中教審法科大学院等特別委員会での議論ですが、朝日新聞が報じるところによると、法科大学院における未修者コースを最低でも定員の3割は確保すべきとした基準が撤廃されることになりました。
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法科大学院、未修者枠撤廃へ 「法学部以外から3割」難しく」(朝日新聞2017年11月24日)
法科大学院制度においては、未修3年コースが原則であり、法学既修の場合には1年短縮して2年で法科大学院課程の修了が認められていました。
社会人、他学部からの多様な人材を法曹として育成するということが目的とされ、そのために少人数、双方向授業を売りにして法科大学院制度は設計されています。未修者は1年で法学既修レベルに引き上げるということが制度として位置づけられたのです。
そのため未修者の3割以上をそうした人材とするよう縛りを掛けました。そのような基準を設けなければ、純粋未習者を既修レベルに引き上げるということは非常に手間のかかることであり、最初から敬遠さかねないからです。
久保利先生などが中心となっていた大宮法科大学院のように未習に力を入れるんだという理想に燃えていたところもありました。しかし、早々に閉校を余儀なくなれています。
その情熱には敬服するものもありますが(司法「改革」に文句だけ言っているような人たちと一緒にはされたくないですよね。)、やはり無理があったということは認めるべきなのでしょう。
開校当初こそ多くの純粋未修者がそれまで勤務していた会社を辞めてまで法科大学院に殺到しました。それだけ弁護士需要があるのだと錯覚させられていたからです。国家をあげて3000人が「目標」とされ、マスコミもこぞってバラ色に報じたのですから、錯覚が生じても不思議ではない状況はありました。そのため、当初こそそこそこの受験競争率が確保されたと言っても良いかもしれません。
とはいえ、すぐに未修コース志望者は激減しました。特に社会人、他学部出身の志望者の激減は、未習コースの存在意義さえも問われる状況に陥っていました。そうなるともはや競争はおろか、質の低下を招くだけの結果となり、3年で修了できたものは半数、司法試験合格率は12%と絶望的な状況に陥っていました。
司法審意見書が想定していたような法曹需要が多く、司法試験合格者数を3000人に引き上げても足りない(佐藤幸治氏は、3000人に留める趣旨ではないと言っています)、しかも収入は従来の弁護士の所得が得られるというような状況であれば、我も我もと優秀な人材が各分野から法科大学院に殺到し、「
難関」の法科大学院の入試を突破してきた学生が主体という状況であれば、もしかしたら1年で既修者レベルへの引き上げは可能だったのかもしれません。
この惨状に対し、少しは心が痛まないのだろうか?
司法審意見書の作成に関わっていた人たちは、そのような将来の法曹をバラ色に描いていたのでしょう。
未修3割という基準の撤廃は、法科大学院制度が未修が原則とした法科大学院制度の理念が崩壊したことを意味します。
こうなると、今後、法科大学院に未習コースが残るのかどうかも不透明であり、適性試験の事実上の廃止が決まっていましたが、未習コースが存続できる余地は極めて厳しくなったということが言え、法科大学院制度を存続させるにしても、もはや未習コース存続にエネルギーを割けるだけの余力はないというべきでしょう。
疲弊し、崩壊寸前の法曹養成制度を機能させることが緊急に行わなければならないことであり、
「理念」を前提に茶話会のような理想談義にふけっているヒマはないのです。
「
法科大学院 未修者コースの怪」
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