法曹養成制度が曲がり角にきてから既に10年は立ちます。
志願者減少、法科大学院の募集停止や司法試験合格者数の低迷など、問題が顕在化してもなお、従来の路線を小手先の修正を加えつつやってきたのですが、ここに来て制度を大きく修正を加えることになりました。
法曹コースの創設とギャップタームの解消(司法試験受験資格の緩和、卒業見込みでの受験を容認)です。
これによって1年の学部期間が削減され、卒業後の司法試験受験、合格発表までのまでの空白期間5ヶ月が短縮になります。
法科大学院は経済的、時間的負担が大きく、敬遠されてきたとされていますが、これによって法科大学院に志願者を呼び戻すことができるのではないか、これが今回の改革の骨子です。
学生がこれで法科大学院を進路として選択してくれるようになるのではないか、これが文科省、法科大学院側の淡い期待があります。
その狙いは予備試験に流出する層を呼び戻すことにあります。
養成期間の短縮に対するマスコミの論調ははっきりしていて、プロセスによる教育が失われる、当初示された法曹養成の理念はどこに行ったんだというものです。予備試験を敵視する論調も相変わらずです。
「
社説 法曹養成制度 つぎはぎでは無理がある」(信濃毎日2019年3月13日)
「法科大学院を法曹養成の核と位置づけるなら、制度の原点に立ち返って予備試験を含む全体像を見直さなければならない。つぎはぎの手直しは矛盾を広げる。法曹を目指す人が減っている背景にも目を向ける必要がある。」
「
社説 法曹の養成 抜本的な制度の見直しを」(京都新聞2019年3月15日)
「本来、経済的事情などで法科大学院に通えない人の「例外」措置だったが、優秀な学生が法曹界への「近道」として予備試験へ流れた。何のための例外なのか。まずは受験資格の制限など予備試験の見直しこそが先決である。」
「社説 法科大学院改革 司法試験の「予備校化」危惧する」(愛媛新聞2019年3月22日)
「改正案は、予備試験人気にあやかり法曹養成の中核である法科大学院を見直すものといえ本末転倒だ。予備試験で多面的に人物を評価する仕組みづくりや、受験資格制限などの改革に踏み切るべきだ」
「
社説 法科大学院 改革の理念はどこへ」(東京新聞2019年3月15日)
「法科大学院制度は、法学部以外の文系、理系の出身者、また社会人らの人材を集め、実務教育や幅広い教養、法曹倫理などを教えることを目指した。
これは司法試験の受験一本の勉強とは離れた、奥の深い法律家の養成を理想とした考えであろう。その理念は誤りではないし、歪(ゆが)めたくはない。」
「
社説 法科大学院 改革後もなお残る課題」(朝日新聞2019年3月14日)
「現場の努力では解決しがたい問題もある。法科大学院に行かなくても司法試験の受験資格を得ることができる「予備試験」の存在だ。もとは経済的事情などから大学院に進学できない人を想定した措置だったが、いまや試験に強い学生が法曹になる近道と化している。
「プロセス重視」を言うのであれば、予備試験コースはあくまでも例外と位置づけ、受験資格に一定の制限をかけたり、合格基準を見直したりするのが必須だ。ところが今回、政府はそこまで踏み込まなかった。」
どれも同じような社説で、法科大学院の理念の強調と予備試験を制限せよというものです。
予備試験は点での選抜であり、法科大学院というプロセスにより、いろんな科目を履修して法曹になるという理念だというのですが、問われているのはその「プロセス」が本当に不可欠なのかどうかでもあります。
法科大学院を信奉する人たちも今時の改革を目の敵にしています。
「
まず予備試験改革を 視標「法曹養成制度の変更」」
早稲田大大学院法務研究科の須網隆夫教授の論考も同趣旨です。
もともと司法試験は点での選抜でした。こうした選抜方法が大学での勉強もせず、予備校で受験テクニックだけを身につけだけの薄っぺらに法曹を誕生させてきたんだと。このように法科大学院制度の設立を正当化してきました。
このプロセス論にはあまり意味がありません。もともとは合格者数を増大させることによって選抜機能が低下することから法科大学院制度を導入し、受験者レベルの全体の底上げを図ったものです。まず法科大学院制度において大事なことは司法試験受験者層の全体の底上げなのです。

ここを抜きにして、先端科目だ、法曹の国際化だと言ってみても何の意味もありません。本末転倒の議論といえます。
今、一番の問題は、司法試験が選抜機能を果たせなくなってしまったということです。
司法試験受験者数は今年は5000人も切りました。それにも関わらず1500人という合格者数だけは維持されています。人が離れていく中で、合格者数だけは維持していくという方法は既に制度として破綻しているということは明らかです。
司法試験に選抜機能を持たせることで質の維持を図ろとしていたことの前提が崩れるからです。
先端科目を履修できるのは、既に司法試験受験科目については余裕があるから。
今、その前提がおぼつかない状態を招来しているのが法科大学院志願者の激減なのです。予備試験を制限したら、その人たちがそのまま法科大学院に来るのかという検討もないまま(今回の改革は、予備試験合格者の多くが法科大学院生であることを根拠にしています。)、予備試験を制限した場合、これまで以上に司法試験受験者数が減少していくことははっきりしています(技術的に制限が困難ということもありますが、今、予備試験を制限してしまったら法曹養成そのものが危機的になるという現実的な問題があるが故にここに手をつけることはできないというのが実態です)。法科大学院から予備試験に流出した層だけの問題に矮小化してはならないわけです。
根本的な問題でいえば、法科大学院において、先端科目を学ぶ必要があるのかということも問われています。わずか数年の間にどれだけのことをどのように身につけるのか、それが法曹の質として不可欠なものなのかどうか、実はこの検証がありません。その単位を所得したことによって法科大学院課程を修了したという認定によって質が担保されたとする建前になっています。
しかし、実際には各法科大学院において司法試験合格率に大きな差が生じてしまっているのは制度としての「厳格」な認定が既に綻んでいるということの現れでもあります。司法試験合格が担保できない法科大学院については、既に補助金の削減による締め出しの政策が実施されていますが、それはある意味では当然とも言えます。
そもそも法科大学院の理念を実現できる法科大学院の授業とは何ですか。
誰もこの答えを出していません。あるわけがないんです。法科大学院の使命は司法試験受験者層の全体の底上げでしかないのですから。だからマスコミは「理念」という抽象的なことばかりを強調しているのです。
「
法曹コースに受験資格要件の緩和 理念に逆行するという声は法科大学院制度の惨状を自覚していない」
質の問題をいうのであれば、現状の司法試験の合格水準こそ問題にすべきでしょう。司法試験考査委員の採点雑感は毎年、公表されています。
参考
「
平成30年度司法試験採点実感の抜粋」(ブロゴス)
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