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総理大臣のお墨付きの森友学園
安倍夫妻は本当に森友学園の教育に感動したからこそ、名誉校長就任を安倍晋三記念小学院命名を受諾したのだと思います。
たとえ、首相在任中は使わせないとしても退任後に使わせるというのではお墨付きを与えているのと同じです。
地方でも国政でも議員には弱いお役人さんが気を利かせようとしたとしても自然な成り行きと言えます。
ましてや、お役人さんの将来に関わるとしたら、それとなく仄めかしを受けたとしても「一を聞いて十を悟る」という俊英なお役人なら気を利かしたとしても不思議ではありません。
民間でも、会社の経営者や社長や上司の意向に沿うように行動しようとするのが従業員の美徳とされているのですから無理はありません。
権力者の強力な後ろ盾があるということが、お役人さんたちへ絶大な威力を発揮するのは普遍的な現象と言えます。
「感動」力の衰退
換言すれば、特攻犠牲者の死が自己本位に消費され、「英霊」にすり替えて国民が敬意を表すべき目的物(作られた「感動」)にされたということ。死に対する向き合い方が、国によってコントロールされてしまった悲劇か。
作られた「感動」は組体操賛美にも通じるような気がする。そこには安全性の確保といった「論理」は軽視されがちだ。そして、子どもたちが主体的につかむべき「感動」よりも、大人目線の「感動」を押し付けようとする傲慢さがある。そんな教育は「感動」力を衰退させる。
塚本幼稚園で安倍首相夫人は、「日本国、日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を、一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち・わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」と、園児たちの激励に「感動」したそうだが、果たしてこの園児たちが自然にのびのびと育っていると思ったのだろうか。首相夫人の「感動」力も安っぽく見える。
総理大臣夫人という肩書きだけで充分
どちらかの二者択一ならば公人に決まっていると思います。
そもそも公設の秘書が5人も付いているということを挙げるまでも無く、首相外遊に同伴する場合にはファーストレディとして数々の公務をこなしておりますし、国内においても単なる一個人純粋なる私人であるはずもなく常に総理大臣夫人として世間からは見られているのです。
安倍昭恵氏の原発問題に関する発言などの言わば「野党的発言」が注目を浴びたのも総理大臣夫人という立場にあるが故のことであって純粋なる一私人の発言であったならば、そこまでの注目を浴びることは無かったでしょう。
結果として見るならば、彼女の「野党的発言」も安倍政権と自民党の「幅の広さ」と「良識」をアピールすることになっていたわけで、結局のところ旦那である安倍首相を内助していたということです。
「野党的発言」の安倍昭恵氏が国政選挙で自民党候補の応援に立つことで大いなる集票効果を挙げていたと思います。
かように見ると安倍昭恵氏が一私人などということは全くなくて、総理大臣たる安倍晋三氏と自民党のために大いなる働きをしていたことは明らかだと思います。
それでもそれは公人とは呼ばないのだと言ったところでほとんど意味のない話です。
今回安倍昭恵氏が森友学園の安倍晋三記念小学院の名誉校長に就任していたということは、彼女が私人の立場で勝手にやったことだと言うのではなくて、正に旦那である安倍晋三氏の意を受けたものであるとしか思えません。
総理大臣たる安倍晋三氏の名前を冠しており、しかも総理大臣夫人たる安倍昭恵氏が名誉校長であるという「印籠」の威力は特にお役人さんたちには絶大なものがあったと思われます。