コメント
No title
猪野様、ひさしぶりにコメントさせて頂きます。
記事の趣旨にはまったく同感です。
私も本日、偶然、拙ブログに「元号」について記事しましたので、お時間のある時にでもちょっと覗いて見て頂ければ幸いです。
☆
レスが非常に遅れましたが、私が推奨したニューギニアの日本兵士についての本を読まれたのですね。ありがとうございました。
記事の趣旨にはまったく同感です。
私も本日、偶然、拙ブログに「元号」について記事しましたので、お時間のある時にでもちょっと覗いて見て頂ければ幸いです。
☆
レスが非常に遅れましたが、私が推奨したニューギニアの日本兵士についての本を読まれたのですね。ありがとうございました。
No title
>極右では「皇紀1305年」
いいえ極右だけではありません。保守も同じです。
共通の尺度にこだわる必要もありません。
もっとも西暦は本当に共通の尺度なのか私は疑問ですが。
但し西暦を嫌っているわけではありません。
便利ならいいじゃん、ぐらいではありますが。
本音は元号は元号で続けて皇紀を正式な年号にすれば良いと思っています。
我が国はアメリカみたいな人工的な国ではなく神話の国であり、それは一つの個性でもあります。
よってそれにふさわしい皇紀を正式に使うべきと私は思ってます。
いいえ極右だけではありません。保守も同じです。
共通の尺度にこだわる必要もありません。
もっとも西暦は本当に共通の尺度なのか私は疑問ですが。
但し西暦を嫌っているわけではありません。
便利ならいいじゃん、ぐらいではありますが。
本音は元号は元号で続けて皇紀を正式な年号にすれば良いと思っています。
我が国はアメリカみたいな人工的な国ではなく神話の国であり、それは一つの個性でもあります。
よってそれにふさわしい皇紀を正式に使うべきと私は思ってます。
猪野先生が皮肉まじりに仰った事例こそが
皇紀表記を正当化するものです。
唐帝国の成立に衝撃を受けたアジア諸国では
日本、統一新羅、渤海など、律令国家の成立が相次ぎます。
その際、各国では、国家の求心力を保持するために
神話をつくり、それを現実の歴史に繋げた歴史書を編纂するわけですが
そこで日本が謳ったのが、1300年余前の国家成立という神話であり、
この国が悠久に継続することを願ったわけです。
日本はその後、彼らが神話に込めた1300年の時を超えた歴史を刻み、千代に八千代に続く国であり続けているわけで
これは世界遺産以上の偉業であり
皇紀表記とすることでそれが明瞭になります。
リベラル思想では、イスラム教徒がイスラム暦を使うことを非難すれば、それはヘイトです。
同様に、日本が元号や皇紀を使うことは
民族文化の尊重のうえから正しいのです。
皇紀表記を正当化するものです。
唐帝国の成立に衝撃を受けたアジア諸国では
日本、統一新羅、渤海など、律令国家の成立が相次ぎます。
その際、各国では、国家の求心力を保持するために
神話をつくり、それを現実の歴史に繋げた歴史書を編纂するわけですが
そこで日本が謳ったのが、1300年余前の国家成立という神話であり、
この国が悠久に継続することを願ったわけです。
日本はその後、彼らが神話に込めた1300年の時を超えた歴史を刻み、千代に八千代に続く国であり続けているわけで
これは世界遺産以上の偉業であり
皇紀表記とすることでそれが明瞭になります。
リベラル思想では、イスラム教徒がイスラム暦を使うことを非難すれば、それはヘイトです。
同様に、日本が元号や皇紀を使うことは
民族文化の尊重のうえから正しいのです。
たいへん合理的
>西暦がキリスト教に由来しているかどうかは、別にどうでもいい話です。共通の尺度以上の意味はありません。
↑
なるほどね。猪野先生としては、暦法のもっている意味性というのはバッサリ切り捨てるわけだ。ある意味、たいへん合理的。
わたし自身は再三、コメントしているように、「主の年=(西暦)」一本で全く構わないのだが、元号のもっている「縁起物」「記憶」としての意義は認めている。
<参考コメント>
再読愚考:主の年 再考<2018/10/04(19:57)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2563.html
元号の持つイメージ<2018/08/01(00:00)>
元号は縁起物か?<2018/08/01(23:06)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3551.html
以下は蛇足。
本記事に使われているイエス様の画像は、史実とはかけ離れている。
なぜなら、「赤と青」で染められているから。
当時のユダヤの貧しい一般庶民には、染色された衣を纏うような余裕はない。
現実には誰もが色彩に欠けた「生成り」の服を着ていた。
↑
なるほどね。猪野先生としては、暦法のもっている意味性というのはバッサリ切り捨てるわけだ。ある意味、たいへん合理的。
わたし自身は再三、コメントしているように、「主の年=(西暦)」一本で全く構わないのだが、元号のもっている「縁起物」「記憶」としての意義は認めている。
<参考コメント>
再読愚考:主の年 再考<2018/10/04(19:57)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2563.html
元号の持つイメージ<2018/08/01(00:00)>
元号は縁起物か?<2018/08/01(23:06)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3551.html
以下は蛇足。
本記事に使われているイエス様の画像は、史実とはかけ離れている。
なぜなら、「赤と青」で染められているから。
当時のユダヤの貧しい一般庶民には、染色された衣を纏うような余裕はない。
現実には誰もが色彩に欠けた「生成り」の服を着ていた。
No title
>その新元号で話題になっているのは、「安倍晋三」のどれかの文字が入るのではないのかということ。
「安久」が予測の上位とか。誰もが「安」の字を使うんじゃないのと、気が気ではありません。
↑
「猪」とか、「野」とか、「亨」とか、なら良いのですか?
「安久」が予測の上位とか。誰もが「安」の字を使うんじゃないのと、気が気ではありません。
↑
「猪」とか、「野」とか、「亨」とか、なら良いのですか?
No title
なんだか毒含み過ぎの記事だなぁ。
>これでは安倍氏による時の支配。悪夢ですよね。
「安室奈美恵ちゃんによる時の支配」って考えればいいんだよ。または安倍なんて名字いっぱいあるんだし、陰陽師にいただろ安倍晴明って。
それにもともと
>ただ、歴史的にみると庶民が長く使っていたのは干支(えと)。山本博文・東大史料編纂(へんさん)所教授(歴史社会学)によると、元号の使用は宮中などに限られ、庶民に広く伝わるようになったのは江戸幕府がお触れを出すようになってからだという。「戦前・戦中は皇紀もよく使われ、戦後は西暦との併記が広がった。庶民が元号を優先的に使った時代は、実はほとんどありません」
ソース: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00010000-asahit-soci&p=2
だから右翼だから云々じゃなくて、単に「何の単位で習った(使っていた)か」なんだよ。
乙巳の変だって、単に子供の頃西暦で習っていたかどうかなんじゃないの(大抵の学校じゃ西暦だろうし、学校(教員)ってゆうのはそもそも左翼が多い)。
別に僕は次の元号が「猪突」だろうが「光宙」だろうがいいと思うけどね。
あと、これからのグローバル社会、神話云々で言ってしまったら、日本なら「アイヌ神話」の時代やら「琉球神話」の時代だってあるんだろうしこれからの社会はそれぞれの民族がそのバックグラウンドとしていろんな神話を主張しだすんだろうから、やっぱり基本的に「西暦」で統一したほうがいいと思うな。
下手に文化にこだわるといろんな意味で時代についていけなくなる気がするよ。
>これでは安倍氏による時の支配。悪夢ですよね。
「安室奈美恵ちゃんによる時の支配」って考えればいいんだよ。または安倍なんて名字いっぱいあるんだし、陰陽師にいただろ安倍晴明って。
それにもともと
>ただ、歴史的にみると庶民が長く使っていたのは干支(えと)。山本博文・東大史料編纂(へんさん)所教授(歴史社会学)によると、元号の使用は宮中などに限られ、庶民に広く伝わるようになったのは江戸幕府がお触れを出すようになってからだという。「戦前・戦中は皇紀もよく使われ、戦後は西暦との併記が広がった。庶民が元号を優先的に使った時代は、実はほとんどありません」
ソース: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00010000-asahit-soci&p=2
だから右翼だから云々じゃなくて、単に「何の単位で習った(使っていた)か」なんだよ。
乙巳の変だって、単に子供の頃西暦で習っていたかどうかなんじゃないの(大抵の学校じゃ西暦だろうし、学校(教員)ってゆうのはそもそも左翼が多い)。
別に僕は次の元号が「猪突」だろうが「光宙」だろうがいいと思うけどね。
あと、これからのグローバル社会、神話云々で言ってしまったら、日本なら「アイヌ神話」の時代やら「琉球神話」の時代だってあるんだろうしこれからの社会はそれぞれの民族がそのバックグラウンドとしていろんな神話を主張しだすんだろうから、やっぱり基本的に「西暦」で統一したほうがいいと思うな。
下手に文化にこだわるといろんな意味で時代についていけなくなる気がするよ。
共通の尺度?
明白にキリスト教由来でしょう。
我が国の建国の経緯に全く無関係であって、キリスト教信者ではない私に言わせれば、信教の自由への圧迫になります。
我が国の建国の経緯に全く無関係であって、キリスト教信者ではない私に言わせれば、信教の自由への圧迫になります。
山根二郎は市民をバカにしている。
こういう意見もある。
http://blog.livedoor.jp/toro_silver/archives/78727039.html
世界にはヒジュラ歴(イスラム圏)や仏教暦(タイ)を使っている国や地域もあるのをご存じない?。
イエズス様が生まれた年って、実際は西暦前2年の10月初旬か、西暦前4年という説もある。
http://blog.livedoor.jp/toro_silver/archives/78727039.html
世界にはヒジュラ歴(イスラム圏)や仏教暦(タイ)を使っている国や地域もあるのをご存じない?。
イエズス様が生まれた年って、実際は西暦前2年の10月初旬か、西暦前4年という説もある。
No title
ごんべえさん
>神話云々で言ってしまったら、日本なら「アイヌ神話」の時代やら「琉球神話」の時代だってあるんだろうし
アイヌ民族、琉球民族いずれも、神話から現在まで連続した、官製かつ編年体の独自歴史書をもってません。
アイヌ民族に至っては、文字すら使わないという態度です。
したがって、伝説から現在まで一貫した独自の暦表記を持つことに対する意識がまるでありません。
実際に彼らは独自の元号等を一切用いていません。
なごやんさん
>「主の年=(西暦)」一本で全く構わない
>本記事に使われているイエス様の画像は、史実とはかけ離れている。
最後の晩餐の服装がこれだからですよ。
だいいち、奇跡を起こしたとか何とかいう話が科学的事実でないのだから、服の色の事実なんてどーでもいいんです。
そこまで史実にこだわるなら、西暦がイエス・キリストの生誕年からズレてる件はどう説明するんですか?
>神話云々で言ってしまったら、日本なら「アイヌ神話」の時代やら「琉球神話」の時代だってあるんだろうし
アイヌ民族、琉球民族いずれも、神話から現在まで連続した、官製かつ編年体の独自歴史書をもってません。
アイヌ民族に至っては、文字すら使わないという態度です。
したがって、伝説から現在まで一貫した独自の暦表記を持つことに対する意識がまるでありません。
実際に彼らは独自の元号等を一切用いていません。
なごやんさん
>「主の年=(西暦)」一本で全く構わない
>本記事に使われているイエス様の画像は、史実とはかけ離れている。
最後の晩餐の服装がこれだからですよ。
だいいち、奇跡を起こしたとか何とかいう話が科学的事実でないのだから、服の色の事実なんてどーでもいいんです。
そこまで史実にこだわるなら、西暦がイエス・キリストの生誕年からズレてる件はどう説明するんですか?
ごんべえさん
単一民族でなければ国として神話や文化は語れないなら
何処の国も神話や文化は語れなくなります。
何処の国も神話や文化は語れなくなります。
元号の意識度
公文書での表記は基本的に元号を用いるだろう。中には「平成35年」とか実在しない表記をせざるを得ない事例もあるかもしれない。そんな早見表は作られないので指を折ることになるが、間が抜けている。日常の公の文書においては西暦表記にしてもらいたいと思う。
実務上を考えれば、西暦表記が合理的なのは言うまでも無い。アルジャジーラのアラビア語版でも西暦表記を見かける。そこでは宗教性が排除され合理性を選択している。
そもそも元号に格式を持たせたいなら、みだりに使用することもあるまい。次の元号を予想するなど、ケシカランと右翼は叱責してもよいのだが、そんなことが起きないのはなぜか。
元号は、伝統というよりも、場当たり的な時代区分による指標に過ぎない。だから西暦も抵抗なく受け入れることが容易だった。(西暦の時代区分としての指標は「〇〇年代」というものがある)元号や西暦には神がかったという認識はない。
元号に拘り共同体のアイデンティティーや伝統を見たいのは、若い人ほど強い傾向かもしれない。それはグローバル化の進展につれ形成された意識だろう。しかし元号が神がかったものになるには、あまりにも現代が複雑になり合理性を無視できない社会であるため、個人の内面に留まらざるを得ない。そんなジレンマが元号騒ぎに反映されているように思う。
>これでは安倍氏による時の支配。悪夢ですよね。
現実の支配、つまり安倍晋三による、4選、5選・・・という悪夢も見たくないものだ。
実務上を考えれば、西暦表記が合理的なのは言うまでも無い。アルジャジーラのアラビア語版でも西暦表記を見かける。そこでは宗教性が排除され合理性を選択している。
そもそも元号に格式を持たせたいなら、みだりに使用することもあるまい。次の元号を予想するなど、ケシカランと右翼は叱責してもよいのだが、そんなことが起きないのはなぜか。
元号は、伝統というよりも、場当たり的な時代区分による指標に過ぎない。だから西暦も抵抗なく受け入れることが容易だった。(西暦の時代区分としての指標は「〇〇年代」というものがある)元号や西暦には神がかったという認識はない。
元号に拘り共同体のアイデンティティーや伝統を見たいのは、若い人ほど強い傾向かもしれない。それはグローバル化の進展につれ形成された意識だろう。しかし元号が神がかったものになるには、あまりにも現代が複雑になり合理性を無視できない社会であるため、個人の内面に留まらざるを得ない。そんなジレンマが元号騒ぎに反映されているように思う。
>これでは安倍氏による時の支配。悪夢ですよね。
現実の支配、つまり安倍晋三による、4選、5選・・・という悪夢も見たくないものだ。
No title
うん、どうせこれから世界がカオスになっていくんだから、信条とか宗教とかそーゆーでりけーとなことは語らないほうがいいと思うんよ。
大人の対応ができて、相手を尊重できますっていうならともかく、多分そういう思い込みすらも危険だし、マナーの問題になっていくと思うんだ。
たかだかその時代を示す記号ごときでみんな大げさに騒ぎすぎ。
どーせ「あれがよかった」とか言ったってもう今の時点で決まってるんだし。
「平成」であんまり平和でもなかったし何か成し遂げたような年代でもなかったんだからここは意味が逆の元号でもつけておいたほうが無難かもよ。
大人の対応ができて、相手を尊重できますっていうならともかく、多分そういう思い込みすらも危険だし、マナーの問題になっていくと思うんだ。
たかだかその時代を示す記号ごときでみんな大げさに騒ぎすぎ。
どーせ「あれがよかった」とか言ったってもう今の時点で決まってるんだし。
「平成」であんまり平和でもなかったし何か成し遂げたような年代でもなかったんだからここは意味が逆の元号でもつけておいたほうが無難かもよ。
日本の近代化
私は端的に申し上げて元号及び天皇制は廃止しなければならないという考えに立ちたいです。
この度の改元、及びそれを必要とする天皇の退位と、新天皇の即位をめぐる復古的、国家主義的で国民、なかんずく庶民から遊離し、時代錯誤で排外的な官民マスコミ挙げての全体主義的同調化の空騒ぎをこれからも繰り返して欲しくないからです。
4月1日エイプリルフールに発表されるという新元号なる漢字二文字に『安』が入るのかどうかという様な愚劣極まる期待と恐れに国民感情が左右されていること自体が元号の持つ反民主主義的本質を明瞭に示していると考えるのです。
そもそも日本国憲法においては元号なるものは存在を規定されていない旧習に過ぎませんでした。
それが復古的イデオロギーを奉ずる政治運動によって天皇制強化の動きと連動して憲法の主権在民・国民主権の原理原則を踏みにじる形で、元号法なる復古的国家主義の復権の成果として再び国民に重くのしかかる強要の足懸かりが生まれたのです。
よく元号や天皇制を論じる時に、その国際社会と相いれない非合理的本質を糊塗するために日本社会の独自性、多様性の維持や伝統、文化の保持を理由にその存続を決定的で動かし難い日本社会固有のものとする欺瞞的詭弁が行なわれます。
しかしその様な欺瞞的詭弁が正当性を持ち得る社会によって、国内で民主主義の発展が封じられ、対外侵略に至る排外主義国民意識がが醸成された歴史的事実は、元号や天皇制が日本社会固有のものであるとする論理が、反近代的国家主義イデオロギー推進の為の必要から生まれてものである事を如実に証明したものです。
国際社会及び諸国民との友好と協調と連帯を基盤として人類普遍の理想を追求する日本国民にとって、伝統や文化の名を借りた偏狭な旧習の継続は国際社会において不名誉しかもたらさない事を認識する必要があると信じるものです。
この度の改元、及びそれを必要とする天皇の退位と、新天皇の即位をめぐる復古的、国家主義的で国民、なかんずく庶民から遊離し、時代錯誤で排外的な官民マスコミ挙げての全体主義的同調化の空騒ぎをこれからも繰り返して欲しくないからです。
4月1日エイプリルフールに発表されるという新元号なる漢字二文字に『安』が入るのかどうかという様な愚劣極まる期待と恐れに国民感情が左右されていること自体が元号の持つ反民主主義的本質を明瞭に示していると考えるのです。
そもそも日本国憲法においては元号なるものは存在を規定されていない旧習に過ぎませんでした。
それが復古的イデオロギーを奉ずる政治運動によって天皇制強化の動きと連動して憲法の主権在民・国民主権の原理原則を踏みにじる形で、元号法なる復古的国家主義の復権の成果として再び国民に重くのしかかる強要の足懸かりが生まれたのです。
よく元号や天皇制を論じる時に、その国際社会と相いれない非合理的本質を糊塗するために日本社会の独自性、多様性の維持や伝統、文化の保持を理由にその存続を決定的で動かし難い日本社会固有のものとする欺瞞的詭弁が行なわれます。
しかしその様な欺瞞的詭弁が正当性を持ち得る社会によって、国内で民主主義の発展が封じられ、対外侵略に至る排外主義国民意識がが醸成された歴史的事実は、元号や天皇制が日本社会固有のものであるとする論理が、反近代的国家主義イデオロギー推進の為の必要から生まれてものである事を如実に証明したものです。
国際社会及び諸国民との友好と協調と連帯を基盤として人類普遍の理想を追求する日本国民にとって、伝統や文化の名を借りた偏狭な旧習の継続は国際社会において不名誉しかもたらさない事を認識する必要があると信じるものです。
No title
第一条 この法律は、近年の情報技術の分野における急速な技術革新の進展により産業構造及び国際的な競争条件が著しく変化する中で、我が国産業の生産性の向上を短期間に実現するための措置が早急にとられなければ、我が国産業の国際競争力が大きく低下するおそれがあることに鑑み、新技術等実証の促進、革新的データ産業活用の促進その他の革新的事業活動による短期間での生産性の向上に関する施策を集中的かつ一体的に講ずること等により、我が国産業の国際競争力の維持及び強化を図り、もって国民生活の向上及び国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
コンピュタのシステムを元号が変わるたびに変更しなければならないことは、生産性を阻害する要因ですネ。
内閣は何を考えて生産性云々を考えているのかな?
ははのんきだね?!
コンピュタのシステムを元号が変わるたびに変更しなければならないことは、生産性を阻害する要因ですネ。
内閣は何を考えて生産性云々を考えているのかな?
ははのんきだね?!
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>私は端的に申し上げて元号及び天皇制は廃止しなければならないという考えに立ちたいです。
現状、共産党以外に支持する政党はありませんね。
現状、共産党以外に支持する政党はありませんね。
ごんべえさん
>信条とか宗教とかそーゆーでりけーとなことは語らないほうがいいと思うんよ。
半分賛成です。
一定の思想に執着しすぎると「0か100かの思考」つまりはall or nothingの
価値観にはまりやすいものです。そこが思想や宗教の怖いところですね。
半分反対なのは、元号など古くさいから要らない、ではこれもまたall or nothingの価値観になってしまうところです。
「流行」も「伝統」もそして「合理性」も人間社会にとってはどれも大切なはずです。
但しデリケートな議題であることは同感です。
半分賛成です。
一定の思想に執着しすぎると「0か100かの思考」つまりはall or nothingの
価値観にはまりやすいものです。そこが思想や宗教の怖いところですね。
半分反対なのは、元号など古くさいから要らない、ではこれもまたall or nothingの価値観になってしまうところです。
「流行」も「伝統」もそして「合理性」も人間社会にとってはどれも大切なはずです。
但しデリケートな議題であることは同感です。
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元号という文化は伝統性が強いわけですが流行を常に追いかけている人や
現状維持を嫌う傾向にある左派系の人、
更には天皇陛下が生理的に合わない人にとっては
伝統?元号?そんなもの何に役に立つ?となるのでしょう。
また陛下が生理的に合わない人にとっては外国人の陛下へのバッシングは心地よく
外国人から陛下へリスペクトの声が上がると不愉快になるのでしょう。
しかしそのようなアンチ陛下の方々には本当に同情します。
天皇制が続いている現在、皇室行事間は常に行なわれるわけです。
アンチ陛下の方々は今回のようにそして今後もその都度その都度不愉快な思いをされるのでしょうから。
現状維持を嫌う傾向にある左派系の人、
更には天皇陛下が生理的に合わない人にとっては
伝統?元号?そんなもの何に役に立つ?となるのでしょう。
また陛下が生理的に合わない人にとっては外国人の陛下へのバッシングは心地よく
外国人から陛下へリスペクトの声が上がると不愉快になるのでしょう。
しかしそのようなアンチ陛下の方々には本当に同情します。
天皇制が続いている現在、皇室行事間は常に行なわれるわけです。
アンチ陛下の方々は今回のようにそして今後もその都度その都度不愉快な思いをされるのでしょうから。
もう日本語も無くせよ
公用語は英語にしちまえよ。
その方が余程「合理的」だろ?
その方が余程「合理的」だろ?
No title
>もう日本語も無くせよ
>公用語は英語にしちまえよ。
>その方が余程「合理的」だろ?
ボドサケラス・三郎四郎・モヤマテオンさんにしては、
寅さんの啖呵売りみたいで、飛躍したお話ですね(^_^;)
失礼ながら、もしかして、入歯の噛み具合が悪いのかしら?(*_*)
「やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない」
とか、まさかね。
>公用語は英語にしちまえよ。
>その方が余程「合理的」だろ?
ボドサケラス・三郎四郎・モヤマテオンさんにしては、
寅さんの啖呵売りみたいで、飛躍したお話ですね(^_^;)
失礼ながら、もしかして、入歯の噛み具合が悪いのかしら?(*_*)
「やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない」
とか、まさかね。
No title
天皇の代替わりによって時代が区分されるって、近代民主主義には馴染みません。
私は元号は基本的に使ってないし、今後も使わないと思います。
私は元号は基本的に使ってないし、今後も使わないと思います。
だったら、
>私は端的に申し上げて元号及び天皇制は廃止しなければならないという考えに立ちたいです。
改憲派であることを明示して下さい。天皇制廃止のためには、憲法改正が欠かせませんから。
>しかしその様な欺瞞的詭弁が正当性を持ち得る社会によって、国内で民主主義の発展が封じられ、対外侵略に至る排外主義国民意識がが醸成された歴史的事実
元号のない国で、侵略戦争を起こした国は、幾らでもあります。また、大正時代の我が国では、衆議院選挙で勝利した政党が組閣して総理を出していたのですから、天皇制と元号の下で、立派に民主主義は発展していました。昭和の前半は、それが、一時挫折しただけに過ぎません。
改憲派であることを明示して下さい。天皇制廃止のためには、憲法改正が欠かせませんから。
>しかしその様な欺瞞的詭弁が正当性を持ち得る社会によって、国内で民主主義の発展が封じられ、対外侵略に至る排外主義国民意識がが醸成された歴史的事実
元号のない国で、侵略戦争を起こした国は、幾らでもあります。また、大正時代の我が国では、衆議院選挙で勝利した政党が組閣して総理を出していたのですから、天皇制と元号の下で、立派に民主主義は発展していました。昭和の前半は、それが、一時挫折しただけに過ぎません。
No title
ボドサケラスさん
>もう日本語も無くせよ
>公用語は英語にしちまえよ。
>その方が余程「合理的」だろ?
的確な皮肉だと思います。
私は、中国や韓国へ出張して現地の技術者と議論するときには、英語、西暦を使います。
互いに対等な立場であり、そうすることが合理的、公平だからです。
日本では、日本語、和暦を使います。
世界で最も長く続く日本に対する敬意があるからです。
仮に私が他国に在住する際には、
その国の言葉、その国の暦を使うことでしょう。
(勉強不足でそれができない場合、申し訳ありませんという態度で代替策を採ります)
外国人が日本に在住する場合であっても然るべきです。
元号すら嫌だという方は、日本を、歴史の無い共和国にしたいのでしょうね。
片割月さん
そういえば、以前、「日本は中国文化を取り入れて発展した国なのに、右翼が中国人を見下すのはなぜなのか」という問題提起をしておられたかと思います。
当時、多忙でレスできませんでしたが、
今回もトピックと関連するので、ここで書き込みさせていただきます。
日本人が憧れをもって学び、文化を吸収したのは
「唐」です。
皇族は突厥(トルコ)人、安倍仲麻呂は日本人、安禄山はソグド人と、
国際色豊かなシルクロード文化の王朝です。
漢人は支配され、虐げられる側です。
ましてや、明治の日本人が見たChinaは、
満州人が漢人を支配する清朝です。
中世以降の漢人政権は明と中共しかありません。
漢人に対する敬意は無いのでしょう。
>もう日本語も無くせよ
>公用語は英語にしちまえよ。
>その方が余程「合理的」だろ?
的確な皮肉だと思います。
私は、中国や韓国へ出張して現地の技術者と議論するときには、英語、西暦を使います。
互いに対等な立場であり、そうすることが合理的、公平だからです。
日本では、日本語、和暦を使います。
世界で最も長く続く日本に対する敬意があるからです。
仮に私が他国に在住する際には、
その国の言葉、その国の暦を使うことでしょう。
(勉強不足でそれができない場合、申し訳ありませんという態度で代替策を採ります)
外国人が日本に在住する場合であっても然るべきです。
元号すら嫌だという方は、日本を、歴史の無い共和国にしたいのでしょうね。
片割月さん
そういえば、以前、「日本は中国文化を取り入れて発展した国なのに、右翼が中国人を見下すのはなぜなのか」という問題提起をしておられたかと思います。
当時、多忙でレスできませんでしたが、
今回もトピックと関連するので、ここで書き込みさせていただきます。
日本人が憧れをもって学び、文化を吸収したのは
「唐」です。
皇族は突厥(トルコ)人、安倍仲麻呂は日本人、安禄山はソグド人と、
国際色豊かなシルクロード文化の王朝です。
漢人は支配され、虐げられる側です。
ましてや、明治の日本人が見たChinaは、
満州人が漢人を支配する清朝です。
中世以降の漢人政権は明と中共しかありません。
漢人に対する敬意は無いのでしょう。
No title
天皇制廃止は、改憲論者というのは誤りですね。
単に、9条改憲論とゴチャゴチャにしようという意図が見え見え。
現在、天皇制廃止など全く政治日程に上っていない。共産党もこれを公約になどしていない。
改憲論とは、現在の政治においては、政権側が実現しようとしている改憲論に賛成か反対かということ。
単に、9条改憲論とゴチャゴチャにしようという意図が見え見え。
現在、天皇制廃止など全く政治日程に上っていない。共産党もこれを公約になどしていない。
改憲論とは、現在の政治においては、政権側が実現しようとしている改憲論に賛成か反対かということ。
No title
世界で最も長く続く日本に対する敬意?
本当に中国で駐在経験のある方なのでしょうか?
元号もそうですが一世一元も中国王朝に倣う国である日本。
唐に対する遣唐使(日本側の呼び名)より遣隋使、もっと以前、分かれて百余国と中国の書に書かれた時代、卑弥呼が親魏倭王の爵位を与えられた時代、倭王武が南朝宋皇帝に先祖代々自ら甲冑を着用し宋王朝に貢献した事を記す上表文を送り爵位を与えられた事、歴史の無い共和国とは中国と人民に対する皮肉、皮相的な独自の歴史観でしょうか。
本当に中国で駐在経験のある方なのでしょうか?
元号もそうですが一世一元も中国王朝に倣う国である日本。
唐に対する遣唐使(日本側の呼び名)より遣隋使、もっと以前、分かれて百余国と中国の書に書かれた時代、卑弥呼が親魏倭王の爵位を与えられた時代、倭王武が南朝宋皇帝に先祖代々自ら甲冑を着用し宋王朝に貢献した事を記す上表文を送り爵位を与えられた事、歴史の無い共和国とは中国と人民に対する皮肉、皮相的な独自の歴史観でしょうか。
郷に入れば郷に従え?
>仮に私が他国に在住する際には、その国の言葉、その国の暦を使うことでしょう。
>外国人が日本に在住する場合であっても然るべきです。
↑
わたしは日本に住む日本人だが、意図的に「主の年(=西暦)」を使う。
公的文書などで和暦を使わざるをえないときは、それに従う。
他人が和暦を使おうが、西暦を使おうが、それは各人の自由だと思う。
ゆうじさんの考え方だと、わたしのような人間も和暦を使うべきだということなのだろうか?
「郷に入れば郷に従え」といった考え方をしているのだろうか?
>外国人が日本に在住する場合であっても然るべきです。
↑
わたしは日本に住む日本人だが、意図的に「主の年(=西暦)」を使う。
公的文書などで和暦を使わざるをえないときは、それに従う。
他人が和暦を使おうが、西暦を使おうが、それは各人の自由だと思う。
ゆうじさんの考え方だと、わたしのような人間も和暦を使うべきだということなのだろうか?
「郷に入れば郷に従え」といった考え方をしているのだろうか?
No title
rotさん
>本当に中国で駐在経験のある方なのでしょうか?
出張経験と書きましたが。
住所を海外へ移したことはありません。
唐以前の交流の記載を省いたのは、
日本の元号は唐代に始まったこと
日本と名乗ったのが唐代であること
文物の交流が前後数百年での極大を迎えたことから
本トピックにおいては、唐にフォーカスを当てて論じるのが適切と考えたからです。
猪野先生が皮肉まじりに取り上げた大化の改新も唐代です。
同時期に統一新羅も誕生しており、アジアにおける大転換期であることは現代韓国の方々も主張しておられることです。
>歴史の無い共和国とは中国と人民に対する皮肉、皮相的な独自の歴史観でしょうか。
中共は、清朝を継承していません。
元号も使ってません。
台湾には元号がある一方で、
中共には無いのですから、
古い歴史を切り捨てて新中国を建国することを
理念としているものと思います。
>公的文書などで和暦を使わざるをえないときは、それに従う。
>ゆうじさんの考え方だと、わたしのような人間も和暦を使うべきだということなのだろうか?
公的文書を書くときには従ってください。
なごやんさんみたいな方がおられることを想定して
法律による縛りをかけたものと思います。
>本当に中国で駐在経験のある方なのでしょうか?
出張経験と書きましたが。
住所を海外へ移したことはありません。
唐以前の交流の記載を省いたのは、
日本の元号は唐代に始まったこと
日本と名乗ったのが唐代であること
文物の交流が前後数百年での極大を迎えたことから
本トピックにおいては、唐にフォーカスを当てて論じるのが適切と考えたからです。
猪野先生が皮肉まじりに取り上げた大化の改新も唐代です。
同時期に統一新羅も誕生しており、アジアにおける大転換期であることは現代韓国の方々も主張しておられることです。
>歴史の無い共和国とは中国と人民に対する皮肉、皮相的な独自の歴史観でしょうか。
中共は、清朝を継承していません。
元号も使ってません。
台湾には元号がある一方で、
中共には無いのですから、
古い歴史を切り捨てて新中国を建国することを
理念としているものと思います。
>公的文書などで和暦を使わざるをえないときは、それに従う。
>ゆうじさんの考え方だと、わたしのような人間も和暦を使うべきだということなのだろうか?
公的文書を書くときには従ってください。
なごやんさんみたいな方がおられることを想定して
法律による縛りをかけたものと思います。
No title
元号が廃止されない理由は何でしょうか。
民意はどうなのでしょうか。
民意はどうなのでしょうか。
No title
大日本帝国憲法下においては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に明記されていたが、日本国憲法下においては、1947年(昭和22年)に現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文がなくなった。
しかし、その後も国会・政府・裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に[注 1]元号による年号表記が用いられた。
昭和天皇の高齢化に伴い、昭和天皇が崩御した後にも元号を使い続けるかどうかが注目されるようになった[2]。世論調査(1976年(昭和51年))において国民の87.5%が元号を使用していると回答した[3]事情に鑑み、1979年(昭和54年)6月6日に第87回国会で「元号法」が成立、同月12日に公布・即日施行(附則第1項)された。
象徴が変わることと、元号が変わることとの間には関連性がない。
美しい国日本を標榜する人たちの郷愁にあれこれ騒ぐ理由はない。
しかし、その後も国会・政府・裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に[注 1]元号による年号表記が用いられた。
昭和天皇の高齢化に伴い、昭和天皇が崩御した後にも元号を使い続けるかどうかが注目されるようになった[2]。世論調査(1976年(昭和51年))において国民の87.5%が元号を使用していると回答した[3]事情に鑑み、1979年(昭和54年)6月6日に第87回国会で「元号法」が成立、同月12日に公布・即日施行(附則第1項)された。
象徴が変わることと、元号が変わることとの間には関連性がない。
美しい国日本を標榜する人たちの郷愁にあれこれ騒ぐ理由はない。
新元号はエイプリルフール
私は元号反対ですが新元号は令和(れいわ)ですか。
やはり4月1日エイプリルフールでした。
MTSHから選ばないと聞いていましたが、和を使って選定委員は何を考えていたのでしょうか。
和を使うならどう考えても『平和』でしょう。
『平和』じゃない新元号。
顔ぶれを聞いた時、これでいいのかと思いましたが、的中した感じです。
『平成』の時、右派論壇の人が電鉄会社かと失望したらしいコメントを聞きましたが、今回の典拠は万葉集とか言ってますが、令はどう考えても命令の令ですね。
せめて玲とか麗、黎、嶺、禮、励、とか思わなかったのでしょうか。
画数が少ないからいいとなったとしか思えません。
れいと言えば安倍総理との関係で0、零を思いますが、まさかそうじゃないでしょうね。
とにかく和を使うと決めた時点で駄目な上に、さらに令ですから、センスの無さを露呈したと思います。
もともと元号は使わない様にしていますが、多くの人が困惑、失望したと思います。
これが押し付けられるのだからひどい時代です。
やはり4月1日エイプリルフールでした。
MTSHから選ばないと聞いていましたが、和を使って選定委員は何を考えていたのでしょうか。
和を使うならどう考えても『平和』でしょう。
『平和』じゃない新元号。
顔ぶれを聞いた時、これでいいのかと思いましたが、的中した感じです。
『平成』の時、右派論壇の人が電鉄会社かと失望したらしいコメントを聞きましたが、今回の典拠は万葉集とか言ってますが、令はどう考えても命令の令ですね。
せめて玲とか麗、黎、嶺、禮、励、とか思わなかったのでしょうか。
画数が少ないからいいとなったとしか思えません。
れいと言えば安倍総理との関係で0、零を思いますが、まさかそうじゃないでしょうね。
とにかく和を使うと決めた時点で駄目な上に、さらに令ですから、センスの無さを露呈したと思います。
もともと元号は使わない様にしていますが、多くの人が困惑、失望したと思います。
これが押し付けられるのだからひどい時代です。
No title
「令」は「令月」で「何事をするにも良い月、めでたい月」
「和」は風和ぐ
からつけられているから、まぁ建前上の意味的にはおめでたいんじゃないかな。
ただまぁ、個人的には、「和」の入った昭和は当然戦争があった時代なのでなんとなく縁起が悪いし、「令」は「律令」とか法令を示すことを考えると(法令といえば改憲、改憲といえば安倍総理は改憲大好きだし)う~ん、せめて「礼(禮)」のほうがよかったかなと。
深読みしちゃうといろいろしんどいので。
「和」は風和ぐ
からつけられているから、まぁ建前上の意味的にはおめでたいんじゃないかな。
ただまぁ、個人的には、「和」の入った昭和は当然戦争があった時代なのでなんとなく縁起が悪いし、「令」は「律令」とか法令を示すことを考えると(法令といえば改憲、改憲といえば安倍総理は改憲大好きだし)う~ん、せめて「礼(禮)」のほうがよかったかなと。
深読みしちゃうといろいろしんどいので。
古い歴史を切り捨てる国はない
>古い歴史を切り捨てて新中国を建国することを理念としているものと思います。
「古い歴史」は観光資源・文化遺産にもなるので、切り捨てる対象ではないことは自明だが。なお、文化大革命のような破壊活動はあったが、それはタリバンの仏像破壊、幕末から明治の日本でも廃仏毀釈があった。しかし、どこの国でもそんな狂気を乗り越え、今日まで文化遺産が残っている。
元号廃止を以て「古い歴史を切り捨てて」と論じるあたりが「皮相的な独自の歴史観」であると同時に、論理の組み立て方に稚拙さがある。
>日本では、日本語、和暦を使います。世界で最も長く続く日本に対する敬意があるからです。
「世界で最も長く続く日本」とは中学生でも言わないと思う。また歴史が長ければ当然敬意を持つものという勘違いをしている。
歴史の長短に関係なく、自国の歴史や文化に対する学びはもちろんすべきだし、他者、彼らの文化に対する敬意も払って当然だ。ゆうじさんにはそうした感覚が希薄なようで、それゆえ、〈外国人労働者を隔離せよ〉という荒唐無稽な発想をする(注)。
【注】
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1230.html
2015/02/16(23:15) ゆうじさんのコメント
「古い歴史」は観光資源・文化遺産にもなるので、切り捨てる対象ではないことは自明だが。なお、文化大革命のような破壊活動はあったが、それはタリバンの仏像破壊、幕末から明治の日本でも廃仏毀釈があった。しかし、どこの国でもそんな狂気を乗り越え、今日まで文化遺産が残っている。
元号廃止を以て「古い歴史を切り捨てて」と論じるあたりが「皮相的な独自の歴史観」であると同時に、論理の組み立て方に稚拙さがある。
>日本では、日本語、和暦を使います。世界で最も長く続く日本に対する敬意があるからです。
「世界で最も長く続く日本」とは中学生でも言わないと思う。また歴史が長ければ当然敬意を持つものという勘違いをしている。
歴史の長短に関係なく、自国の歴史や文化に対する学びはもちろんすべきだし、他者、彼らの文化に対する敬意も払って当然だ。ゆうじさんにはそうした感覚が希薄なようで、それゆえ、〈外国人労働者を隔離せよ〉という荒唐無稽な発想をする(注)。
【注】
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1230.html
2015/02/16(23:15) ゆうじさんのコメント
>なごやん氏
>わたしは日本に住む日本人だが、意図的に「主の年(=西暦)」を使う。
ほら、あなたは暦の重要性について、ある意味で私ら以上に積極的に自覚しておられるじゃないか。
そういう事ですよ。
貴方にとっては「神への信仰」は特別かつ自明であり、我々の「日本文明への想い」とは別なのだろうが、一歩引いて観察すれば両者ともミームの保全・拡大であり、集団化意識の醸成による群れの強化である。
目的は同じですよ。
ほら、あなたは暦の重要性について、ある意味で私ら以上に積極的に自覚しておられるじゃないか。
そういう事ですよ。
貴方にとっては「神への信仰」は特別かつ自明であり、我々の「日本文明への想い」とは別なのだろうが、一歩引いて観察すれば両者ともミームの保全・拡大であり、集団化意識の醸成による群れの強化である。
目的は同じですよ。
rotさん
平和は明治維新期に出来た和製漢語なので採用はあり得ません
平和という語ができるはるか悠久の昔から
悲惨な王朝交代を行うことなく
諸外国に比して平和に過ごしてきたのが日本人なのです。
万葉集からの採用は良かったですね。
唐の巨大文明に敬意を表しながら取り入れつつも、
我が国独自のあり方を模索した先人に対する敬意が込められています。
朝鮮労働党のように、主体(チェチェ)暦などと
憎む日本の和製漢語を使うことを憚らない党もありますが
それぞれのお国(党)柄なのだと思います。
平和は明治維新期に出来た和製漢語なので採用はあり得ません
平和という語ができるはるか悠久の昔から
悲惨な王朝交代を行うことなく
諸外国に比して平和に過ごしてきたのが日本人なのです。
万葉集からの採用は良かったですね。
唐の巨大文明に敬意を表しながら取り入れつつも、
我が国独自のあり方を模索した先人に対する敬意が込められています。
朝鮮労働党のように、主体(チェチェ)暦などと
憎む日本の和製漢語を使うことを憚らない党もありますが
それぞれのお国(党)柄なのだと思います。
時の支配?
いや、時間を支配できるのは物理法則だけでしょ?
支配(?)しているのは「時」じゃなくて「暦」でしょ?
暦を政権や宗教が提供するのは歴史的に見ても極めて一般的な話であって、その暦は慣習と合理性と仲間意識によって大衆に受け入れられる。
また、仲間意識の醸成そのものにも繋がる。
それな何が問題か、全くわからんよ。
個の絶対自由の為にかつて革命を志向していた左翼は、大衆の仲間意識を破壊したいから、一つ一つそういうミームを丹念に潰していきたいのだろうけど。
支配(?)しているのは「時」じゃなくて「暦」でしょ?
暦を政権や宗教が提供するのは歴史的に見ても極めて一般的な話であって、その暦は慣習と合理性と仲間意識によって大衆に受け入れられる。
また、仲間意識の醸成そのものにも繋がる。
それな何が問題か、全くわからんよ。
個の絶対自由の為にかつて革命を志向していた左翼は、大衆の仲間意識を破壊したいから、一つ一つそういうミームを丹念に潰していきたいのだろうけど。
秋風亭さん
私が言ってるのはそういう論点ではなく
・共産主義が帝国を継承するわけにはいかない
・漢の継承国家では、チベット、ウイグル、内蒙古の領有を正当化できない
(清は同君連合という形式を採っていた)
以上の特殊事情により
新中国はあえて歴史的継続を切ったのです。
私が言ってるのはそういう論点ではなく
・共産主義が帝国を継承するわけにはいかない
・漢の継承国家では、チベット、ウイグル、内蒙古の領有を正当化できない
(清は同君連合という形式を採っていた)
以上の特殊事情により
新中国はあえて歴史的継続を切ったのです。
No title
ゆうじさんのへそ曲がりな批判がまたですか、という感じ。
平和は何の問題もないですよ。
貴方の独自見解によれば平成なんてあり得ないですよ。
平和は何の問題もないですよ。
貴方の独自見解によれば平成なんてあり得ないですよ。
元号廃止が歴史断絶とは大げさすぎる
>漢の継承国家では、チベット、ウイグル、内蒙古の領有を正当化できない
周辺地域を侵略するにあたって歴史的継続を切る?
では日本は明治以降の対外侵略をするにあたって歴史的継続を切ったのか?
日本は五族協和などとうそぶいていたが、古来から続く天皇を神格化し、都合良く利用していた。
日本は共産主義ではないから該当しないという論理はない。対外侵略をするのに政治体制の違いによって「歴史的継続を切る」というのは空論だ。中国共産党が「歴史的継続を切る」という見解でも出したのか?彼らはそこまでアホではない。中国で使われる歴史教科書をみればわかることだ。
政治体制の変革はできても歴史の断絶などはあり得ないし、それを強弁するのは自己本位な歴史観であり、他者が認めるわけがない。そんなことが通れば、ナチスの国家的犯罪に対して現在の独国民は何も責任を負わないことになる。直接の責任はなくとも記憶の継承という責任を負うものだ。
中国における元号の廃止は、歴史を断絶させたなどという大げさなものではなく、政策が変更されたにすぎない。復活したいなら強権国家の中国なら簡単なことだ。元号など、その程度のものだ。
周辺地域を侵略するにあたって歴史的継続を切る?
では日本は明治以降の対外侵略をするにあたって歴史的継続を切ったのか?
日本は五族協和などとうそぶいていたが、古来から続く天皇を神格化し、都合良く利用していた。
日本は共産主義ではないから該当しないという論理はない。対外侵略をするのに政治体制の違いによって「歴史的継続を切る」というのは空論だ。中国共産党が「歴史的継続を切る」という見解でも出したのか?彼らはそこまでアホではない。中国で使われる歴史教科書をみればわかることだ。
政治体制の変革はできても歴史の断絶などはあり得ないし、それを強弁するのは自己本位な歴史観であり、他者が認めるわけがない。そんなことが通れば、ナチスの国家的犯罪に対して現在の独国民は何も責任を負わないことになる。直接の責任はなくとも記憶の継承という責任を負うものだ。
中国における元号の廃止は、歴史を断絶させたなどという大げさなものではなく、政策が変更されたにすぎない。復活したいなら強権国家の中国なら簡単なことだ。元号など、その程度のものだ。
No title
ここでそれなりの議論をしたいのでしたら、例えば山川出版社から出ている世界史リブレット128『世界史における時間』など読まれて、ちょうど現在、著者の佐藤正幸さんがヤフーのPAGEで改元記念連載というんですが「ホモ・ヒストリクスは年を数える」という連載で歴史や時間について述べられています。
佐藤さんの見解は私の考えとは違い、むしろここで元号肯定の意見を述べている方々に近いと思いますので興味を覚えられた方はご覧になれば良いのではと思います。
佐藤正幸さんは歴史と時間についてずっと研究しておられる方です。
佐藤さんの見解は私の考えとは違い、むしろここで元号肯定の意見を述べている方々に近いと思いますので興味を覚えられた方はご覧になれば良いのではと思います。
佐藤正幸さんは歴史と時間についてずっと研究しておられる方です。
↑
共産革命やで?
そして文化大革命やで?
むっちゃくちゃ歴史断絶しとるやん。
どれだけ有形無形の文化が破壊された事か。
何千万人が死んだ事か。
政策の変更?
その「政策」が革命やん。
そして文化大革命やで?
むっちゃくちゃ歴史断絶しとるやん。
どれだけ有形無形の文化が破壊された事か。
何千万人が死んだ事か。
政策の変更?
その「政策」が革命やん。
No title
明治は、西洋列強に抗すべく、国民国家を作ろうとして、その核は天皇しかいなかったというのが実情だろう。
天皇ではない、理念とかイデオロギーとは当時は無理だろう。
庶民に天皇のイメージを植え付けるには一世一元は極めて有用だったのだと思う。
いまのところ、新たな日本の象徴はできていない。
天皇陛下が日本の象徴である以上、元号も今のところありと思う。
天皇ではない、理念とかイデオロギーとは当時は無理だろう。
庶民に天皇のイメージを植え付けるには一世一元は極めて有用だったのだと思う。
いまのところ、新たな日本の象徴はできていない。
天皇陛下が日本の象徴である以上、元号も今のところありと思う。
No title
>>>せめて玲とか麗、黎、嶺、禮、励、とか思わなかったのでしょうか。画数が少ないからいいとなったとしか思えません。
↑まぁ、実務慣れをしなさ過ぎといいましょうか。。。。
あのねぇ、玲・励はまだしも、他の漢字なんか使われたらビジネスの世界では大変よ(笑)。
場合によっては未だに手書きのケースも多々あるしね。又、子供やお年寄りも世の中には多くいるんだから。大半の人が書けて手間いらずのものにするのは、原則中の原則よ。
ただ、令という漢字は少し緊張感が走るわね。決まったものは仕方ないが、今の時代には良いものなのかはよく分からん。
↑まぁ、実務慣れをしなさ過ぎといいましょうか。。。。
あのねぇ、玲・励はまだしも、他の漢字なんか使われたらビジネスの世界では大変よ(笑)。
場合によっては未だに手書きのケースも多々あるしね。又、子供やお年寄りも世の中には多くいるんだから。大半の人が書けて手間いらずのものにするのは、原則中の原則よ。
ただ、令という漢字は少し緊張感が走るわね。決まったものは仕方ないが、今の時代には良いものなのかはよく分からん。
No title
グローバル化で、世界が全部同じようなかたちになる時代には、
そこにしかない独自性を持ったものが価値を持つ。
日本にだけ元号があるというのはソフトパワーだ。
(編集委員・塩倉裕)朝日新聞社
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000084-asahi-soci
そこにしかない独自性を持ったものが価値を持つ。
日本にだけ元号があるというのはソフトパワーだ。
(編集委員・塩倉裕)朝日新聞社
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000084-asahi-soci
No title
天皇は、日本国の象徴であり 、日本国民統合の象徴であつて
日本国とは、法的統治団体
日本国民統合とは、統合しているとは思えないのですが?
むしろ、国民の格差が拡大しているのでは?
現実社会では、何を浮かれているのやら?
ちなみに、アメリカ・象徴で 検索すると、
アメリカ合衆国建国の父
アメリカ合衆国の国章
コロンビア (古名)
自由の鐘
自由の女神像 (ニューヨーク)
星条旗 (国歌)
中には、白頭鷲なんて動物まであります。
日本国とは、法的統治団体
日本国民統合とは、統合しているとは思えないのですが?
むしろ、国民の格差が拡大しているのでは?
現実社会では、何を浮かれているのやら?
ちなみに、アメリカ・象徴で 検索すると、
アメリカ合衆国建国の父
アメリカ合衆国の国章
コロンビア (古名)
自由の鐘
自由の女神像 (ニューヨーク)
星条旗 (国歌)
中には、白頭鷲なんて動物まであります。
No title
なんだかんだ理由をつけて天皇制や元号を否定する方達は
要は天皇陛下を生理的に毛嫌いしてるだけ。
申し訳ありませんがいかに正論ぶって反対と叫んでもヒステリー状態にしか見えません。
独自性や個性の尊重は左派も反対しないはず。
ただ天皇陛下がからむ独自性や個性がだめなんですよね。
つまりは感情論。
要は天皇陛下を生理的に毛嫌いしてるだけ。
申し訳ありませんがいかに正論ぶって反対と叫んでもヒステリー状態にしか見えません。
独自性や個性の尊重は左派も反対しないはず。
ただ天皇陛下がからむ独自性や個性がだめなんですよね。
つまりは感情論。
歴史の断絶とは何か
【古い歴史を切り捨てる国はない】
【元号廃止が歴史断絶とは大げさすぎる】
秋風亭遊穂さんの論旨に賛成です。
元号の廃止が歴史断絶になるという様な見解は、日本の歴史を見つめ直せば、全くの虚妄であると理解できます。
そもそも保守や右翼の人達が絶対と言って良い程に認めたがらないのは、日本がその歴史において滅亡を現実の事態として受け入れようとした、受け入れざるを得ない事を覚悟したのはアジア太平洋戦争における本土決戦での玉砕、松代大本営などでの終末まで想定した1945年をおいて他には無いと断言できる歴史的事実なのです。
天皇の聖断なるもので危うく決着したかの様にいわれるポツダム宣言受け入れに至る過程も、もしソ連が参戦する事態が何らかの理由で延期ないし無かったとすれば、三種の神器の確認まで行っていた天皇や、原爆投下さえ会議でまったく問題にしない軍部、政府首脳らは米軍の上陸を竹槍などで子供にまで武装させて迎え撃ち、玉砕という名の全滅戦を戦っていた事は状況と経過から明らかです。
現在の我々はその様な歴史を歩まず今に至った、それでもアジア太平洋戦争で日本は中国、朝鮮、フィリピン、ベトナムなどアジア、オセアニアにそれぞれの国の歴史における最大級の破壊と暴力による人命と文化、財産に対する侵害を行い、日本自身も歴史始まって以来の破滅的な人命と文化、国土に対する損失を自らの愚行により招いたのです。
この歴史の断絶と言い得るほどの激動と愚行の過程において元号など、そして元号と結びついた天皇制などが、如何ほどの歴史的役割を果たしたというのでしょう。
現在の我々はその事を真摯に振り返らなければならない、そして何が歴史において本当に必要な事であるのかを学び知らなければならないのです。
【元号廃止が歴史断絶とは大げさすぎる】
秋風亭遊穂さんの論旨に賛成です。
元号の廃止が歴史断絶になるという様な見解は、日本の歴史を見つめ直せば、全くの虚妄であると理解できます。
そもそも保守や右翼の人達が絶対と言って良い程に認めたがらないのは、日本がその歴史において滅亡を現実の事態として受け入れようとした、受け入れざるを得ない事を覚悟したのはアジア太平洋戦争における本土決戦での玉砕、松代大本営などでの終末まで想定した1945年をおいて他には無いと断言できる歴史的事実なのです。
天皇の聖断なるもので危うく決着したかの様にいわれるポツダム宣言受け入れに至る過程も、もしソ連が参戦する事態が何らかの理由で延期ないし無かったとすれば、三種の神器の確認まで行っていた天皇や、原爆投下さえ会議でまったく問題にしない軍部、政府首脳らは米軍の上陸を竹槍などで子供にまで武装させて迎え撃ち、玉砕という名の全滅戦を戦っていた事は状況と経過から明らかです。
現在の我々はその様な歴史を歩まず今に至った、それでもアジア太平洋戦争で日本は中国、朝鮮、フィリピン、ベトナムなどアジア、オセアニアにそれぞれの国の歴史における最大級の破壊と暴力による人命と文化、財産に対する侵害を行い、日本自身も歴史始まって以来の破滅的な人命と文化、国土に対する損失を自らの愚行により招いたのです。
この歴史の断絶と言い得るほどの激動と愚行の過程において元号など、そして元号と結びついた天皇制などが、如何ほどの歴史的役割を果たしたというのでしょう。
現在の我々はその事を真摯に振り返らなければならない、そして何が歴史において本当に必要な事であるのかを学び知らなければならないのです。
No title
*アジア太平洋戦争における本土決戦での玉砕、松代大本営などでの終末まで想定した1945年をおいて他には無いと断言できる歴史的事実なのです。
クーデターによる断絶を歴史というのですよ。
公家から武家、さらに戦国時代 織田、豊臣、徳川
下級武士による長州連合政権、明治憲法による統治、天皇主権者の没落、
国民主権国家 連続というよりも、わずか73年の歴史。
それを2000年の歴史なんて教科書レベルの話。
日本国憲法と最も親和性のあるのは徳川幕府でしょう。
大名に参勤交代費用で浪費させ、強制的な軍縮
人質をとり謀反を避け、地方分権で自由主義的政治
クーデターによる断絶を歴史というのですよ。
公家から武家、さらに戦国時代 織田、豊臣、徳川
下級武士による長州連合政権、明治憲法による統治、天皇主権者の没落、
国民主権国家 連続というよりも、わずか73年の歴史。
それを2000年の歴史なんて教科書レベルの話。
日本国憲法と最も親和性のあるのは徳川幕府でしょう。
大名に参勤交代費用で浪費させ、強制的な軍縮
人質をとり謀反を避け、地方分権で自由主義的政治
無自覚な礼賛、翼賛、服従こそ感情論に支えられている
元号と天皇制を拒否する事は感情論ではありません。
天皇個人は我々国民となんら変わらない一人の人間です。
しかし天皇制というものは日本の伝統文化などではなく日本の身分制度その物なのです。
だから長く続いて歴史があるとかいう様な事は少しも誇るべき事ではないのです。
天皇の権威とは何だろうと考えてみると、和歌や礼儀作法、陰陽道とか学問、芸能など分野においての権威として代々、長く権威として君臨して家名や地位を保ってきたという訳ではない。
権力を持ち弓矢や刀などの武器を身につけた武士たちの棟梁であった訳でもない。
それなのに天皇に取って代わる地位や権威を、貴族や武士たちの誰も獲得できない、それどころか奪おうともしない。
恐れ多いからそうしなかったのか。
そうではない、しかし仮に恐れ多いとしたら、何が恐れ多かったのでしょうか。
それは身分制度の頂点である天皇を失う事によって、自分達の身分的地位の保証が失われる事を恐れた、言い換えれば自分達もその一員である身分制社会の崩壊を恐れたといえるでしょう。
その天皇制を現代において支え続ける装置として、現代の日本の保守支配層も元号を日本の隅々まで普及させる必要を痛感しているのです。
天皇制の継続を容認するという事は意識する、しないにかかわらず身分制度の弊害を容認し続けるという事なのです。
天皇個人は我々国民となんら変わらない一人の人間です。
しかし天皇制というものは日本の伝統文化などではなく日本の身分制度その物なのです。
だから長く続いて歴史があるとかいう様な事は少しも誇るべき事ではないのです。
天皇の権威とは何だろうと考えてみると、和歌や礼儀作法、陰陽道とか学問、芸能など分野においての権威として代々、長く権威として君臨して家名や地位を保ってきたという訳ではない。
権力を持ち弓矢や刀などの武器を身につけた武士たちの棟梁であった訳でもない。
それなのに天皇に取って代わる地位や権威を、貴族や武士たちの誰も獲得できない、それどころか奪おうともしない。
恐れ多いからそうしなかったのか。
そうではない、しかし仮に恐れ多いとしたら、何が恐れ多かったのでしょうか。
それは身分制度の頂点である天皇を失う事によって、自分達の身分的地位の保証が失われる事を恐れた、言い換えれば自分達もその一員である身分制社会の崩壊を恐れたといえるでしょう。
その天皇制を現代において支え続ける装置として、現代の日本の保守支配層も元号を日本の隅々まで普及させる必要を痛感しているのです。
天皇制の継続を容認するという事は意識する、しないにかかわらず身分制度の弊害を容認し続けるという事なのです。
No title
秋風亭遊穂さん
>周辺地域を侵略するにあたって歴史的継続を切る?
>では日本は明治以降の対外侵略をするにあたって歴史的継続を切ったのか
私が指摘したのは共産主義との矛盾です。
日本は立憲君主制ですので、天皇の統治下では同じ元号、という原則は崩してません。
満州国では別に皇帝を立てたので、満州国の元号は日本とは別にありました。
一時的に存在した大韓帝国も同様。
>中国で使われる歴史教科書をみればわかることだ。
現地で読んだことありますが(簡体字をなぞったレベルですが)
旧弊を廃すると謳ってましたよ。
>そんなことが通れば、ナチスの国家的犯罪に対して現在の独国民は何も責任を負わないことになる。
ナチス賛美は非難されますが、
一般ドイツ国民はナチスの国家的犯罪に対する責任を負ってません。
私は日本軍の犯罪とは無関係なので、その責任を負ってません。
中国人にはそう言ってますが、なんら批判されたことがありません。
中国の歴史教科書には、「日本人民は無罪」とわざわざ明記してあります。
>直接の責任はなくとも記憶の継承という責任を負うものだ。
あなたおひとりで勝手に負ってください。
靖国に参拝しない日本人は、中国で何ら責められないので
相手が求めもしないことを勝手にしないでください。
>復活したいなら強権国家の中国なら簡単なことだ。
いいえ。皇帝から継承した元号など復活しません。
北朝鮮の主体暦のように、
全く別の暦を新規に立てることならありうるでしょうが
それは、本トピックで扱っている、元号の継承とは無関係なことです。
ボドサケラスさん
>そして文化大革命やで?
>むっちゃくちゃ歴史断絶しとるやん。
>どれだけ有形無形の文化が破壊された事か。
>何千万人が死んだ事か。
大躍進~文革こそ、20世紀最大の悲劇ですよね。
人の生命の重さに違いはない以上、
被害者数最大の事件が最大の悲劇です。
中国の方々と話すとき、彼らは非常に沈痛な面持ちで話されます。
普段は人権だの何だのと言ってる方々が
「政策が変更されたにすぎない」などといかにも軽く言う方々には呆れます。
>周辺地域を侵略するにあたって歴史的継続を切る?
>では日本は明治以降の対外侵略をするにあたって歴史的継続を切ったのか
私が指摘したのは共産主義との矛盾です。
日本は立憲君主制ですので、天皇の統治下では同じ元号、という原則は崩してません。
満州国では別に皇帝を立てたので、満州国の元号は日本とは別にありました。
一時的に存在した大韓帝国も同様。
>中国で使われる歴史教科書をみればわかることだ。
現地で読んだことありますが(簡体字をなぞったレベルですが)
旧弊を廃すると謳ってましたよ。
>そんなことが通れば、ナチスの国家的犯罪に対して現在の独国民は何も責任を負わないことになる。
ナチス賛美は非難されますが、
一般ドイツ国民はナチスの国家的犯罪に対する責任を負ってません。
私は日本軍の犯罪とは無関係なので、その責任を負ってません。
中国人にはそう言ってますが、なんら批判されたことがありません。
中国の歴史教科書には、「日本人民は無罪」とわざわざ明記してあります。
>直接の責任はなくとも記憶の継承という責任を負うものだ。
あなたおひとりで勝手に負ってください。
靖国に参拝しない日本人は、中国で何ら責められないので
相手が求めもしないことを勝手にしないでください。
>復活したいなら強権国家の中国なら簡単なことだ。
いいえ。皇帝から継承した元号など復活しません。
北朝鮮の主体暦のように、
全く別の暦を新規に立てることならありうるでしょうが
それは、本トピックで扱っている、元号の継承とは無関係なことです。
ボドサケラスさん
>そして文化大革命やで?
>むっちゃくちゃ歴史断絶しとるやん。
>どれだけ有形無形の文化が破壊された事か。
>何千万人が死んだ事か。
大躍進~文革こそ、20世紀最大の悲劇ですよね。
人の生命の重さに違いはない以上、
被害者数最大の事件が最大の悲劇です。
中国の方々と話すとき、彼らは非常に沈痛な面持ちで話されます。
普段は人権だの何だのと言ってる方々が
「政策が変更されたにすぎない」などといかにも軽く言う方々には呆れます。
No title
普段は人権擁護などに関心を寄せず、批判的でも、日本の軍国主義や国家主義、排外的復古政治を擁護したり賛美する目的の為に、中国における文革などの人権侵害だけは世界最大の悲劇などと語る。
私にはその様な偽善的手法の駆使はとても無理です。
私にはその様な偽善的手法の駆使はとても無理です。
No title
体制派さん、これぐらいの漢字が難しいとかいうなら、平仮名かカタカナにすればいいでしょう。
そうすれば子供でもお年寄りでも問題無く書ける。
ローマ字ならばとまでは言いません。
難しくて実務ではと言われますが、山カンムリに領と書くぐらいが実務では無理なんでしょうか?
麗だって下に鹿を書けばいいだけで簡単です。
実務で無理なんて言ってたら、これより難しい漢字の名前のお客様などお断りするしかないです。
そうすれば子供でもお年寄りでも問題無く書ける。
ローマ字ならばとまでは言いません。
難しくて実務ではと言われますが、山カンムリに領と書くぐらいが実務では無理なんでしょうか?
麗だって下に鹿を書けばいいだけで簡単です。
実務で無理なんて言ってたら、これより難しい漢字の名前のお客様などお断りするしかないです。
rotさん
私は確度の高い被害者数の大小で定量的に評価してます。
数字にイデオロギーの入る余地はありません。
私は確度の高い被害者数の大小で定量的に評価してます。
数字にイデオロギーの入る余地はありません。
サラミソーセージ史観
>私が指摘したのは共産主義との矛盾です。
また論点そらしか。周辺地域を侵略するのは政治体制に関係なく日本も中国も長い歴史の中でやっている。両国とも歴史の断絶などと言ってはいない。群雄割拠の戦国時代から見れば、敗れた武将のお家は断絶したが歴史は続いている。この戦国時代を歴史の断絶という人はいない。
「共産主義との矛盾」というなら、ソ連がWW2でポーランド侵攻をしたのも歴史の断絶か?チェコやアフガンにも武力行使したが、何回歴史断絶したというのか?歴史はサラミソーセージではない。
>旧弊を廃すると謳ってましたよ。
それを歴史の断絶というのか?アホらしい。
1868年、「神祇事務局ヨリ諸社ヘ達」には、「今般王政復古、旧弊御一洗なされ候に付き」とある。言うまでもなくこれは歴史の断絶ではなく、政策転換である。そしてすさまじい廃仏毀釈が行われた。
>全く別の暦を新規に立てることならありうるでしょうが
大化という元号も新規に立てたのだが。元号などその程度のものだ。鰯の頭にしかすぎない。
>「政策が変更されたにすぎない」などといかにも軽く言う方々には呆れます。
相変わらず文章読解がひどい。元号廃止は政策の変更だが、文化大革命による国民弾圧を政策の変更とは言っていない。それは政策の変更にとどまらない歴史の汚点である。
さて、文化大革命等の国民弾圧を歴史の断絶と思っているのか?シリアやソマリアの惨劇も歴史の断絶か?
支離滅裂もいい加減にしてほしい。
また論点そらしか。周辺地域を侵略するのは政治体制に関係なく日本も中国も長い歴史の中でやっている。両国とも歴史の断絶などと言ってはいない。群雄割拠の戦国時代から見れば、敗れた武将のお家は断絶したが歴史は続いている。この戦国時代を歴史の断絶という人はいない。
「共産主義との矛盾」というなら、ソ連がWW2でポーランド侵攻をしたのも歴史の断絶か?チェコやアフガンにも武力行使したが、何回歴史断絶したというのか?歴史はサラミソーセージではない。
>旧弊を廃すると謳ってましたよ。
それを歴史の断絶というのか?アホらしい。
1868年、「神祇事務局ヨリ諸社ヘ達」には、「今般王政復古、旧弊御一洗なされ候に付き」とある。言うまでもなくこれは歴史の断絶ではなく、政策転換である。そしてすさまじい廃仏毀釈が行われた。
>全く別の暦を新規に立てることならありうるでしょうが
大化という元号も新規に立てたのだが。元号などその程度のものだ。鰯の頭にしかすぎない。
>「政策が変更されたにすぎない」などといかにも軽く言う方々には呆れます。
相変わらず文章読解がひどい。元号廃止は政策の変更だが、文化大革命による国民弾圧を政策の変更とは言っていない。それは政策の変更にとどまらない歴史の汚点である。
さて、文化大革命等の国民弾圧を歴史の断絶と思っているのか?シリアやソマリアの惨劇も歴史の断絶か?
支離滅裂もいい加減にしてほしい。
No title
数字にイデオロギーが入らないとか全くの詭弁ですね。
文革は中国の国内における権力闘争、内乱的様相も呈したという事件。
日中戦争に至った中国侵略での犠牲は文革より膨大な上に日本国家と日本人が行なった行為。
その区別もつかない様な人が評価など噴飯物です。
文革は中国の国内における権力闘争、内乱的様相も呈したという事件。
日中戦争に至った中国侵略での犠牲は文革より膨大な上に日本国家と日本人が行なった行為。
その区別もつかない様な人が評価など噴飯物です。
No title
>>>難しくて実務ではと言われますが、山カンムリに領と書くぐらいが実務では無理なんでしょうか?
実務では難しいとは書いてませんよ。領収書や他の契約書なんかでも、一度に何枚も書かないとダメな時もある訳。
現実に明治、大正、昭和、平成、令和と簡単にしとるでしょうに。
実務では難しいとは書いてませんよ。領収書や他の契約書なんかでも、一度に何枚も書かないとダメな時もある訳。
現実に明治、大正、昭和、平成、令和と簡単にしとるでしょうに。
No title
それと字なんか汚く書く人もいっぱいおる訳で、契約書なんかに複雑な字を汚く書かれても困るんよ。
No title
秋風亭遊穂さん
rotさん
>両国とも歴史の断絶などと言ってはいない。
中華人民共和国は、帝政の後継政権とは言ってないし
歴代中華王朝が継承する習わしである二十四史の編纂(中共は清史を担当することになる)すら、建国70年の今なお難航中です。
中華王朝はそういうところが厳格です。
だから、清朝はあえて同君連合という形式を採っており、チベットは清の領土ではなく、同じ皇帝がチベットの統治者を兼務するという形式。
話しあいだの協調だのと言うなら、
相手の主張の土俵に立ったうえで、
同意なり反論なりしなければならない。
記憶の継承とか、相手が求めもしないことを持ち出して
無駄に議論を混乱させたうえで
相手が触れたくない「清朝の後継なのか」というデリケートな問題に対して安易な思い込みを持ち出す。
被害の大きさは
廃仏毀釈(1宗教を弾圧)<<文化大革命(全宗教廃絶)
rotさん
支那事変<<大躍進~文化大革命
支那事変の犠牲者数は、400万説~3500万説(江沢民政権)ですよね。
なるべく大きい数字を発表したいというバイアスのかかった江沢民政権ですら3500万ですから、実態は数百万といったところでしょう。
>日本国家と日本人が行なった行為。
人民にとっては、被害があるかどうかが最重要で
加害者が誰かはどうでもいいことです。
rotさん
>両国とも歴史の断絶などと言ってはいない。
中華人民共和国は、帝政の後継政権とは言ってないし
歴代中華王朝が継承する習わしである二十四史の編纂(中共は清史を担当することになる)すら、建国70年の今なお難航中です。
中華王朝はそういうところが厳格です。
だから、清朝はあえて同君連合という形式を採っており、チベットは清の領土ではなく、同じ皇帝がチベットの統治者を兼務するという形式。
話しあいだの協調だのと言うなら、
相手の主張の土俵に立ったうえで、
同意なり反論なりしなければならない。
記憶の継承とか、相手が求めもしないことを持ち出して
無駄に議論を混乱させたうえで
相手が触れたくない「清朝の後継なのか」というデリケートな問題に対して安易な思い込みを持ち出す。
被害の大きさは
廃仏毀釈(1宗教を弾圧)<<文化大革命(全宗教廃絶)
rotさん
支那事変<<大躍進~文化大革命
支那事変の犠牲者数は、400万説~3500万説(江沢民政権)ですよね。
なるべく大きい数字を発表したいというバイアスのかかった江沢民政権ですら3500万ですから、実態は数百万といったところでしょう。
>日本国家と日本人が行なった行為。
人民にとっては、被害があるかどうかが最重要で
加害者が誰かはどうでもいいことです。
No title
今朝の書き込みに補足します。
このトピックは元号に関する議論なので
断絶かどうかを判断する基準は
司馬遷以来続く中華文明の伝統、
「正史」の歴史観あるいはそれに対抗した
周辺国の歴史(日本含む)に拠るものとなります。
ポーランド等の事例を挙げられても、無関係としか言いようがありません。
私が例に挙げたのは、チェチェ暦など、中華ないしその対抗文明のものです。
このトピックは元号に関する議論なので
断絶かどうかを判断する基準は
司馬遷以来続く中華文明の伝統、
「正史」の歴史観あるいはそれに対抗した
周辺国の歴史(日本含む)に拠るものとなります。
ポーランド等の事例を挙げられても、無関係としか言いようがありません。
私が例に挙げたのは、チェチェ暦など、中華ないしその対抗文明のものです。
No title
ゆうじさん、支那事変という様な言葉を使い、中国人民は加害者が誰でもよいと思っているなんて、よくも恥ずかしげもなく書けますね。
貴方のバイアスのかかりぶりには江沢民は到底及ばないでしょう。
貴方のバイアスのかかりぶりには江沢民は到底及ばないでしょう。
No title
>「支那事変」
ゆうじさんのように、当時の正式名称にこだわるなら、
1937年7月~1945年8月までの戦争に対応する名称は、
「北支事変」「支那事変」「大東亜戦争」と、
時間の流れに準じて、三分割して述べるのが正しいですね。
例えば、現在、差別語として避けられる「百姓」や「土民」という言葉は、歴史を語る中での歴史用語として使うのは問題ありませんね。
それと同様に、
「支那事変」や「大東亜戦争」を使うのも基本的に問題ありません。
皇国史観や唯物史観など、特定の思想・イデオロギーを抜きに「歴史用語」として使う分には問題無いと思います。
政治的に左翼のジャーナリストが「大東亜戦争」を用いている例もあります。
ゆうじさんの使用ケースはどうなのか?ですね。
まあ、疑問はありますが、ぎりぎりセーフじゃないですか(^_^;)
ゆうじさんのように、当時の正式名称にこだわるなら、
1937年7月~1945年8月までの戦争に対応する名称は、
「北支事変」「支那事変」「大東亜戦争」と、
時間の流れに準じて、三分割して述べるのが正しいですね。
例えば、現在、差別語として避けられる「百姓」や「土民」という言葉は、歴史を語る中での歴史用語として使うのは問題ありませんね。
それと同様に、
「支那事変」や「大東亜戦争」を使うのも基本的に問題ありません。
皇国史観や唯物史観など、特定の思想・イデオロギーを抜きに「歴史用語」として使う分には問題無いと思います。
政治的に左翼のジャーナリストが「大東亜戦争」を用いている例もあります。
ゆうじさんの使用ケースはどうなのか?ですね。
まあ、疑問はありますが、ぎりぎりセーフじゃないですか(^_^;)
片割月さんへ
片割月さん、私も歴史用語として支那という呼び方をしていた事実がある事は承知しているんですけど、いまそれを用いることにはやっぱり賛成できないのです。
こうして支那と変換しようとしても出て来ないんです。(支那というと書いたら出るので単に変換機能の問題なのでしょうか)
支那という語は昔から使われて来たとか、昔の立派な人も近現代の立派な人も使っていたという様な事や、語源が秦に由来するとかいわれる事が事実だとしても、共産党政府以前に中華という名称で中国が歴史を創って行きたいと考えたのは、近代における中国の歴史において支那という言葉がやはり中国や中国人に対する激しい侮蔑を表す文字、つまり屈辱を感じさせる名称であったからと認識したという事なんだと思います。
歴史用語であっても、そういう経緯をやっぱり無視する事は出来ないと思うのです。
例えば私が尊敬できる立派な歴史学者だと思う、佐々木潤之介さんの著書に『大名と百姓』があって今でも優れた歴史学の書物だと思うし、中国史の大家であった宮崎市定さんも支那を使われていたと思いますが、現在に於いて差別や侮蔑を表すとして現実に忌避されている事を無視する事は誰も出来ないと思うのです。
色々書きましたが、やっぱり相手の立場とか相手との関係を抜きにして考える事は良くないと思うのです。
こうして支那と変換しようとしても出て来ないんです。(支那というと書いたら出るので単に変換機能の問題なのでしょうか)
支那という語は昔から使われて来たとか、昔の立派な人も近現代の立派な人も使っていたという様な事や、語源が秦に由来するとかいわれる事が事実だとしても、共産党政府以前に中華という名称で中国が歴史を創って行きたいと考えたのは、近代における中国の歴史において支那という言葉がやはり中国や中国人に対する激しい侮蔑を表す文字、つまり屈辱を感じさせる名称であったからと認識したという事なんだと思います。
歴史用語であっても、そういう経緯をやっぱり無視する事は出来ないと思うのです。
例えば私が尊敬できる立派な歴史学者だと思う、佐々木潤之介さんの著書に『大名と百姓』があって今でも優れた歴史学の書物だと思うし、中国史の大家であった宮崎市定さんも支那を使われていたと思いますが、現在に於いて差別や侮蔑を表すとして現実に忌避されている事を無視する事は誰も出来ないと思うのです。
色々書きましたが、やっぱり相手の立場とか相手との関係を抜きにして考える事は良くないと思うのです。
No title
令和は、候補に入っていなかったらしいですネ。
2019年3月になってから、国書由来の「令和」が入り異議なしで決まったらしいですネ。
以下引用
政府が新元号に決定した「令和」は、選定作業が最終段階を迎えた3月中旬以降、候補名に追加されたことが分かった。考案者との見方が専門家の間で浮上している中西進国際日本文化研究センター名誉教授が要請を受けて提出した可能性がある。政府は有識者懇談会で国書(日本古典)の採用を事実上促し、令和に決定した。複数の関係者が3日、明らかにした。
菅義偉官房長官は1月下旬ごろ、元号担当の古谷一之官房副長官補らが事前に選定した20~30の候補名提出を受け、絞り込み作業を開始。政府関係者によると、令和は3月上旬の段階では候補名になかった。
(共同)
引用終了
2019年3月になってから、国書由来の「令和」が入り異議なしで決まったらしいですネ。
以下引用
政府が新元号に決定した「令和」は、選定作業が最終段階を迎えた3月中旬以降、候補名に追加されたことが分かった。考案者との見方が専門家の間で浮上している中西進国際日本文化研究センター名誉教授が要請を受けて提出した可能性がある。政府は有識者懇談会で国書(日本古典)の採用を事実上促し、令和に決定した。複数の関係者が3日、明らかにした。
菅義偉官房長官は1月下旬ごろ、元号担当の古谷一之官房副長官補らが事前に選定した20~30の候補名提出を受け、絞り込み作業を開始。政府関係者によると、令和は3月上旬の段階では候補名になかった。
(共同)
引用終了
No title
rotさん
>やっぱり相手の立場とか相手との関係
そう簡単ではありません。
中共の歴史教科書では、「抗日戦争(1931-1945)」表記です。
満州人に対する扱いが不当です。
満州人に対する関東軍の扱いは、
満州人と関東軍の間の問題であり、
ウイグル、チベットが中国ではないのと同様に、
漢人政権と日本軍の争いと一体化させることは不当です。
皆が納得する表記などないから、
当事者の表記とするしかありません。
>やっぱり相手の立場とか相手との関係
そう簡単ではありません。
中共の歴史教科書では、「抗日戦争(1931-1945)」表記です。
満州人に対する扱いが不当です。
満州人に対する関東軍の扱いは、
満州人と関東軍の間の問題であり、
ウイグル、チベットが中国ではないのと同様に、
漢人政権と日本軍の争いと一体化させることは不当です。
皆が納得する表記などないから、
当事者の表記とするしかありません。
ちょっとした「幸せ感」
令和Tシャツ、令和ボールペン、令和ケーキ、令和饅頭・・・
いやいや、日本中令和グッズでにぎやかですね。
世界広しといえどもこのようなソワソワ感に浸れる国はめずらしいでしょうね。
ちょっとした「幸せ感」です。
新元号が発表されただけでもこのようなお祭り騒ぎです。
令和時代の初日の幕開けはきっと大騒ぎでしょうね。
今年のR-1グランプリ、注目されるでしょうね。
R-1ヨーグルトというのもあったっけ。
でもこのような現象を苦々しく思っている人もいるのでしょうね。
日本にいる以上、嫌でも元号は目に入るでしょうから
それを思うと人生観って十人十色で複雑なんだなと思います。
私はこの貴重な「時」に立ち会えたことに素直に喜びそして素直に感謝しています。
日本人に生まれて良かったと思えることが
実はちょっとした「幸せ感」の根幹だったのですね。
少しだけ手を伸ばすだけで届くものなんですね、この「幸せ感」ってやつは。
いやいや、日本中令和グッズでにぎやかですね。
世界広しといえどもこのようなソワソワ感に浸れる国はめずらしいでしょうね。
ちょっとした「幸せ感」です。
新元号が発表されただけでもこのようなお祭り騒ぎです。
令和時代の初日の幕開けはきっと大騒ぎでしょうね。
今年のR-1グランプリ、注目されるでしょうね。
R-1ヨーグルトというのもあったっけ。
でもこのような現象を苦々しく思っている人もいるのでしょうね。
日本にいる以上、嫌でも元号は目に入るでしょうから
それを思うと人生観って十人十色で複雑なんだなと思います。
私はこの貴重な「時」に立ち会えたことに素直に喜びそして素直に感謝しています。
日本人に生まれて良かったと思えることが
実はちょっとした「幸せ感」の根幹だったのですね。
少しだけ手を伸ばすだけで届くものなんですね、この「幸せ感」ってやつは。
かなりイッてる
>だから、清朝はあえて同君連合という形式を採っており、チベットは清の領土ではなく
チベット侵攻にあたって、チベットと清の同君連合に配慮したから中華人民共和国政府は歴史を断絶した?? 侵略するのに何故、そんなめんどくさいことを考えるのか。それを立証できる史料でもあるのか? 竹槍が軍人に有効だと強弁するゆうじさんらしい発想だ。ここまでになると、もはや屁理屈ではなくギャグである。アホらしい。
また「中共は清史を担当」とは舌足らず(だいたい「担当」って何を考えて書いているのか?)。台湾国民政府は1961年に『清史』を編纂した。が、中華人民共和国政府はそれを認めるはずもなく独自に編纂事業を進めている。
>断絶かどうかを判断する基準は司馬遷以来続く中華文明の伝統、「正史」の歴史観あるいはそれに対抗した周辺国の歴史(日本含む)に拠る
都合良く歴史の断絶は東アジアのみの考えればいいと。同君連合だからとか、共産主義は帝国を継承しないだの、それは単なるゆうじさんの憶測未満のこじつけ。歴史の断絶と言いたいなら史実が必要。
>台湾には元号がある一方で、中共には無いのですから、古い歴史を切り捨てて新中国を建国することを理念としているものと思います。
これをほじくったら、ゆうじさんのギャグにしかならなかった。歴史の断絶と軽々しく言ってのける、その精神性は次のコメントに見られる。
>廃仏毀釈(1宗教を弾圧)<<文化大革命(全宗教廃絶)
意味を考えることもせず、数量レベルでしか見ない、ゆうじさんの貧しい思考は既にここで指摘した。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3925.html#comment40325
2019/03/20(19:05) のコメント
>満州人に対する関東軍の扱いは、満州人と関東軍の間の問題であり、ウイグル、チベットが中国ではないのと同様に、漢人政権と日本軍の争いと一体化させることは不当です。
これはかなりイッてる。
チベット侵攻にあたって、チベットと清の同君連合に配慮したから中華人民共和国政府は歴史を断絶した?? 侵略するのに何故、そんなめんどくさいことを考えるのか。それを立証できる史料でもあるのか? 竹槍が軍人に有効だと強弁するゆうじさんらしい発想だ。ここまでになると、もはや屁理屈ではなくギャグである。アホらしい。
また「中共は清史を担当」とは舌足らず(だいたい「担当」って何を考えて書いているのか?)。台湾国民政府は1961年に『清史』を編纂した。が、中華人民共和国政府はそれを認めるはずもなく独自に編纂事業を進めている。
>断絶かどうかを判断する基準は司馬遷以来続く中華文明の伝統、「正史」の歴史観あるいはそれに対抗した周辺国の歴史(日本含む)に拠る
都合良く歴史の断絶は東アジアのみの考えればいいと。同君連合だからとか、共産主義は帝国を継承しないだの、それは単なるゆうじさんの憶測未満のこじつけ。歴史の断絶と言いたいなら史実が必要。
>台湾には元号がある一方で、中共には無いのですから、古い歴史を切り捨てて新中国を建国することを理念としているものと思います。
これをほじくったら、ゆうじさんのギャグにしかならなかった。歴史の断絶と軽々しく言ってのける、その精神性は次のコメントに見られる。
>廃仏毀釈(1宗教を弾圧)<<文化大革命(全宗教廃絶)
意味を考えることもせず、数量レベルでしか見ない、ゆうじさんの貧しい思考は既にここで指摘した。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3925.html#comment40325
2019/03/20(19:05) のコメント
>満州人に対する関東軍の扱いは、満州人と関東軍の間の問題であり、ウイグル、チベットが中国ではないのと同様に、漢人政権と日本軍の争いと一体化させることは不当です。
これはかなりイッてる。
和暦のおもむき
>(新元号への改元に)ちょっとした「幸せ感」です。
>私はこの貴重な「時」に立ち会えたことに素直に喜びそして素直に感謝しています。
↑
わたしはひまわりさんの感じる「幸せ感」はありだと思う。
個人がちょっとした幸福感を感じること自体は、「それはよかったですね」と認めたい。
私自身は和暦を極力使わないが、元号の持っている「縁起物」「記憶」としての機能は、数字の羅列とは違うおもむきがある。
>私はこの貴重な「時」に立ち会えたことに素直に喜びそして素直に感謝しています。
↑
わたしはひまわりさんの感じる「幸せ感」はありだと思う。
個人がちょっとした幸福感を感じること自体は、「それはよかったですね」と認めたい。
私自身は和暦を極力使わないが、元号の持っている「縁起物」「記憶」としての機能は、数字の羅列とは違うおもむきがある。
No title
rotさん
>相手の立場とか相手との関係を抜きにして考える事は良くないと思う
つまりは、歴史的用語を自己規制しよう、というわけですね。
それは歴史の事実をなるべく正確に客観的に探ろう、冷静に語ろうとする努力を失わせる危険がありますね。
歴史的用語の自己規制は、言論・表現の自由にも関わります。
豊臣秀吉による「文禄・慶長の役」は、韓国では「壬辰倭乱」と呼ぶそうです。
で、「相手の立場を考え」、
我々日本人も「壬辰倭乱」と呼ぶのが良いと?
逆に、
我々日本の立場を考え、「倭」という言い方は止めて欲しい、
と言ったら、韓国側は「わかりました」と言うのでしょうか?
私個人は、「文禄・慶長の役」という無味乾燥な名称よりも、
「高麗陣・朝鮮陣」や「朝鮮征伐」の方が歴史的にも、戦の性格からもベターと思っていますが。
歴史的用語は、国により名称が異なる。
①あくまでお互いに自国の名称で
②両者が歩み寄って、共通の名称を定める
②がベターなのでしょうが、難しいようですね。
こんなことイチイチやっていたら、時間がいくらあっても足りません。
せいぜい、両方の名称を併記するくらいか。
>相手の立場とか相手との関係を抜きにして考える事は良くないと思う
つまりは、歴史的用語を自己規制しよう、というわけですね。
それは歴史の事実をなるべく正確に客観的に探ろう、冷静に語ろうとする努力を失わせる危険がありますね。
歴史的用語の自己規制は、言論・表現の自由にも関わります。
豊臣秀吉による「文禄・慶長の役」は、韓国では「壬辰倭乱」と呼ぶそうです。
で、「相手の立場を考え」、
我々日本人も「壬辰倭乱」と呼ぶのが良いと?
逆に、
我々日本の立場を考え、「倭」という言い方は止めて欲しい、
と言ったら、韓国側は「わかりました」と言うのでしょうか?
私個人は、「文禄・慶長の役」という無味乾燥な名称よりも、
「高麗陣・朝鮮陣」や「朝鮮征伐」の方が歴史的にも、戦の性格からもベターと思っていますが。
歴史的用語は、国により名称が異なる。
①あくまでお互いに自国の名称で
②両者が歩み寄って、共通の名称を定める
②がベターなのでしょうが、難しいようですね。
こんなことイチイチやっていたら、時間がいくらあっても足りません。
せいぜい、両方の名称を併記するくらいか。
なごやんさん、ご理解いただきありがとうございます。
私も人が大切に思っている価値観について少なくても頭ごなしに否定することは極力やめようと思っていました。
なのでなごやんさんから立場を越えて「これも有り」と認めて頂いたこと
非常にうれしく思います。
この新元号の改元によって私はすこし温和になれた気がします。
歴史認識についても同じなのでしょうね。
日本の歴史認識の場合、要は天皇陛下とどう向き合うかで異なると思います。
皇室や陛下の存在を素直に認められるか、だめなのか、
それともよくわからないのか、あるいは全く無関心なのか。
だれがどう思うかとは別にして日本の歴史認識を左右するその根本はやはり皇室や陛下の存在だと思います。つまり皇室や陛下の存在は国民に大きく影響しているということなのでしょう。
認識は主観がつきまといます。
客観的事実を目の前にしても人によっては見方が異なります。
このような性が人間に有る限り歴史認識の議論は永遠に続くでしょう。
だからこそ人が大切に思っている価値観について
頭ごなしに否定することは良くないですね。
今回の新元号の誕生は相手を認め合う一つのきっかけだと思います。
いつものように自己主張に熱くならず、ちょってでも冷静になれたらいいと思います。
右翼も左翼も保守もリベラルもそしてすべての人も
そうすることで相手の顔もよく見えるようになるのではないでしょうか。
この新元号を良いきっかけにするか、
それとも自己主張をさらにヒートアップさせるかはみなさん次第です。
令和の令は命令の「令」でもないし法令の「令」でもない
単にすがすがしいという説があります(金田一秀穂教授)
この真意は別として「令」を否定する方も当然います。
でも令の名前が付いた方がそれを聞いたらどう思うでしょうか。
それなりの配慮もせずに正しいことだからと自己主張をしてしまえば
知らないうちに人を不愉快にさせてしまうこともあるかもですね。
「令」の意味する、すがすがしいという気持ちもちょっとした「幸せ感」ですね。
「令」の解釈次第で「幸せ感」をつかめるのか、人を不快にさせるのか、なのでしょう。
やはりこの「幸せ感」ってやつは少しだけ手を伸ばせば届くものなのかもしれません。
なのでなごやんさんから立場を越えて「これも有り」と認めて頂いたこと
非常にうれしく思います。
この新元号の改元によって私はすこし温和になれた気がします。
歴史認識についても同じなのでしょうね。
日本の歴史認識の場合、要は天皇陛下とどう向き合うかで異なると思います。
皇室や陛下の存在を素直に認められるか、だめなのか、
それともよくわからないのか、あるいは全く無関心なのか。
だれがどう思うかとは別にして日本の歴史認識を左右するその根本はやはり皇室や陛下の存在だと思います。つまり皇室や陛下の存在は国民に大きく影響しているということなのでしょう。
認識は主観がつきまといます。
客観的事実を目の前にしても人によっては見方が異なります。
このような性が人間に有る限り歴史認識の議論は永遠に続くでしょう。
だからこそ人が大切に思っている価値観について
頭ごなしに否定することは良くないですね。
今回の新元号の誕生は相手を認め合う一つのきっかけだと思います。
いつものように自己主張に熱くならず、ちょってでも冷静になれたらいいと思います。
右翼も左翼も保守もリベラルもそしてすべての人も
そうすることで相手の顔もよく見えるようになるのではないでしょうか。
この新元号を良いきっかけにするか、
それとも自己主張をさらにヒートアップさせるかはみなさん次第です。
令和の令は命令の「令」でもないし法令の「令」でもない
単にすがすがしいという説があります(金田一秀穂教授)
この真意は別として「令」を否定する方も当然います。
でも令の名前が付いた方がそれを聞いたらどう思うでしょうか。
それなりの配慮もせずに正しいことだからと自己主張をしてしまえば
知らないうちに人を不愉快にさせてしまうこともあるかもですね。
「令」の意味する、すがすがしいという気持ちもちょっとした「幸せ感」ですね。
「令」の解釈次第で「幸せ感」をつかめるのか、人を不快にさせるのか、なのでしょう。
やはりこの「幸せ感」ってやつは少しだけ手を伸ばせば届くものなのかもしれません。
No title
秋風亭遊穂さん
> >廃仏毀釈(1宗教を弾圧)<<文化大革命(全宗教廃絶)
> 意味を考えることもせず、数量レベルでしか見ない、ゆうじさんの貧しい思考は既にここで指摘した。
そうですか。数量レベルでみて正しい結論が出たのだからそれで結構です。
廃仏毀釈<<文化大革命 と主張したところで
中国でも日本でも何の不利益もありませんから。
貴国は、過去の帝政との関係を絶って、新中国を建国されたと言っても、何の問題にもなりません。
私は世界中で100点満点の評価をいただくことなど求めてません。
> >廃仏毀釈(1宗教を弾圧)<<文化大革命(全宗教廃絶)
> 意味を考えることもせず、数量レベルでしか見ない、ゆうじさんの貧しい思考は既にここで指摘した。
そうですか。数量レベルでみて正しい結論が出たのだからそれで結構です。
廃仏毀釈<<文化大革命 と主張したところで
中国でも日本でも何の不利益もありませんから。
貴国は、過去の帝政との関係を絶って、新中国を建国されたと言っても、何の問題にもなりません。
私は世界中で100点満点の評価をいただくことなど求めてません。
No title
>「安久」が予測の上位とか。誰もが「安」の字を使うんじゃないのと、気が気ではありません。
↑
モノは考えようです。
韓国の英雄「安重根」の「安」に由来すると思っていれば納得すれば良いのです。
残念でしたけど。
↑
モノは考えようです。
韓国の英雄「安重根」の「安」に由来すると思っていれば納得すれば良いのです。
残念でしたけど。
No title
>モノは考えようです。
>引退した沖縄出身の人気歌手、レジェンドの「安室奈美恵」の「安」に由来すると思っていれば納得すれば良いのです。
>残念でしたけど
(^◇^)
>引退した沖縄出身の人気歌手、レジェンドの「安室奈美恵」の「安」に由来すると思っていれば納得すれば良いのです。
>残念でしたけど
(^◇^)
再読愚考:令和時代のはじまり 8-1
>その新元号の発表は4月1日、あと数日です。その新元号で話題になっているのは、「安倍晋三」のどれかの文字が入るのではないのかということ。
↑
新元号は「令和」。
さすがに安倍総理にちなんだ元号とはならなかった。
その他に元号候補になったと言われる五つの候補、英弘(えいこう)・久化(きゅうか)・広至(こうし)・万和(ばんな)・万保(ばんぽう)、いずれも「安倍晋三」とは無関係。
まあ、安倍総理もそこまであからさまに国家の私物化はできないのだろう。
>西暦がキリスト教に由来しているかどうかは、別にどうでもいい話です。共通の尺度以上の意味はありません。
↑
クリスチャンであるわたしにとっては「どうでもいい話」ではない。
逆に共通の尺度でなくてもかまわない。
世界中には多様な暦法があり、それはそれでよいと思う。
>(キリストの画像に)大分、影が薄くなりましたね
↑
猪野先生、イヤミだなあ。
だが、「影が薄く」ならないことには猪野先生としては困るだろう。
わたしが「主の年ガー」とか言い出すたびに、猪野先生としては内心面白くなかったのではないだろうか。
<ひまわりさんのコメント>
共通の尺度にこだわる必要もありません。もっとも西暦は本当に共通の尺度なのか私は疑問ですが。但し西暦を嫌っているわけではありません。便利ならいいじゃん、ぐらいではありますが。本音は元号は元号で続けて皇紀を正式な年号にすれば良いと思っています。
<ゆうじさんのコメント>
日本が元号や皇紀を使うことは民族文化の尊重のうえから正しいのです。
↑
こういう考え方もあってもいいと思う。
多数派となって現実を動かすかどうかは分からないが、積極的に否定するようなことでもない。
(つづく)
↑
新元号は「令和」。
さすがに安倍総理にちなんだ元号とはならなかった。
その他に元号候補になったと言われる五つの候補、英弘(えいこう)・久化(きゅうか)・広至(こうし)・万和(ばんな)・万保(ばんぽう)、いずれも「安倍晋三」とは無関係。
まあ、安倍総理もそこまであからさまに国家の私物化はできないのだろう。
>西暦がキリスト教に由来しているかどうかは、別にどうでもいい話です。共通の尺度以上の意味はありません。
↑
クリスチャンであるわたしにとっては「どうでもいい話」ではない。
逆に共通の尺度でなくてもかまわない。
世界中には多様な暦法があり、それはそれでよいと思う。
>(キリストの画像に)大分、影が薄くなりましたね
↑
猪野先生、イヤミだなあ。
だが、「影が薄く」ならないことには猪野先生としては困るだろう。
わたしが「主の年ガー」とか言い出すたびに、猪野先生としては内心面白くなかったのではないだろうか。
<ひまわりさんのコメント>
共通の尺度にこだわる必要もありません。もっとも西暦は本当に共通の尺度なのか私は疑問ですが。但し西暦を嫌っているわけではありません。便利ならいいじゃん、ぐらいではありますが。本音は元号は元号で続けて皇紀を正式な年号にすれば良いと思っています。
<ゆうじさんのコメント>
日本が元号や皇紀を使うことは民族文化の尊重のうえから正しいのです。
↑
こういう考え方もあってもいいと思う。
多数派となって現実を動かすかどうかは分からないが、積極的に否定するようなことでもない。
(つづく)
再読愚考:令和時代のはじまり 8-2
<なごやんのコメント>
わたし自身は再三、コメントしているように、「主の年=(西暦)」一本で全く構わないのだが、元号のもっている「縁起物」「記憶」としての意義は認めている。
↑
このコメントの時点では、まだ「主の年=(西暦)」VS「和暦」の構図で見ており、一部元号の利点を認めている程度。
この記事のコメントのやり取りを読み進めていくうちに、「これは主の年と西暦を同一視すべきではない」と感じて、西暦派とは距離を置くようになった。
<ごんべえさんのコメント>
(朝日新聞の記事より)ただ、歴史的にみると庶民が長く使っていたのは干支(えと)。山本博文・東大史料編纂(へんさん)所教授(歴史社会学)によると、元号の使用は宮中などに限られ、庶民に広く伝わるようになったのは江戸幕府がお触れを出すようになってからだという。「戦前・戦中は皇紀もよく使われ、戦後は西暦との併記が広がった。庶民が元号を優先的に使った時代は、実はほとんどありません」
↑
その通り。
わたしは、宗教関連の日本の古文書類や石碑を読むような機会が多かったが、年表記はほとんど干支紀年法だった。
当時の人の肌感覚でいえば、この60年周期の干支はたいへん使い勝手が良かったのだろう。
農事暦として有用な太陰太陽暦や、季節・昼夜によって時間の長さが変わる不定時法も同様に人間から見た使い易さが基準となっている。
<社労士さんのコメント>
イエズス様が生まれた年って、実際は西暦前2年の10月初旬か、西暦前4年という説もある。
↑
その通り。
実を言うと誕生日だって12月25日ではないと言われている。
なお、「イエズス様」という言い方はカトリック由来。
プロテスタントは「イエス様」。
以前、発刊されたカトリック・プロテスタントの共同訳聖書では間をとって「イエスス様」と表記されたこともあったが、あまりなじむこともなく、現行の新共同訳聖書では「イエス様」になった。
(つづく)
わたし自身は再三、コメントしているように、「主の年=(西暦)」一本で全く構わないのだが、元号のもっている「縁起物」「記憶」としての意義は認めている。
↑
このコメントの時点では、まだ「主の年=(西暦)」VS「和暦」の構図で見ており、一部元号の利点を認めている程度。
この記事のコメントのやり取りを読み進めていくうちに、「これは主の年と西暦を同一視すべきではない」と感じて、西暦派とは距離を置くようになった。
<ごんべえさんのコメント>
(朝日新聞の記事より)ただ、歴史的にみると庶民が長く使っていたのは干支(えと)。山本博文・東大史料編纂(へんさん)所教授(歴史社会学)によると、元号の使用は宮中などに限られ、庶民に広く伝わるようになったのは江戸幕府がお触れを出すようになってからだという。「戦前・戦中は皇紀もよく使われ、戦後は西暦との併記が広がった。庶民が元号を優先的に使った時代は、実はほとんどありません」
↑
その通り。
わたしは、宗教関連の日本の古文書類や石碑を読むような機会が多かったが、年表記はほとんど干支紀年法だった。
当時の人の肌感覚でいえば、この60年周期の干支はたいへん使い勝手が良かったのだろう。
農事暦として有用な太陰太陽暦や、季節・昼夜によって時間の長さが変わる不定時法も同様に人間から見た使い易さが基準となっている。
<社労士さんのコメント>
イエズス様が生まれた年って、実際は西暦前2年の10月初旬か、西暦前4年という説もある。
↑
その通り。
実を言うと誕生日だって12月25日ではないと言われている。
なお、「イエズス様」という言い方はカトリック由来。
プロテスタントは「イエス様」。
以前、発刊されたカトリック・プロテスタントの共同訳聖書では間をとって「イエスス様」と表記されたこともあったが、あまりなじむこともなく、現行の新共同訳聖書では「イエス様」になった。
(つづく)
再読愚考:令和時代のはじまり 8-3
<なごやんのコメント>
本記事に使われているイエス様の画像は、史実とはかけ離れている。なぜなら、「赤と青」で染められているから。
<ゆうじさんのコメント>
(イエス様の画像は)最後の晩餐の服装がこれだからですよ。
↑
なるほど。
なにか見た記憶があると思った。
ダヴィンチの「最後の晩餐」は、製作当時のイタリアの風俗を元にした絵画表現が基調としてあり、史実は全く考慮されていない。
イエス様の時代のユダヤでは食卓は利用しない。
床に絨毯を敷いて横座り(寝そべる)になって、お盆のようなものに乗せられたパンなどを食していた。
なお、わたしのようなファンダメンタルなクリスチャンは、聖書に書かれたことはすべて歴史的事実として受け取っている。
>奇跡を起こしたとか何とかいう話が科学的事実でない
とは全く考えない。
比喩表現、文学的表現はあるが、「新旧約聖書66巻は誤りなき神の御言葉」であり、すべて現代につながる歴史的事実だと考える。
<秋風亭さんのコメント>
実務上を考えれば、西暦表記が合理的なのは言うまでも無い。元号は、伝統というよりも、場当たり的な時代区分による指標に過ぎない。
↑
「西暦の合理性」自体は、誰も否定しないだろう。
「元号は伝統というより」というのもわからないわけではない。
元号も個人的に好きで使っている分については、目くじら立てるほどでもないのでは。
<rotさんのコメント>
私は端的に申し上げて元号及び天皇制は廃止しなければならないという考えに立ちたいです。国際社会及び諸国民との友好と協調と連帯を基盤として人類普遍の理想を追求する日本国民にとって、伝統や文化の名を借りた偏狭な旧習の継続は国際社会において不名誉しかもたらさない事を認識する必要があると信じるものです。
↑
元号や天皇制が民主主義や国際社会とは関係ないのはその通りだが、元号や天皇制を廃止したら民主主義や国際社会との協調が進むものだろうか?
私としては疑問だ。
(つづく)
本記事に使われているイエス様の画像は、史実とはかけ離れている。なぜなら、「赤と青」で染められているから。
<ゆうじさんのコメント>
(イエス様の画像は)最後の晩餐の服装がこれだからですよ。
↑
なるほど。
なにか見た記憶があると思った。
ダヴィンチの「最後の晩餐」は、製作当時のイタリアの風俗を元にした絵画表現が基調としてあり、史実は全く考慮されていない。
イエス様の時代のユダヤでは食卓は利用しない。
床に絨毯を敷いて横座り(寝そべる)になって、お盆のようなものに乗せられたパンなどを食していた。
なお、わたしのようなファンダメンタルなクリスチャンは、聖書に書かれたことはすべて歴史的事実として受け取っている。
>奇跡を起こしたとか何とかいう話が科学的事実でない
とは全く考えない。
比喩表現、文学的表現はあるが、「新旧約聖書66巻は誤りなき神の御言葉」であり、すべて現代につながる歴史的事実だと考える。
<秋風亭さんのコメント>
実務上を考えれば、西暦表記が合理的なのは言うまでも無い。元号は、伝統というよりも、場当たり的な時代区分による指標に過ぎない。
↑
「西暦の合理性」自体は、誰も否定しないだろう。
「元号は伝統というより」というのもわからないわけではない。
元号も個人的に好きで使っている分については、目くじら立てるほどでもないのでは。
<rotさんのコメント>
私は端的に申し上げて元号及び天皇制は廃止しなければならないという考えに立ちたいです。国際社会及び諸国民との友好と協調と連帯を基盤として人類普遍の理想を追求する日本国民にとって、伝統や文化の名を借りた偏狭な旧習の継続は国際社会において不名誉しかもたらさない事を認識する必要があると信じるものです。
↑
元号や天皇制が民主主義や国際社会とは関係ないのはその通りだが、元号や天皇制を廃止したら民主主義や国際社会との協調が進むものだろうか?
私としては疑問だ。
(つづく)
12月25日はあり得ないよね。
聖書にはイエズス様の命日はユダヤ暦のニサン14日と明記してるけど(他の歴史上の事実から、西暦33年と推定される)、誕生日に関する記述はないもんね。
ただ、例の羊飼いのもとに顕れた奇跡が本物なら、12月は絶対に無い。12月は大変寒い時期で、現在でもまれに雪が降る。屋外で夜中に羊の番なんて、ありえない。12月25日は、もともとは異教徒であるローマ人の祭り(サルトゥリアヌスの祭りだったっけ)が起源だろう。
それにしてもなんだな、「貴方の誕生日を祝います」といって、どちらかと言えば敵である異教徒の祭りの日にどんちゃん騒ぎをし、あまつさえ不純異性行為(同姓行為もあり得る)に走る不届き者がいるのには呆れる。酔酒も浮かれ騒ぎも結婚関係外の性行為(淫行とか姦淫とか)も、全てイエズス様が厳しく弟子たちを戒められたものなのに。不信心にもほどがある。
ただ、例の羊飼いのもとに顕れた奇跡が本物なら、12月は絶対に無い。12月は大変寒い時期で、現在でもまれに雪が降る。屋外で夜中に羊の番なんて、ありえない。12月25日は、もともとは異教徒であるローマ人の祭り(サルトゥリアヌスの祭りだったっけ)が起源だろう。
それにしてもなんだな、「貴方の誕生日を祝います」といって、どちらかと言えば敵である異教徒の祭りの日にどんちゃん騒ぎをし、あまつさえ不純異性行為(同姓行為もあり得る)に走る不届き者がいるのには呆れる。酔酒も浮かれ騒ぎも結婚関係外の性行為(淫行とか姦淫とか)も、全てイエズス様が厳しく弟子たちを戒められたものなのに。不信心にもほどがある。
No title
>その通り。
実を言うと誕生日だって12月25日ではないと言われている。
なお、「イエズス様」という言い方はカトリック由来。
プロテスタントは「イエス様」。
↑
そもそも12月25日は単にキリストの生誕を祝う日であって、キリストの誕生日は今でも不明ではありませんか?
実を言うと誕生日だって12月25日ではないと言われている。
なお、「イエズス様」という言い方はカトリック由来。
プロテスタントは「イエス様」。
↑
そもそも12月25日は単にキリストの生誕を祝う日であって、キリストの誕生日は今でも不明ではありませんか?
再読愚考:令和時代のはじまり 8-4
<ひまわりさんのコメント>
「流行」も「伝統」もそして「合理性」も人間社会にとってはどれも大切なはずです。但しデリケートな議題であることは同感です。
↑
大切だというのは分かる。
ただ、どれも並列して大切とは言えない。
その優先順位はイデオロギーによる。
<ひまわりさんのコメント>
しかしそのようなアンチ陛下の方々には本当に同情します。天皇制が続いている現在、皇室行事間は常に行なわれるわけです。アンチ陛下の方々は今回のようにそして今後もその都度その都度不愉快な思いをされるのでしょうから。
↑
私は現在の象徴天皇制を支持している。
それゆえ、「天皇の政治利用」「政教分離」といった問題については、いつも注視している。
これは「不愉快な思い」とは別。
近代民主主義国家としては必要な手続き。
<怪人二十面相さんのコメント>
天皇の代替わりによって時代が区分されるって、近代民主主義には馴染みません。
↑
まあ、その通り。
ただ、だから廃止するかと言えば、安易に頷けない。
<ゆうじさんのコメント>
外国人が日本に在住する場合であっても然るべき(日本語・元号を使用すべき)です。
<なごやんのコメント>
ゆうじさんの考え方だと、わたしのような人間も和暦を使うべきだということなのだろうか?「郷に入れば郷に従え」といった考え方をしているのだろうか?
↑
自らのルールに基づいて自らを律するのは構わないが、他者も自らと同様にすべきということには限界がある。
ただ、ゆうじさんからのレスを読むとご自身でもその点はわかっているようではある。
(つづく)
「流行」も「伝統」もそして「合理性」も人間社会にとってはどれも大切なはずです。但しデリケートな議題であることは同感です。
↑
大切だというのは分かる。
ただ、どれも並列して大切とは言えない。
その優先順位はイデオロギーによる。
<ひまわりさんのコメント>
しかしそのようなアンチ陛下の方々には本当に同情します。天皇制が続いている現在、皇室行事間は常に行なわれるわけです。アンチ陛下の方々は今回のようにそして今後もその都度その都度不愉快な思いをされるのでしょうから。
↑
私は現在の象徴天皇制を支持している。
それゆえ、「天皇の政治利用」「政教分離」といった問題については、いつも注視している。
これは「不愉快な思い」とは別。
近代民主主義国家としては必要な手続き。
<怪人二十面相さんのコメント>
天皇の代替わりによって時代が区分されるって、近代民主主義には馴染みません。
↑
まあ、その通り。
ただ、だから廃止するかと言えば、安易に頷けない。
<ゆうじさんのコメント>
外国人が日本に在住する場合であっても然るべき(日本語・元号を使用すべき)です。
<なごやんのコメント>
ゆうじさんの考え方だと、わたしのような人間も和暦を使うべきだということなのだろうか?「郷に入れば郷に従え」といった考え方をしているのだろうか?
↑
自らのルールに基づいて自らを律するのは構わないが、他者も自らと同様にすべきということには限界がある。
ただ、ゆうじさんからのレスを読むとご自身でもその点はわかっているようではある。
(つづく)
再読愚考:令和時代のはじまり 8-5
<rotさんのコメント>
もともと元号は使わない様にしていますが、(「令和」が新元号と決まり)多くの人が困惑、失望したと思います。これが押し付けられるのだからひどい時代です。
↑
その後の「令和フィーバー」を思うと、rotさんの思惑は全く外れたと言える。
<ごんべえさんのコメント>
「令」は「令月」で「何事をするにも良い月、めでたい月」「和」は風和ぐからつけられているから、まぁ建前上の意味的にはおめでたいんじゃないかな。
↑
これぐらいの好意的な意見が多くの人の見方。
<秋風亭さんのコメント>
歴史の長短に関係なく、自国の歴史や文化に対する学びはもちろんすべきだし、他者、彼らの文化に対する敬意も払って当然だ。ゆうじさんにはそうした感覚が希薄なようで、それゆえ、〈外国人労働者を隔離せよ〉という荒唐無稽な発想をする。(注)。
【注】
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1230.html
2015/02/16(23:15) ゆうじさんのコメント
↑
秋風亭さん。
あれはゆうじさんの「芸」ですから。
まさか、あの優秀なゆうじさんが、セクシャルマイノリティーへの偏見を隠さないなごやんと同レベルの「薄汚いレイシスト」であるわけないでしょう。
そう、思いますよね。
NANAさん。
<ボドサケラスさんのコメント>
ほら、あなた(なごやん)は暦の重要性について、ある意味で私ら以上に積極的に自覚しておられるじゃないか。
↑
これは図星を言われてしまった。
(つづく)
もともと元号は使わない様にしていますが、(「令和」が新元号と決まり)多くの人が困惑、失望したと思います。これが押し付けられるのだからひどい時代です。
↑
その後の「令和フィーバー」を思うと、rotさんの思惑は全く外れたと言える。
<ごんべえさんのコメント>
「令」は「令月」で「何事をするにも良い月、めでたい月」「和」は風和ぐからつけられているから、まぁ建前上の意味的にはおめでたいんじゃないかな。
↑
これぐらいの好意的な意見が多くの人の見方。
<秋風亭さんのコメント>
歴史の長短に関係なく、自国の歴史や文化に対する学びはもちろんすべきだし、他者、彼らの文化に対する敬意も払って当然だ。ゆうじさんにはそうした感覚が希薄なようで、それゆえ、〈外国人労働者を隔離せよ〉という荒唐無稽な発想をする。(注)。
【注】
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1230.html
2015/02/16(23:15) ゆうじさんのコメント
↑
秋風亭さん。
あれはゆうじさんの「芸」ですから。
まさか、あの優秀なゆうじさんが、セクシャルマイノリティーへの偏見を隠さないなごやんと同レベルの「薄汚いレイシスト」であるわけないでしょう。
そう、思いますよね。
NANAさん。
<ボドサケラスさんのコメント>
ほら、あなた(なごやん)は暦の重要性について、ある意味で私ら以上に積極的に自覚しておられるじゃないか。
↑
これは図星を言われてしまった。
(つづく)
再読愚考:令和時代のはじまり 8-6
<ひまわりさんのコメント>
なんだかんだ理由をつけて天皇制や元号を否定する方達は要は天皇陛下を生理的に毛嫌いしてるだけ。申し訳ありませんがいかに正論ぶって反対と叫んでもヒステリー状態にしか見えません。
↑
「天皇を生理的に毛嫌い」というのはどういうことだろう?
わたしは天皇を「虚ろな偽神」と言っているが、先帝である明仁さん個人は「名君」だと思っている。
自ら進んでは元号を使わないが、人が使う分には容認している。
これは「天皇を生理的に毛嫌い」に相当するのだろうか?
どうだろう?
<rotさんのコメント>
天皇制の継続を容認するという事は意識する、しないにかかわらず身分制度の弊害を容認し続けるという事なのです。
↑
ウーム。
言いたいことが分からないわけではない。
しかし、「天皇制」をなくせば、世の中は良くなるのだろうか?
私は「天皇制」自体は、結果、実の部分だと思っている。
つまり、根っこの問題を解決しなければ、いくら「天皇制」をなくしても、同じような身分制度がまた作りだされて、別の形の弊害がでてくるだけ。
人の罪(sin)とはそういうもの。
<ゆうじさんのコメント>
大躍進~文革こそ、20世紀最大の悲劇ですよね。人の生命の重さに違いはない以上、被害者数最大の事件が最大の悲劇です。
↑
え?
ゆうじさんは人の生命に軽重をつけているのでは?
<参考コメント>
企業戦士は既に戦ってます、軍靴の音が聞こえないのですか?<2015/07/16(22:03)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1434.html
【引用開始】
私服で機関銃なんか持ってフラフラしてるような連中と、砂漠のプラントで必死に働いている日本人技術者と、どっちの生命が重いかといえば、後者に決まってるじゃないですか。
【引用終了】
(つづく)
なんだかんだ理由をつけて天皇制や元号を否定する方達は要は天皇陛下を生理的に毛嫌いしてるだけ。申し訳ありませんがいかに正論ぶって反対と叫んでもヒステリー状態にしか見えません。
↑
「天皇を生理的に毛嫌い」というのはどういうことだろう?
わたしは天皇を「虚ろな偽神」と言っているが、先帝である明仁さん個人は「名君」だと思っている。
自ら進んでは元号を使わないが、人が使う分には容認している。
これは「天皇を生理的に毛嫌い」に相当するのだろうか?
どうだろう?
<rotさんのコメント>
天皇制の継続を容認するという事は意識する、しないにかかわらず身分制度の弊害を容認し続けるという事なのです。
↑
ウーム。
言いたいことが分からないわけではない。
しかし、「天皇制」をなくせば、世の中は良くなるのだろうか?
私は「天皇制」自体は、結果、実の部分だと思っている。
つまり、根っこの問題を解決しなければ、いくら「天皇制」をなくしても、同じような身分制度がまた作りだされて、別の形の弊害がでてくるだけ。
人の罪(sin)とはそういうもの。
<ゆうじさんのコメント>
大躍進~文革こそ、20世紀最大の悲劇ですよね。人の生命の重さに違いはない以上、被害者数最大の事件が最大の悲劇です。
↑
え?
ゆうじさんは人の生命に軽重をつけているのでは?
<参考コメント>
企業戦士は既に戦ってます、軍靴の音が聞こえないのですか?<2015/07/16(22:03)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1434.html
【引用開始】
私服で機関銃なんか持ってフラフラしてるような連中と、砂漠のプラントで必死に働いている日本人技術者と、どっちの生命が重いかといえば、後者に決まってるじゃないですか。
【引用終了】
(つづく)
No title
>「天皇制」をなくせば、世の中は良くなるのだろうか?
>私は「天皇制」自体は、結果、実の部分だと思っている。
つまり、根っこの問題を解決しなければ、いくら「天皇制」をなくしても、同じような身分制度がまた作りだされて、別の形の弊害がでてくるだけ。
人の罪(sin)とはそういうもの。
ワケの分からぬ宗教的?抽象論を語っても無意味。
少なくとも、天皇制は歴然とした身分差別制度です。
天皇制が無くなり、共和制へと移行することは民主主義の上で、
小さく無い前進と思います。
しかも、
天皇・皇族の為の莫大な税金と人と土地を省くことが出来ます。
さらに、超一等地の皇居跡は東京都民の為の憩いの場や緊急避難場所として
極めて有益です。
現状では、
大震災で多くの都民が死傷し、避難場所や住家が無くても、
天皇・皇族は余裕で無事なわけだ。
>私は「天皇制」自体は、結果、実の部分だと思っている。
つまり、根っこの問題を解決しなければ、いくら「天皇制」をなくしても、同じような身分制度がまた作りだされて、別の形の弊害がでてくるだけ。
人の罪(sin)とはそういうもの。
ワケの分からぬ宗教的?抽象論を語っても無意味。
少なくとも、天皇制は歴然とした身分差別制度です。
天皇制が無くなり、共和制へと移行することは民主主義の上で、
小さく無い前進と思います。
しかも、
天皇・皇族の為の莫大な税金と人と土地を省くことが出来ます。
さらに、超一等地の皇居跡は東京都民の為の憩いの場や緊急避難場所として
極めて有益です。
現状では、
大震災で多くの都民が死傷し、避難場所や住家が無くても、
天皇・皇族は余裕で無事なわけだ。
再読愚考:令和時代のはじまり 8-7
<片割月さんのコメント>
ゆうじさんの(「支那」という言葉の)使用ケースはどうなのか?ですね。まあ、疑問はありますが、ぎりぎりセーフじゃないですか(^_^;)
<rotさんのコメント>
私も歴史用語として支那という呼び方をしていた事実がある事は承知しているんですけど、いまそれを用いることにはやっぱり賛成できないのです。
↑
まあ、相手が嫌がる呼称は避けた方がよいだろう。
ただ、中国は逆に「中国銀行」に対して名称変更を強要するようなことは止めるべき。
おかげで、「中国銀行(本店:岡山市)」という看板がデファクトになってしまった。
<秋風亭さんのコメント>
(ゆうじさんのコメントは)ここまでになると、もはや屁理屈ではなくギャグである。アホらしい。
↑
だからゆうじさんのコメントは「芸」なんだってば。
PC・スマホの向こうでは、秋風亭さんのレスにゆうじさんはガッツポーズをしていることでしょう。
「やった!引っかかった!ウケた!ウケた!」と。
<ひまわりさんのコメント>
令和Tシャツ、令和ボールペン、令和ケーキ、令和饅頭・・・いやいや、日本中令和グッズでにぎやかですね。世界広しといえどもこのようなソワソワ感に浸れる国はめずらしいでしょうね。ちょっとした「幸せ感」です。
<なごやんのコメント>
わたしはひまわりさんの感じる「幸せ感」はありだと思う。個人がちょっとした幸福感を感じること自体は、「それはよかったですね」と認めたい。
↑
「令和フィーバー」に対する好意的な感想。こういった感覚に対しては、私も前向きに捉えている。
<片割月さんのコメント>
歴史的用語は、国により名称が異なる。①あくまでお互いに自国の名称で②両者が歩み寄って、共通の名称を定める②がベターなのでしょうが、難しいようですね。
↑
イヤイヤ、地理用語だって国によって異なる。
「日本海・東海」を初めいくらでも例を挙げられるだろう。
国・民族・宗教の違いによって、同じものを違う表現にすることはやむを得ないと思う。
ムリに共通名称を決める必要はない。
(つづく)
ゆうじさんの(「支那」という言葉の)使用ケースはどうなのか?ですね。まあ、疑問はありますが、ぎりぎりセーフじゃないですか(^_^;)
<rotさんのコメント>
私も歴史用語として支那という呼び方をしていた事実がある事は承知しているんですけど、いまそれを用いることにはやっぱり賛成できないのです。
↑
まあ、相手が嫌がる呼称は避けた方がよいだろう。
ただ、中国は逆に「中国銀行」に対して名称変更を強要するようなことは止めるべき。
おかげで、「中国銀行(本店:岡山市)」という看板がデファクトになってしまった。
<秋風亭さんのコメント>
(ゆうじさんのコメントは)ここまでになると、もはや屁理屈ではなくギャグである。アホらしい。
↑
だからゆうじさんのコメントは「芸」なんだってば。
PC・スマホの向こうでは、秋風亭さんのレスにゆうじさんはガッツポーズをしていることでしょう。
「やった!引っかかった!ウケた!ウケた!」と。
<ひまわりさんのコメント>
令和Tシャツ、令和ボールペン、令和ケーキ、令和饅頭・・・いやいや、日本中令和グッズでにぎやかですね。世界広しといえどもこのようなソワソワ感に浸れる国はめずらしいでしょうね。ちょっとした「幸せ感」です。
<なごやんのコメント>
わたしはひまわりさんの感じる「幸せ感」はありだと思う。個人がちょっとした幸福感を感じること自体は、「それはよかったですね」と認めたい。
↑
「令和フィーバー」に対する好意的な感想。こういった感覚に対しては、私も前向きに捉えている。
<片割月さんのコメント>
歴史的用語は、国により名称が異なる。①あくまでお互いに自国の名称で②両者が歩み寄って、共通の名称を定める②がベターなのでしょうが、難しいようですね。
↑
イヤイヤ、地理用語だって国によって異なる。
「日本海・東海」を初めいくらでも例を挙げられるだろう。
国・民族・宗教の違いによって、同じものを違う表現にすることはやむを得ないと思う。
ムリに共通名称を決める必要はない。
(つづく)
再読愚考:令和時代のはじまり 8-8
<ひまわりさんのコメント>
だれがどう思うかとは別にして日本の歴史認識を左右するその根本はやはり皇室や陛下の存在だと思います。つまり皇室や陛下の存在は国民に大きく影響しているということなのでしょう。
↑
現代の日本人にとって、天皇とどのように向き合うかは重要なことだと思う。
だから、昭和天皇の肖像写真を「内面の自画像」に取り入れる人もいる。
>人様の顔写真を焼きそれを大衆にさらすなんてどんな理由があろうともダメなのです。
という倫理観は、それはそれで分かる。
ただ、なぜ、天皇の写真が「内面の自画像」なのか、それをどのように表現しているのか、ひまわりさんは興味がわかないだろうか?
<ひまわりさんのコメント>
やはりこの「幸せ感」ってやつは少しだけ手を伸ばせば届くものなのかもしれません。
↑
新元号「令和」に伴う「幸せ感」を肯定的に受け取る人、「欺瞞だ!」と否定的に受け取る人、それぞれあってよい。
ただ、わたしは「それはよかったですね」と喜んでいる人に声をかけたい。
素直に「幸せ感」に浸っている人に、今この時、冷水を浴びせかけなくてもよいのでは。
<参考コメント>
どんなことでも言えること(1)<2017/01/08(20:36)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2550.html
【再読愚考:令和時代のはじまり:完】
だれがどう思うかとは別にして日本の歴史認識を左右するその根本はやはり皇室や陛下の存在だと思います。つまり皇室や陛下の存在は国民に大きく影響しているということなのでしょう。
↑
現代の日本人にとって、天皇とどのように向き合うかは重要なことだと思う。
だから、昭和天皇の肖像写真を「内面の自画像」に取り入れる人もいる。
>人様の顔写真を焼きそれを大衆にさらすなんてどんな理由があろうともダメなのです。
という倫理観は、それはそれで分かる。
ただ、なぜ、天皇の写真が「内面の自画像」なのか、それをどのように表現しているのか、ひまわりさんは興味がわかないだろうか?
<ひまわりさんのコメント>
やはりこの「幸せ感」ってやつは少しだけ手を伸ばせば届くものなのかもしれません。
↑
新元号「令和」に伴う「幸せ感」を肯定的に受け取る人、「欺瞞だ!」と否定的に受け取る人、それぞれあってよい。
ただ、わたしは「それはよかったですね」と喜んでいる人に声をかけたい。
素直に「幸せ感」に浸っている人に、今この時、冷水を浴びせかけなくてもよいのでは。
<参考コメント>
どんなことでも言えること(1)<2017/01/08(20:36)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2550.html
【再読愚考:令和時代のはじまり:完】
No title
(なごやんさんのコメント)
>新元号「令和」に伴う「幸せ感」を肯定的に受け取る人、「欺瞞だ!」と否定的に受け取る人、それぞれあってよい。
こういう、一見、中立的で、
「もの分かりの良い」言説ですが、大いに疑問があります。
これは、「元号制度」という議論渦巻く社会問題、政治問題を、
単なる「好み」「趣味」のレベルに落とすものであり、
議論を無意味にさせる言説です。
ある意味…失礼な言い方ですが…ずるいやり方と思います。
この言説で行けば、
「私は天皇制は必要と思う」「天皇制は無用と思う」も、
「思いや受け止めは人それぞれあっていいよね」、
ということで話は終わります。まったく意味がありません。
これが、
「私はクラシック音楽が好きです」「私は嫌いです」
という趣味のお話であれば、「人それぞれ」で良いのです。
社会問題や政治問題を、趣味や感性の領域に収納させるのは疑問です。
>新元号「令和」に伴う「幸せ感」を肯定的に受け取る人、「欺瞞だ!」と否定的に受け取る人、それぞれあってよい。
こういう、一見、中立的で、
「もの分かりの良い」言説ですが、大いに疑問があります。
これは、「元号制度」という議論渦巻く社会問題、政治問題を、
単なる「好み」「趣味」のレベルに落とすものであり、
議論を無意味にさせる言説です。
ある意味…失礼な言い方ですが…ずるいやり方と思います。
この言説で行けば、
「私は天皇制は必要と思う」「天皇制は無用と思う」も、
「思いや受け止めは人それぞれあっていいよね」、
ということで話は終わります。まったく意味がありません。
これが、
「私はクラシック音楽が好きです」「私は嫌いです」
という趣味のお話であれば、「人それぞれ」で良いのです。
社会問題や政治問題を、趣味や感性の領域に収納させるのは疑問です。
パレードと多様性
社会問題や政治問題にも様々な意見があって当然でしょう。天皇制の賛否も、両論あって当然ですし、多数決で改憲すれば天皇制廃止も可能です。ただ、現在は圧倒的な国民が天皇制を支持しているというだけで。
世界市民的発想をする人は、我が国の歴史と伝統と言われると感覚的に馴染みにくいのかなあという気はします。
パレード、法務省の脇で見ました。3時間待ちでも前から3番目の列。二列の頭が邪魔になる上に、車が右側通行とは意表を突かれ、やや離れたところから、スーッとお通りになるのを見ただけで、写真も小さ過ぎてよく写ってませんが、あの雰囲気を味わい、雅子様のお幸せそうな笑顔を拝しただけで大満足でした。東京に住んでいて良かったあ、ですが、12万人ということはわざわざ行くモノ好きは100人に1人、やっぱ、趣味や感性も絡む領域ですよ。
それにしても、元号法が無かったら、令和フィーバーも無かった訳で、やはり、右の人々への感謝は感じざるを得ませんね。アナクロは本当に困るんだけれども。
さてさて、次は、いよいよ大嘗祭。大嘗宮も見に行っちゃおうかなア、せっかくお江戸に住んでいるんだし。札幌の人が近所でスキーができるのと同じように。
世界市民的発想をする人は、我が国の歴史と伝統と言われると感覚的に馴染みにくいのかなあという気はします。
パレード、法務省の脇で見ました。3時間待ちでも前から3番目の列。二列の頭が邪魔になる上に、車が右側通行とは意表を突かれ、やや離れたところから、スーッとお通りになるのを見ただけで、写真も小さ過ぎてよく写ってませんが、あの雰囲気を味わい、雅子様のお幸せそうな笑顔を拝しただけで大満足でした。東京に住んでいて良かったあ、ですが、12万人ということはわざわざ行くモノ好きは100人に1人、やっぱ、趣味や感性も絡む領域ですよ。
それにしても、元号法が無かったら、令和フィーバーも無かった訳で、やはり、右の人々への感謝は感じざるを得ませんね。アナクロは本当に困るんだけれども。
さてさて、次は、いよいよ大嘗祭。大嘗宮も見に行っちゃおうかなア、せっかくお江戸に住んでいるんだし。札幌の人が近所でスキーができるのと同じように。
No title
以下のとおり,大嘗宮一般参観を行う。
1.期間
令和元年11月21日(木)から12月8日(日)までの18日間とする。
2.場所
皇居東御苑本丸地区
1.期間
令和元年11月21日(木)から12月8日(日)までの18日間とする。
2.場所
皇居東御苑本丸地区
No title
大嘗宮 清水建設が受注
予定価格の6割、9億5700万円
これを一般参観後廃棄
台風被害で済むところがないと嘆く国民の前で、
廃棄(無駄遣い)
予定価格の6割、9億5700万円
これを一般参観後廃棄
台風被害で済むところがないと嘆く国民の前で、
廃棄(無駄遣い)
文化の価値がわかるかなア~。
大嘗宮を歴史的・伝統的に一度しか使わなかったのは、徹底的な清浄さが、神への最上級のおもてなしに必要だからです。
たしか、どこかの国では、古来から、ワインを作るブドウは処女の足で踏みつぶす習わしになっていたのじゃないかしら。それも清浄さに意味があるのでしょう。
台風被害からの復興は大切ですが、平成に再建したものとは言え首里城の再建も文化的な意味で大切なのです。まして、大化の改新やらなんやらの頃に始まった、天皇陛下一代で1回限りの国民的儀式においてをや。
ものごとの価値を富でしか測らなければ、文化に金を使うのは無駄遣いに見えましょうが。
たしか、どこかの国では、古来から、ワインを作るブドウは処女の足で踏みつぶす習わしになっていたのじゃないかしら。それも清浄さに意味があるのでしょう。
台風被害からの復興は大切ですが、平成に再建したものとは言え首里城の再建も文化的な意味で大切なのです。まして、大化の改新やらなんやらの頃に始まった、天皇陛下一代で1回限りの国民的儀式においてをや。
ものごとの価値を富でしか測らなければ、文化に金を使うのは無駄遣いに見えましょうが。
No title
>文化の価値がわかるかなア~
すまないが、全然わからん。
趣味の違いといった方がわかりやすい。
時計に金をかける人もいれば、釣り竿に金かける人もいるだろう。
すまないが、全然わからん。
趣味の違いといった方がわかりやすい。
時計に金をかける人もいれば、釣り竿に金かける人もいるだろう。
No title
御新茶磨 さん
*ものごとの価値を富でしか測らなければ、文化に金を使うのは無駄
大嘗祭で大嘗宮内の内部で何が行われているのか門外不出というのは文化でも何でもありません。
以下引用
天皇が大嘗宮の最奥部で何を行っているかは「秘事」とされてきたので詳細は記されていない。そのため、これまで大胆な推測、空想がなされてきた。民俗学者の折口信夫が唱えた、新天皇が先天皇の遺体とともに寝具の中に入るという説や、処女との性的解放という説などだ。これらに影響されて、妄想に近いような極論も世間に出始めたため、宮内庁は平成2年の大嘗祭直前に記者会見で「天皇が神格を得る秘儀というものはない」「天皇は寝床に触れることすらありません」と否定するコメントを出さざるを得なかった。では、最奥部では一体女性を従え秘密裏に何が行われているのか。
引用終了
このような行事に国費を支出するのは無駄且つ有害
で将来の納税者である子どもに説明できません。
自前の金で思いっきりやってくださいネ。
*ものごとの価値を富でしか測らなければ、文化に金を使うのは無駄
大嘗祭で大嘗宮内の内部で何が行われているのか門外不出というのは文化でも何でもありません。
以下引用
天皇が大嘗宮の最奥部で何を行っているかは「秘事」とされてきたので詳細は記されていない。そのため、これまで大胆な推測、空想がなされてきた。民俗学者の折口信夫が唱えた、新天皇が先天皇の遺体とともに寝具の中に入るという説や、処女との性的解放という説などだ。これらに影響されて、妄想に近いような極論も世間に出始めたため、宮内庁は平成2年の大嘗祭直前に記者会見で「天皇が神格を得る秘儀というものはない」「天皇は寝床に触れることすらありません」と否定するコメントを出さざるを得なかった。では、最奥部では一体女性を従え秘密裏に何が行われているのか。
引用終了
このような行事に国費を支出するのは無駄且つ有害
で将来の納税者である子どもに説明できません。
自前の金で思いっきりやってくださいネ。
文化が続いてゆくということ
大嘗祭は、畿内以外の農地から採れた米を国民が献上し、地方の名産品共々、天皇陛下が祖霊に捧げ、自らも召し上がることにより、国民統合の象徴であることを国民との間で確認する儀式です。田んぼに選ばれた農民とその周囲は誇らしそうでしたね。
このような儀式が、大化の改新の頃から続き、戦国時代に中断したものの、江戸時代に復興して、今日も続いてゆく。この文化に価値を見いだせるかどうかですよね。
パレ-ド・大嘗祭と続き、国民の多くの気持ちは示されました。
自由な国ですので、わからない人や分かりたくない人もいてよいのです。ただ、文化が今日に伝わっていることのためには、これを守り続けて行く人々の思いがあってのことなのだということは知っておかれた方がよろしいかと思います。
さて、大嘗宮が公開される由、東京暮らしの特権で身に行っちゃおうかなア。正月には高御座も見れるようですが。ここまでくると、さすがに趣味の域かなあという気もしてきました。でも、一生に一度というか、私の人生ではこれが最後のチャンスだしなア~。
このような儀式が、大化の改新の頃から続き、戦国時代に中断したものの、江戸時代に復興して、今日も続いてゆく。この文化に価値を見いだせるかどうかですよね。
パレ-ド・大嘗祭と続き、国民の多くの気持ちは示されました。
自由な国ですので、わからない人や分かりたくない人もいてよいのです。ただ、文化が今日に伝わっていることのためには、これを守り続けて行く人々の思いがあってのことなのだということは知っておかれた方がよろしいかと思います。
さて、大嘗宮が公開される由、東京暮らしの特権で身に行っちゃおうかなア。正月には高御座も見れるようですが。ここまでくると、さすがに趣味の域かなあという気もしてきました。でも、一生に一度というか、私の人生ではこれが最後のチャンスだしなア~。
No title
*自由な国ですので、わからない人や分かりたくない人もいてよいのです。
自由の国ですからそうもいかないのです。
憲法では、国民の信教の自由の保障及び信教の自由確保のための政教分離原則があるのですよ。
秋篠宮が宮内庁に異議を唱えた、『天皇家の行事』として身の丈にあった行事をすべきでしょう。
自由の国ですからそうもいかないのです。
憲法では、国民の信教の自由の保障及び信教の自由確保のための政教分離原則があるのですよ。
秋篠宮が宮内庁に異議を唱えた、『天皇家の行事』として身の丈にあった行事をすべきでしょう。