コメント
No title
安倍首相は口を開けば、
「自由と民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国々との連携を構築したい」
と語る。
白々しい。。。
鉄面皮、という言葉がぴったりです。
「自由と民主主義、基本的人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国々との連携を構築したい」
と語る。
白々しい。。。
鉄面皮、という言葉がぴったりです。
ホンマに出してどないすんねん
公約は時代遅れのアパルトヘイト、有権者は有色人種の方が多い、どうせ通るわけないと「トランプ出さんかい!」と叫んでいた人は、「ホンマに出してどないすんねん!」というのが本音でしょう。
本命候補が次々と降りる中、当選が現実味を帯びるにつれ、暴言公約はどんどんトーンダウンしてゆきました。
ヤ党勢力のいう民主主義とは人民民主主義です。2009年から3年間反対勢力を徹底的に消すというセオリーを無視した結果、永遠の野党になりました。
本命候補が次々と降りる中、当選が現実味を帯びるにつれ、暴言公約はどんどんトーンダウンしてゆきました。
ヤ党勢力のいう民主主義とは人民民主主義です。2009年から3年間反対勢力を徹底的に消すというセオリーを無視した結果、永遠の野党になりました。
多数決至上主義について
>小西ひろゆき氏に絡んでいる人たちは、どうやらこの多数決=民主主義としてとらえているようでもあります。
多数決自体は政治的な決断をするための方法であり、民主主義とイコールで結ばれるものではないでしょう。
どのような切り口で「多数」と判断するのかも議論があります。
(多数決はたしかもともとはゲルマン族の部族会議での決断方法だと思いましたが、詳しい方がいれば教えてください。)
「多数決至上主義」ともいえるこの考え方は、もともと日本的集団主義(「みんなで決めたことだから、わがままいうな」)に根があると思います。
根は意外に深いです。
多数決自体は政治的な決断をするための方法であり、民主主義とイコールで結ばれるものではないでしょう。
どのような切り口で「多数」と判断するのかも議論があります。
(多数決はたしかもともとはゲルマン族の部族会議での決断方法だと思いましたが、詳しい方がいれば教えてください。)
「多数決至上主義」ともいえるこの考え方は、もともと日本的集団主義(「みんなで決めたことだから、わがままいうな」)に根があると思います。
根は意外に深いです。
横から失礼
多数決が民主主義でないなら、シールズがやったデモはさらに民主主義とは程遠いものです。
多数決は国民の支持の多い方で間接的に国家の政策が決定される、ということです。
「多数決のみが民主主義とはいえない」とか「多数決によってのみで決定することに違和感を感じざるを得ない」とか、サヨク陣営は何が言いたいのか理解に苦しみます。まさか多数決を否定するわけでもないでしょうが。
多数決は国民の支持の多い方で間接的に国家の政策が決定される、ということです。
「多数決のみが民主主義とはいえない」とか「多数決によってのみで決定することに違和感を感じざるを得ない」とか、サヨク陣営は何が言いたいのか理解に苦しみます。まさか多数決を否定するわけでもないでしょうが。
選挙で選ばれた公職者を批判する自由は民主主義の前提
選挙で選ばれた公職者が国民のために働いているのかどうか、あるいはおかしなことをしてないかどうか監視したり批判したりすることは全くの自由ですし、寧ろ義務だとも言えます。
そのような権力者に対して批判の自由があることこそが民主主義の前提なのであって、権力者への批判が駄目だというのであれば、それは全くかつてどこぞの国々に存在し現在もある国々において存在している「人民民主主義」と同じ考え方に立つものだと言えます。
まあ、トランプ氏がプーチン大統領を高く評価するのも、安倍首相とプーチン大統領が相性が良さそうな理由も何となく分かるような気がしますね。
トランプ氏はまだ分かりませんが、言論や報道の自由に程度の差はあれど圧力をかけて政権への批判を封じ込めて、民主主義のプロセスをすっ飛ばかして事を進めようとするところなんぞ似ていますね。
そのような権力者に対して批判の自由があることこそが民主主義の前提なのであって、権力者への批判が駄目だというのであれば、それは全くかつてどこぞの国々に存在し現在もある国々において存在している「人民民主主義」と同じ考え方に立つものだと言えます。
まあ、トランプ氏がプーチン大統領を高く評価するのも、安倍首相とプーチン大統領が相性が良さそうな理由も何となく分かるような気がしますね。
トランプ氏はまだ分かりませんが、言論や報道の自由に程度の差はあれど圧力をかけて政権への批判を封じ込めて、民主主義のプロセスをすっ飛ばかして事を進めようとするところなんぞ似ていますね。
No title
>そのような権力者に対して批判の自由があることこそが民主主義の前提なのであって、権力者への批判が駄目だというのであれば、それは全くかつてどこぞの国々に存在し現在もある国々において存在している「人民民主主義」と同じ考え方に立つものだと言えます。
↑
はい、そうですね。
反対に権力者ヨイショの「賞賛の自由」も当然あると思います。
↑
はい、そうですね。
反対に権力者ヨイショの「賞賛の自由」も当然あると思います。
どこにでもわいてくるネトウヨ脳コメ(笑)
別に読売や産経新聞のそんざいそのものまで否定したりとか言ってないしw。
まぜっかえしとはぐらかし、ほんと、ネトウヨ脳全開だね。
小西という議員の呟き、これのどこが邪道なんだよ?
そりゃ差別発言を繰り出して大衆を煽る男が大統領になれば危惧する声が上がるのは当然じゃん。
この弁護士さんの論考も、無理筋なことを示していない。馬鹿馬鹿しいまぜっかえしはいかがなものかと(笑)。
ついでだからこの弁護士さんの話へのコメントもつけておく。
要するに類は友を呼ぶってことだ。
トランプがプーチンや安倍晋三に親近感
、少なくとも敵対的な捉え方を示していないのはそこであろう。
ルペンの娘がトランプの勝利を祝福し、
自分とトランプ、そしてプーチンで世界をリードするなんて声明を出すのも同じことよ。単に御家事情の重なりなどでは
ない。共感できる思想があるからだ!
加えてマリーヌルペンが率いる極右戦線という政党が色んな点で学んでいるという政党はどこか(笑)?
なんと、昨今の自由民主党なんだよ!
これまた単なるテクニカルな運営云々という次元での理由とも言えないものもあるよな(笑)。
類は友を呼ぶ…不気味な時代だよ。
まぜっかえしとはぐらかし、ほんと、ネトウヨ脳全開だね。
小西という議員の呟き、これのどこが邪道なんだよ?
そりゃ差別発言を繰り出して大衆を煽る男が大統領になれば危惧する声が上がるのは当然じゃん。
この弁護士さんの論考も、無理筋なことを示していない。馬鹿馬鹿しいまぜっかえしはいかがなものかと(笑)。
ついでだからこの弁護士さんの話へのコメントもつけておく。
要するに類は友を呼ぶってことだ。
トランプがプーチンや安倍晋三に親近感
、少なくとも敵対的な捉え方を示していないのはそこであろう。
ルペンの娘がトランプの勝利を祝福し、
自分とトランプ、そしてプーチンで世界をリードするなんて声明を出すのも同じことよ。単に御家事情の重なりなどでは
ない。共感できる思想があるからだ!
加えてマリーヌルペンが率いる極右戦線という政党が色んな点で学んでいるという政党はどこか(笑)?
なんと、昨今の自由民主党なんだよ!
これまた単なるテクニカルな運営云々という次元での理由とも言えないものもあるよな(笑)。
類は友を呼ぶ…不気味な時代だよ。
多数決原理について
社会的に何かの意思決定をする場合に、話し合いで合意に至ることができれば一番良いでしょう。
しかし、往々にして時間的余裕が無制限に与えられている訳ではなく(時間無制限に議論してはいられない)、また、そもそも話し合いで必ず合意に至ることができるという保証もありません(「話し合いを続けろ」と声高に叫んでいる人の中には、自説を多少でも曲げて妥協しようなどという気が全くない人もままいるようですし。)。
そして、にもかかわらず全会一致をマストにしてしまうと、逆に、一部少数意見の者が社会的決定を左右してしまうことになる。
このようなことを考慮した場合、社会的決定の方法として多数決原理は相当程度効率的なのです。
なお、私は、ある社会的課題について多数意見と少数意見が出た場合、多数派は少し譲歩し、少数派はたくさん譲歩するという感じにするのが良いのではないか、と何となく思っています。
以上、
しかし、往々にして時間的余裕が無制限に与えられている訳ではなく(時間無制限に議論してはいられない)、また、そもそも話し合いで必ず合意に至ることができるという保証もありません(「話し合いを続けろ」と声高に叫んでいる人の中には、自説を多少でも曲げて妥協しようなどという気が全くない人もままいるようですし。)。
そして、にもかかわらず全会一致をマストにしてしまうと、逆に、一部少数意見の者が社会的決定を左右してしまうことになる。
このようなことを考慮した場合、社会的決定の方法として多数決原理は相当程度効率的なのです。
なお、私は、ある社会的課題について多数意見と少数意見が出た場合、多数派は少し譲歩し、少数派はたくさん譲歩するという感じにするのが良いのではないか、と何となく思っています。
以上、
権力者賞賛の自由は中国にさえありますけど
>イーグルとコヨーテさん
権力者賞賛の自由は中国にさえ北朝鮮にさえあります。
権力者賞賛の報道は盛大に行われても、権力者を批判する報道は御法度です。
権力者賞賛の自由があったところで民主主義体制の証ではありませんね。
権力者賞賛の自由は中国にさえ北朝鮮にさえあります。
権力者賞賛の報道は盛大に行われても、権力者を批判する報道は御法度です。
権力者賞賛の自由があったところで民主主義体制の証ではありませんね。
No title
横から失礼します。
>権力者賞賛の自由があったところで民主主義体制の証ではありませんね。
これはロジカルな洲蛇亜林さんのイーグルパットが見事に決まった感があります。
鋭い突っ込みを持ち味とするイーグルとコヨーテさんの説も分からなくもありませんが、今回のは…例えて言えば…ホールインワンと思います。
>権力者賞賛の自由があったところで民主主義体制の証ではありませんね。
これはロジカルな洲蛇亜林さんのイーグルパットが見事に決まった感があります。
鋭い突っ込みを持ち味とするイーグルとコヨーテさんの説も分からなくもありませんが、今回のは…例えて言えば…ホールインワンと思います。
No title
>権力者賞賛の自由があったところで民主主義体制の証ではありませんね。
↑
「あったところで」とは落選後の野党候補者の「◯◯候補が当選したからといって」の現実に目を背けることに他ならないと思います。
思想の自由を保障された近代国家では一人一人にその内心の自由があるのですから、広義の権力者賞賛に含まれる国政選挙結果における自民党過半数第1党は議会制民主主義における何よりの証で否定できないことです。
↑
「あったところで」とは落選後の野党候補者の「◯◯候補が当選したからといって」の現実に目を背けることに他ならないと思います。
思想の自由を保障された近代国家では一人一人にその内心の自由があるのですから、広義の権力者賞賛に含まれる国政選挙結果における自民党過半数第1党は議会制民主主義における何よりの証で否定できないことです。
No title
> 多数派を選挙でとれば何をしても良いというものではありません。あくまで憲法の枠内という限定がつきます。それが立憲民主制です。
左翼の皆さんの意見で一番弱いのが、では誰がどうやって憲法の枠内か否かを判断するのかという点です。
・小西くんの憲法クイズに即答できない素人集団ではダメだ、違憲かどうかは法曹の専門家の意見を聞け!!ですか?
いいえ、弁護士の稲田さんも閣内におられます。
旧帝早慶レベルで弁護士資格のある(つまり猪野先生と同等の学識をもつ)議員は数多くおられます。
・違憲判断は最高裁に委ねればいいのか、いやダメだ、辺野古の裁判でも裁判官は不当判決を下した。政府の息がかかってるんだ!!
・では学者の判断?いいえ、ご自身が不賛成の意見が出るなり、「御用学者だ!!」と言いませんか?
じゃあ、どうすれば憲法の枠内か否かを、不偏不党かつ客観的に判断できるんですか?
ご自身が正しいという思い込みで、第三者に対して説得力をもつ主張かどいうかという点をおざなりにしていませんか?
片割月 さん
いえ、全然ダメな議論ですよ。
それだと、トランプ支持を人前で言えない(実際、世論調査の数字がズレた)アメリカ白人は、北朝鮮以下の境遇におかれていることになってしまいます。
すぐにほころびの出る空理空論です。
左翼の皆さんの意見で一番弱いのが、では誰がどうやって憲法の枠内か否かを判断するのかという点です。
・小西くんの憲法クイズに即答できない素人集団ではダメだ、違憲かどうかは法曹の専門家の意見を聞け!!ですか?
いいえ、弁護士の稲田さんも閣内におられます。
旧帝早慶レベルで弁護士資格のある(つまり猪野先生と同等の学識をもつ)議員は数多くおられます。
・違憲判断は最高裁に委ねればいいのか、いやダメだ、辺野古の裁判でも裁判官は不当判決を下した。政府の息がかかってるんだ!!
・では学者の判断?いいえ、ご自身が不賛成の意見が出るなり、「御用学者だ!!」と言いませんか?
じゃあ、どうすれば憲法の枠内か否かを、不偏不党かつ客観的に判断できるんですか?
ご自身が正しいという思い込みで、第三者に対して説得力をもつ主張かどいうかという点をおざなりにしていませんか?
片割月 さん
いえ、全然ダメな議論ですよ。
それだと、トランプ支持を人前で言えない(実際、世論調査の数字がズレた)アメリカ白人は、北朝鮮以下の境遇におかれていることになってしまいます。
すぐにほころびの出る空理空論です。
説得力
>第三者に対して説得力をもつ主張かどいうかという点をおざなりにしていませんか?
↑これは安倍政権が出来なかったことではないのかな?
本来なら憲法学者の西修氏に違憲と主張する他の憲法学者にも通用する説得力のある説明をしてもらうことを期待したと思うが
「厳しい国際情勢を冷静に分析することが肝要だ」と言うように、全く専門外のことをいうので憲法学的に説得力はなかった
同じように、軍事アナリストの小川和久氏も、軍事の話をせず、主に憲法を語るという、ここでも専門外の主張をしていたので説得力は落ちた
また八木秀次氏は産経新聞で「憲法との矛盾は誰にでも指摘できる。しかし、わが国は生き残らなければならない。「憲法残って国滅ぶ」では困るのだ。矛盾を矛盾と知りつつ、知恵を出すのが常識ある憲法学者の役割ではないのか」と言っているので
まあ客観性ははじめから放棄してたと言っていいんじゃないの?
↑これは安倍政権が出来なかったことではないのかな?
本来なら憲法学者の西修氏に違憲と主張する他の憲法学者にも通用する説得力のある説明をしてもらうことを期待したと思うが
「厳しい国際情勢を冷静に分析することが肝要だ」と言うように、全く専門外のことをいうので憲法学的に説得力はなかった
同じように、軍事アナリストの小川和久氏も、軍事の話をせず、主に憲法を語るという、ここでも専門外の主張をしていたので説得力は落ちた
また八木秀次氏は産経新聞で「憲法との矛盾は誰にでも指摘できる。しかし、わが国は生き残らなければならない。「憲法残って国滅ぶ」では困るのだ。矛盾を矛盾と知りつつ、知恵を出すのが常識ある憲法学者の役割ではないのか」と言っているので
まあ客観性ははじめから放棄してたと言っていいんじゃないの?
権力者賞賛の自由はあるが権力者批判の自由は無いのは民主主義ですか?
>片割月さん
ありがとうございます。
かたじけないですね。
>イーグルとコヨーテさん
中国でも北朝鮮でも内心の自由はあります。
ナチス体制下のドイツにおいても内心の自由はあり反ナチスを内心に抱いていた軍人も存在しました。
しかし、それを表現する自由はありませんでした。
表現の自由言論の自由報道の自由のないところに民主主義はありません。
権力者を賞賛する自由はあるが批判する自由はないというのでは表現の自由があるとは言えません。
北朝鮮においてもキムイルソン時代には一応選挙が行われていたようです。また朝鮮労働党以外の政党も存在していましたが、その時代に北朝鮮が民主主義体制であったとは言えません。
ありがとうございます。
かたじけないですね。
>イーグルとコヨーテさん
中国でも北朝鮮でも内心の自由はあります。
ナチス体制下のドイツにおいても内心の自由はあり反ナチスを内心に抱いていた軍人も存在しました。
しかし、それを表現する自由はありませんでした。
表現の自由言論の自由報道の自由のないところに民主主義はありません。
権力者を賞賛する自由はあるが批判する自由はないというのでは表現の自由があるとは言えません。
北朝鮮においてもキムイルソン時代には一応選挙が行われていたようです。また朝鮮労働党以外の政党も存在していましたが、その時代に北朝鮮が民主主義体制であったとは言えません。
No title
>権力者を賞賛する自由はあるが批判する自由はないというのでは表現の自由があるとは言えません。
↑
そんなこと言ってませんよ。
お互いに賞賛も批判も自由です。
それぞれの立場で投票したり活動すれば良いことです。
報道の自由においては過去の差別表現満載の特撮モノやアニメ、手錠腰縄モザイク化、裸やベッドシーンなどは政府では無くほとんどが民間団体の要請に基づいたかそれらの団体のチカラを危惧した自主規制ですので体制側は関係ありません。
↑
そんなこと言ってませんよ。
お互いに賞賛も批判も自由です。
それぞれの立場で投票したり活動すれば良いことです。
報道の自由においては過去の差別表現満載の特撮モノやアニメ、手錠腰縄モザイク化、裸やベッドシーンなどは政府では無くほとんどが民間団体の要請に基づいたかそれらの団体のチカラを危惧した自主規制ですので体制側は関係ありません。
No title
えるもーどi さん
多数側は強行採決できるんだから、最初から説得力も客観性も要りません。
そうした現状を少数側がひっくり返すのであれば、
判断が客観的であることを立証する必要があります
>本来なら憲法学者の西修氏に違憲と主張する他の憲法学者にも通用する説得力のある説明をしてもらうことを期待したと思うが
憲法学者の意見は賛成反対に分かれ、統一見解は無いいうことですよね。
そうであれば、強行採決に対する抑止とはなりえないので、賛成派の憲法学者は特に何もしなくても
希望通りの法案が通るってことです。
実際そうなりましたよね。
多数側は強行採決できるんだから、最初から説得力も客観性も要りません。
そうした現状を少数側がひっくり返すのであれば、
判断が客観的であることを立証する必要があります
>本来なら憲法学者の西修氏に違憲と主張する他の憲法学者にも通用する説得力のある説明をしてもらうことを期待したと思うが
憲法学者の意見は賛成反対に分かれ、統一見解は無いいうことですよね。
そうであれば、強行採決に対する抑止とはなりえないので、賛成派の憲法学者は特に何もしなくても
希望通りの法案が通るってことです。
実際そうなりましたよね。
No title
2016/11/23(02:28) の投稿
ブラウザの不具合でHNが入っておらず申し訳ありませんでした。
ブラウザの不具合でHNが入っておらず申し訳ありませんでした。
No title
>単なる多数決で決めて良いのであれば審議時間がゼロでも問題ないということになりますが、それが間違っているのは当たり前です。
↑
現実には間違っているとはいえないでしょう。
審議の時間が長くなれば理解を深めた野党議員が所属政党の方針に造反して自民党案に賛成することがありますかね?
反対に自民党議員が自民党案に造反することは稀にありますけどね。
野党の行動こそがブログ主の嫌いな全体主義なのではありませんか?
今自民党内で攻防している農協改革も野党は後付け反対のための反対を掲げてパフォーマンスの準備をしているのではありませんか?
それとも自民党の米議員と改革反対のスクラムを組むんでしょうかね。
↑
現実には間違っているとはいえないでしょう。
審議の時間が長くなれば理解を深めた野党議員が所属政党の方針に造反して自民党案に賛成することがありますかね?
反対に自民党議員が自民党案に造反することは稀にありますけどね。
野党の行動こそがブログ主の嫌いな全体主義なのではありませんか?
今自民党内で攻防している農協改革も野党は後付け反対のための反対を掲げてパフォーマンスの準備をしているのではありませんか?
それとも自民党の米議員と改革反対のスクラムを組むんでしょうかね。
ゆうじさんへ
>憲法学者の意見は賛成反対に分かれ、統一見解は無いいうことですよね。
>そうであれば、強行採決に対する抑止とはなりえないので、賛成派の憲法学者は特に何もしなくても希望通りの法案が通るってことです。
>実際そうなりましたよね。
↑
安保法制でいえば憲法学的には「集団的自衛権」は「違憲」で統一されている
そもそも学会通説と安倍政権前の政府解釈は自衛隊が戦力に当たるか当たらないかの違いで戦力は違憲で一致してるので、他にそんなに違いがあるわけではない
ただ9条の2項の「前項の目的を達するため」の解釈が学会通説と違う説では目的が違う戦力は合憲となり、この説とはやや異なる
安倍政権前の政府解釈を支持する憲法学者や、学会通説とは違う説を支持する憲法学者が「集団的自衛権」については、学会通説支持派と合わさり見解は一致した
法案に賛成した憲法学者は憲法学的に判断して賛成したものではない
西修氏などは憲法改正してる時間がなく日本に危機が迫っていると思ってるらしいが
で実際、安保法制はどうなったか?といえば
外国が期待する「集団的自衛権」には応えられる内容にはなってない
法案を通す事だけが希望なら希望は叶っているが
内容的には何もできないだろう
これで何かをしようとすれば、かなりムリをしなければならないと思う
>そうであれば、強行採決に対する抑止とはなりえないので、賛成派の憲法学者は特に何もしなくても希望通りの法案が通るってことです。
>実際そうなりましたよね。
↑
安保法制でいえば憲法学的には「集団的自衛権」は「違憲」で統一されている
そもそも学会通説と安倍政権前の政府解釈は自衛隊が戦力に当たるか当たらないかの違いで戦力は違憲で一致してるので、他にそんなに違いがあるわけではない
ただ9条の2項の「前項の目的を達するため」の解釈が学会通説と違う説では目的が違う戦力は合憲となり、この説とはやや異なる
安倍政権前の政府解釈を支持する憲法学者や、学会通説とは違う説を支持する憲法学者が「集団的自衛権」については、学会通説支持派と合わさり見解は一致した
法案に賛成した憲法学者は憲法学的に判断して賛成したものではない
西修氏などは憲法改正してる時間がなく日本に危機が迫っていると思ってるらしいが
で実際、安保法制はどうなったか?といえば
外国が期待する「集団的自衛権」には応えられる内容にはなってない
法案を通す事だけが希望なら希望は叶っているが
内容的には何もできないだろう
これで何かをしようとすれば、かなりムリをしなければならないと思う
それ、すぎやまこういち氏らに言ってください
>イーグルとコヨーテさん
>お互いに賞賛も批判も自由です
そうですね。
その言葉はTBSや岸井成格氏を「偏向」呼ばわりして非難しスポンサーに圧力をかけるように呼び掛けた例のすぎやまこういち氏などの『視聴者の会』の人たちに対して発せられるべきだと思います。
すぎやまこういち氏や『視聴者の会』が権力者を賞賛するのは自由ですが、権力者を批判すること自体を非難するのはおかしな話です。
それとも、すぎやまこういち氏らは自分たちの意見は偏向ではないが他人の意見は偏向しているとでも思っているのでしょうかね。
>お互いに賞賛も批判も自由です
そうですね。
その言葉はTBSや岸井成格氏を「偏向」呼ばわりして非難しスポンサーに圧力をかけるように呼び掛けた例のすぎやまこういち氏などの『視聴者の会』の人たちに対して発せられるべきだと思います。
すぎやまこういち氏や『視聴者の会』が権力者を賞賛するのは自由ですが、権力者を批判すること自体を非難するのはおかしな話です。
それとも、すぎやまこういち氏らは自分たちの意見は偏向ではないが他人の意見は偏向しているとでも思っているのでしょうかね。
No title
>それとも、すぎやまこういち氏らは自分たちの意見は偏向ではないが他人の意見は偏向しているとでも思っているのでしょうかね。
↑
すぎやまこういち氏は単なる民間人であり、その「視聴者の会」も民間団体です。
一方のTBSも民間団体であり民間私人間同士のトラブルは憲法問題にならないことは三菱樹脂事件の最高裁判決の通りです。
そんな民間団体を権力と錯誤しないで頂きたいですね。
スポンサーへの圧力があったのかどうか知りませんが、過去にはサヨク陣営も不買運動という圧力をやってましたよね。
もっともスポンサーへの圧力があったとして、CMの数本失って「言論の自由」が脅かされるなら「言論に自由」とは安っぽいモノなんですね。
一般人の名を騙ったクレームで番組やCMが修正や中止に追い込まれているのは
何ら珍しいことではありません。
↑
すぎやまこういち氏は単なる民間人であり、その「視聴者の会」も民間団体です。
一方のTBSも民間団体であり民間私人間同士のトラブルは憲法問題にならないことは三菱樹脂事件の最高裁判決の通りです。
そんな民間団体を権力と錯誤しないで頂きたいですね。
スポンサーへの圧力があったのかどうか知りませんが、過去にはサヨク陣営も不買運動という圧力をやってましたよね。
もっともスポンサーへの圧力があったとして、CMの数本失って「言論の自由」が脅かされるなら「言論に自由」とは安っぽいモノなんですね。
一般人の名を騙ったクレームで番組やCMが修正や中止に追い込まれているのは
何ら珍しいことではありません。
『視聴者の会』の、権力は「偏向しない」という論理
>イーグルとコヨーテさん
『視聴者の会』の主要メンバーは安倍応援団と重なっておりますので権力者の側に立った考え方をしていると見てよいと思います。
その考え方が奇妙なのは権力者の側は偏向することもなく正しいが、それをすれば偏向しているということです。
そのような考え方は、中国北朝鮮のような独裁体制に見られるような、権力者は常に正しいし、それを批判することなど以ての外だといういわば権力者無謬論と全く同じあるということです。
神ならぬ権力者が間違えることもあるので衆議を尽くして国を運営するというのが民主主義体制の基礎の考え方だと思いますがすぎやまこういち氏らには、そのような考え方はなく権力者には間違いも偏りもないと思い込んでいるようですね。
『視聴者の会』の主要メンバーは安倍応援団と重なっておりますので権力者の側に立った考え方をしていると見てよいと思います。
その考え方が奇妙なのは権力者の側は偏向することもなく正しいが、それをすれば偏向しているということです。
そのような考え方は、中国北朝鮮のような独裁体制に見られるような、権力者は常に正しいし、それを批判することなど以ての外だといういわば権力者無謬論と全く同じあるということです。
神ならぬ権力者が間違えることもあるので衆議を尽くして国を運営するというのが民主主義体制の基礎の考え方だと思いますがすぎやまこういち氏らには、そのような考え方はなく権力者には間違いも偏りもないと思い込んでいるようですね。
No title
>『視聴者の会』の主要メンバーは安倍応援団と重なっておりますので権力者の側に立った考え方をしていると見てよいと思います。
↑
ですから「安倍応援団」といっても民間人でしょう?
民間人が権力側に立った考えをして何が悪いのですか?
権力者側にシンパシーを持った民間人には言論の自由が無いのでしょうか?
もしそうだとすると自民党に投票する私には言論の自由が無いと言うことになりますね。
何度も言いますが民間人同士の対立は憲法問題にならないことは三菱樹脂事件の通りです。
憶測では無く公的な権力の行使があったことを証明できるのですか?
大企業の殆どは自民党に直接的及び間接的に寄付をしています。私自身も寄付をしています。
そのような寄付をした側の発言は権力の行使なのでしょうか?
なお、企業の政党への寄付はすでに最高裁において合憲の判断が下されているのはご承知の通りです。
>そのような考え方は、中国北朝鮮のような独裁体制に見られるような、権力者は常に正しいし、それを批判することなど以ての外だといういわば権力者無謬論と全く同じあるということです。
↑
そのような国とは異なり日本は議会制民主主義国家です。
それともあなたには清き一票というものを持っていないのですか?
現実社会が自分個人の理想とする政治体制では無いからと言ってその不快感を理屈後付で述べられても見苦しいだけです。
さて?
我が国ではかの国の権力のように「与党自民党は、常に正しいし、それを批判することなど以ての外だ」と誰が言いましたか?
もっとも民間人である私が言うのは自由だと思いますが。
言論の自由というものがありますし、国民は何らの義務も負わないわけですから。
↑
ですから「安倍応援団」といっても民間人でしょう?
民間人が権力側に立った考えをして何が悪いのですか?
権力者側にシンパシーを持った民間人には言論の自由が無いのでしょうか?
もしそうだとすると自民党に投票する私には言論の自由が無いと言うことになりますね。
何度も言いますが民間人同士の対立は憲法問題にならないことは三菱樹脂事件の通りです。
憶測では無く公的な権力の行使があったことを証明できるのですか?
大企業の殆どは自民党に直接的及び間接的に寄付をしています。私自身も寄付をしています。
そのような寄付をした側の発言は権力の行使なのでしょうか?
なお、企業の政党への寄付はすでに最高裁において合憲の判断が下されているのはご承知の通りです。
>そのような考え方は、中国北朝鮮のような独裁体制に見られるような、権力者は常に正しいし、それを批判することなど以ての外だといういわば権力者無謬論と全く同じあるということです。
↑
そのような国とは異なり日本は議会制民主主義国家です。
それともあなたには清き一票というものを持っていないのですか?
現実社会が自分個人の理想とする政治体制では無いからと言ってその不快感を理屈後付で述べられても見苦しいだけです。
さて?
我が国ではかの国の権力のように「与党自民党は、常に正しいし、それを批判することなど以ての外だ」と誰が言いましたか?
もっとも民間人である私が言うのは自由だと思いますが。
言論の自由というものがありますし、国民は何らの義務も負わないわけですから。
No title
仮の話ですがすぎやまこういち氏が「TBSの偏向報道はけしからん。議員に相談しよう。」と行動してもこれは憲法16条の請願権として認められていますね。
民主主義を否定する考え方ですね
>イーグルとコヨーテさん
すぎやま氏らが民間人だからといって、報道の自由言論の自由否定という民主主義体制の基礎自体を否定するような行為を行うならば批判されることは当たり前なことです。
何を言っても言論の自由ということと、それが批判されるべきことであるというのは別な次元のことだと思います。
例えばトランプ氏がどれほどの暴言を吐こうとも言論の自由があるのだから法律で制約を受ける訳ではありませんが、しかしその内容については当然批判の対象となる訳です。
すぎやま氏らの行為も言論の自由から言えば法的に制約されるものでは有り得ないことは当然なことですが、しかしその言論は民主主義自体を否定しようというものであり、考え方として中国北朝鮮の独裁体制における権力者側の考え方と全く同じですね。
すぎやま氏が何を誓願しようと制約されないとは思いますが、そんな誓願が正当なものと認められることは民主主義自体の否定にほかなりません。
あなたやすぎやま氏が権力者を賞賛することは自由です。当たり前ですが。
しかし、権力者批判を「偏向」呼ばわりして非難することは民主主義の原則に反する考え方だということです。
すぎやま氏らが民間人だからといって、報道の自由言論の自由否定という民主主義体制の基礎自体を否定するような行為を行うならば批判されることは当たり前なことです。
何を言っても言論の自由ということと、それが批判されるべきことであるというのは別な次元のことだと思います。
例えばトランプ氏がどれほどの暴言を吐こうとも言論の自由があるのだから法律で制約を受ける訳ではありませんが、しかしその内容については当然批判の対象となる訳です。
すぎやま氏らの行為も言論の自由から言えば法的に制約されるものでは有り得ないことは当然なことですが、しかしその言論は民主主義自体を否定しようというものであり、考え方として中国北朝鮮の独裁体制における権力者側の考え方と全く同じですね。
すぎやま氏が何を誓願しようと制約されないとは思いますが、そんな誓願が正当なものと認められることは民主主義自体の否定にほかなりません。
あなたやすぎやま氏が権力者を賞賛することは自由です。当たり前ですが。
しかし、権力者批判を「偏向」呼ばわりして非難することは民主主義の原則に反する考え方だということです。
No title
>すぎやま氏らが民間人だからといって、報道の自由言論の自由否定という民主主義体制の基礎自体を否定するような行為を行うならば批判されることは当たり前なことです。
↑
そうです。批判は自由です。
>何を言っても言論の自由ということと、それが批判されるべきことであるというのは別な次元のことだと思います。
↑
何の別の次元でしょうか?
例えその次元というのが異なっても、言論の自由は最高法規の憲法で認められているものです。憲法とは別の次元のものがあるのでしょうか?
>例えばトランプ氏がどれほどの暴言を吐こうとも言論の自由があるのだから法律で制約を受ける訳ではありませんが、しかしその内容については当然批判の対象となる訳です。
↑
ですから批判は自由です。
ただし、その批判も他人にとっては批判の対象です。
>すぎやま氏らの行為も言論の自由から言えば法的に制約されるものでは有り得ないことは当然なことですが、しかしその言論は民主主義自体を否定しようというものであり、考え方として中国北朝鮮の独裁体制における権力者側の考え方と全く同じですね。
↑
民主主義を否定する意図は無いと思います。
民間放送局にクレームをつけることが民主主義の否定であれば、恐らく放送局は民間人から毎日のようにクレームを受けていると思いますので彼らも民主主義否定者です。
なお、民主主義を否定することも自由です。
内乱罪や外患罪に抵触しない限り自由のはずです。
チャーチルは民主主義を否定はしていませんが批判はしています。
すぎやま氏が何を誓願しようと制約されないとは思いますが、そんな誓願が正当なものと認められることは民主主義自体の否定にほかなりません。
↑
誓願では無く請願です。
憲法16条で認められています。
正当か否かは請願を受けた議員や第三者が判断すれば良いことです。
あなたやすぎやま氏が権力者を賞賛することは自由です。当たり前ですが。
しかし、権力者批判を「偏向」呼ばわりして非難することは民主主義の原則に反する考え方だということです。
↑
その権力者批判が普遍的価値からの批判であるとか、社会通念上合理的な理由があるのであれば今韓国で行われているデモのように日本においても国民はその権力者批判に賛同し行動するでしょう。
しかしながらサヨクメディアの「首相が高級カツカレーを食べた。けしからん」では笛吹けど踊らずは当然です。批判するのは自由ですが批判する方もまた反対に批判されるでしょう。
さて「偏向」という文言を用いて非難することのどこが民主主義の原則にはんするのですか?
「民主主義の原則」とは選挙で選ばれた議員たちが国会という議会でさらにその中から行政の長を選ぶ手続きのことかと存じますが、単にこの過程で合法かつ正当に選ばれた、つまり間接的に請託を受けた一部の議員たち、ということだけでなぜ常に自動的に批判の対象となるのか、はなはだ疑問です。
まあどう批判しようと自由ですけど、そんなことしてもご自分のストレスを溜めるだけかとお思います。
↑
そうです。批判は自由です。
>何を言っても言論の自由ということと、それが批判されるべきことであるというのは別な次元のことだと思います。
↑
何の別の次元でしょうか?
例えその次元というのが異なっても、言論の自由は最高法規の憲法で認められているものです。憲法とは別の次元のものがあるのでしょうか?
>例えばトランプ氏がどれほどの暴言を吐こうとも言論の自由があるのだから法律で制約を受ける訳ではありませんが、しかしその内容については当然批判の対象となる訳です。
↑
ですから批判は自由です。
ただし、その批判も他人にとっては批判の対象です。
>すぎやま氏らの行為も言論の自由から言えば法的に制約されるものでは有り得ないことは当然なことですが、しかしその言論は民主主義自体を否定しようというものであり、考え方として中国北朝鮮の独裁体制における権力者側の考え方と全く同じですね。
↑
民主主義を否定する意図は無いと思います。
民間放送局にクレームをつけることが民主主義の否定であれば、恐らく放送局は民間人から毎日のようにクレームを受けていると思いますので彼らも民主主義否定者です。
なお、民主主義を否定することも自由です。
内乱罪や外患罪に抵触しない限り自由のはずです。
チャーチルは民主主義を否定はしていませんが批判はしています。
すぎやま氏が何を誓願しようと制約されないとは思いますが、そんな誓願が正当なものと認められることは民主主義自体の否定にほかなりません。
↑
誓願では無く請願です。
憲法16条で認められています。
正当か否かは請願を受けた議員や第三者が判断すれば良いことです。
あなたやすぎやま氏が権力者を賞賛することは自由です。当たり前ですが。
しかし、権力者批判を「偏向」呼ばわりして非難することは民主主義の原則に反する考え方だということです。
↑
その権力者批判が普遍的価値からの批判であるとか、社会通念上合理的な理由があるのであれば今韓国で行われているデモのように日本においても国民はその権力者批判に賛同し行動するでしょう。
しかしながらサヨクメディアの「首相が高級カツカレーを食べた。けしからん」では笛吹けど踊らずは当然です。批判するのは自由ですが批判する方もまた反対に批判されるでしょう。
さて「偏向」という文言を用いて非難することのどこが民主主義の原則にはんするのですか?
「民主主義の原則」とは選挙で選ばれた議員たちが国会という議会でさらにその中から行政の長を選ぶ手続きのことかと存じますが、単にこの過程で合法かつ正当に選ばれた、つまり間接的に請託を受けた一部の議員たち、ということだけでなぜ常に自動的に批判の対象となるのか、はなはだ疑問です。
まあどう批判しようと自由ですけど、そんなことしてもご自分のストレスを溜めるだけかとお思います。
権力批判が駄目だというのでは民主主義ではないですよ
>イーグルとコヨーテさん
何回も申しあげていることだとは思うのですが、政権批判の報道を「偏向」として批判するという、その批判の内容が民主主義を否定するものであるということなんですけどね。
『視聴者の会』に限りませんが保守ウヨク系言論による政権批判権力批判を「偏向」呼ばわりすることがおかしいと思う点は、そもそも何らかの意味で「偏向」しないような立場は有り得ないからです。
時の政権なり権力というものも一つの偏向した立場でしかありません。
ただ、その時の政治情勢によって相対的に多数の議席を得ているというものに過ぎず何か絶対的に無謬な存在なんかではないのですけどね。
まあ、そんなことは当たり前な話なのであって時の政権に対する批判や政権にとって都合の悪いような報道も大いに行われることや政治問題社会問題について大いに議論が行われて初めて民主主義国家だと言えるものですね。
選挙というものも国民の代表者を選ぶという大事な手続きですが、それが充分に民意を反映したものであるためには政権の行う政策や在り方についての自由な報道と議論が不可欠ですね。
当然ながら政権批判もその中に必要不可欠なものとして含まれることになります。
それにも関わらずに政権批判や政権の政策への批判を「偏向」呼ばわりして政権批判権力批判など怪しからんというのでは民主主義の基礎を否定する言論だということです。
そして、そのような考え方も当然民主主義社会においても自由ですし、権力批判を「偏向」だとして批判することも自由ですが民主主義の前提条件を否定するという意味において、かつてあり現在もあるところの、かの「人民民主主義」なるものに限り無く似た考え方だということですね。
何回も申しあげていることだとは思うのですが、政権批判の報道を「偏向」として批判するという、その批判の内容が民主主義を否定するものであるということなんですけどね。
『視聴者の会』に限りませんが保守ウヨク系言論による政権批判権力批判を「偏向」呼ばわりすることがおかしいと思う点は、そもそも何らかの意味で「偏向」しないような立場は有り得ないからです。
時の政権なり権力というものも一つの偏向した立場でしかありません。
ただ、その時の政治情勢によって相対的に多数の議席を得ているというものに過ぎず何か絶対的に無謬な存在なんかではないのですけどね。
まあ、そんなことは当たり前な話なのであって時の政権に対する批判や政権にとって都合の悪いような報道も大いに行われることや政治問題社会問題について大いに議論が行われて初めて民主主義国家だと言えるものですね。
選挙というものも国民の代表者を選ぶという大事な手続きですが、それが充分に民意を反映したものであるためには政権の行う政策や在り方についての自由な報道と議論が不可欠ですね。
当然ながら政権批判もその中に必要不可欠なものとして含まれることになります。
それにも関わらずに政権批判や政権の政策への批判を「偏向」呼ばわりして政権批判権力批判など怪しからんというのでは民主主義の基礎を否定する言論だということです。
そして、そのような考え方も当然民主主義社会においても自由ですし、権力批判を「偏向」だとして批判することも自由ですが民主主義の前提条件を否定するという意味において、かつてあり現在もあるところの、かの「人民民主主義」なるものに限り無く似た考え方だということですね。
No title
愚痴ばかり述べる洲蛇亜林さんへ
>何回も申しあげていることだとは思うのですが、政権批判の報道を「偏向」として批判するという、その批判の内容が民主主義を否定するものであるということなんですけどね。
↑
権力批判を更に批判することは言論の自由の一つです。
言論の双方向性が許されないとはどういう思考で導かれるのでしょうか?
「民主主義を否定する」と仰いますが、この言葉こそが言論の自由を否定する意図が十分あると思います。
その政権批判への批判に対して更に批判するのが民主主義でしょう。
個人的見解を持って民主主義という巨大イデオロギーを語られても困ります。
>時の政権なり権力というものも一つの偏向した立場でしかありません。
↑
少なくとも選挙という民主的手続きにより担保されています。
ただ、その時の政治情勢によって相対的に多数の議席を得ているというものに過ぎず何か絶対的に無謬な存在なんかではないのですけどね。
↑
恐ろしい議会制民主主義軽視ですね。
相対的?戦後71年ですが保守系以外の政党が多数の議席を得ていたのは何年でしょうか?
絶対的な存在で無いならサヨク陣営は何らかの手を打つことができるはずですが、法治国家である以上、憲法が保障する言論の自由しかありません。
そしてその言論の自由で体制側を動かす何かができましたか?
>それにも関わらずに政権批判や政権の政策への批判を「偏向」呼ばわりして政権批判権力批判など怪しからんというのでは民主主義の基礎を否定する言論だということです。
↑
それはあなたのご都合民主主義ということに他なりません。
また世論をご覧になれば大多数の国民はあなたと同じ考えを抱いていないのは明白です。
そしてもう一度お尋ねしますが
「権力批判に対する批判」は許されないのでしょうか?
言論の自由との整合性を含めて法的根拠を教えてください。
もし「許される」のでしたらもう「民主主義の否定」など持ち出さないでください。
>何回も申しあげていることだとは思うのですが、政権批判の報道を「偏向」として批判するという、その批判の内容が民主主義を否定するものであるということなんですけどね。
↑
権力批判を更に批判することは言論の自由の一つです。
言論の双方向性が許されないとはどういう思考で導かれるのでしょうか?
「民主主義を否定する」と仰いますが、この言葉こそが言論の自由を否定する意図が十分あると思います。
その政権批判への批判に対して更に批判するのが民主主義でしょう。
個人的見解を持って民主主義という巨大イデオロギーを語られても困ります。
>時の政権なり権力というものも一つの偏向した立場でしかありません。
↑
少なくとも選挙という民主的手続きにより担保されています。
ただ、その時の政治情勢によって相対的に多数の議席を得ているというものに過ぎず何か絶対的に無謬な存在なんかではないのですけどね。
↑
恐ろしい議会制民主主義軽視ですね。
相対的?戦後71年ですが保守系以外の政党が多数の議席を得ていたのは何年でしょうか?
絶対的な存在で無いならサヨク陣営は何らかの手を打つことができるはずですが、法治国家である以上、憲法が保障する言論の自由しかありません。
そしてその言論の自由で体制側を動かす何かができましたか?
>それにも関わらずに政権批判や政権の政策への批判を「偏向」呼ばわりして政権批判権力批判など怪しからんというのでは民主主義の基礎を否定する言論だということです。
↑
それはあなたのご都合民主主義ということに他なりません。
また世論をご覧になれば大多数の国民はあなたと同じ考えを抱いていないのは明白です。
そしてもう一度お尋ねしますが
「権力批判に対する批判」は許されないのでしょうか?
言論の自由との整合性を含めて法的根拠を教えてください。
もし「許される」のでしたらもう「民主主義の否定」など持ち出さないでください。
No title
みなさんへ
イーグルとコヨーテ氏の憲法における民主主義を何たるかも理解できない、言い掛かりコメントについては、もう相手にしないでください。
イーグルとコヨーテ氏の憲法における民主主義を何たるかも理解できない、言い掛かりコメントについては、もう相手にしないでください。
No title
何度も申し上げますが私は民主党の枝野の師匠である小島和司先生の憲法を受講し優を頂いております。
但し私は東北大学出身ではありません。
非常勤講師としての小島先生の憲法を受けました。
但し私は東北大学出身ではありません。
非常勤講師としての小島先生の憲法を受けました。
No title
>イーグルとコヨーテ氏の憲法における民主主義を何たるかも理解できない、言い掛かりコメントについては、もう相手にしないでください。
↑
ブログ主も「ネトウヨが~」と言っているようでは法の下の平等や思想の自由をお忘れのようですね。
↑
ブログ主も「ネトウヨが~」と言っているようでは法の下の平等や思想の自由をお忘れのようですね。
誉めるときは大声で!悪口を言う時はもっと大声で!!
小西議員が、トランプ氏に面と向かって、「貴方は平和、自由、民主主義を否定する者だ!」と言えるなら、大したものだ。
小西議員の発言と行動に対する評価は、選挙の際に、日本国の主権者たる日本国民の投票行動という形で、彼と彼が所属する政党の上に降りかかることでしょう。
小西議員の発言と行動に対する評価は、選挙の際に、日本国の主権者たる日本国民の投票行動という形で、彼と彼が所属する政党の上に降りかかることでしょう。
No title
つか、イーグルとコヨーテ氏は、自分と意見が全然違うブログ主のコメント欄になぜこれほど異常なまでに執着しとるの?気持ち悪っ。
No title
>つか、イーグルとコヨーテ氏は、自分と意見が全然違うブログ主のコメント欄になぜこれほど異常なまでに執着しとるの?気持ち悪っ。
↑
「なぜ」の根拠は明確に言えます。
言論の自由という権利です。
↑
「なぜ」の根拠は明確に言えます。
言論の自由という権利です。
No title
>小西議員が、トランプ氏に面と向かって、「貴方は平和、自由、民主主義を否定する者だ!」と言えるなら、大したものだ。
↑
ツイッターとはいえ、次期大統領に対してこれだけのことを言ったのだからアメリカは情報を把握しているはず。
小西氏がアメリカ政府からペルソナ・ノン・グラータに指定されても不思議ではない。
↑
ツイッターとはいえ、次期大統領に対してこれだけのことを言ったのだからアメリカは情報を把握しているはず。
小西氏がアメリカ政府からペルソナ・ノン・グラータに指定されても不思議ではない。
No title
↑
上記コメント訂正いたします。
ペルソナ・ノン・グラータは外交官及びそれに準ずる者への対応でした。
単なる入国拒否です。
上記コメント訂正いたします。
ペルソナ・ノン・グラータは外交官及びそれに準ずる者への対応でした。
単なる入国拒否です。
再読愚考:全く猪野先生のおっしゃる通り
>日本は立憲民主制です。民主主義も憲法の枠内でのみ正当性を持つものです。
>多数派を選挙でとれば何をしても良いというものではありません。
>あくまで憲法の枠内という限定がつきます。
>それが立憲民主制です。
>多数決=民主主義は明確な誤りです。欺されないでくださいね。
↑
全く猪野先生のおっしゃる通りだと思う。
>多数派を選挙でとれば何をしても良いというものではありません。
>あくまで憲法の枠内という限定がつきます。
>それが立憲民主制です。
>多数決=民主主義は明確な誤りです。欺されないでくださいね。
↑
全く猪野先生のおっしゃる通りだと思う。