法科大学院制度が研究者養成を破綻させた 法曹の意味のない大量生産に駆り出された研究者たち
- 2018/01/11
- 00:40
やっぱりという事態です。法学部研究者養成が危機に陥っているという話です。
「法学研究者がいなくなる?」(名大ウォッチ)
「法学系では、法科大学院がそれにダメを押した形だ。理論と実務に通じた法律家の養成が理想だったが、実務志向が強くなり、法科大学院から研究者をめざす例は、皆無ではないが、ほとんどないのが実情だ。多くの大学で実務に長けた教員が求められるようになり、研究志向の強い教員は他大学への就職が難しくもなってきた。これでは、研究者をめざす若者が減って当然だ。」
当初から言われていたことでした。法科大学院制度を推進する弁護士たちは研究者養成には何の問題もないと言い切っていました。しかし、現実は法科大学院制度は研究者養成も含めて失敗したわけです。
この失敗のつけは大きいです。やはり何と言っても研究者は少数精鋭であり、こういった人材がなければ、法曹養成もまともにはできません。
司法試験が機能しているのは一線級の研究者たちがいればこそでした。司法試験に合格するなどというのは研究者養成に比べれば、低い低いレベルの人材登用試験に過ぎないのです。
弁護士養成には研究者こそが主役だったのだ

ところがこのような法曹養成において、大量の法曹を養成せよという「命令」を国家が下した、そのために法学研究者が根こそぎ動員されたわけです。自らの研究も後輩の育成も犠牲にしてです。
本来、理論があってのこそ法学でしたが、実務偏重という法科大学院は本来的に相容れないものでした。
憲法もしかり、刑法や他の法律でもそうですが、法は理論があってこそその正当性を持つことができます。その研究こそ大学という研究機関の使命でした。
かつては、京都大学の滝川事件(1933年)、美濃部博士による天皇機関説事件(1935年)などが学問の自由を脅かし、ひいては全体主義と突き進む暗黒の時代がありました。
戦後は学問の自由が憲法で保障され、研究機関としての地位を獲得しましたが、しかし、学問の自由や大学の自治は耐えず政権からの圧力を受け続けてきました。
そうした中で実務偏重の法科大学院が誕生したわけです。専門職大学院としてグローバル化社会に対応できる高度な人材養成とうたわれましたが、所詮は大学での座学で修得できるようなものでありません。明らかに掛け声倒れでした。
実務偏重の法科大学院制度では学問の自由はないとまで言われました。
このために研究者が法科大学院のために大量動員されたわけですが、かつて一橋大学の後藤昭先生などは、この先頭にたって学生の教育にすべてを心血を注いでいました。後藤先生は、法科大学院が軌道に乗るまでは研究者は歯を食いしばって頑張らなければならないと言っていましたが、他方で他の教員が熱くならないと愚痴を述べられていました。
「青山学院大学法科大学院の募集停止 後藤昭先生に敬意を表する」
結局、研究者は根こそぎ動員されながらも、熱意をもって対応されたいたのはごく一部の研究者であり、多くはただ動員されただけというのが実情でしょう。
そうした無謀な動員の結果、多くの人たちのやる気を削いだというのが実際のところで、研究者養成自体が危機に直面してしまったわけです。
法科大学院制度にそれほど情熱を持てなかったのは、誰もその存在意義など理解できないし、共感もなかったからです。
このような惨状を元に戻すことは現状ではかなり絶望的です。文科省をはじめ日弁連も法科大学院制度の現状維持に固執してしまっているからです。
本当にこれでいいのですか。日本の法学も法曹養成も全滅しますよ。
「『変貌する法科大学院と弁護士過剰』(花伝社)」
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「法学系では、法科大学院がそれにダメを押した形だ。理論と実務に通じた法律家の養成が理想だったが、実務志向が強くなり、法科大学院から研究者をめざす例は、皆無ではないが、ほとんどないのが実情だ。多くの大学で実務に長けた教員が求められるようになり、研究志向の強い教員は他大学への就職が難しくもなってきた。これでは、研究者をめざす若者が減って当然だ。」
当初から言われていたことでした。法科大学院制度を推進する弁護士たちは研究者養成には何の問題もないと言い切っていました。しかし、現実は法科大学院制度は研究者養成も含めて失敗したわけです。
この失敗のつけは大きいです。やはり何と言っても研究者は少数精鋭であり、こういった人材がなければ、法曹養成もまともにはできません。
司法試験が機能しているのは一線級の研究者たちがいればこそでした。司法試験に合格するなどというのは研究者養成に比べれば、低い低いレベルの人材登用試験に過ぎないのです。
弁護士養成には研究者こそが主役だったのだ

ところがこのような法曹養成において、大量の法曹を養成せよという「命令」を国家が下した、そのために法学研究者が根こそぎ動員されたわけです。自らの研究も後輩の育成も犠牲にしてです。
本来、理論があってのこそ法学でしたが、実務偏重という法科大学院は本来的に相容れないものでした。
憲法もしかり、刑法や他の法律でもそうですが、法は理論があってこそその正当性を持つことができます。その研究こそ大学という研究機関の使命でした。
かつては、京都大学の滝川事件(1933年)、美濃部博士による天皇機関説事件(1935年)などが学問の自由を脅かし、ひいては全体主義と突き進む暗黒の時代がありました。
戦後は学問の自由が憲法で保障され、研究機関としての地位を獲得しましたが、しかし、学問の自由や大学の自治は耐えず政権からの圧力を受け続けてきました。
そうした中で実務偏重の法科大学院が誕生したわけです。専門職大学院としてグローバル化社会に対応できる高度な人材養成とうたわれましたが、所詮は大学での座学で修得できるようなものでありません。明らかに掛け声倒れでした。
実務偏重の法科大学院制度では学問の自由はないとまで言われました。
このために研究者が法科大学院のために大量動員されたわけですが、かつて一橋大学の後藤昭先生などは、この先頭にたって学生の教育にすべてを心血を注いでいました。後藤先生は、法科大学院が軌道に乗るまでは研究者は歯を食いしばって頑張らなければならないと言っていましたが、他方で他の教員が熱くならないと愚痴を述べられていました。
「青山学院大学法科大学院の募集停止 後藤昭先生に敬意を表する」
結局、研究者は根こそぎ動員されながらも、熱意をもって対応されたいたのはごく一部の研究者であり、多くはただ動員されただけというのが実情でしょう。
そうした無謀な動員の結果、多くの人たちのやる気を削いだというのが実際のところで、研究者養成自体が危機に直面してしまったわけです。
法科大学院制度にそれほど情熱を持てなかったのは、誰もその存在意義など理解できないし、共感もなかったからです。
このような惨状を元に戻すことは現状ではかなり絶望的です。文科省をはじめ日弁連も法科大学院制度の現状維持に固執してしまっているからです。
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