今は東電を叩いているときではない?
- 2011/04/02
- 23:56
時折、このようなことを言う人がいます。
東電を叩くよりも、節電を考えろとか、復興に努力しろとかです。論者は、恐らく自分自身のことを「何て建設的な発想なんでしょう。」とでも思っているのでしょうか。それとも東電の回し者でしょうか。
そのような発想は、結局は、東電の責任をあいまいにするだけにしかなりません。
それとは、別に嫌がらせもあるようです。
朝日新聞2011年4月2日記事によると、
大見出し 「東電への批判 過熱」
中見出し 「嫌がらせ・苦情相次ぐ」
だそうです。
しかし、大中の違いはあるにせよ、「批判」と「嫌がらせ」を同列に論じてしまうこと自体、ナンセンスです。
「嫌がらせ」自体は、当然にやってはならないことですが、批判は当然に起こるものです。もっとも、区別がしにくい場合もありえます。
批判の方法が、例えば個別の社員を捕まえてどうこうするというようなやり方であれば、嫌がらせと評すべきものです。苦情電話も、その対応でパンクしているようでは、嫌がらせの範疇に入りうるものです。
しかし、それにもかかわらず、「批判」という言葉をあえて大見出しに使うことは、一般的な「批判」と「嫌がらせ」を同列にしてしまい、「批判」自体が許されないと言わんばかりに見えます。
朝日新聞の同記事では、山口裕幸九州大学院教授(社会心理学)のコメントが掲載されていますが、それもまた同様に問題を含むものです。
「感情的行動 解決導かぬ」と題して、
「~私たちは、企業や組織について、属する全員が同じ価値観を持ち、同じように行動すると思いがちだ。頑張っている社員がいるのに、十把一絡げに攻撃の対象~」
この部分は、東電の女子社員の主張と同じです。
東電の社員が頑張っていること自体は、当然の大前提です。やって当たり前のことです。
「嫌がらせ」はダメだ、本来は、これだけで十分のはずです。これ以上に「頑張っている社員がいる」、だから、嫌がらせがダメだということではありません。
感情的な行動が解決導かぬ、一般論としては、その通りでしょう。
山口裕幸氏が指摘するように「社会全体が東電に批判的な現状では、「今なら許される」と暴力的になりやすい。」という傾向があるのも事実です。
これ自体は、単なる便乗であり、自分が正義を振りかざして、抵抗できないものをいたぶるだけの行為にすぎません。
それは、「頑張っている社員がいる」ということは全く関係がありません。
なのに、何故、このような論法を用いたのか理解に苦しむところです。
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東電を叩くよりも、節電を考えろとか、復興に努力しろとかです。論者は、恐らく自分自身のことを「何て建設的な発想なんでしょう。」とでも思っているのでしょうか。それとも東電の回し者でしょうか。
そのような発想は、結局は、東電の責任をあいまいにするだけにしかなりません。
それとは、別に嫌がらせもあるようです。
朝日新聞2011年4月2日記事によると、
大見出し 「東電への批判 過熱」
中見出し 「嫌がらせ・苦情相次ぐ」
だそうです。
しかし、大中の違いはあるにせよ、「批判」と「嫌がらせ」を同列に論じてしまうこと自体、ナンセンスです。
「嫌がらせ」自体は、当然にやってはならないことですが、批判は当然に起こるものです。もっとも、区別がしにくい場合もありえます。
批判の方法が、例えば個別の社員を捕まえてどうこうするというようなやり方であれば、嫌がらせと評すべきものです。苦情電話も、その対応でパンクしているようでは、嫌がらせの範疇に入りうるものです。
しかし、それにもかかわらず、「批判」という言葉をあえて大見出しに使うことは、一般的な「批判」と「嫌がらせ」を同列にしてしまい、「批判」自体が許されないと言わんばかりに見えます。
朝日新聞の同記事では、山口裕幸九州大学院教授(社会心理学)のコメントが掲載されていますが、それもまた同様に問題を含むものです。
「感情的行動 解決導かぬ」と題して、
「~私たちは、企業や組織について、属する全員が同じ価値観を持ち、同じように行動すると思いがちだ。頑張っている社員がいるのに、十把一絡げに攻撃の対象~」
この部分は、東電の女子社員の主張と同じです。
東電の社員が頑張っていること自体は、当然の大前提です。やって当たり前のことです。
「嫌がらせ」はダメだ、本来は、これだけで十分のはずです。これ以上に「頑張っている社員がいる」、だから、嫌がらせがダメだということではありません。
感情的な行動が解決導かぬ、一般論としては、その通りでしょう。
山口裕幸氏が指摘するように「社会全体が東電に批判的な現状では、「今なら許される」と暴力的になりやすい。」という傾向があるのも事実です。
これ自体は、単なる便乗であり、自分が正義を振りかざして、抵抗できないものをいたぶるだけの行為にすぎません。
それは、「頑張っている社員がいる」ということは全く関係がありません。
なのに、何故、このような論法を用いたのか理解に苦しむところです。
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