今年10月5日に開催された中教審法科大学院等特別委員会で法曹コースの創設が承認されました。
これまで学部4年、法科大学院2年とされていたものを学部を早期卒業もしくは飛び級により3年に短縮し、法科大学院既修コースに入学し、1年を短縮しようというものです。
今回の文科省の資料によりようやく骨格がはっきりしました。
「
法科大学院等特別委員会(第88回) 配付資料」
法曹コースそのものを創設する法科大学院、カリキュラムの中で特定の単位を取得することで「法曹コース」として早期卒業させるなどの見えない法曹コースなど、各法学部で独自に設置されることになります。
今後は、法学部と法科大学院の連携が特に問題になってきますので、その具体化はこれからということになります。
来年の入試によって入学してくる学生は、2年次から法曹コースに入れるとすれば、その法曹コースの対象になる学生なわけですが、その学生(受験生)には現時点で未だにどのような連携になるのかがはっきり示すことができない、ということになります。
軌道に乗るのは再来年ということになりましょうか。
法曹コースの創設は、今まで法科大学院の未修者コースの1年目で行っていたことを法学部に持って行くことです。
そのため法科大学院と法学部の兼担についても既に緩和されており、実質的に法学部と法科大学院が一体化します。
そこでは他学部から法科大学院に入学しようという未修者コースがはじかれることは避けられないということになります。
そして法曹コースについては、司法試験合格率で認証評価を行うと露骨に明示されていますから、法科大学院+法学部が全体として司法試験予備校化することになります。
さらにここにギャップタームの問題が加わります。
読売新聞のスクープなのでしょうか。
「法科大学院在学中に受験 司法試験 法曹資格早期に」(読売新聞2018年10月5日)
現在、司法試験は法科大学院卒業後、その年の5月に受験し、9月に合格発表があり、12月から司法修習が始まります。
それを卒業までに合否を明らかにし、その年の4月から司法修習に入れるようにするというものです。
そうなれば、確かにさらに8か月の短縮になり、経済的、時間的負担の軽減ということにはなります。
この場合の試験の実施時期については、いくつかの案があるようです。
法科大学院関係者などは、2月に実施、3月発表というのが一番、後に持って行く案ということになりますが、いずれの時期に実施しようと法科大学院の授業どころではなくなり、試験対策一辺倒になるのは明らかなので、2年の法科大学院在学中、ほとんどが受験対策になってしまうことになるため、事実上、法科大学院制度の否定です。
参照
ロースクールと法曹の未来を創る会の意見書 同会では、読売新聞の記事が出る前からこうした意見書を出していますから、水面下ではこういった動きが活発なのでしょう。
在学中の受験となると、司法試験そのもののあり方も変更されることになります。つまり採点などに掛けられる時間も非常に短くなりますし、試験も一体化されることになりますから、法科大学院で履修したことを確認する試す試験に変更されることがもたらされます。
従来の落とす試験(になっているかは議論の余地がありますが)からの変更が論理必然ということではありませんが、試す試験こそが親和性があることは明らかで、これ自体は従来より法科大学院関係者が望んでいたものです。
他方で、今回の法科大学院等特別委員会の資料の中には、法科大学院の総定員を2300人とし、増やす場合には予め法務省と協議する仕組みを創設するとありますが、現状の実入学者数が1600人なのに、何を言っているのかということにはなるのですが、ここには構想として法曹コースの創設によって志願者がまた戻ってきて回復する、そうであったとしても上限は2300人だ、それ以上に増やすときは協議を必要とするというものです。
単なるお花畑としてみてしまうよりは、ここでの問題は2300人になった場合にはそれに合わせて司法試験合格者数も増やしますからね、という意味合いがあるのではなかいと思います。
司法試験の性質が落とす試験から試す試験に変更するのであれば司法試験合格者数もそれに合わせて増員させてもらいますからね、というメッセージだということです。2300人になるかどうかはともかく、現状から志願者が回復したとき、司法試験合格者数を1500人にとどめませんからね、ということです。
2018年10月13日撮影 すべてが法科大学院のため、予備試験に逃げていく層を何とか東大、京大の法科大学院に引き留めようとする苦肉の策でしかなく、失敗することは目に見えているのですが、彼ら文科省と上位校では、自校への志願者が回復し、予備試験で抜けていくこともないというバラ色の将来を思い描いているようです。
これで志願者が回復するとは全く思えず、失敗は目に見えていると思うのですが。
「
「法科大学院等の抜本的な教育の改善・充実に向けた基本的な方向性」に対する意見」
私がここで一番の問題と考えるのは、法学部がこれまで果たしてきた法学研究が破壊されてしまうことです。
法学部は、古くは京都大学の滝川事件、東京大学の天皇機関説事件など、法学であるが故に体制と衝突することもありました。最近では共謀罪や安保関連法の問題などです。
法学部は何も司法試験のためにあるわけではなく、広く法学研究により社会に隆起する問題に対して法的思考を養ったりなど独自の存在意義がありました。司法試験に直結していないというのは、むしろ当たり前のことなのです。何故かそれが批判されました。司法試験予備校に行き、大学には行かないという学生の存在が、大学に行かない学生の問題という一般的な命題であるにも関わらず矮小化されたりもしました。
法科大学院の存在はむしろ法学研究者にとっては自滅行為だと思うのですが、審議会とかに招かれる研究者にとっては、こうした体制との軋轢など最初から眼中にはないから、どうてもよいことなのかもしれません。日本の「有識者」が集まる会議の最大の欠陥です。
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