言葉ですね。
No title
>議論をさせなければ改憲はできない
典型的戦後左翼のやり口ですね。
残念です。
↑
中国の南京事件、韓国の慰安婦など、かの国も議論自体を許さないようですからね。
根底は同じイデオロギーなのでしょう。
典型的戦後左翼のやり口ですね。
残念です。
↑
中国の南京事件、韓国の慰安婦など、かの国も議論自体を許さないようですからね。
根底は同じイデオロギーなのでしょう。
改憲反対派は
自衛隊をどう考えてるんでしょうね。
自衛隊は間違いなく戦力を持っています。
自衛隊は廃止ですか?
それとも9条の戦力に当たらないとの認識ですか?
自衛隊は間違いなく戦力を持っています。
自衛隊は廃止ですか?
それとも9条の戦力に当たらないとの認識ですか?
議論は必要ですよ。
護憲を標榜している方は何を怖がってるの?
決めるのは国民投票ですよ。
結局自信がないのでしょうね。
国民投票に持ち込まれるのがね。
決めるのは国民投票ですよ。
結局自信がないのでしょうね。
国民投票に持ち込まれるのがね。
着手済
>まず先になごやん様のご意見を頂ければと存じます。
わたしは11月6日の時点で自民党憲法改正草案についてコメント済です。
コメント題「自民党憲法改正草案を三度読んで」
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2445.html
どうぞ。
わたしは11月6日の時点で自民党憲法改正草案についてコメント済です。
コメント題「自民党憲法改正草案を三度読んで」
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2445.html
どうぞ。
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない
>自衛隊をどう考えてるんでしょうね。
自衛隊の存在は憲法上はあいまいな状態だと思います。
ですが、自衛隊はいま現在の日本の国防には必要な存在でしょう。
だから、「キチンと憲法を改正して自衛隊の存在を明確化すべき。今現にあるものを無いもののように扱っているのはおかしい!」とケイさんはお考えなのでしょう。
わたしも以前はそのように考えていました。
わたしはいまはこのように考えます。
だから、「自衛隊が存在しなくてすむように平和構築の仕組みづくり、国際交流などに力を入れるべきだ。国際的な貧困対策、民主化の推進が結局は世界全体を安全・安心なものに変えていく。」
現実にあわせて理想を変えるのではなく、理想に合わせて現実を変えていくことのほうが、わたしは意味があることだと思います。
自衛隊の存在は憲法上はあいまいな状態だと思います。
ですが、自衛隊はいま現在の日本の国防には必要な存在でしょう。
だから、「キチンと憲法を改正して自衛隊の存在を明確化すべき。今現にあるものを無いもののように扱っているのはおかしい!」とケイさんはお考えなのでしょう。
わたしも以前はそのように考えていました。
わたしはいまはこのように考えます。
だから、「自衛隊が存在しなくてすむように平和構築の仕組みづくり、国際交流などに力を入れるべきだ。国際的な貧困対策、民主化の推進が結局は世界全体を安全・安心なものに変えていく。」
現実にあわせて理想を変えるのではなく、理想に合わせて現実を変えていくことのほうが、わたしは意味があることだと思います。
憲法は理想を語るものではないでしょう。
今の状態はどうですか?
憲法設定時の吉田首相は、非武装であり本来あるべき自衛権も放棄したものとしています。
ですから共産党は反対しました。
かつて社会党は非現実的な非武装論を主張し
自衛隊に反対してきました。
今は防衛のための戦力は9条の2項の戦力にあたらないとの解釈です。
これって自民党が自衛隊設立以来の解釈と同じです。
昨年安保法案が成立しましたがこれも解釈を変えたものです。
大体個別的自衛権が合憲で集団的自衛権が違憲だと理論的に説明できますか?
野党の批判は政府が解釈を変えたとの批判が大半です。
結局一度解釈改憲を認めるとなんでもありなんですよ。
(自衛隊はいま現在の日本の国防には必要な存在でしょう。 )
(現実にあわせて理想を変えるのではなく、理想に合わせて現実を変えていくことのほうが、わたしは意味があることだと思います。 )
これって憲法違反を承知しているが自衛隊は必要って事ですね。矛盾していませんか?
憲法は時の権力者を縛るものでなければならないと考えています。
現状はなんでもありですよ。
憲法設定時の吉田首相は、非武装であり本来あるべき自衛権も放棄したものとしています。
ですから共産党は反対しました。
かつて社会党は非現実的な非武装論を主張し
自衛隊に反対してきました。
今は防衛のための戦力は9条の2項の戦力にあたらないとの解釈です。
これって自民党が自衛隊設立以来の解釈と同じです。
昨年安保法案が成立しましたがこれも解釈を変えたものです。
大体個別的自衛権が合憲で集団的自衛権が違憲だと理論的に説明できますか?
野党の批判は政府が解釈を変えたとの批判が大半です。
結局一度解釈改憲を認めるとなんでもありなんですよ。
(自衛隊はいま現在の日本の国防には必要な存在でしょう。 )
(現実にあわせて理想を変えるのではなく、理想に合わせて現実を変えていくことのほうが、わたしは意味があることだと思います。 )
これって憲法違反を承知しているが自衛隊は必要って事ですね。矛盾していませんか?
憲法は時の権力者を縛るものでなければならないと考えています。
現状はなんでもありですよ。
No title
>わたしはいまはこのように考えます。
だから、「自衛隊が存在しなくてすむように平和構築の仕組みづくり、国際交流などに力を入れるべきだ。国際的な貧困対策、民主化の推進が結局は世界全体を安全・安心なものに変えていく。」
↑
私は海外在住経験がありますし、旅行での渡航先は20カ国以上あります。
そこで質問ですがどのような国際交流でしょうか?現状における国際交流は何が不足しているのでしょうか?
また貧困対策ですがそれは国際的規模での所得の再分配、平準化を目的にしたものでしょうか?現状では不十分という意味ですね。
もしそうだと仮定すると低成長に陥っている我が国とはいえ、まだまだ国際的には裕福な国だと思います。それが再分配や平準化により現在の国民の所得、生活レベルは当然下落することになりますから国民の理解を得ることは不可能と思います。
当然のこととして石油や鉱石などの天然資源産出国はその独占を否定されることとになりかねませんよね。そして行き着く先は国際的な共産主義でしょうか?
>わたしも以前はそのように考えていました。
再びそう考え直すことを期待いたします。
だから、「自衛隊が存在しなくてすむように平和構築の仕組みづくり、国際交流などに力を入れるべきだ。国際的な貧困対策、民主化の推進が結局は世界全体を安全・安心なものに変えていく。」
↑
私は海外在住経験がありますし、旅行での渡航先は20カ国以上あります。
そこで質問ですがどのような国際交流でしょうか?現状における国際交流は何が不足しているのでしょうか?
また貧困対策ですがそれは国際的規模での所得の再分配、平準化を目的にしたものでしょうか?現状では不十分という意味ですね。
もしそうだと仮定すると低成長に陥っている我が国とはいえ、まだまだ国際的には裕福な国だと思います。それが再分配や平準化により現在の国民の所得、生活レベルは当然下落することになりますから国民の理解を得ることは不可能と思います。
当然のこととして石油や鉱石などの天然資源産出国はその独占を否定されることとになりかねませんよね。そして行き着く先は国際的な共産主義でしょうか?
>わたしも以前はそのように考えていました。
再びそう考え直すことを期待いたします。
No title
>押し付けられた憲法だから改正すべし!
私もこれ変だなあと思っています。
でも、大衆を納得させる理由が必要な、
改憲したくてしたくてたまらない人たちにとっては
よい取っ掛かりなのでしょう。
「急いで取り換えないと使えなくなりますよ」
「今ならお得ですよ」
なんていう悪質な訪問販売みたいです。
私もこれ変だなあと思っています。
でも、大衆を納得させる理由が必要な、
改憲したくてしたくてたまらない人たちにとっては
よい取っ掛かりなのでしょう。
「急いで取り換えないと使えなくなりますよ」
「今ならお得ですよ」
なんていう悪質な訪問販売みたいです。
少なくとも戦後諸改革は「押し付け」では無いようです
>イーグルとコヨーテさん
>それを左翼側が喜んでいたら本末転倒ですね
?
50%程度もの高率な小作料をピンハネされるような半封建的ともいえる搾取制度が廃止されのですから、社会的公正の実現と人民の権利擁護という大「本」から言えば誠に喜ぶべきことですね。
戦前からの労働運動によって労働者の権利が守られ拡大されるようになることが喜ばしいことと同じことです。
農村が保守政党の地盤になったとか共産党の影響力が排除されたとかいうことは、どうでもいい「末」端の話でしかありません。
農地改革の目的の一つが「反共」であるとしたならば、戦前からの農民運動の成果とも言えます。
>今更言っているのは誰でしょうか?
小林よしのりも何の漫画かは忘れましたが、農地改革に否定的なことを言っていたと思います。
また、以前ネット上で戦後のGHQによる占領が過酷なものであったと主張する「保守」を名乗る方と議論したことがありますが、私が農地改革について先のWIKIの記述の内容に沿ってことを説明し保守勢力にとっても利益があったことであり決してGHQによる強制ではない、つまり「押し付け」などではないと言ったのですがなかなか納得頂けなかったことがあります。
日本国憲法の精神を裏打ちとして戦後の諸改革によって形作られた戦後民主主義体制はGHQによる「押し付け」と強制によるものだとの思い込みをしている人は確かにいるのだと思います。
そして、そのような思い込みは戦前の大日本帝国憲法下の時代に郷愁を抱くことと重なると思いますね。
≫歴史の流れを見ようとしない復古主義的なイデオロギーをもっているようです
>ソ連及び東欧諸国の崩壊、中国の経済方針転換、北朝鮮の
経済破綻、キューバの貧困、、、
>これぞ共産主義者に言って頂きたいお言葉ですね
今時それらの国々のかっての経済体制をモデルにしているような共産主義者は限り無く絶滅種に近いと思いますしリアルへの影響力はありませんから、やはり戦前体制に郷愁を抱くような自民党政治家や「保守」を名乗るような方々に言うべきことだと思われます。
>それを左翼側が喜んでいたら本末転倒ですね
?
50%程度もの高率な小作料をピンハネされるような半封建的ともいえる搾取制度が廃止されのですから、社会的公正の実現と人民の権利擁護という大「本」から言えば誠に喜ぶべきことですね。
戦前からの労働運動によって労働者の権利が守られ拡大されるようになることが喜ばしいことと同じことです。
農村が保守政党の地盤になったとか共産党の影響力が排除されたとかいうことは、どうでもいい「末」端の話でしかありません。
農地改革の目的の一つが「反共」であるとしたならば、戦前からの農民運動の成果とも言えます。
>今更言っているのは誰でしょうか?
小林よしのりも何の漫画かは忘れましたが、農地改革に否定的なことを言っていたと思います。
また、以前ネット上で戦後のGHQによる占領が過酷なものであったと主張する「保守」を名乗る方と議論したことがありますが、私が農地改革について先のWIKIの記述の内容に沿ってことを説明し保守勢力にとっても利益があったことであり決してGHQによる強制ではない、つまり「押し付け」などではないと言ったのですがなかなか納得頂けなかったことがあります。
日本国憲法の精神を裏打ちとして戦後の諸改革によって形作られた戦後民主主義体制はGHQによる「押し付け」と強制によるものだとの思い込みをしている人は確かにいるのだと思います。
そして、そのような思い込みは戦前の大日本帝国憲法下の時代に郷愁を抱くことと重なると思いますね。
≫歴史の流れを見ようとしない復古主義的なイデオロギーをもっているようです
>ソ連及び東欧諸国の崩壊、中国の経済方針転換、北朝鮮の
経済破綻、キューバの貧困、、、
>これぞ共産主義者に言って頂きたいお言葉ですね
今時それらの国々のかっての経済体制をモデルにしているような共産主義者は限り無く絶滅種に近いと思いますしリアルへの影響力はありませんから、やはり戦前体制に郷愁を抱くような自民党政治家や「保守」を名乗るような方々に言うべきことだと思われます。
自民党の今更な話
>自衛隊をここまで肥大化させておきながら、「位置付けが明確でない」という主張は鉄面皮にもほどがあります
今更何だということですね。
防衛費の増額も米軍駐留経費増額も憲法に関わる問題ではありませんし、核保有の問題もそう。
まあ、集団的自衛権は憲法問題と言えそうですが集団的自衛権は合憲だとして新安保法制を成立させたのだから、今更憲法問題だとは言えないはずです。
まして、自衛隊の位置付けが~なんて耳を疑うような話ですね。
自民党にとっては人権擁護や権利保障の制限が本丸なのだと思いますが、そこへ行き着くための突破口をどこかで何とか
こじ開けたいということでしょうね。
相手の前線の最も弱い所を探し出して、そこを突破口にするというのは陸戦に限らず常道のようです。
今更何だということですね。
防衛費の増額も米軍駐留経費増額も憲法に関わる問題ではありませんし、核保有の問題もそう。
まあ、集団的自衛権は憲法問題と言えそうですが集団的自衛権は合憲だとして新安保法制を成立させたのだから、今更憲法問題だとは言えないはずです。
まして、自衛隊の位置付けが~なんて耳を疑うような話ですね。
自民党にとっては人権擁護や権利保障の制限が本丸なのだと思いますが、そこへ行き着くための突破口をどこかで何とか
こじ開けたいということでしょうね。
相手の前線の最も弱い所を探し出して、そこを突破口にするというのは陸戦に限らず常道のようです。
ケイさんへ
>憲法は理想を語るものではないでしょう。
現行憲法の前文は理想を語っているように思うがダメなのでしょうか?
>これって憲法違反を承知しているが自衛隊は必要って事ですね。矛盾していませんか?
矛盾していることを「憲法上はあいまいな状態」にしているのだと思います。
>結局一度解釈改憲を認めるとなんでもありなんですよ。
>憲法は時の権力者を縛るものでなければならないと考えています。
>現状はなんでもありですよ。
「なんでもあり」を推し進めているのが権力者の安倍自民党なのでしょう。
ケイさんは「現行憲法には問題があるので改憲すべき」と主張されていると理解します。
具体的にいま現行憲法のオルタナティブとして俎上にのっているのは自民党憲法改正草案しかありません。
ケイさんは、自民党憲法改正草案についてどのような感想・ご意見をお持ちなのでしょうか。
現行憲法の前文は理想を語っているように思うがダメなのでしょうか?
>これって憲法違反を承知しているが自衛隊は必要って事ですね。矛盾していませんか?
矛盾していることを「憲法上はあいまいな状態」にしているのだと思います。
>結局一度解釈改憲を認めるとなんでもありなんですよ。
>憲法は時の権力者を縛るものでなければならないと考えています。
>現状はなんでもありですよ。
「なんでもあり」を推し進めているのが権力者の安倍自民党なのでしょう。
ケイさんは「現行憲法には問題があるので改憲すべき」と主張されていると理解します。
具体的にいま現行憲法のオルタナティブとして俎上にのっているのは自民党憲法改正草案しかありません。
ケイさんは、自民党憲法改正草案についてどのような感想・ご意見をお持ちなのでしょうか。
「国際交流」「貧困対策」と平和の関係について
まず先にイーグルとコヨーテ様のご意見を頂ければと存じます。
私同様にすでにコメント済なのでしょうか?
それなら、私同様にそのコメント先を掲示していただくとありがたい。
私同様にすでにコメント済なのでしょうか?
それなら、私同様にそのコメント先を掲示していただくとありがたい。
No title
なごやん様
私個人は国際交流は国家間が行う外交を補完する各国民間の交流のことと思っております。そしてそれはあくまで国民が私的自治に基づいてやることですから基本的に自由なものと考えます。ですから特定の国の国民とは交流しない自由もあります。
貧困対策には立法の問題であり、私は興味がありませんが前述の通り私自身の税負担を更に超えて身を削ってまで行い平準化を図ることには反対です。もちろんそれが立法化されれば法治国家の一国民として従うことは言うまでもありません。
私個人は国際交流は国家間が行う外交を補完する各国民間の交流のことと思っております。そしてそれはあくまで国民が私的自治に基づいてやることですから基本的に自由なものと考えます。ですから特定の国の国民とは交流しない自由もあります。
貧困対策には立法の問題であり、私は興味がありませんが前述の通り私自身の税負担を更に超えて身を削ってまで行い平準化を図ることには反対です。もちろんそれが立法化されれば法治国家の一国民として従うことは言うまでもありません。
No title
ネトウヨさんが望む安倍自民独裁国家になったら、ますます国民の自由は脅かされますな~。
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すでに「安倍自民独裁国家」になっていると言ってませんでしたか?
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すでに「安倍自民独裁国家」になっていると言ってませんでしたか?
平和とは永遠の闘争である
これは「軍隊のない国」として有名なコスタリカの大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールの言葉です。
その意味は「平和」とは単に「戦争のない状態」を指すのではなく、貧困・差別・抑圧などのない社会を実現してこそ「平和」と言える、そのため「永遠の闘争」を我々は戦っていかなければならないということです。
私が考える「平和」も同じです。
そのため「国際交流」や「貧困対策」は、「平和」を築き上げるためにぜひとも必要なことになります。軍隊だけで平和を維持しえないことはイーグルとコヨーテさんもご理解いただけることでしょう。
>私自身の税負担を更に超えて身を削ってまで行い平準化を図ることには反対です。
キリスト教にはドミネーションの文化があります。
但し、これは自分が生活に困っても献金するようなことは強要していません。
なお、わたしは共産主義は大嫌いです。
その意味は「平和」とは単に「戦争のない状態」を指すのではなく、貧困・差別・抑圧などのない社会を実現してこそ「平和」と言える、そのため「永遠の闘争」を我々は戦っていかなければならないということです。
私が考える「平和」も同じです。
そのため「国際交流」や「貧困対策」は、「平和」を築き上げるためにぜひとも必要なことになります。軍隊だけで平和を維持しえないことはイーグルとコヨーテさんもご理解いただけることでしょう。
>私自身の税負担を更に超えて身を削ってまで行い平準化を図ることには反対です。
キリスト教にはドミネーションの文化があります。
但し、これは自分が生活に困っても献金するようなことは強要していません。
なお、わたしは共産主義は大嫌いです。
No title
>そのため「国際交流」や「貧困対策」は、「平和」を築き上げるためにぜひとも必要なことになります。
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「平等」ではなく「平和」ならわかります。
さて、その実現手段としての「国際交流」、「貧困対策」はいかなるものでしょうか?
そして歴史上の指導者のほとんどが実現できなかった理由は如何に?
かのマザー・テレサや高僧でさえ立派ではあったが見方を変えればあだ花とも言えなくは無いでしょう。
よって私たちは実現可能性が残された国家という権利に頼らざるを得ないのです。
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「平等」ではなく「平和」ならわかります。
さて、その実現手段としての「国際交流」、「貧困対策」はいかなるものでしょうか?
そして歴史上の指導者のほとんどが実現できなかった理由は如何に?
かのマザー・テレサや高僧でさえ立派ではあったが見方を変えればあだ花とも言えなくは無いでしょう。
よって私たちは実現可能性が残された国家という権利に頼らざるを得ないのです。
No title
>農村が保守政党の地盤になったとか共産党の影響力が排除されたとかいうことは、どうでもいい「末」端の話でしかありません。
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どうでもいいかはその立場で考えれば良いことです。
農家側も農地を安価で取得したら目的達成だったのかもしれませんね。
農協ともども国家の庇護の下でぬるま湯生活を謳歌してきたわけですから。
とは言え今後も日本の農政を決めるのは自民党政治です。
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どうでもいいかはその立場で考えれば良いことです。
農家側も農地を安価で取得したら目的達成だったのかもしれませんね。
農協ともども国家の庇護の下でぬるま湯生活を謳歌してきたわけですから。
とは言え今後も日本の農政を決めるのは自民党政治です。
なごやんさん
(現行憲法の前文は理想を語っているように思うがダメなのでしょうか? )
前文、総論で理想を語る事は特に問題はないでしょう。
しかし各条文で理想論を語るのは違います。
(矛盾していることを「憲法上はあいまいな状態」にしているのだと思います。)
曖昧な状態にしているから多数党が解釈改憲できるんですよ。 昭和の時代は自民党以外は自衛隊は、違憲、または違憲状態ですよ。
今見てください。共産党以外は合憲です。
曖昧にしておくからこんな状態が続くんです。
(自民党憲法改正草案)
これは自民党のメーカー希望価格ようなものでしょう。話しになりませんね。
国民投票で通るわけありません。
自民党だってわかっていますよ。
各政党が案を出して議論すればいいだけです。
貴方は反共だそうですが、この自衛隊の問題になると左派の方は反論してきませんね。
結局反対だけで反論できないようです。
憲法を一字一句変えるなどは解釈改憲を認めるようなものです。
前文、総論で理想を語る事は特に問題はないでしょう。
しかし各条文で理想論を語るのは違います。
(矛盾していることを「憲法上はあいまいな状態」にしているのだと思います。)
曖昧な状態にしているから多数党が解釈改憲できるんですよ。 昭和の時代は自民党以外は自衛隊は、違憲、または違憲状態ですよ。
今見てください。共産党以外は合憲です。
曖昧にしておくからこんな状態が続くんです。
(自民党憲法改正草案)
これは自民党のメーカー希望価格ようなものでしょう。話しになりませんね。
国民投票で通るわけありません。
自民党だってわかっていますよ。
各政党が案を出して議論すればいいだけです。
貴方は反共だそうですが、この自衛隊の問題になると左派の方は反論してきませんね。
結局反対だけで反論できないようです。
憲法を一字一句変えるなどは解釈改憲を認めるようなものです。
キリストの体として
>「平等」ではなく「平和」ならわかります。
ご理解いただけたようで幸いです。
>さて、その実現手段としての「国際交流」、「貧困対策」はいかなるものでしょうか?
我々ひとりびとりにできることには限りがあります。
イーグルとコヨーテさんは海外在住経験があり、たくさんの外国にも訪問されたとのことですが、わたし個人はそこまでの体験はありません。
しかし、わたしは「霊の兄弟姉妹」を通して、海を隔てた人々との交流・助け合いがあります。
教育伝道・医療伝道といった形で海外に赴く日本人キリスト者はたくさんおります。
いまだに部族の因習にとらわれ「恐れの文化」の只中に佇むアフリカの人や、貧困ゆえに組織犯罪に手を染めざるを得ないフィリピンの人たちには、「国際交流」「貧困対策」が必要であり、このような働きが地域の安定化、平和の構築につながっていくものと考えています。
>よって私たちは実現可能性が残された国家という権利に頼らざるを得ないのです。
イーグルとコヨーテさんなら「新しい中世」という概念をご存知でしょう。
「国家」は近代以降重要なファクターを占めていますが、21世紀「新しい中世」を迎えた現在、多国籍企業、宗教団体、NGOなどの非国家主体の比重が増大しています。
TPPが国家ではなく多国籍企業のためのものであるとの指摘は猪野先生もされていますよね。
戦争も低列度非対称戦、いわゆるテロ戦争が現実の脅威となっています。
近代の総力戦のみを戦争と考えているなら、それは「古い」といわざるを得ません。
テロ戦争は近代兵器の過多が勝敗を決するわけではありません。
「国際交流」「貧困対策」といった軍事に頼らない安全保障のありかたが根本的な解決への道筋になるのです。
ご理解いただけたようで幸いです。
>さて、その実現手段としての「国際交流」、「貧困対策」はいかなるものでしょうか?
我々ひとりびとりにできることには限りがあります。
イーグルとコヨーテさんは海外在住経験があり、たくさんの外国にも訪問されたとのことですが、わたし個人はそこまでの体験はありません。
しかし、わたしは「霊の兄弟姉妹」を通して、海を隔てた人々との交流・助け合いがあります。
教育伝道・医療伝道といった形で海外に赴く日本人キリスト者はたくさんおります。
いまだに部族の因習にとらわれ「恐れの文化」の只中に佇むアフリカの人や、貧困ゆえに組織犯罪に手を染めざるを得ないフィリピンの人たちには、「国際交流」「貧困対策」が必要であり、このような働きが地域の安定化、平和の構築につながっていくものと考えています。
>よって私たちは実現可能性が残された国家という権利に頼らざるを得ないのです。
イーグルとコヨーテさんなら「新しい中世」という概念をご存知でしょう。
「国家」は近代以降重要なファクターを占めていますが、21世紀「新しい中世」を迎えた現在、多国籍企業、宗教団体、NGOなどの非国家主体の比重が増大しています。
TPPが国家ではなく多国籍企業のためのものであるとの指摘は猪野先生もされていますよね。
戦争も低列度非対称戦、いわゆるテロ戦争が現実の脅威となっています。
近代の総力戦のみを戦争と考えているなら、それは「古い」といわざるを得ません。
テロ戦争は近代兵器の過多が勝敗を決するわけではありません。
「国際交流」「貧困対策」といった軍事に頼らない安全保障のありかたが根本的な解決への道筋になるのです。
タワケ!こんなん喰えるか!
>話しになりませんね。
この一言で十分。
まともオルナティブさえないのに改憲ウンヌンもないでしょう。
「日本には憲法9条というドラエモンがいるから大丈夫!」という「憲法真理教」の裏返しで、改憲派のみなさんには「憲法さえ変えればバラ色の未来が待っている!」という極論に走りやすい傾向があります。
どのような憲法であれ解釈はつきまといます。
重要なのは自由と権利を保持する「国民の不断の努力」なのです。
わたしに「なごやん!クリスチャンなんかやめろよ!」と言われたら、「イヤです」と即答します。
しかし「なごやん!改憲派に戻れよ!」と言われたら、「なんかおいしいものおごってくれるのか?」と聞きます。
そのとき出てきたのが残飯の寄せ集めの腐ったようなものでは「タワケ!こんなん喰えるか!」と怒り出すのは当たり前でしょう。
この一言で十分。
まともオルナティブさえないのに改憲ウンヌンもないでしょう。
「日本には憲法9条というドラエモンがいるから大丈夫!」という「憲法真理教」の裏返しで、改憲派のみなさんには「憲法さえ変えればバラ色の未来が待っている!」という極論に走りやすい傾向があります。
どのような憲法であれ解釈はつきまといます。
重要なのは自由と権利を保持する「国民の不断の努力」なのです。
わたしに「なごやん!クリスチャンなんかやめろよ!」と言われたら、「イヤです」と即答します。
しかし「なごやん!改憲派に戻れよ!」と言われたら、「なんかおいしいものおごってくれるのか?」と聞きます。
そのとき出てきたのが残飯の寄せ集めの腐ったようなものでは「タワケ!こんなん喰えるか!」と怒り出すのは当たり前でしょう。
感想戦
この記事についての私のコメントはこれを最後とします。
今回の記事で私がイーグルとコヨーテさんとケイさんに質問を投げかけた真意はお二人と「同じ将棋がさせるのか?」を確認したかったからです。
どんなに頭のよい人が相手であっても「林羅山」ではとりつく島がありません。
イーグルとコヨーテさんには自民党憲法改正草案の感想・ご意見を伺いたかったのですが、答える答えないは本人の自由です。
最低限どのあたりまで共通認識できるのか、どこから違いが生まれるのかのあたりをつけて今後に臨みたいというのがわたしの思いでした。
イーグルとコヨーテさん、ケイさん、ありがとうございました。
今回の記事で私がイーグルとコヨーテさんとケイさんに質問を投げかけた真意はお二人と「同じ将棋がさせるのか?」を確認したかったからです。
どんなに頭のよい人が相手であっても「林羅山」ではとりつく島がありません。
イーグルとコヨーテさんには自民党憲法改正草案の感想・ご意見を伺いたかったのですが、答える答えないは本人の自由です。
最低限どのあたりまで共通認識できるのか、どこから違いが生まれるのかのあたりをつけて今後に臨みたいというのがわたしの思いでした。
イーグルとコヨーテさん、ケイさん、ありがとうございました。
解釈改憲
ケイ氏は「曖昧な状態にしているから多数党が解釈改憲できる」と書いてるが
憲法第81条
「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とあるので
「解釈改憲されている」とケイ氏が解釈するのは勝手だが
実際に解釈改憲されているのかどうなのかを判断する権限はケイ氏にはない
ある意味、ケイ氏は今の憲法を解釈改憲している
で
最高裁が法律を作る訳ではないので
立法機関である国会で、内閣や議員が憲法を解釈して法律を作ることになるので解釈することは悪いことではない
その法律に問題があるなら最高裁に判断してもらうが
違憲が合憲かの判断を、最高裁がしないということであれば
それは最高裁の問題である
ただ憲法第79条にて最高裁の裁判官を国民審査で罷免できるので
国民の問題ともいえる
憲法第81条
「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」とあるので
「解釈改憲されている」とケイ氏が解釈するのは勝手だが
実際に解釈改憲されているのかどうなのかを判断する権限はケイ氏にはない
ある意味、ケイ氏は今の憲法を解釈改憲している
で
最高裁が法律を作る訳ではないので
立法機関である国会で、内閣や議員が憲法を解釈して法律を作ることになるので解釈することは悪いことではない
その法律に問題があるなら最高裁に判断してもらうが
違憲が合憲かの判断を、最高裁がしないということであれば
それは最高裁の問題である
ただ憲法第79条にて最高裁の裁判官を国民審査で罷免できるので
国民の問題ともいえる
理想論かも知れないが現実への重しになっている
日本国憲法で謳っているところの平和主義や民主主義や人権保障などは確かに理想論かも知れませんが、しかし現実への重しになっている非常に大切なものだと思います。
例えば平和主義について言えば、軍事的な手段によらずに極力平和的な方法で解決しましょうという努力目標。
もちろん、努力目標なので実際には戦争が起こってしまう可能性はあるので、それに備えることまでも否定はされませんし、そもそも「戸締まり」をして悪い訳がありません。
しかし、軍事的手段によるものごとの解決は余りにも弊害が多いことは周知のことですし、平和主義というものは理想論というよりは人類の歴史の経験を踏まえた極めて現実的な考え方だと思います。
戦争が、どれだけ凄惨なものでありまた愚かしいものであるのかは、実際に戦争を体験した人にしか分からないものでしょう。
しかし、歴史を顧みればWw1のあとに不戦の誓いが為されWw2後に戦争が禁止されたのかの理由がおぼろげながらにでも理解出来ます。
日本国憲法の平和主義は何も特異な理想論に過ぎないものではないと思います。
また憲法が人権保障という理想を語っているからこそ、見近なところでの労働現場における権利侵害とかに抗議出来る根拠を持つことが出来ると思うわけです。
憲法が理想を指し示す事によって現実世界に重大な影響を与えているとは言えないでしょうか。
そうだからこそ、憲法を変えようということについては余程慎重に検討されるべきことだと思うのです。
例えば平和主義について言えば、軍事的な手段によらずに極力平和的な方法で解決しましょうという努力目標。
もちろん、努力目標なので実際には戦争が起こってしまう可能性はあるので、それに備えることまでも否定はされませんし、そもそも「戸締まり」をして悪い訳がありません。
しかし、軍事的手段によるものごとの解決は余りにも弊害が多いことは周知のことですし、平和主義というものは理想論というよりは人類の歴史の経験を踏まえた極めて現実的な考え方だと思います。
戦争が、どれだけ凄惨なものでありまた愚かしいものであるのかは、実際に戦争を体験した人にしか分からないものでしょう。
しかし、歴史を顧みればWw1のあとに不戦の誓いが為されWw2後に戦争が禁止されたのかの理由がおぼろげながらにでも理解出来ます。
日本国憲法の平和主義は何も特異な理想論に過ぎないものではないと思います。
また憲法が人権保障という理想を語っているからこそ、見近なところでの労働現場における権利侵害とかに抗議出来る根拠を持つことが出来ると思うわけです。
憲法が理想を指し示す事によって現実世界に重大な影響を与えているとは言えないでしょうか。
そうだからこそ、憲法を変えようということについては余程慎重に検討されるべきことだと思うのです。
どれだけいたんですか?
洲蛇亜林さん
>戦前の地主制度など半封建的な体制の恩恵にあやかっていて、戦後それを喪失した人たち
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1297582082
戦前、既に純然たる小作農は30%程度で、半小作・半自作が40%、自作農が30%でした。
問題は、「地主制度など半封建的な体制」ではなく、一人当たりの耕地面積が狭過ぎて、営農がはなはだ非効率だった点にあります。地主を追放あるいは虐殺して土地を農民に分配しても、農民が豊かにならないことは、ソ連や中国、北朝鮮の歴史で証明済みです。
加えて、大日本帝国憲法においては、既に職業の世襲が否定されており、小作農が嫌なら街に出て商店や工場に勤めるなり、軍隊に志願するなり(農家や漁師の息子にとっては、最も手早い就職先が軍隊でした。)、幾らでもほかに仕事がありました。そして、戦時中に食料生産の統制の一環として農作物を強制的に国が公定価格で買い取る制度が出来ていたため、地主の立場は旨味が無くなり、土地への執着も薄れました。戦後の農地改革が円滑に進んだのも、ここに理由がありました。
つまり、日本国憲法制定以前の段階で、既に日本の地主制は崩壊の末期段階にあったので、戦後民主主義体制に怨嗟を抱くも何もありませんし、地主が自分の土地を失ったことを理由として自民党に憲法改正=帝国憲法復活を委ねる理由もないのです。
>戦前の地主制度など半封建的な体制の恩恵にあやかっていて、戦後それを喪失した人たち
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1297582082
戦前、既に純然たる小作農は30%程度で、半小作・半自作が40%、自作農が30%でした。
問題は、「地主制度など半封建的な体制」ではなく、一人当たりの耕地面積が狭過ぎて、営農がはなはだ非効率だった点にあります。地主を追放あるいは虐殺して土地を農民に分配しても、農民が豊かにならないことは、ソ連や中国、北朝鮮の歴史で証明済みです。
加えて、大日本帝国憲法においては、既に職業の世襲が否定されており、小作農が嫌なら街に出て商店や工場に勤めるなり、軍隊に志願するなり(農家や漁師の息子にとっては、最も手早い就職先が軍隊でした。)、幾らでもほかに仕事がありました。そして、戦時中に食料生産の統制の一環として農作物を強制的に国が公定価格で買い取る制度が出来ていたため、地主の立場は旨味が無くなり、土地への執着も薄れました。戦後の農地改革が円滑に進んだのも、ここに理由がありました。
つまり、日本国憲法制定以前の段階で、既に日本の地主制は崩壊の末期段階にあったので、戦後民主主義体制に怨嗟を抱くも何もありませんし、地主が自分の土地を失ったことを理由として自民党に憲法改正=帝国憲法復活を委ねる理由もないのです。
小作農の次男の悲劇
宇宙戦士さん、
あなたは、「大日本帝国憲法においては、既に職業の世襲が否定されており、小作農が嫌なら街に出て商店や工場に勤めるなり、軍隊に志願するなり(農家や漁師の息子にとっては、最も手早い就職先が軍隊でした。)、幾らでもほかに仕事がありました。」と書いていますが、これは事実と違います。
戦前のハワイへの移民について、「なぜそれほど 多くの日本人がわざわざ海を渡って移住したのだろうか。それには、経済的な理由が大きくかかわっている。渡航した者の多くは貧しい小作農の次男以下の男子であり、生活の糧を得るすべが限られていた」(宮本要太郎「ハワイにおける日系宗教」)という証言を見てください。他にも「当時、日本の農民は貧困にあえいでいた。特に土地を持たない小作人や、自作農でも分家できない次男、三男は、(世界恐慌の後の不況や凶作の中で)将来の見通しが立たないでいた。」(満蒙開拓青少年義勇団と内原町」)という証言もあります。小作の次男、三男にはあなたが書いているような自由も多くの選択肢もなかったのです。
私は農家の生まれで(次男)、私の1世代前の人たちがどんなに苦労したかを聞いています。それに大日本国憲法が世襲制を否定したからというだけで、小作の次男、三男に「幾らでもほかに仕事」ができたというのは短絡的ですよ。(少なくともそう読めます。)
深沢七郎、「東北の神武たち」で描かれた「ずんむ」―かつての東北は貧しく、そこに生まれた次男、三男達は「やっこ」と呼ばれ、長男と区別する為にボロを着せられ、ヒゲも伸び放題で、一生、土地も嫁ももらえない存在であった。彼らやっこのあまりにみじめなその姿が、どこか遠い昔の神武天皇に似ているというので、土地では「神武(ズンム)」と呼ばれていた。
あなたは、「大日本帝国憲法においては、既に職業の世襲が否定されており、小作農が嫌なら街に出て商店や工場に勤めるなり、軍隊に志願するなり(農家や漁師の息子にとっては、最も手早い就職先が軍隊でした。)、幾らでもほかに仕事がありました。」と書いていますが、これは事実と違います。
戦前のハワイへの移民について、「なぜそれほど 多くの日本人がわざわざ海を渡って移住したのだろうか。それには、経済的な理由が大きくかかわっている。渡航した者の多くは貧しい小作農の次男以下の男子であり、生活の糧を得るすべが限られていた」(宮本要太郎「ハワイにおける日系宗教」)という証言を見てください。他にも「当時、日本の農民は貧困にあえいでいた。特に土地を持たない小作人や、自作農でも分家できない次男、三男は、(世界恐慌の後の不況や凶作の中で)将来の見通しが立たないでいた。」(満蒙開拓青少年義勇団と内原町」)という証言もあります。小作の次男、三男にはあなたが書いているような自由も多くの選択肢もなかったのです。
私は農家の生まれで(次男)、私の1世代前の人たちがどんなに苦労したかを聞いています。それに大日本国憲法が世襲制を否定したからというだけで、小作の次男、三男に「幾らでもほかに仕事」ができたというのは短絡的ですよ。(少なくともそう読めます。)
深沢七郎、「東北の神武たち」で描かれた「ずんむ」―かつての東北は貧しく、そこに生まれた次男、三男達は「やっこ」と呼ばれ、長男と区別する為にボロを着せられ、ヒゲも伸び放題で、一生、土地も嫁ももらえない存在であった。彼らやっこのあまりにみじめなその姿が、どこか遠い昔の神武天皇に似ているというので、土地では「神武(ズンム)」と呼ばれていた。
農地改革は戦前戦中から開始されている
>宇宙戦士バルディオスさん
つまり、あなたは農地改革に対して否定的な評価をされるわけですかね?
しかし、農地改革は既に戦前特に戦中から開始されていたものです。
戦中の農作物買い上げも、その一環としてあるのです。
農地改革は当時の革新官僚が発案したものですが軍部の支持をも得ています。
軍部が支持したのは近代戦争推進のための農村の近代化というのが直接の理由ですが、同時に当時の軍人の多くが農村の中下層の出身であり農民の貧困状態を良く知っていたからだと思います。
このあたりは、226事件のキッカケの一つが農村地帯の疲弊であったということとも関係していることだと思います。
このように、地主制度が旧弊な半封建的なものであり近代国家にはそぐわないものになっているということは当時からかなり広く認識されていたことだと思います。
戦後の農地改革は、戦中からの農地改革のアクセルを踏んでゴールを早めたものと言えるでしょう。
いずれにせよ、戦後農地改革が占領軍による押し付けでないことはもちろんのこと農地改革が否定されるべきものでないことは明らかだと思います。
あれほど戦前においては頻発していた農民争議と農民運動が消え去ったことを見ても、当時の農地改革が農民の支持を得たものであり少なくとも反対されることはなかったということです。
もっとも、特権を喪失することになる地主層には怨念が残ったかも知れませんが、
片方で旧地主層の多くは農民運動の元闘士ともども農協の幹部に収まって行ったということです。
この農地改革に限らず、その他の労働基本権確立や男女同権などの戦後の諸改革も、そして新憲法も国民にとっては違和感無く受け入れ可能というか歓迎されたものだと思います。
そのことは、田中角栄の言葉などを聞いても良く分かるところだと思います。
つまり、あなたは農地改革に対して否定的な評価をされるわけですかね?
しかし、農地改革は既に戦前特に戦中から開始されていたものです。
戦中の農作物買い上げも、その一環としてあるのです。
農地改革は当時の革新官僚が発案したものですが軍部の支持をも得ています。
軍部が支持したのは近代戦争推進のための農村の近代化というのが直接の理由ですが、同時に当時の軍人の多くが農村の中下層の出身であり農民の貧困状態を良く知っていたからだと思います。
このあたりは、226事件のキッカケの一つが農村地帯の疲弊であったということとも関係していることだと思います。
このように、地主制度が旧弊な半封建的なものであり近代国家にはそぐわないものになっているということは当時からかなり広く認識されていたことだと思います。
戦後の農地改革は、戦中からの農地改革のアクセルを踏んでゴールを早めたものと言えるでしょう。
いずれにせよ、戦後農地改革が占領軍による押し付けでないことはもちろんのこと農地改革が否定されるべきものでないことは明らかだと思います。
あれほど戦前においては頻発していた農民争議と農民運動が消え去ったことを見ても、当時の農地改革が農民の支持を得たものであり少なくとも反対されることはなかったということです。
もっとも、特権を喪失することになる地主層には怨念が残ったかも知れませんが、
片方で旧地主層の多くは農民運動の元闘士ともども農協の幹部に収まって行ったということです。
この農地改革に限らず、その他の労働基本権確立や男女同権などの戦後の諸改革も、そして新憲法も国民にとっては違和感無く受け入れ可能というか歓迎されたものだと思います。
そのことは、田中角栄の言葉などを聞いても良く分かるところだと思います。
困りましたなぁ
現実に、既に戦前から農村の過剰人口は都会に流出して、工場や商店で働くようになっていたのですが。根拠はこちら↓
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14210711.pdf
この資料の76頁の下半分をお読み下さい。戦後の日本国憲法の制定や、高度成長期を待たずして、日本の労働力は農村から都会に移動するようになっていたのです。これが、戦前に於いて、日本には既に職業選択の自由、移動の自由があったという証拠です。まさか、大都市に出た農村出身者が、皆ルンペンになったわけではないでしょう。
私の身内の例だと、山奥で田畑を耕していた父方の実家では、跡取りの筈の父の長兄は東京に出て、大工をしておりました。ところが、戦争が始まって郷土部隊に召集され、終戦後に復員してから、実家の農業に戻りました。父の郷里はそれほど豊かな農村ではありませんでしたが、娘の身売りの話は全くなく、満州移民も殆どいませんでした。父の記憶では、国民学校の同級生が一人、満蒙開拓青年義勇軍に志願して、戦後何とか生きて帰ったのが唯一の例だそうです。
個人の記憶や、限られた文献だけでは、中々昔の真相は分からないようです。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14210711.pdf
この資料の76頁の下半分をお読み下さい。戦後の日本国憲法の制定や、高度成長期を待たずして、日本の労働力は農村から都会に移動するようになっていたのです。これが、戦前に於いて、日本には既に職業選択の自由、移動の自由があったという証拠です。まさか、大都市に出た農村出身者が、皆ルンペンになったわけではないでしょう。
私の身内の例だと、山奥で田畑を耕していた父方の実家では、跡取りの筈の父の長兄は東京に出て、大工をしておりました。ところが、戦争が始まって郷土部隊に召集され、終戦後に復員してから、実家の農業に戻りました。父の郷里はそれほど豊かな農村ではありませんでしたが、娘の身売りの話は全くなく、満州移民も殆どいませんでした。父の記憶では、国民学校の同級生が一人、満蒙開拓青年義勇軍に志願して、戦後何とか生きて帰ったのが唯一の例だそうです。
個人の記憶や、限られた文献だけでは、中々昔の真相は分からないようです。
その革新官僚とは
ナチスドイツの国家社会主義やソ連共産主義にぽーっとなっていた赤い連中なんですが。2.26の青年将校たちにしても、影響を受けたとされるのが北一輝で、北の著作『日本改造大綱』を読んでみましたが、中身は完全な社会主義思想でした。
何からの意味が、多少はあったかも知れませんが、農地改革がなくとも日本の地主制は自然消滅しました。というか、産業革命以降、欧州でも地主の地位は沈没するようになり、落ちぶれた元地主の貴族が、軍人や官吏になるようになっています。産業革命以降は、それまでは農村にしがみ付くしかなかった小作農が、都会に出て「労働者」になることができました。農村に貧乏農夫が溢れていた時代ならば、地主は好き勝手に小作料を取れたかも知れませんが(実際は、地主は村全体の行政官の立場を兼ねることが多かったから、持ち出しも多く、決して楽な立場ではなかったのですが)、小作農が都会に出て行く道を得ると、殿様商売はできなくなり、自然、小作料もマーケットプライスで決まるようになって、両者にとって妥当な額で収まるようになります。
前にも書いたように、戦前の、そして戦後も暫くの日本の農村の貧困は、大地主の存在ではなく、営農規模が小さくて、生産性が低過ぎたところに理由がありました。農業の機械化が進展すると「三ちゃん農業」となって、老人や女性でも可能となって生産性が向上し、日本の農村から貧困が姿を消しました。
農地改革がなくとも、どの道、農民争議は消滅したでしょうし、地主制は時代錯誤な存在となって消滅したでしょう。もはや近代経済では、大地主は儲かる立場ではなくなったからです。
何からの意味が、多少はあったかも知れませんが、農地改革がなくとも日本の地主制は自然消滅しました。というか、産業革命以降、欧州でも地主の地位は沈没するようになり、落ちぶれた元地主の貴族が、軍人や官吏になるようになっています。産業革命以降は、それまでは農村にしがみ付くしかなかった小作農が、都会に出て「労働者」になることができました。農村に貧乏農夫が溢れていた時代ならば、地主は好き勝手に小作料を取れたかも知れませんが(実際は、地主は村全体の行政官の立場を兼ねることが多かったから、持ち出しも多く、決して楽な立場ではなかったのですが)、小作農が都会に出て行く道を得ると、殿様商売はできなくなり、自然、小作料もマーケットプライスで決まるようになって、両者にとって妥当な額で収まるようになります。
前にも書いたように、戦前の、そして戦後も暫くの日本の農村の貧困は、大地主の存在ではなく、営農規模が小さくて、生産性が低過ぎたところに理由がありました。農業の機械化が進展すると「三ちゃん農業」となって、老人や女性でも可能となって生産性が向上し、日本の農村から貧困が姿を消しました。
農地改革がなくとも、どの道、農民争議は消滅したでしょうし、地主制は時代錯誤な存在となって消滅したでしょう。もはや近代経済では、大地主は儲かる立場ではなくなったからです。
結局のところ戦後諸改革は「押し付け」とは言えませんね?
>宇宙戦士バルディオスさん
結局のところ農地改革が「押し付け」なんてことは無いということですね。
仮に、農地改革の有用性を否定したところで、それが戦前戦中からの政策の延長上にあるということまでは否定出来ず、決して戦後占領軍がやって来て勝手に押し付けたものではないことは明らかです。
そして、その農地改革が当時農民から絶大な支持を受けて歓迎されたものであることも今まで申して来たことからも明らかだと思います。
自分の農地を得て小作料の負担から解放された農民たちが、かつてのように小作争議を起こすこともなくなり農民運動は衰退して農村地帯が保守政党の強固な支持基盤へと変容した事実からも明らかなことであります。
このスレッドの主題は、日本国憲法の「押し付け」論についてだと思います。
拙コメも、それに沿って憲法「押し付け」論の背景として農地改革などの戦後諸改革の「押し付け」論があるのではないかという観点から、それらの諸改革が決して占領軍による「押し付け」というものではなくて、戦前からの歴史の延長上にあるものだということを申してきたものであります。
またそれら諸改革と日本国憲法が国民の多くから歓迎されたものであるということも田中角栄の言葉なども引いて説明して来たものです。
少なくとも、あなたのコメントからは農地改革については「押し付け」を否定するものはありませんね。
あなたが農地改革の有用性自体を否定していること、農地改革を戦中から推進しようとした革新官僚や軍部について社会主義的であるとして否定的な立場であることは分かりました。
申し訳ありませんが『昭和維新の歌』や『赤旗の歌』が大好きな私は、あなたの立場とは真っ向から対立するものですが、ここではその点での議論をするつもりはありませんので悪しからずご了承ください。
結局のところ農地改革が「押し付け」なんてことは無いということですね。
仮に、農地改革の有用性を否定したところで、それが戦前戦中からの政策の延長上にあるということまでは否定出来ず、決して戦後占領軍がやって来て勝手に押し付けたものではないことは明らかです。
そして、その農地改革が当時農民から絶大な支持を受けて歓迎されたものであることも今まで申して来たことからも明らかだと思います。
自分の農地を得て小作料の負担から解放された農民たちが、かつてのように小作争議を起こすこともなくなり農民運動は衰退して農村地帯が保守政党の強固な支持基盤へと変容した事実からも明らかなことであります。
このスレッドの主題は、日本国憲法の「押し付け」論についてだと思います。
拙コメも、それに沿って憲法「押し付け」論の背景として農地改革などの戦後諸改革の「押し付け」論があるのではないかという観点から、それらの諸改革が決して占領軍による「押し付け」というものではなくて、戦前からの歴史の延長上にあるものだということを申してきたものであります。
またそれら諸改革と日本国憲法が国民の多くから歓迎されたものであるということも田中角栄の言葉なども引いて説明して来たものです。
少なくとも、あなたのコメントからは農地改革については「押し付け」を否定するものはありませんね。
あなたが農地改革の有用性自体を否定していること、農地改革を戦中から推進しようとした革新官僚や軍部について社会主義的であるとして否定的な立場であることは分かりました。
申し訳ありませんが『昭和維新の歌』や『赤旗の歌』が大好きな私は、あなたの立場とは真っ向から対立するものですが、ここではその点での議論をするつもりはありませんので悪しからずご了承ください。
最初から否定していません
>少なくとも、あなたのコメントからは農地改革については「押し付け」を否定するものはありませんね。
マッカーサーの日本占領を研究した袖井林次郎は、農地改革を「日本側が唯一主導権を握った占領政策」と評しています。
しかし、押し付けでないということと、日本の国家・国民のためになったということは、イコールではありません。そして、良い動機で行われたことと、良い結果をもたらしたことも、全く無関係です。
農地改革は押し付けでなく、日本側の主張も反映された政策だったが、だからと言って日本のためになったわけではない。そして、農地改革が押し付けでないからと言って、日本国憲法までも押し付けでないということを、自動的に意味するものでもありません。
占領政策の中には、財閥解体もありました。これは、本当の狙いは日本の戦争遂行力を奪うために基幹産業を破壊し、日本の経済力を潰すところにありました。また、財界人のパージも行われ、有力企業の創業者一族や経営陣も追放されましたが、これも日本企業の経営力を弱らせるところに目的がありました。しかし、これらはGHQの狙いとは正反対に、各企業に経営の自由を与える結果になり、却って日本の経済成長をもたらす基盤となりました。現在の韓国経済が、過去の財閥優遇が仇となってもがき苦しんでいるように、国の経済がある程度発展すると、財閥のような企業の所有形態は逆にマイナスになります。また、創業者一族や古い世代の幹部が経営陣からパージされたため、エネルギーのある若い世代が経営幹部にのし上がる機会を得ました。企業内の身分差別も消滅し、一流企業の経営陣に、旧制高等小学校卒の職工出身者が顔を連ねるまでに平等化され、企業の現場に活力が生まれました。GHQとマッカーサーは、日本経済を破壊して二度とアメリカに逆えないよう、力を奪うつもりでしたが、その占領政策は目的とは全く反対の結果を招いたわけです。
マッカーサーの日本占領を研究した袖井林次郎は、農地改革を「日本側が唯一主導権を握った占領政策」と評しています。
しかし、押し付けでないということと、日本の国家・国民のためになったということは、イコールではありません。そして、良い動機で行われたことと、良い結果をもたらしたことも、全く無関係です。
農地改革は押し付けでなく、日本側の主張も反映された政策だったが、だからと言って日本のためになったわけではない。そして、農地改革が押し付けでないからと言って、日本国憲法までも押し付けでないということを、自動的に意味するものでもありません。
占領政策の中には、財閥解体もありました。これは、本当の狙いは日本の戦争遂行力を奪うために基幹産業を破壊し、日本の経済力を潰すところにありました。また、財界人のパージも行われ、有力企業の創業者一族や経営陣も追放されましたが、これも日本企業の経営力を弱らせるところに目的がありました。しかし、これらはGHQの狙いとは正反対に、各企業に経営の自由を与える結果になり、却って日本の経済成長をもたらす基盤となりました。現在の韓国経済が、過去の財閥優遇が仇となってもがき苦しんでいるように、国の経済がある程度発展すると、財閥のような企業の所有形態は逆にマイナスになります。また、創業者一族や古い世代の幹部が経営陣からパージされたため、エネルギーのある若い世代が経営幹部にのし上がる機会を得ました。企業内の身分差別も消滅し、一流企業の経営陣に、旧制高等小学校卒の職工出身者が顔を連ねるまでに平等化され、企業の現場に活力が生まれました。GHQとマッカーサーは、日本経済を破壊して二度とアメリカに逆えないよう、力を奪うつもりでしたが、その占領政策は目的とは全く反対の結果を招いたわけです。
つまり、財閥解体には合理性があったということです
>宇宙戦士バルディオスさん
農地改革というものは、少なくとも一部の保守派の主張するような「押し付け」ではないということについては一致しているようですね。
それが、日本国と日本国民のためになったかどうかについて見見解は大きく異なるようですが、小作料という高率な搾取制度が廃止されたことについては歓迎されたことであろうことは、その後これを復活させようという試みがなかったことをもってしても明らかなことだと思います。
農村地帯を支持基盤とする保守政党はもちろんのこと、その他の左派政党からも、そのようなことが聞かれることが皆無であったことからも明らかですね。
ただ、農地改革によって特権を喪失した人たちやその関係者からの怨念があることは見聞きするところですが、圧倒的多数の農民や国民一般の声ではありませんね。
今日問題となっている農地集約化を理由として、70年ほど前の大きな社会改革を否定することは無理があると思います。
さて、農地改革が押し付けではないからといって自動的に憲法が押し付けではないということにはならないということですが、大体において憲法押し付け論というものは戦後諸改革が押し付けという文脈の中で語られているのではないかと思います。
戦後諸改革は押し付けではないが、憲法は押し付けという論は寡聞にして聞いたことがありません。
財閥解体についてですが、韓国の例を引用されているあなたの論からは、財閥支配の弊害を指摘されているように思えました。
そうであるならば結局のところ財閥解体には合理性があったということになると思います。
米国の対日占領方針には様々な方針対立と変転があったことが知られていますが、1947~1948年の冷戦構造鮮明化を境として明確に日本を反共のための防波堤にするという方針のもとで、日本産業の再生(再軍備容認とセット)を図ることが目指されます。
そのために財閥解体の一環としてあった資本の「過度集中排除」にはブレーキがかかるようになり、やがて旧弊な一族支配を取り除いた形での旧財閥グループの形成が成されます。
つまり、財閥解体は戦前的な旧弊な財閥支配を終わらせて近代的な独占資本体の形成に向かわせたということで、確かに米国に保守勢力にとっても好都合な結果になったと言えます。
もちろんのこと一般庶民の感情からしても歓迎すべきものだったと思います。
農地改革というものは、少なくとも一部の保守派の主張するような「押し付け」ではないということについては一致しているようですね。
それが、日本国と日本国民のためになったかどうかについて見見解は大きく異なるようですが、小作料という高率な搾取制度が廃止されたことについては歓迎されたことであろうことは、その後これを復活させようという試みがなかったことをもってしても明らかなことだと思います。
農村地帯を支持基盤とする保守政党はもちろんのこと、その他の左派政党からも、そのようなことが聞かれることが皆無であったことからも明らかですね。
ただ、農地改革によって特権を喪失した人たちやその関係者からの怨念があることは見聞きするところですが、圧倒的多数の農民や国民一般の声ではありませんね。
今日問題となっている農地集約化を理由として、70年ほど前の大きな社会改革を否定することは無理があると思います。
さて、農地改革が押し付けではないからといって自動的に憲法が押し付けではないということにはならないということですが、大体において憲法押し付け論というものは戦後諸改革が押し付けという文脈の中で語られているのではないかと思います。
戦後諸改革は押し付けではないが、憲法は押し付けという論は寡聞にして聞いたことがありません。
財閥解体についてですが、韓国の例を引用されているあなたの論からは、財閥支配の弊害を指摘されているように思えました。
そうであるならば結局のところ財閥解体には合理性があったということになると思います。
米国の対日占領方針には様々な方針対立と変転があったことが知られていますが、1947~1948年の冷戦構造鮮明化を境として明確に日本を反共のための防波堤にするという方針のもとで、日本産業の再生(再軍備容認とセット)を図ることが目指されます。
そのために財閥解体の一環としてあった資本の「過度集中排除」にはブレーキがかかるようになり、やがて旧弊な一族支配を取り除いた形での旧財閥グループの形成が成されます。
つまり、財閥解体は戦前的な旧弊な財閥支配を終わらせて近代的な独占資本体の形成に向かわせたということで、確かに米国に保守勢力にとっても好都合な結果になったと言えます。
もちろんのこと一般庶民の感情からしても歓迎すべきものだったと思います。
No title
現憲法は押し付けじゃないよ。
例えば、当時のGHQの草案は一院制だったけど、当時の日本政府は二院制にしている。
要するに何が言いたいかというと、ベースは確かにGHQだけどそこから改訂する自由は一応あった。
にも関わらず、今の憲法を受け入れたのは完全に同時の政府の自己判断。これを押し付けというのは飛躍的すぎ。
例えば、当時のGHQの草案は一院制だったけど、当時の日本政府は二院制にしている。
要するに何が言いたいかというと、ベースは確かにGHQだけどそこから改訂する自由は一応あった。
にも関わらず、今の憲法を受け入れたのは完全に同時の政府の自己判断。これを押し付けというのは飛躍的すぎ。
再読愚考:なごやんのコメントを中心に 2-1
<なごやんのコメント>
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない
現実にあわせて理想を変えるのではなく、理想に合わせて現実を変えていくことのほうが、わたしは意味があることだと思います。
↑
この基本的スタンスはいまでも変わりない。
なお表題は、ハードボイルドの星、フィリップ・マーロウの有名なセリフより。
<なごやんのコメント>
平和とは永遠の闘争である
これは「軍隊のない国」として有名なコスタリカの大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールの言葉です。
↑
このセリフはもう3回ほど使ったと思う。
コスタリカは「軍隊のない国」として一部の人には大ウケしているが、軍隊に相当するような警察組織があったり、アメリカとの軍事的な協力関係があったりで、決して「お花畑の住人」ではない。
最近は、エコツーリズムで海外観光客を呼び寄せたりして外貨獲得にも余念がない。
あの地勢・国力で精いっぱい頑張っている国だと思う。
<なごやんのコメント>
しかし、わたしは「霊の兄弟姉妹」を通して、海を隔てた人々との交流・助け合いがあります。
↑
そう、これは大変ありがたい。
キリスト教の教育伝道・医療伝道は、現地3年帰国1年といった海外と日本を長期にわたり往復する形態が多い。
現地で信用されるためにはやはり年単位で活動しなければならないし、日本には人的金銭的援助を要請するため、ある程度のサイクルで戻ってこなければならない。
人生そのものをかけるようなことと考えてもらって構わない。
特に、イスラム圏は、なかなか一般人には入りこみにくい場所であり、興味深い話が多い。
現地では日常的に警察の監視・盗聴があり、日本に帰ってからの宣教報告も身元の確かなクリスチャンのみというケースがある。
ところで、2007年、韓国人クリスチャンがアフガニスタンで拉致された事件を覚えている方はいるだろうか?
実をいうとその時以来、韓国人宣教師の中東での宣教はほとんどできなくなっている。
その代わりに期待されているのが日本人のキリスト教宣教師。
日本人は、まだ中東では評判がいいし、イスラム圏の文化は日本と同じ「恥の文化」なんだそうだ。
(つづく)
強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない
現実にあわせて理想を変えるのではなく、理想に合わせて現実を変えていくことのほうが、わたしは意味があることだと思います。
↑
この基本的スタンスはいまでも変わりない。
なお表題は、ハードボイルドの星、フィリップ・マーロウの有名なセリフより。
<なごやんのコメント>
平和とは永遠の闘争である
これは「軍隊のない国」として有名なコスタリカの大統領ホセ・フィゲーレス・フェレールの言葉です。
↑
このセリフはもう3回ほど使ったと思う。
コスタリカは「軍隊のない国」として一部の人には大ウケしているが、軍隊に相当するような警察組織があったり、アメリカとの軍事的な協力関係があったりで、決して「お花畑の住人」ではない。
最近は、エコツーリズムで海外観光客を呼び寄せたりして外貨獲得にも余念がない。
あの地勢・国力で精いっぱい頑張っている国だと思う。
<なごやんのコメント>
しかし、わたしは「霊の兄弟姉妹」を通して、海を隔てた人々との交流・助け合いがあります。
↑
そう、これは大変ありがたい。
キリスト教の教育伝道・医療伝道は、現地3年帰国1年といった海外と日本を長期にわたり往復する形態が多い。
現地で信用されるためにはやはり年単位で活動しなければならないし、日本には人的金銭的援助を要請するため、ある程度のサイクルで戻ってこなければならない。
人生そのものをかけるようなことと考えてもらって構わない。
特に、イスラム圏は、なかなか一般人には入りこみにくい場所であり、興味深い話が多い。
現地では日常的に警察の監視・盗聴があり、日本に帰ってからの宣教報告も身元の確かなクリスチャンのみというケースがある。
ところで、2007年、韓国人クリスチャンがアフガニスタンで拉致された事件を覚えている方はいるだろうか?
実をいうとその時以来、韓国人宣教師の中東での宣教はほとんどできなくなっている。
その代わりに期待されているのが日本人のキリスト教宣教師。
日本人は、まだ中東では評判がいいし、イスラム圏の文化は日本と同じ「恥の文化」なんだそうだ。
(つづく)
再読愚考:なごやんのコメントを中心に 2-2
<なごやんのコメント>
テロ戦争は近代兵器の過多が勝敗を決するわけではありません。
「国際交流」「貧困対策」といった軍事に頼らない安全保障のありかたが根本的な解決への道筋になるのです。
↑
今でもそう思う。
これは猪野先生も賛成してくれるのではと思う。
<なごやんのコメント>
どのような憲法であれ解釈はつきまといます。
重要なのは自由と権利を保持する「国民の不断の努力」なのです。
↑
その通り!
あ、自分のコメントだった。
なお、洲蛇亜林さんと宇宙戦士バルディオスさんの農地改革に関するやり取りはなかなか面白い。
二人とも農地改革については間違ったことは言っていないように思える。
【再読愚考:なごやんのコメントを中心に:完】
テロ戦争は近代兵器の過多が勝敗を決するわけではありません。
「国際交流」「貧困対策」といった軍事に頼らない安全保障のありかたが根本的な解決への道筋になるのです。
↑
今でもそう思う。
これは猪野先生も賛成してくれるのではと思う。
<なごやんのコメント>
どのような憲法であれ解釈はつきまといます。
重要なのは自由と権利を保持する「国民の不断の努力」なのです。
↑
その通り!
あ、自分のコメントだった。
なお、洲蛇亜林さんと宇宙戦士バルディオスさんの農地改革に関するやり取りはなかなか面白い。
二人とも農地改革については間違ったことは言っていないように思える。
【再読愚考:なごやんのコメントを中心に:完】