コメント
飲酒・喫煙について
わたしはクリスチャンになってから飲酒・喫煙をやめています。
やめてみるとこれがまことに都合がよい。
飲酒をやめてからみるみる血液検査の数値が好転するし、ムダと思う飲み会は避けられる。
気の置けない仲間たちとの団らんはウーロン茶で通すことで問題なし。
会話が弾むからアルコールは必要ありません。
喫煙場所を求めて駅やビルを徘徊することもなく、居住空間や衣服がタバコ臭くなることもない。
そのうえおサイフにもやさしい。
なんでもっと早く辞めておかなかったのだろうと思うことしきりです。
ただし、酒・タバコを全否定しているわけではありません。
ワイン・ビール・タバコ栽培は修道院の文化としてキリスト教会が支えてきた側面もあります。
イエス自身、反対派からは「食いしんぼうの大酒のみ」(マタイ11:19)と揶揄されるように飲酒をしなかったわけではありません。
アメリカ並みに規制を厳しくすべきと思います。
やめてみるとこれがまことに都合がよい。
飲酒をやめてからみるみる血液検査の数値が好転するし、ムダと思う飲み会は避けられる。
気の置けない仲間たちとの団らんはウーロン茶で通すことで問題なし。
会話が弾むからアルコールは必要ありません。
喫煙場所を求めて駅やビルを徘徊することもなく、居住空間や衣服がタバコ臭くなることもない。
そのうえおサイフにもやさしい。
なんでもっと早く辞めておかなかったのだろうと思うことしきりです。
ただし、酒・タバコを全否定しているわけではありません。
ワイン・ビール・タバコ栽培は修道院の文化としてキリスト教会が支えてきた側面もあります。
イエス自身、反対派からは「食いしんぼうの大酒のみ」(マタイ11:19)と揶揄されるように飲酒をしなかったわけではありません。
アメリカ並みに規制を厳しくすべきと思います。
パワハラですよ、酒席なんてのは!
うんと昔勤めていた所に忘年会になると
暴れる古参のバカがいた。
私なぞは酒とは冬の夜、寒さ対策でコーヒーカップにプランデーかウィスキーをキャップに一杯、ほんの少し入れて混ぜるくらいにしか原則使わないからほんと
拷問に近いものとしか思えなかった。
当然飲まないで対処していたら絡んでくるんだな、このバカが。
『お前が注文したそのコーヒーは一体誰の、どこの金で支払うのか』なんてことをすごみながら責め立てる。
『お前が稼いだ金なのか』など、何だか
意味不明な戯言なのでハイハイと流すと
そこらの皿などを叩き割り始めたり、正に何とか水とはこのことだった。
これがそこらのバカならばまだしも、古参で空手などの資格者でもある武道派なので始末に終えなかった。
もうそこを退職する前のころは、もっけのさいわいとばかりにこの馬鹿者の絡みを利用して宴会場から出て行っていた。
この馬鹿者の考えでは楽しく酒を注文する分にはいくらやっても構わない。コーヒーなどは想定外な出費だから無駄遣いということなんだそうな。だからこちらも自腹でコーヒーや烏龍茶を注文していたのだが、そんなこともお構いなし。
古参の酒乱男だからと会社の偉いさんも
放置していた。
何が忘年会?こんなチンピラ紛いと同席して暴行されるかもしれないリスクをしょいながらってパワハラ以外のなにものでもない。出ていって大正解だった。
しかし私のようなのは極端な例としても
この国には『同調圧力』なる恐ろしい慣習がはびこっている。だからケースバイケースなどと軽視してよいテーマではないと言いたい。隔世の感ありだが私の学生時代、あの頃はまだ一気飲みなども当たり前だったと思う。大学祭でこれがもとで死者が出て、学内の飲酒に規制がかけられ始めたのも思い出した。
折角子供を大学に入れてこのざまか?と
嘆く親の気持ちも考えると、酒は身を滅ぼすなんてものじゃなく、凶器である。
刃物と同じ。他人さまに向けるものでは
決してない。
酒を愛し、酒でもって語らえるという同好の士『だけ』のものとして扱うべきだと思う。飲めない人や弱い人に向けることは犯罪だ!
加えて酒以前の問題として、酒をたしなむ場所は喫煙場所という傾向が極めて強いということもある。
禁煙パチンコを最近見かけて驚いたが、
あんな博徒が集う所にでさえ禁煙対策が
始まったとはいえ、やはり酒場といえば
喫煙場所だろう。
私には忘年会なんて百害あってなんとやらとしか思えない。本当に一年のお疲れ様などをやりたいなら、気持ちの合う人とだけでやればよいし、やらないことで
よりプライベートタイムの拡充に努めた方が労使ともに合理的である。
暴れる古参のバカがいた。
私なぞは酒とは冬の夜、寒さ対策でコーヒーカップにプランデーかウィスキーをキャップに一杯、ほんの少し入れて混ぜるくらいにしか原則使わないからほんと
拷問に近いものとしか思えなかった。
当然飲まないで対処していたら絡んでくるんだな、このバカが。
『お前が注文したそのコーヒーは一体誰の、どこの金で支払うのか』なんてことをすごみながら責め立てる。
『お前が稼いだ金なのか』など、何だか
意味不明な戯言なのでハイハイと流すと
そこらの皿などを叩き割り始めたり、正に何とか水とはこのことだった。
これがそこらのバカならばまだしも、古参で空手などの資格者でもある武道派なので始末に終えなかった。
もうそこを退職する前のころは、もっけのさいわいとばかりにこの馬鹿者の絡みを利用して宴会場から出て行っていた。
この馬鹿者の考えでは楽しく酒を注文する分にはいくらやっても構わない。コーヒーなどは想定外な出費だから無駄遣いということなんだそうな。だからこちらも自腹でコーヒーや烏龍茶を注文していたのだが、そんなこともお構いなし。
古参の酒乱男だからと会社の偉いさんも
放置していた。
何が忘年会?こんなチンピラ紛いと同席して暴行されるかもしれないリスクをしょいながらってパワハラ以外のなにものでもない。出ていって大正解だった。
しかし私のようなのは極端な例としても
この国には『同調圧力』なる恐ろしい慣習がはびこっている。だからケースバイケースなどと軽視してよいテーマではないと言いたい。隔世の感ありだが私の学生時代、あの頃はまだ一気飲みなども当たり前だったと思う。大学祭でこれがもとで死者が出て、学内の飲酒に規制がかけられ始めたのも思い出した。
折角子供を大学に入れてこのざまか?と
嘆く親の気持ちも考えると、酒は身を滅ぼすなんてものじゃなく、凶器である。
刃物と同じ。他人さまに向けるものでは
決してない。
酒を愛し、酒でもって語らえるという同好の士『だけ』のものとして扱うべきだと思う。飲めない人や弱い人に向けることは犯罪だ!
加えて酒以前の問題として、酒をたしなむ場所は喫煙場所という傾向が極めて強いということもある。
禁煙パチンコを最近見かけて驚いたが、
あんな博徒が集う所にでさえ禁煙対策が
始まったとはいえ、やはり酒場といえば
喫煙場所だろう。
私には忘年会なんて百害あってなんとやらとしか思えない。本当に一年のお疲れ様などをやりたいなら、気持ちの合う人とだけでやればよいし、やらないことで
よりプライベートタイムの拡充に努めた方が労使ともに合理的である。
奢りますという誘いなら
奢りますという誘いなら、残業手当付けて下さいという人はいないでしょう。昼食に500円投じることをためらうとっても貧しい上司と、公園のベンチで裂きイカを片手にビールを飲みながら語ると、世間の底辺が見えてきて今をときめくビジネスアイディアが生まれてくるかもしれません。
No title
かつて「タバコくらいで神経質なこと言って」という声に怒っていた人たちの嫌煙権が広く認められるようになり、タバコの害について訴える人たちは今や様々な場面で拍手喝采で迎えられるヒーロー(ヒロイン)です。
ところが、そのような「ヒーロー(ヒロイン)」の中には「お酒はいいものじゃない、お酒くらいで何言ってるの」と眉をひそめる人たちもいます。これ、不思議です。なぜ理解ができないのでしょう(と、言ってみても、「タバコは害でお酒は害じゃないから」と返ってくるのですが)。同じように嫌ってくれ(好きになれ)ということではないのに。利己的。
そんな人から「飲まなくてもいいから来なさい」と飲み会に誘われると「あなたが一緒に喫煙室で過ごしてくれるなら。あなたは吸わなくてもいいんですよ、いるだけで」と言いたくなります(まだ言ったことないけど)。
ところが、そのような「ヒーロー(ヒロイン)」の中には「お酒はいいものじゃない、お酒くらいで何言ってるの」と眉をひそめる人たちもいます。これ、不思議です。なぜ理解ができないのでしょう(と、言ってみても、「タバコは害でお酒は害じゃないから」と返ってくるのですが)。同じように嫌ってくれ(好きになれ)ということではないのに。利己的。
そんな人から「飲まなくてもいいから来なさい」と飲み会に誘われると「あなたが一緒に喫煙室で過ごしてくれるなら。あなたは吸わなくてもいいんですよ、いるだけで」と言いたくなります(まだ言ったことないけど)。