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場外乱闘
本来向き合うべき待機児童問題を放り出して、「死ね」が表現として妥当かどうかにばかり論議が集中している。これでは問題提起の効果も半減、いや、激減だ。やはり言葉は選ぶべきか。
ところで、最初に件の書き込みを行った人物は、今どんな心境だろうか?あれは、本当に保育園に落ちて、怒りと絶望がないまぜになった状態で、つい過激な言葉を書き込んでしまったのだろうか?これ程大騒ぎになったことを、今どう思っているのか知りたい。
ところで、最初に件の書き込みを行った人物は、今どんな心境だろうか?あれは、本当に保育園に落ちて、怒りと絶望がないまぜになった状態で、つい過激な言葉を書き込んでしまったのだろうか?これ程大騒ぎになったことを、今どう思っているのか知りたい。
No title
>非常に丁寧です。 ~攻撃しているのです。
悪罵 ← 妄想ですね。
日本社会における病理に目を向けることなく ← 妄想ですね。
ただ「死ね」という言葉だけを取り出して攻撃しているのです。
↑ 妄想ですね。しかも被害妄想。
>待機児童についての問題提起であれば、
>「死ね」は必要ないなどというのも言い掛かりの類いでしかありません。
自分の意見と合わなかったり返答に窮したりすると、
「言い掛かり」と言うのはブログ主の悪い癖。
待機児童についての問題提起において、「死ね」という言葉は
「絶対に必要で無い」のは事実。
他のエントリーで
件のブログ、感情のままヒステリックに書いた野蛮で自己中心的な文体だ、
などとコメントされていたのを見てましたか?
>この問題は、あのブログの言葉によって~気に入らないだけなのです。
私は「死ね」という言葉が流行語大賞に取り上げられたことに、
やや反対の考えを持ってますが、
かといって政治問題に発展したこと自体には歓迎しており、
これからも待機児童に関しては、
政治問題にドンドンしてほしいと思っています。
むしろ、逆に待機児童の問題が政治問題化したことが気に入らない人、
私は知らないですね。
「動機が見え見えで政治問題化したことが気に入らないだけ」というのは、
ブログ主の「 妄 想 」だと思います。
それと、書いた本人は
恐らく政治を大きく動かすところまで意図してないでしょう。
しかし、「政治家の目に留まり、政治家が政治利用した」、
現実はこんなところでしょう。
>私がこの言葉に対して~リベラルを自称することもやめた方がいいでしょう。
これも妄想。
底が浅い←「死ね」という野蛮な言葉に執着するブログ主さんの方では?
>ところで「各種世論調査」では~意義が失われることは全くありません。
しかし他の表現を採っても待機児童解消という意義はありますよね?
>むしろ、ネット界の執拗な言い掛かりと、~このご意見も非常に参考になりました。
私にはブログ主の妄想による言い掛かりにしか見えません。
弁護士がこんなことをしていいのでしょうか?
>言葉尻だけを捉えた言葉狩りには、非常に憤りを感じます。
お好きなように憤りを感じ続けてください。
多くの読者は「言葉尻だけを捉えた言葉狩りをしているのはブログ主の方」と思うことでしょう。
それにしても、このコメントだけで
「妄想」っていう言葉、何回使ったことやら…。
悪罵 ← 妄想ですね。
日本社会における病理に目を向けることなく ← 妄想ですね。
ただ「死ね」という言葉だけを取り出して攻撃しているのです。
↑ 妄想ですね。しかも被害妄想。
>待機児童についての問題提起であれば、
>「死ね」は必要ないなどというのも言い掛かりの類いでしかありません。
自分の意見と合わなかったり返答に窮したりすると、
「言い掛かり」と言うのはブログ主の悪い癖。
待機児童についての問題提起において、「死ね」という言葉は
「絶対に必要で無い」のは事実。
他のエントリーで
件のブログ、感情のままヒステリックに書いた野蛮で自己中心的な文体だ、
などとコメントされていたのを見てましたか?
>この問題は、あのブログの言葉によって~気に入らないだけなのです。
私は「死ね」という言葉が流行語大賞に取り上げられたことに、
やや反対の考えを持ってますが、
かといって政治問題に発展したこと自体には歓迎しており、
これからも待機児童に関しては、
政治問題にドンドンしてほしいと思っています。
むしろ、逆に待機児童の問題が政治問題化したことが気に入らない人、
私は知らないですね。
「動機が見え見えで政治問題化したことが気に入らないだけ」というのは、
ブログ主の「 妄 想 」だと思います。
それと、書いた本人は
恐らく政治を大きく動かすところまで意図してないでしょう。
しかし、「政治家の目に留まり、政治家が政治利用した」、
現実はこんなところでしょう。
>私がこの言葉に対して~リベラルを自称することもやめた方がいいでしょう。
これも妄想。
底が浅い←「死ね」という野蛮な言葉に執着するブログ主さんの方では?
>ところで「各種世論調査」では~意義が失われることは全くありません。
しかし他の表現を採っても待機児童解消という意義はありますよね?
>むしろ、ネット界の執拗な言い掛かりと、~このご意見も非常に参考になりました。
私にはブログ主の妄想による言い掛かりにしか見えません。
弁護士がこんなことをしていいのでしょうか?
>言葉尻だけを捉えた言葉狩りには、非常に憤りを感じます。
お好きなように憤りを感じ続けてください。
多くの読者は「言葉尻だけを捉えた言葉狩りをしているのはブログ主の方」と思うことでしょう。
それにしても、このコメントだけで
「妄想」っていう言葉、何回使ったことやら…。
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ウヨクの巧妙な政治的行動とリベラルの落とし穴
つるの剛士の思惑が一定の成功を収めたということですね。
つるの剛士は、本当は「死ね」という言葉を問題視しているのではなくて「日本死ね」の部分が我慢出来ないのでしょう。
つまり「死ね」一般が駄目だというのではなくて「日本」という特定対象に対しての「死ね」が駄目だと言っているのです。
それを曖昧にして「汚い言葉」と言うことで何か「死ね」だけを問題にしているような錯覚を起こさせることに成功し、事実擁護する人たちもそのように弁護しているわけです。
つるの剛士は歴史観や国家観はナイーブな認識しか持ってないと思いますが、その政治的行動は意図した効果を出すには何を為すべきかをよくわきまえたものでプロ的な域に達しているのではないかと賞賛したいところですね。
そして、それを擁護する人たちもそのあたりは十分に分かっていて擁護しているとですから、政治行動はどうすれば効果的なのかについて熟達していると思います。
それに対して一部リベラル的な人の中には「正しさ」ということに拘るあまり、どうしてつるの剛士があのようなツイートを出してネットウヨクな人々が応援しているのかが見えていない人たちがいるようです。
そういう「正しさ」に誠実に拘るというところがリベラルの特質とも言えますが、しかしそれだけでは政治的に何を為すべきかを熟知しているネットウヨク勢力には対抗出来ないと思うのです。
つるの剛士は、本当は「死ね」という言葉を問題視しているのではなくて「日本死ね」の部分が我慢出来ないのでしょう。
つまり「死ね」一般が駄目だというのではなくて「日本」という特定対象に対しての「死ね」が駄目だと言っているのです。
それを曖昧にして「汚い言葉」と言うことで何か「死ね」だけを問題にしているような錯覚を起こさせることに成功し、事実擁護する人たちもそのように弁護しているわけです。
つるの剛士は歴史観や国家観はナイーブな認識しか持ってないと思いますが、その政治的行動は意図した効果を出すには何を為すべきかをよくわきまえたものでプロ的な域に達しているのではないかと賞賛したいところですね。
そして、それを擁護する人たちもそのあたりは十分に分かっていて擁護しているとですから、政治行動はどうすれば効果的なのかについて熟達していると思います。
それに対して一部リベラル的な人の中には「正しさ」ということに拘るあまり、どうしてつるの剛士があのようなツイートを出してネットウヨクな人々が応援しているのかが見えていない人たちがいるようです。
そういう「正しさ」に誠実に拘るというところがリベラルの特質とも言えますが、しかしそれだけでは政治的に何を為すべきかを熟知しているネットウヨク勢力には対抗出来ないと思うのです。
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No title
実は、この『保育園落ちた!日本死ね』自体、一週間ほどしか流行らなかった言葉なんですよね。
みんな忘れてるのかもしれませんが、これが国会に採り上げられた時はセンセーショナルに報道されましたが、詳細に調べてみると、民主党政権時よりも待機児童問題への取り組みが為されてることが明らかになり、報道されなくなりましたよね。
とりあえず、自分と意見が違うからといって、右翼だ、ネトウヨだと決めつけるのはどうかと思います。
みんな忘れてるのかもしれませんが、これが国会に採り上げられた時はセンセーショナルに報道されましたが、詳細に調べてみると、民主党政権時よりも待機児童問題への取り組みが為されてることが明らかになり、報道されなくなりましたよね。
とりあえず、自分と意見が違うからといって、右翼だ、ネトウヨだと決めつけるのはどうかと思います。
どこが?
>「良い言葉ではないが、世の中を動かした。そこには言葉の力があった」
一野党議員が国会に持ち出した、ただそれだけ、政策にも法案にも結び付かなかった言葉が、「世の中を動かした」?、「力があった」?
物は言いようですな。こんないい加減な言い訳をする者が「日本や日本語を愛している」なんて述べても、誰が本気にしますか。
つるの剛士のセリフは、極めて自然で常識に沿ったものです。
一野党議員が国会に持ち出した、ただそれだけ、政策にも法案にも結び付かなかった言葉が、「世の中を動かした」?、「力があった」?
物は言いようですな。こんないい加減な言い訳をする者が「日本や日本語を愛している」なんて述べても、誰が本気にしますか。
つるの剛士のセリフは、極めて自然で常識に沿ったものです。
No title
私も、この件について、こちらのブログでいくつかコメントしてまいりました(こわごわ)。↓こんな感じで。
>「死ね」とか「日本死ね」だったら、何かの間違いとしか思えませんが、
>「保育園落ちた日本死ね」は、現代社会の一つの問題点をあぶり出す、歴史に残るフレーズであることは間違いないのではないでしょうか。
>「美しい名言大賞」じゃないんですから。
たとえ、このフレーズが発信者を離れて独り歩きした結果だとしてもこのように思います。
ツィッターはほとんど見なくなりましたが、記事中に引かれたツィートを読んで、選考時にこのような議論があったのであれば、講評として、選ばれた「流行語」と同時に発表されたらよかったのに、と思いました。
用いられた一部の表現への抵抗はわかるからです(俵さんも同様のようですね)。
このフレーズへの拒絶反応をいたずらに糾弾・断罪する前に、丁寧な説明があってもよかったのではないかと思います。
「リベラル」の自称には私は非常~っに違和感。「どんな意味で?」と聞きたくなります(聞いたことはありません)。後年、その発言や行動が他者によってどう評価されるかわからないのに。ある意味、勇気あるなあ!と思います。しかし、この記事中に登場するリベラルさんは、もしかしたら別の意味合いで使われているのかもしれません(謎です)。
主催者はユーキャンという通信教育の会社。すごい宣伝になったことは間違いないみたいです。
>「死ね」とか「日本死ね」だったら、何かの間違いとしか思えませんが、
>「保育園落ちた日本死ね」は、現代社会の一つの問題点をあぶり出す、歴史に残るフレーズであることは間違いないのではないでしょうか。
>「美しい名言大賞」じゃないんですから。
たとえ、このフレーズが発信者を離れて独り歩きした結果だとしてもこのように思います。
ツィッターはほとんど見なくなりましたが、記事中に引かれたツィートを読んで、選考時にこのような議論があったのであれば、講評として、選ばれた「流行語」と同時に発表されたらよかったのに、と思いました。
用いられた一部の表現への抵抗はわかるからです(俵さんも同様のようですね)。
このフレーズへの拒絶反応をいたずらに糾弾・断罪する前に、丁寧な説明があってもよかったのではないかと思います。
「リベラル」の自称には私は非常~っに違和感。「どんな意味で?」と聞きたくなります(聞いたことはありません)。後年、その発言や行動が他者によってどう評価されるかわからないのに。ある意味、勇気あるなあ!と思います。しかし、この記事中に登場するリベラルさんは、もしかしたら別の意味合いで使われているのかもしれません(謎です)。
主催者はユーキャンという通信教育の会社。すごい宣伝になったことは間違いないみたいです。
ナイフの傷跡
「保育園落ちた日本死ね」
これと似た感触の言葉を以前聞いた記憶があって考えていました。
「希望は戦争」
論座2007年1月号に掲載された赤木智弘氏の論文タイトルの一部です。
(タイトル全文は『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は戦争。』)
戦争が希望であるという発想に驚き、暗澹たる気持ちになったことを思い出しました。
「日本死ね」が待機児童問題をナイフでえぐりだしたとするなら、「希望は戦争」は非正規雇用問題を鈍器でたたき出したような印象があります。
ただ、嫌悪感は「日本死ね」のほうがはるかに強い。
「希望は戦争」は、ある意味、真珠湾攻撃の一報を聞いて晴々した気分になる当時の日本人作家のようなフワフワ感をぬぐいえない。
「日本死ね」には、単に「死ねは言葉としてよくない」以上のおぞましさを私は感じます。
なぜなのか?
「日本死ね」という言葉は人によって二通りの理解を示すからではないかと考えています。
理解1.「日本死ね」→「日本国は死ね」→「日本国のエスタブリッシュメントは死ね」(国のあり方に対する非難)
理解2.「日本死ね」→「日本人は死ね」→「お前は死ね」(自分に対する攻撃)
山尾志桜里氏をはじめとするこの言葉を評価する人は「理解1」の流れでこの言葉を解釈しているのでしょう。
逆にこの言葉に拒否感が強い人は「理解2」の流れでこの言葉を受け取っているのでしょう。
(国のあり方に対する非難なら山尾氏がニコニコ顔で受賞しても問題ない。逆に日本人全体に対する攻撃と理解しているなら笑顔になれるはずがない。)
「日本死ね」
私はこの言葉が嫌いです。
しかし、そのナイフの傷跡を私は見つめることにします。
これと似た感触の言葉を以前聞いた記憶があって考えていました。
「希望は戦争」
論座2007年1月号に掲載された赤木智弘氏の論文タイトルの一部です。
(タイトル全文は『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は戦争。』)
戦争が希望であるという発想に驚き、暗澹たる気持ちになったことを思い出しました。
「日本死ね」が待機児童問題をナイフでえぐりだしたとするなら、「希望は戦争」は非正規雇用問題を鈍器でたたき出したような印象があります。
ただ、嫌悪感は「日本死ね」のほうがはるかに強い。
「希望は戦争」は、ある意味、真珠湾攻撃の一報を聞いて晴々した気分になる当時の日本人作家のようなフワフワ感をぬぐいえない。
「日本死ね」には、単に「死ねは言葉としてよくない」以上のおぞましさを私は感じます。
なぜなのか?
「日本死ね」という言葉は人によって二通りの理解を示すからではないかと考えています。
理解1.「日本死ね」→「日本国は死ね」→「日本国のエスタブリッシュメントは死ね」(国のあり方に対する非難)
理解2.「日本死ね」→「日本人は死ね」→「お前は死ね」(自分に対する攻撃)
山尾志桜里氏をはじめとするこの言葉を評価する人は「理解1」の流れでこの言葉を解釈しているのでしょう。
逆にこの言葉に拒否感が強い人は「理解2」の流れでこの言葉を受け取っているのでしょう。
(国のあり方に対する非難なら山尾氏がニコニコ顔で受賞しても問題ない。逆に日本人全体に対する攻撃と理解しているなら笑顔になれるはずがない。)
「日本死ね」
私はこの言葉が嫌いです。
しかし、そのナイフの傷跡を私は見つめることにします。
No title
何が何でも、この件をウヨクVSリベラルの対立物差しで測りたい様ですね。妙に好戦的なのもそのせい?
(「死ね」を言う必要はないというのは、動機が見え見えで政治問題化したこと が気に入らないだけなのです。)
⇒何の根拠があって言っているのですか?憶測で断定するのは良くないです。
そもそも待機児童の問題は、以前から社会問題として挙がっていましたし、それを政治で取り上げることに異論を唱える人はあまりいないのでは??御自分の妄想で他人の心を断定しないでください。
ちなみに今の総理大臣の名前を知らぬウチの短大生も、友達同士で、流行語に「保育園落ちた日本死ね」がノミネートなんて違和感あるよね~と話をしてましたよ。政治に全く興味も無い彼女らもウヨクなんですか??他人の痛みが分からぬネトウヨなんですか??
つまりそーいうことだと思うんです。
(「死ね」を言う必要はないというのは、動機が見え見えで政治問題化したこと が気に入らないだけなのです。)
⇒何の根拠があって言っているのですか?憶測で断定するのは良くないです。
そもそも待機児童の問題は、以前から社会問題として挙がっていましたし、それを政治で取り上げることに異論を唱える人はあまりいないのでは??御自分の妄想で他人の心を断定しないでください。
ちなみに今の総理大臣の名前を知らぬウチの短大生も、友達同士で、流行語に「保育園落ちた日本死ね」がノミネートなんて違和感あるよね~と話をしてましたよ。政治に全く興味も無い彼女らもウヨクなんですか??他人の痛みが分からぬネトウヨなんですか??
つまりそーいうことだと思うんです。
「保育園落ちた日本SHINE」
タイトルに関しては後に始めたTwitterから推察するに
2年前に政府の『輝く女性応援会議』がアメブロに開設したオフィシャルブログ「SHINE! ~すべての女性が、輝く日本へ~」にかけていると思われます
これは当時、SHINEがシャインとは読まれずにローマ字読みされると意味が180度違ってしまうという騒動
「保育園落ちた日本SHINE」と書くと分かりやすい
保育園落ちる日本はシャインか?と問えば、違うだろうとという話
しかしその一方で保育園落ちても輝けるという意見もある
それはそれでいいのだが、これは保育園落ちた人だけの意見ではなく安倍政権の意見でもあることも忘れてはいけない
安倍政権は、産みたくない人には強制しないが
産みたい人には産みやすい環境、働きたい人には 働きやすい環境をつくることが政策となっていて
それを日本経済の成長戦略の中核と位置づけている
政策が違うなら安倍政権を支持しなければいいのだが
保育園落ちた人を叩く人は安倍政権支持者たったりする
長谷川豊氏等は、待機児童対策で安倍政権とは違う政策を示しながら安倍政権は支持し、保育園落ちた人は叩く矛盾したことをしている
政策は支持してないのに安倍政権を支持する典型といっていい
他にも、日頃パチンコ屋は潰せというような人達が、こういうときだけ託児所のあるパチンコ屋で働けと保育園落ちた人に文句を言ったり
嫌韓の人達も、舛添降ろしに利用するだけで、希望通り舛添知事を辞めさせたら、後は知らん顔ですわ
「言葉遣い」を問題にする人達は
キレイな言葉を遣う人達の意見は全く聞かないという矛盾したことをしている
そもそも保育園落ちた人のブログに書いてある疑問に答える形で、おときた氏や、駒崎氏が取り上げ、それが拡散したキッカケである
ところが肝心の、おときた氏や、駒崎氏の意見など全然知らない
どうなってんの?ですね
2年前に政府の『輝く女性応援会議』がアメブロに開設したオフィシャルブログ「SHINE! ~すべての女性が、輝く日本へ~」にかけていると思われます
これは当時、SHINEがシャインとは読まれずにローマ字読みされると意味が180度違ってしまうという騒動
「保育園落ちた日本SHINE」と書くと分かりやすい
保育園落ちる日本はシャインか?と問えば、違うだろうとという話
しかしその一方で保育園落ちても輝けるという意見もある
それはそれでいいのだが、これは保育園落ちた人だけの意見ではなく安倍政権の意見でもあることも忘れてはいけない
安倍政権は、産みたくない人には強制しないが
産みたい人には産みやすい環境、働きたい人には 働きやすい環境をつくることが政策となっていて
それを日本経済の成長戦略の中核と位置づけている
政策が違うなら安倍政権を支持しなければいいのだが
保育園落ちた人を叩く人は安倍政権支持者たったりする
長谷川豊氏等は、待機児童対策で安倍政権とは違う政策を示しながら安倍政権は支持し、保育園落ちた人は叩く矛盾したことをしている
政策は支持してないのに安倍政権を支持する典型といっていい
他にも、日頃パチンコ屋は潰せというような人達が、こういうときだけ託児所のあるパチンコ屋で働けと保育園落ちた人に文句を言ったり
嫌韓の人達も、舛添降ろしに利用するだけで、希望通り舛添知事を辞めさせたら、後は知らん顔ですわ
「言葉遣い」を問題にする人達は
キレイな言葉を遣う人達の意見は全く聞かないという矛盾したことをしている
そもそも保育園落ちた人のブログに書いてある疑問に答える形で、おときた氏や、駒崎氏が取り上げ、それが拡散したキッカケである
ところが肝心の、おときた氏や、駒崎氏の意見など全然知らない
どうなってんの?ですね
ニュートラルな有名タレントの何なる感想ではない
まあ、政治に全く興味が無くて今の総理大臣の名前を知らないような短大生ならば、待期児童の問題にさして関心も無く『保育園落ちた日本死ね』ブログの内容も知らないでしょうから、なんでそれがノミネートされたのかも分からないことは当たり前だと思えます。
俵万智氏のように、たとえ「死ね」が良い言葉だとは感じていなくても、その言葉の力が世の中に問題の在りかを指し示したと考える人であるならば、流行語大賞のトップテンに入ったことには賛同するでしょうけどね。
世の中必ずしも待期児童問題を深刻な社会問題としては捉えてはいない人も大勢いると思われます。
確かに直接我が事に関わるものでなければ待期児童問題のあることさえ殆ど認知していない人も多いはずですし、まして近所に保育園新設されることに反対する事例もあるそうですからなおさら、そう言えるのではないかと思います。
従って、こういう状況で有名タレントがあのようなツイートを出して「汚い言葉」だとして反対を表明すれば多くの人が何となく「そうだよな」と思ってしまうのも不思議なことではないと思います。
件の有名タレント、つまりつるの剛士のツイートを単に親としての感想だと見ることは、あまりにも一面的であります。
そして、単に「死ね」という言葉が問題だと言ってるのでないことも明らかで、そもそも何が「汚い言葉」なのかをつるの剛士は明示してはいません。
つるの剛士の、そのツイートは単なる感想というよりは明らかにトップテン入りに反対するという明確な意思表示と、それを「汚い言葉」として断罪し同時に山尾氏を非難するというアジテーション的なものだと思えます。
世間では今も一般的には、つるの剛士が政治的なものに関わりを持たないニュートラルな立場の人物だと錯覚しているのかも知れませんが、実はそうではなくてかなり特定の政治的立場をとっていることは当ブログの記事からも分かることだと思います。
従って、ネットウヨク的な人々が熱心にこれを擁護し、そしてリベラル的な人もこれに引きずられて「確かに問題がある」「こうすれば非難されなかったのに」と言ってしまうという現象もあると思います。
この辺り、貧しいが故に進学を断念した女子高生へのバッシングに似ていない状況とも言えないわけです。
俵万智氏のように、たとえ「死ね」が良い言葉だとは感じていなくても、その言葉の力が世の中に問題の在りかを指し示したと考える人であるならば、流行語大賞のトップテンに入ったことには賛同するでしょうけどね。
世の中必ずしも待期児童問題を深刻な社会問題としては捉えてはいない人も大勢いると思われます。
確かに直接我が事に関わるものでなければ待期児童問題のあることさえ殆ど認知していない人も多いはずですし、まして近所に保育園新設されることに反対する事例もあるそうですからなおさら、そう言えるのではないかと思います。
従って、こういう状況で有名タレントがあのようなツイートを出して「汚い言葉」だとして反対を表明すれば多くの人が何となく「そうだよな」と思ってしまうのも不思議なことではないと思います。
件の有名タレント、つまりつるの剛士のツイートを単に親としての感想だと見ることは、あまりにも一面的であります。
そして、単に「死ね」という言葉が問題だと言ってるのでないことも明らかで、そもそも何が「汚い言葉」なのかをつるの剛士は明示してはいません。
つるの剛士の、そのツイートは単なる感想というよりは明らかにトップテン入りに反対するという明確な意思表示と、それを「汚い言葉」として断罪し同時に山尾氏を非難するというアジテーション的なものだと思えます。
世間では今も一般的には、つるの剛士が政治的なものに関わりを持たないニュートラルな立場の人物だと錯覚しているのかも知れませんが、実はそうではなくてかなり特定の政治的立場をとっていることは当ブログの記事からも分かることだと思います。
従って、ネットウヨク的な人々が熱心にこれを擁護し、そしてリベラル的な人もこれに引きずられて「確かに問題がある」「こうすれば非難されなかったのに」と言ってしまうという現象もあると思います。
この辺り、貧しいが故に進学を断念した女子高生へのバッシングに似ていない状況とも言えないわけです。
No title
人間は「考える動物」ではありますが、「感情の動物」でもありますよね。
その「感情」の部分が嫌悪感を示している訳だから、「理屈」で「問題提起だから」「読解力がない」とか言われても、そもそも判断する基準が違うように思いますが。
選考委員は重みを持たせたいのだろうけど、普通の人にとって流行語大賞なんて、「まぁ、好きか嫌いか」レベルの話じゃないですか。何も深読みする必要などないと思います。例えば、調べたら分かるだろうけど、3年前の流行語大賞など即答できる人は少ないでしょう。
そんなところに、「死ね!」なんて「普通の人なら嫌悪感を持つ」表現方法をわざわざ持ち込まないでよね。「又、面倒くさいね~」って感じなんですけど。
それに、そんなに流行ってたかな。
その「感情」の部分が嫌悪感を示している訳だから、「理屈」で「問題提起だから」「読解力がない」とか言われても、そもそも判断する基準が違うように思いますが。
選考委員は重みを持たせたいのだろうけど、普通の人にとって流行語大賞なんて、「まぁ、好きか嫌いか」レベルの話じゃないですか。何も深読みする必要などないと思います。例えば、調べたら分かるだろうけど、3年前の流行語大賞など即答できる人は少ないでしょう。
そんなところに、「死ね!」なんて「普通の人なら嫌悪感を持つ」表現方法をわざわざ持ち込まないでよね。「又、面倒くさいね~」って感じなんですけど。
それに、そんなに流行ってたかな。
No title
本筋からはそれるので承認されなくてもしかたないです。言葉尻を、とされるのなら、それもそれで。
この件について短大生とか首相の名前を書けない・知らないとか関係ないと思います。特定の人たちであったとしても。
万国の労働者にも短大で学びながら、あるいは学んできたばかり、という人もいらっしゃるでしょうし、右(寄り)の人々が学ぶ場所も色々ですよね。そもそも進学先や学歴と教養はまったく別ものです。政治的関心も。
私はたまたまこのカテゴリには入っていませんが(まず学生ではありませんし)、社会人経験もじゅうぶんあるのに(中身は別として)、首相の名前を5回書けば3回は漢字を間違える自信があります。苗字は「安心倍増の安倍」とご自身がおっしゃっていたので憶えてしまいましたが。
該当してもしなくても、このような部分、冷やかに読まれている人もいらっしゃるでしょう。読み流しておくべきでしたか。すみません。
この件について短大生とか首相の名前を書けない・知らないとか関係ないと思います。特定の人たちであったとしても。
万国の労働者にも短大で学びながら、あるいは学んできたばかり、という人もいらっしゃるでしょうし、右(寄り)の人々が学ぶ場所も色々ですよね。そもそも進学先や学歴と教養はまったく別ものです。政治的関心も。
私はたまたまこのカテゴリには入っていませんが(まず学生ではありませんし)、社会人経験もじゅうぶんあるのに(中身は別として)、首相の名前を5回書けば3回は漢字を間違える自信があります。苗字は「安心倍増の安倍」とご自身がおっしゃっていたので憶えてしまいましたが。
該当してもしなくても、このような部分、冷やかに読まれている人もいらっしゃるでしょう。読み流しておくべきでしたか。すみません。
少なくとも津川雅彦氏らには「死ね」への嫌悪感はないようで
初めに訂正をします。
前の拙コメタイトル『ニュートラルな有名タレントの何なる感想ではない』→『ニュートラルな有名タレントの単なる感想ではない』
つるの剛士の最初のツイートでは単に汚い言葉だとしていたのですが、批判を受けてからは「死ね」が問題だというように弁明し、和田氏らもそのように擁護したわけです。
ま、そのように言えば一般的には受け入れられ易くなるからでしょうけど、つるの氏が「日本が好きなだけ」とか上滑りな日本礼賛をしているところをみると、どうもつるの氏が大好きな「日本」が傷つけられたと感じているのであり、「死ね」一般を問題にしているわけでもないのではないかと思います。
そして、つるの氏を応援するネットウヨクな人たちの本音もそうなのであろうと思います。
もちろん、一般的には「死ね」という言葉に抵抗感を示す人も多いだろうことは分かります。
その抵抗感を上手く活用して攻撃を掛けて一般の人たちを巻き込んで一定の成果を挙げたのが、つるの氏やその他ネットウヨクな人たちだと思うのですけどね。
次は、ブロゴス2016/3/21『津川雅彦氏が「保育園落ちた日本死ね」の筆者に暴言』と題された記事の一部ですが「20日放送の保守系番組「そこまで言って委員会NP」で、、、」の後の部分
「、、、女優の北川弘美氏は「匿名だから爆発的な反応が起きた」として、「表現が悪いってのも分かるんですけど、これくらいの主張を、この言葉でしか表現できなかったお母さんの気持ちっていうのは、すごく分かるような気がして。それはみんなの代表としてその方が書いてくれただけで本当はみんな思っていたことだし、野次とかしている議員を見ると本当に重要視してるんだろうか、とすごく疑問に思えて」と共感を示した。
だが、津川氏が急に「でも、『死ね』って言葉は許せないでしょう?」と割って入り、「書いた人間が××ばいいよ」(××は規制音)と発言した」
このブロゴスの記事には出ていませんが、この後ライブドアニュースによれば「津川の爆弾発言に対して、スタジオは爆笑の渦に包まれる。しかし、これには渡辺真里アナウンサーはうろたえてしまい、桂ざこばは「イエローカード!」と声を上げる始末だった。」とあります。
つまり女優の北川弘美氏が、表現が悪いというのも分かるけどこの言葉でしか表現出来なかったブログ筆者の気持ちは理解出来ることであり、待期児童を抱える人たちが密かに思っていたことを代弁したのだと理解と共感を表明したのに対して津川雅彦氏が「死ね」という言葉はよくないと言いつつ、その直後に自身がその「よくない言葉」を匿名とは言え生身の個人に発してしまい、スタジオが爆笑の渦に包まれたということです。
ま、アナウンサーなどが建て前として津川雅彦氏の発言を諫めたことは当然なのですが、「死ね」という言葉はよくないと言う本人が舌の根の乾かない内にその言葉を発したことから考えても、津川雅彦氏自身が「死ね」に嫌悪感など持ってはおらないということを明示しており、またスタジオの出演者の多くも別に嫌悪感などは無いということだと思います。
そして、津川雅彦氏の発言に対してネットウヨクな人たちが明確に非難したという話は寡聞にして聞きません。
何よりブログ主さんへも「死ね」と送ってよこして来るそうですから、彼らが本気で「死ね」一般に嫌悪感を抱いているとは思えないのです。
もちろんのこと、個々人総てがそうであるとは言いません。
私は、何もつるの氏やその他ネットウヨクな人たちが「死ね」一般を本当は嫌悪なんかしていないということを非難したいのではなくて、あたかも「死ね」一般を問題にしているかのように思わせて『保育園落ちた日本死ね』ブログを非難するということがおかしいと思うのです。
前の拙コメタイトル『ニュートラルな有名タレントの何なる感想ではない』→『ニュートラルな有名タレントの単なる感想ではない』
つるの剛士の最初のツイートでは単に汚い言葉だとしていたのですが、批判を受けてからは「死ね」が問題だというように弁明し、和田氏らもそのように擁護したわけです。
ま、そのように言えば一般的には受け入れられ易くなるからでしょうけど、つるの氏が「日本が好きなだけ」とか上滑りな日本礼賛をしているところをみると、どうもつるの氏が大好きな「日本」が傷つけられたと感じているのであり、「死ね」一般を問題にしているわけでもないのではないかと思います。
そして、つるの氏を応援するネットウヨクな人たちの本音もそうなのであろうと思います。
もちろん、一般的には「死ね」という言葉に抵抗感を示す人も多いだろうことは分かります。
その抵抗感を上手く活用して攻撃を掛けて一般の人たちを巻き込んで一定の成果を挙げたのが、つるの氏やその他ネットウヨクな人たちだと思うのですけどね。
次は、ブロゴス2016/3/21『津川雅彦氏が「保育園落ちた日本死ね」の筆者に暴言』と題された記事の一部ですが「20日放送の保守系番組「そこまで言って委員会NP」で、、、」の後の部分
「、、、女優の北川弘美氏は「匿名だから爆発的な反応が起きた」として、「表現が悪いってのも分かるんですけど、これくらいの主張を、この言葉でしか表現できなかったお母さんの気持ちっていうのは、すごく分かるような気がして。それはみんなの代表としてその方が書いてくれただけで本当はみんな思っていたことだし、野次とかしている議員を見ると本当に重要視してるんだろうか、とすごく疑問に思えて」と共感を示した。
だが、津川氏が急に「でも、『死ね』って言葉は許せないでしょう?」と割って入り、「書いた人間が××ばいいよ」(××は規制音)と発言した」
このブロゴスの記事には出ていませんが、この後ライブドアニュースによれば「津川の爆弾発言に対して、スタジオは爆笑の渦に包まれる。しかし、これには渡辺真里アナウンサーはうろたえてしまい、桂ざこばは「イエローカード!」と声を上げる始末だった。」とあります。
つまり女優の北川弘美氏が、表現が悪いというのも分かるけどこの言葉でしか表現出来なかったブログ筆者の気持ちは理解出来ることであり、待期児童を抱える人たちが密かに思っていたことを代弁したのだと理解と共感を表明したのに対して津川雅彦氏が「死ね」という言葉はよくないと言いつつ、その直後に自身がその「よくない言葉」を匿名とは言え生身の個人に発してしまい、スタジオが爆笑の渦に包まれたということです。
ま、アナウンサーなどが建て前として津川雅彦氏の発言を諫めたことは当然なのですが、「死ね」という言葉はよくないと言う本人が舌の根の乾かない内にその言葉を発したことから考えても、津川雅彦氏自身が「死ね」に嫌悪感など持ってはおらないということを明示しており、またスタジオの出演者の多くも別に嫌悪感などは無いということだと思います。
そして、津川雅彦氏の発言に対してネットウヨクな人たちが明確に非難したという話は寡聞にして聞きません。
何よりブログ主さんへも「死ね」と送ってよこして来るそうですから、彼らが本気で「死ね」一般に嫌悪感を抱いているとは思えないのです。
もちろんのこと、個々人総てがそうであるとは言いません。
私は、何もつるの氏やその他ネットウヨクな人たちが「死ね」一般を本当は嫌悪なんかしていないということを非難したいのではなくて、あたかも「死ね」一般を問題にしているかのように思わせて『保育園落ちた日本死ね』ブログを非難するということがおかしいと思うのです。
再読愚考:「極悪ネットウヨ=なごやん」
>ツイッター上の私に対する意見も読みましたが、やはりネトウヨばかりでした。
>中にはリベラルを自称する人もいるようですが、底が浅すぎますし、リベラルを自称することもやめた方がいいでしょう。
↑
この問題については、「死ねはないんじゃないの」がわたしの見解だから、わたしもネットウヨの仲間なのでしょう。(自称は穏健保守だが)
<お子様ランチさんのコメント>
本来向き合うべき待機児童問題を放り出して、「死ね」が表現として妥当かどうかにばかり論議が集中している。これでは問題提起の効果も半減、いや、激減だ。やはり言葉は選ぶべきか。
↑
たしかにその通り。
<洲蛇亜林さんのコメント>
つるの剛士は歴史観や国家観はナイーブな認識しか持ってないと思いますが、その政治的行動は意図した効果を出すには何を為すべきかをよくわきまえたものでプロ的な域に達しているのではないかと賞賛したいところですね。
↑
そりゃ、買いかぶりすぎ。
<なごやんのコメント>
「保育園落ちた日本死ね」これと似た感触の言葉を以前聞いた記憶があって考えていました。「希望は戦争」論座2007年1月号に掲載された赤木智弘氏の論文タイトルの一部です。
「日本死ね」私はこの言葉が嫌いです。しかし、そのナイフの傷跡を私は見つめることにします。
↑
非常に情緒的な文章。
暗澹たる気持ちは表現できたが、さて、それからどうするのか?
やっぱ、「極悪ネットウヨ=なごやん」なのか?
>中にはリベラルを自称する人もいるようですが、底が浅すぎますし、リベラルを自称することもやめた方がいいでしょう。
↑
この問題については、「死ねはないんじゃないの」がわたしの見解だから、わたしもネットウヨの仲間なのでしょう。(自称は穏健保守だが)
<お子様ランチさんのコメント>
本来向き合うべき待機児童問題を放り出して、「死ね」が表現として妥当かどうかにばかり論議が集中している。これでは問題提起の効果も半減、いや、激減だ。やはり言葉は選ぶべきか。
↑
たしかにその通り。
<洲蛇亜林さんのコメント>
つるの剛士は歴史観や国家観はナイーブな認識しか持ってないと思いますが、その政治的行動は意図した効果を出すには何を為すべきかをよくわきまえたものでプロ的な域に達しているのではないかと賞賛したいところですね。
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そりゃ、買いかぶりすぎ。
<なごやんのコメント>
「保育園落ちた日本死ね」これと似た感触の言葉を以前聞いた記憶があって考えていました。「希望は戦争」論座2007年1月号に掲載された赤木智弘氏の論文タイトルの一部です。
「日本死ね」私はこの言葉が嫌いです。しかし、そのナイフの傷跡を私は見つめることにします。
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非常に情緒的な文章。
暗澹たる気持ちは表現できたが、さて、それからどうするのか?
やっぱ、「極悪ネットウヨ=なごやん」なのか?




