コメント
どうかキライにならないで下さい。
あのう、MとかSとかHなのの後にR指定ですが、Tバックを他人に強制する気はありませんのです。
でも、アメリカでも、イギリスでも、好きな歌を聞かれて国歌と答える人は少数でしょうし、星条旗を着てるのはワンダーウーマンくらい。
御真影も無ければ日の丸も多分家にはない私でも、東京に住んでいると、誘われて何度か皇居に行って、天皇誕生日や新年のお言葉を聞いたことはあります。
押し付ける少数派が悪目立ちしているだけで、庶民の皇室に対する敬愛の情はこの程度でしょう。
ウヨクはキライになっても、皇室はキライにならないで下さい。って、卒業するセンターでもないのだけれど。
でも、アメリカでも、イギリスでも、好きな歌を聞かれて国歌と答える人は少数でしょうし、星条旗を着てるのはワンダーウーマンくらい。
御真影も無ければ日の丸も多分家にはない私でも、東京に住んでいると、誘われて何度か皇居に行って、天皇誕生日や新年のお言葉を聞いたことはあります。
押し付ける少数派が悪目立ちしているだけで、庶民の皇室に対する敬愛の情はこの程度でしょう。
ウヨクはキライになっても、皇室はキライにならないで下さい。って、卒業するセンターでもないのだけれど。
No title
個人的には西暦だけでいいですけどね。一つで十分。
西暦は嫌い
という人間も、日本にはいます。私のように。
西暦より元号の方が良いという日本人から元号を奪うことは、西暦の強制を意味することです。
基本的人権の尊重に反します。
西暦より元号の方が良いという日本人から元号を奪うことは、西暦の強制を意味することです。
基本的人権の尊重に反します。
No title
元号は強制することに意義があり、共感するのが当たり前なんてとんでもない。
基本的人権の尊重に反します。
基本的人権の尊重に反します。
「なごやん、君は相変わらず甘いね」
元号問題について、猪野先生に反対するつもりはない。
しかしながら、ひのきみ問題と同様に「そこまで言うのかなあ」という感覚がないわけではない。
「なごやん、君は相変わらず甘いね」と猪野先生や秋風亭さん、rotさんには叱られてしまうかもしれないが。
<参考コメント>
覧古考新:日の丸そんなに憎いのか?<2018/04/28(02:57)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-659.html
【抜粋引用開始】
私にとっては天皇崇拝と不可分に結びついたがゆえに、日の丸は「忌むべきもの」となってしまっている。ただ、日の丸を尊重する考え方の人がいることは理解できる。日の丸に頭を下げることを強制はしてほしくない。
(ひのきみ問題について)ここら辺あたりが、猪野先生とわたしの違いのようだ。猪野先生は日の丸の「強制批判」+「大好き批判」だが、私は「強制批判」だけで、「大好き批判」はない。突き詰めていけば「大好き批判」(クリスチャンとしては偶像崇拝批判)になるが、そこまではどうも・・・
【抜粋引用終了】
しかしながら、ひのきみ問題と同様に「そこまで言うのかなあ」という感覚がないわけではない。
「なごやん、君は相変わらず甘いね」と猪野先生や秋風亭さん、rotさんには叱られてしまうかもしれないが。
<参考コメント>
覧古考新:日の丸そんなに憎いのか?<2018/04/28(02:57)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-659.html
【抜粋引用開始】
私にとっては天皇崇拝と不可分に結びついたがゆえに、日の丸は「忌むべきもの」となってしまっている。ただ、日の丸を尊重する考え方の人がいることは理解できる。日の丸に頭を下げることを強制はしてほしくない。
(ひのきみ問題について)ここら辺あたりが、猪野先生とわたしの違いのようだ。猪野先生は日の丸の「強制批判」+「大好き批判」だが、私は「強制批判」だけで、「大好き批判」はない。突き詰めていけば「大好き批判」(クリスチャンとしては偶像崇拝批判)になるが、そこまではどうも・・・
【抜粋引用終了】
No title
思想良心の自由がありますから、元号を使用したい人は遠慮はいりません。
日の丸を崇めて、過去の郷愁に浸る自由もあります。
近頃あまり見かけませんが?
天皇個人が大好きという方も人間的でいいですネ。
でしたら、彼らの生活も面倒見てあげたらいかがですか?
国有地を無料で使用できる特権を持ち、品位保持の資に充てるためにお金が必要なようですからネ。
皆さんが寄付をするに障害となる規定があれば皇室経済法の一部を改正しさえすればいいだけですから。
子供がお菓子を買うにも税金をとられる時代ですから、品位保持のための資金を子供たちから召し上げて引きでいる神経が分かりません。
それに、1000兆を超える債務を抱えている以上品位云々を言っている時ではないはずですネ。
なんせ、本年度予算中、
新規国債を33兆6922億円発行ですからネ。
日の丸を崇めて、過去の郷愁に浸る自由もあります。
近頃あまり見かけませんが?
天皇個人が大好きという方も人間的でいいですネ。
でしたら、彼らの生活も面倒見てあげたらいかがですか?
国有地を無料で使用できる特権を持ち、品位保持の資に充てるためにお金が必要なようですからネ。
皆さんが寄付をするに障害となる規定があれば皇室経済法の一部を改正しさえすればいいだけですから。
子供がお菓子を買うにも税金をとられる時代ですから、品位保持のための資金を子供たちから召し上げて引きでいる神経が分かりません。
それに、1000兆を超える債務を抱えている以上品位云々を言っている時ではないはずですネ。
なんせ、本年度予算中、
新規国債を33兆6922億円発行ですからネ。
No title
法人税のほかに、地方法人税は、国(税務署)に申告、納付する税金で、
法人都民税、事業税、地方法人特別税、は、地方(都税事務所)に申告納付する税金です。
申告の経路は違いますが、その原資は国民一人ひとりが納めているのですよ。
法人はその取次ぎをしているだけです。
故に、税金の使い道をシビア―に監視しましょうね。
元号なんかに振り回されずに?
法人都民税、事業税、地方法人特別税、は、地方(都税事務所)に申告納付する税金です。
申告の経路は違いますが、その原資は国民一人ひとりが納めているのですよ。
法人はその取次ぎをしているだけです。
故に、税金の使い道をシビア―に監視しましょうね。
元号なんかに振り回されずに?
No title
元号ばかりの記事でもうお腹いっぱいです(>_<)
4月になって役員とかも変わって体制が一新された会社も多いことですから、弁護士らしく、新体制になった弁護士会に期待するなどの記事のほうが
>これを機に元号とはさよならしましょう。
とか他人を煽りかねない文章を書くよりはずっといいと思います。
4月になって役員とかも変わって体制が一新された会社も多いことですから、弁護士らしく、新体制になった弁護士会に期待するなどの記事のほうが
>これを機に元号とはさよならしましょう。
とか他人を煽りかねない文章を書くよりはずっといいと思います。
No title
広島―巨人開幕戦における亀梨和也さんの国歌斉唱に、ガックー・・・と来た程度には、愛国心があります。君が代は、三流助っ人外国人作曲のためか日本っぽいけど訳の分からない難解な旋律になっていて、アイドルのカテゴリーであれを歌い上げるならばせめてw-inds.にしてもらわないと・・・。
よくアメリカの開幕戦で歌われるAmerica the Beautiful(アメリカの準国歌的ポジション)は、初級~上級者まで親しめます。ボイストレーニングにも使われるほどのクオリティです。また、そのパロディーもyoutubeに上がっていて、こういうおおらかさは日本にはないですね。
https://www.youtube.com/watch?v=QSTtOwXBH9A
元号に関して言えば、弁護士実務の上で、実に迷惑しています。ほぼ日本にのみ残る、アジアの希少文化であることは認めますが、現実問題として、文書作成等の際に、これが未だに存在することについては、はなはだ迷惑しています。口に出さないまでも、同じ考えの先生方が多いのではないでしょうか。
よくアメリカの開幕戦で歌われるAmerica the Beautiful(アメリカの準国歌的ポジション)は、初級~上級者まで親しめます。ボイストレーニングにも使われるほどのクオリティです。また、そのパロディーもyoutubeに上がっていて、こういうおおらかさは日本にはないですね。
https://www.youtube.com/watch?v=QSTtOwXBH9A
元号に関して言えば、弁護士実務の上で、実に迷惑しています。ほぼ日本にのみ残る、アジアの希少文化であることは認めますが、現実問題として、文書作成等の際に、これが未だに存在することについては、はなはだ迷惑しています。口に出さないまでも、同じ考えの先生方が多いのではないでしょうか。
理解出来ない事
明治維新までは幕府単位なのにそれ以後がなぜ元号単位なのか理解出来ないのは私だけだろうか。安政年間とは言っても安政時代とは言わない。
No title
天皇一代に一つだけ年号を定めること。
元号(年号)制はもともと、皇帝が時間と空間を支配するという古代中国の政治観念に基づいたものであるが、吉凶による改元を廃して改元を皇帝の即位改元に限る一世一元の制は、皇帝権の強化された明(みん)・清(しん)朝においてみられたものである。
日本では1868年(明治1)明治維新に際し岩倉具視(ともみ)の主張に基づき、行政官布告第1号によって一世一元の制が導入されたが、元号はこのときから天皇の統治年を示すものとなった。一世一元の制をとることは皇室典範や登極令(とうきょくれい)においても法的に確認されたが、
1947年(昭和22)日本国憲法制定に伴う皇室典範などの改廃により、国民主権の理念にふさわしくないものとして明文法上の根拠を喪失した。
しかし1979年に元号法が成立し、明文法上も一世一元の制は復活している。[赤澤史朗]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
元号(年号)制はもともと、皇帝が時間と空間を支配するという古代中国の政治観念に基づいたものであるが、吉凶による改元を廃して改元を皇帝の即位改元に限る一世一元の制は、皇帝権の強化された明(みん)・清(しん)朝においてみられたものである。
日本では1868年(明治1)明治維新に際し岩倉具視(ともみ)の主張に基づき、行政官布告第1号によって一世一元の制が導入されたが、元号はこのときから天皇の統治年を示すものとなった。一世一元の制をとることは皇室典範や登極令(とうきょくれい)においても法的に確認されたが、
1947年(昭和22)日本国憲法制定に伴う皇室典範などの改廃により、国民主権の理念にふさわしくないものとして明文法上の根拠を喪失した。
しかし1979年に元号法が成立し、明文法上も一世一元の制は復活している。[赤澤史朗]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
弁護士が迷惑しているとしても
>元号に関して言えば、弁護士実務の上で、実に迷惑しています。
日本全部で弁護士は約3万9千人ですから、全国民の0.03%です。僅か0.03%の感じる迷惑なんか、日本国民全体からすれば、無視できる範囲です。なお私は、全く迷惑していません。
日本全部で弁護士は約3万9千人ですから、全国民の0.03%です。僅か0.03%の感じる迷惑なんか、日本国民全体からすれば、無視できる範囲です。なお私は、全く迷惑していません。
No title
統治権限がない天皇(憲法第4条第1項)に、
天皇の統治年を示すものとなった元号の意味は何なのでしょうね?
元号だけを政令で作られても、権限がない以上あまり意味はないと思いませんか?
はんこ屋さん以外は印刷屋さんもコンピュタシステムも迷惑。
生産性向上特別措置法が泣きますね。
天皇の統治年を示すものとなった元号の意味は何なのでしょうね?
元号だけを政令で作られても、権限がない以上あまり意味はないと思いませんか?
はんこ屋さん以外は印刷屋さんもコンピュタシステムも迷惑。
生産性向上特別措置法が泣きますね。
そうではないと思う
>日本全部で弁護士は約3万9千人ですから、全国民の0.03%です。僅か0.03%の感じる迷惑なんか、日本国民全体からすれば、無視できる範囲です。
↑
これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
例えば、和暦廃止派と和暦存続派がその可否を国民投票で決めるようなことなのか?
そうではないとわたしは思う。
↑
これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
例えば、和暦廃止派と和暦存続派がその可否を国民投票で決めるようなことなのか?
そうではないとわたしは思う。
No title
和暦廃止か、和暦存続かは、国民投票で決めることではありません。
統治のために合理性があるかどうかで決めるべき問題です。
統治の連続性を表す手段という目的を達成するためには、一年の統治の途中で表記を変更することは統治の混乱を招きひいては生産性を阻害する要因となります。
混乱と生産性とを犠牲にしてでも和暦を存続する意義はない。
故に、
不合理な統治を招来する和暦は現代社会では有害な制度。
統治のために合理性があるかどうかで決めるべき問題です。
統治の連続性を表す手段という目的を達成するためには、一年の統治の途中で表記を変更することは統治の混乱を招きひいては生産性を阻害する要因となります。
混乱と生産性とを犠牲にしてでも和暦を存続する意義はない。
故に、
不合理な統治を招来する和暦は現代社会では有害な制度。
国政の場において
>統治のために合理性があるかどうかで決めるべき問題です。
これを判断して答えを出すのは、国民から選ばれた国会です。
>これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
元号廃止が国民の多数派を占めるのであれば、とっくの昔にそれが世論になって、元号は廃止されているはずです。多数派の意見が通るのが民主主義というものでしょう。それとも、少数派が多数派に自分の意見を押し付けることが民主主義ですか?
元号の不便さなんて、早見表か電卓を使えば簡単に解決することですから、大した問題ではありません。
これを判断して答えを出すのは、国民から選ばれた国会です。
>これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
元号廃止が国民の多数派を占めるのであれば、とっくの昔にそれが世論になって、元号は廃止されているはずです。多数派の意見が通るのが民主主義というものでしょう。それとも、少数派が多数派に自分の意見を押し付けることが民主主義ですか?
元号の不便さなんて、早見表か電卓を使えば簡単に解決することですから、大した問題ではありません。
なぜ学ばないのか?
>多数派の意見が通るのが民主主義というものでしょう。
>それとも、少数派が多数派に自分の意見を押し付けることが民主主義ですか?
↑
多数決が民主主義ではない。
あなたは猪野先生のブログに何年もいるのになぜ学ばないのか?
>それとも、少数派が多数派に自分の意見を押し付けることが民主主義ですか?
↑
多数決が民主主義ではない。
あなたは猪野先生のブログに何年もいるのになぜ学ばないのか?
少数派の考えを
多数派に押し付けることを、ファシズムとか全体主義と呼ぶ。
民主主義において、多数派に説明責任があることは否定しないが、それは少数派が完全に納得するまで説明を続けることを意味しない。
民主主義において、多数派に説明責任があることは否定しないが、それは少数派が完全に納得するまで説明を続けることを意味しない。
そういう問題ではない
>少数派の考えを多数派に押し付けることを、ファシズムとか全体主義と呼ぶ。
↑
あなたは民主主義を知らないどころか、ファシズム・全体主義も知らない。
個人の基本的人権を守るのが民主主義。
個人ではなく国家のあり方を優先するのがファシズム。
多数派とか少数派とかの問題ではない。
↑
あなたは民主主義を知らないどころか、ファシズム・全体主義も知らない。
個人の基本的人権を守るのが民主主義。
個人ではなく国家のあり方を優先するのがファシズム。
多数派とか少数派とかの問題ではない。
No title
>これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
例えば、和暦廃止派と和暦存続派がその可否を国民投票で決めるようなことなのか?
そうではないとわたしは思う。
↑
一度どこでも良いから霊園に行って個人の物故日が和暦か西暦かご覧になると良い。
例えば、和暦廃止派と和暦存続派がその可否を国民投票で決めるようなことなのか?
そうではないとわたしは思う。
↑
一度どこでも良いから霊園に行って個人の物故日が和暦か西暦かご覧になると良い。
No title
イーグルとコヨーテさん
*霊園に行って個人の物故日が
大丈夫、死んだ人にとり暦は不要ですから、個人の物故日は趣味の問題。
友人の父親は戒名さえ、遺言で拒否していましたからネ
*霊園に行って個人の物故日が
大丈夫、死んだ人にとり暦は不要ですから、個人の物故日は趣味の問題。
友人の父親は戒名さえ、遺言で拒否していましたからネ
そこまで元号を毛嫌いすることもないのでは?というのが個人的感想ですね。元号が不便っていいますけど合理性ばかり求めても味気ないし。元号が民主主義の精神に反するとか戦前回帰だっていうなら西暦だって見ようによっては帝国主義の象徴なわけだし。
No title
>大丈夫、死んだ人にとり暦は不要ですから、個人の物故日は趣味の問題。
死んだ人の代弁者はやめませんか?
洋の東西を問わず物故日は墓石に刻印されてます。
西洋では生年月日もね。
>友人の父親は戒名さえ、遺言で拒否していましたからネ
そうですか。
単に戒名に金を払いたくなかったんじゃありませんか?
個人の自由ですが、それなら葬式拒否、墓建立も拒否したのなら変人と言われずに一本筋が通った男と呼ばれたでしょう。
死んだ人の代弁者はやめませんか?
洋の東西を問わず物故日は墓石に刻印されてます。
西洋では生年月日もね。
>友人の父親は戒名さえ、遺言で拒否していましたからネ
そうですか。
単に戒名に金を払いたくなかったんじゃありませんか?
個人の自由ですが、それなら葬式拒否、墓建立も拒否したのなら変人と言われずに一本筋が通った男と呼ばれたでしょう。
No title
かんたさん
*そこまで元号を毛嫌いすることもないのでは?というのが個人的感想
元号というのは、本来元首が自由に定めるもので、明治になり一世一元制を採用。
元首の地位を降りた象徴天皇の退位?というのもおかしくはありませんか?
象徴とは主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの
元首でもないのに元首の称号である元号を借りてお祭り騒ぎというのは騙しのテクニック。
西暦は、改元がない点で優れて連続性を評価できるから採用しているだけでしょ。
*そこまで元号を毛嫌いすることもないのでは?というのが個人的感想
元号というのは、本来元首が自由に定めるもので、明治になり一世一元制を採用。
元首の地位を降りた象徴天皇の退位?というのもおかしくはありませんか?
象徴とは主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの
元首でもないのに元首の称号である元号を借りてお祭り騒ぎというのは騙しのテクニック。
西暦は、改元がない点で優れて連続性を評価できるから採用しているだけでしょ。
1/2保守として。元号は使いづらい、という声を聞きますが。。。
そもそも伝統には機能性などありません。また流行性も合理性もありません。
だからといって古くさいとかグローバルでないという理由で否定したところで
そもそも伝統の存在意義はそこでは有りませんので的外れな否定です。
皆さんは着物は高価で使いづらいからと必要が無いと思うでしょうか。
皆さんは普段は洋服でしょうが成人式や冠婚葬祭などでは着物を着用することも多いでしょう。
このように使いづらくても利用するという非合理的な一面も我々人間社会にはあるのです。
ピラミッドを見ればその雄大さに我々は感動するでしょう。
京都の古いお寺でもそこに行けば外国人は感動します。
しかし外国でセブンイレブンを見つけても日本人は感動しません。
この違いは「個性」を感じるか否かであります。
全く機能していないお寺にわざわざ遠くまで足を運ばせるその魅力は寺の持つ個性なのです。
そして長年その個性を保護してきたという実績、つまりは「個性の継続」に感動するのです。
見方を変えれば京都のお寺など全く古くさく、時代遅れそのものです。
着物だって買ったあとも管理は大変で寺も着物もコスパは悪く非合理極まりないのです。
だからといってそれらを時代遅れと批判するでしょうか。
このような批判は的外れだと気がつかない人が元号廃止だ!となるのでしょう。
あるいは伝統など腹の足しにもならんわ、というタイプでしょうね。
だからといって古くさいとかグローバルでないという理由で否定したところで
そもそも伝統の存在意義はそこでは有りませんので的外れな否定です。
皆さんは着物は高価で使いづらいからと必要が無いと思うでしょうか。
皆さんは普段は洋服でしょうが成人式や冠婚葬祭などでは着物を着用することも多いでしょう。
このように使いづらくても利用するという非合理的な一面も我々人間社会にはあるのです。
ピラミッドを見ればその雄大さに我々は感動するでしょう。
京都の古いお寺でもそこに行けば外国人は感動します。
しかし外国でセブンイレブンを見つけても日本人は感動しません。
この違いは「個性」を感じるか否かであります。
全く機能していないお寺にわざわざ遠くまで足を運ばせるその魅力は寺の持つ個性なのです。
そして長年その個性を保護してきたという実績、つまりは「個性の継続」に感動するのです。
見方を変えれば京都のお寺など全く古くさく、時代遅れそのものです。
着物だって買ったあとも管理は大変で寺も着物もコスパは悪く非合理極まりないのです。
だからといってそれらを時代遅れと批判するでしょうか。
このような批判は的外れだと気がつかない人が元号廃止だ!となるのでしょう。
あるいは伝統など腹の足しにもならんわ、というタイプでしょうね。
2/2保守として。元号になぜ歴史認識が関係するのでしょうか。
元号否定派のもう一つの視点。
それは元号という性質上、皇室を快く思わない方々がイデオロギー的に反応してしまうことです。
独自の歴史認識で元号を語るのは自由ですが同時にそれは個人の範疇でしかありません。
伝統文化を歴史認識や皇室の好き嫌いで論ずるのは一般的ではありません。
元号をあえて歴史認識にすり替えて元号論争に導けば廃止論の賛同も増えるだろうという意図も見え隠れします。
保守側も議論のすり替えに気づいていただき歴史認識の議論には乗らないが良いですよ。
元号も伝統文化の一つなのだから話し合いにはまずは刀を鞘に収めましょう。
そして共感できる所を一緒に捜しましょうよ。
歴史認識はひとまず横に置き歌舞伎や寿司を語るようなテンションで元号も語りませんか。
イデオロギーが入り込んでしまうと、しなくていい論争が起きますよ。
それともそれを望んでいるのでしょうか。
伝統とは実はごく単純なものなのです。
機能性も合理性も流行性も何もありません。
有るのは「個性の継続」、これしかないことを忘れないでください。
自国の伝統についてすら論争ばかりしてわかり合えないのに
どうして北朝鮮とわかり合えるのでしょうか?
国際関係は話し合いで解決すべきと何度も左派から言われました。
この新元号にかわるこの時こそ、イデオロギーという武器を横に置き、
たまには伝統文化を語り合い合いましょうよ。
それは元号という性質上、皇室を快く思わない方々がイデオロギー的に反応してしまうことです。
独自の歴史認識で元号を語るのは自由ですが同時にそれは個人の範疇でしかありません。
伝統文化を歴史認識や皇室の好き嫌いで論ずるのは一般的ではありません。
元号をあえて歴史認識にすり替えて元号論争に導けば廃止論の賛同も増えるだろうという意図も見え隠れします。
保守側も議論のすり替えに気づいていただき歴史認識の議論には乗らないが良いですよ。
元号も伝統文化の一つなのだから話し合いにはまずは刀を鞘に収めましょう。
そして共感できる所を一緒に捜しましょうよ。
歴史認識はひとまず横に置き歌舞伎や寿司を語るようなテンションで元号も語りませんか。
イデオロギーが入り込んでしまうと、しなくていい論争が起きますよ。
それともそれを望んでいるのでしょうか。
伝統とは実はごく単純なものなのです。
機能性も合理性も流行性も何もありません。
有るのは「個性の継続」、これしかないことを忘れないでください。
自国の伝統についてすら論争ばかりしてわかり合えないのに
どうして北朝鮮とわかり合えるのでしょうか?
国際関係は話し合いで解決すべきと何度も左派から言われました。
この新元号にかわるこの時こそ、イデオロギーという武器を横に置き、
たまには伝統文化を語り合い合いましょうよ。
No title
イーグルとコヨーテさん
*戒名に金を払いたくなかった?
そうでしょうね。
仏の弟子になるつもりのない方ですからネ。
戒名が金になる葬式仏教は、安易すぎる詐欺でしょうね。
(注)
位牌の表面に記される戒名は、仏の弟子になったことをあらわす名前です。
本来は出家して仏門に入り、守らなければならない戒律を受け入れた弟子に与えられる名前です。
*戒名に金を払いたくなかった?
そうでしょうね。
仏の弟子になるつもりのない方ですからネ。
戒名が金になる葬式仏教は、安易すぎる詐欺でしょうね。
(注)
位牌の表面に記される戒名は、仏の弟子になったことをあらわす名前です。
本来は出家して仏門に入り、守らなければならない戒律を受け入れた弟子に与えられる名前です。
No title
>*戒名に金を払いたくなかった?
そうでしょうね。
仏の弟子になるつもりのない方ですからネ。
戒名が金になる葬式仏教は、安易すぎる詐欺でしょうね。
↑
東大さんの知人の御尊父さまですから恐らくは戒名にも葬式にも納骨にも金を払いたく無い、人だったと思いますよ。
あなたも何も奢ってもらったことはなかったでしょう。
そうでしょうね。
仏の弟子になるつもりのない方ですからネ。
戒名が金になる葬式仏教は、安易すぎる詐欺でしょうね。
↑
東大さんの知人の御尊父さまですから恐らくは戒名にも葬式にも納骨にも金を払いたく無い、人だったと思いますよ。
あなたも何も奢ってもらったことはなかったでしょう。
No title
ひまわりさんの気持ちは分かりますが、少し期待が大きいのかと思います。
元号の変更はビジネスの世界では少し不便ですが、何十年に一回の事だし、1500年近く続いたものをそれだけで廃止せよというのは極端です。ま、要するに彼らは反日思想なんですよ。元号だけでなく、他日本の伝統・成長性(発展)・人口増加などには否定的な見解ありきなんです。彼らの全ての理屈付けはそこから出発しているんです。
残念ながら人口の数%にはこういう人達もいるんです。
だから、いくら説得しても全くの無駄に終わると思いますよ。
元号の変更はビジネスの世界では少し不便ですが、何十年に一回の事だし、1500年近く続いたものをそれだけで廃止せよというのは極端です。ま、要するに彼らは反日思想なんですよ。元号だけでなく、他日本の伝統・成長性(発展)・人口増加などには否定的な見解ありきなんです。彼らの全ての理屈付けはそこから出発しているんです。
残念ながら人口の数%にはこういう人達もいるんです。
だから、いくら説得しても全くの無駄に終わると思いますよ。
No title
元号という制度を廃止するという考えが、なぜ反日という様な昨今あふれ返る安直な排外主義的決めつけを受けなければならないのか。
それにしても反日思想とはね。
日本の伝統や発展、人口増加に反対しているとか、言い掛かりも甚だしいとしか思えません。
そういう事を言う人達はどの様な思想を持っておられるのか逆に問いたくなりますね。
それにしても反日思想とはね。
日本の伝統や発展、人口増加に反対しているとか、言い掛かりも甚だしいとしか思えません。
そういう事を言う人達はどの様な思想を持っておられるのか逆に問いたくなりますね。
No title
イーグルとコヨーテ さん
*あなたも何も奢ってもらったことはなかったでしょう。
それが逆なおです。
当時貧乏学生であった私に、お仕立券付きのワイシャツをプレゼントしてくれました。
生まれた初めて、採寸という手続きを経験しました。
*あなたも何も奢ってもらったことはなかったでしょう。
それが逆なおです。
当時貧乏学生であった私に、お仕立券付きのワイシャツをプレゼントしてくれました。
生まれた初めて、採寸という手続きを経験しました。
No title
体制派さん
*1500年近く続いたもの
日本が、唯、世界に目を向けていなかっただけでしょう。
日本ももっと早く世界に目を向けていれば、改変をしない便利な西暦を利用できたはずですよ。
後ろ向きの元号をさらに未来永劫続けるなんてナンセンスですよ。
1945年当時止めておけば、クリスマス騒ぎやバレンタイン騒ぎと同様な騒ぎをしないで済んだものを?、再び元号騒ぎの法律を作るなんて政治家の頭を疑い召すよ。
*1500年近く続いたもの
日本が、唯、世界に目を向けていなかっただけでしょう。
日本ももっと早く世界に目を向けていれば、改変をしない便利な西暦を利用できたはずですよ。
後ろ向きの元号をさらに未来永劫続けるなんてナンセンスですよ。
1945年当時止めておけば、クリスマス騒ぎやバレンタイン騒ぎと同様な騒ぎをしないで済んだものを?、再び元号騒ぎの法律を作るなんて政治家の頭を疑い召すよ。
元号問題について
元号問題に関しては、このブログでは主に三つの立場に分かれている。
1.西暦派
合理性、世界中で最も使われていることから西暦を支持。
和暦については、廃止を主張する人からプライベートならOKの人まで幅がある。
主に天皇制に批判的な進歩派の人々に支持者が多い。
2.和暦派
日本における歴史伝統から和暦を支持。
西暦の使い勝手の良さは否定しないが、日本独自の暦法があってもよいのではとの立場。
主に天皇制を支持する保守派の人々に支持者が多い。
3.主の年派
宗教上の理由から「主の年=アンノ・ドミニ」を利用。
実生活でもなるべく「主の年=西暦」を使う。
和暦のもっている「縁起物」「記憶」としての面は否定しない。
このブログでは、なごやんのみが支持者。
「主の年=西暦」なのだが、西暦派から見れば、主の年派は「ウザイ」存在だと思う。
猪野先生が「(キリストのイラストを掲示して)大分、影が薄くなりましたね」と揶揄するように、西暦のもっているキリスト教という根元の部分は、打ち消したい側面なんだろうなと考える。
また和暦派から見れば、主の年派は、西暦派と同じ暦法を使っているため、同一視しやすい。
「オレ、クリスチャンじゃないから、西暦オンリーはイヤだなあ。」と考えるかもしれない。
実際、寺院神社など西暦を忌避して和暦を好むことはありうる話し。
なお、主の年派から西暦派を見ると、合理性を過度に強調して、暦の持っている意味性をスポイルしている部分に不満がある。また、和暦派には、元号を広く強制するようなことは止めてもらいたいと考えている。
以上、元号問題について概観した。
1.西暦派
合理性、世界中で最も使われていることから西暦を支持。
和暦については、廃止を主張する人からプライベートならOKの人まで幅がある。
主に天皇制に批判的な進歩派の人々に支持者が多い。
2.和暦派
日本における歴史伝統から和暦を支持。
西暦の使い勝手の良さは否定しないが、日本独自の暦法があってもよいのではとの立場。
主に天皇制を支持する保守派の人々に支持者が多い。
3.主の年派
宗教上の理由から「主の年=アンノ・ドミニ」を利用。
実生活でもなるべく「主の年=西暦」を使う。
和暦のもっている「縁起物」「記憶」としての面は否定しない。
このブログでは、なごやんのみが支持者。
「主の年=西暦」なのだが、西暦派から見れば、主の年派は「ウザイ」存在だと思う。
猪野先生が「(キリストのイラストを掲示して)大分、影が薄くなりましたね」と揶揄するように、西暦のもっているキリスト教という根元の部分は、打ち消したい側面なんだろうなと考える。
また和暦派から見れば、主の年派は、西暦派と同じ暦法を使っているため、同一視しやすい。
「オレ、クリスチャンじゃないから、西暦オンリーはイヤだなあ。」と考えるかもしれない。
実際、寺院神社など西暦を忌避して和暦を好むことはありうる話し。
なお、主の年派から西暦派を見ると、合理性を過度に強調して、暦の持っている意味性をスポイルしている部分に不満がある。また、和暦派には、元号を広く強制するようなことは止めてもらいたいと考えている。
以上、元号問題について概観した。
No title
元号に反対することが感情論だとか、反日なんていう言い掛かりはやめて頂けますか。
伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。そこにあるのは思考停止のみ。それを強制しようとしている人たちに対しては一切、批判しない。ここが特徴ね。
いいものだという金科玉条のごとく絶賛するだけなんですね。
意味のない文化なども廃れていく。そのいい例が和服です。レンタル業界の経営が厳しくなっていることもでわかるし、和服は以前は次々商法の中でも悪質な部類に入っていましたね。使いもしない「高額」な和服を次々に売りつける商法ですね。
社会問題にもなり、信販会社が次々に手を引いた途端、多くの呉服屋が潰れました。文化、伝統などと言われているものはその程度です。
伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。そこにあるのは思考停止のみ。それを強制しようとしている人たちに対しては一切、批判しない。ここが特徴ね。
いいものだという金科玉条のごとく絶賛するだけなんですね。
意味のない文化なども廃れていく。そのいい例が和服です。レンタル業界の経営が厳しくなっていることもでわかるし、和服は以前は次々商法の中でも悪質な部類に入っていましたね。使いもしない「高額」な和服を次々に売りつける商法ですね。
社会問題にもなり、信販会社が次々に手を引いた途端、多くの呉服屋が潰れました。文化、伝統などと言われているものはその程度です。
感情的にならないで下さいよ。
>伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。
結局は文化、伝統がお嫌いなだけなんですね。
こちらは嫌いならそれも個人の自由と申し上げていますが。
結局は文化、伝統がお嫌いなだけなんですね。
こちらは嫌いならそれも個人の自由と申し上げていますが。
No title
そのように振りかざすのが胡散臭いと言っているのがわからないんですか。
No title
>文化、伝統などと言われているものはその程度です。
そうなんですよ。
機能性、合理性など無いですから。文化や伝統には。
ではなぜ親は高い金を払って成人式に娘のために着物を着させるのですか?
まったく合理的では無いですよね。
つまり人間社会には損得勘定では計れない価値観があるんですよ。
そうなんですよ。
機能性、合理性など無いですから。文化や伝統には。
ではなぜ親は高い金を払って成人式に娘のために着物を着させるのですか?
まったく合理的では無いですよね。
つまり人間社会には損得勘定では計れない価値観があるんですよ。
はぁそうですか
伝統は、traditionの訳であって、我が国だけにあるものではありません。普通の国には存在しますし、なければ社会も国も成り立たない。
伝統なくして国が成り立つかの壮大な実験が、ロシア革命だったのであって、伝統によって成り立っていた旧帝政を破壊した結果、独裁と粛清、侵略だけの国になった。
伝統を否定して国が成り立つのか、その実験は既に行われた。
伝統なくして国が成り立つかの壮大な実験が、ロシア革命だったのであって、伝統によって成り立っていた旧帝政を破壊した結果、独裁と粛清、侵略だけの国になった。
伝統を否定して国が成り立つのか、その実験は既に行われた。
No title
卒業式の呉服も低迷していますよ。
現実を知りましょうね。
現実を知りましょうね。
No title
そうすると、日本の過去の侵略戦争も大虐殺も日本の伝統に根付いているんですな。
No title
なぜ私は先生の価値観に従わなければならないのですか?
私は先生の価値観を否定してませんよ。個人の自由ですから。
お互いの価値観を尊重し合いましょうよ。
私だって感情論ですよ。
伝統文化が好きだという感情論です。
それで良いではないですか。
好き嫌いの感情をお互い認め合えば。
私は先生の価値観を否定してませんよ。個人の自由ですから。
お互いの価値観を尊重し合いましょうよ。
私だって感情論ですよ。
伝統文化が好きだという感情論です。
それで良いではないですか。
好き嫌いの感情をお互い認め合えば。
No title
私が問題にしているのは、元号に違和感を持つ人たちに対して、反日だとか、あるいは伝統がわからんのか、という強制の雰囲気を作ろうとしていることです。
今回もまた改元が政治的に利用されました。天皇制は本来、中立であるべきなのに、政治利用がなされる、こうしたことを黙認することも重大な問題だということです。
今回もまた改元が政治的に利用されました。天皇制は本来、中立であるべきなのに、政治利用がなされる、こうしたことを黙認することも重大な問題だということです。
No title
私がなぜ長年先生のブログにお世話になっているかわかりますか?
確かに先生は感情的になります。
でもそれは正直だからです。
だからこそ信用できるのです。
でもそれが先生にも同じように強制の雰囲気を作ろうとしていることにも繋がっているんです。
でもここでは今もこうしてわたしみたいな真逆な意見も採用してくれます。
つまり
連帯感があるんですよ。
少なくとも私には。
ケンカ友達ってヤツかも知れません。
お互い熱くな理過ぎずお互いの価値観は否定するのではなく
いったんは飲み込ましょうよ。
そこから新しい発見は必ずあります。
それが動物と異なる人間の知恵だと思うのです。
もっとこのブログを盛り上げましょうよ!
確かに先生は感情的になります。
でもそれは正直だからです。
だからこそ信用できるのです。
でもそれが先生にも同じように強制の雰囲気を作ろうとしていることにも繋がっているんです。
でもここでは今もこうしてわたしみたいな真逆な意見も採用してくれます。
つまり
連帯感があるんですよ。
少なくとも私には。
ケンカ友達ってヤツかも知れません。
お互い熱くな理過ぎずお互いの価値観は否定するのではなく
いったんは飲み込ましょうよ。
そこから新しい発見は必ずあります。
それが動物と異なる人間の知恵だと思うのです。
もっとこのブログを盛り上げましょうよ!
意味が分かりませんが
近代国際法の構造下での戦争と、秀吉の朝鮮出兵を同列には扱えません。
日清・日露戦争も侵略戦争ではありませんし、第一次世界大戦への参戦も日英同盟の発動によるものであって、侵略ではありません。侵略戦争は、我が国の伝統でも何でもありません。
和服が少なくなることはあっても、伝統を完全に断ち切った国民服のように消滅することは、今のところ考えにくいですね。
日清・日露戦争も侵略戦争ではありませんし、第一次世界大戦への参戦も日英同盟の発動によるものであって、侵略ではありません。侵略戦争は、我が国の伝統でも何でもありません。
和服が少なくなることはあっても、伝統を完全に断ち切った国民服のように消滅することは、今のところ考えにくいですね。
No title
ひまわりさんは猪野様の視点を意図的に無視しするか、ずらしています。
元号を単に、好き嫌いの問題に解消しようとするひまわりさん。
好き嫌いに議論の余地が無いのは、当たり前です。
ひまわりさんが、
元号に感激し、日本の文化と伝統って、ええなあ~、幸せだなあ~、
と、一人で陶酔している分には、あなたの自由。
どうぞ、ご勝手に、というだけのこと。
猪野様が問題提起しているのは、
制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評しているのです。
元号を単に、好き嫌いの問題に解消しようとするひまわりさん。
好き嫌いに議論の余地が無いのは、当たり前です。
ひまわりさんが、
元号に感激し、日本の文化と伝統って、ええなあ~、幸せだなあ~、
と、一人で陶酔している分には、あなたの自由。
どうぞ、ご勝手に、というだけのこと。
猪野様が問題提起しているのは、
制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評しているのです。
No title
立憲民主党さん(公式サイト)も、
いま、まさに、豊かな地方自治をつくることが、地域の可能性を拡げていく、
「令和」の時代の地方政治が求められている。
https://cdp-japan.jp/news/20190407_1527
なんて書いてますよ。改元と全然関係ない話題で
令和は唐突に出てきます。
人権第一の立憲民主党さんです。
もし、令和に違和感をもつことが少なくないようであれば
「これからの」と書いていたはずです。
(ご退位まで何年続くかわからないのだから、
これからの、以上の意味はありません)
人権第一の立憲民主党さんですら、
令和、令和と言ってるんだから、誰も嫌がらないものなんですよ。
違和感を感じるのは猪野先生の思い過ごしですよ。
いま、まさに、豊かな地方自治をつくることが、地域の可能性を拡げていく、
「令和」の時代の地方政治が求められている。
https://cdp-japan.jp/news/20190407_1527
なんて書いてますよ。改元と全然関係ない話題で
令和は唐突に出てきます。
人権第一の立憲民主党さんです。
もし、令和に違和感をもつことが少なくないようであれば
「これからの」と書いていたはずです。
(ご退位まで何年続くかわからないのだから、
これからの、以上の意味はありません)
人権第一の立憲民主党さんですら、
令和、令和と言ってるんだから、誰も嫌がらないものなんですよ。
違和感を感じるのは猪野先生の思い過ごしですよ。
No title
ひまわりさん
無駄でしょ?(^^♪
無駄でしょ?(^^♪
片割月さん
>猪野様が問題提起しているのは、
>制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評しているのです
↑だから私は先生のその意見も個人の意見として認めているんだってば。
認めた上で反論したいと言ってるんですよ。
いいですか、相手の意見を認める認めないということと、
相手の意見を賛成する反論すると言うこととは全く違いますよ。
しっかりして下さいよ。
>元号に感激し、日本の文化と伝統って、ええなあ~、幸せだなあ~、
>と、一人で陶酔している分には、あなたの自由。
>どうぞ、ご勝手に、というだけのこと。
↑その通りです。片割月さんは私の勝手だと意見としては認めてくれているではないですか。
それでいいんです。
でも先生は
>伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。そこにあるのは思考停止のみ、
↑つまり先生は議論の余地無し!と言っているんです。
いいですか片割月さん。
私は先生の価値観を否定してませんよ。先生の自由ですから。
少なくても私は先生の意見を胡散臭くて仕方がない、そこにあるのは思考停止のみ、
なんて口が裂けても私は先生に言いませんよ。
そんな言い方は一方的に相手を突き放してるだけでしょ。
私はお互いの価値観を尊重し合った上で議論なり賛同なりしようよって言ってるだけなんですよ。
私は先生の意見を感情論だと言いましたし私自身も感情論です、と言いました。
それでいいではないですか。なぜなら本当のことなんですもの。
それがなぜだめなんですか?
自分だけ理性的で相手だけ感情論だと決めつけるなら話し合いなどとても出来ないでしょ?
>制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評しているのです
↑だから私は先生のその意見も個人の意見として認めているんだってば。
認めた上で反論したいと言ってるんですよ。
いいですか、相手の意見を認める認めないということと、
相手の意見を賛成する反論すると言うこととは全く違いますよ。
しっかりして下さいよ。
>元号に感激し、日本の文化と伝統って、ええなあ~、幸せだなあ~、
>と、一人で陶酔している分には、あなたの自由。
>どうぞ、ご勝手に、というだけのこと。
↑その通りです。片割月さんは私の勝手だと意見としては認めてくれているではないですか。
それでいいんです。
でも先生は
>伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。そこにあるのは思考停止のみ、
↑つまり先生は議論の余地無し!と言っているんです。
いいですか片割月さん。
私は先生の価値観を否定してませんよ。先生の自由ですから。
少なくても私は先生の意見を胡散臭くて仕方がない、そこにあるのは思考停止のみ、
なんて口が裂けても私は先生に言いませんよ。
そんな言い方は一方的に相手を突き放してるだけでしょ。
私はお互いの価値観を尊重し合った上で議論なり賛同なりしようよって言ってるだけなんですよ。
私は先生の意見を感情論だと言いましたし私自身も感情論です、と言いました。
それでいいではないですか。なぜなら本当のことなんですもの。
それがなぜだめなんですか?
自分だけ理性的で相手だけ感情論だと決めつけるなら話し合いなどとても出来ないでしょ?
No title
私は、感情論ではありませんよ。元号の政治利用の問題を論じているんですから。
No title
東大さん
>それが逆なおです。
当時貧乏学生であった私に、お仕立券付きのワイシャツをプレゼントしてくれました。
生まれた初めて、採寸という手続きを経験しました。
↑
その戒名いらずの御尊父様は費用対効果を第一に考える方だったのでしょう。
そういう人からモノを貰って後が恐くなかったのですか?
余計なお世話かも知れませんけど。
>それが逆なおです。
当時貧乏学生であった私に、お仕立券付きのワイシャツをプレゼントしてくれました。
生まれた初めて、採寸という手続きを経験しました。
↑
その戒名いらずの御尊父様は費用対効果を第一に考える方だったのでしょう。
そういう人からモノを貰って後が恐くなかったのですか?
余計なお世話かも知れませんけど。
No title
ところでブログ主殿
当然訴状などの提出書類はすべて西暦を使っているのでしょうね?
当然訴状などの提出書類はすべて西暦を使っているのでしょうね?
No title
>>>日本の伝統や発展、人口増加に反対しているとか、言い掛かりも甚だしいとしか思えません。そういう事を言う人達はどの様な思想を持っておられるのか逆に問いたくなりますね。
↑普通の保守派です。
言いがかり?? 私は何年も前からここにおるから、過去記事含めて全部知ってんの。
↑普通の保守派です。
言いがかり?? 私は何年も前からここにおるから、過去記事含めて全部知ってんの。
No title
今上天皇の退位を可能とする特例法を整備するとした国会の考えを前提に同会議は2017年4月21日に退位後の天皇の称号を「上皇(じょうこう)」、退位した天皇の后を「上皇后(じょうこうごう)」とし、いずれも敬称は退位前の在位中と同様に「陛下(へいか)」とし、宮内庁に新たな組織として、「上皇職」と「皇嗣職」を新設することなどを適当とする最終報告を行った[10][11][12]。
特例法の制定に当たっては、「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく」という憲法第1条の規定との兼ね合いから[13][14]、国会に議席を有する各政党の代表者による会議での事前協議の結果も反映させた法律として制定される運びとなった。国会による事前協議や有識者会議の報告を受けて政府は法案を作成して国会に上程した。
しかし、国民の総意に基づく天皇の地位を、天皇があたかも君主であるかのように単独の意思で勝手に譲位するなんて矛盾です。
君主ではなく、単なる象徴にすぎません。
象徴としての仕事がきついというのであるならば、人間ですからあり得ます。
その時には皇室典範第16条で摂政に委ねればいいだけです。
なんで改元大騒ぎをするのかネ??
特例法の制定に当たっては、「天皇の地位は主権者である国民の総意に基づく」という憲法第1条の規定との兼ね合いから[13][14]、国会に議席を有する各政党の代表者による会議での事前協議の結果も反映させた法律として制定される運びとなった。国会による事前協議や有識者会議の報告を受けて政府は法案を作成して国会に上程した。
しかし、国民の総意に基づく天皇の地位を、天皇があたかも君主であるかのように単独の意思で勝手に譲位するなんて矛盾です。
君主ではなく、単なる象徴にすぎません。
象徴としての仕事がきついというのであるならば、人間ですからあり得ます。
その時には皇室典範第16条で摂政に委ねればいいだけです。
なんで改元大騒ぎをするのかネ??
No title
イーグルとコヨーテさん
*そういう人からモノを貰って後が恐くなかったのですか?
大丈夫ですよ。私も人を見る目がありますからネ。
*訴状などの提出書類は、あくまで依頼人の代理人としての事務ですから、代理人の好き勝手にはできませんよ。
依頼人の利益を守るためには、やるべきことは決まっています。
*そういう人からモノを貰って後が恐くなかったのですか?
大丈夫ですよ。私も人を見る目がありますからネ。
*訴状などの提出書類は、あくまで依頼人の代理人としての事務ですから、代理人の好き勝手にはできませんよ。
依頼人の利益を守るためには、やるべきことは決まっています。
これだけ盛り上がるなんて、すっごーい!!
なんだかんだ言って、みんな元号好きだね!
日本に元号がなかったら、こうも盛り上がらなかったでしょうね。
日本に元号がなかったら、こうも盛り上がらなかったでしょうね。
意外でしょうが。
ミニスカートやタンクトップなど日本の歴史伝統に反するからと排斥する訳ではなくて、むしろ大歓迎するタイプなんです、こう見えて。
でも、和服の女性もお淑やかさや奥ゆかしさにも、普段とは違った魅力を感じて、グッとくる。たとえ、幻想だとしても。
機能的ではないので和服は減っては行きますが、まだまだ卒業式・成人式・結婚式などに根強く残って行くだろうという、ひまわりさんの見方は正鵠を得ていると思います。特に、女性の和服に関しては。
温故知新、伝統的なものの魅力も感じるし、新しいものも好きってことで。
そもそも、ファッションなんて、機能性一辺倒、合理性一辺倒、効率性一辺倒は嫌じゃないですか。国民服や人民服じゃあるまいし。
ただ、伝統嫌いの方に押し付けようとする気は毛頭なくて、ものは相談ですが、お近くの方で、浴衣美人と花火大会に行くとか、和服美人と初詣に行くとかの機会に恵まれたが、伝統との共存は御免蒙りたいという方がいらっしゃいましたら、お気軽にお譲り下さい。伝統尊重派の私メが立派に代役を務めさせて頂きますです。
あ、でも、ミニスカ合コンにも誘ってね。新しいものも大好きですんで。
でも、和服の女性もお淑やかさや奥ゆかしさにも、普段とは違った魅力を感じて、グッとくる。たとえ、幻想だとしても。
機能的ではないので和服は減っては行きますが、まだまだ卒業式・成人式・結婚式などに根強く残って行くだろうという、ひまわりさんの見方は正鵠を得ていると思います。特に、女性の和服に関しては。
温故知新、伝統的なものの魅力も感じるし、新しいものも好きってことで。
そもそも、ファッションなんて、機能性一辺倒、合理性一辺倒、効率性一辺倒は嫌じゃないですか。国民服や人民服じゃあるまいし。
ただ、伝統嫌いの方に押し付けようとする気は毛頭なくて、ものは相談ですが、お近くの方で、浴衣美人と花火大会に行くとか、和服美人と初詣に行くとかの機会に恵まれたが、伝統との共存は御免蒙りたいという方がいらっしゃいましたら、お気軽にお譲り下さい。伝統尊重派の私メが立派に代役を務めさせて頂きますです。
あ、でも、ミニスカ合コンにも誘ってね。新しいものも大好きですんで。
東大平行線さん
摂政ではなく生前退位とするのは陛下のご意向で
国民の圧倒的多数の支持に押されて
政府が段取りしたものです。
摂政より天皇のほうが儀式等の席次が有利で皇室外交が円滑
現職天皇の崩御は自粛ムードを呼び景気に悪影響
などです。
摂政ではなく生前退位とするのは陛下のご意向で
国民の圧倒的多数の支持に押されて
政府が段取りしたものです。
摂政より天皇のほうが儀式等の席次が有利で皇室外交が円滑
現職天皇の崩御は自粛ムードを呼び景気に悪影響
などです。
No title
ゆうじ さん
*陛下のご意向で
憲法第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
国事行為は憲法第七条で制限列挙してあります。
つまり、陛下のご意向が入り込む余地はないのです。皇室典範に、既に記載されていることが限界なのですよ。
皇室外交?は内閣の権限を越えるので、憲法上許容する余地はない。
崩御は自粛する方がおかしいだけです。新天皇をお迎えできるのですからネ。
*陛下のご意向で
憲法第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
国事行為は憲法第七条で制限列挙してあります。
つまり、陛下のご意向が入り込む余地はないのです。皇室典範に、既に記載されていることが限界なのですよ。
皇室外交?は内閣の権限を越えるので、憲法上許容する余地はない。
崩御は自粛する方がおかしいだけです。新天皇をお迎えできるのですからネ。
シンボルは大事よ
私が、年齢による衰えを感じて、いつ弁護士を引退すべきかは私以外の誰が決められるでしょう。
陛下が、年齢による衰えを感じて、象徴としての務めを果たせなくなるという判断は、御病気以外では、御本人以外の誰ができるというのでしょう。
復代理で良かろうと言われても、復代理にしてもらうしかなくなっても、尚、弁護士に留まるべきかは私が決めること。
寝たきり天皇や、植物人間天皇であっても、国民の目に姿を見せず、崩御したとき、80過ぎの皇太子が即位することで、あるべき象徴天皇の役割が果たせるのかどうかは陛下御自身以外に誰が判断できるというのでしょう。
人間を象徴とするということは、それそれの人格が反映されるということ。昭和でも平成でも令和でも同じだアとはならないのは当然ではありませんか。旗をシンボルにするのとは訳が違います。
天皇に国政に関する権能がないということは、例えば、原発の賛否とか米軍基地問題とかは主権者である国民が決めることであって、天皇が意見を述べることはできませんが、いつ引退するかとか、誰と結婚するかとかは、御本人の意思を国民が最大限に尊重するのは当然でしょう。
愛する人と一緒にさせないなんて、本当に女性皇族の人権を尊重する立場からは出ないでしょう。
結婚には当事者の意思が大切だと思いますので、姉の意思が叶うようにと思っておりますという佳子様と意見が合うなあ、ボク。
国民主権のもとで、皇室典範の改正等の法改正が必要ですので、国民の側で陛下のお気持ちを尊重して退位が実現したのは何よりです。
十字架はキリスト教のシンボルですが、十字架をシンボルに過ぎないと言うクリスチャンはいません。シンボルって、大切なものなのです。
私の好きな法格言に、「シンボルを軽んずるものは、年老いて男のシンボルに泣く。」というのがあります。ギリシャの法哲学者バイアグラだったかと思いますが。
ノーベル賞授与の際にスウェーデン王室が外交的な役割りを果たしていないか、エリザベス女王がイギリス外交に影響を与えていないか、現実を見れば、後期立憲君主制の君主にも外交的な役割りがあることは明らかであり、日本の天皇だけにはないとしたがる人達は、ものの見方がイデオロギーで既に色づけられてしまっているのではないのかなあ。
陛下が、年齢による衰えを感じて、象徴としての務めを果たせなくなるという判断は、御病気以外では、御本人以外の誰ができるというのでしょう。
復代理で良かろうと言われても、復代理にしてもらうしかなくなっても、尚、弁護士に留まるべきかは私が決めること。
寝たきり天皇や、植物人間天皇であっても、国民の目に姿を見せず、崩御したとき、80過ぎの皇太子が即位することで、あるべき象徴天皇の役割が果たせるのかどうかは陛下御自身以外に誰が判断できるというのでしょう。
人間を象徴とするということは、それそれの人格が反映されるということ。昭和でも平成でも令和でも同じだアとはならないのは当然ではありませんか。旗をシンボルにするのとは訳が違います。
天皇に国政に関する権能がないということは、例えば、原発の賛否とか米軍基地問題とかは主権者である国民が決めることであって、天皇が意見を述べることはできませんが、いつ引退するかとか、誰と結婚するかとかは、御本人の意思を国民が最大限に尊重するのは当然でしょう。
愛する人と一緒にさせないなんて、本当に女性皇族の人権を尊重する立場からは出ないでしょう。
結婚には当事者の意思が大切だと思いますので、姉の意思が叶うようにと思っておりますという佳子様と意見が合うなあ、ボク。
国民主権のもとで、皇室典範の改正等の法改正が必要ですので、国民の側で陛下のお気持ちを尊重して退位が実現したのは何よりです。
十字架はキリスト教のシンボルですが、十字架をシンボルに過ぎないと言うクリスチャンはいません。シンボルって、大切なものなのです。
私の好きな法格言に、「シンボルを軽んずるものは、年老いて男のシンボルに泣く。」というのがあります。ギリシャの法哲学者バイアグラだったかと思いますが。
ノーベル賞授与の際にスウェーデン王室が外交的な役割りを果たしていないか、エリザベス女王がイギリス外交に影響を与えていないか、現実を見れば、後期立憲君主制の君主にも外交的な役割りがあることは明らかであり、日本の天皇だけにはないとしたがる人達は、ものの見方がイデオロギーで既に色づけられてしまっているのではないのかなあ。
だから伝統の好き嫌いじゃないんですよ
どうも伝統が好き嫌いとかいう風に区別されているというのもおかしいと思うんです。
私は歴史や地理が大好きですので、古い寺社を含む伝統的建築物および伝統的建造物群保存地区などを訪れるのも好きです。
衣食住など民俗的考古資料などを見聞するのも同じです。
そういう歴史に関する考察を踏まえて考えると、ここで皆さんがおっしゃっている和服洋服や墓や戒名などという事は、現代でいうところの『伝統』であって、数百年あるいはそれ以前において庶民などが生活で連綿と必要としてきたものではないと思うのです。
和服とか洋服とかいう以前に必需品としての衣料ですね。
圧倒的多数であったお百姓さんが着ていた粗末な木綿の着物こそ伝統であったと考えれば、現代において高額の商品として着る和服が伝統の代名詞となる事をもって、伝統の好き嫌いとかを決める事の不自然さを理解できると思います。
その必需品としての衣料の歴史のなかで和服が廃れて洋服になって行くのは時の流れ、まさに歴史における必要性からであって、現代において和服が好きとか嫌いとかいう様な次元を超えた話だということです。
また衣料は流行りすたりを伴い、それが現代でいうファッションですが、どの様な服を着るのも自由という事と、制度としての元号や天皇制の違いを理解しないと妙な伝統保持が排他的な風潮の中で伝統に名を借りたイデオロギーの押し付けになるという事も理解できるように思います。
私は歴史や地理が大好きですので、古い寺社を含む伝統的建築物および伝統的建造物群保存地区などを訪れるのも好きです。
衣食住など民俗的考古資料などを見聞するのも同じです。
そういう歴史に関する考察を踏まえて考えると、ここで皆さんがおっしゃっている和服洋服や墓や戒名などという事は、現代でいうところの『伝統』であって、数百年あるいはそれ以前において庶民などが生活で連綿と必要としてきたものではないと思うのです。
和服とか洋服とかいう以前に必需品としての衣料ですね。
圧倒的多数であったお百姓さんが着ていた粗末な木綿の着物こそ伝統であったと考えれば、現代において高額の商品として着る和服が伝統の代名詞となる事をもって、伝統の好き嫌いとかを決める事の不自然さを理解できると思います。
その必需品としての衣料の歴史のなかで和服が廃れて洋服になって行くのは時の流れ、まさに歴史における必要性からであって、現代において和服が好きとか嫌いとかいう様な次元を超えた話だということです。
また衣料は流行りすたりを伴い、それが現代でいうファッションですが、どの様な服を着るのも自由という事と、制度としての元号や天皇制の違いを理解しないと妙な伝統保持が排他的な風潮の中で伝統に名を借りたイデオロギーの押し付けになるという事も理解できるように思います。
人が大切にしているのもを「胡散臭くて仕方がない」xtuteと言い放すこと自体が感情的なんですよ。
私が伝統文化を大切にしたいと個人的な見解を言っているそのそばから
>伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。そこにあるのは思考停止のみ、
とはあまりにも失礼ではないですか?私はいつ同じような言い方で先生の価値観を否定しましたか?
>私は、感情論ではありませんよ。元号の政治利用の問題を論じているんですから
↑あれあれ、さんざん伝統文化を否定していたのに?
政治利用の問題というのなら政治利用している者をバッシングすればいいだけですよね。
なぜ元号までバッシングするんですか?
このエントリーのタイトルは 元号よ、さようなら、で締めくくってますよ?
>伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。そこにあるのは思考停止のみ、
とはあまりにも失礼ではないですか?私はいつ同じような言い方で先生の価値観を否定しましたか?
>私は、感情論ではありませんよ。元号の政治利用の問題を論じているんですから
↑あれあれ、さんざん伝統文化を否定していたのに?
政治利用の問題というのなら政治利用している者をバッシングすればいいだけですよね。
なぜ元号までバッシングするんですか?
このエントリーのタイトルは 元号よ、さようなら、で締めくくってますよ?
伝統って時間軸が無いんです。
伝統はその時代その時代の価値基準を何度も何度もくぐり抜けてきたんです。
これからもいろん時代をくぐり抜けていくでしでしょう。
古くさいとか使えないとか言われながらね。
そういうもんなんです。伝統というものは。
着物の価値だって今と昔では違うに決まっているではないですか。
何百年前と今とで価値観が同じだったら気持ち悪いですよ。
伝統の本筋の議論は我々だけの現代価値観だけで
何百年と続けていた伝統を断ち切ることの是非だと思います。
ただしそれには答えがありません。
なぜならこれらの議論もしょせん価値観の争いにすぎないのです。
つまり感情ですから公序良俗に抵触しなければどちらも正しいのです。
これが人間社会なんです。
>だから伝統の好き嫌いじゃないんですよ
↑いや、好き嫌いですよ。
>私は歴史や地理が大好きですので、古い寺社を含む伝統的建築物および
伝統的建造物群保存地区などを訪れるのも好きです。
それで良いではないですか。
十分に好きという感情にそって素直に行動しているではないですか。
人間が好き嫌いを超越したらそりゃ神の世界ですよ。
人間の行動原理を決めるものに好き嫌い以外何があります?
是非教えて欲しいものです。
これからもいろん時代をくぐり抜けていくでしでしょう。
古くさいとか使えないとか言われながらね。
そういうもんなんです。伝統というものは。
着物の価値だって今と昔では違うに決まっているではないですか。
何百年前と今とで価値観が同じだったら気持ち悪いですよ。
伝統の本筋の議論は我々だけの現代価値観だけで
何百年と続けていた伝統を断ち切ることの是非だと思います。
ただしそれには答えがありません。
なぜならこれらの議論もしょせん価値観の争いにすぎないのです。
つまり感情ですから公序良俗に抵触しなければどちらも正しいのです。
これが人間社会なんです。
>だから伝統の好き嫌いじゃないんですよ
↑いや、好き嫌いですよ。
>私は歴史や地理が大好きですので、古い寺社を含む伝統的建築物および
伝統的建造物群保存地区などを訪れるのも好きです。
それで良いではないですか。
十分に好きという感情にそって素直に行動しているではないですか。
人間が好き嫌いを超越したらそりゃ神の世界ですよ。
人間の行動原理を決めるものに好き嫌い以外何があります?
是非教えて欲しいものです。
ブレイク・タイム
時の支配
もともと元号というものは皇帝が時を支配するために生み出されたもの。
一人の人間の為に時間も最高の奉仕を行なう様に元号という制度となるべく命令されたものでしょう。
つまり最初から政治的なものとして創り出されたという事です。
それゆえに政治利用を免れるなどという事自体が有り得ないものだと理解するのが正しいと思います。
実際、元号がいつ変更され、どの様な名称でどの様に呼ぶのかなど元号の歴史においては常に一部の権力者の密室における秘儀として決められ実行されて来た。
今回もその例に違わなかったし、これからもそうです。
だから元号は伝統や文化などでは有り得ないし、強制しなければ全く意味が無い物なのだといえます。
その様な元号を現在と未来でも受け入れ称賛し続けるのかという事です。
一人の人間の為に時間も最高の奉仕を行なう様に元号という制度となるべく命令されたものでしょう。
つまり最初から政治的なものとして創り出されたという事です。
それゆえに政治利用を免れるなどという事自体が有り得ないものだと理解するのが正しいと思います。
実際、元号がいつ変更され、どの様な名称でどの様に呼ぶのかなど元号の歴史においては常に一部の権力者の密室における秘儀として決められ実行されて来た。
今回もその例に違わなかったし、これからもそうです。
だから元号は伝統や文化などでは有り得ないし、強制しなければ全く意味が無い物なのだといえます。
その様な元号を現在と未来でも受け入れ称賛し続けるのかという事です。
No title
一連のrotさんの見解に概ね、賛同出来ます。
>だから元号は伝統や文化などでは有り得ないし、強制しなければ全く意味が無い物なのだといえます。
ここはどうでしょうか。
元号を文化・伝統と見なすことまで否定出来るでしょうか?
ひとたび、文化というものが「権威」という衣をまとい、独占化・密室化され、
人に強要するようになったら、それはもう、文化の堕落というものでしょう。
「文化」ということが一種の「免罪符」や「自国の正当性」に利用されるとすれば、これは政治的にも歴史的にも問題です。
しかし、
堕落しようが、愚劣なものであろうが、時代遅れの産物となろうが、
まあ、文化は文化じゃないでしょうか。
イスラム諸国には我々の目には不当で愚劣としか思えないような文化・伝統があり、これらは強制であり、好き嫌いの選択の余地の無いものがあります。
それでも、文化は文化でしょう。
それゆえ、文化というのは「諸刃の剣」ですね。
>だから元号は伝統や文化などでは有り得ないし、強制しなければ全く意味が無い物なのだといえます。
ここはどうでしょうか。
元号を文化・伝統と見なすことまで否定出来るでしょうか?
ひとたび、文化というものが「権威」という衣をまとい、独占化・密室化され、
人に強要するようになったら、それはもう、文化の堕落というものでしょう。
「文化」ということが一種の「免罪符」や「自国の正当性」に利用されるとすれば、これは政治的にも歴史的にも問題です。
しかし、
堕落しようが、愚劣なものであろうが、時代遅れの産物となろうが、
まあ、文化は文化じゃないでしょうか。
イスラム諸国には我々の目には不当で愚劣としか思えないような文化・伝統があり、これらは強制であり、好き嫌いの選択の余地の無いものがあります。
それでも、文化は文化でしょう。
それゆえ、文化というのは「諸刃の剣」ですね。
No title
御新茶磨 さん
*私が、年齢による衰えを感じて、いつ弁護士を引退すべきかは私以外の誰が決められるでしょう。
ご心配は無用です。
弁護士本人は決める必要がありません。
すべて依頼者の存在及び事務所の経費負担が決めてくれます。
依頼者に期待されないで、事務所を維持しているのは趣味の問題領域でしょう。
事務所の経費負担に耐えられなくなるときが辞める時です。
*私が、年齢による衰えを感じて、いつ弁護士を引退すべきかは私以外の誰が決められるでしょう。
ご心配は無用です。
弁護士本人は決める必要がありません。
すべて依頼者の存在及び事務所の経費負担が決めてくれます。
依頼者に期待されないで、事務所を維持しているのは趣味の問題領域でしょう。
事務所の経費負担に耐えられなくなるときが辞める時です。
No title
*寝たきり天皇や、植物人間天皇であっても、国民の目に姿を見せず、崩御したとき、80過ぎの皇太子が即位することで、あるべき象徴天皇の役割が果たせるのかどうかは陛下御自身以外に誰が判断できるというのでしょう。
生物である人間を象徴とした時から、その衰え、介護生活、死にざまそれらすべてが象徴なのですよ。
幼少時の可愛さ、青年期のりりしさ、壮年期の逞しさそして老年期の衰え俺らすべてが日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。
足腰立たなくても生活は面倒見ていますから政治に利用されるようなことだけは禁止というのが憲法の趣旨でしょう。
勝手に象徴という地位をやめる選択はできないのです。
生物である人間を象徴とした時から、その衰え、介護生活、死にざまそれらすべてが象徴なのですよ。
幼少時の可愛さ、青年期のりりしさ、壮年期の逞しさそして老年期の衰え俺らすべてが日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。
足腰立たなくても生活は面倒見ていますから政治に利用されるようなことだけは禁止というのが憲法の趣旨でしょう。
勝手に象徴という地位をやめる選択はできないのです。
No title
*現実を見れば、後期立憲君主制の君主にも外交的な役割りがあることは明らか
イギリスの王室外交は、現在も莫大な資産家として存続し続けているから、事実上外国に資産家として交流ができるということでしょう。
日本の天皇はもはや当時の資産家ではありません。相続税額を見れば微々たるものです。それを国税で世界に伍する資産家のように振る舞わせる政治利用こそが天皇制でしょう。
国有地の一部を皇室用資産として利用させ特別扱いして、毎年税金から品位を保つためのという名目で給付されるのが皇室経済法。
最早、イギリス王室と比べるのも恥ずかしい非資産家天皇
イギリスの王室外交は、現在も莫大な資産家として存続し続けているから、事実上外国に資産家として交流ができるということでしょう。
日本の天皇はもはや当時の資産家ではありません。相続税額を見れば微々たるものです。それを国税で世界に伍する資産家のように振る舞わせる政治利用こそが天皇制でしょう。
国有地の一部を皇室用資産として利用させ特別扱いして、毎年税金から品位を保つためのという名目で給付されるのが皇室経済法。
最早、イギリス王室と比べるのも恥ずかしい非資産家天皇
No title
東大さん
>*そういう人からモノを貰って後が恐くなかったのですか?
大丈夫ですよ。私も人を見る目がありますからネ。
↑
そうですか。
東大さんってモノをくれる人に弱そうですね。
純粋な性格のようですから私も是非奢りたいです。
>*そういう人からモノを貰って後が恐くなかったのですか?
大丈夫ですよ。私も人を見る目がありますからネ。
↑
そうですか。
東大さんってモノをくれる人に弱そうですね。
純粋な性格のようですから私も是非奢りたいです。
片割月さん
>堕落しようが、愚劣なものであろうが、時代遅れの産物となろうが、
>まあ、文化は文化じゃないでしょうか。
>それゆえ、文化というのは「諸刃の剣」ですね。
その通りですね。
何でもそうですが個人的価値観から離れることが出来なかったり
悪意を持って見てしまえばそれなりにしかみえませんものね。
そもそも時間軸のない伝統文化に対し、
我々の時代が絶対的価値観であると決めつけるのもなんだかおこがましい気がします。
伝統文化は思考停止だ!と切り捨てるのも知識に左右されやすい人間の性かもしれません。
元号は権力の象徴であり伝統や文化などでは有り得ない!
などと現代人にボロクソに言われるのも伝統・文化のもつ運命なのです。
昔からその時代時代の価値観の評価を受けながら今に至るのです。
伝統文化ってかわいいヤツなんですよ。
カリカリせずもっと視野を広げて伝統文化を覗いてみ手ください。
現代社会は合理性や打算的なそんな利害関係で埋もれた世知辛い社会です。
肩の力を抜きたまにはイデオロギーを横に置いてもいいではないですか。
きっと安らぎを感じることも有ると思いますよ。
それが伝統文化なんです。決して論争の具ではないんです。
イデオロギーって自分が正しい、自分が正しい、なんです。
だから争うのです。
自分が正しい、自分が正しい、というイデオロギーや宗教が今まで戦争を巻き起こしてきたのです。
ここのブログでもまったく同じ事が行なわれています。
イデオロギーや宗教を瞬時でも忘れることができたらいいですね。
各自の色眼鏡で伝統文化を見るから権力の権化だ、旧日本軍の復活だ、
過去に留まった思考停止な産物だ、となるのです。
私のような保守は伝統文化を必要以上に絶賛したりはしません。
人々が大切に思ってきた価値観をひとまず尊重して欲しい。
伝統文化をそのように見て欲しいと願うだけです。
片割月さん、食わず嫌いはやめてかわいがってあげてください(笑)
>まあ、文化は文化じゃないでしょうか。
>それゆえ、文化というのは「諸刃の剣」ですね。
その通りですね。
何でもそうですが個人的価値観から離れることが出来なかったり
悪意を持って見てしまえばそれなりにしかみえませんものね。
そもそも時間軸のない伝統文化に対し、
我々の時代が絶対的価値観であると決めつけるのもなんだかおこがましい気がします。
伝統文化は思考停止だ!と切り捨てるのも知識に左右されやすい人間の性かもしれません。
元号は権力の象徴であり伝統や文化などでは有り得ない!
などと現代人にボロクソに言われるのも伝統・文化のもつ運命なのです。
昔からその時代時代の価値観の評価を受けながら今に至るのです。
伝統文化ってかわいいヤツなんですよ。
カリカリせずもっと視野を広げて伝統文化を覗いてみ手ください。
現代社会は合理性や打算的なそんな利害関係で埋もれた世知辛い社会です。
肩の力を抜きたまにはイデオロギーを横に置いてもいいではないですか。
きっと安らぎを感じることも有ると思いますよ。
それが伝統文化なんです。決して論争の具ではないんです。
イデオロギーって自分が正しい、自分が正しい、なんです。
だから争うのです。
自分が正しい、自分が正しい、というイデオロギーや宗教が今まで戦争を巻き起こしてきたのです。
ここのブログでもまったく同じ事が行なわれています。
イデオロギーや宗教を瞬時でも忘れることができたらいいですね。
各自の色眼鏡で伝統文化を見るから権力の権化だ、旧日本軍の復活だ、
過去に留まった思考停止な産物だ、となるのです。
私のような保守は伝統文化を必要以上に絶賛したりはしません。
人々が大切に思ってきた価値観をひとまず尊重して欲しい。
伝統文化をそのように見て欲しいと願うだけです。
片割月さん、食わず嫌いはやめてかわいがってあげてください(笑)
No title
あの~、失礼とは思いますが、「意義」でなく「異議」なのではありませんか。
「意義」では肯定的な意味になってしまうと思うのですけど...!?
「意義」では肯定的な意味になってしまうと思うのですけど...!?
No title
この場合は猪野さんではなく政権側の意義ですね。
元号で天皇制を国民に強制するのが政権側の狙い、つまり意義ですね。
元号で天皇制を国民に強制するのが政権側の狙い、つまり意義ですね。
No title
そうです。その「意義」です。
確かに、私も自分自身で読み返したとき、誤字かと思ってしまったのですが、誤字ではなくて「意義」なんです。
確かに、私も自分自身で読み返したとき、誤字かと思ってしまったのですが、誤字ではなくて「意義」なんです。
↑
上の御新茶磨さんのシンボルに関する見解は極めて妥当。
これが唯物論者の左翼や、唯物論者を演じている左翼には解らない。・・・というか解らないフリをして、己すら騙している。
だから元号肯定派と否定派の間で議論が成立しない。
近視眼的な合理性(作業の効率化)は元号否定の論拠としては弱い。合理性は個別最適に過ぎない。
また、合理性は生産力の拡大を目的とするわけだが、この目的ですら(価値観によっては)個別最適に過ぎない。
もちろん元号肯定派は「暦」という重大ミームの破棄が全体最適に資するとは思っていない。
元号否定派はもっと素直に本音を書けば良い。
「日本文明の中核であり国民と国家の象徴である天皇を断固否定したい。」
「ひいては天皇そのもの、あるいは天皇から発し、天皇に列なる全てのミームを断ち切りたい。」
ってね。
すなわち本件は、革命の残滓たる「反天皇」連と、ひまわりさんのような「日本大好きマン」「力と心を合わせて頑張ろうマン」の衝突って事。
(まあ片割月さんに関しては、単に自分の仕事に邪魔だからってのと、アンチネトウヨ精神でバイアスかかって元号を嫌っているんだろうけど)
尚、共産党ほか左翼諸君が繰り返す「時の支配」なる言説に関しては、「支配と被支配」という左翼特有の二原論的世界観に基づくもので、現代においてはもはや言及に値しない。
この手の「被支配被害者意識」は欧米グローバル資本にぶつけた方が建設的だろうよ。
これが唯物論者の左翼や、唯物論者を演じている左翼には解らない。・・・というか解らないフリをして、己すら騙している。
だから元号肯定派と否定派の間で議論が成立しない。
近視眼的な合理性(作業の効率化)は元号否定の論拠としては弱い。合理性は個別最適に過ぎない。
また、合理性は生産力の拡大を目的とするわけだが、この目的ですら(価値観によっては)個別最適に過ぎない。
もちろん元号肯定派は「暦」という重大ミームの破棄が全体最適に資するとは思っていない。
元号否定派はもっと素直に本音を書けば良い。
「日本文明の中核であり国民と国家の象徴である天皇を断固否定したい。」
「ひいては天皇そのもの、あるいは天皇から発し、天皇に列なる全てのミームを断ち切りたい。」
ってね。
すなわち本件は、革命の残滓たる「反天皇」連と、ひまわりさんのような「日本大好きマン」「力と心を合わせて頑張ろうマン」の衝突って事。
(まあ片割月さんに関しては、単に自分の仕事に邪魔だからってのと、アンチネトウヨ精神でバイアスかかって元号を嫌っているんだろうけど)
尚、共産党ほか左翼諸君が繰り返す「時の支配」なる言説に関しては、「支配と被支配」という左翼特有の二原論的世界観に基づくもので、現代においてはもはや言及に値しない。
この手の「被支配被害者意識」は欧米グローバル資本にぶつけた方が建設的だろうよ。
No title
片割月さん、概ね賛同できると書いてくださってありがとうございます。<(_ _ )> <(_ _)>
伝統や文化というものにどの様な立場で対処すべきかについて考える事は難しいです。
文化を人間の営み全体や、それに関係するものまで含めると、とても広い概念になると同時に極めて狭い事物に対しても使われるという事も原因だと思います。
それでも文化という言葉、概念は総体的に進歩を表す、立派なものとして認識されているものであると言えるでしょう。
日本の歴史において縄文文化、弥生文化など時代区分の定義と一致する様な認識で使われると同時に、個人や分野において作り出される物や様式も文化として認識されます。
憲法にも、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。という条項がある様に文化的である事は好ましく文化は欠くべからざるものとされています。
伝統については文化と結びつく場合もあれば、別個の一つの概念として使われる場合も少なくないと思います。
言葉として使うのは自由ですから『我が家の伝統』とか『我がクラブの伝統』とか、巨人対阪神を『伝統の一戦』とか呼んだりします。
祇園祭とか歌舞伎、相撲など伝統行事、伝統芸能であり文化としても認識される場合も含めて伝統と文化について私なりに考えると、
人間社会というものは、常に新しいものを生み出し続けている事が決定的な特徴であり本質ではないかと思うのです。
そういう事を前提にすれば常に新しいものが生み出されている社会においては、古い価値観や発想の下で作られて生み出されてきた古いものがそのまますべて、新しく生み出されてきたものと並立し続けることは不可能なことであり、それを無視して社会とそこで生きる人間に甚だしい損失を与え続けて社会に放置することが伝統文化の名の下に許されるのかという議論が必要だと思います。
この様な考えが、元号や天皇制こそ伝統であり、文化的な価値を持つとする人達からすればイデオロギーにもとづく元号や天皇制の伝統破壊と映るのでしょう。
しかし私は伝統破壊に該当せず、人間は歴史において間違いなくこの事を前提にしてきたし、これからも前提にし続けると考えます。
人間の歴史が停滞と思考停止を容認していると看做さない限り、急進的で粗暴なイデオロギーなどではなく人間の進歩についての常識的概念として受け入れられてきたのだと考えます。
もし片割月さんの言われる堕落した愚劣な文化に発言を求めたら間違いなく『我こそ一番大切な護るべき伝統文化である』と強烈に自己主張すると想像できます。
そういう事も文化という概念が人間そのものと同じくらい幅広い概念として存在し、認識されるものである故に成立するのだと思います。
伝統や文化というものにどの様な立場で対処すべきかについて考える事は難しいです。
文化を人間の営み全体や、それに関係するものまで含めると、とても広い概念になると同時に極めて狭い事物に対しても使われるという事も原因だと思います。
それでも文化という言葉、概念は総体的に進歩を表す、立派なものとして認識されているものであると言えるでしょう。
日本の歴史において縄文文化、弥生文化など時代区分の定義と一致する様な認識で使われると同時に、個人や分野において作り出される物や様式も文化として認識されます。
憲法にも、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。という条項がある様に文化的である事は好ましく文化は欠くべからざるものとされています。
伝統については文化と結びつく場合もあれば、別個の一つの概念として使われる場合も少なくないと思います。
言葉として使うのは自由ですから『我が家の伝統』とか『我がクラブの伝統』とか、巨人対阪神を『伝統の一戦』とか呼んだりします。
祇園祭とか歌舞伎、相撲など伝統行事、伝統芸能であり文化としても認識される場合も含めて伝統と文化について私なりに考えると、
人間社会というものは、常に新しいものを生み出し続けている事が決定的な特徴であり本質ではないかと思うのです。
そういう事を前提にすれば常に新しいものが生み出されている社会においては、古い価値観や発想の下で作られて生み出されてきた古いものがそのまますべて、新しく生み出されてきたものと並立し続けることは不可能なことであり、それを無視して社会とそこで生きる人間に甚だしい損失を与え続けて社会に放置することが伝統文化の名の下に許されるのかという議論が必要だと思います。
この様な考えが、元号や天皇制こそ伝統であり、文化的な価値を持つとする人達からすればイデオロギーにもとづく元号や天皇制の伝統破壊と映るのでしょう。
しかし私は伝統破壊に該当せず、人間は歴史において間違いなくこの事を前提にしてきたし、これからも前提にし続けると考えます。
人間の歴史が停滞と思考停止を容認していると看做さない限り、急進的で粗暴なイデオロギーなどではなく人間の進歩についての常識的概念として受け入れられてきたのだと考えます。
もし片割月さんの言われる堕落した愚劣な文化に発言を求めたら間違いなく『我こそ一番大切な護るべき伝統文化である』と強烈に自己主張すると想像できます。
そういう事も文化という概念が人間そのものと同じくらい幅広い概念として存在し、認識されるものである故に成立するのだと思います。
No title
ひまわりさん。
私はこう見えても、日本書紀、古事記、万葉集、古今和歌集、源氏物語を愛好している人間なんですよ。
奈良の寺院や比叡山をお参りすることもしばしば。
能や歌舞伎を鑑賞したこともあります。
これでも、日本文化に浸かっている方だと思います。
現代あたりなら、川端康成や三島由紀夫も好きです。
イデオロギーとおっしゃいますが、
私、自分にイデオロギーなどというご大層なものは無いと思っています。
イデオロギーがあるのは、むしろ、ひまわりさんの方では?
猪野様のブログでこんなことを言うのは申し訳ありませんが、
ひまわりさんにお時間があれば、
私のブログをお読み頂ければ幸いです。
いや、無理して読むことはありませんが。大したブログでもありませんので。
しかし、ひまわりさんと、こちらの投稿欄でアレコレと議論するには、
連投につぐ連投によるコメントをしなければ
とても、コミュニケーションになりそうもありませんね。
私はこう見えても、日本書紀、古事記、万葉集、古今和歌集、源氏物語を愛好している人間なんですよ。
奈良の寺院や比叡山をお参りすることもしばしば。
能や歌舞伎を鑑賞したこともあります。
これでも、日本文化に浸かっている方だと思います。
現代あたりなら、川端康成や三島由紀夫も好きです。
イデオロギーとおっしゃいますが、
私、自分にイデオロギーなどというご大層なものは無いと思っています。
イデオロギーがあるのは、むしろ、ひまわりさんの方では?
猪野様のブログでこんなことを言うのは申し訳ありませんが、
ひまわりさんにお時間があれば、
私のブログをお読み頂ければ幸いです。
いや、無理して読むことはありませんが。大したブログでもありませんので。
しかし、ひまわりさんと、こちらの投稿欄でアレコレと議論するには、
連投につぐ連投によるコメントをしなければ
とても、コミュニケーションになりそうもありませんね。
↑
イデオロギーを持たない人間など居ない。
AIですらイデオロギーを持っていると言っても過言ではない。
それで全く構わない。
問題は、
自分がイデオロギーを持っている事に無自覚であること、
自分のイデオロギーを絶対的と思い込むこと、
イデオロギーの鋳型により非論理的レベルで現実認知を歪めること。
だろう。
AIですらイデオロギーを持っていると言っても過言ではない。
それで全く構わない。
問題は、
自分がイデオロギーを持っている事に無自覚であること、
自分のイデオロギーを絶対的と思い込むこと、
イデオロギーの鋳型により非論理的レベルで現実認知を歪めること。
だろう。
rotさん 片割月さん
お二人が神社や万葉集を好んでいらっしゃることを聞きとてもうれしく思います。
そんなお二人にお聞きします。
元号や天皇制ってイデオロギーなんですか?
片割月さんのブログも拝見したいです。
もし差し支えなければブログ名を教えていただけますか。
そんなお二人にお聞きします。
元号や天皇制ってイデオロギーなんですか?
片割月さんのブログも拝見したいです。
もし差し支えなければブログ名を教えていただけますか。
↑
>元号や天皇制ってイデオロギーなんですか?
勝手に横レス。
元号や天皇(天皇制って単語はあまり使いたくないが)は個々の文化単位であり、バラバラに肯定・否定している分には、その感情も含めてミームに過ぎない。
一方で系統立って一連のミームを肯定・否定しているなら、それはイデオロギーに基づく行動。
で、片割月氏はイデオロギーに基づいて元号を否定している訳ではない(あるいは革新系イデオロギーとは別のイデオロギーに基づいて元号を否定しているか。例えば合理至上イデオロギー)。
一方で猪野氏・rot氏・秋風亭氏らは革新系イデオロギーに基づいて天皇に結び付く一連の日本文化を否定している。
ちなみになごやん氏はキリスト教イデオロギーに基づいて元号を使用しないし、愛着もない。
で、私やひまわり氏は日本教イデオロギーに基づいて元号や天皇その他文化を尊重している(一定以上に尊重すべきと考えている)。
勝手に横レス。
元号や天皇(天皇制って単語はあまり使いたくないが)は個々の文化単位であり、バラバラに肯定・否定している分には、その感情も含めてミームに過ぎない。
一方で系統立って一連のミームを肯定・否定しているなら、それはイデオロギーに基づく行動。
で、片割月氏はイデオロギーに基づいて元号を否定している訳ではない(あるいは革新系イデオロギーとは別のイデオロギーに基づいて元号を否定しているか。例えば合理至上イデオロギー)。
一方で猪野氏・rot氏・秋風亭氏らは革新系イデオロギーに基づいて天皇に結び付く一連の日本文化を否定している。
ちなみになごやん氏はキリスト教イデオロギーに基づいて元号を使用しないし、愛着もない。
で、私やひまわり氏は日本教イデオロギーに基づいて元号や天皇その他文化を尊重している(一定以上に尊重すべきと考えている)。
私やボドサケラスさんは日本教イデオロギーなんですね。
私は正月の一般参賀に皇居で手や旗を振る一般庶民の方達と私らとは何も違わないと思います。
我々は個々の文化単位として皇室を認識している気がするからです。
もうすぐ新元号の式典が行なわれます。
たくさんの一般庶民がお祝いムードになるでしょう。
それらの方達と私らは何も違わないと思っています。
ただ元号や皇室を否定する意見を聞くとあまり良い気分にはなりません。
そこが日本教イデオロギーなんでしょうね。
しかし私たちとは真逆で今回のようなお祝いムードに気分を害している人もいるわけです。
おなじイデオロギーでも否定色が特徴であるイデオロギーです。
元号や天皇制というものは制度の一つという解釈で良いと思いますが
この制度をいくら否定したところで日本にいる間は何かしら目に触れてしまうでしょう。
自分はこれらの制度に肯定的なイデオロギーでいられて良かったと思います。
だって世の中に不満を抱きながら生きていくってなんか暗いですから。
やはり日本にとって皇室の存在はとても大きいのですね。
いろんな意味で。
ご指導ありがとうございます。
我々は個々の文化単位として皇室を認識している気がするからです。
もうすぐ新元号の式典が行なわれます。
たくさんの一般庶民がお祝いムードになるでしょう。
それらの方達と私らは何も違わないと思っています。
ただ元号や皇室を否定する意見を聞くとあまり良い気分にはなりません。
そこが日本教イデオロギーなんでしょうね。
しかし私たちとは真逆で今回のようなお祝いムードに気分を害している人もいるわけです。
おなじイデオロギーでも否定色が特徴であるイデオロギーです。
元号や天皇制というものは制度の一つという解釈で良いと思いますが
この制度をいくら否定したところで日本にいる間は何かしら目に触れてしまうでしょう。
自分はこれらの制度に肯定的なイデオロギーでいられて良かったと思います。
だって世の中に不満を抱きながら生きていくってなんか暗いですから。
やはり日本にとって皇室の存在はとても大きいのですね。
いろんな意味で。
ご指導ありがとうございます。
No title
>片割月さんのブログも拝見したいです。
もし差し支えなければブログ名を教えていただけますか。
ご本人からの紹介ではありませんが、私のブログの右欄のリンク先の中にあります。
もし差し支えなければブログ名を教えていただけますか。
ご本人からの紹介ではありませんが、私のブログの右欄のリンク先の中にあります。
陛下のお気持ちを尊重出来て何よりでしたね。
弁護士過剰の時代、確かに、老いよりも経済的逼迫の方が先に来るケースも増えては来るのだろうと思います。
でも、自由業って、いつまで続けるかの問題が付いて回るんですよ。最近も、盛りは過ぎていた歌手が何人か引退を宣言しました。食べて行けなくなった訳ではありませんが。逆に、オールドファン向けのコンサートを続け、懐メロ番組の常連で、可能な限り歌手を続けようとされている方もおられます。人それぞれの生き方ですよね。
仮に、事務所の経費が負担できるうちであっても、弁護士として相応しい職務が果たせなくなったと自覚したら身を引こうという考え方もあるのです。逆に、事務所が維持出来るだけの依頼者がある限り死ぬまで弁護士を続けるというのも一つの弁護士道なのでしょうし、各弁護士の考え方次第でしょう。
仮に、陛下が、死ぬまで象徴を続けるのが天皇の在り方であると仰っていたなら、私は異を唱えるつもりはありません。象徴としての天皇がどうあるべきかを日々陛下以上に考え抜かれた方はいないでしょうし、その結論に私如きが異を唱えるのは僭越ですもの。
しかし、陛下は退位すべきだと判断されました。これまでの陛下の生き方を見れば当然だと思いました。天皇制反対の人の中にも、陛下は好きと言いう人や、平和を愛するお言葉を引き継いで行きたいという人は多く、このような国民からの敬意を獲得して行かれたのは、災害に苦しむ人に寄り添い、ハンセン氏病などの差別で苦しむ人に寄り添い、激戦地などで戦没者を慰霊し、象徴としてのあるべき姿を示されることによってでした。そのようにされて来た陛下ですもの、象徴としての務めが果たせなくなる前に退位すべきだとお考えになったのは尤もと思いましたよ。
日頃保守を名乗る論客までが、死ぬまで天皇やっとれ論を唱えているのを見て、象徴としての天皇がどうあるべきかについて、日常、陛下以上に考えて来た自信でもあるのだろうか、保守を名乗る割に頭が高いナアと呆れました。彼らは、国民の多くが抱いている敬愛の情を共有しているのではなく、天皇の権威を政治的に利用したいだけのエセ保守なのですよ。
寝た切り天皇が20年続けば、二十歳の青年は天皇のお姿を見たことさえないことになります。それでは、陛下のあるべきとお考えになる象徴としての務めが果たせないことは明らかでしょう。代わりに摂政という人が、ようやく80歳前後で即位する場合の令和時代と、今の明るい令和時代への移行とを比べてみれば、どちらが良いかは明白で、その判断をなされた英明な象徴を戴くことができた国民の幸せを感じずにはいられません。
人道上も、80歳過ぎた自分の親が、もう引退したいと言うのに、死ぬまで働けというのは忍びない。退位が決まって、多くの国民が、お疲れさまでした、ありがとうございました、これからはお二人でお静かなお暮しをお楽しみ下さいという気持を抱いています。陛下と国民の相思相愛の幸せな関係が嬉しく、ありがたいなあと思うのです。
便利な西暦も利用したいけど、元号も残して行きたいという多くの国民の意思の根底には、天皇陛下や皇室に対するこのような気持ちがあるのです。
昭和を代表する歌手が美空ひばりであり、スターが石原裕次郎であり、野球選手がONであったように、平成を代表する歌手は誰か(聖子?ユーミン?)、野球選手はイチロー的な話題が盛り上がっています。一世一元によって、元号が時代を画する機能を持ちました。令和の生まれかあ、若いなあ、でも平成時代も良かったぞオなどと言う会話を、昭和の臭いがするオヤジギャグ世代が笑いを噛み殺して聞く時代も来るのでしょう。元号は我々の感性も豊かにしてくれますネ。
スウェーデン王室が、ノーベル賞受賞者を歓待して下さるのを見て、国家として最大の敬意を払ってくれているのだなあと思いました。王室に資産が如何ほどあるかなんて考えてないのが普通じゃないかしら。
民主党政権時代、習近平主席が天皇陛下との面会を求めたので、国の大小を差別せずに一定期間前に申し出てもらうという慣例を破ったことや、トランプ大統領も訪日時に陛下とお会いしたいと希望していることを見ればおわかりのように、皆さんお会いしたいのですよ、資産の大小なんかじゃありませんて。
でも、自由業って、いつまで続けるかの問題が付いて回るんですよ。最近も、盛りは過ぎていた歌手が何人か引退を宣言しました。食べて行けなくなった訳ではありませんが。逆に、オールドファン向けのコンサートを続け、懐メロ番組の常連で、可能な限り歌手を続けようとされている方もおられます。人それぞれの生き方ですよね。
仮に、事務所の経費が負担できるうちであっても、弁護士として相応しい職務が果たせなくなったと自覚したら身を引こうという考え方もあるのです。逆に、事務所が維持出来るだけの依頼者がある限り死ぬまで弁護士を続けるというのも一つの弁護士道なのでしょうし、各弁護士の考え方次第でしょう。
仮に、陛下が、死ぬまで象徴を続けるのが天皇の在り方であると仰っていたなら、私は異を唱えるつもりはありません。象徴としての天皇がどうあるべきかを日々陛下以上に考え抜かれた方はいないでしょうし、その結論に私如きが異を唱えるのは僭越ですもの。
しかし、陛下は退位すべきだと判断されました。これまでの陛下の生き方を見れば当然だと思いました。天皇制反対の人の中にも、陛下は好きと言いう人や、平和を愛するお言葉を引き継いで行きたいという人は多く、このような国民からの敬意を獲得して行かれたのは、災害に苦しむ人に寄り添い、ハンセン氏病などの差別で苦しむ人に寄り添い、激戦地などで戦没者を慰霊し、象徴としてのあるべき姿を示されることによってでした。そのようにされて来た陛下ですもの、象徴としての務めが果たせなくなる前に退位すべきだとお考えになったのは尤もと思いましたよ。
日頃保守を名乗る論客までが、死ぬまで天皇やっとれ論を唱えているのを見て、象徴としての天皇がどうあるべきかについて、日常、陛下以上に考えて来た自信でもあるのだろうか、保守を名乗る割に頭が高いナアと呆れました。彼らは、国民の多くが抱いている敬愛の情を共有しているのではなく、天皇の権威を政治的に利用したいだけのエセ保守なのですよ。
寝た切り天皇が20年続けば、二十歳の青年は天皇のお姿を見たことさえないことになります。それでは、陛下のあるべきとお考えになる象徴としての務めが果たせないことは明らかでしょう。代わりに摂政という人が、ようやく80歳前後で即位する場合の令和時代と、今の明るい令和時代への移行とを比べてみれば、どちらが良いかは明白で、その判断をなされた英明な象徴を戴くことができた国民の幸せを感じずにはいられません。
人道上も、80歳過ぎた自分の親が、もう引退したいと言うのに、死ぬまで働けというのは忍びない。退位が決まって、多くの国民が、お疲れさまでした、ありがとうございました、これからはお二人でお静かなお暮しをお楽しみ下さいという気持を抱いています。陛下と国民の相思相愛の幸せな関係が嬉しく、ありがたいなあと思うのです。
便利な西暦も利用したいけど、元号も残して行きたいという多くの国民の意思の根底には、天皇陛下や皇室に対するこのような気持ちがあるのです。
昭和を代表する歌手が美空ひばりであり、スターが石原裕次郎であり、野球選手がONであったように、平成を代表する歌手は誰か(聖子?ユーミン?)、野球選手はイチロー的な話題が盛り上がっています。一世一元によって、元号が時代を画する機能を持ちました。令和の生まれかあ、若いなあ、でも平成時代も良かったぞオなどと言う会話を、昭和の臭いがするオヤジギャグ世代が笑いを噛み殺して聞く時代も来るのでしょう。元号は我々の感性も豊かにしてくれますネ。
スウェーデン王室が、ノーベル賞受賞者を歓待して下さるのを見て、国家として最大の敬意を払ってくれているのだなあと思いました。王室に資産が如何ほどあるかなんて考えてないのが普通じゃないかしら。
民主党政権時代、習近平主席が天皇陛下との面会を求めたので、国の大小を差別せずに一定期間前に申し出てもらうという慣例を破ったことや、トランプ大統領も訪日時に陛下とお会いしたいと希望していることを見ればおわかりのように、皆さんお会いしたいのですよ、資産の大小なんかじゃありませんて。
文化についても一言
お城には国宝になっているものが幾つもあって、外人さんを含め多くの観光客が訪れます。武士という支配階級用の建造物だったということは、その勇壮な美しさや歴史の重みとは無関係でしょう。
刀剣乱舞というゲームや劇が流行っているそうですが、日本刀の美しさや伝統的な技術の価値も、権力者の戦争の道具であったからと言って損なわれるものではないでしょう。
外人観光客がきれいな和服を着て写真を撮りたがるのも、日本人が外国に行けば、チャイナ服やアオザイを着てみたいのと同じで、その国の美しい文化に触れてみたいのですよ。去年のタイ旅行でも、ガイドブックには、タイの民族衣装を着て写真撮影ができますよという記事が載ってました。こういうのに、男向けの記事ってないですよね。日本だと、侍や忍者のコスプレがありますけれど。
誰だって、美しいものが好きだし、その国の歴史・伝統に触れてみたいのは当たり前です。数が多かったからと言って百姓の野良着を着てみたい人は物好きでしょう。
物事を素直に見れば当たり前なのに、和服の伝統文化を否定して、お百姓さんが着ていた粗末な木綿の着物こそ伝統などと論じたがるのを見ると、ありのままを見た上で価値判断をするのではなくて、人民こそがというイデオロギーを通してしかものを見れなくなってしまってはいないかなあと感じてしまうのですよ。
タージマハールも、万里の長城も、アンコール・ワットも、スフインクスも、凱旋門も、当時の権力者が作ったものではありますが、美しく歴史の重みを感じさせます。
王家や貴族が用いた装身具や衣装にも伝統や文化が現れているように、大名や皇室の衣装や道具も同じでしょうに、日本だけは違うとはおっしゃらないでしょう。
和服には和服の美しさがあり、実用性の点で洋服に凌駕されて行くならそれまでのこと、現在、着る場面があるのだから、それを愛でればよいだけのこと。どうしても、どんな美人でも和服姿には耐えがたいという向きにまで押し付ける気はありませんので、遠慮なく私にピンチヒッターを頼んでくれればいいだけのことなのにイ~。
三郎四郎さん、シンボルについての法格言を御存知とはサスガ。
それはそうと、このサイト、女性の投稿が少ないのは、下ネタオジサンが時々出没するからなのか、論争に用いる言葉がキツ過ぎて、ジェントルマンの集まりだとはレディーに思って頂けないのか。和服もミニスカートも好きなのだけれど。
刀剣乱舞というゲームや劇が流行っているそうですが、日本刀の美しさや伝統的な技術の価値も、権力者の戦争の道具であったからと言って損なわれるものではないでしょう。
外人観光客がきれいな和服を着て写真を撮りたがるのも、日本人が外国に行けば、チャイナ服やアオザイを着てみたいのと同じで、その国の美しい文化に触れてみたいのですよ。去年のタイ旅行でも、ガイドブックには、タイの民族衣装を着て写真撮影ができますよという記事が載ってました。こういうのに、男向けの記事ってないですよね。日本だと、侍や忍者のコスプレがありますけれど。
誰だって、美しいものが好きだし、その国の歴史・伝統に触れてみたいのは当たり前です。数が多かったからと言って百姓の野良着を着てみたい人は物好きでしょう。
物事を素直に見れば当たり前なのに、和服の伝統文化を否定して、お百姓さんが着ていた粗末な木綿の着物こそ伝統などと論じたがるのを見ると、ありのままを見た上で価値判断をするのではなくて、人民こそがというイデオロギーを通してしかものを見れなくなってしまってはいないかなあと感じてしまうのですよ。
タージマハールも、万里の長城も、アンコール・ワットも、スフインクスも、凱旋門も、当時の権力者が作ったものではありますが、美しく歴史の重みを感じさせます。
王家や貴族が用いた装身具や衣装にも伝統や文化が現れているように、大名や皇室の衣装や道具も同じでしょうに、日本だけは違うとはおっしゃらないでしょう。
和服には和服の美しさがあり、実用性の点で洋服に凌駕されて行くならそれまでのこと、現在、着る場面があるのだから、それを愛でればよいだけのこと。どうしても、どんな美人でも和服姿には耐えがたいという向きにまで押し付ける気はありませんので、遠慮なく私にピンチヒッターを頼んでくれればいいだけのことなのにイ~。
三郎四郎さん、シンボルについての法格言を御存知とはサスガ。
それはそうと、このサイト、女性の投稿が少ないのは、下ネタオジサンが時々出没するからなのか、論争に用いる言葉がキツ過ぎて、ジェントルマンの集まりだとはレディーに思って頂けないのか。和服もミニスカートも好きなのだけれど。
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猪野様、ありがとうございますm(__)m
コメント欄の右下にある「片割月」の右にある「URL」
にポイントを当てれば青く光りますので、
そこをクリックすればブログに跳びます。
これは他の投稿者様の中にも時々その例がありますね。
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これは他の投稿者様の中にも時々その例がありますね。
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文化や伝統に触れてみたい、との個人的な素朴な思いと、
国が特定の文化・伝統を国民に強制する問題とは、全く別の次元のこと。
国が特定の文化・伝統を国民に強制する問題とは、全く別の次元のこと。
月とすっぽん
タージマハールも、万里の長城も、アンコール・ワットも、スフインクスも、凱旋門も、当時の権力者がいなくなったから自由に観光や研究で出入りできるようになったんじゃないかなあと。
武士がいまでも住んでたらお城の天守閣に登れるかなあと。
王家や貴族が用いた装身具や衣装も昔のままの社会だったら、よく似た物を着たり身に着けられたかなあと。
木綿の着物だってありのままの文化だなあと。
美しい歴史の重みを楽しく感じられる世の中ってやっぱりなあと。
武士がいまでも住んでたらお城の天守閣に登れるかなあと。
王家や貴族が用いた装身具や衣装も昔のままの社会だったら、よく似た物を着たり身に着けられたかなあと。
木綿の着物だってありのままの文化だなあと。
美しい歴史の重みを楽しく感じられる世の中ってやっぱりなあと。
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御新茶磨 さん
*スウェーデン王室が、ノーベル賞受賞者を歓待して下さるのを見て、国家として最大の敬意を払ってくれている。
国家ではなく、ノーベルの遺言で作らたノーベル財団が、受賞者と共に招待客として招いただけですよ。社交界の一員として。
ちなみに、
ノーベル平和賞はスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。
*スウェーデン王室が、ノーベル賞受賞者を歓待して下さるのを見て、国家として最大の敬意を払ってくれている。
国家ではなく、ノーベルの遺言で作らたノーベル財団が、受賞者と共に招待客として招いただけですよ。社交界の一員として。
ちなみに、
ノーベル平和賞はスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにした。
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*人道上も、80歳過ぎた自分の親が、もう引退したいと言うのに、死ぬまで働けというのは忍びない。
象徴としての行為というのは、憲法上はもちろんありません。法律上も全く根拠がありません。
平成天皇だけが、自ら考え、宮内庁等の忖度だけで成り立つおかしな行為なのです。
法律上は、皇室典範第十六条
○2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。
とだけしかなく、
老衰で動けなければ重患に当たりますから摂政置くように準備万端。
象徴としての行為というのは、憲法上はもちろんありません。法律上も全く根拠がありません。
平成天皇だけが、自ら考え、宮内庁等の忖度だけで成り立つおかしな行為なのです。
法律上は、皇室典範第十六条
○2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。
とだけしかなく、
老衰で動けなければ重患に当たりますから摂政置くように準備万端。
>ひまわりさん
宗教という単語の定義は多岐にわたります。
日本人は一般的に「神と呼ばれる超越的存在と教義を信じること」を宗教の定義にしているが、これは極めて狭義。
宗教を広義に定義すれば「一定の集合的価値観」に他ならない(宗教に神は要らない)。あるいはイデオロギーと同値とも言える。
よって、私やひまわりさんは「オレ達は日本教徒だ!」と堂々と胸を張って差し支えない。
さて、上記を前提として。
>私は正月の一般参賀に皇居で手や旗を振る一般庶民の方達と私らとは何も違わないと思います。
>それらの方達と私らは何も違わないと思っています。
その人たちも我らと同じ日本教徒ですよ。
自覚があるか否かは別にして(念のため言うと、自覚した方が良い訳ではない)。
>我々は個々の文化単位として皇室を認識している気がするからです。
我ら日本教徒は皇室を日本文明の要石と捉えるので、バラバラの文化単位としては見てませんよ。だからイデオロギーなわけで。
これも自覚の有無は別です。
>しかし私たちとは真逆で今回のようなお祝いムードに気分を害している人もいるわけです。
>おなじイデオロギーでも否定色が特徴であるイデオロギーです。
今度は民族の定義論になるけれども、天皇(スメラミコト)を否定するようなイデオロギーの人々は「戦後、日本原住民から派生した別民族」と分類することも出来る。
「戦後日本式左翼族」ですね。
派生した民族なり思想集団が、元の民族を攻撃する事は一般的なので、天皇を批判したり反日になるのも当たり前だったり。
上記を言うと排外主義とか差別主義とか全体主義とかレッテル貼られそうですけど、まあ切り取り方の一例としては面白いかな、と。
日本人は一般的に「神と呼ばれる超越的存在と教義を信じること」を宗教の定義にしているが、これは極めて狭義。
宗教を広義に定義すれば「一定の集合的価値観」に他ならない(宗教に神は要らない)。あるいはイデオロギーと同値とも言える。
よって、私やひまわりさんは「オレ達は日本教徒だ!」と堂々と胸を張って差し支えない。
さて、上記を前提として。
>私は正月の一般参賀に皇居で手や旗を振る一般庶民の方達と私らとは何も違わないと思います。
>それらの方達と私らは何も違わないと思っています。
その人たちも我らと同じ日本教徒ですよ。
自覚があるか否かは別にして(念のため言うと、自覚した方が良い訳ではない)。
>我々は個々の文化単位として皇室を認識している気がするからです。
我ら日本教徒は皇室を日本文明の要石と捉えるので、バラバラの文化単位としては見てませんよ。だからイデオロギーなわけで。
これも自覚の有無は別です。
>しかし私たちとは真逆で今回のようなお祝いムードに気分を害している人もいるわけです。
>おなじイデオロギーでも否定色が特徴であるイデオロギーです。
今度は民族の定義論になるけれども、天皇(スメラミコト)を否定するようなイデオロギーの人々は「戦後、日本原住民から派生した別民族」と分類することも出来る。
「戦後日本式左翼族」ですね。
派生した民族なり思想集団が、元の民族を攻撃する事は一般的なので、天皇を批判したり反日になるのも当たり前だったり。
上記を言うと排外主義とか差別主義とか全体主義とかレッテル貼られそうですけど、まあ切り取り方の一例としては面白いかな、と。
>御新茶麿さん
>日頃保守を名乗る論客までが、死ぬまで天皇やっとれ論を唱えているのを見て、象徴としての天皇がどうあるべきかについて、日常、陛下以上に考えて来た自信でもあるのだろうか、保守を名乗る割に頭が高いナアと呆れました。彼らは、国民の多くが抱いている敬愛の情を共有しているのではなく、天皇の権威を政治的に利用したいだけのエセ保守なのですよ。
これ、まさしく天皇機関説なんですよ。
美濃部は統治システムの象徴としての天皇機関説を挙げたが、現代においては天皇と政治的統治機構は切り離されているので、上記の「エセ保守論客」は文明システムの象徴としての天皇機関説論者なんですな。
だから「陛下ならびに皇族方が意見を言うべきではない。仮に意見を言っても、それは皇族の発言である事を理由に斟酌されるべきではない。意見は肯定も否定もせず、静かに流せ。あるいは出来るだけ裏で処理しろ」となる。
しかし、私はこれ、正しいと思います。
今回の譲位のように、陛下の体にまつわる話で、建設的でネガもない意見なら良いが、そうでない意見の場合もあるわけで。
あるいは今上陛下や昭和天皇のように人格に優れた方が常に即位するとは限らないわけで。
昭和天皇は当時のポリコレに反した美濃部を「ありゃ実は忠臣」と評価していたけれど、同様にいわゆるエセ保守も天皇に敬意がない訳ではないんですよ。
むしろ彼らは天皇に敬意を払うべきと考えているし、実際に敬意を払っている。ただし、その敬意は陛下という「個人」にフォーカスすべきではない、ということ。
しかし、正直こういう話はしたくないですね。
幻想の持つ力を減退させるから。
裏で静かに考えましょうw
これ、まさしく天皇機関説なんですよ。
美濃部は統治システムの象徴としての天皇機関説を挙げたが、現代においては天皇と政治的統治機構は切り離されているので、上記の「エセ保守論客」は文明システムの象徴としての天皇機関説論者なんですな。
だから「陛下ならびに皇族方が意見を言うべきではない。仮に意見を言っても、それは皇族の発言である事を理由に斟酌されるべきではない。意見は肯定も否定もせず、静かに流せ。あるいは出来るだけ裏で処理しろ」となる。
しかし、私はこれ、正しいと思います。
今回の譲位のように、陛下の体にまつわる話で、建設的でネガもない意見なら良いが、そうでない意見の場合もあるわけで。
あるいは今上陛下や昭和天皇のように人格に優れた方が常に即位するとは限らないわけで。
昭和天皇は当時のポリコレに反した美濃部を「ありゃ実は忠臣」と評価していたけれど、同様にいわゆるエセ保守も天皇に敬意がない訳ではないんですよ。
むしろ彼らは天皇に敬意を払うべきと考えているし、実際に敬意を払っている。ただし、その敬意は陛下という「個人」にフォーカスすべきではない、ということ。
しかし、正直こういう話はしたくないですね。
幻想の持つ力を減退させるから。
裏で静かに考えましょうw
>片割月・rot さん
>片割月さん
>国が特定の文化・伝統を国民に強制する問題
どうも貴女は元号を行政府による文化・伝統の強制例として特別視しているようだけれども、実のところ、法律による「特定の文化・伝統の強制」は枚挙に暇がないんですよ。
我々がその価値観(つまり広義の宗教)にドップリと漬かっているから強制されている事を意識できないだけ。
慣習法はまさにそれ。家族法などは特に意識しやすいでしょう。
イスラム法の国々は法源がコーラン等なわけで、まさに「特定の文化・伝統の強制」に他ならない。
それで、良いんですよ。
個別最適を著しく損なう文化・伝統・価値観ならびに法律は域内で自然淘汰されるし、
全体最適を損なう文化・伝統・価値観ならびに法律を持つ文明は国際競争で淘汰される。
それだけの事です。
>rot さん
>タージマハールも、万里の長城も、アンコール・ワットも、スフインクスも、凱旋門も、当時の権力者がいなくなったから自由に観光や研究で出入りできるようになったんじゃないかなあと。
それを「良い」と思う貴方の価値観は絶対的ではない。
例えば近年、中共がチベット寺院を観光地化し、チベット人を「啓蒙・近代化」しているが、これらは「良い」ことだろうか。
>武士がいまでも住んでたらお城の天守閣に登れるかなあと。
>王家や貴族が用いた装身具や衣装も昔のままの社会だったら、よく似た物を着たり身に着けられたかなあと。
上記は「支配と被支配」という左翼的二元論的世界観から生じる疑問でしょうな。
もちろん、その価値観は絶対的ではない。
>国が特定の文化・伝統を国民に強制する問題
どうも貴女は元号を行政府による文化・伝統の強制例として特別視しているようだけれども、実のところ、法律による「特定の文化・伝統の強制」は枚挙に暇がないんですよ。
我々がその価値観(つまり広義の宗教)にドップリと漬かっているから強制されている事を意識できないだけ。
慣習法はまさにそれ。家族法などは特に意識しやすいでしょう。
イスラム法の国々は法源がコーラン等なわけで、まさに「特定の文化・伝統の強制」に他ならない。
それで、良いんですよ。
個別最適を著しく損なう文化・伝統・価値観ならびに法律は域内で自然淘汰されるし、
全体最適を損なう文化・伝統・価値観ならびに法律を持つ文明は国際競争で淘汰される。
それだけの事です。
>rot さん
>タージマハールも、万里の長城も、アンコール・ワットも、スフインクスも、凱旋門も、当時の権力者がいなくなったから自由に観光や研究で出入りできるようになったんじゃないかなあと。
それを「良い」と思う貴方の価値観は絶対的ではない。
例えば近年、中共がチベット寺院を観光地化し、チベット人を「啓蒙・近代化」しているが、これらは「良い」ことだろうか。
>武士がいまでも住んでたらお城の天守閣に登れるかなあと。
>王家や貴族が用いた装身具や衣装も昔のままの社会だったら、よく似た物を着たり身に着けられたかなあと。
上記は「支配と被支配」という左翼的二元論的世界観から生じる疑問でしょうな。
もちろん、その価値観は絶対的ではない。
No title
ボドサケラス・三郎四郎・モヤマテオンさん
>元号を行政府による文化・伝統の強制例として特別視しているようだけれども、実のところ、法律による「特定の文化・伝統の強制」は枚挙に暇がないんですよ。
御名答です!
さすがです。
わたしは特別視していますよ。
>元号を行政府による文化・伝統の強制例として特別視しているようだけれども、実のところ、法律による「特定の文化・伝統の強制」は枚挙に暇がないんですよ。
御名答です!
さすがです。
わたしは特別視していますよ。
↑
貴女には特別に見えていても、実際は法律による文化・伝統の強制など特別でも何でもない一般的な事だし、それ自体は悪でも何でもない、という話なんですが。
その例も挙げて説明しましたよね?
わかりますか?
正直、貴方が仕事する上で作業効率が落ちるから嫌い、ってだけでしょう?
でも、貴方の仕事なんて、ぶっちゃけどうでもいい事です。何度も言うが、部分最適に過ぎないので。
世の中を説得したければ、元号の廃止が全体最適性に資するという蓋然性を説明すれば宜しい。
貴女はそれが出来ていないわけ。それでゴネていても駄々っ子と同じです。
元号の廃止で一定業種の作業効率が向上する事など世間様は分かりきってるわけですが、それでも廃止しようとはしないわけだ。
それは特定業種の作業性の向上の他にも、日本のブランディングとか、文化の保全とか、構成員の意識の醸成とか、そういう種々の要素を意図せずとも総合的に考えているからです。ポリティカルコストはまた別だけどね。
その例も挙げて説明しましたよね?
わかりますか?
正直、貴方が仕事する上で作業効率が落ちるから嫌い、ってだけでしょう?
でも、貴方の仕事なんて、ぶっちゃけどうでもいい事です。何度も言うが、部分最適に過ぎないので。
世の中を説得したければ、元号の廃止が全体最適性に資するという蓋然性を説明すれば宜しい。
貴女はそれが出来ていないわけ。それでゴネていても駄々っ子と同じです。
元号の廃止で一定業種の作業効率が向上する事など世間様は分かりきってるわけですが、それでも廃止しようとはしないわけだ。
それは特定業種の作業性の向上の他にも、日本のブランディングとか、文化の保全とか、構成員の意識の醸成とか、そういう種々の要素を意図せずとも総合的に考えているからです。ポリティカルコストはまた別だけどね。
No title
そろそろ収束に近いので一言。
日本人なら西暦ではなく元号を使えというのも極端だし、元号は止めて西暦を使うべきと言うのも又極端。こちらのブログには前者はいないが(コメしても非承認になっているかな)、後者はいるね(^^♪。ただ、どちらも実社会では苦労するタイプだな。
結局、他者を受け入れないという考えが、こういう事の根幹になっているね。特に左翼さんは、普通の幸せを普通につかみ取るということからは、ほど遠いね(それは固執が強すぎなんですよ、ま、人生経験も少ないのに我が強すぎるとも言えるね)。
日本人なら西暦ではなく元号を使えというのも極端だし、元号は止めて西暦を使うべきと言うのも又極端。こちらのブログには前者はいないが(コメしても非承認になっているかな)、後者はいるね(^^♪。ただ、どちらも実社会では苦労するタイプだな。
結局、他者を受け入れないという考えが、こういう事の根幹になっているね。特に左翼さんは、普通の幸せを普通につかみ取るということからは、ほど遠いね(それは固執が強すぎなんですよ、ま、人生経験も少ないのに我が強すぎるとも言えるね)。
ボドサケラスさん、体制派です さん
ご指導ありがとうございます。なんとなくですが整理できました。
新元号の令和を快く迎える人々や一般参賀に参加する人々も日本教徒なんですね。
ということは我々は国内では最大の宗教集団なんですね。
確かに日本人って「私は○○教徒だ」と自覚したり自己主張することに少し抵抗を感じるところはあります。
無宗教では?と外国人に思われるほど日本人には宗教の自覚が無いのかもしれません。
しかしたとえば外国人がこのような国民的お祝いムードを見れば
我々はエンペラーを祝福する民に見えるのでしょう。
天皇は過去において権力を失いましたが権威だけは時の権力者でさえも犯すことはできませんでした。
このような成り立ちの基礎には一般庶民及び権力者までもが日本教徒であった、
つまり我が国は古来から日本教徒で集約されていた、ということなのでしょう。
そしてその日本教徒は多神教でもありました。
我々祖先達は一つの神に拘る風習はなく東洋西洋などあらゆる宗教を受け入れてきました。
他国に相当するような宗教宗派による紛争はほとんど起していません。
信長のバテレン追放など世界から比べたらかわいいものです。
もしかしたら我が国は世界でもっとも宗教に寛容な民族だったのかもしれません。
>他者を受け入れないという考えが、こういう事の根幹になっているね。
そうですね。
現在日本は天皇制とか立憲君主制とか言われていますが
この基礎になっているのはこの素晴らしいほどの平和的宗教-日本教なのでしょう。
その日本教は先祖代々一般庶民だけでなく時の権力者達からも支えられていたのですね。
平和を愛する左派は皮肉にもその平和的宗教集団のシンボルを見失ってしまったのでしょうか。
自分と異なった他人の価値観はその存在意義さえ認めない、
人が大切に思っていることを平気で貶す、
平和を唱えているはずのハト派の方達からなぜよくこのような発言が出てくるのでしょう。
やはりイデオロギーや宗教は非寛容になりやすいのでしょうね。
そしてそれが戦争の火だねにもなりますね。
その点、この日本教ってやつ、なかなかいいやつですね。
私も気をつけます。
新元号の令和を快く迎える人々や一般参賀に参加する人々も日本教徒なんですね。
ということは我々は国内では最大の宗教集団なんですね。
確かに日本人って「私は○○教徒だ」と自覚したり自己主張することに少し抵抗を感じるところはあります。
無宗教では?と外国人に思われるほど日本人には宗教の自覚が無いのかもしれません。
しかしたとえば外国人がこのような国民的お祝いムードを見れば
我々はエンペラーを祝福する民に見えるのでしょう。
天皇は過去において権力を失いましたが権威だけは時の権力者でさえも犯すことはできませんでした。
このような成り立ちの基礎には一般庶民及び権力者までもが日本教徒であった、
つまり我が国は古来から日本教徒で集約されていた、ということなのでしょう。
そしてその日本教徒は多神教でもありました。
我々祖先達は一つの神に拘る風習はなく東洋西洋などあらゆる宗教を受け入れてきました。
他国に相当するような宗教宗派による紛争はほとんど起していません。
信長のバテレン追放など世界から比べたらかわいいものです。
もしかしたら我が国は世界でもっとも宗教に寛容な民族だったのかもしれません。
>他者を受け入れないという考えが、こういう事の根幹になっているね。
そうですね。
現在日本は天皇制とか立憲君主制とか言われていますが
この基礎になっているのはこの素晴らしいほどの平和的宗教-日本教なのでしょう。
その日本教は先祖代々一般庶民だけでなく時の権力者達からも支えられていたのですね。
平和を愛する左派は皮肉にもその平和的宗教集団のシンボルを見失ってしまったのでしょうか。
自分と異なった他人の価値観はその存在意義さえ認めない、
人が大切に思っていることを平気で貶す、
平和を唱えているはずのハト派の方達からなぜよくこのような発言が出てくるのでしょう。
やはりイデオロギーや宗教は非寛容になりやすいのでしょうね。
そしてそれが戦争の火だねにもなりますね。
その点、この日本教ってやつ、なかなかいいやつですね。
私も気をつけます。
No title
ひまわり さん
* もしかしたら我が国は世界でもっとも宗教に寛容な民族だったのかもしれません。
それは有りえません。
大日本帝国の政府は、宗教である国家神道を宗教としての神道諸教派,仏教,キリスト教を超越する非宗教として位置づけ,信教の自由も国家神道と抵触しない限度内で認めた。
こんな不寛容な政府は世界中どのにもありません。
日本教ではなく、国家神道でしょ。インパール作戦で有名な牟田口さんが毎日遥拝していたやつですネ
* もしかしたら我が国は世界でもっとも宗教に寛容な民族だったのかもしれません。
それは有りえません。
大日本帝国の政府は、宗教である国家神道を宗教としての神道諸教派,仏教,キリスト教を超越する非宗教として位置づけ,信教の自由も国家神道と抵触しない限度内で認めた。
こんな不寛容な政府は世界中どのにもありません。
日本教ではなく、国家神道でしょ。インパール作戦で有名な牟田口さんが毎日遥拝していたやつですネ
No title
北九州の例など全く無用の混乱。西暦に統一すれば費用も手間も全くかからない。免許証の有効期限は平成35年とありもしない年度。東京オリンピックは昭和39年で何年前なの? 安倍政権は今度は令和2年東京オリンピックと呼ぶのかな。
東大平行線 さん
>日本教ではなく、国家神道でしょ。
そうですよ。東大平行線さんがあげた例はね。
そしてその主導権をとったのは旧日本軍。
日本教そもものには罪はないと思いますが。
ただ教えるところは自然に対する畏怖と感謝だけですので。
つまり左派の方々はこのように権威を政治利用された過去をご心配されているのですよね。
そして旧日本軍の復活をとても心配されている。
それだけ天皇の権威は浸透しており日本教徒である我々は集約されやすいということなのでしょう。
つまり左派は天皇の権威を恐れている、ということではないですか?
それゆえ天皇を封印したいのではないでしょうか。
そうですよ。東大平行線さんがあげた例はね。
そしてその主導権をとったのは旧日本軍。
日本教そもものには罪はないと思いますが。
ただ教えるところは自然に対する畏怖と感謝だけですので。
つまり左派の方々はこのように権威を政治利用された過去をご心配されているのですよね。
そして旧日本軍の復活をとても心配されている。
それだけ天皇の権威は浸透しており日本教徒である我々は集約されやすいということなのでしょう。
つまり左派は天皇の権威を恐れている、ということではないですか?
それゆえ天皇を封印したいのではないでしょうか。
No title
ひまわり さん
*それだけ天皇の権威は浸透しており日本教徒である我々は集約されやすいということなのでしょう。
いいえ、間違いの元は旧日本軍ではありません。
旧日本軍を法的に支えていた、プロシャ由来の大日本帝国憲法です。
この憲法は、ポツダム宣言受諾の勅令で実質上効力を失い主権者天皇は主権及びその資産を放棄しました。
従って、実態のない権威を恐れる理由がありません。
しかし、それに懲りずに日本国憲法を無視して権威を偽装する憲法音痴の政治家を選出する選挙人がいますから困りものなだけです。
*それだけ天皇の権威は浸透しており日本教徒である我々は集約されやすいということなのでしょう。
いいえ、間違いの元は旧日本軍ではありません。
旧日本軍を法的に支えていた、プロシャ由来の大日本帝国憲法です。
この憲法は、ポツダム宣言受諾の勅令で実質上効力を失い主権者天皇は主権及びその資産を放棄しました。
従って、実態のない権威を恐れる理由がありません。
しかし、それに懲りずに日本国憲法を無視して権威を偽装する憲法音痴の政治家を選出する選挙人がいますから困りものなだけです。
元号という名の強制の実行
ひまわりさんや体制派さんボドサケラスさん御新茶磨さんたちの元号正当化主張にはやはり納得できませんね。
いま西暦が日本の近代化、民主主義に基づく政治経済社会の近代化の中で定着して来て、それが世界共通の紀年法として西暦が存在する様になった事に対応した自然なものであるのに対して、元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、それに対して日本国内では反対している人が少数という様な、世界の中の日本という前提を無視した問題のすり替えと元号批判を封じようとする圧力で正当化する事は間違っているという事です。
政府、自治体の公文書や銀行、金融機関、企業活動、など私文書や文化に至るまで陰に陽に元号の強制的な使用による一元化を進めようとする復古的イデオロギーが右翼保守の安倍政権によってさらに強化されている。
その様な現実にあえて異を申し立てる困難さは元号法など政治的圧力により年々強くなっている。
その表れとして元号に対する消極的な支持が増加したとしても、元号こそ日本の復古主義イデオロギーの産物である事をますます証明する事にしかならない。
元号を使うのが日本人の幸せで普通という様な意識が、幼稚で押し付けがましい価値観の押し付けである事に気付こうともしない。
元号や天皇制を崇拝する日本教徒などという自画自賛に甘んじて、不便を感じている多数の人や異論を表に現す人を無視しようとする。
寛容という言葉が強制と真逆の立場の言葉である事が全体主義的気分の中で見失われている事を元号賛美、肯定の人達は知らねばなりません。
いま西暦が日本の近代化、民主主義に基づく政治経済社会の近代化の中で定着して来て、それが世界共通の紀年法として西暦が存在する様になった事に対応した自然なものであるのに対して、元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、それに対して日本国内では反対している人が少数という様な、世界の中の日本という前提を無視した問題のすり替えと元号批判を封じようとする圧力で正当化する事は間違っているという事です。
政府、自治体の公文書や銀行、金融機関、企業活動、など私文書や文化に至るまで陰に陽に元号の強制的な使用による一元化を進めようとする復古的イデオロギーが右翼保守の安倍政権によってさらに強化されている。
その様な現実にあえて異を申し立てる困難さは元号法など政治的圧力により年々強くなっている。
その表れとして元号に対する消極的な支持が増加したとしても、元号こそ日本の復古主義イデオロギーの産物である事をますます証明する事にしかならない。
元号を使うのが日本人の幸せで普通という様な意識が、幼稚で押し付けがましい価値観の押し付けである事に気付こうともしない。
元号や天皇制を崇拝する日本教徒などという自画自賛に甘んじて、不便を感じている多数の人や異論を表に現す人を無視しようとする。
寛容という言葉が強制と真逆の立場の言葉である事が全体主義的気分の中で見失われている事を元号賛美、肯定の人達は知らねばなりません。
東大平行線さん
東大平行線さんの理論で行くと大日本帝国憲法も諸悪の根源なのだから
日本教及び日本教徒には罪はありませんよね。
東大平行線さんの言葉を素直に聞けば庶民及び権力者らが天皇の権威のもと集約すること自体
問題はないと解釈できますが。
日本教及び日本教徒には罪はありませんよね。
東大平行線さんの言葉を素直に聞けば庶民及び権力者らが天皇の権威のもと集約すること自体
問題はないと解釈できますが。
rot さん
>元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき
>世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、
>元号こそ日本の復古主義イデオロギーの産物である事をますます証明する事にしかならない。
そんなに大きな問題なのですか?
ではこのお祝いムードをどのように説明すればいいのでしょう。
元号こそ日本の復古主義イデオロギーの産物だ!というようなコンセンサスは得られないと思いますよ。
元号の強制化といってもこれは新しく制度として立ち上げたわけではなく
昔からの慣習のようなものですから。
もしこれが悪習であれば新元号が発表された時もっと違った反応が国内に蔓延していたのではないでしょうか。
>世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、
>元号こそ日本の復古主義イデオロギーの産物である事をますます証明する事にしかならない。
そんなに大きな問題なのですか?
ではこのお祝いムードをどのように説明すればいいのでしょう。
元号こそ日本の復古主義イデオロギーの産物だ!というようなコンセンサスは得られないと思いますよ。
元号の強制化といってもこれは新しく制度として立ち上げたわけではなく
昔からの慣習のようなものですから。
もしこれが悪習であれば新元号が発表された時もっと違った反応が国内に蔓延していたのではないでしょうか。
No title
とりあえず、免許の更新だな。
平成で表記されていると、令和に換算しないとならない。
更新を知らせるハガキもきちんと送られてくるかどうか。
西暦併記の免許証もでるようだが。
困ったものだ。
平成で表記されていると、令和に換算しないとならない。
更新を知らせるハガキもきちんと送られてくるかどうか。
西暦併記の免許証もでるようだが。
困ったものだ。
No title
rotさんの文章に補足をさせてもらいますね。
>日本国内では反対している人が少数
仮に、反対していなくとも、現実の活動を見れば元号ではなく、自然と西暦を使っているのが多いわけです。
言葉で反対しなくとも、無言の抵抗であり、実質的には反対に近いのよ。
我らが保守&右翼の星である、
産経新聞社と扶桑社の書籍でさえも、
巻末に記されている本の発行日や新聞掲載日を見ますと、
何と!西暦を使い始めているんですよ。
「元号フェチ」の皆様方に置かれましては、
両出版社には、猛烈なる抗議をなさいませ。
この裏切り者!我らが敵の、反日朝日や岩波と戦えるのか!と。
もちろん、文春や小学館も、徳間書店も集英社も、
ほとんど多数の出版社が西暦を使用しています。
これが現実です。
あと、元号の欠陥は未来には使えないということ。
今から40年後の令和40年には、なんて使えませんね。
だって、その頃には元号が変わっているでしょ。
今から40年後の2049年には、となりますね。
未来志向ではなく、過去志向&現状維持志向の、
元号ならではの欠陥です。
一部の「元号フェチ」の方々は、令和40年と言うんだろうね(^○^)
>日本国内では反対している人が少数
仮に、反対していなくとも、現実の活動を見れば元号ではなく、自然と西暦を使っているのが多いわけです。
言葉で反対しなくとも、無言の抵抗であり、実質的には反対に近いのよ。
我らが保守&右翼の星である、
産経新聞社と扶桑社の書籍でさえも、
巻末に記されている本の発行日や新聞掲載日を見ますと、
何と!西暦を使い始めているんですよ。
「元号フェチ」の皆様方に置かれましては、
両出版社には、猛烈なる抗議をなさいませ。
この裏切り者!我らが敵の、反日朝日や岩波と戦えるのか!と。
もちろん、文春や小学館も、徳間書店も集英社も、
ほとんど多数の出版社が西暦を使用しています。
これが現実です。
あと、元号の欠陥は未来には使えないということ。
今から40年後の令和40年には、なんて使えませんね。
だって、その頃には元号が変わっているでしょ。
今から40年後の2049年には、となりますね。
未来志向ではなく、過去志向&現状維持志向の、
元号ならではの欠陥です。
一部の「元号フェチ」の方々は、令和40年と言うんだろうね(^○^)
No title
Rotさん、あなたもいつも極端ですが。。。
多分、私以外の他の方も、元号・西暦の共存派です(別に元号主体でするべきとも特に考えてない)。あなた達、左翼さんは元号否定派ですよね。ここがまず、全く違いますよ。
あーだこーだ屁理屈付けてますけど、西暦を推進と言うより日本の伝統である元号を否定したいのが本音でしょ?(^^♪ 左翼の本音なんか最初からとっくにバレてますよ(片割月氏除く)。自虐史観も持ちすぎると不幸ですよ。
多分、私以外の他の方も、元号・西暦の共存派です(別に元号主体でするべきとも特に考えてない)。あなた達、左翼さんは元号否定派ですよね。ここがまず、全く違いますよ。
あーだこーだ屁理屈付けてますけど、西暦を推進と言うより日本の伝統である元号を否定したいのが本音でしょ?(^^♪ 左翼の本音なんか最初からとっくにバレてますよ(片割月氏除く)。自虐史観も持ちすぎると不幸ですよ。
No title
元号の否定が自虐史観ですか。極端でしょ。
No title
いやいや、元号否定派は左翼思想でその理由は自虐史観。
あんたなんか、丸出しやん。
そういや、植民地がどうのこうのとかって書いてたね。大丈夫か?
あんたなんか、丸出しやん。
そういや、植民地がどうのこうのとかって書いてたね。大丈夫か?
なんか勘違いされてる気がします。
体制派ですさんのいうとおり私も元号・西暦の共存派であり元号主体とか「元号フェチ」でもありません。
西暦一本化!元号使用禁止!という方に反論してるのです。
なので西暦と元号の違いを比べて西暦のほうが使いやすい!と言われたところで
はい、私もそう思いますというお答えするだけです。
元号使用禁止!という方に伝統や文化の一部だからと着物や歌舞伎などの例を挙げ、
これらは古くさくて機能性はないけれども皆に愛されていますよ!と説明しました。
ところが着物は廃れている、最近レンタル業界は業績が良くない、
とわざわざこの話しの流で着物に対するネガティブなコメントも頂きました。
なんで純粋に着物を語れないんだろう?
イデオロギーのスイッチはいってるなあ。
左派モードになると着物まで見捨ててしまうマインドになるんだなあと思いました。
また戦時中の話しも持ち出されました。
元号は1300年続いていますが何もその時代だけピックアップして批判してもなあ、と感じました。
日の丸もそうです。長い歴史の中で戦時中の話しだけを必ずチョイスするのです。君が代もしかり。
いずれにしても私は元号一本化!とか西暦使用禁止!とはいっていません。
何で議論になってしまったのでしょう。
今更ですが不思議です。伝統や文化を持ち出したからでしょうか。
左派の方達はいくら文化伝統を愛していても
天皇、皇室、旧日本軍の影が少しでもちらついた時、
一気に左派モードになるのかなあ、と思いました。
西暦一本化!元号使用禁止!という方に反論してるのです。
なので西暦と元号の違いを比べて西暦のほうが使いやすい!と言われたところで
はい、私もそう思いますというお答えするだけです。
元号使用禁止!という方に伝統や文化の一部だからと着物や歌舞伎などの例を挙げ、
これらは古くさくて機能性はないけれども皆に愛されていますよ!と説明しました。
ところが着物は廃れている、最近レンタル業界は業績が良くない、
とわざわざこの話しの流で着物に対するネガティブなコメントも頂きました。
なんで純粋に着物を語れないんだろう?
イデオロギーのスイッチはいってるなあ。
左派モードになると着物まで見捨ててしまうマインドになるんだなあと思いました。
また戦時中の話しも持ち出されました。
元号は1300年続いていますが何もその時代だけピックアップして批判してもなあ、と感じました。
日の丸もそうです。長い歴史の中で戦時中の話しだけを必ずチョイスするのです。君が代もしかり。
いずれにしても私は元号一本化!とか西暦使用禁止!とはいっていません。
何で議論になってしまったのでしょう。
今更ですが不思議です。伝統や文化を持ち出したからでしょうか。
左派の方達はいくら文化伝統を愛していても
天皇、皇室、旧日本軍の影が少しでもちらついた時、
一気に左派モードになるのかなあ、と思いました。
No title
ひまわり さん
国家の定義乃至基本を歴史的に拘泥しすぎてはいませんか?
国家の目的は、個人を最大限尊重するための統治組織でしかありません。ただそれだけです。
文化とか伝統とかは統治とは無関係です。
自由かつ平等な存在である国民の任意に委ねればいいのです。
故に、政府挙げての元号騒ぎやら偽装防止を理由に必要もない銀行券のモデルチェンジを批判しているだけです。
国家の定義乃至基本を歴史的に拘泥しすぎてはいませんか?
国家の目的は、個人を最大限尊重するための統治組織でしかありません。ただそれだけです。
文化とか伝統とかは統治とは無関係です。
自由かつ平等な存在である国民の任意に委ねればいいのです。
故に、政府挙げての元号騒ぎやら偽装防止を理由に必要もない銀行券のモデルチェンジを批判しているだけです。
大変失礼をば
色々なことがゴチャゴチャに論ぜられているような気がします。片割月さんを男性だと混同していた私のように。大変失礼致しました。もちろん、洋装の女性も好きでございまして。
城やお寺を国宝に指定したり、税金で保全費・修復費に税金を使うことも、個人としては反対の意見もあり得ようかとは思いますが、特定の文化・伝統を必要なら保護するのも国家の役割であり、必要かどうかは、法律や予算で民主的に決めればよい事であって、議論の中で、少数の好みも尊重されることは大いにあるでしょう。
権力者の王様や皇帝や武士がいなくなったのは良いことだというのは共通の思いですが、仏教が国家的に保護されていた時代のお寺だからと言って、その文化的価値が損なわれるものではないでしょう。
野良着の方がお好きな方には、民俗資料館などには展示があろうかと。税金の投入にも賛成ですよ。
スウェーデン王室が接待に参加しているということは、政府の意思ではありましょう。
人間を象徴にした以上、国事行為と私的行為以外に象徴としての行為が生じるのは当然で、国会開会式のお言葉などがその例でしょう。
摂政では象徴としての天皇の務めを果たし得ないという陛下のお考えを尊重して、皇室典範の特例法を定めたのでした。
いつ引退すべきか、誰と結婚したいか、こういった問題に御本人の意思を尊重しようとしないエセ保守に敬意などありませんヨ。利用しやすい人形にしておきたいだけです。我々国民の天皇陛下なのですから、裏で静かになどと黙っているべきではなく、政治問題ではなく、御本人の意思を尊重すべき問題なのだと声をあげて、陛下や真子様佳子様をお助け申し上げるべきです。
元号は便利な西暦と併存させたいというのが国民の多数なのだから、尊重されるべきで、前者を否定しないからと言って揶揄するのは偏っているでしょう。
公文書などで西暦使用も認めるべきかは、議論の余地はあるけれど、度合いの問題かな。あらゆることに少数者の賛成を得ようとすると、多数意思による少数意思の抑圧以上にヒドイ少数意思による多数意思の抑圧にもなりかねませんし。
城やお寺を国宝に指定したり、税金で保全費・修復費に税金を使うことも、個人としては反対の意見もあり得ようかとは思いますが、特定の文化・伝統を必要なら保護するのも国家の役割であり、必要かどうかは、法律や予算で民主的に決めればよい事であって、議論の中で、少数の好みも尊重されることは大いにあるでしょう。
権力者の王様や皇帝や武士がいなくなったのは良いことだというのは共通の思いですが、仏教が国家的に保護されていた時代のお寺だからと言って、その文化的価値が損なわれるものではないでしょう。
野良着の方がお好きな方には、民俗資料館などには展示があろうかと。税金の投入にも賛成ですよ。
スウェーデン王室が接待に参加しているということは、政府の意思ではありましょう。
人間を象徴にした以上、国事行為と私的行為以外に象徴としての行為が生じるのは当然で、国会開会式のお言葉などがその例でしょう。
摂政では象徴としての天皇の務めを果たし得ないという陛下のお考えを尊重して、皇室典範の特例法を定めたのでした。
いつ引退すべきか、誰と結婚したいか、こういった問題に御本人の意思を尊重しようとしないエセ保守に敬意などありませんヨ。利用しやすい人形にしておきたいだけです。我々国民の天皇陛下なのですから、裏で静かになどと黙っているべきではなく、政治問題ではなく、御本人の意思を尊重すべき問題なのだと声をあげて、陛下や真子様佳子様をお助け申し上げるべきです。
元号は便利な西暦と併存させたいというのが国民の多数なのだから、尊重されるべきで、前者を否定しないからと言って揶揄するのは偏っているでしょう。
公文書などで西暦使用も認めるべきかは、議論の余地はあるけれど、度合いの問題かな。あらゆることに少数者の賛成を得ようとすると、多数意思による少数意思の抑圧以上にヒドイ少数意思による多数意思の抑圧にもなりかねませんし。
大変失礼をば
色々なことがゴチャゴチャに論ぜられているような気がします。片割月さんを男性だと混同していた私のように。大変失礼致しました。もちろん、洋装の女性も好きでございまして。
城やお寺を国宝に指定したり、税金で保全費・修復費に税金を使うことも、個人としては反対の意見もあり得ようかとは思いますが、特定の文化・伝統を必要なら保護するのも国家の役割であり、必要かどうかは、法律や予算で民主的に決めればよい事であって、議論の中で、少数の好みも尊重されることは大いにあるでしょう。
権力者の王様や皇帝や武士がいなくなったのは良いことだというのは共通の思いですが、仏教が国家的に保護されていた時代のお寺だからと言って、その文化的価値が損なわれるものではないでしょう。
野良着の方がお好きな方には、民俗資料館などには展示があろうかと。税金の投入にも賛成ですよ。
スウェーデン王室が接待に参加しているということは、政府の意思ではありましょう。
人間を象徴にした以上、国事行為と私的行為以外に象徴としての行為が生じるのは当然で、国会開会式のお言葉などがその例でしょう。
摂政では象徴としての天皇の務めを果たし得ないという陛下のお考えを尊重して、皇室典範の特例法を定めたのでした。
いつ引退すべきか、誰と結婚したいか、こういった問題に御本人の意思を尊重しようとしないエセ保守に敬意などありませんヨ。利用しやすい人形にしておきたいだけです。我々国民の天皇陛下なのですから、裏で静かになどと黙っているべきではなく、政治問題ではなく、御本人の意思を尊重すべき問題なのだと声をあげて、陛下や真子様佳子様をお助け申し上げるべきです。
元号は便利な西暦と併存させたいというのが国民の多数なのだから、尊重されるべきで、前者を否定しないからと言って揶揄するのは偏っているでしょう。
公文書などで西暦使用も認めるべきかは、議論の余地はあるけれど、度合いの問題かな。あらゆることに少数者の賛成を得ようとすると、多数意思による少数意思の抑圧以上にヒドイ少数意思による多数意思の抑圧にもなりかねませんし。
城やお寺を国宝に指定したり、税金で保全費・修復費に税金を使うことも、個人としては反対の意見もあり得ようかとは思いますが、特定の文化・伝統を必要なら保護するのも国家の役割であり、必要かどうかは、法律や予算で民主的に決めればよい事であって、議論の中で、少数の好みも尊重されることは大いにあるでしょう。
権力者の王様や皇帝や武士がいなくなったのは良いことだというのは共通の思いですが、仏教が国家的に保護されていた時代のお寺だからと言って、その文化的価値が損なわれるものではないでしょう。
野良着の方がお好きな方には、民俗資料館などには展示があろうかと。税金の投入にも賛成ですよ。
スウェーデン王室が接待に参加しているということは、政府の意思ではありましょう。
人間を象徴にした以上、国事行為と私的行為以外に象徴としての行為が生じるのは当然で、国会開会式のお言葉などがその例でしょう。
摂政では象徴としての天皇の務めを果たし得ないという陛下のお考えを尊重して、皇室典範の特例法を定めたのでした。
いつ引退すべきか、誰と結婚したいか、こういった問題に御本人の意思を尊重しようとしないエセ保守に敬意などありませんヨ。利用しやすい人形にしておきたいだけです。我々国民の天皇陛下なのですから、裏で静かになどと黙っているべきではなく、政治問題ではなく、御本人の意思を尊重すべき問題なのだと声をあげて、陛下や真子様佳子様をお助け申し上げるべきです。
元号は便利な西暦と併存させたいというのが国民の多数なのだから、尊重されるべきで、前者を否定しないからと言って揶揄するのは偏っているでしょう。
公文書などで西暦使用も認めるべきかは、議論の余地はあるけれど、度合いの問題かな。あらゆることに少数者の賛成を得ようとすると、多数意思による少数意思の抑圧以上にヒドイ少数意思による多数意思の抑圧にもなりかねませんし。
東大平行線さん
>政府挙げての元号騒ぎやら偽装防止を理由に必要もない銀行券のモデルチェンジを批判しているだけです。
↑それが元号廃止とどう関係があるのですか?
>文化とか伝統とかは統治とは無関係です。
↑無関係なら元号廃止も継続もどちらでもいいですよね。
私は継続を選択する。ただそれまでのこと。
↑それが元号廃止とどう関係があるのですか?
>文化とか伝統とかは統治とは無関係です。
↑無関係なら元号廃止も継続もどちらでもいいですよね。
私は継続を選択する。ただそれまでのこと。
>片割月さん
>あと、元号の欠陥は未来には使えないということ。
>今から40年後の令和40年には、なんて使えませんね。
>だって、その頃には元号が変わっているでしょ。
んなこたどんな馬鹿でもハナから理解してますがな。今更書かなくても宜しい。
私の普段の業務では西暦だけを使っているし、プライベートでは西暦と元号を意識せず両方使っている。
貴女が元号フェチと揶揄する者らも私と同じだろう。
ただ、公的文書くらいは元号が良いんじゃね?そういう折々で日本を自然と実感させるのは悪くないよ。一部で事務作業効率が落ちるのをバーターとしても。
ってのが、貴女の言う「元号フェチ」たる俺らの考え。
企業でもよく有りますよね?
ある部署の、あるいは全体の作業効率をいくらか犠牲にして、社員の意識改革をしたり、あるいは差別化によるマーケティング(ブランディング)に繋げたり。
それと同じ。
目的は利益の拡大であって、作業効率の低減ではない。
で、企業の利益とはマネーだが、社会の利益とはその社会の価値観の総意に依拠して決まるわけ。
これで理解していただけないなら、私はもはや説明する言葉を持たない。
ついでに蛇足。
論理的に言って、
「私の邪魔をするもの=間違っているもの」
「私の嫌いなネトウヨの発言=間違っている発言」
とはならない。
俺に迷惑がかかる政策でも、全体最適に資する政策は正しいと俺は思うし、
アホウヨやクズパヨや朝日新聞の発言にも正しい事はあるんだよ。
中身で判断しないと。
>今から40年後の令和40年には、なんて使えませんね。
>だって、その頃には元号が変わっているでしょ。
んなこたどんな馬鹿でもハナから理解してますがな。今更書かなくても宜しい。
私の普段の業務では西暦だけを使っているし、プライベートでは西暦と元号を意識せず両方使っている。
貴女が元号フェチと揶揄する者らも私と同じだろう。
ただ、公的文書くらいは元号が良いんじゃね?そういう折々で日本を自然と実感させるのは悪くないよ。一部で事務作業効率が落ちるのをバーターとしても。
ってのが、貴女の言う「元号フェチ」たる俺らの考え。
企業でもよく有りますよね?
ある部署の、あるいは全体の作業効率をいくらか犠牲にして、社員の意識改革をしたり、あるいは差別化によるマーケティング(ブランディング)に繋げたり。
それと同じ。
目的は利益の拡大であって、作業効率の低減ではない。
で、企業の利益とはマネーだが、社会の利益とはその社会の価値観の総意に依拠して決まるわけ。
これで理解していただけないなら、私はもはや説明する言葉を持たない。
ついでに蛇足。
論理的に言って、
「私の邪魔をするもの=間違っているもの」
「私の嫌いなネトウヨの発言=間違っている発言」
とはならない。
俺に迷惑がかかる政策でも、全体最適に資する政策は正しいと俺は思うし、
アホウヨやクズパヨや朝日新聞の発言にも正しい事はあるんだよ。
中身で判断しないと。
>rotさん
まず申し上げるが・・・・
あなた方の宗教(つまりイデオロギー)をぶちまけられても困る。
宗教は発言する理由にはなるが、発言内容の正当性を担保するモノではない。価値観に過ぎないからね。
私の日本教が別に絶対的ではないように、あなたの戦後ガラパゴス左翼教も絶対的ではない。
だからいつも「貴方の発言には根拠ゼロ」と私が指摘してるんですよ。
自分達のイデオロギーが正しい。
論敵は時代遅れで、非民主的で、野蛮で、無知で、非効率的で、間違っている。。。とはならない。
数学的な誤繆が無い限りイデオロギーは相対的だから。
先日、チベットの「開発」を取り上げたNHKのドキュメントを観た。
そこには中国共産党宣伝部ならびにチベット族出身の中国共産党党員が出ていた。
彼等の言は、貴方の言とそっくりですよ。使う単語も似ているが、自分のイデオロギーへの確信と言う点でもね。
自分と自分のイデオロギーは常に疑いましょう?じゃないと、単なる独善です。
さて、
>いま西暦が日本の近代化、民主主義に基づく政治経済社会の近代化の中で定着して来て、それが世界共通の紀年法として西暦が存在する様になった事に対応した自然なものであるのに対して、
西暦が普及したのは近代化や民主主義が理由ではない。
欧米キリスト教世界が全世界を侵略・征服し、あるいは社会主義革命によって文化・文明が破壊されたからです。
御綺麗な「近代化」「民主主義」という言葉とは対極の理由で西暦が標準化された。
仮に仏教世界が世界を制覇していれば仏暦が、イスラム世界が制覇していればイスラム暦が標準だっただろう。
>元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき
復古も糞もない。
現在進行形で在る文化だ。
>世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、
で、世界の進行方向は常に正しいのかな?
それ、進歩主義イデオロギーでしょう?
また、あなた方が認めがたい進行方向もあるでしょう?例えばマルクス主義の完全な失敗など。
>それに対して日本国内では反対している人が少数という様な、世界の中の日本という前提を無視した問題のすり替えと元号批判を封じようとする圧力で正当化する事は間違っているという事です。
文章が支離滅裂で文意が読み取れないが、「世界の中の日本」を意識しているからこそ元号を棄てられないんです。
周りと同じことをやればいい、という経営者はヘボでしょう?
以下は略。
あなた方の宗教(つまりイデオロギー)をぶちまけられても困る。
宗教は発言する理由にはなるが、発言内容の正当性を担保するモノではない。価値観に過ぎないからね。
私の日本教が別に絶対的ではないように、あなたの戦後ガラパゴス左翼教も絶対的ではない。
だからいつも「貴方の発言には根拠ゼロ」と私が指摘してるんですよ。
自分達のイデオロギーが正しい。
論敵は時代遅れで、非民主的で、野蛮で、無知で、非効率的で、間違っている。。。とはならない。
数学的な誤繆が無い限りイデオロギーは相対的だから。
先日、チベットの「開発」を取り上げたNHKのドキュメントを観た。
そこには中国共産党宣伝部ならびにチベット族出身の中国共産党党員が出ていた。
彼等の言は、貴方の言とそっくりですよ。使う単語も似ているが、自分のイデオロギーへの確信と言う点でもね。
自分と自分のイデオロギーは常に疑いましょう?じゃないと、単なる独善です。
さて、
>いま西暦が日本の近代化、民主主義に基づく政治経済社会の近代化の中で定着して来て、それが世界共通の紀年法として西暦が存在する様になった事に対応した自然なものであるのに対して、
西暦が普及したのは近代化や民主主義が理由ではない。
欧米キリスト教世界が全世界を侵略・征服し、あるいは社会主義革命によって文化・文明が破壊されたからです。
御綺麗な「近代化」「民主主義」という言葉とは対極の理由で西暦が標準化された。
仮に仏教世界が世界を制覇していれば仏暦が、イスラム世界が制覇していればイスラム暦が標準だっただろう。
>元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき
復古も糞もない。
現在進行形で在る文化だ。
>世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、
で、世界の進行方向は常に正しいのかな?
それ、進歩主義イデオロギーでしょう?
また、あなた方が認めがたい進行方向もあるでしょう?例えばマルクス主義の完全な失敗など。
>それに対して日本国内では反対している人が少数という様な、世界の中の日本という前提を無視した問題のすり替えと元号批判を封じようとする圧力で正当化する事は間違っているという事です。
文章が支離滅裂で文意が読み取れないが、「世界の中の日本」を意識しているからこそ元号を棄てられないんです。
周りと同じことをやればいい、という経営者はヘボでしょう?
以下は略。
No title
元号でしか日本を意識できないのかな?
No title
>元号でしか日本を意識できないのかな?
キモい「元号フェチ」とまで行かずとも、
世の中、そういう人が少なくないようですね。
さらには、
そのような人達の過半数は、
①天皇・皇后の姿を見て、
②日本って凄い!の自画自賛をテレビで見たり、その手の本を読んで、
③中国や韓国をボロクソに叩くメディアの情報を見て
日本人で良かった!
日本って、ええなあ~!凄いなあ~!
と、なりますから、
安倍政権を批判したり、
元号制度を批判したり、
日本の政治や歴史・文化・習慣等を批判すると、
とたんに血圧の上が200に、下が110を超え、
「オマエはそれでも日本人か!」「中韓の味方をするのか!」
「自虐史観だ!」「反日だ!」
「左翼だ!」「危険思想の持ち主だ!」
と、
まるで、菅原道真か平家の怨霊のような恨みの目を向けるのです。
キモい「元号フェチ」とまで行かずとも、
世の中、そういう人が少なくないようですね。
さらには、
そのような人達の過半数は、
①天皇・皇后の姿を見て、
②日本って凄い!の自画自賛をテレビで見たり、その手の本を読んで、
③中国や韓国をボロクソに叩くメディアの情報を見て
日本人で良かった!
日本って、ええなあ~!凄いなあ~!
と、なりますから、
安倍政権を批判したり、
元号制度を批判したり、
日本の政治や歴史・文化・習慣等を批判すると、
とたんに血圧の上が200に、下が110を超え、
「オマエはそれでも日本人か!」「中韓の味方をするのか!」
「自虐史観だ!」「反日だ!」
「左翼だ!」「危険思想の持ち主だ!」
と、
まるで、菅原道真か平家の怨霊のような恨みの目を向けるのです。
No title
とりあえず西暦の便利さを認めるという事なら公文書、公示、公報は西暦にしましょう。
金融機関、医療福祉、公共交通、マスメディア、流通システム、観光施設などで外国人に理解不能な元号は国際交流を阻害して日本の国際社会での地位向上、発展的活動にマイナス効果とならない様に西暦の使用を推奨しましょう。
金融機関、医療福祉、公共交通、マスメディア、流通システム、観光施設などで外国人に理解不能な元号は国際交流を阻害して日本の国際社会での地位向上、発展的活動にマイナス効果とならない様に西暦の使用を推奨しましょう。
No title
<先日、チベットの「開発」を取り上げたNHKのドキュメントを観た。
そこには中国共産党宣伝部ならびにチベット族出身の中国共産党党員が出ていた。
彼等の言は、貴方の言とそっくりですよ。使う単語も似ているが、自分のイデオロギーへの確信と言う点でもね。>
私、もうだいぶ以前に自室のTVが壊れてからTVをあまり見なくなってその番組も見てないんです。
だから自分がチベット人の共産党員に似てるかどうかよくわからないんですけど、ボドサケラスさんには他エントリーにも書きましたけれど、客観的な事実かどうか認識できる事を書かれているか、
<だからいつも「貴方の発言には根拠ゼロ」と私が指摘してるんですよ>と私に言われていた事を思い返してください。
そこには中国共産党宣伝部ならびにチベット族出身の中国共産党党員が出ていた。
彼等の言は、貴方の言とそっくりですよ。使う単語も似ているが、自分のイデオロギーへの確信と言う点でもね。>
私、もうだいぶ以前に自室のTVが壊れてからTVをあまり見なくなってその番組も見てないんです。
だから自分がチベット人の共産党員に似てるかどうかよくわからないんですけど、ボドサケラスさんには他エントリーにも書きましたけれど、客観的な事実かどうか認識できる事を書かれているか、
<だからいつも「貴方の発言には根拠ゼロ」と私が指摘してるんですよ>と私に言われていた事を思い返してください。
これでは返す言葉がありません。
私を含め、今ここでコメントしている方々は元号でしか日本を意識できないような方々ではありませんよ。
こんな当たり前なこと言われたらいいがかりに聞えるだけです。
これではレッテル張りで話し合いにもならないと思います。
>まるで、菅原道真か平家の怨霊のような恨みの目を向けるのです。
↑誰に向って言っているのですか?
恨みの目を向けるような人は一部の人であり、
おなじく今ここでコメントしている方々にそのような人はいませんよ。
あきらかに該当するわけないことで批判されても返す言葉がないではありませんか。
こういう発言が感情論に思えるのです。
話し合いにならないコメントは慎みましょうよ。
>とりあえず西暦の便利さを認めるという事なら公文書、公示、公報は西暦にしましょう。
↑そうですね。時の流れには逆らえないもの一理あります。
ただせめて()などで平行記載してもらいたいと思います。
また行事や式典、または民間の冠婚葬祭などは元号記載をメインにしたいものです。
こんな当たり前なこと言われたらいいがかりに聞えるだけです。
これではレッテル張りで話し合いにもならないと思います。
>まるで、菅原道真か平家の怨霊のような恨みの目を向けるのです。
↑誰に向って言っているのですか?
恨みの目を向けるような人は一部の人であり、
おなじく今ここでコメントしている方々にそのような人はいませんよ。
あきらかに該当するわけないことで批判されても返す言葉がないではありませんか。
こういう発言が感情論に思えるのです。
話し合いにならないコメントは慎みましょうよ。
>とりあえず西暦の便利さを認めるという事なら公文書、公示、公報は西暦にしましょう。
↑そうですね。時の流れには逆らえないもの一理あります。
ただせめて()などで平行記載してもらいたいと思います。
また行事や式典、または民間の冠婚葬祭などは元号記載をメインにしたいものです。
ひまわりさん、再度前述分
>>>残念ながら人口の数%にはこういう人達もいるんです。だから、いくら説得しても全くの無駄に終わると思いますよ。
>>>ひまわりさん、無駄でしょ?(^^♪
ね。
>>>ひまわりさん、無駄でしょ?(^^♪
ね。
何に興奮致しましょうか?
京都の住所って、どこそこノボルだの下るだか下がるだの、独特のがあったかと。京都人じゃないので正確なところは忘れましたけど、京都の人から手紙を貰ったりすると、歴史を感じて、サスガ京都はエエなあー、と思います。
アメリカの住所って、ナニナニ通り何番と機械的に番号が振ってあり、外国人にも辿り着きやすいとか何かで読んだ気がします。歴史の短い新しい国であり、多様な文化がやってくる国なので、合理主義一辺倒の住所表記は合目的的ではありますネ。
かと言って、増加する外国人観光客に便利なように、京都の住所をアメリカ式に替えちゃうかと言うと、それは勿体ないでしょう。国際化というのは、決して自国の文化を捨てて、外人にもわかりやすい合理性一辺倒になることではないですよね。転勤族の京都市民にも多少不便をかけることになっても、昔ながらの地名は残しておきたいものですよね。
京都程ではないけれど、住居表示の合理化や、近年の市町村合併によって、歴史ある地名が失われたことを惜しむ反省の声も聞こえます。一度失われたものは戻らないのですから、出来るだけ歴史や文化は大事にしたいものですよね。
長く続いて来た年号を公文書に使うことで残したいと考える国民が多数なら、それを法で定めることは良いと思います。もし、元号や天皇制が因習となって廃れてしまうことがあるとしたら、元号廃止派が国民の多数になり、法改正ができることですので。
私は安倍政権には批判的で、自民党史上最低の内閣だと思っています。今回の件も、陛下の退位を許さず、摂政で良かろう、死ぬまで天皇やっとれと、陛下の御意向を無視しまくったので、遂に陛下がビデオレターで国民に呼びかけられ、安倍総理もさすがに国民多数の声を無視できなかったので退位が実現したにもかかわらず、自分の反天皇っぷりを棚に上げて、元号変更を政治ショー化し支持率アップに結び付けるなど、なんちゅうチャッカリ小僧だと怒っていますよ。したたかであり、巧妙ではありますし、それ故の高支持率ではありますが。
今、元号廃止を主張している人の多くは、天皇制廃止の方でしょう。だから、仏教の寺院の保護に税金を使うことには反対しないのに、皇室関係だと途端に文化性まで否定しようとかかるのだと思います。
他のサイトを見ても、元号に批判的な御意見の方は、韓国軍艦の火器管制レーダー照射問題や元朝鮮労働者問題などでも、日本政府に批判的な立場に立たれていた方が多いでしょう。
で、左の立場から、元号廃止意見が、元号賛成者はフェチやら何やらとキビシイ言葉で論じられると、西暦に統一しようという合理性優先論の人も一定程度居て当然の問題なのだとわかっていても、赤い布をヒラヒラさせられると猛然と突撃したくなる闘牛のように興奮してしまいがちな向きがおられるのだろうと。
男なら、興奮するのは別のモノにしヨーよ。金をこれだけ期待するオリンピックを契機に、エロ本をコンビニから排除してしまって、日本の金は大丈夫なのかア~、とか。
アメリカの住所って、ナニナニ通り何番と機械的に番号が振ってあり、外国人にも辿り着きやすいとか何かで読んだ気がします。歴史の短い新しい国であり、多様な文化がやってくる国なので、合理主義一辺倒の住所表記は合目的的ではありますネ。
かと言って、増加する外国人観光客に便利なように、京都の住所をアメリカ式に替えちゃうかと言うと、それは勿体ないでしょう。国際化というのは、決して自国の文化を捨てて、外人にもわかりやすい合理性一辺倒になることではないですよね。転勤族の京都市民にも多少不便をかけることになっても、昔ながらの地名は残しておきたいものですよね。
京都程ではないけれど、住居表示の合理化や、近年の市町村合併によって、歴史ある地名が失われたことを惜しむ反省の声も聞こえます。一度失われたものは戻らないのですから、出来るだけ歴史や文化は大事にしたいものですよね。
長く続いて来た年号を公文書に使うことで残したいと考える国民が多数なら、それを法で定めることは良いと思います。もし、元号や天皇制が因習となって廃れてしまうことがあるとしたら、元号廃止派が国民の多数になり、法改正ができることですので。
私は安倍政権には批判的で、自民党史上最低の内閣だと思っています。今回の件も、陛下の退位を許さず、摂政で良かろう、死ぬまで天皇やっとれと、陛下の御意向を無視しまくったので、遂に陛下がビデオレターで国民に呼びかけられ、安倍総理もさすがに国民多数の声を無視できなかったので退位が実現したにもかかわらず、自分の反天皇っぷりを棚に上げて、元号変更を政治ショー化し支持率アップに結び付けるなど、なんちゅうチャッカリ小僧だと怒っていますよ。したたかであり、巧妙ではありますし、それ故の高支持率ではありますが。
今、元号廃止を主張している人の多くは、天皇制廃止の方でしょう。だから、仏教の寺院の保護に税金を使うことには反対しないのに、皇室関係だと途端に文化性まで否定しようとかかるのだと思います。
他のサイトを見ても、元号に批判的な御意見の方は、韓国軍艦の火器管制レーダー照射問題や元朝鮮労働者問題などでも、日本政府に批判的な立場に立たれていた方が多いでしょう。
で、左の立場から、元号廃止意見が、元号賛成者はフェチやら何やらとキビシイ言葉で論じられると、西暦に統一しようという合理性優先論の人も一定程度居て当然の問題なのだとわかっていても、赤い布をヒラヒラさせられると猛然と突撃したくなる闘牛のように興奮してしまいがちな向きがおられるのだろうと。
男なら、興奮するのは別のモノにしヨーよ。金をこれだけ期待するオリンピックを契機に、エロ本をコンビニから排除してしまって、日本の金は大丈夫なのかア~、とか。
No title
御新茶磨さん。
>皇室関係だと途端に文化性まで否定しようとかかるのだと思います。
こんな人、いますか?
私はそういう主張をする人を知りません。
これは、ステレオタイプの決め付けではありませんか?
ただし、皇室関係の文化とは、どの辺りまでの範囲を意味するかにもよります。
例えば、
①京都御所の文化的価値を否定したり、税金が使われることに反対する?
②後鳥羽天皇が詠んだ和歌の価値を否定します?
③後白河法皇が編集した、今様の「梁塵秘抄」の価値を否定します?
上の3つの例と元号制度の問題とは同じ次元ではありません。
皇室関係であるにせよ、無いにせよ、
個別の皇室関係の文化・遺産の価値と、元号制度は、
同じ次元で扱われる問題でしょうか?
>皇室関係だと途端に文化性まで否定しようとかかるのだと思います。
こんな人、いますか?
私はそういう主張をする人を知りません。
これは、ステレオタイプの決め付けではありませんか?
ただし、皇室関係の文化とは、どの辺りまでの範囲を意味するかにもよります。
例えば、
①京都御所の文化的価値を否定したり、税金が使われることに反対する?
②後鳥羽天皇が詠んだ和歌の価値を否定します?
③後白河法皇が編集した、今様の「梁塵秘抄」の価値を否定します?
上の3つの例と元号制度の問題とは同じ次元ではありません。
皇室関係であるにせよ、無いにせよ、
個別の皇室関係の文化・遺産の価値と、元号制度は、
同じ次元で扱われる問題でしょうか?
ここで言う文化の問題とは。
元号を続けたいという8割の国民の声を遅れたものとして排斥しようとする姿勢のことを指しています。
No title
御新茶磨さん。
>元号を続けたいという8割の国民の声を遅れたものとして排斥しようとする姿勢
ステレオタイプにしか物事を見れない人と話すのは難しいと良く分かる事例。
これで、御新茶磨さんの「本音」も垣間見えました。
>元号を続けたいという8割の国民の声を遅れたものとして排斥しようとする姿勢
ステレオタイプにしか物事を見れない人と話すのは難しいと良く分かる事例。
これで、御新茶磨さんの「本音」も垣間見えました。
>諸兄
>猪野弁護士
>元号でしか日本を意識できないのかな?
なんで「しか」になっちゃうのです?
これ、故意にやってんですか?それともナチュラル?
一般的にブランドアイコンは複数あるものだが、
「複数あるからひとつひとつを軽視しても構わない」
とはならないでしょ?
>片割月さん
意味不明なネトウヨ攻撃をしていないで「反論」をしましょう。
・・・というかね、貴女は「私の仕事の邪魔だから元号やめろ」と本音を書くだけで良いのでは?
それなら、少なくとも個別最適の範囲に限れば正当性を持つ主張ですよ。全体最適については「俺にはわからん」と言っておけばよろしい。
それなのに、欲張って自説に普遍的な正当性を持たせようと妙なネトウヨ攻撃をしたりするから議論が発散して意味不明になる。
>rot さん
>だから自分がチベット人の共産党員に似てるかどうかよくわからないんですけど、ボドサケラスさんには他エントリーにも書きましたけれど、客観的な事実かどうか認識できる事を書かれているか、
><だからいつも「貴方の発言には根拠ゼロ」と私が指摘してるんですよ>と私に言われていた事を思い返してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/お前だって論法
https://ja.wikipedia.org/wiki/そっちこそどうなんだ主義
↑
これ、反論にならないんですよ。典型的な詭弁の論法なので。前にも指摘しませんでしたか?
詭弁ではなく「反論」をどうぞ。
そういえば以前に貴方は「今すぐ自衛隊を無くさなきゃ核戦争がヤバイ」みたいな主張をしておられたが、これに私が根拠を要求したところ、「根拠は現実世界を見れば明らかじゃないですか」みたいな返しがあったと記憶している。
はたして、根拠とはその程度のものでよろしいのですかねぇ。。。
>元号でしか日本を意識できないのかな?
なんで「しか」になっちゃうのです?
これ、故意にやってんですか?それともナチュラル?
一般的にブランドアイコンは複数あるものだが、
「複数あるからひとつひとつを軽視しても構わない」
とはならないでしょ?
>片割月さん
意味不明なネトウヨ攻撃をしていないで「反論」をしましょう。
・・・というかね、貴女は「私の仕事の邪魔だから元号やめろ」と本音を書くだけで良いのでは?
それなら、少なくとも個別最適の範囲に限れば正当性を持つ主張ですよ。全体最適については「俺にはわからん」と言っておけばよろしい。
それなのに、欲張って自説に普遍的な正当性を持たせようと妙なネトウヨ攻撃をしたりするから議論が発散して意味不明になる。
>rot さん
>だから自分がチベット人の共産党員に似てるかどうかよくわからないんですけど、ボドサケラスさんには他エントリーにも書きましたけれど、客観的な事実かどうか認識できる事を書かれているか、
><だからいつも「貴方の発言には根拠ゼロ」と私が指摘してるんですよ>と私に言われていた事を思い返してください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/お前だって論法
https://ja.wikipedia.org/wiki/そっちこそどうなんだ主義
↑
これ、反論にならないんですよ。典型的な詭弁の論法なので。前にも指摘しませんでしたか?
詭弁ではなく「反論」をどうぞ。
そういえば以前に貴方は「今すぐ自衛隊を無くさなきゃ核戦争がヤバイ」みたいな主張をしておられたが、これに私が根拠を要求したところ、「根拠は現実世界を見れば明らかじゃないですか」みたいな返しがあったと記憶している。
はたして、根拠とはその程度のものでよろしいのですかねぇ。。。
お互い難しさは感じているのですが。
それまでさんざん元号と文化のことを論じ合っていたのだから、元号の話だって分かるはずでしょうに。どうして、京都御所やら梁塵秘抄が出てくるのかなあ。それらに異を唱えている人などいないことは常識の範疇だと思うのだけれど。
ステレオかラジオか知りませんけれど、おかしな聞こえ方がするのなら、早めに修理なさった方がよろしいのではないかしらん。
ステレオかラジオか知りませんけれど、おかしな聞こえ方がするのなら、早めに修理なさった方がよろしいのではないかしらん。
基本的人権の一つとして
西暦が嫌いな私は、元号を使用する権利を主張します。西暦を強制されない権利を主張します。
No title
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
(憲法第20条)
キリスト教信者は西暦を、天皇教信者は元号を、無宗教の人は何方でも好きな方を選択できますね。
国家が元号を強制すべきものではないのですよ。
自然と、便利な方を多くの人が使うようになります。
ちなみに、
公安委員会が発行する自動車の免許証を元号で表記するのはやめるべきですね。
警察庁は、運転免許証の有効期限について西暦と元号を併記することを決めた。同庁は、外国人ドライバーの増加などを理由に元号から西暦に変更する方針を公表。しかしパブリックコメント(意見公募)を実施したところ、反対や併記を望む意見が多かったという。2019年3月以降、システムの改修を終えた都道府県から順次移行する。
(憲法第20条)
キリスト教信者は西暦を、天皇教信者は元号を、無宗教の人は何方でも好きな方を選択できますね。
国家が元号を強制すべきものではないのですよ。
自然と、便利な方を多くの人が使うようになります。
ちなみに、
公安委員会が発行する自動車の免許証を元号で表記するのはやめるべきですね。
警察庁は、運転免許証の有効期限について西暦と元号を併記することを決めた。同庁は、外国人ドライバーの増加などを理由に元号から西暦に変更する方針を公表。しかしパブリックコメント(意見公募)を実施したところ、反対や併記を望む意見が多かったという。2019年3月以降、システムの改修を終えた都道府県から順次移行する。
シンボルも大切、バランスも大切。
イスラム教徒にはイスラム歴、ヒンズー教徒にはヒンズー歴(そんなのあるのかな)等々と言う訳にも行かず、適当な落としどころを探すバランス感覚の問題でしょう。元号を支持すると、天皇教信者呼ばわりする左寄りの方には、歴史・伝統の縦糸と、社会の横糸の上でバランスを取る感覚が難しいのでしょうけれど
アメリカ製パソコンソフトの広がりなどで、併記の場面は増えるでしょうし、平成は昭和の半分以下の長さであり、令和も昭和ほどには行きそうもないでしょうから、今回のような元号変更問題はまた起きますので、便利さと伝統・文化の保持との間でどうバランスをとるかを、その都度考えて行けばよい話でしょうに。
アメリカ製パソコンソフトの広がりなどで、併記の場面は増えるでしょうし、平成は昭和の半分以下の長さであり、令和も昭和ほどには行きそうもないでしょうから、今回のような元号変更問題はまた起きますので、便利さと伝統・文化の保持との間でどうバランスをとるかを、その都度考えて行けばよい話でしょうに。
No title
御新茶磨さんが言われる8割が元号を、という事についてですが、それは具体的にどれかの世論調査をもとにして言われているという事ですか?
また、文化の問題とは元号を遅れたものとして排斥しようとする姿勢のこと、と言われますが、排斥というものがどういう事を指すのか、そして少数派としての主張をする事が排斥にあたるのか、排斥という様な言葉が妥当であり、実態を示しているのかという疑問を持ちます。
また、文化の問題とは元号を遅れたものとして排斥しようとする姿勢のこと、と言われますが、排斥というものがどういう事を指すのか、そして少数派としての主張をする事が排斥にあたるのか、排斥という様な言葉が妥当であり、実態を示しているのかという疑問を持ちます。
少数だからとおっしゃってもナア。
新元号発表の翌朝の読売新聞で、元号存続が8割というような小見出しがありました。一般紙でも多少のばらつきはあるのでしょうが、7割や9割でも大勢に影響ないでしょう。
元号変更は、面倒で合理性が無いナアという御意見の表明であれば、そういう考え方もあるでしょうねえという受け止め方で済む話なんですが、
結論が元号廃止にまで行っちゃったり、併存派でも、元号存続は古臭い価値観に捉われているとか,ましてや安倍内閣支持などと評すれば、少数派だからって言っていいこととイケナイことはあるんじゃないかなあ、という疑問を持ちます、ヨ。
元号変更は、面倒で合理性が無いナアという御意見の表明であれば、そういう考え方もあるでしょうねえという受け止め方で済む話なんですが、
結論が元号廃止にまで行っちゃったり、併存派でも、元号存続は古臭い価値観に捉われているとか,ましてや安倍内閣支持などと評すれば、少数派だからって言っていいこととイケナイことはあるんじゃないかなあ、という疑問を持ちます、ヨ。
No title
御新茶磨さん、私は元号は廃止したほうが良い、つまり元祖である中国の様に新元号継続を止める事を考えるべきだと思っていますが、言ってはいけない事なんでしょうか?
もしそうだとおっしゃるなら、具体的にどの様にされるべきとお考えなんでしょうか?
御新茶磨さんは弁護士さんだと言われていた事を覚えていますが、およそ元号についての立場や意見の相違を、どの様に表明するかは憲法に規定されている言論表現の自由に基づいて行われるべきだという事が当然であることは、言うまでもない事であるとご承知だと思います。
それにもかかわらず私、あるいは片割月さんを、触れてはいけない超憲法的文化タブーに触れてしまった少数者として、合理性とかを多少異議を表す程度の人とは違う、許されない立場とする事は正しいのでしょうか。
私は少なくとも片割月さんに対して、<ステレオかラジオか知りませんけれど、おかしな聞こえ方がするのなら、早めに修理なさった方がよろしいのではないかしらん>と、言論する人間同士としての尊重から外れた様な事を、多数や伝統が我々に正当性を与えているという考えの下で行う事に必要も正当性もあるとは思えません。
もしそうだとおっしゃるなら、具体的にどの様にされるべきとお考えなんでしょうか?
御新茶磨さんは弁護士さんだと言われていた事を覚えていますが、およそ元号についての立場や意見の相違を、どの様に表明するかは憲法に規定されている言論表現の自由に基づいて行われるべきだという事が当然であることは、言うまでもない事であるとご承知だと思います。
それにもかかわらず私、あるいは片割月さんを、触れてはいけない超憲法的文化タブーに触れてしまった少数者として、合理性とかを多少異議を表す程度の人とは違う、許されない立場とする事は正しいのでしょうか。
私は少なくとも片割月さんに対して、<ステレオかラジオか知りませんけれど、おかしな聞こえ方がするのなら、早めに修理なさった方がよろしいのではないかしらん>と、言論する人間同士としての尊重から外れた様な事を、多数や伝統が我々に正当性を与えているという考えの下で行う事に必要も正当性もあるとは思えません。
No title
それと世論調査での8割という事についてですが、内閣府などが40年前ぐらいに行なった調査や、至近の調査において元号存続が良いとする人が8割前後である意味と内容をどう分析するかについては、まだ議論を大いにおこなう必要が有ると考えます。
産経が今年の1月に行なった世論調査を伝える記事によりますと、『平成世代、元号は馴染み薄く』の記事中において元号と西暦のどちらを普段使いたいかとの設問に、60代をのぞくすべての年齢層で西暦が元号をうわまわり、特に10~20代では元号が15%程度にとどまり、元号への馴染みの薄さが顕著に表れたという事です。
これは御新茶磨さんの言われる圧倒的な元号に対する支持を表していると理解できるでしょうか。
産経が今年の1月に行なった世論調査を伝える記事によりますと、『平成世代、元号は馴染み薄く』の記事中において元号と西暦のどちらを普段使いたいかとの設問に、60代をのぞくすべての年齢層で西暦が元号をうわまわり、特に10~20代では元号が15%程度にとどまり、元号への馴染みの薄さが顕著に表れたという事です。
これは御新茶磨さんの言われる圧倒的な元号に対する支持を表していると理解できるでしょうか。
No title
意見は御自由ですし、表現方法も御自由ですよ。但し、御自分の出した結論や、表現方法に対して、相手にも批判する自由があるのです。
「ステレオタイプにしか物事を見れない人と話すのは難しいと良く分かる事例。」等、ステレオタイプでとらえる人と2度もおっしゃれば、撥ねっ返りは覚悟すべきでしょ?
元号に賛成するのは安倍政権支持者という捉え方こそステレオタイプ的な捉え方、前者は8割後者は4割なのに、と真正面から撃ち返すよりはユーモアと皮肉を交えてみたのです。
同じ読売の記事の中で、どちらをより使いたいかに関し、同じくらいが半分で、元号・西暦が各4分の1位程度の記載もあったと思います。ただ、どちらをより使いたいかの問題と、元号を廃止すべきかは別ですよね。存続派が8割は変わらないし、使いたい方でも、同じくらいと元号を足せば3/4ですので、存続派の8割とほぼ同じです。
IT技術はアメリカのソフトですので若いほど西暦を使うのはよくわかりますし、私自身、天皇や皇室の意義など目に見えないものの価値がわかり始めたのは30過ぎで、若い頃は、皇居を公園にして関東大震災の避難所にしたらいいのにと考えていたくらいでした。
50歳を過ぎ自分の人生の終わりが見え、次の世代や、そのまた次の世代に、どのような世の中をバトンタッチするのかを考えるようになって、司法試験合格者も1500人より大幅に減員しなければならないとか、安倍内閣不支持とかを積極的に表明するようになりました。天皇や皇室、元号を含めた日本の文化も大切に引き継いで行きたいというのも、その一環なのです。
「ステレオタイプにしか物事を見れない人と話すのは難しいと良く分かる事例。」等、ステレオタイプでとらえる人と2度もおっしゃれば、撥ねっ返りは覚悟すべきでしょ?
元号に賛成するのは安倍政権支持者という捉え方こそステレオタイプ的な捉え方、前者は8割後者は4割なのに、と真正面から撃ち返すよりはユーモアと皮肉を交えてみたのです。
同じ読売の記事の中で、どちらをより使いたいかに関し、同じくらいが半分で、元号・西暦が各4分の1位程度の記載もあったと思います。ただ、どちらをより使いたいかの問題と、元号を廃止すべきかは別ですよね。存続派が8割は変わらないし、使いたい方でも、同じくらいと元号を足せば3/4ですので、存続派の8割とほぼ同じです。
IT技術はアメリカのソフトですので若いほど西暦を使うのはよくわかりますし、私自身、天皇や皇室の意義など目に見えないものの価値がわかり始めたのは30過ぎで、若い頃は、皇居を公園にして関東大震災の避難所にしたらいいのにと考えていたくらいでした。
50歳を過ぎ自分の人生の終わりが見え、次の世代や、そのまた次の世代に、どのような世の中をバトンタッチするのかを考えるようになって、司法試験合格者も1500人より大幅に減員しなければならないとか、安倍内閣不支持とかを積極的に表明するようになりました。天皇や皇室、元号を含めた日本の文化も大切に引き継いで行きたいというのも、その一環なのです。
↑
>イスラム教徒にはイスラム歴、ヒンズー教徒にはヒンズー歴(そんなのあるのかな)
気になって調べて見たが、有りますね、ヒンズー歴。
ご存じのようにインドは地域差が大きく、各地で色んなパターンのヒンズー歴を使っていたらしいですが、
独立後の1957年に政府がインド国定歴というヒンズー歴を制定したそうです。
で、現在は西暦とインド国定歴を併用していると。
独立後のインドは国民国家化に力を入れているので、独自の暦の制定もまた、そういう事なんでしょう。
しかしまあ、凄いっすね。
インドはワケわかんない文明だけど、長い間植民地支配されていても全然インドはインドしてる。よくも悪くもめっちゃインド。鍛えに鍛えられた、超絶強固な文明。
日本なんてたった七年間支配されただけでこの有り様なのに・・・
気になって調べて見たが、有りますね、ヒンズー歴。
ご存じのようにインドは地域差が大きく、各地で色んなパターンのヒンズー歴を使っていたらしいですが、
独立後の1957年に政府がインド国定歴というヒンズー歴を制定したそうです。
で、現在は西暦とインド国定歴を併用していると。
独立後のインドは国民国家化に力を入れているので、独自の暦の制定もまた、そういう事なんでしょう。
しかしまあ、凄いっすね。
インドはワケわかんない文明だけど、長い間植民地支配されていても全然インドはインドしてる。よくも悪くもめっちゃインド。鍛えに鍛えられた、超絶強固な文明。
日本なんてたった七年間支配されただけでこの有り様なのに・・・
インド人にビックリ!
アハハ、インダス文明おそるべし、かも知れませんね。
ナショナリズムなのか何なのかはわからないけれど、日本が健全なナショナリズムが育っていないことが弱点なのは確かでしょう。
御調査有り難うございました。
ナショナリズムなのか何なのかはわからないけれど、日本が健全なナショナリズムが育っていないことが弱点なのは確かでしょう。
御調査有り難うございました。
独り言です。
◆1、左派系はもはや時代遅れかもしれない。
左派は着物産業は斜陽産業にしたいように思えてならない。
でも約1200年の伝統を引き継ぐ西陣織はその技術が今世界的に注目を浴びています。
光の当て方で模様や色が変わったり、普通の絵柄でも裏から見ると透けて向こう側が見えたり、そしてまた幾重にも糸を重た絵柄はまるで3Dであるかのようにとまさしく芸術的な仕上がりです。
現在では西陣織りは日本最新テクノロジーの技術と融合しパリコレにも出典されています。
株式会社 細尾 https://www.hatarakitai.jp/miryoku/company/433
~例えば西陣の織物は、世界のマーケットにおいても高いアドバンテージを持っています。
世界の有名メゾンの旗艦店や、パリコレクションのための織物も、私たちは創っています。~(ホームページ参照)
◆2、保守系は基本的に情緒派であり、左派は理論派であると言ってもいい。
保守系は理論理屈では到底説明できない情緒や感性を重んじる。
なぜなら肝は理論理屈では無いからである。
よって理論破綻などまったく怖くない。
しかし左派系は保守系と違い理論以外に何も無い。
よって左派系が理論破綻したら何にも残らない。
◆3,左派は結局は反天皇、反皇室になのだろうか。
左派だからといってお寺や神社が嫌いだとは私には思えない。
しかし皇居も伝統文化の一つと受け止めて頂けるかは私には分からない。
左派は着物産業は斜陽産業にしたいように思えてならない。
でも約1200年の伝統を引き継ぐ西陣織はその技術が今世界的に注目を浴びています。
光の当て方で模様や色が変わったり、普通の絵柄でも裏から見ると透けて向こう側が見えたり、そしてまた幾重にも糸を重た絵柄はまるで3Dであるかのようにとまさしく芸術的な仕上がりです。
現在では西陣織りは日本最新テクノロジーの技術と融合しパリコレにも出典されています。
株式会社 細尾 https://www.hatarakitai.jp/miryoku/company/433
~例えば西陣の織物は、世界のマーケットにおいても高いアドバンテージを持っています。
世界の有名メゾンの旗艦店や、パリコレクションのための織物も、私たちは創っています。~(ホームページ参照)
◆2、保守系は基本的に情緒派であり、左派は理論派であると言ってもいい。
保守系は理論理屈では到底説明できない情緒や感性を重んじる。
なぜなら肝は理論理屈では無いからである。
よって理論破綻などまったく怖くない。
しかし左派系は保守系と違い理論以外に何も無い。
よって左派系が理論破綻したら何にも残らない。
◆3,左派は結局は反天皇、反皇室になのだろうか。
左派だからといってお寺や神社が嫌いだとは私には思えない。
しかし皇居も伝統文化の一つと受け止めて頂けるかは私には分からない。
No title
rotさん面白過ぎるな。
面白い人は嫌いじゃない。
以後、仲良くお願いします(^^♪
面白い人は嫌いじゃない。
以後、仲良くお願いします(^^♪
No title
ボドサケラス・三郎四郎・モヤマテオン さん
*日本なんてたった七年間支配されただけでこの有り様なのに・・・
それは、太平の徳川長期政権が、薩長下級武士成り上がり政権に77年支配され、自ら招いた暴挙に対して原爆で目が覚めただけでしょう。
現在の日本は徳川秀忠の武家諸法度の平和主義を受け継いだ歴史ある政治体制ですよ。
天皇はお伊勢参りなんぞせずに ≪天子諸藝能之事、第一御學問也。≫
それが平和主義・日本というものでしょう。
*日本なんてたった七年間支配されただけでこの有り様なのに・・・
それは、太平の徳川長期政権が、薩長下級武士成り上がり政権に77年支配され、自ら招いた暴挙に対して原爆で目が覚めただけでしょう。
現在の日本は徳川秀忠の武家諸法度の平和主義を受け継いだ歴史ある政治体制ですよ。
天皇はお伊勢参りなんぞせずに ≪天子諸藝能之事、第一御學問也。≫
それが平和主義・日本というものでしょう。
東大平行線さん
>天皇はお伊勢参りなんぞせずに
↑私が先祖の墓参りをしたとき他人から非難されたら間違いなく怒ると思う。
誰でも同じだとおもいますよ。
まして天皇陛下に人権を!と唱えていた人が
どうしてそのような失礼な発言が出来るのかまったく理解出来ません。
つまり天皇嫌いなだけなんでしょう?
やることなすこと気にくわないのですよね。
根底にあるのは結局のところ嫌いという感情だけ。
では天皇陛下に人権を!ってなんだったのですか?
いいかげん自覚した方がいいですよ。
こういう所で本音が見えているんです。
たとえ天皇が嫌い、皇室がムカつくということであってもそれは個人の自由です。
ただ嫌いなくせに嫌いという振る舞いをしないのはなぜ?
他の政治家には嫌いという意思表示をしているのに
天皇にはななぜしないのでしょう。
できないのでしょうか、つまり忖度しているのでしょうか?。
↑私が先祖の墓参りをしたとき他人から非難されたら間違いなく怒ると思う。
誰でも同じだとおもいますよ。
まして天皇陛下に人権を!と唱えていた人が
どうしてそのような失礼な発言が出来るのかまったく理解出来ません。
つまり天皇嫌いなだけなんでしょう?
やることなすこと気にくわないのですよね。
根底にあるのは結局のところ嫌いという感情だけ。
では天皇陛下に人権を!ってなんだったのですか?
いいかげん自覚した方がいいですよ。
こういう所で本音が見えているんです。
たとえ天皇が嫌い、皇室がムカつくということであってもそれは個人の自由です。
ただ嫌いなくせに嫌いという振る舞いをしないのはなぜ?
他の政治家には嫌いという意思表示をしているのに
天皇にはななぜしないのでしょう。
できないのでしょうか、つまり忖度しているのでしょうか?。
No title
ひまわり さん
*天皇にはななぜしないのでしょう。
できないのでしょうか、つまり忖度しているのでしょうか?。
いいえ、
平成天皇には個人的に何の恨みもありません。
むしろ
彼は、バイニング婦人の教えを忠実に守り通した方であると思っています。
しかし、
憲法に忠実であれば、天皇の「象徴としての行為」というのは、どこにも根拠がなく、国政に関与してはならない立場は批判し続けないと同調圧力によりいつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です
。
故に
、各国民は大日本帝国憲法時代の主権者天皇に先祖返りしないよう批判し続ける必要があるのです。特にひまわりさんには!
*天皇にはななぜしないのでしょう。
できないのでしょうか、つまり忖度しているのでしょうか?。
いいえ、
平成天皇には個人的に何の恨みもありません。
むしろ
彼は、バイニング婦人の教えを忠実に守り通した方であると思っています。
しかし、
憲法に忠実であれば、天皇の「象徴としての行為」というのは、どこにも根拠がなく、国政に関与してはならない立場は批判し続けないと同調圧力によりいつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です
。
故に
、各国民は大日本帝国憲法時代の主権者天皇に先祖返りしないよう批判し続ける必要があるのです。特にひまわりさんには!
No title
*私が先祖の墓参りをしたとき他人から非難されたら間違いなく怒ると思う
平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。
昭和天皇は東京都八王子市 東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地が墓地ですよ。
お伊勢参りは、神話に基づく宗教行為ですネ。
天皇教の復活?
平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。
昭和天皇は東京都八王子市 東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地が墓地ですよ。
お伊勢参りは、神話に基づく宗教行為ですネ。
天皇教の復活?
東大平行線さん
日本帝国憲法時代の主権者天皇に先祖返りしないよう、人の墓参りまで阻止するんですか?
天皇にも人権を!とおっしゃってた人が?
まったく人権派ではないですね。
これではご都合人権派ですよ。
先祖返りしないよう元号を批判する、墓参りもやめさせる、人権もクソもない、
、、、目的の為なら手段選ばず、、、、これ旧日本軍の戦術でもありましたね。
あんだけ恐れていた旧日本軍と戦略が同じなんてね。
天皇にも人権を!とおっしゃってた人が?
まったく人権派ではないですね。
これではご都合人権派ですよ。
先祖返りしないよう元号を批判する、墓参りもやめさせる、人権もクソもない、
、、、目的の為なら手段選ばず、、、、これ旧日本軍の戦術でもありましたね。
あんだけ恐れていた旧日本軍と戦略が同じなんてね。
東大平行線さん
>いつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です。
これは天皇の責任ではありませんよ。
墓参りをさせない根拠にはなりません。
横暴すぎます。
これは天皇の責任ではありませんよ。
墓参りをさせない根拠にはなりません。
横暴すぎます。
令という字を用いた『令和』という元号を、元号自体の賛否を別に考えても駄目と思う理由。
今日の朝日新聞朝刊に『令和』という元号を発案推挙した中西進さんに対するインタビュー記事が掲載されていますが、中西さんは令をよいという意味がある上に、うるわしいという意味があると述べられていますが、私は、うるわしくと解するのは中西さんと違って、麗しくと用いるのが自然であると思いますし一般的にそうだと思います、『麗しのサブリナ』とかいう様に。
中西さんのインタビュー記事については最後で述べます。
令という字は命令という用法が示す様に基本的に熟語の上に来る字ではないということが、なまじ万葉集などから引用しようとした為に無視されているのではないかと思うのです。
さらにこれは令という字本体について考えたのですが、令という字は本来的に、玲や冷、怜、齢、零、嶺、鈴、苓、伶、澪、領などの様に、カンムリや偏、他の漢字と組み合わせて使われる字ではないでしょうか。
この点を無視して令和とした為に多くの人が違和感を感じるアンバランスさが出て来たのではないかと。
この事は実際に『令和』と書く上でも、令は『ひとやね』、『ひとがしら』という部首なのだそうですが、
書きにくい漢字二文字の元号となっていないかとも考えるのです。
さらに多くの人が指摘されている事ですが、冷たい感じ、イメージを覚えるという点です。
これは令月や令嬢、令息という用語でもそうなんですが、令自体に厳しく、突き放された、冷たいイメージが含まれているからだと思います。
命令をはじめとして律令、法令、戒厳令、徴兵令、召集、捜査など令状、の令にしても厳しく、突き放した、冷然としたものとしての意味が多分にあり、令月にしても、よい月という意味よりも、陰暦の2月、新暦では2月から4月初めですからひんやりとする、肌寒くまだ寒気厳しい月の頃という意味があるだろうと思います。
令に、『にすい』で冷になりますが、にすいとは冫部(ひょうぶ)、氷の原字だそうです。
これに上記した漢字としての用い方の違和感、アンバランスさが重なって、『令和』という元号は、冷たい、素っ気無い、語感と印象を持つ、淋しくよそよそしい元号と成っていないでしょうか。
令という字がこれまで元号に一度も使われなかった事にも理由が有り、むしろ禁じ手、禁字として対象から除外されていたのだという事ではないでしょうか。
歴史上の元号を振り返ると『明和』九年が迷惑を連想させるとして改元されたというのよく知られていますが、『令和』九年なども冷悪、霊悪を連想させないでしょうか。
中西さんのインタビュー記事の感想を述べますと、辞書を引くと令は善のことだと書かれているというのはその通りだと思いますが、命令を良い事を他人にさせようとすれば命令となると言われているのには、多くの人がそう思っているかという疑問が浮かびます。
そして平和を念頭において『令和』を発案したと述べられていること自体はもっともな事だと思いますが、それではなぜ『平和』としなかったのか、ならなかったのかという素朴な疑問を覚えました。
『令和』という元号を認識すればするほど、『平和』とは違うのだという事を認識せざるを得ないのではないかと思うのです。
『令和』と『平和』が厳然と違う、大違いであることを認識させられる時代とならない事を願います。
また万葉集が典拠であり、中国古典が典拠であるという異論に対して否定的な見解を述べられていく中で元号を『一国のライフインデックス』『生命の索引』であり、文化的装置と述べられた後に、元号の歴史的矛盾と中国文化へ依存してきた歴史にピリオドを打たねばと思うと述べられました。
この思いに対してなぜかインタビュアーが、元号自体の継続という重大な疑問を問わなかった事は残念です。
インタビューの最後近くで、元号はこの先も存在感を維持できるかという問いに中西さんは、元号という文化に参画する喜びがカギになるでしょう、と述べられました。
私はその時に重要なのは、二文字の漢字に対する印象とそれにもとづく好悪の国民的受け止めだと思うのですが、『令和』がそのような国民的好感を持って受け止められるか前記で挙げた理由により疑問に思っている訳です。
中西さんのインタビュー記事については最後で述べます。
令という字は命令という用法が示す様に基本的に熟語の上に来る字ではないということが、なまじ万葉集などから引用しようとした為に無視されているのではないかと思うのです。
さらにこれは令という字本体について考えたのですが、令という字は本来的に、玲や冷、怜、齢、零、嶺、鈴、苓、伶、澪、領などの様に、カンムリや偏、他の漢字と組み合わせて使われる字ではないでしょうか。
この点を無視して令和とした為に多くの人が違和感を感じるアンバランスさが出て来たのではないかと。
この事は実際に『令和』と書く上でも、令は『ひとやね』、『ひとがしら』という部首なのだそうですが、
書きにくい漢字二文字の元号となっていないかとも考えるのです。
さらに多くの人が指摘されている事ですが、冷たい感じ、イメージを覚えるという点です。
これは令月や令嬢、令息という用語でもそうなんですが、令自体に厳しく、突き放された、冷たいイメージが含まれているからだと思います。
命令をはじめとして律令、法令、戒厳令、徴兵令、召集、捜査など令状、の令にしても厳しく、突き放した、冷然としたものとしての意味が多分にあり、令月にしても、よい月という意味よりも、陰暦の2月、新暦では2月から4月初めですからひんやりとする、肌寒くまだ寒気厳しい月の頃という意味があるだろうと思います。
令に、『にすい』で冷になりますが、にすいとは冫部(ひょうぶ)、氷の原字だそうです。
これに上記した漢字としての用い方の違和感、アンバランスさが重なって、『令和』という元号は、冷たい、素っ気無い、語感と印象を持つ、淋しくよそよそしい元号と成っていないでしょうか。
令という字がこれまで元号に一度も使われなかった事にも理由が有り、むしろ禁じ手、禁字として対象から除外されていたのだという事ではないでしょうか。
歴史上の元号を振り返ると『明和』九年が迷惑を連想させるとして改元されたというのよく知られていますが、『令和』九年なども冷悪、霊悪を連想させないでしょうか。
中西さんのインタビュー記事の感想を述べますと、辞書を引くと令は善のことだと書かれているというのはその通りだと思いますが、命令を良い事を他人にさせようとすれば命令となると言われているのには、多くの人がそう思っているかという疑問が浮かびます。
そして平和を念頭において『令和』を発案したと述べられていること自体はもっともな事だと思いますが、それではなぜ『平和』としなかったのか、ならなかったのかという素朴な疑問を覚えました。
『令和』という元号を認識すればするほど、『平和』とは違うのだという事を認識せざるを得ないのではないかと思うのです。
『令和』と『平和』が厳然と違う、大違いであることを認識させられる時代とならない事を願います。
また万葉集が典拠であり、中国古典が典拠であるという異論に対して否定的な見解を述べられていく中で元号を『一国のライフインデックス』『生命の索引』であり、文化的装置と述べられた後に、元号の歴史的矛盾と中国文化へ依存してきた歴史にピリオドを打たねばと思うと述べられました。
この思いに対してなぜかインタビュアーが、元号自体の継続という重大な疑問を問わなかった事は残念です。
インタビューの最後近くで、元号はこの先も存在感を維持できるかという問いに中西さんは、元号という文化に参画する喜びがカギになるでしょう、と述べられました。
私はその時に重要なのは、二文字の漢字に対する印象とそれにもとづく好悪の国民的受け止めだと思うのですが、『令和』がそのような国民的好感を持って受け止められるか前記で挙げた理由により疑問に思っている訳です。
No title
ひまわりさん、東大平行線さんはひまわりさんの言われる様な天皇嫌いなだけでそれを忖度して表さない人ではないですよ。
それは東大平行線さんが答えられた理由でよく分かると思います。
それは東大平行線さんが答えられた理由でよく分かると思います。
「令」の語用例・意味と英訳について
他所↓で書いたコメントをここで再掲(コピペ)させていただきます。
https://www.youtube.com/watch?v=owFM3PcVJR0&lc=Ugxn4-YpzLnHpJ5t11d4AaABAg
☆☆☆
「令」という漢字の英訳問題として貴方宛にコメントします。
「令」を漢字辞典で引くと主要な意味として、「いいつけ。命ずる。つげ知らせて命ずる内容を持つもの。『令状・命令・指令・辞令・法令・条令 · · · 』」が最初に出てきます。日本語(漢字)を学ぶために外国人が使っている英語版の漢字辞典にも「令」の意味解説として、“order”や“command”が当たり前のように出てきます。それが現代日本における「令」という漢字の主たる使われ方、常用的な意味と言えるでしょう。英国のBBCが当初、「令」を“order” “command”と英訳したのも自然なことです。
さわけんさんは、英語版漢字辞典の内容に疑義を唱えるおつもりなのでしょうか?
安倍首相は万葉集の「令月」を引き合いに出して新元号「令和」の「令」には「縁起が良いこと」「めでたい、良い」の意味があるとの解釈、説明をしましたが、それは古い時代での語用であり、現代では殆んど使われていないものです。同じく古い時代の「令」の語用で言うなら、今では殆んど使われない「令旨」があります。それは皇族が発する「命令書」という意味です。まさに“command”。
つまり、新元号「令和」の「令」は、現代の主たる語用例の意味から逸れた、古い時代の一語用例である「令月」に「縁起が良い月」「めでたい、良い月」という意味があることから、「縁起が良いこと」「めでたい、良いこと」という意味を込めた」ということでしかないと思います。
BBCが“auspicious”という英訳を加えたのも、政府の「令」の意味づけ説明(これは対外的な公式説明ともなる)を受けたからでしょう。
政府が新元号に「縁起が良いこと、めでたい、良いこと」の意味がある漢字を選びたかったのなら、現代の日本で主たる意味が全く違う使われ方をされている「令」ではなくて、他に適切な漢字候補はあっただろうと個人的には思います。
https://www.youtube.com/watch?v=owFM3PcVJR0&lc=Ugxn4-YpzLnHpJ5t11d4AaABAg
☆☆☆
「令」という漢字の英訳問題として貴方宛にコメントします。
「令」を漢字辞典で引くと主要な意味として、「いいつけ。命ずる。つげ知らせて命ずる内容を持つもの。『令状・命令・指令・辞令・法令・条令 · · · 』」が最初に出てきます。日本語(漢字)を学ぶために外国人が使っている英語版の漢字辞典にも「令」の意味解説として、“order”や“command”が当たり前のように出てきます。それが現代日本における「令」という漢字の主たる使われ方、常用的な意味と言えるでしょう。英国のBBCが当初、「令」を“order” “command”と英訳したのも自然なことです。
さわけんさんは、英語版漢字辞典の内容に疑義を唱えるおつもりなのでしょうか?
安倍首相は万葉集の「令月」を引き合いに出して新元号「令和」の「令」には「縁起が良いこと」「めでたい、良い」の意味があるとの解釈、説明をしましたが、それは古い時代での語用であり、現代では殆んど使われていないものです。同じく古い時代の「令」の語用で言うなら、今では殆んど使われない「令旨」があります。それは皇族が発する「命令書」という意味です。まさに“command”。
つまり、新元号「令和」の「令」は、現代の主たる語用例の意味から逸れた、古い時代の一語用例である「令月」に「縁起が良い月」「めでたい、良い月」という意味があることから、「縁起が良いこと」「めでたい、良いこと」という意味を込めた」ということでしかないと思います。
BBCが“auspicious”という英訳を加えたのも、政府の「令」の意味づけ説明(これは対外的な公式説明ともなる)を受けたからでしょう。
政府が新元号に「縁起が良いこと、めでたい、良いこと」の意味がある漢字を選びたかったのなら、現代の日本で主たる意味が全く違う使われ方をされている「令」ではなくて、他に適切な漢字候補はあっただろうと個人的には思います。
ええ?何を言ってるのですか? 東大平行線さん
>お伊勢参りは、神話に基づく宗教行為ですネ。
↑ええ?天皇のすべての宗教行為を禁止したいのですか?
東大平行線 さんはそこまでお嫌いなんですか。驚きました!
>平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。
↑ええ?何を言ってるのですか?
天照大神が武蔵陵墓地にいらっしゃるわけないでしょ。
揚げ足とらないでくださいよ。
私の父は地元に墓がありますが先祖の墓は田舎にあってなかなか行けません。
父の墓と先祖の墓は違うのです。
天皇の場合、あまりもに歴史が長いから祖先が神話になったんですよ。
↑ええ?天皇のすべての宗教行為を禁止したいのですか?
東大平行線 さんはそこまでお嫌いなんですか。驚きました!
>平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。
↑ええ?何を言ってるのですか?
天照大神が武蔵陵墓地にいらっしゃるわけないでしょ。
揚げ足とらないでくださいよ。
私の父は地元に墓がありますが先祖の墓は田舎にあってなかなか行けません。
父の墓と先祖の墓は違うのです。
天皇の場合、あまりもに歴史が長いから祖先が神話になったんですよ。
rotさん
>東大平行線さんは・・・天皇嫌いなだけ・・・・。
↑そうならはっきり言えばいいのにね。
忖度ではなければなんなのでしょう。
↑そうならはっきり言えばいいのにね。
忖度ではなければなんなのでしょう。
安倍首相の国会答弁
新元号「令和」の「令」には命令感が漂う、違和感を覚えるという意見に対して反発される方もおりますが、私は以下のツイッターで紹介された動画での安倍首相の国会答弁を聞いて、その命令感、違和感が増幅されました。
https://twitter.com/umekichkun/status/1032194874840309761
安倍首相のトンデモな国会答弁:『私は立法府、立法府の長であります!』
まさに安倍首相の国権に対する姿勢、体質が如実に現れたものと言えるでしょう。
因みに、安倍首相の背後に見える閣僚や国会議員たちの中で、首相の問題発言に対して「んっ?」という表情を首相に向けたのが唯一、石破議員だけというのも痛い。
石破氏が安倍首相のこの問題発言に敏感に反応したことは、新元号「令和」に控えめながらも違和感を表明したことと無関係ではないと思える。
https://twitter.com/umekichkun/status/1032194874840309761
安倍首相のトンデモな国会答弁:『私は立法府、立法府の長であります!』
まさに安倍首相の国権に対する姿勢、体質が如実に現れたものと言えるでしょう。
因みに、安倍首相の背後に見える閣僚や国会議員たちの中で、首相の問題発言に対して「んっ?」という表情を首相に向けたのが唯一、石破議員だけというのも痛い。
石破氏が安倍首相のこの問題発言に敏感に反応したことは、新元号「令和」に控えめながらも違和感を表明したことと無関係ではないと思える。
「令」という文字のマイナスイメージは一つのお約束。
元号反対派や天皇制反対派は反対あるべくして反対ってかんじ。
他の文字でもきっと同じだったことでしょう。
で、そういう方達はこれからの令和の時代を反対反対と不満タラタラ生きていくんですね。
元号がある限り不愉快が続くわけですね。。。なんかお先真っ暗ですね。
このようなマインドで自国を愛せるのかなあ。 幸せなのかなあ。
まあきっと私とは違った愛し方があるのであり違った幸福感があることを願います。
自分の名前に「令」が付いている人がこの意見聞いたらどう思うかちょっと心配。
自分の名前に「令」が付いている左派がこの意見聞いたらどう思うかちょっと心配。
おせっかいではありますが。
他の文字でもきっと同じだったことでしょう。
で、そういう方達はこれからの令和の時代を反対反対と不満タラタラ生きていくんですね。
元号がある限り不愉快が続くわけですね。。。なんかお先真っ暗ですね。
このようなマインドで自国を愛せるのかなあ。 幸せなのかなあ。
まあきっと私とは違った愛し方があるのであり違った幸福感があることを願います。
自分の名前に「令」が付いている人がこの意見聞いたらどう思うかちょっと心配。
自分の名前に「令」が付いている左派がこの意見聞いたらどう思うかちょっと心配。
おせっかいではありますが。
まだ漢字を云々してんのか
アベの命令ってか。
バイアスって怖いね。
令嬢・令息など普通に使われると思うが、これは命令する御嬢様や子息なのかと。
バイアスって怖いね。
令嬢・令息など普通に使われると思うが、これは命令する御嬢様や子息なのかと。
No title
天皇陛下は85歳で退位される。
皇太子殿下が即位され同様に85歳で退位される場合、そのとき秋篠宮殿下は79歳。秋篠宮殿下が同様に85歳で退位されると、6年で改元ということになる。
正直、やめてほしいね。
秋篠宮殿下ご自身は即位を辞退されるという話も出回っており、正直、そうして欲しい。
皇太子殿下が即位され同様に85歳で退位される場合、そのとき秋篠宮殿下は79歳。秋篠宮殿下が同様に85歳で退位されると、6年で改元ということになる。
正直、やめてほしいね。
秋篠宮殿下ご自身は即位を辞退されるという話も出回っており、正直、そうして欲しい。
ひまわりさん、東大平行線さんの返答をよく読み直してくださいね
<平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。
昭和天皇は東京都八王子市 東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地が墓地ですよ。
お伊勢参りは、神話に基づく宗教行為ですネ。>
これほど的確に、ひまわりさんの先祖参りというこじつけに対する回答を東大平行線さんがされたのですから、ひまわりさんも天皇の祖先が神なんて言わずに納得されたらと思いますけど、どうでしょうか。
昭和天皇は東京都八王子市 東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地が墓地ですよ。
お伊勢参りは、神話に基づく宗教行為ですネ。>
これほど的確に、ひまわりさんの先祖参りというこじつけに対する回答を東大平行線さんがされたのですから、ひまわりさんも天皇の祖先が神なんて言わずに納得されたらと思いますけど、どうでしょうか。
No title
ボドサケラスさん、また揚げ足取りですか、令嬢の令が命令を意味するなんて貴方が言いがかりで言ってるだけですね。
エヴァ さん
どうでもいいはなしですよ、そんなこと。
皇室の長い歴史を振り返ったらめずらしい事でも無い。
だから何なのってかんじ。
イチャモンにさえ聞こえます。
まあ近視眼的なエヴァ さんにとってはそれがとても重大なことらしいですが。
皇室の長い歴史を振り返ったらめずらしい事でも無い。
だから何なのってかんじ。
イチャモンにさえ聞こえます。
まあ近視眼的なエヴァ さんにとってはそれがとても重大なことらしいですが。
No title
>どうでもいいはなしですよ、そんなこと。
そう、秋篠宮殿下は即位をご辞退されるだろうから、心配することはないだろう。
しかし、どうでもいい話といいながらコメントするってどういう神経なのだろう。
そう、秋篠宮殿下は即位をご辞退されるだろうから、心配することはないだろう。
しかし、どうでもいい話といいながらコメントするってどういう神経なのだろう。
rotさん
東大平行線さんは天皇陛下のお伊勢参りを批判したんですよ。
私はお伊勢参りをしてはいけないという東大平行線さんの意見に反論したんですよ。
そしたら東大平行線さんは勝手に武蔵陵墓地を出してきて論点をすり替えたじゃありませんか。
だから「天照大神が武蔵陵墓地にいらっしゃるわけないでしょ。」と話しを戻したんです。
rotさんには東大平行線さんの論点ずらしが見えないんですか?
東大平行線さん:「天皇はお伊勢参りなんぞせずに・・・」
私:「私が先祖の墓参りをしたとき他人から非難されたら間違いなく怒ると思う。」
*先祖=伊勢神宮
東大平行線さん:「平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。」
私「天照大神が武蔵陵墓地にいらっしゃるわけないでしょ。」
*私の父の墓と祖先の墓は違うとわざわざ説明してます。
*つまりここのテーマは祖先であって父や祖父の墓参りではないのです。
さらにそこでrotさん
>ひまわりさんも天皇の祖先が神なんて言わずに納得されたらと思いますけど、どうでしょうか。
なんだよ、rotさんは論点は祖先の墓参り、つまりお伊勢参りって理解してるじゃん。
なのになんで天皇の祖先が神話に無関係だとかまた東大平行線さんのように論点ずらすのさ。
皇室は神話で成り立ってるでしょ。何を今更神話を否定するのさ。
保守に皇室の祖先が神でない、つまり神話は成立しないという前提で語れるわけがないでしょ。
左派に神話は成立するという前提で話せ、といっているようなものですよ。
もうめちゃくちゃですね。
お互いに大切にしてる価値観を尊重しましょうよ。
それを前提で議論しましょうよ。
左派は天皇が嫌いという価値観があるんでしょ?
だから私はそれをみとめてるんですよ。
その上で議論しようといっているんです。
私はお伊勢参りをしてはいけないという東大平行線さんの意見に反論したんですよ。
そしたら東大平行線さんは勝手に武蔵陵墓地を出してきて論点をすり替えたじゃありませんか。
だから「天照大神が武蔵陵墓地にいらっしゃるわけないでしょ。」と話しを戻したんです。
rotさんには東大平行線さんの論点ずらしが見えないんですか?
東大平行線さん:「天皇はお伊勢参りなんぞせずに・・・」
私:「私が先祖の墓参りをしたとき他人から非難されたら間違いなく怒ると思う。」
*先祖=伊勢神宮
東大平行線さん:「平成天皇の父親は伊勢には埋葬されてはいません。」
私「天照大神が武蔵陵墓地にいらっしゃるわけないでしょ。」
*私の父の墓と祖先の墓は違うとわざわざ説明してます。
*つまりここのテーマは祖先であって父や祖父の墓参りではないのです。
さらにそこでrotさん
>ひまわりさんも天皇の祖先が神なんて言わずに納得されたらと思いますけど、どうでしょうか。
なんだよ、rotさんは論点は祖先の墓参り、つまりお伊勢参りって理解してるじゃん。
なのになんで天皇の祖先が神話に無関係だとかまた東大平行線さんのように論点ずらすのさ。
皇室は神話で成り立ってるでしょ。何を今更神話を否定するのさ。
保守に皇室の祖先が神でない、つまり神話は成立しないという前提で語れるわけがないでしょ。
左派に神話は成立するという前提で話せ、といっているようなものですよ。
もうめちゃくちゃですね。
お互いに大切にしてる価値観を尊重しましょうよ。
それを前提で議論しましょうよ。
左派は天皇が嫌いという価値観があるんでしょ?
だから私はそれをみとめてるんですよ。
その上で議論しようといっているんです。
No title
エヴァさんのおっしゃられた事は重要ですね、ひまわりさんは率直に言って痛いところを突かれたと思われたのではないでしょうか。
実際、改元が一世一元である限り、それこそ短い期間に連続して改元される可能性も少なからずあると思います。
皇室の長い歴史と言っても一世一元は明治からで150年前ですね。
即位辞退という事もまた議論になりますので。
実際、改元が一世一元である限り、それこそ短い期間に連続して改元される可能性も少なからずあると思います。
皇室の長い歴史と言っても一世一元は明治からで150年前ですね。
即位辞退という事もまた議論になりますので。
エヴァ さん
めずらしくコメントされた内容がどうでもいい内容でしたので
もしかしたらガチでコメントされてるのかと思いまして。
でも自覚されていたのですね。取り越し苦労でした。
もしかしたらガチでコメントされてるのかと思いまして。
でも自覚されていたのですね。取り越し苦労でした。
>rot さん
>ボドサケラスさん、また揚げ足取りですか、
はー・・・
>令嬢の令が命令を意味するなんて貴方が言いがかりで言ってるだけですね。
読解力・・・
あのですね、令嬢という単語は他者の娘に対する尊敬語で、良いお嬢さんとか立派なお嬢さんという意味やろ?
つまり令という字に命令という意味はないやろ?
ゆえに令の字を使ったからって(アベの)命令云々などと言うのはオカシイやろが。
と私は言っている訳です。ここまで噛み砕かなければ解りませんか?
言い掛かりをつけているのは貴方ですよ。いい加減にしてくれ。
はー・・・
>令嬢の令が命令を意味するなんて貴方が言いがかりで言ってるだけですね。
読解力・・・
あのですね、令嬢という単語は他者の娘に対する尊敬語で、良いお嬢さんとか立派なお嬢さんという意味やろ?
つまり令という字に命令という意味はないやろ?
ゆえに令の字を使ったからって(アベの)命令云々などと言うのはオカシイやろが。
と私は言っている訳です。ここまで噛み砕かなければ解りませんか?
言い掛かりをつけているのは貴方ですよ。いい加減にしてくれ。
rot さん
>ひまわりさんは率直に言って痛いところを突かれたと思われたのではないでしょうか。
↑何処がですか?
>短い期間に連続して改元される可能性も少なからずあると思います。
↑コレの何処が問題なのですか?
↑何処がですか?
>短い期間に連続して改元される可能性も少なからずあると思います。
↑コレの何処が問題なのですか?
ひまわりさん、
<何を今更神話を否定するのさ> 国民が皆、ひまわりさんの様に神話を肯定している訳ではないから、公費を使った宗教行為を価値観の問題にして見過ごせないという事です。
んなもん
一世一元制を改正してもいいよ。
改正しなくてもいいけど。困る困る言ってる奴はほんとに困ってんのかと。困るのはそういう仕事についてる奴くらいのもんだろ。少なくとも俺は困らん。
つか、ウン十年先の電算システムを予想して心配出来るほど賢い奴が何処に居るのかと。そいつの居る会社の株を買いたいから教えてくれや。
あと、皇室典範は法なので改正すりゃ良いだけ。
皇位継承上位者が○○才以上であれば下位者に継承順位を譲る事が出来る、みたいなのやりゃ良いじゃん。やらなくても良いけど。
改正しなくてもいいけど。困る困る言ってる奴はほんとに困ってんのかと。困るのはそういう仕事についてる奴くらいのもんだろ。少なくとも俺は困らん。
つか、ウン十年先の電算システムを予想して心配出来るほど賢い奴が何処に居るのかと。そいつの居る会社の株を買いたいから教えてくれや。
あと、皇室典範は法なので改正すりゃ良いだけ。
皇位継承上位者が○○才以上であれば下位者に継承順位を譲る事が出来る、みたいなのやりゃ良いじゃん。やらなくても良いけど。
しかしアレだな
元号が煩わしい、っていう人も、この場で相当な時間使ってあーだこーだ言うのは煩わしくないんやなw
元号換算等を処理する為の一生分の時間をこのコメント欄で消費しとる気がするけどもw
政府と自民党と地元議員に元号廃止を訴えるメールでもして、あとはヨウツベ視聴でも楽しんだ方が生産的じゃないか?
元号換算等を処理する為の一生分の時間をこのコメント欄で消費しとる気がするけどもw
政府と自民党と地元議員に元号廃止を訴えるメールでもして、あとはヨウツベ視聴でも楽しんだ方が生産的じゃないか?
rotさん、東大平行線 さん
天皇にも人権を!とおっしゃってた方が陛下の祖先を参拝する自由を奪ばおうとするこの矛盾を説明して下さい。
ボドサケラスさん、しっかりしてくださいね
<(アベの)命令云々などと言うのはオカシイやろが。>
安倍の命令が~とか言ってるのは貴方だけですよ、酔ってでもいるんですか。
<言い掛かりをつけているのは貴方ですよ。いい加減にしてくれ>
だから、それは私が言う言葉ですよ。
安倍の命令が~とか言ってるのは貴方だけですよ、酔ってでもいるんですか。
<言い掛かりをつけているのは貴方ですよ。いい加減にしてくれ>
だから、それは私が言う言葉ですよ。
No title
ひまわりさん
*天皇にも人権を!
参拝の自由?
個人としては宗教的な行為の自由は憲法上保障されています。昭和天皇天大正天皇の武蔵野陵墓や明治天皇の伏見陵墓に行かれるのも皇統譜を見ればわかります。
しかし、
それ以前の天皇とDNA検査をしたわけではないし血統がつながっているなんて神話でしかありません。
神話であるなら、宮内庁の役人を引き連れて退位のあいさつ?
*天皇にも人権を!
参拝の自由?
個人としては宗教的な行為の自由は憲法上保障されています。昭和天皇天大正天皇の武蔵野陵墓や明治天皇の伏見陵墓に行かれるのも皇統譜を見ればわかります。
しかし、
それ以前の天皇とDNA検査をしたわけではないし血統がつながっているなんて神話でしかありません。
神話であるなら、宮内庁の役人を引き連れて退位のあいさつ?
>rot 氏
>安倍の命令が~とか言ってるのは貴方だけですよ、酔ってでもいるんですか。
貴方はシラフでそれなのか?
まずはじめに言っておくが、私の
>アベの命令ってか。
というコメントは、貴方のコメントを対象としていない。他の人のコメントに宛てている。その人は令をcommandとして安倍と結び付けるコメントをしている。それが読み取れないのであれば、貴方の認知能力に異常がある。
さて、複数人が絡む場合や私宛ての場合を除き、私は貴方の長文コメントをほぼ読まない。文法が怪しく、文章が極めて解り難く、論理性に欠け、内容が典型的左翼のドグマだから。
そういうことで、貴方の令の字に関する長文も読んでいない。
私のコメントが貴方宛てだと思っていたならば、それは単なる自意識過剰。
>>>令嬢の令が命令を意味するなんて貴方が言いがかりで言ってるだけですね。
>>あのですね、令嬢という単語は他者の娘に対する尊敬語で、良いお嬢さんとか立派なお嬢さんという意味やろ?
>>つまり令という字に命令という意味はないやろ?
>>ゆえに令の字を使ったからって(アベの)命令云々などと言うのはオカシイやろが
上記になにも反論しないにもかかわらず、「言い掛かりとは私が言う言葉だ」と強弁するだけか。
これは「令嬢の令が命令を意味する」などという事を私が言っておらず、貴方の読解力異常に起因する言い掛かりに過ぎないという事を、内心では認めたのだろうか。
それとも未だに「令嬢の令が命令を意味するとボドサケラスが言った」と思い込んでいるのだろうか。
良くわからないですね。
まあ、謝罪は要りません。貴方の常だから。
貴方はシラフでそれなのか?
まずはじめに言っておくが、私の
>アベの命令ってか。
というコメントは、貴方のコメントを対象としていない。他の人のコメントに宛てている。その人は令をcommandとして安倍と結び付けるコメントをしている。それが読み取れないのであれば、貴方の認知能力に異常がある。
さて、複数人が絡む場合や私宛ての場合を除き、私は貴方の長文コメントをほぼ読まない。文法が怪しく、文章が極めて解り難く、論理性に欠け、内容が典型的左翼のドグマだから。
そういうことで、貴方の令の字に関する長文も読んでいない。
私のコメントが貴方宛てだと思っていたならば、それは単なる自意識過剰。
>>>令嬢の令が命令を意味するなんて貴方が言いがかりで言ってるだけですね。
>>あのですね、令嬢という単語は他者の娘に対する尊敬語で、良いお嬢さんとか立派なお嬢さんという意味やろ?
>>つまり令という字に命令という意味はないやろ?
>>ゆえに令の字を使ったからって(アベの)命令云々などと言うのはオカシイやろが
上記になにも反論しないにもかかわらず、「言い掛かりとは私が言う言葉だ」と強弁するだけか。
これは「令嬢の令が命令を意味する」などという事を私が言っておらず、貴方の読解力異常に起因する言い掛かりに過ぎないという事を、内心では認めたのだろうか。
それとも未だに「令嬢の令が命令を意味するとボドサケラスが言った」と思い込んでいるのだろうか。
良くわからないですね。
まあ、謝罪は要りません。貴方の常だから。
No title
>>短い期間に連続して改元される可能性も少なからずあると思います。
>↑コレの何処が問題なのですか?
面倒くさい、ということ。
ただ、ネットではむしろ即位の儀とかが頻繁に行われ金がかかることを問題にしている人も多い。
新天皇即位に伴う一連の行事・儀式の費用として計144億円とか。止めてほしいね。
>↑コレの何処が問題なのですか?
面倒くさい、ということ。
ただ、ネットではむしろ即位の儀とかが頻繁に行われ金がかかることを問題にしている人も多い。
新天皇即位に伴う一連の行事・儀式の費用として計144億円とか。止めてほしいね。
No title
>天皇にも人権を!とおっしゃってた方が陛下の祖先を参拝する自由を奪ばおうとするこの矛盾を説明して下さい。
個人の資格で私費で行けばいいだろう。
個人の資格で私費で行けばいいだろう。
No title
> 令嬢・令息など普通に使われると思うが、これは命令する御嬢様や子息なのかと。
予想した返信コメントが返ってきました。
「令」の語用例に「令嬢・令息」があることを無視したわけではありません。現代社会での「令」の“主たる語用と意味”について述べたのです。そして、「令嬢・令息」の語用例があっても、私の論旨には大きな影響を与えないと思います。
付言しておくと、「令嬢」は元来身分の高い社会階層(皇族や貴族)の子女を意味していました。つまり、「令嬢」の「令」にも「令旨」と同じく、時の権力を担っていた天皇家や皇族の意味がありました。
ですから「令嬢」には、身分の高い者への畏敬の念とともに、「命令する御嬢様」というイメージや語感も当時の人々にはあったのではないかということは想像できますね。
その「令嬢」が、経済社会の進展に伴って、身分の高い良家の子女を指す呼称から、暮らし向きが高水準の家庭で高等教育を受け教養を身につけた子女への呼称へと広がりました。また、現代では尊敬よりも揶揄の意味合いを込めて使われることもあります。
言語は時代が移り変わるとともに意味や使われ方が大きく変遷します。欧米の言語学者の研究によれば、同じ地域集団で話されている言語であっても、2千年の時が経てば会話が不可能なくらいの変化があると報告されています。
>アベの命令ってか。
バイアスって怖いね。
これは中身のない紋切り型のリプライ。
ボドサケラスさん、私のコメントの具体的内容や論点に沿った批判や意見を書かずに、「バイアス」のレッテル貼りや「怖いね」のひと言はいただけませんね。
返信をされるなら、コメントの具体的内容と論点に沿った丁寧な議論をして下さい。
予想した返信コメントが返ってきました。
「令」の語用例に「令嬢・令息」があることを無視したわけではありません。現代社会での「令」の“主たる語用と意味”について述べたのです。そして、「令嬢・令息」の語用例があっても、私の論旨には大きな影響を与えないと思います。
付言しておくと、「令嬢」は元来身分の高い社会階層(皇族や貴族)の子女を意味していました。つまり、「令嬢」の「令」にも「令旨」と同じく、時の権力を担っていた天皇家や皇族の意味がありました。
ですから「令嬢」には、身分の高い者への畏敬の念とともに、「命令する御嬢様」というイメージや語感も当時の人々にはあったのではないかということは想像できますね。
その「令嬢」が、経済社会の進展に伴って、身分の高い良家の子女を指す呼称から、暮らし向きが高水準の家庭で高等教育を受け教養を身につけた子女への呼称へと広がりました。また、現代では尊敬よりも揶揄の意味合いを込めて使われることもあります。
言語は時代が移り変わるとともに意味や使われ方が大きく変遷します。欧米の言語学者の研究によれば、同じ地域集団で話されている言語であっても、2千年の時が経てば会話が不可能なくらいの変化があると報告されています。
>アベの命令ってか。
バイアスって怖いね。
これは中身のない紋切り型のリプライ。
ボドサケラスさん、私のコメントの具体的内容や論点に沿った批判や意見を書かずに、「バイアス」のレッテル貼りや「怖いね」のひと言はいただけませんね。
返信をされるなら、コメントの具体的内容と論点に沿った丁寧な議論をして下さい。
No title
エヴァ さん
*私費で
内廷費
天皇・上皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので,法律により定額が定められ,平成31年度は,3億2,400万円です。
月額2700万円のお手当て。
すごいですネ。象徴としての行為の対価は!
一度やったらやめられないほどのおいしいお仕事?
内廷費として支出されたものは,御手元金となり,宮内庁の経理する公金ではありません(皇室経済法第4条,皇室経済法施行法第7条,天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第4条,附則第5条)。
*私費で
内廷費
天皇・上皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので,法律により定額が定められ,平成31年度は,3億2,400万円です。
月額2700万円のお手当て。
すごいですネ。象徴としての行為の対価は!
一度やったらやめられないほどのおいしいお仕事?
内廷費として支出されたものは,御手元金となり,宮内庁の経理する公金ではありません(皇室経済法第4条,皇室経済法施行法第7条,天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第4条,附則第5条)。
やりにくいなあ。お二人とも。
>天皇はお伊勢参りなんぞせずに ≪天子諸藝能之事、第一御學問也。≫
それが平和主義・日本というものでしょう。
>いつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です。
↑東大平行線さんのお伊勢参りの反対理由はこれです。
平和主義・日本の為ならない、という理由ですよ。
だから私は人権を唱えていた人が言ったら矛盾してますよっていったのです。
そして責任は陛下が負うものではないから墓参りをさせない根拠にならないと私の反論根拠を言ったのです。
そしたらrotさんがいきなり税金の話しを持ち出してきたんです。つまり後付。
まあ貴方はその意見でいいでしょう。
でもこうやって論点を変えるんですよね。やりにくいなあ。
東大平行線さんを援護したい気持ちは分かりますが
伊勢の参拝の話しを二人とも武蔵陵墓地に勝手に変えるし、
しかもrotさんは私が東大平行線さんの主旨が分かってないとまで言い出す始末。
コレではrotさんもう自爆ですよ。
で、論点を戻しましょう。
つまり東大平行線さんの主張に戻しましょう。
なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのかをもう少し詳しくお伺いしたいです。税金でごまかさないで下さい。
伊勢の参拝反対は陛下との人権擁護と板挟みになってしまうことも考えなが
議論を深めたいものです。もう論点を変えないで下さいね。
それが平和主義・日本というものでしょう。
>いつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です。
↑東大平行線さんのお伊勢参りの反対理由はこれです。
平和主義・日本の為ならない、という理由ですよ。
だから私は人権を唱えていた人が言ったら矛盾してますよっていったのです。
そして責任は陛下が負うものではないから墓参りをさせない根拠にならないと私の反論根拠を言ったのです。
そしたらrotさんがいきなり税金の話しを持ち出してきたんです。つまり後付。
まあ貴方はその意見でいいでしょう。
でもこうやって論点を変えるんですよね。やりにくいなあ。
東大平行線さんを援護したい気持ちは分かりますが
伊勢の参拝の話しを二人とも武蔵陵墓地に勝手に変えるし、
しかもrotさんは私が東大平行線さんの主旨が分かってないとまで言い出す始末。
コレではrotさんもう自爆ですよ。
で、論点を戻しましょう。
つまり東大平行線さんの主張に戻しましょう。
なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのかをもう少し詳しくお伺いしたいです。税金でごまかさないで下さい。
伊勢の参拝反対は陛下との人権擁護と板挟みになってしまうことも考えなが
議論を深めたいものです。もう論点を変えないで下さいね。
No title
ひまわり さん
*なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのかをもう少し詳しくお伺いしたいです。
憲法は、天皇を日本国の象徴で日本国民統合の象徴であると規定しています。
象徴は、天子諸藝能之事、第一御學問だけをしていればいいのです。
秀忠の時代から平和の時代。
それが主権者天皇として薩長に担がれた結果、悲惨な戦争の大元帥化。
間違った歴史は、秀忠の時代に戻しましょう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
*なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのかをもう少し詳しくお伺いしたいです。
憲法は、天皇を日本国の象徴で日本国民統合の象徴であると規定しています。
象徴は、天子諸藝能之事、第一御學問だけをしていればいいのです。
秀忠の時代から平和の時代。
それが主権者天皇として薩長に担がれた結果、悲惨な戦争の大元帥化。
間違った歴史は、秀忠の時代に戻しましょう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
東大平行線さん
すると現憲法では陛下のお伊勢参りは違憲なのですか?
東大平行線さんの意見を素直に聞くと。
仮にお伊勢参りが違憲だとしたら陛下にはプライベイトがないことになります。
これって人権侵害ではないでしょうか。
これって人権侵害ではないでしょうか。
No title
ひまわりさん
*陛下にはプライベイトがないことになります。
象徴には、個人に認められるプライバシュー権なる権利はありません。
従って人権侵害はありません。
現に、予算化された内廷費(お手元金)まで公表されています。住居は皇室用財産という国有地にあり、不足はないはずです。
ちなみに、
墓参は武蔵陵墓で済ませれば十分でしょう。
*陛下にはプライベイトがないことになります。
象徴には、個人に認められるプライバシュー権なる権利はありません。
従って人権侵害はありません。
現に、予算化された内廷費(お手元金)まで公表されています。住居は皇室用財産という国有地にあり、不足はないはずです。
ちなみに、
墓参は武蔵陵墓で済ませれば十分でしょう。
それは言い過ぎ
>象徴には、個人に認められるプライバシュー権なる権利はありません。従って人権侵害はありません。
↑
東大さん、いくら何でもそれは言い過ぎでしょう。天皇の人権が制限を受ける部分はあるにしても、そもそも「権利」自体がないというのは、反対だ。
↑
東大さん、いくら何でもそれは言い過ぎでしょう。天皇の人権が制限を受ける部分はあるにしても、そもそも「権利」自体がないというのは、反対だ。
東大平行線 さん
お伊勢参りは違憲なのですか?
>NANA さん
web上の漢字辞典からのコピー
[1] いいつけ。上の者からの指示。
[1] おさ。長官。
[1] よい。すぐれた。立派な。相手の親族を敬っていうことば。
[1] のり。おきて。決まり。法律。
[2] しむ。せしむ。「令AB~」の形で、「AをしてBせしむ」と読み、「AにBをさせる」の意。
これに尽きる。
貴方が言うように言葉や漢字の意味は時代と共に変遷し、あるいは付加されていくものだが、現行で上記の意味があると公に認知されている。
貴方は漢字辞典に疑義を唱えるおつもりなのか?
ここで令和は上記の上から三番目の意味に準ずる令の用法。
熟語を造る際に主たる用法のみを用いねばならない、という則はないはずだ。少なくとも私はそのような掟を知らない。
すなわち「令」の主たる用法が「command」であるからといって、新語新名に用いられる「令」が必ずしもcommandを意味するわけではない。
あまつさえ本件では出典が明示され、令和を提案したとされる権威ある国語学者や、選定者や、政府が、その意味を縷々説明している。
にも拘らず「令はorder・commandである」とは、どういう根拠に基づくのか。
令和制定によって、以後は令嬢や令息や令月や令色といった令の用例に、令和が並んで加わるだけの事だ。
>私は以下のツイッターで紹介された動画での安倍首相の国会答弁を聞いて、その命令感、違和感が増幅されました。
これは単なるチェリーピックであり、すなわち認知バイアス。
国会質疑における安倍の言い間違いなど、令がcommandである事の根拠には全くならない。関連すらない。
そもそも総理大臣は決定し命令するのが仕事であり、そこに文句を言うのは正当ではない。
[1] いいつけ。上の者からの指示。
[1] おさ。長官。
[1] よい。すぐれた。立派な。相手の親族を敬っていうことば。
[1] のり。おきて。決まり。法律。
[2] しむ。せしむ。「令AB~」の形で、「AをしてBせしむ」と読み、「AにBをさせる」の意。
これに尽きる。
貴方が言うように言葉や漢字の意味は時代と共に変遷し、あるいは付加されていくものだが、現行で上記の意味があると公に認知されている。
貴方は漢字辞典に疑義を唱えるおつもりなのか?
ここで令和は上記の上から三番目の意味に準ずる令の用法。
熟語を造る際に主たる用法のみを用いねばならない、という則はないはずだ。少なくとも私はそのような掟を知らない。
すなわち「令」の主たる用法が「command」であるからといって、新語新名に用いられる「令」が必ずしもcommandを意味するわけではない。
あまつさえ本件では出典が明示され、令和を提案したとされる権威ある国語学者や、選定者や、政府が、その意味を縷々説明している。
にも拘らず「令はorder・commandである」とは、どういう根拠に基づくのか。
令和制定によって、以後は令嬢や令息や令月や令色といった令の用例に、令和が並んで加わるだけの事だ。
>私は以下のツイッターで紹介された動画での安倍首相の国会答弁を聞いて、その命令感、違和感が増幅されました。
これは単なるチェリーピックであり、すなわち認知バイアス。
国会質疑における安倍の言い間違いなど、令がcommandである事の根拠には全くならない。関連すらない。
そもそも総理大臣は決定し命令するのが仕事であり、そこに文句を言うのは正当ではない。
人類には感情があるのでね
>面倒くさい、ということ。
>ただ、ネットではむしろ即位の儀とかが頻繁に行われ金がかかることを問題にしている人も多い。
>新天皇即位に伴う一連の行事・儀式の費用として計144億円とか。止めてほしいね。
人類に感情が無い事を前提とするならば、貴方の言説は正当だろう。
ただ、実際は感情がある。
思想・信条・感情は社会に多大な影響を与える。
ショボい即位礼で「ケチ臭さー」と国内外に思われれば実害が生じる。
この点が合理主義者を演じる唯物論者には理解できない。
尚、皇位継承一位者があまりに高齢ならば特別法を制定して次代に譲れば良い。
>個人の資格で私費で行けばいいだろう。
出来ない事をやれと言うなと。
ついでに言えば、天皇の行幸や伊勢参りは個人的な行事に収まるものではない。
>ただ、ネットではむしろ即位の儀とかが頻繁に行われ金がかかることを問題にしている人も多い。
>新天皇即位に伴う一連の行事・儀式の費用として計144億円とか。止めてほしいね。
人類に感情が無い事を前提とするならば、貴方の言説は正当だろう。
ただ、実際は感情がある。
思想・信条・感情は社会に多大な影響を与える。
ショボい即位礼で「ケチ臭さー」と国内外に思われれば実害が生じる。
この点が合理主義者を演じる唯物論者には理解できない。
尚、皇位継承一位者があまりに高齢ならば特別法を制定して次代に譲れば良い。
>個人の資格で私費で行けばいいだろう。
出来ない事をやれと言うなと。
ついでに言えば、天皇の行幸や伊勢参りは個人的な行事に収まるものではない。
No title
>ショボい即位礼で「ケチ臭さー」と国内外に思われれば実害が生じる。
見栄を張ってどうする?
>この点が合理主義者を演じる唯物論者には理解できない。
浪費家の屁理屈は正直理解できない。
>出来ない事をやれと言うなと。
言い訳は無用。できなければ、伊勢参りに行かなければいいだけ。
見栄を張ってどうする?
>この点が合理主義者を演じる唯物論者には理解できない。
浪費家の屁理屈は正直理解できない。
>出来ない事をやれと言うなと。
言い訳は無用。できなければ、伊勢参りに行かなければいいだけ。
東大平行線さん
なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのか
というお答えなのですが憲法云々のお話は少しだけずれてます。
要は帝国主義に戻らないよう現憲法で束縛してるが
国民に天皇人気が高まるとその縛りもほどけてしまい暗黒の帝国時代に戻ってしまう。
つまり憲法ではなくて天皇の影響力に恐れているのでしょう?
お伊勢参りを非常にいやがるのは民衆が興奮して王政復古がよぎるからでしょう?
だから常に先祖返りしないよう批判し続ける必要があるのですよね。
東大平行線さんのコメントを最後に乗せますが要約すると天皇の求心力が怖いんです。
お伊勢参りにいけば黙ってても話題になり世間からも注目されますからね。
だから行かせたくないんです。
東大平行線さんからするとそれが王政復古に直結してしまうようですね。
過去の帝国主義に戻りたくない!というアレルギー反応が天皇嫌いの一番の理由ではないですか?
それだと全てスッキリするんです。
そして帝国主義の撲滅の為には天皇の影がちらつく伝統文化など興味も無く
何千年続こうが犠牲にしてもいいと思っているように思います。
>憲法に忠実であれば、天皇の「象徴としての行為」というのは、どこにも根拠がなく、国政に関与してはならない立場は批判し続けないと同調圧力によりいつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です。
故に、各国民は大日本帝国憲法時代の主権者天皇に先祖返りしないよう批判し続ける必要があるのです。
というお答えなのですが憲法云々のお話は少しだけずれてます。
要は帝国主義に戻らないよう現憲法で束縛してるが
国民に天皇人気が高まるとその縛りもほどけてしまい暗黒の帝国時代に戻ってしまう。
つまり憲法ではなくて天皇の影響力に恐れているのでしょう?
お伊勢参りを非常にいやがるのは民衆が興奮して王政復古がよぎるからでしょう?
だから常に先祖返りしないよう批判し続ける必要があるのですよね。
東大平行線さんのコメントを最後に乗せますが要約すると天皇の求心力が怖いんです。
お伊勢参りにいけば黙ってても話題になり世間からも注目されますからね。
だから行かせたくないんです。
東大平行線さんからするとそれが王政復古に直結してしまうようですね。
過去の帝国主義に戻りたくない!というアレルギー反応が天皇嫌いの一番の理由ではないですか?
それだと全てスッキリするんです。
そして帝国主義の撲滅の為には天皇の影がちらつく伝統文化など興味も無く
何千年続こうが犠牲にしてもいいと思っているように思います。
>憲法に忠実であれば、天皇の「象徴としての行為」というのは、どこにも根拠がなく、国政に関与してはならない立場は批判し続けないと同調圧力によりいつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です。
故に、各国民は大日本帝国憲法時代の主権者天皇に先祖返りしないよう批判し続ける必要があるのです。
No title
ひまわり さん
*要約すると天皇の求心力が怖いんです。
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(憲法第1条)
天皇は国民ではない以上、国民の権利義務はありません。
従って、国民が理性を失い共同幻想に浸っていれば怖いですネ。
だから、
憲法第1条は、理性ある国民の総意に基づくべき存在であることを規定しています。
更に、国政に関する権能を有しない(憲法第4条)。
及び国事に関する行為を限定列挙しているのです。
*要約すると天皇の求心力が怖いんです。
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(憲法第1条)
天皇は国民ではない以上、国民の権利義務はありません。
従って、国民が理性を失い共同幻想に浸っていれば怖いですネ。
だから、
憲法第1条は、理性ある国民の総意に基づくべき存在であることを規定しています。
更に、国政に関する権能を有しない(憲法第4条)。
及び国事に関する行為を限定列挙しているのです。
No title
なごやん さん
*東大さん、いくら何でもそれは言い過ぎでしょう。天皇の人権が制限を受ける部分はあるにしても、そもそも「権利」自体がないというのは、反対だ。
世襲性が憲法上の要請で養子は禁止。しかも法律上は男系男子の承継です。
人権なんぞ認めていたら、一夫一婦制は無理でしょう。
側室を明治天皇は5人準備していたとか聞いています。
明治天皇以後側室制度がどうなったかは存じませんが、法律上は制限はありません。経済的余裕も十分でしょう。
人権を認めながら側室制度を維持するなんて芸当は想像できません。
*東大さん、いくら何でもそれは言い過ぎでしょう。天皇の人権が制限を受ける部分はあるにしても、そもそも「権利」自体がないというのは、反対だ。
世襲性が憲法上の要請で養子は禁止。しかも法律上は男系男子の承継です。
人権なんぞ認めていたら、一夫一婦制は無理でしょう。
側室を明治天皇は5人準備していたとか聞いています。
明治天皇以後側室制度がどうなったかは存じませんが、法律上は制限はありません。経済的余裕も十分でしょう。
人権を認めながら側室制度を維持するなんて芸当は想像できません。
オジサンの昔話と未来のお話
平成の元号が発表されたときのことを思い出すなア。あの時も、由来は色々と聞かされたものの、長かった昭和に比べ、聞き慣れない「平成」の評判はイマイチでした。最近になって、他の2候補を知れば、平成が選ばれたのも尤もだとは思いますが。
今、平成の終わりを迎えて、まあ、いい時代でしたよね。いろいろな評価はあり得るけれど、陛下がおっしゃったように、戦争が無い時代で何よりでした。
9条が改正されて、アフガン戦争やらイラク戦争やらで自衛官の戦死続々てなことになっていたとしたら、こんなに穏やかな気持ちで「平」成時代を見送ることはできなかっただろうナアという感想は左の皆さんとも共有できるものでしょう。
令の字がこれまで一度も使われなかったのは、元々命令由来だからでしょうし、冷たい感じ等の現代の批判もそれに連なるものですね。しかし、令嬢や御令室など派生した方の意味も世間に十分に広がり、そろそろ使っても良い頃合いなのでしょう。もちろん、まだ抵抗があるという感性の方もおられましょうから、令嬢とのデートは抵抗の無い私が謹んで代行させて頂きますとも。
新元号が決まるまでの間は、安倍政治に敬意を払って「安治((アンチ)」はどうかとか、モリカケ問題を見るに絶対的に倫理が必要だから「絶倫元年」として少子化対策に力を入れようとか喧しかったけれど、6つの候補の中では令和が圧倒的な支持を集めたのはわかる気がします。
令和の時代が終わるとき、正に平「和」な良い時代だったと振り返れるのか、命令の令だったと思うのか、どんな時代を作っていくかは主権者である私達国民次第。「和」やかに、令年をお迎えしたいものですね。
今、平成の終わりを迎えて、まあ、いい時代でしたよね。いろいろな評価はあり得るけれど、陛下がおっしゃったように、戦争が無い時代で何よりでした。
9条が改正されて、アフガン戦争やらイラク戦争やらで自衛官の戦死続々てなことになっていたとしたら、こんなに穏やかな気持ちで「平」成時代を見送ることはできなかっただろうナアという感想は左の皆さんとも共有できるものでしょう。
令の字がこれまで一度も使われなかったのは、元々命令由来だからでしょうし、冷たい感じ等の現代の批判もそれに連なるものですね。しかし、令嬢や御令室など派生した方の意味も世間に十分に広がり、そろそろ使っても良い頃合いなのでしょう。もちろん、まだ抵抗があるという感性の方もおられましょうから、令嬢とのデートは抵抗の無い私が謹んで代行させて頂きますとも。
新元号が決まるまでの間は、安倍政治に敬意を払って「安治((アンチ)」はどうかとか、モリカケ問題を見るに絶対的に倫理が必要だから「絶倫元年」として少子化対策に力を入れようとか喧しかったけれど、6つの候補の中では令和が圧倒的な支持を集めたのはわかる気がします。
令和の時代が終わるとき、正に平「和」な良い時代だったと振り返れるのか、命令の令だったと思うのか、どんな時代を作っていくかは主権者である私達国民次第。「和」やかに、令年をお迎えしたいものですね。
>エヴァさん
>見栄を張ってどうする?
あなた、社会人ですか?
人(法人)は社会的地位に応じた装いや催事を行うものだよ。
そうすれば実益があるし、逆にそうしないと実害があるから。
それが一国の顔たる元首や王族なら論を待たない。
こんなの常識です。
>浪費家の屁理屈は正直理解できない。
貴方には理解できないだけ。
>言い訳は無用。できなければ、伊勢参りに行かなければいいだけ。
偉そうに貴方が指図するものではないな。
預言者様でもあるまいし。
あなた、社会人ですか?
人(法人)は社会的地位に応じた装いや催事を行うものだよ。
そうすれば実益があるし、逆にそうしないと実害があるから。
それが一国の顔たる元首や王族なら論を待たない。
こんなの常識です。
>浪費家の屁理屈は正直理解できない。
貴方には理解できないだけ。
>言い訳は無用。できなければ、伊勢参りに行かなければいいだけ。
偉そうに貴方が指図するものではないな。
預言者様でもあるまいし。
No title
ひまわり さん
*お伊勢参りは違憲なのですか?
はい、違憲ですネ。
憲法第20条第2項何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
天皇の後ろに仕えた宮内庁の公務員は職務上参加を強制されています。
公務員を止めてフリーの立場で勾玉や太刀を持参したわけではないはずです。
天皇個人は象徴であり、象徴としての行為は認めない以上、宮内庁の役人を同道して憲法上の根拠のない行動をしないという不作為に違反する憲法違反です。
問題は日本国の政府及び国会が納税者訴訟制度を未だ制定していませんから訴訟というわけにはいきませんネ。
*お伊勢参りは違憲なのですか?
はい、違憲ですネ。
憲法第20条第2項何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
天皇の後ろに仕えた宮内庁の公務員は職務上参加を強制されています。
公務員を止めてフリーの立場で勾玉や太刀を持参したわけではないはずです。
天皇個人は象徴であり、象徴としての行為は認めない以上、宮内庁の役人を同道して憲法上の根拠のない行動をしないという不作為に違反する憲法違反です。
問題は日本国の政府及び国会が納税者訴訟制度を未だ制定していませんから訴訟というわけにはいきませんネ。
No title
> ボドサケラスさん
> web上の漢字辞典からのコピー
[1] いいつけ。上の者からの指示。
[1] おさ。長官。
[1] よい。すぐれた。立派な。相手の親族を敬っていうことば。
[1] のり。おきて。決まり。法律。
[2] しむ。せしむ。「令AB~」の形で、「AをしてBせしむ」と読み、「AにBをさせる」の意。
> これに尽きる。
> 貴方が言うように言葉や漢字の意味は時代と共に変遷し、あるいは付加されていくものだが、現行で上記の意味があると公に認知されている。貴方は漢字辞典に疑義を唱えるおつもりなのか?
現行?
たとえば「おさ。長官。」。語用例は「県令」ですが、明治時代に既に廃止された呼称で今(現行)では使われておりません。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/71027/meaning/m0u/
そりゃあ明治時代を扱った文学や資料等には「県令」は出てくるでしょう。「この時代にはこのような語用と意味があった」ということは、言語文化として遺していく意義と価値はあると思います。そういった意味でも、辞書には現行使われなくなった用語例とその意味も記載されているわけで、そのことに疑義を唱えるつもりは毛頭ありません。
ただ、「令月」の語用と意味は辞書を調べても直ぐには出てきませんでした。だから安倍首相は、古典である万葉集からの引用であることをわざわざ詳しく説明しなければならなかったわけです。
私は現代日本社会で主に用いられている「令」の用法とそれらの意味を論点にしています。だって、今を生き現代日本語を常用している我々日本人が新元号に採用された「令」という漢字に対してどんな語感やイメージをもつだろうかという話をしてきたのですから。
> 「令」の主たる用法が「command」であるからといって、新語新名に用いられる「令」が必ずしもcommandを意味するわけではない。
> あまつさえ本件では出典が明示され、令和を提案したとされる権威ある国語学者や、選定者や、政府が、その意味を縷々説明している。
にも拘らず「令はorder・commandである」とは、どういう根拠に基づくのか。
現代社会での「令」の主たる用法が「command」であることは、ボドサケラスさんもお認めになったわけだ。
私は「令=order・command」というような断定的な言い方、書き方はしてません。
「必ずしもcommandを意味するわけではない」はそうですが、現代社会の主要な語用例とその意味から、「令」には「order・command」の語感やイメージを抱く現代日本人(私もその一人)が少なくないことは容易に想像できるでしょうというのが私の論旨です。
> そもそも総理大臣は決定し命令するのが仕事であり、そこに文句を言うのは正当ではない。
貴方は相手の論旨を歪曲しています。
新元号の最終的な選定・決定権が政府にあることに異義は唱えていません。
それと、国文学者ら権威筋の古典から引用した「令月」とそこで使われている「令」の意味解釈と説明にも異義は挟んでいません。
> 国会質疑における安倍の言い間違いなど、令がcommandである事の根拠には全くならない。関連すらない。
国会の場で安倍首相が「私は立法府、立法府の長!」と声を大にして言ったことが、「言い間違い」だったと貴方にはどうして断定ができるのですか。
件の安倍答弁は、国会において野党議員から、立法府である国会においての安倍首相の説明責任の重要性などを問いただされた中で出たものです。そういった流れの中での発言だと捉えると、単なる「言い間違い」とは考え難いものがあります。
安倍首相が実際に「立法府の長=首相」という誤った認識をもっていたとしても、「間違った認識でした。謝罪します。」とはまず言わないでしょう。というか言えないでしょう、さらに大問題になりますから。
仮に「言い間違い」だったとしても、重大な発言なのですから、国会と国民に対してしっかりした訂正の説明と謝罪が必要です。しかし、それが全くないまま国会議事録も一方的に書き換えられていたようです。
そういったところにも、私は安倍政権の説明責任の欠如と強権的、統制的な政治姿勢を感じますね。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/令/
> web上の漢字辞典からのコピー
[1] いいつけ。上の者からの指示。
[1] おさ。長官。
[1] よい。すぐれた。立派な。相手の親族を敬っていうことば。
[1] のり。おきて。決まり。法律。
[2] しむ。せしむ。「令AB~」の形で、「AをしてBせしむ」と読み、「AにBをさせる」の意。
> これに尽きる。
> 貴方が言うように言葉や漢字の意味は時代と共に変遷し、あるいは付加されていくものだが、現行で上記の意味があると公に認知されている。貴方は漢字辞典に疑義を唱えるおつもりなのか?
現行?
たとえば「おさ。長官。」。語用例は「県令」ですが、明治時代に既に廃止された呼称で今(現行)では使われておりません。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/71027/meaning/m0u/
そりゃあ明治時代を扱った文学や資料等には「県令」は出てくるでしょう。「この時代にはこのような語用と意味があった」ということは、言語文化として遺していく意義と価値はあると思います。そういった意味でも、辞書には現行使われなくなった用語例とその意味も記載されているわけで、そのことに疑義を唱えるつもりは毛頭ありません。
ただ、「令月」の語用と意味は辞書を調べても直ぐには出てきませんでした。だから安倍首相は、古典である万葉集からの引用であることをわざわざ詳しく説明しなければならなかったわけです。
私は現代日本社会で主に用いられている「令」の用法とそれらの意味を論点にしています。だって、今を生き現代日本語を常用している我々日本人が新元号に採用された「令」という漢字に対してどんな語感やイメージをもつだろうかという話をしてきたのですから。
> 「令」の主たる用法が「command」であるからといって、新語新名に用いられる「令」が必ずしもcommandを意味するわけではない。
> あまつさえ本件では出典が明示され、令和を提案したとされる権威ある国語学者や、選定者や、政府が、その意味を縷々説明している。
にも拘らず「令はorder・commandである」とは、どういう根拠に基づくのか。
現代社会での「令」の主たる用法が「command」であることは、ボドサケラスさんもお認めになったわけだ。
私は「令=order・command」というような断定的な言い方、書き方はしてません。
「必ずしもcommandを意味するわけではない」はそうですが、現代社会の主要な語用例とその意味から、「令」には「order・command」の語感やイメージを抱く現代日本人(私もその一人)が少なくないことは容易に想像できるでしょうというのが私の論旨です。
> そもそも総理大臣は決定し命令するのが仕事であり、そこに文句を言うのは正当ではない。
貴方は相手の論旨を歪曲しています。
新元号の最終的な選定・決定権が政府にあることに異義は唱えていません。
それと、国文学者ら権威筋の古典から引用した「令月」とそこで使われている「令」の意味解釈と説明にも異義は挟んでいません。
> 国会質疑における安倍の言い間違いなど、令がcommandである事の根拠には全くならない。関連すらない。
国会の場で安倍首相が「私は立法府、立法府の長!」と声を大にして言ったことが、「言い間違い」だったと貴方にはどうして断定ができるのですか。
件の安倍答弁は、国会において野党議員から、立法府である国会においての安倍首相の説明責任の重要性などを問いただされた中で出たものです。そういった流れの中での発言だと捉えると、単なる「言い間違い」とは考え難いものがあります。
安倍首相が実際に「立法府の長=首相」という誤った認識をもっていたとしても、「間違った認識でした。謝罪します。」とはまず言わないでしょう。というか言えないでしょう、さらに大問題になりますから。
仮に「言い間違い」だったとしても、重大な発言なのですから、国会と国民に対してしっかりした訂正の説明と謝罪が必要です。しかし、それが全くないまま国会議事録も一方的に書き換えられていたようです。
そういったところにも、私は安倍政権の説明責任の欠如と強権的、統制的な政治姿勢を感じますね。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/令/
東大平行線さん
>はい、違憲ですネ。
そうなんですか。それでは非常まずいではありませんか。
陛下は執事を従えて白昼堂々とお伊勢参りしてますよ。
違憲という声は私の耳には入ってませんが私が疎いのでしょうね。
なので伊勢参りは違憲であるという声の実例を示して頂きませんか?
下馬評ではなく学術的に信頼できる専門分の見解例を一つ二つ教えてください。
言うまでもありませんが東大平行線さんの意見はもう結構です。
あくまでも東大平行線さんの意見を裏付ける専門分野の方々のお意見を拝見したいのです。
そうなんですか。それでは非常まずいではありませんか。
陛下は執事を従えて白昼堂々とお伊勢参りしてますよ。
違憲という声は私の耳には入ってませんが私が疎いのでしょうね。
なので伊勢参りは違憲であるという声の実例を示して頂きませんか?
下馬評ではなく学術的に信頼できる専門分の見解例を一つ二つ教えてください。
言うまでもありませんが東大平行線さんの意見はもう結構です。
あくまでも東大平行線さんの意見を裏付ける専門分野の方々のお意見を拝見したいのです。
No title
>あなた、社会人ですか?
人(法人)は社会的地位に応じた装いや催事を行うものだよ。
そうすれば実益があるし、逆にそうしないと実害があるから。
それが一国の顔たる元首や王族なら論を待たない。
こんなの常識です。
やれやれ、なんの常識やら。浪費家のたわごとには付き合えませんね。
人(法人)は社会的地位に応じた装いや催事を行うものだよ。
そうすれば実益があるし、逆にそうしないと実害があるから。
それが一国の顔たる元首や王族なら論を待たない。
こんなの常識です。
やれやれ、なんの常識やら。浪費家のたわごとには付き合えませんね。
で、平行線さんは
>天皇の後ろに仕えた宮内庁の公務員は職務上参加を強制されています。
宮内庁の職員にインタビュー等を行って、矯正されたかどうかを確かめたのですか?
職務上、当然と思う人もいるでしょう。根拠を明示して下さい。主観は要りません。
宮内庁の職員にインタビュー等を行って、矯正されたかどうかを確かめたのですか?
職務上、当然と思う人もいるでしょう。根拠を明示して下さい。主観は要りません。
No title
>元号は強制することに意義あり
天皇制は支配する側に存在意義がある
いうことでしょうね。
「象徴天皇」ですか。伊勢神宮参拝、武蔵野陵参拝。大々的に連日の代替わり報道。だんだんと象徴天皇がまた神格化されていくんでしょうね。またあの人が「天皇万歳」と叫びそう。
天皇制は支配する側に存在意義がある
いうことでしょうね。
「象徴天皇」ですか。伊勢神宮参拝、武蔵野陵参拝。大々的に連日の代替わり報道。だんだんと象徴天皇がまた神格化されていくんでしょうね。またあの人が「天皇万歳」と叫びそう。
No title
エヴァ さん
*人(法人)は社会的地位に応じた装いや催事を行うものだよ
そうなのですか?
常々、疑問に思っていたのですよ。
小学校の入学式は、法的にはすでに入学しているのに、あたかも式が済んだことで入学が完了するかのような錯覚。
そこで、君が代を歌わないと懲戒?とか、おかしくないですか?
アメリカに入学式がありますかね???
ちなみに、
天皇や皇族は、現在元首や王族ではありません。主権者天皇の時代の名残です。
それを否定した憲法第1条だけが根拠ですからネ。
しかも、国家から品位維持のためにお金をもらう王族くなんていますか?
資本主義社会は自分で稼ぐことでなんぼでしょう?
*人(法人)は社会的地位に応じた装いや催事を行うものだよ
そうなのですか?
常々、疑問に思っていたのですよ。
小学校の入学式は、法的にはすでに入学しているのに、あたかも式が済んだことで入学が完了するかのような錯覚。
そこで、君が代を歌わないと懲戒?とか、おかしくないですか?
アメリカに入学式がありますかね???
ちなみに、
天皇や皇族は、現在元首や王族ではありません。主権者天皇の時代の名残です。
それを否定した憲法第1条だけが根拠ですからネ。
しかも、国家から品位維持のためにお金をもらう王族くなんていますか?
資本主義社会は自分で稼ぐことでなんぼでしょう?
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*根拠を明示して下さい。
象徴とは、主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。Wiki引用
ものである以上、勝手に動いて公務員を従えては、いけないでしょう。
宮内庁の官吏は、すべて法律の根拠に基づき内閣により掌理されているのですよ。
内閣は、天皇の伊勢参り等に公務員を参加させる権限はどこにもありません。
だから個人的に行くのであるなら、官吏を止めて自費でお伊勢参りに参加しなさいといっているだけですよ。
*根拠を明示して下さい。
象徴とは、主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。Wiki引用
ものである以上、勝手に動いて公務員を従えては、いけないでしょう。
宮内庁の官吏は、すべて法律の根拠に基づき内閣により掌理されているのですよ。
内閣は、天皇の伊勢参り等に公務員を参加させる権限はどこにもありません。
だから個人的に行くのであるなら、官吏を止めて自費でお伊勢参りに参加しなさいといっているだけですよ。
専門ではないと思いますが。
普通に弁護士稼業をしていると、憲法、特に政教分離などは司法試験以来になるかと思います。
目的が宗教的意義を持ち、効果が特定の宗教を助長等するものでなければ合憲というのが通説で、目的効果基準による合憲判例が幾つも出ていたかと思います。伊勢神宮参拝も、この基準からすれば合憲でしょう。
ただ、政治の世界でも少数政党が独自の主張をしていることは通常あることであるように、学説の世界でも少数説はありますので、それらによって違憲を唱えることも可能ではありますね。
人間を象徴とする以上、象徴としての行為はあるとするのが当然というのが多数説で、国会開会式への臨席や国内巡幸などがその例とされています。
この点も、象徴としての行為を否定する少数説はあり、共産党は、理論的根拠が少数説なのかどうかは知りませんが、長く、国会の開会式を欠席し、日本国及び日本国民統合の象徴に対し非礼な姿勢を示し続けてきましたが、最近になって、正面切って天皇陛下を敵に回すのは国民の反感を買い選挙で不利だと悟ったのか出席に転じましたよね。
儀式には、国事行為としての儀式に当たるものと、象徴としての行為としてなされるものと、私的行為があり、その分類は専門家にお任せしたいと思いますが、イギリスでも戴冠式は盛大にやるでしょうから、即位の儀式は国事行為ですので、それなりの費用をかけて国民みんなでお祝いしたいと考える国民が多数なら、そのようにする政党が選挙で勝つし、自腹でという政党が多数を取ればそうなるでしょう。
しかし、天皇に人権無しとまでおっしゃる方がいるとは、サヨクの天皇嫌いには付いて行けません。外国人の人権だって、国民であるが故のものは認められないけれど、出来るだけ広く認めるようにしようというのが人権感覚というものだと思います。天皇・皇族も、その地位故の制約はありますが、なるべく広く人権をお認めしようというのが普通の感性でしょう。
同じ人類でありながら、プライヴァシーというものの無い人間にしようというのはスゴ過ぎる感覚だなあと思いました。その立場に立ってみればわかるはずでしょうに。旗か何かの、モノ感覚なんでしょうか。
どうして、そこまで冷酷になれるのかなあと思うと、働かずに食べて行ける、一度やったらやめられないほどのおいしいお仕事に見えているからなのですね。
民間から皇族になった二人の女性が、失語症や適応障害になるほどの大変なお仕事であることが全然わかっていないのだものなア。
皇族に対する人権の制約に同情するかのような日頃の言説は、天皇制廃止のためのもので、本当は、皇族の人権尊重なんて考えていないから、好きな人と結婚したいという当然のお気持ちに冷淡なのでしょう。人権の制約は男の皇族も同じであり、その制度を維持する以上、女性の皇族も同様に扱うのはむしろ男女平等でしょうに。
皇族は、止めたければ強制手段はありません。やって頂いているという意識が無いのだものなア。
陛下が、天皇としての生活を振り返られて、国民の敬意と信頼のもとに象徴としての務めを果たせたことは幸せでしたとおっしゃって下さった、相思相愛の関係を嬉しく思う国民が圧倒的多数だと思います。
目的が宗教的意義を持ち、効果が特定の宗教を助長等するものでなければ合憲というのが通説で、目的効果基準による合憲判例が幾つも出ていたかと思います。伊勢神宮参拝も、この基準からすれば合憲でしょう。
ただ、政治の世界でも少数政党が独自の主張をしていることは通常あることであるように、学説の世界でも少数説はありますので、それらによって違憲を唱えることも可能ではありますね。
人間を象徴とする以上、象徴としての行為はあるとするのが当然というのが多数説で、国会開会式への臨席や国内巡幸などがその例とされています。
この点も、象徴としての行為を否定する少数説はあり、共産党は、理論的根拠が少数説なのかどうかは知りませんが、長く、国会の開会式を欠席し、日本国及び日本国民統合の象徴に対し非礼な姿勢を示し続けてきましたが、最近になって、正面切って天皇陛下を敵に回すのは国民の反感を買い選挙で不利だと悟ったのか出席に転じましたよね。
儀式には、国事行為としての儀式に当たるものと、象徴としての行為としてなされるものと、私的行為があり、その分類は専門家にお任せしたいと思いますが、イギリスでも戴冠式は盛大にやるでしょうから、即位の儀式は国事行為ですので、それなりの費用をかけて国民みんなでお祝いしたいと考える国民が多数なら、そのようにする政党が選挙で勝つし、自腹でという政党が多数を取ればそうなるでしょう。
しかし、天皇に人権無しとまでおっしゃる方がいるとは、サヨクの天皇嫌いには付いて行けません。外国人の人権だって、国民であるが故のものは認められないけれど、出来るだけ広く認めるようにしようというのが人権感覚というものだと思います。天皇・皇族も、その地位故の制約はありますが、なるべく広く人権をお認めしようというのが普通の感性でしょう。
同じ人類でありながら、プライヴァシーというものの無い人間にしようというのはスゴ過ぎる感覚だなあと思いました。その立場に立ってみればわかるはずでしょうに。旗か何かの、モノ感覚なんでしょうか。
どうして、そこまで冷酷になれるのかなあと思うと、働かずに食べて行ける、一度やったらやめられないほどのおいしいお仕事に見えているからなのですね。
民間から皇族になった二人の女性が、失語症や適応障害になるほどの大変なお仕事であることが全然わかっていないのだものなア。
皇族に対する人権の制約に同情するかのような日頃の言説は、天皇制廃止のためのもので、本当は、皇族の人権尊重なんて考えていないから、好きな人と結婚したいという当然のお気持ちに冷淡なのでしょう。人権の制約は男の皇族も同じであり、その制度を維持する以上、女性の皇族も同様に扱うのはむしろ男女平等でしょうに。
皇族は、止めたければ強制手段はありません。やって頂いているという意識が無いのだものなア。
陛下が、天皇としての生活を振り返られて、国民の敬意と信頼のもとに象徴としての務めを果たせたことは幸せでしたとおっしゃって下さった、相思相愛の関係を嬉しく思う国民が圧倒的多数だと思います。
〇〇牛販売認定証
昨日、デパートの精肉売り場でのこと。
店頭に「〇〇牛販売認定証」なるものが飾ってあった。
ブランド牛の販売を許可すると言った内容なのだが、その認定証の有効期限にはこう書かれていた。
「有効期限 平成三十一年四月一日から令和三年三月三十一日まで」
「ほう、もう新元号を使っているんだ。」と興味をもったが、違和感はなかった。
なぜか。
その認定証は「縦書き」だったから。
正直、自然と文章に溶け込んでいるように感じた。
これが西暦だったらどうだろう?
「有効期限 2019年4月1日から2021年3月31日まで」
「縦書き」にすると間延びした印象になる。
では、漢字表記にするとどうなるか。
「有効期限 二千十九年四月一日から二千二十一年三月三十一日まで」
これも違うだろう。
算用数字を漢数字に置き換えたらどうか。
「有効期限 二〇一九年四月一日から二〇二一年三月三一日まで」
まだ、これはなんとか読めるか。
ただ、和暦と比較するとなんか漢数字ばっかりで味気ない。
和暦も二桁までなら読みやすいが、「令和百二十三年」とかなったらかなり戸惑う。
ただ、さすがにそれはないだろう。せいぜい30年前後がいいところではないか。
私自身は「主の年」派であり、和暦の使用は避けているが、日本語の「縦書き」文化には和暦のほうがなじむ気がする。
まあ、あくまで個人の感想だが。
店頭に「〇〇牛販売認定証」なるものが飾ってあった。
ブランド牛の販売を許可すると言った内容なのだが、その認定証の有効期限にはこう書かれていた。
「有効期限 平成三十一年四月一日から令和三年三月三十一日まで」
「ほう、もう新元号を使っているんだ。」と興味をもったが、違和感はなかった。
なぜか。
その認定証は「縦書き」だったから。
正直、自然と文章に溶け込んでいるように感じた。
これが西暦だったらどうだろう?
「有効期限 2019年4月1日から2021年3月31日まで」
「縦書き」にすると間延びした印象になる。
では、漢字表記にするとどうなるか。
「有効期限 二千十九年四月一日から二千二十一年三月三十一日まで」
これも違うだろう。
算用数字を漢数字に置き換えたらどうか。
「有効期限 二〇一九年四月一日から二〇二一年三月三一日まで」
まだ、これはなんとか読めるか。
ただ、和暦と比較するとなんか漢数字ばっかりで味気ない。
和暦も二桁までなら読みやすいが、「令和百二十三年」とかなったらかなり戸惑う。
ただ、さすがにそれはないだろう。せいぜい30年前後がいいところではないか。
私自身は「主の年」派であり、和暦の使用は避けているが、日本語の「縦書き」文化には和暦のほうがなじむ気がする。
まあ、あくまで個人の感想だが。
>エヴァさん
>やれやれ、なんの常識やら。浪費家のたわごとには付き合えませんね。
貴方の御父君はペラペラな19800円のスーツと1980円のシャツを着て、2980円の合革の靴で営業に行ってましたか?
貴方が社会人ならば、貴方の会社の社長はスズキの軽に乗っていますか?あまつさえ、その軽で取引先の冠婚葬祭に行きますか?法用後の会食はマックですか?
上のような状況なら、貴方の感覚も、まあ仕方がないでしょうが、違うだろ?
貴方の御父君はペラペラな19800円のスーツと1980円のシャツを着て、2980円の合革の靴で営業に行ってましたか?
貴方が社会人ならば、貴方の会社の社長はスズキの軽に乗っていますか?あまつさえ、その軽で取引先の冠婚葬祭に行きますか?法用後の会食はマックですか?
上のような状況なら、貴方の感覚も、まあ仕方がないでしょうが、違うだろ?
>NANA さん
>> web上の漢字辞典からのコピー
[1] いいつけ。上の者からの指示。
[1] おさ。長官。
[1] よい。すぐれた。立派な。相手の親族を敬っていうことば。
[1] のり。おきて。決まり。法律。
[2] しむ。せしむ。「令AB~」の形で、「AをしてBせしむ」と読み、「AにBをさせる」の意。
>現行?
>たとえば「おさ。長官。」。語用例は「県令」ですが、明治時代に既に廃止された呼称で今(現行)では使われておりません。
悪いですが、私の例示した上記漢字辞典における「おさ。長官」は、用例ではなくて、字の意味なんですが。。。
また、何故あなたが「県令」などという言葉を引っ張り出して来たのか、全く理解できません。
「おさ。長官。」という意味での「令」が廃れていると主張したいのでしょうか?普通に「航空自衛隊入間基地司令、田辺祐一郎(仮)」とか使われていますが。田辺さんの肩書きの意味、わかりますよね?
>私は現代日本社会で主に用いられている「令」の用法とそれらの意味を論点にしています。だって、今を生き現代日本語を常用している我々日本人が新元号に採用された「令」という漢字に対してどんな語感やイメージをもつだろうかという話をしてきたのですから。
>現代社会の主要な語用例とその意味から、「令」には「order・command」の語感やイメージを抱く現代日本人(私もその一人)が少なくないことは容易に想像できるでしょうというのが私の論旨です。
「だから、何?」ってのが私の論旨です。
その漢字にcommand以外の意味が有るのは縷々説明され、また調べれば誰でも解りますよね?
仮にcommand以外の意味を知らなかったのならば、これを機会に素直に学べば宜しい。出典からしてcommandの意味で使っておらず、現代においても令嬢など違う意味で使っている例があるのだから。
「それでも令はcommandとしての用例が主だからダメなんだ!」と言われるなら、「ふーん。私とは価値観が合いませんね」としか返しようがない。そこで議論は終了です。
尚、現代において「令嬢」は揶揄として使うなどと貴方は仰っていたが、揶揄として機能するには前提として「令嬢」に良い意味があると認知されている必要がある。
つまり、良家の立派な娘でない女に「令嬢」を宛てるから揶揄になるわけ。
故に「令嬢」が揶揄に用いられると知っている貴方は、「令」が「良い。立派な。」あるいはそれに準ずる意味を持つということが一般に認知されていると思っているわけです。
>貴方は相手の論旨を歪曲しています。
貴方はバイアスを正当化しています。
>国会の場で安倍首相が「私は立法府、立法府の長!」と声を大にして言ったことが、「言い間違い」だったと貴方にはどうして断定ができるのですか。
>件の安倍答弁は、国会において野党議員から、立法府である国会においての安倍首相の説明責任の重要性などを問いただされた中で出たものです。そういった流れの中での発言だと捉えると、単なる「言い間違い」とは考え難いものがあります。
では断定出来ますか?
>安倍首相が実際に「立法府の長=首相」という誤った認識をもっていたとしても、「間違った認識でした。謝罪します。」とはまず言わないでしょう。というか言えないでしょう、さらに大問題になりますから。
推論を前提とした推論です。
>仮に「言い間違い」だったとしても、重大な発言なのですから、国会と国民に対してしっかりした訂正の説明と謝罪が必要です。
それは貴方の感想あるいは意見ですよね。
私はこんな下らない事はどうでもいいと思いますが。
>しかし、それが全くないまま国会議事録も一方的に書き換えられていたようです。
一方的も何も、議事録の訂正には閣議決定が必要だと記憶していますが。
>そういったところにも、私は安倍政権の説明責任の欠如と強権的、統制的な政治姿勢を感じますね。
それは貴方の安倍観ですよね?
いずれにせよ、令=command、と繋げるにはあまりに遠すぎると思いませんか?
[1] いいつけ。上の者からの指示。
[1] おさ。長官。
[1] よい。すぐれた。立派な。相手の親族を敬っていうことば。
[1] のり。おきて。決まり。法律。
[2] しむ。せしむ。「令AB~」の形で、「AをしてBせしむ」と読み、「AにBをさせる」の意。
>現行?
>たとえば「おさ。長官。」。語用例は「県令」ですが、明治時代に既に廃止された呼称で今(現行)では使われておりません。
悪いですが、私の例示した上記漢字辞典における「おさ。長官」は、用例ではなくて、字の意味なんですが。。。
また、何故あなたが「県令」などという言葉を引っ張り出して来たのか、全く理解できません。
「おさ。長官。」という意味での「令」が廃れていると主張したいのでしょうか?普通に「航空自衛隊入間基地司令、田辺祐一郎(仮)」とか使われていますが。田辺さんの肩書きの意味、わかりますよね?
>私は現代日本社会で主に用いられている「令」の用法とそれらの意味を論点にしています。だって、今を生き現代日本語を常用している我々日本人が新元号に採用された「令」という漢字に対してどんな語感やイメージをもつだろうかという話をしてきたのですから。
>現代社会の主要な語用例とその意味から、「令」には「order・command」の語感やイメージを抱く現代日本人(私もその一人)が少なくないことは容易に想像できるでしょうというのが私の論旨です。
「だから、何?」ってのが私の論旨です。
その漢字にcommand以外の意味が有るのは縷々説明され、また調べれば誰でも解りますよね?
仮にcommand以外の意味を知らなかったのならば、これを機会に素直に学べば宜しい。出典からしてcommandの意味で使っておらず、現代においても令嬢など違う意味で使っている例があるのだから。
「それでも令はcommandとしての用例が主だからダメなんだ!」と言われるなら、「ふーん。私とは価値観が合いませんね」としか返しようがない。そこで議論は終了です。
尚、現代において「令嬢」は揶揄として使うなどと貴方は仰っていたが、揶揄として機能するには前提として「令嬢」に良い意味があると認知されている必要がある。
つまり、良家の立派な娘でない女に「令嬢」を宛てるから揶揄になるわけ。
故に「令嬢」が揶揄に用いられると知っている貴方は、「令」が「良い。立派な。」あるいはそれに準ずる意味を持つということが一般に認知されていると思っているわけです。
>貴方は相手の論旨を歪曲しています。
貴方はバイアスを正当化しています。
>国会の場で安倍首相が「私は立法府、立法府の長!」と声を大にして言ったことが、「言い間違い」だったと貴方にはどうして断定ができるのですか。
>件の安倍答弁は、国会において野党議員から、立法府である国会においての安倍首相の説明責任の重要性などを問いただされた中で出たものです。そういった流れの中での発言だと捉えると、単なる「言い間違い」とは考え難いものがあります。
では断定出来ますか?
>安倍首相が実際に「立法府の長=首相」という誤った認識をもっていたとしても、「間違った認識でした。謝罪します。」とはまず言わないでしょう。というか言えないでしょう、さらに大問題になりますから。
推論を前提とした推論です。
>仮に「言い間違い」だったとしても、重大な発言なのですから、国会と国民に対してしっかりした訂正の説明と謝罪が必要です。
それは貴方の感想あるいは意見ですよね。
私はこんな下らない事はどうでもいいと思いますが。
>しかし、それが全くないまま国会議事録も一方的に書き換えられていたようです。
一方的も何も、議事録の訂正には閣議決定が必要だと記憶していますが。
>そういったところにも、私は安倍政権の説明責任の欠如と強権的、統制的な政治姿勢を感じますね。
それは貴方の安倍観ですよね?
いずれにせよ、令=command、と繋げるにはあまりに遠すぎると思いませんか?
国家神道の本宗
天皇の伊勢神宮参拝が違憲かどうかという事についての議論ですが、私、今日ちょっと本の整理をしていると『お伊勢まいり』西垣晴次、岩波新書が出て来たので少し読んでみると次の様な事が書かれておりました。
「このように、明治天皇の神宮参拝を天皇として史上最初のことだというと、疑問をもつ人もいるかもしれない。
一般に、伊勢神宮は皇室の氏神であり天皇家の祖神をまつる神社であると理解されている。
だとすると、自分の家の氏神に一家・一族の主の地位にある天皇が明治2年まで全くその社前にぬかずいたことがないというのはおかしいのではないかという疑問である。(中略)
伊勢神宮が皇室の氏神だとするならば、天皇が明治天皇の代になるまで伊勢神宮に参拝したことがなかったということは、ずいぶんおかしいことといわざるをえない。
さきの疑問も当然のことである。
それならば、むしろ伊勢神宮が皇室の氏神だという理解が誤りであると考えてみたほうがいいことになる。
さらに、もう一つ注意すべきは、古代以来永年にわたって天皇の神宮参拝の事実がなかったのに、明治になってはじめて参拝があったのは、神宮と天皇、神宮と国家との関係が変化し、神宮自体の性格もそれまでとは変わったことを示すものにほかならない。
明治維新により天皇と国家の在り方が変わった。
伊勢神宮もそれにより大きく変わったのである。」
つまり国家神道の本宗であり、その頂点であり、昭和の超国家主義と聖戦思想の根拠地であった場所に、敗戦後、政教分離、国家神道廃止令、天皇の人間宣言によって否定禁止され解体されたはずである事を知りながら再び参拝し宗教行為をするのかという事でしょう。
この経緯を抜きにして参拝批判が象徴であるところの天皇への不敬に当たるかのごときは問題点のすり替えではないでしょうか。
「このように、明治天皇の神宮参拝を天皇として史上最初のことだというと、疑問をもつ人もいるかもしれない。
一般に、伊勢神宮は皇室の氏神であり天皇家の祖神をまつる神社であると理解されている。
だとすると、自分の家の氏神に一家・一族の主の地位にある天皇が明治2年まで全くその社前にぬかずいたことがないというのはおかしいのではないかという疑問である。(中略)
伊勢神宮が皇室の氏神だとするならば、天皇が明治天皇の代になるまで伊勢神宮に参拝したことがなかったということは、ずいぶんおかしいことといわざるをえない。
さきの疑問も当然のことである。
それならば、むしろ伊勢神宮が皇室の氏神だという理解が誤りであると考えてみたほうがいいことになる。
さらに、もう一つ注意すべきは、古代以来永年にわたって天皇の神宮参拝の事実がなかったのに、明治になってはじめて参拝があったのは、神宮と天皇、神宮と国家との関係が変化し、神宮自体の性格もそれまでとは変わったことを示すものにほかならない。
明治維新により天皇と国家の在り方が変わった。
伊勢神宮もそれにより大きく変わったのである。」
つまり国家神道の本宗であり、その頂点であり、昭和の超国家主義と聖戦思想の根拠地であった場所に、敗戦後、政教分離、国家神道廃止令、天皇の人間宣言によって否定禁止され解体されたはずである事を知りながら再び参拝し宗教行為をするのかという事でしょう。
この経緯を抜きにして参拝批判が象徴であるところの天皇への不敬に当たるかのごときは問題点のすり替えではないでしょうか。
No title
*失語症や適応障害になるほどの大変なお仕事であることが全然わかっていないのだものなア。
解りませんね。そんな大変仕事なのですか?
命あっての物種ですから、離婚すれば済む問題でしょう。
民法第770条第1項第5号には該当するでしょう。
それにどうして臣民からではなく、民間から配偶者を求めようなんてことを考えたのでしょう?
それに伝統を誇る側室制度を廃止したのはマスコミに対する迎合?
インドネシアや中近東では多妻主義ですからそれを導入すれば済むことでしょう。1000年の伝統を誇る存在なら英米仏の価値観と異なることがあたりまえ。
何事も例外的存在ですからネ。
解りませんね。そんな大変仕事なのですか?
命あっての物種ですから、離婚すれば済む問題でしょう。
民法第770条第1項第5号には該当するでしょう。
それにどうして臣民からではなく、民間から配偶者を求めようなんてことを考えたのでしょう?
それに伝統を誇る側室制度を廃止したのはマスコミに対する迎合?
インドネシアや中近東では多妻主義ですからそれを導入すれば済むことでしょう。1000年の伝統を誇る存在なら英米仏の価値観と異なることがあたりまえ。
何事も例外的存在ですからネ。
No title
つづき
*天皇・皇族も、その地位故の制約はありますが、なるべく広く人権をお認めしようというのが普通の感性でしょう。
皇族は国民です。貴兄の認識を疑いますよ。
憲法上、国民と異なる存在であるのは天皇だけですよ。≪憲法第1条≫
皇族は事実上選挙権を行使しないらしいですが、
国民の権利ですからどうして行使しないのでしょう?
皇族も国民ではないとお考えなのですか?国民なのに品位を保つために、皇室経済法で公金が支出されるとはこれいかに?
イギリスでは軍隊に入ったりパイロットになったり、その他の職業についていますが?
*天皇・皇族も、その地位故の制約はありますが、なるべく広く人権をお認めしようというのが普通の感性でしょう。
皇族は国民です。貴兄の認識を疑いますよ。
憲法上、国民と異なる存在であるのは天皇だけですよ。≪憲法第1条≫
皇族は事実上選挙権を行使しないらしいですが、
国民の権利ですからどうして行使しないのでしょう?
皇族も国民ではないとお考えなのですか?国民なのに品位を保つために、皇室経済法で公金が支出されるとはこれいかに?
イギリスでは軍隊に入ったりパイロットになったり、その他の職業についていますが?
専門外より愛を語る私
歴代天皇と伊勢神宮との関係となると歴史の専門家にお任せしたいナア。ただ、天照大神がお祭りしてあり、三種の神器の一つがお祭りしてあったり、ゆかりが深い神社で、御先祖様に退位の御報告をしに行くのは自然だし、それをしたからと言って戦前の天皇が復活するとは思えません。それが国民のごく普通の感覚だと思います。
政教分離も司法試験以来なのに、皇族の人権となると記憶も朧ですが、実際上皇族も普通の国民とは異なる人権の制約を受けてはいるでしょう。真子様のご婚約も勅許を受ける類の儀式があったはずで、民間人なら、結婚に御祖父ちゃんの許可なんか要らないものなア。軍隊に入るイギリスの事情は分かりませんが、皇族が自衛隊に自由に入隊する訳には行かないと思いますよ。
陛下は、新憲法のもとで、象徴としての天皇のあるべき姿を追及されてこられました。それまでは、妃は華族の娘から選んでいたのに、平民の出の美智子様との御結婚には酷いバッシングがあったそうですが、陛下は、法の下の平等を定め、婚姻が両性の合意のみによって成立するという新憲法のもと、愛を貫かれる範をお示しになりました。側室など選択の余地は無かったでしょう。
そのご子息も、御両親の姿を見て育たれ、皇室にキャリアウーマンは要らない、30近くで男子が産めるのかという反対を押し退け、愛を貫かれる範を示されました。皇太子妃への尊敬の理由が血筋や身分などではなく、知性と美であることは、国民にとっても何と幸せなことでしょう。
大変なお仕事ですよ。離婚すればいいなんて、一般人なら、「余計なお世話。」の一言ですが、反論する言論の自由も無く、何を言われても耐え続けておられたのですから、適応障害にもなられましょう。
天皇の歴史や、皇族の人権については、むしろお詳しい方にお願いしたいけれど、御夫婦の在り方については、普通の国民の一人に過ぎない私でも自信をもって、素晴らしいと太鼓判です。
政教分離も司法試験以来なのに、皇族の人権となると記憶も朧ですが、実際上皇族も普通の国民とは異なる人権の制約を受けてはいるでしょう。真子様のご婚約も勅許を受ける類の儀式があったはずで、民間人なら、結婚に御祖父ちゃんの許可なんか要らないものなア。軍隊に入るイギリスの事情は分かりませんが、皇族が自衛隊に自由に入隊する訳には行かないと思いますよ。
陛下は、新憲法のもとで、象徴としての天皇のあるべき姿を追及されてこられました。それまでは、妃は華族の娘から選んでいたのに、平民の出の美智子様との御結婚には酷いバッシングがあったそうですが、陛下は、法の下の平等を定め、婚姻が両性の合意のみによって成立するという新憲法のもと、愛を貫かれる範をお示しになりました。側室など選択の余地は無かったでしょう。
そのご子息も、御両親の姿を見て育たれ、皇室にキャリアウーマンは要らない、30近くで男子が産めるのかという反対を押し退け、愛を貫かれる範を示されました。皇太子妃への尊敬の理由が血筋や身分などではなく、知性と美であることは、国民にとっても何と幸せなことでしょう。
大変なお仕事ですよ。離婚すればいいなんて、一般人なら、「余計なお世話。」の一言ですが、反論する言論の自由も無く、何を言われても耐え続けておられたのですから、適応障害にもなられましょう。
天皇の歴史や、皇族の人権については、むしろお詳しい方にお願いしたいけれど、御夫婦の在り方については、普通の国民の一人に過ぎない私でも自信をもって、素晴らしいと太鼓判です。
公務員には
>内閣は、天皇の伊勢参り等に公務員を参加させる権限はどこにもありません。
嫌なら辞める権利があると、以前言われたのは貴殿ではありませんか?(有事の自衛官を除く)
その権利を行使しない以上、宮内庁の職員は、嫌々伊勢神宮にお供しているのではないと考えざるを得ません。
嫌なら辞める権利があると、以前言われたのは貴殿ではありませんか?(有事の自衛官を除く)
その権利を行使しない以上、宮内庁の職員は、嫌々伊勢神宮にお供しているのではないと考えざるを得ません。
No title
*皇族の人権となると記憶も朧ですが、実際上皇族も普通の国民とは異なる人権の制約を受けてはいるでしょう。
皇族が日本国民である以上、他の国民と同様に人権共有主体であること間違いはありません。
外国人にもにも認められる人権が皇族というだけで人権が認められない方がおかしいのですよ。
そのうえで、皇族に対する人権制約の意義や程度について過剰な規制かどうかが憲法上問題になるだけですよ。
天皇は日本国民ではなく且つ憲法上象徴=ものであることの制約が明記されている特殊な存在です。
武家諸法度の時代の象徴を引き継いで、学問と文芸をして過ごすのですネ。
皇族が日本国民である以上、他の国民と同様に人権共有主体であること間違いはありません。
外国人にもにも認められる人権が皇族というだけで人権が認められない方がおかしいのですよ。
そのうえで、皇族に対する人権制約の意義や程度について過剰な規制かどうかが憲法上問題になるだけですよ。
天皇は日本国民ではなく且つ憲法上象徴=ものであることの制約が明記されている特殊な存在です。
武家諸法度の時代の象徴を引き継いで、学問と文芸をして過ごすのですネ。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*宮内庁の職員は、嫌々伊勢神宮にお供しているのではないと考えざるを得ません。
なるほど、
宮内庁の職員というのは、創価同様な宗教の信者なのですね。
憲法よりも宗教を重視する。大変な職責ですネ。
*宮内庁の職員は、嫌々伊勢神宮にお供しているのではないと考えざるを得ません。
なるほど、
宮内庁の職員というのは、創価同様な宗教の信者なのですね。
憲法よりも宗教を重視する。大変な職責ですネ。
1945年
なごやんさんが縦書き文化には和暦の方がなじむ気がする、個人的感想だが、と書かれていたので、少し考えてみました。
それで新聞と新書、文庫本なども縦書きである事に気付き、手元に置いてあった4月20日朝日新聞大阪本社発行朝刊を見てみました。
朝日朝刊の一面を見ての私の感想は縦書きでも西暦は使いやすいし便利ではないだろうかという事でした。
まず一面トップですが、『一人暮らし高齢者900万人、2040年推計 全世帯の17%に』
この見出しの900と2040と17はすべて横書きで書かれていて、上手くまとまっています。
見出しの大文字で行間に余裕があるから900や2040が横書きに出来たということかもしれませんから見出し記事の小文字で見ていきました。
「一人暮らしをする65才以上の高齢者が2040年に896万3千人となり、15年より43・4%増える。
全世帯に対する割合は17・7% 全国最多の東京では116万7千人と、65歳以上人口の約3割にのぼる。
背景には未婚や離婚などの増加があるという。国立社会保障・人口問題研究所が19日、世帯数に関する推計を公表した。」
記事文中の65と15と43と17と19は横書きでやはり上手くまとめられ違和感はありません。
2040と896、116は縦書きでアラビア数字、算用数字ですがフォントも良く考えられているのでしょう違和感を感じません。
一面以外も読んでみて感じたのが、その年が持つ意味と記事、文の内容においても西暦以外で表記するのはどうかと思う場合は多いのではないかと感じました。
たとえば国際面のトランプ大統領に関する記事の2016年という表記。
これを元号で表記するというのはおよそ考えられないといえるのではないでしょうか。
オピニオン面の投稿文中の1945年という表記には考えさせられます。
もちろん昭和20年と記憶して書く人も多いと思いますが、これから未来を考えていく上でどうでしょう。
それで新聞と新書、文庫本なども縦書きである事に気付き、手元に置いてあった4月20日朝日新聞大阪本社発行朝刊を見てみました。
朝日朝刊の一面を見ての私の感想は縦書きでも西暦は使いやすいし便利ではないだろうかという事でした。
まず一面トップですが、『一人暮らし高齢者900万人、2040年推計 全世帯の17%に』
この見出しの900と2040と17はすべて横書きで書かれていて、上手くまとまっています。
見出しの大文字で行間に余裕があるから900や2040が横書きに出来たということかもしれませんから見出し記事の小文字で見ていきました。
「一人暮らしをする65才以上の高齢者が2040年に896万3千人となり、15年より43・4%増える。
全世帯に対する割合は17・7% 全国最多の東京では116万7千人と、65歳以上人口の約3割にのぼる。
背景には未婚や離婚などの増加があるという。国立社会保障・人口問題研究所が19日、世帯数に関する推計を公表した。」
記事文中の65と15と43と17と19は横書きでやはり上手くまとめられ違和感はありません。
2040と896、116は縦書きでアラビア数字、算用数字ですがフォントも良く考えられているのでしょう違和感を感じません。
一面以外も読んでみて感じたのが、その年が持つ意味と記事、文の内容においても西暦以外で表記するのはどうかと思う場合は多いのではないかと感じました。
たとえば国際面のトランプ大統領に関する記事の2016年という表記。
これを元号で表記するというのはおよそ考えられないといえるのではないでしょうか。
オピニオン面の投稿文中の1945年という表記には考えさせられます。
もちろん昭和20年と記憶して書く人も多いと思いますが、これから未来を考えていく上でどうでしょう。
プロの仕事とは
厳しいものですよ>平行線さん
貴殿が、何らかのプロフェッショナルであるかどうかは知りませんが、実際に仕事をしてみれば分かることです。
貴殿が、何らかのプロフェッショナルであるかどうかは知りませんが、実際に仕事をしてみれば分かることです。
秀忠君モテ期
天皇も皇族も人間である以上人権享有主体ではあるが、その地位の特殊性による制約を受けるというのが多数説だった朧な記憶ですが。
それはそうと、秀忠ファンもおられるのだナア。確か、守成の名君として扱った小説も幾つかあったような気がします。真田幸村のお父さんに翻弄されて関が原に間に合わず家康に叱られたり、大坂の陣では逆に急ぎ過ぎて兵を疲れさせて又叱られたり、大野主馬あたりに切り崩されて命からがらの目にあったりして、凡将の評価が一般的ですが。
元々、日本は、黄河文明か何かの中国文明の周辺文明で田舎だったし、ユーラシア大陸の極東に位置し、こんなところまで攻めてくる外国は殆どいなかったでしょ。中国の皇帝からすれば、あんな辺境の島国には殆ど関心が無かったというところでしょう。用が無きゃ行きゃしないよってのはカムチャッカ半島みたいな感じかしら。中国で力があり余っちゃった場合にだけ元寇みたいなことが起こったと。
その上、海があるし、鑑真和尚は来日まで7回くらい遭難したように、昔の船で日本に来るのは大変で、黒船時代にならないとある程度余裕をもって攻め寄せるってことにはならなかったでしょう。
同じく島国の台湾も辺境で、国姓爺合戦の主人公のモデルになった鄭成功だったかが再起を図る拠点にしたんでしたよね。中国の本省から人が多く移ったのは蒋介石が逃げて来た時だったとか。
そういう東の果ての島国日本に攻めてくる国は滅多になかったから、国内勢が和をもって尊しでいる限り平和で、徳川時代だけでなく、平安時代なども割と平和が続いていたんじゃなかったかしら。たまに、ナントカの乱とかカントカの役とかはあったにせよ。
鎌倉時代も、北条が実権を握ってからは、武家が実権を奪う大戦が1回あったけど、後はまあまあ平和だったかと。
憲法以上に昔の知識の記憶ですので間違っているかもしれませんが、世界でも、文明同士のぶつかり合う地点は比べ物にならないくらい戦争が多く、何度も文明のローラーをかけられて、苦しんだ人々が魂の救済を求めたために世界的な宗教が生まれたと教わったような気がします。勢力図が何度も塗り替わる中東辺りで、キリスト教やイスラム教が生まれ、いくつもの王朝が替わったインド辺りで仏教やヒンズー教が生まれたと。
で、日本は、元々平和な国なので、法隆寺などの古い建物が残っていたりする反面、神道は世界に広がる様な普遍性は持ち得なかったのだろうと思います。
江戸時代の平和は、家康の大名配置や、参勤交代などの大名の力を削ぐ仕組みが功を奏しただけで、秀忠の手腕とも思えないのですが、まあ、秀忠君思わぬモテ期が来てヨカッタねと。
例えて言えば、日本て、誰も登って来ないようなところに咲く可憐な高山植物みたいなもので、世界史的に見れば、バラやヒマワリではなく、大したことないと言えば大したことないし、こんなはずれにこんなに長く続いた高度な文化が栄えたのは大したことだと言えば大したもんでもありましょう。
そういう平和な辺境日本ではありますが、他国の支配を受け入れる腰抜けではなく、武士が誕生したように、元のような超大国の侵略にも敢然と立ち向かって撃退し、有色人種は白人国家の植民地ばかりという世界の中で大国ロシアの南下政策を打ち破って独立を保ったのはアッパレでしょう。
三郎四郎さんが、たった7年支配されただけでこのありさまと嘆かれていたのは、独立心を失って、米軍の占領を受け入れ続け、侵略されたら米軍様お願いねという他国依存の精神を指してのことではないでしょうか。ナショナリズムが弱いが故に、自国の文化を大切に思えないというところはないのかなあ。
以前、こちらで、無防備論の人と議論したとき、無抵抗なのかと誤解していたら、侵略軍来たりなばゲリラとなりて戦わんとする沈勇の士だったことがわかり、スッカリ見直したことがあったけれど、多くの国民があの気概を見倣えば三郎四郎さんが嘆くこともなくなる気がするのだけれど。
それはそうと、秀忠ファンもおられるのだナア。確か、守成の名君として扱った小説も幾つかあったような気がします。真田幸村のお父さんに翻弄されて関が原に間に合わず家康に叱られたり、大坂の陣では逆に急ぎ過ぎて兵を疲れさせて又叱られたり、大野主馬あたりに切り崩されて命からがらの目にあったりして、凡将の評価が一般的ですが。
元々、日本は、黄河文明か何かの中国文明の周辺文明で田舎だったし、ユーラシア大陸の極東に位置し、こんなところまで攻めてくる外国は殆どいなかったでしょ。中国の皇帝からすれば、あんな辺境の島国には殆ど関心が無かったというところでしょう。用が無きゃ行きゃしないよってのはカムチャッカ半島みたいな感じかしら。中国で力があり余っちゃった場合にだけ元寇みたいなことが起こったと。
その上、海があるし、鑑真和尚は来日まで7回くらい遭難したように、昔の船で日本に来るのは大変で、黒船時代にならないとある程度余裕をもって攻め寄せるってことにはならなかったでしょう。
同じく島国の台湾も辺境で、国姓爺合戦の主人公のモデルになった鄭成功だったかが再起を図る拠点にしたんでしたよね。中国の本省から人が多く移ったのは蒋介石が逃げて来た時だったとか。
そういう東の果ての島国日本に攻めてくる国は滅多になかったから、国内勢が和をもって尊しでいる限り平和で、徳川時代だけでなく、平安時代なども割と平和が続いていたんじゃなかったかしら。たまに、ナントカの乱とかカントカの役とかはあったにせよ。
鎌倉時代も、北条が実権を握ってからは、武家が実権を奪う大戦が1回あったけど、後はまあまあ平和だったかと。
憲法以上に昔の知識の記憶ですので間違っているかもしれませんが、世界でも、文明同士のぶつかり合う地点は比べ物にならないくらい戦争が多く、何度も文明のローラーをかけられて、苦しんだ人々が魂の救済を求めたために世界的な宗教が生まれたと教わったような気がします。勢力図が何度も塗り替わる中東辺りで、キリスト教やイスラム教が生まれ、いくつもの王朝が替わったインド辺りで仏教やヒンズー教が生まれたと。
で、日本は、元々平和な国なので、法隆寺などの古い建物が残っていたりする反面、神道は世界に広がる様な普遍性は持ち得なかったのだろうと思います。
江戸時代の平和は、家康の大名配置や、参勤交代などの大名の力を削ぐ仕組みが功を奏しただけで、秀忠の手腕とも思えないのですが、まあ、秀忠君思わぬモテ期が来てヨカッタねと。
例えて言えば、日本て、誰も登って来ないようなところに咲く可憐な高山植物みたいなもので、世界史的に見れば、バラやヒマワリではなく、大したことないと言えば大したことないし、こんなはずれにこんなに長く続いた高度な文化が栄えたのは大したことだと言えば大したもんでもありましょう。
そういう平和な辺境日本ではありますが、他国の支配を受け入れる腰抜けではなく、武士が誕生したように、元のような超大国の侵略にも敢然と立ち向かって撃退し、有色人種は白人国家の植民地ばかりという世界の中で大国ロシアの南下政策を打ち破って独立を保ったのはアッパレでしょう。
三郎四郎さんが、たった7年支配されただけでこのありさまと嘆かれていたのは、独立心を失って、米軍の占領を受け入れ続け、侵略されたら米軍様お願いねという他国依存の精神を指してのことではないでしょうか。ナショナリズムが弱いが故に、自国の文化を大切に思えないというところはないのかなあ。
以前、こちらで、無防備論の人と議論したとき、無抵抗なのかと誤解していたら、侵略軍来たりなばゲリラとなりて戦わんとする沈勇の士だったことがわかり、スッカリ見直したことがあったけれど、多くの国民があの気概を見倣えば三郎四郎さんが嘆くこともなくなる気がするのだけれど。
No title
御新茶磨 さん
*ロシアの南下政策を打ち破って独立を保ったのはアッパレでしょう。
どこの独立の話でしょうか?
大日本帝国の敗戦を危惧してアメリカに仲介を依頼してポーツマス条約で賠償金一銭も取れない結果日比谷焼き討ち事件が起きたのはご存じでしょう。
戦費をイギリスで調達して、一銭も取れなかった大日本帝国=主権者天皇は何をしていたのでしょうね。
*ロシアの南下政策を打ち破って独立を保ったのはアッパレでしょう。
どこの独立の話でしょうか?
大日本帝国の敗戦を危惧してアメリカに仲介を依頼してポーツマス条約で賠償金一銭も取れない結果日比谷焼き討ち事件が起きたのはご存じでしょう。
戦費をイギリスで調達して、一銭も取れなかった大日本帝国=主権者天皇は何をしていたのでしょうね。
政治家のお値打ち
当時のアジア・アフリカは殆ど白人国家の植民地でした。その中で、ロシアの南下政策が進めば、日本の独立は失われていたでしょう。最近では、ウクライナがクリミア半島取られちゃったし、第二次世界大戦直前にはフィンランドも領土を取られてるし、周りの国は相当やられてますな。
あの薄氷の勝利が、当時の日本の限界でしたから、自分の限界を知って和解した小村寿太郎の外交手腕もお見事。
日比谷焼き討ち事件のように熱くなった国民に引きずられないで、国力に見合った外交ができる政治家が太平洋戦争前に居てくれたらなあ。
あの薄氷の勝利が、当時の日本の限界でしたから、自分の限界を知って和解した小村寿太郎の外交手腕もお見事。
日比谷焼き討ち事件のように熱くなった国民に引きずられないで、国力に見合った外交ができる政治家が太平洋戦争前に居てくれたらなあ。
東大平行線さん
結局、貴方が反応するのは近代戦争なんですね。
御新茶磨さんのコメントは内容は鑑真和尚や秀忠、真田幸村のお父さんに、鄭成功、北条とさまざまです。
そんな御新茶磨さんのコメントに対しても東大平行線さんは近代戦争しか突かない。
分かってますか?
私の言いたいこと。
御新茶磨さんのコメントは内容は鑑真和尚や秀忠、真田幸村のお父さんに、鄭成功、北条とさまざまです。
そんな御新茶磨さんのコメントに対しても東大平行線さんは近代戦争しか突かない。
分かってますか?
私の言いたいこと。
No title
ひまわり さん
*分かってますか?
私の言いたいこと。
いいえ、
徳川秀忠は私が言いだしたことですが??
*分かってますか?
私の言いたいこと。
いいえ、
徳川秀忠は私が言いだしたことですが??
東大平行線さん 1/2
御新茶磨さんの今回のコメントは、元号の長さを考えて鳥瞰図を広げるように歴史を語っているんですよ。
つまり全体論で話しかけているのです。
でも東大平行線さんは相変らず特定の部分でしか語らないのです。
きっと近代戦争にしか興味が無いのでしょう。
だから御新茶磨さんの主旨も見えなくなっているんです。
全体を語っているのに部分論で否定してしまえばもう水掛け論です。
そんな議論いくら議論しても永遠に答えなど出ませんよ。
以前も言いましたがこの傾向は日の丸や君が代そして皇室関係の話にも同様な反応を起こします。
そしてきまって近代戦争関連を持ち出すのです
これは左派の方々の特徴でもあるのでしょう。
まるでお約束のようです。
つまり全体論で話しかけているのです。
でも東大平行線さんは相変らず特定の部分でしか語らないのです。
きっと近代戦争にしか興味が無いのでしょう。
だから御新茶磨さんの主旨も見えなくなっているんです。
全体を語っているのに部分論で否定してしまえばもう水掛け論です。
そんな議論いくら議論しても永遠に答えなど出ませんよ。
以前も言いましたがこの傾向は日の丸や君が代そして皇室関係の話にも同様な反応を起こします。
そしてきまって近代戦争関連を持ち出すのです
これは左派の方々の特徴でもあるのでしょう。
まるでお約束のようです。
東大平行線さん2/2
現代的価値観だけが普遍的価値観だと思い込んでませんか?
それだけではありません。
自分的価値観までも普遍的価値観だと思い込み、何千年の文化・伝統をぶった斬る、と平気で語っていますが、、
いやあ何様なんでしょう。
明治以前は天皇のお伊勢参りはなかった、という事実。
この事実もって「なぜか」と考えないその思考の軽さ。
ましてやそれがどうして違憲の話しと結びつくのか・・・・さっぱりです。
古代の人達にあった「恐れ多い」という感覚はたぶん現代人にはあまり理解し得ないと思います。
もちろん私だって理解は難しいです。
しかし過去の人達にとっては何か特別なものがあったのだろう、という想像はできるはず。
しかし法律や理論理屈に頼ったあげくそういうイマジネーションが働かくなったのでしょうね。
今でこそ交通手段が発達してますから伊勢神宮などは気軽にいけます。
しかし当時は一ヶ月や二ヶ月はかかったでしょう。
盗賊や自然災害などのような危険もあったでしょう。
付き添いも多人数になるでしょうから費用もかかったことでしょう。
このように気軽にいけない遠方の地となれば伊勢神宮がより神格化することも想像に難しくありません。
当初は天皇の代理として斎王が参詣をしていました。とうぜん一般庶民は参拝などできません。
やがて斎王が廃止になり、さらには江戸時代には庶民も参詣できる様になりました。
つまり伊勢神宮という存在が時代ごとにポピュラーになっていったのです。
関所を通るとき伊勢神宮に行くという名目であれば庶民は通過できたと聞いたこともあります。
このような時代の変化の中でも天皇が参拝をしなかったのは様々な理由はありますが
天皇家にとっては伊勢神宮への畏怖であり慣習であると考えるのが自然でしょう。
このような感覚は現代的価値観だけでは見えてきません。
天皇が参拝したのは明治になってからだ、と言ったところで何がいいたいのでしょう。
斎王を復活させるというのなら話しは分かります。
しかし鬼の首をとったように天皇は参拝すべきでないとはあまりにも軽すぎです。
伝統文化も時代により変化していくのです。つまり生き物なんです。だから現代人が殺さないでほしい。
同時代価値観という視点に立たなければ伝統文化という命は見落としてしまうのです
どうしてハト派である左派の方々が排他的に走るのか、本当に不思議でなりません。
武器を捨てろ、外交は会話だ!というアピールも薄っぺらに感じます。
武器を捨てろ、外交は服従だ!というアピールに聞こえてなりません。
それだけではありません。
自分的価値観までも普遍的価値観だと思い込み、何千年の文化・伝統をぶった斬る、と平気で語っていますが、、
いやあ何様なんでしょう。
明治以前は天皇のお伊勢参りはなかった、という事実。
この事実もって「なぜか」と考えないその思考の軽さ。
ましてやそれがどうして違憲の話しと結びつくのか・・・・さっぱりです。
古代の人達にあった「恐れ多い」という感覚はたぶん現代人にはあまり理解し得ないと思います。
もちろん私だって理解は難しいです。
しかし過去の人達にとっては何か特別なものがあったのだろう、という想像はできるはず。
しかし法律や理論理屈に頼ったあげくそういうイマジネーションが働かくなったのでしょうね。
今でこそ交通手段が発達してますから伊勢神宮などは気軽にいけます。
しかし当時は一ヶ月や二ヶ月はかかったでしょう。
盗賊や自然災害などのような危険もあったでしょう。
付き添いも多人数になるでしょうから費用もかかったことでしょう。
このように気軽にいけない遠方の地となれば伊勢神宮がより神格化することも想像に難しくありません。
当初は天皇の代理として斎王が参詣をしていました。とうぜん一般庶民は参拝などできません。
やがて斎王が廃止になり、さらには江戸時代には庶民も参詣できる様になりました。
つまり伊勢神宮という存在が時代ごとにポピュラーになっていったのです。
関所を通るとき伊勢神宮に行くという名目であれば庶民は通過できたと聞いたこともあります。
このような時代の変化の中でも天皇が参拝をしなかったのは様々な理由はありますが
天皇家にとっては伊勢神宮への畏怖であり慣習であると考えるのが自然でしょう。
このような感覚は現代的価値観だけでは見えてきません。
天皇が参拝したのは明治になってからだ、と言ったところで何がいいたいのでしょう。
斎王を復活させるというのなら話しは分かります。
しかし鬼の首をとったように天皇は参拝すべきでないとはあまりにも軽すぎです。
伝統文化も時代により変化していくのです。つまり生き物なんです。だから現代人が殺さないでほしい。
同時代価値観という視点に立たなければ伝統文化という命は見落としてしまうのです
どうしてハト派である左派の方々が排他的に走るのか、本当に不思議でなりません。
武器を捨てろ、外交は会話だ!というアピールも薄っぺらに感じます。
武器を捨てろ、外交は服従だ!というアピールに聞こえてなりません。
No title
ひまわり さん
*さらには江戸時代には庶民も参詣できる
庶民は内宮には参拝できません。今も昔も!
ちなみに、江戸時代の庶民のお伊勢参りは外宮で、その目的は男たちのお遊びの口実ですよ。
*さらには江戸時代には庶民も参詣できる
庶民は内宮には参拝できません。今も昔も!
ちなみに、江戸時代の庶民のお伊勢参りは外宮で、その目的は男たちのお遊びの口実ですよ。
No title
ひまわりさん
東大平行線さんと議論してもかみ合わず、平行線
のまま延々と続くことになりますから、見切りを
つけた方がいいと思います。
東大平行線さんと議論してもかみ合わず、平行線
のまま延々と続くことになりますから、見切りを
つけた方がいいと思います。
ネトサヨうざい さん
ありがとうございます。
体制派さんからもアドバイス頂いてました。
でもなんかあきらめきれなくて。
1度、東大平行線さんとは中断したのですが
先生や皆様からのご意見を頂きやっぱり話し合いって大事かなって思いました。
それに東大平行線さんは悪意はないと思えたのでできる限り頑張ろうかなって。
まあ、相手が北朝鮮と思って(笑)
>従って、国民が理性を失い共同幻想に浸っていれば怖いですネ。
↑その甲斐あってこのように本音を頂いたこともありましたから。
私を含めイデオロギーって取扱注意なのです。
なので他人の大切にしているものは尊重し合いましょうと言い続けていれば
きっといつか真反対の方達とも何かしら認めあうことができる気がするのです。
排他的になることは簡単です。
口で平和主義を唱えることも簡単です。
立場は違えど皆さんは平和を求めております。
でも不思議なのです。
平和を求めることは簡単のはずですが
お互いに尊重し合うことすら出来ないのです。
だからせめてここのブログでは何かをつかみたいです。
ちっちゃいちっちゃい平和かも知れませんがね。
体制派さんからもアドバイス頂いてました。
でもなんかあきらめきれなくて。
1度、東大平行線さんとは中断したのですが
先生や皆様からのご意見を頂きやっぱり話し合いって大事かなって思いました。
それに東大平行線さんは悪意はないと思えたのでできる限り頑張ろうかなって。
まあ、相手が北朝鮮と思って(笑)
>従って、国民が理性を失い共同幻想に浸っていれば怖いですネ。
↑その甲斐あってこのように本音を頂いたこともありましたから。
私を含めイデオロギーって取扱注意なのです。
なので他人の大切にしているものは尊重し合いましょうと言い続けていれば
きっといつか真反対の方達とも何かしら認めあうことができる気がするのです。
排他的になることは簡単です。
口で平和主義を唱えることも簡単です。
立場は違えど皆さんは平和を求めております。
でも不思議なのです。
平和を求めることは簡単のはずですが
お互いに尊重し合うことすら出来ないのです。
だからせめてここのブログでは何かをつかみたいです。
ちっちゃいちっちゃい平和かも知れませんがね。
東大平行線さん
>庶民は内宮には参拝できません。今も昔も!
↑これを揚げ足を取るというのですよ。
そんなことより同時代価値観についてはどう思いますか?
東大平行線さん、ガチで向き合って議論しましょうよ。
↑これを揚げ足を取るというのですよ。
そんなことより同時代価値観についてはどう思いますか?
東大平行線さん、ガチで向き合って議論しましょうよ。
No title
ひまわり さん
*同時代価値観についてはどう思いますか?
日本国憲法は、形式的にも、実質的にも日本人が制定したものです。
徳川家康の側室阿茶局が秀忠の参謀として戦国時代を終焉させるた、武家諸法度・禁中並公家諸法度が基本です。
これは権力の分立と特権を持つ藩主に財政負担で戦費を消費させ
、天皇や公家は学問や文芸と役割分担。
日本国憲法は、実質的には鈴木安蔵が千葉卓三郎(1852-1883 明治時代の自由民権運動家)の思想にヒントを得て草案
ベアテ・シロタ・ゴードンは幼少期日本に住んでおり家制度の不条理さを目にして憲法第24条の婚姻規定を提案しただけ。
つまり日本国憲法はイギリスの大憲章からアメリカの独立宣言及び徳川時代の統治方法及びベアテ・シロタ・ゴードンの女性の視点を導入して成立した憲法です。
この価値観は平和主義を前提として個人の権利を最大限に尊重する国家という法的統治で運営するというものです。
決して、外国から一方的的に押し付けられたというのは被害妄想です。
故に、天皇は日本国民統合の象徴として、学問や文芸にひたすら尽くし存在。
常陸宮さんのように、大学の実験室で研究する存在が最も妥当というべきでしょう。被災地の訪問は政治家の役割です。象徴の役割ではありません。
*同時代価値観についてはどう思いますか?
日本国憲法は、形式的にも、実質的にも日本人が制定したものです。
徳川家康の側室阿茶局が秀忠の参謀として戦国時代を終焉させるた、武家諸法度・禁中並公家諸法度が基本です。
これは権力の分立と特権を持つ藩主に財政負担で戦費を消費させ
、天皇や公家は学問や文芸と役割分担。
日本国憲法は、実質的には鈴木安蔵が千葉卓三郎(1852-1883 明治時代の自由民権運動家)の思想にヒントを得て草案
ベアテ・シロタ・ゴードンは幼少期日本に住んでおり家制度の不条理さを目にして憲法第24条の婚姻規定を提案しただけ。
つまり日本国憲法はイギリスの大憲章からアメリカの独立宣言及び徳川時代の統治方法及びベアテ・シロタ・ゴードンの女性の視点を導入して成立した憲法です。
この価値観は平和主義を前提として個人の権利を最大限に尊重する国家という法的統治で運営するというものです。
決して、外国から一方的的に押し付けられたというのは被害妄想です。
故に、天皇は日本国民統合の象徴として、学問や文芸にひたすら尽くし存在。
常陸宮さんのように、大学の実験室で研究する存在が最も妥当というべきでしょう。被災地の訪問は政治家の役割です。象徴の役割ではありません。
「平和」の旗印
(真山仁のPerspectives:視線)1:平成と平和
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13994517.html?rm=150
【引用開始】
こうして見ていくと平成時代は、戦争はなかったけれど、「戦争の準備を着々と進めてきた30年だったのではないか」とも思える。
<中略>
(「セカオワ」の歌詞を引用して)戦争はしていないけど、明日にでも戦争が起きるかもしれないぞと国民を脅して、戦争の準備を進めるのは、平和なのか。あるいは、戦争なんて起きないから、武器は全部捨てて、米軍にも出て行ってもらおうと訴えるのが、平和の有り様なのだろうか。それらが、大人の答えだとすれば、背筋が寒い。
<中略>
平和のために誰かを殺すのではなく、戦争がなくても、平和の大切さを、訴え続けなければならない。あるいは、平和の危うさを、国民全てが共有する必要もある。戦争より、厄介な平和を伝えるため、我々は新元号「令和」を前に、どんな言葉を発すれば良いのだろうか。
【引用終了】
↑
平成もあと残すところ数日となり、TV・新聞などでも平成を回顧する番組や特集が組まれている。
上記記事は、経済小説「ハゲタカ」で知られる真山仁氏の朝日新聞新連載の「Perspectives(視線)」シリーズからの引用。
真山氏は読者に「平和を伝えるための言葉」を模索するよう勧めている。
わたしは「質の高い平和」を求めるべきだと思う。
単に「戦争がない状態」という消極的な意味ではなく、もっと積極的、アグレッシブな「平和」を。
その先頭の旗印には「平和憲法」が相応しいと思う。
「平和とは永遠の闘争である」(ホセ・フィゲーレス・フェレール)
<参考コメント>
平和とは永遠の闘争である<2016/11/20(01:33)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2462.html
それでもマルコはアンデスを目指す<2017/04/25(21:04)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2726.html
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13994517.html?rm=150
【引用開始】
こうして見ていくと平成時代は、戦争はなかったけれど、「戦争の準備を着々と進めてきた30年だったのではないか」とも思える。
<中略>
(「セカオワ」の歌詞を引用して)戦争はしていないけど、明日にでも戦争が起きるかもしれないぞと国民を脅して、戦争の準備を進めるのは、平和なのか。あるいは、戦争なんて起きないから、武器は全部捨てて、米軍にも出て行ってもらおうと訴えるのが、平和の有り様なのだろうか。それらが、大人の答えだとすれば、背筋が寒い。
<中略>
平和のために誰かを殺すのではなく、戦争がなくても、平和の大切さを、訴え続けなければならない。あるいは、平和の危うさを、国民全てが共有する必要もある。戦争より、厄介な平和を伝えるため、我々は新元号「令和」を前に、どんな言葉を発すれば良いのだろうか。
【引用終了】
↑
平成もあと残すところ数日となり、TV・新聞などでも平成を回顧する番組や特集が組まれている。
上記記事は、経済小説「ハゲタカ」で知られる真山仁氏の朝日新聞新連載の「Perspectives(視線)」シリーズからの引用。
真山氏は読者に「平和を伝えるための言葉」を模索するよう勧めている。
わたしは「質の高い平和」を求めるべきだと思う。
単に「戦争がない状態」という消極的な意味ではなく、もっと積極的、アグレッシブな「平和」を。
その先頭の旗印には「平和憲法」が相応しいと思う。
「平和とは永遠の闘争である」(ホセ・フィゲーレス・フェレール)
<参考コメント>
平和とは永遠の闘争である<2016/11/20(01:33)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2462.html
それでもマルコはアンデスを目指す<2017/04/25(21:04)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2726.html
東大平行線さん 1/2
法律を聴いているのではありません。
私の言う同時代価値観とは価値観なのですから頭で考えることではなく「何を感じるか」という事なのです。
法律とか理論理屈からいったん離れて情緒や感情に目を向けてみませんか?
東大平行線さん流では「現代価値観という固定観念を如何に払拭できるか」と言えばいいでしょうか。
それを私流にいえば「先人の価値観を想像してみよう」といえばお分かり頂けるでしょうか。
つまり「その先人達の価値観はどのように形成してきたかを現代価値観を払拭して想像してみよう」
ということなのです。これは法律とか理論理屈では語れない世界です。
先人は「何を感じたか」ということだからです。
簡単な例としてたとえば誰でも1度は聞いたことがあると言われるあの有名なビートルズ。
彼らはデビューしてまもなく若者から絶大な人気を受けました。
しかし同時に年配層からはかなりの批判を受けていました。
来日したときも若者は驚喜狂乱で迎えましたが一部の大人達は子供が不良になるからと来日には猛反対でした。
やがてエレキギターブームも起きましたが高校の学園祭などではエレキの使用は禁止されてしまいました。
その頃は学生だけで映画やコンサートは行くことはビートルズ以前から不良だと言われていました。
今では考えられないことです。当時では音楽で大人達と若者がぶつかり合っていたらしいのです。
これらは現代的価値観だけでみると大人と子供の意味不明な大げんかにしか映りません。
現在はビートルズを猛反対する大人は消えました。ビートルズを驚喜狂乱する若者も消えました。
しかしビートルズも一緒に消えたわけではありません。
現代活躍するミュージシャンは日本内外問わずビートルズから何らかの影響を受けて育っています。
半世紀が経った今ではビートルズの本当の良さが知れ渡り、
ジャンルこそポップスですが音楽の世界ではその存在はクラシック感さえ漂っています。
つまり今でもその当時に「感じたもの」が一人歩きして引き継がれているのです。
ビートルズぐらいの時代ならまだ映像もあり生き証人もいるわけですからいいのですが
困ったことに日本の伝統文化は歴史が長い長い。よって想像力が勝負なのです。
法律とか理論理屈からいったん離れて情緒や感情に目を向けてみませんか?という理由はここなんです。
価値観の形成は理屈では形成しません。
価値観は生活様式や人間関係そして社会現象など様々な影響を受けて形成されていきます。
しかし先人達が影響を受けたその状況はタイムマシンでも無いかぎり、本当のところは分かりません。
よって想像力が乏しければいつまでたっても先人達の本当の偉業など理解出来るはずもありません。
それどころか伝統文化に興味さえ感じない人もいることでしょう。
そのような人がどうして伝統文化そして歴史などを語れるのでしょう。語るとしても一体何を語るのでしょう。
人間の価値観など時代時代で変化するものです。
それを古くさいからとポイ捨てするような人はせいぜい自分的価値観しか語れないでしょう。
私の言う同時代価値観とは価値観なのですから頭で考えることではなく「何を感じるか」という事なのです。
法律とか理論理屈からいったん離れて情緒や感情に目を向けてみませんか?
東大平行線さん流では「現代価値観という固定観念を如何に払拭できるか」と言えばいいでしょうか。
それを私流にいえば「先人の価値観を想像してみよう」といえばお分かり頂けるでしょうか。
つまり「その先人達の価値観はどのように形成してきたかを現代価値観を払拭して想像してみよう」
ということなのです。これは法律とか理論理屈では語れない世界です。
先人は「何を感じたか」ということだからです。
簡単な例としてたとえば誰でも1度は聞いたことがあると言われるあの有名なビートルズ。
彼らはデビューしてまもなく若者から絶大な人気を受けました。
しかし同時に年配層からはかなりの批判を受けていました。
来日したときも若者は驚喜狂乱で迎えましたが一部の大人達は子供が不良になるからと来日には猛反対でした。
やがてエレキギターブームも起きましたが高校の学園祭などではエレキの使用は禁止されてしまいました。
その頃は学生だけで映画やコンサートは行くことはビートルズ以前から不良だと言われていました。
今では考えられないことです。当時では音楽で大人達と若者がぶつかり合っていたらしいのです。
これらは現代的価値観だけでみると大人と子供の意味不明な大げんかにしか映りません。
現在はビートルズを猛反対する大人は消えました。ビートルズを驚喜狂乱する若者も消えました。
しかしビートルズも一緒に消えたわけではありません。
現代活躍するミュージシャンは日本内外問わずビートルズから何らかの影響を受けて育っています。
半世紀が経った今ではビートルズの本当の良さが知れ渡り、
ジャンルこそポップスですが音楽の世界ではその存在はクラシック感さえ漂っています。
つまり今でもその当時に「感じたもの」が一人歩きして引き継がれているのです。
ビートルズぐらいの時代ならまだ映像もあり生き証人もいるわけですからいいのですが
困ったことに日本の伝統文化は歴史が長い長い。よって想像力が勝負なのです。
法律とか理論理屈からいったん離れて情緒や感情に目を向けてみませんか?という理由はここなんです。
価値観の形成は理屈では形成しません。
価値観は生活様式や人間関係そして社会現象など様々な影響を受けて形成されていきます。
しかし先人達が影響を受けたその状況はタイムマシンでも無いかぎり、本当のところは分かりません。
よって想像力が乏しければいつまでたっても先人達の本当の偉業など理解出来るはずもありません。
それどころか伝統文化に興味さえ感じない人もいることでしょう。
そのような人がどうして伝統文化そして歴史などを語れるのでしょう。語るとしても一体何を語るのでしょう。
人間の価値観など時代時代で変化するものです。
それを古くさいからとポイ捨てするような人はせいぜい自分的価値観しか語れないでしょう。
東大平行線さん 2/2
東大平行線さんが人の意見や人の価値観を想像し尊重することが出来たらもっともっと視野が広くなりますよ。
今よりもっと的確な反論も出来ることでしょう。知識という強力な武器を持ってらっしゃるのだから。
あとは知恵だけです。それって簡単な事なんです。
東大平行線さんの場合は人の意見を想像し尊重すること、それだけです。
いくら承認要求が強くてもこのままではその願望は永久に満たされませんよ。
人はみな、自分の意見を聞いてもらえて初めて聞く耳をもつものだから。
必要に応じて現代価値観と同時代価値観を使い分けることができるでしょうか。?
同時代価値観を意識して代々の天皇や伝統文化、そして歴史を見つめることはできますか?
それが出来れば手強い論客になりますよ。
今は豊富な知識が泣いてますよ。(笑)
私も感情的になりやすいタイプです。
ですので私も含め東大平行線さんも自分的価値観から目を離し
少しでも相手を認め合うことができればいいでね。
そういすれば、ちっちゃいちっちゃい平和ぐらいは見つかるかもですよ。
今よりもっと的確な反論も出来ることでしょう。知識という強力な武器を持ってらっしゃるのだから。
あとは知恵だけです。それって簡単な事なんです。
東大平行線さんの場合は人の意見を想像し尊重すること、それだけです。
いくら承認要求が強くてもこのままではその願望は永久に満たされませんよ。
人はみな、自分の意見を聞いてもらえて初めて聞く耳をもつものだから。
必要に応じて現代価値観と同時代価値観を使い分けることができるでしょうか。?
同時代価値観を意識して代々の天皇や伝統文化、そして歴史を見つめることはできますか?
それが出来れば手強い論客になりますよ。
今は豊富な知識が泣いてますよ。(笑)
私も感情的になりやすいタイプです。
ですので私も含め東大平行線さんも自分的価値観から目を離し
少しでも相手を認め合うことができればいいでね。
そういすれば、ちっちゃいちっちゃい平和ぐらいは見つかるかもですよ。
なごやんさん
>わたしは「質の高い平和」を求めるべきだと思う。
素晴らしいと思います。
しかし私にはハードルがとてもとても高いです。
私はもっと足元をみたいです。
それは「大切にしているものをお互い認め合うこと」です。
一見して単純だがこれが非常にムズカシイ。
それが出来るようになったら「質の高い平和」を目指したいです。
今の私には何が質が高いのかさえ分かってないですから。(笑)
でも一つだけ言えることはどんな平和を求めるにしても
入り口は「大切にしているものをお互い認め合うこと」だと思うのです。
またそれが出来なければ平和への道は閉ざされる気がします。
素晴らしいと思います。
しかし私にはハードルがとてもとても高いです。
私はもっと足元をみたいです。
それは「大切にしているものをお互い認め合うこと」です。
一見して単純だがこれが非常にムズカシイ。
それが出来るようになったら「質の高い平和」を目指したいです。
今の私には何が質が高いのかさえ分かってないですから。(笑)
でも一つだけ言えることはどんな平和を求めるにしても
入り口は「大切にしているものをお互い認め合うこと」だと思うのです。
またそれが出来なければ平和への道は閉ざされる気がします。
皮肉な話し
>私はもっと足元をみたいです。
>それは「大切にしているものをお互い認め合うこと」です。
↑
それはよろしいんじゃないでしょうか。
わたしは「認めます」ね。
この記事もコメントが237もついてしまった。
それだけ多くの人が関心をもち、また議論できる話題なのだろう。
日本の伝統、天皇制、合理性、宗教・・・
私自身はこの記事・コメントを読んで、西暦と「主の年」は同じもののはずなのだが、「暦の意味性」という点では、和暦派と主の年派のほうが近いと感じた。
これは皮肉な話し。
<参考コメント>
元号問題について<2019/04/08(11:43)>
本記事コメント
>それは「大切にしているものをお互い認め合うこと」です。
↑
それはよろしいんじゃないでしょうか。
わたしは「認めます」ね。
この記事もコメントが237もついてしまった。
それだけ多くの人が関心をもち、また議論できる話題なのだろう。
日本の伝統、天皇制、合理性、宗教・・・
私自身はこの記事・コメントを読んで、西暦と「主の年」は同じもののはずなのだが、「暦の意味性」という点では、和暦派と主の年派のほうが近いと感じた。
これは皮肉な話し。
<参考コメント>
元号問題について<2019/04/08(11:43)>
本記事コメント
No title
ボドサケラスさん、
>>現行?
>>たとえば「おさ。長官。」。語用例は「県令」ですが、明治時代に既に廃止された呼称で今(現行)では使われておりません。
>悪いですが、私の例示した上記漢字辞典における「おさ。長官」は、用例ではなくて、字の意味なんですが。。。
ですから、その「おさ。長官」という意味での「令」の語用例は、漢字辞典や国語辞典で調べても、「県令」ぐらいしか見当たらないということを言っているのです。相手の文章はよく読んで下さい。
>また、何故あなたが「県令」などという言葉を引っ張り出して来たのか、全く理解できません。
上述したように、貴方の「全く理解できません」こそ私には「全く理解できません。」
>「おさ。長官。」という意味での「令」が廃れていると主張したいのでしょうか?
「おさ。長官。」という意味での語用例は廃れた「県令」ぐらいしか見当たりません。
そしてそれは、主張というよりも事実の指摘です。
>普通に「航空自衛隊入間基地司令、田辺祐一郎(仮)」とか使われていますが。田辺さんの肩書きの意味、わかりますよね?
「司令」の「令」こそ、貴方が漢字辞典からのコピーしたところの【[1] いいつけ。上の者からの指示】という意味の語用例(他には、命令、指令、伝令、法令、条例、令状、戒厳令ほか沢山あり)にまさに当てはまるのではありませんか。
「司令」は英語では“commander”と訳されます。日米共同軍事演習があれば自衛隊の田辺さんは“commander”と呼ばれることでしょう。因みに、司令長官は“commander in chief” 。
「司令」は、まさに“command” の語感、イメージを抱かせる言葉ですよ。
>>私は現代日本社会で主に用いられている「令」の用法とそれらの意味を論点にしています。だって、今を生き現代日本語を常用している我々日本人が新元号に採用された「令」という漢字に対してどんな語感やイメージをもつだろうかという話をしてきたのですから。
>>現代社会の主要な語用例とその意味から、「令」には「order・command」の語感やイメージを抱く現代日本人(私もその一人)が少なくないことは容易に想像できるでしょうというのが私の論旨です。
>「だから、何?」ってのが私の論旨です。
>その漢字にcommand以外の意味が有るのは縷々説明され、また調べれば誰でも解りますよね?
仮にcommand以外の意味を知らなかったのならば、これを機会に素直に学べば宜しい。出典からしてcommandの意味で使っておらず、現代においても令嬢など違う意味で使っている例があるのだから。
>「それでも令はcommandとしての用例が主だからダメなんだ!」と言われるなら、「ふーん。私とは価値観が合いませんね」としか返しようがない。そこで議論は終了です。
やはり、貴方は相手の論旨を最後まで正確に掴まずに歪曲しています。
「令はcommandとしての用例が主だからダメ」という短絡的な主張はしていません。
私が縷々書いてきたことの論旨を今一度整理しておきます。
安倍政権は新元号の二文字漢字のひとつに数多くある漢字の中から「令」を選定しました。
そして、今では使われていない古い時代のひとつの語用例である「令月」における「令」の意味だけを引用し、それについては「詳しい解説、説明」を行いました。
一方、現代日本において高い頻度で使われている「令」の語用例から、その漢字に対して、“command”や“order”といった意味合いや語感を感じる人も少なくない。
今では使われていない古い時代の一語用例とその意味だけを「令和」の「令」に恣意的に当てはめ、それについては安倍首相は「丁寧な説明」をする一方で、「令」の漢字には現代社会で頻繁に使われるところの“command”や“order”の意味合いがあることについては、安倍首相は殆んど何も言及していない。「令」の選定者であり行政の長である安倍首相がそれを避けたのは、「丁寧な説明をした、つまり説明責任を果たした」とは言えない。
つまり、「令」が良いと思うかダメと思うかの価値判断の是非を直接議論しているのではなく、安倍首相が十分な説明責任を果たしていないことを批判しているのです。
>>現行?
>>たとえば「おさ。長官。」。語用例は「県令」ですが、明治時代に既に廃止された呼称で今(現行)では使われておりません。
>悪いですが、私の例示した上記漢字辞典における「おさ。長官」は、用例ではなくて、字の意味なんですが。。。
ですから、その「おさ。長官」という意味での「令」の語用例は、漢字辞典や国語辞典で調べても、「県令」ぐらいしか見当たらないということを言っているのです。相手の文章はよく読んで下さい。
>また、何故あなたが「県令」などという言葉を引っ張り出して来たのか、全く理解できません。
上述したように、貴方の「全く理解できません」こそ私には「全く理解できません。」
>「おさ。長官。」という意味での「令」が廃れていると主張したいのでしょうか?
「おさ。長官。」という意味での語用例は廃れた「県令」ぐらいしか見当たりません。
そしてそれは、主張というよりも事実の指摘です。
>普通に「航空自衛隊入間基地司令、田辺祐一郎(仮)」とか使われていますが。田辺さんの肩書きの意味、わかりますよね?
「司令」の「令」こそ、貴方が漢字辞典からのコピーしたところの【[1] いいつけ。上の者からの指示】という意味の語用例(他には、命令、指令、伝令、法令、条例、令状、戒厳令ほか沢山あり)にまさに当てはまるのではありませんか。
「司令」は英語では“commander”と訳されます。日米共同軍事演習があれば自衛隊の田辺さんは“commander”と呼ばれることでしょう。因みに、司令長官は“commander in chief” 。
「司令」は、まさに“command” の語感、イメージを抱かせる言葉ですよ。
>>私は現代日本社会で主に用いられている「令」の用法とそれらの意味を論点にしています。だって、今を生き現代日本語を常用している我々日本人が新元号に採用された「令」という漢字に対してどんな語感やイメージをもつだろうかという話をしてきたのですから。
>>現代社会の主要な語用例とその意味から、「令」には「order・command」の語感やイメージを抱く現代日本人(私もその一人)が少なくないことは容易に想像できるでしょうというのが私の論旨です。
>「だから、何?」ってのが私の論旨です。
>その漢字にcommand以外の意味が有るのは縷々説明され、また調べれば誰でも解りますよね?
仮にcommand以外の意味を知らなかったのならば、これを機会に素直に学べば宜しい。出典からしてcommandの意味で使っておらず、現代においても令嬢など違う意味で使っている例があるのだから。
>「それでも令はcommandとしての用例が主だからダメなんだ!」と言われるなら、「ふーん。私とは価値観が合いませんね」としか返しようがない。そこで議論は終了です。
やはり、貴方は相手の論旨を最後まで正確に掴まずに歪曲しています。
「令はcommandとしての用例が主だからダメ」という短絡的な主張はしていません。
私が縷々書いてきたことの論旨を今一度整理しておきます。
安倍政権は新元号の二文字漢字のひとつに数多くある漢字の中から「令」を選定しました。
そして、今では使われていない古い時代のひとつの語用例である「令月」における「令」の意味だけを引用し、それについては「詳しい解説、説明」を行いました。
一方、現代日本において高い頻度で使われている「令」の語用例から、その漢字に対して、“command”や“order”といった意味合いや語感を感じる人も少なくない。
今では使われていない古い時代の一語用例とその意味だけを「令和」の「令」に恣意的に当てはめ、それについては安倍首相は「丁寧な説明」をする一方で、「令」の漢字には現代社会で頻繁に使われるところの“command”や“order”の意味合いがあることについては、安倍首相は殆んど何も言及していない。「令」の選定者であり行政の長である安倍首相がそれを避けたのは、「丁寧な説明をした、つまり説明責任を果たした」とは言えない。
つまり、「令」が良いと思うかダメと思うかの価値判断の是非を直接議論しているのではなく、安倍首相が十分な説明責任を果たしていないことを批判しているのです。
No title
【続き1】
>尚、現代において「令嬢」は揶揄として使うなどと貴方は仰っていたが、揶揄として機能するには前提として「令嬢」に良い意味があると認知されている必要がある。
>つまり、良家の立派な娘でない女に「令嬢」を宛てるから揶揄になるわけ。
>故に「令嬢」が揶揄に用いられると知っている貴方は、「令」が「良い。立派な。」あるいはそれに準ずる意味を持つということが一般に認知されていると思っているわけです。
貴方の説明は正鵠を射ていません。
「令」には古い時代に身分の高い「皇族や貴族」を意味する語用があったと以前にコメントしましたが、「令嬢」も女性の出自つまり身分に対する畏敬が背景にあって使われていた敬称です。身分制度がなくなった現代では、社会的地位の高い家庭や(それと並行することが多い)裕福な家庭などの子女を指す敬称として転化してきました。
どちらにしても「令嬢」という呼称には、女性の家柄や両親を「立派な」「良い」と畏敬する意味が込められていても、本人の人柄や人間性を真に褒め称えていることは必ずしも含意されていないと思います。というか、現代社会では「ご令嬢」(「お嬢様」もそう)という呼称は形式的に相手やその家族をたてる意味だけで使われているケースも多い。だから、本人を直接そして真に褒め称えようとする場合には「教養豊かな」、「思いやりと優しい心をお持ちの」といった具体的な修辞が添えられることも少なくない。
「令嬢」という敬称には「本人の人柄や人間性を真に褒め称えていることが必ずしも含意されているわけではない」ことが人々に広く理解、認識されているからからこそ、家柄や出自をかさにして、お高くとまっている女性への(暗喩を含めた)揶揄としての呼称表現も容易く成立し、まま使われることがあるわけです。
逆の言い方をすれば、本人を真に褒め称えている意味が広く共有されている呼称であれば、それを揶揄表現として利用・援用することは容易くないし、そういったケースも少ないでしょう。
>尚、現代において「令嬢」は揶揄として使うなどと貴方は仰っていたが、揶揄として機能するには前提として「令嬢」に良い意味があると認知されている必要がある。
>つまり、良家の立派な娘でない女に「令嬢」を宛てるから揶揄になるわけ。
>故に「令嬢」が揶揄に用いられると知っている貴方は、「令」が「良い。立派な。」あるいはそれに準ずる意味を持つということが一般に認知されていると思っているわけです。
貴方の説明は正鵠を射ていません。
「令」には古い時代に身分の高い「皇族や貴族」を意味する語用があったと以前にコメントしましたが、「令嬢」も女性の出自つまり身分に対する畏敬が背景にあって使われていた敬称です。身分制度がなくなった現代では、社会的地位の高い家庭や(それと並行することが多い)裕福な家庭などの子女を指す敬称として転化してきました。
どちらにしても「令嬢」という呼称には、女性の家柄や両親を「立派な」「良い」と畏敬する意味が込められていても、本人の人柄や人間性を真に褒め称えていることは必ずしも含意されていないと思います。というか、現代社会では「ご令嬢」(「お嬢様」もそう)という呼称は形式的に相手やその家族をたてる意味だけで使われているケースも多い。だから、本人を直接そして真に褒め称えようとする場合には「教養豊かな」、「思いやりと優しい心をお持ちの」といった具体的な修辞が添えられることも少なくない。
「令嬢」という敬称には「本人の人柄や人間性を真に褒め称えていることが必ずしも含意されているわけではない」ことが人々に広く理解、認識されているからからこそ、家柄や出自をかさにして、お高くとまっている女性への(暗喩を含めた)揶揄としての呼称表現も容易く成立し、まま使われることがあるわけです。
逆の言い方をすれば、本人を真に褒め称えている意味が広く共有されている呼称であれば、それを揶揄表現として利用・援用することは容易くないし、そういったケースも少ないでしょう。
No title
【続き2】
>>国会の場で安倍首相が「私は立法府、立法府の長!」と声を大にして言ったことが、「言い間違い」だったと貴方にはどうして断定ができるのですか。
>>件の安倍答弁は、国会において野党議員から、立法府である国会においての安倍首相の説明責任の重要性などを問いただされた中で出たものです。そういった流れの中での発言だと捉えると、単なる「言い間違い」とは考え難いものがあります。
>では断定出来ますか?
私は「単なる言い間違いとは考え難い」、つまり「言い間違いとは断定し難い」と書いたのであり、「単なる言い間違い」と“断定”したのは貴方の方です。
>>国会の場で安倍首相が「私は立法府、立法府の長!」と声を大にして言ったことが、「言い間違い」だったと貴方にはどうして断定ができるのですか。
>>件の安倍答弁は、国会において野党議員から、立法府である国会においての安倍首相の説明責任の重要性などを問いただされた中で出たものです。そういった流れの中での発言だと捉えると、単なる「言い間違い」とは考え難いものがあります。
>では断定出来ますか?
私は「単なる言い間違いとは考え難い」、つまり「言い間違いとは断定し難い」と書いたのであり、「単なる言い間違い」と“断定”したのは貴方の方です。
No title
【続き3】
>>安倍首相が実際に「立法府の長=首相」という誤った認識をもっていたとしても、「間違った認識でした。謝罪します。」とはまず言わないでしょう。というか言えないでしょう、さらに大問題になりますから。
>推論を前提とした推論です。
たしかに推論の域を出ませんが、一定の合理性はあるでしょう。というのも、安倍首相は「私は立法府の長」発言をこれまでに3回も行っているからです。先に紹介した例は2016年でのものですが、2007年と2018年にも行っています。
重大な言い間違いを指摘されて謝罪もしているのに何度も繰り返すのは、仮に単なる「言い間違い」だったとしても、議会制民主主義と日本国憲法のもとでの“首相としての資質”が重く問われる言動だと思いますが。
>>仮に「言い間違い」だったとしても、重大な発言なのですから、国会と国民に対してしっかりした訂正の説明と謝罪が必要です。
>それは貴方の感想あるいは意見ですよね。
>私はこんな下らない事はどうでもいいと思いますが。
「言い間違い」だったにせよ、行政府の長が国会の場で「私は立法府の長」と、何度も公言したことは「下らない事」とはとても思えませんね。
>>安倍首相が実際に「立法府の長=首相」という誤った認識をもっていたとしても、「間違った認識でした。謝罪します。」とはまず言わないでしょう。というか言えないでしょう、さらに大問題になりますから。
>推論を前提とした推論です。
たしかに推論の域を出ませんが、一定の合理性はあるでしょう。というのも、安倍首相は「私は立法府の長」発言をこれまでに3回も行っているからです。先に紹介した例は2016年でのものですが、2007年と2018年にも行っています。
重大な言い間違いを指摘されて謝罪もしているのに何度も繰り返すのは、仮に単なる「言い間違い」だったとしても、議会制民主主義と日本国憲法のもとでの“首相としての資質”が重く問われる言動だと思いますが。
>>仮に「言い間違い」だったとしても、重大な発言なのですから、国会と国民に対してしっかりした訂正の説明と謝罪が必要です。
>それは貴方の感想あるいは意見ですよね。
>私はこんな下らない事はどうでもいいと思いますが。
「言い間違い」だったにせよ、行政府の長が国会の場で「私は立法府の長」と、何度も公言したことは「下らない事」とはとても思えませんね。
No title
【続き4】
>>しかし、それが全くないまま国会議事録も一方的に書き換えられていたようです。
>一方的も何も、議事録の訂正には閣議決定が必要だと記憶していますが。
国会議事録(会議録)の訂正や削除に閣議決定が必要ということはありません。ボドサケラスさんのその記憶は誤った認識です。
首相であれ閣僚であれ、議員を含めて国会での発言の削除や訂正は、国会法と参議院規則などにのっとって同等に扱われ処理されることになっています。
ただ、国会議事録の「削除や訂正」が非常に安易になされていることには強い批判の声が上がっています。
下記の江川紹子氏の批判論説などは問題点を的確に指摘していると思います。
『政治家の問題発言、相次ぐ削除』
https://biz-journal.jp/2018/04/post_22870.html
>令=command、と繋げるにはあまりに遠すぎると思いませんか?
令=command とまでは断定しませんが、現代社会での頻度の高い(言い換えれば、主たる)語用例とその意味から、令の語感や意味イメージはcommandに近いと言うことはできても、「あまりに遠すぎる」はいくら何でもないでしょう。
>>しかし、それが全くないまま国会議事録も一方的に書き換えられていたようです。
>一方的も何も、議事録の訂正には閣議決定が必要だと記憶していますが。
国会議事録(会議録)の訂正や削除に閣議決定が必要ということはありません。ボドサケラスさんのその記憶は誤った認識です。
首相であれ閣僚であれ、議員を含めて国会での発言の削除や訂正は、国会法と参議院規則などにのっとって同等に扱われ処理されることになっています。
ただ、国会議事録の「削除や訂正」が非常に安易になされていることには強い批判の声が上がっています。
下記の江川紹子氏の批判論説などは問題点を的確に指摘していると思います。
『政治家の問題発言、相次ぐ削除』
https://biz-journal.jp/2018/04/post_22870.html
>令=command、と繋げるにはあまりに遠すぎると思いませんか?
令=command とまでは断定しませんが、現代社会での頻度の高い(言い換えれば、主たる)語用例とその意味から、令の語感や意味イメージはcommandに近いと言うことはできても、「あまりに遠すぎる」はいくら何でもないでしょう。
平行線さん>
>日本国憲法は、実質的には鈴木安蔵が千葉卓三郎(1852-1883 明治時代の自由民権運動家)の思想にヒントを得て草案
ベアテ・シロタ・ゴードンは幼少期日本に住んでおり家制度の不条理さを目にして憲法第24条の婚姻規定を提案しただけ。
一次史料の御呈示をお願いします。
そして、当時の憲法制定権力がGHQにあったからには、日本政府の一員でもない一私人である鈴木の草案をGHQが採用にするに至った経緯も、詳しく、具体的に知りたいと思います。
ベアテ・シロタ・ゴードンは幼少期日本に住んでおり家制度の不条理さを目にして憲法第24条の婚姻規定を提案しただけ。
一次史料の御呈示をお願いします。
そして、当時の憲法制定権力がGHQにあったからには、日本政府の一員でもない一私人である鈴木の草案をGHQが採用にするに至った経緯も、詳しく、具体的に知りたいと思います。
No title
皇后陛下お誕生日に際し(平成25年) - 宮内庁
www.kunaicho.go.jp › ... › 天皇皇后両陛下 › 天皇皇后両陛下の記者会見など
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに ...
宮内庁のホームページなら一次資料になるなかな?
www.kunaicho.go.jp › ... › 天皇皇后両陛下 › 天皇皇后両陛下の記者会見など
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに ...
宮内庁のホームページなら一次資料になるなかな?
No title
*当時の憲法制定権力がGHQにあったからには?
極東委員会は、4月10日に予定された衆議院総選挙に対しても、国民が憲法問題を考える時間がほとんどないとして、その延期を求めていた。しかし総選挙は予定どおり実施され、きたるべき第90回帝国議会において「帝国憲法改正案」が審議されることは既定路線となっていった。極東委員会は、帝国議会の召集が間近に迫る5月13日、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」および「国民の自由意思の表明」が必要であるとする「新憲法採択の諸原則」を決定した。
所蔵 国立国会図書館
原所蔵 米国国立公文書館
これも一次資料に該当するかな??
極東委員会は、4月10日に予定された衆議院総選挙に対しても、国民が憲法問題を考える時間がほとんどないとして、その延期を求めていた。しかし総選挙は予定どおり実施され、きたるべき第90回帝国議会において「帝国憲法改正案」が審議されることは既定路線となっていった。極東委員会は、帝国議会の召集が間近に迫る5月13日、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」および「国民の自由意思の表明」が必要であるとする「新憲法採択の諸原則」を決定した。
所蔵 国立国会図書館
原所蔵 米国国立公文書館
これも一次資料に該当するかな??
No title
衆憲資 第90号
(日本国憲法の制定過程)に関する資料
平成28年11月
衆院憲法調査会事務局
上記資料中の一部引用
5、 1945 年 12 月 6 日の段階で、総司令部内において『日本の憲法についての準備的研究と提案のレポート』
が作成されている。このレポートは、帝国憲法体制に関する様々な問題点を摘出し、①憲法を改正する必
要があること、②提案される憲法改正案については、総司令部の同意を必要とすること、③憲法改正には、
信教の自由や言論の自由等の諸権利、三権分立の徹底、地方自治の承認などの諸規定が設けられるべきこ
と、を提案していたとされる(西・前掲注 4、22 頁参照)。
6 また、総司令部は、高野岩三郎大原社会問題研究所所長らを中心とした憲法研究会が 1945 年 12 月 26
日に発表した「憲法草案要綱」に注目していたとされる。同案は、総司令部によって各章ごとに分析され、
国民主権が認められていることや出生、身分、性、人種及び国籍による差別待遇が禁止されていることな
どが「著しく自由主義的な規定」と評価され、また、「この草案中に盛り込まれている諸事項は、民主主
義的で賛成できるものである」と評価されたとされる(西・前掲注 4、20-21 頁参照)。
(日本国憲法の制定過程)に関する資料
平成28年11月
衆院憲法調査会事務局
上記資料中の一部引用
5、 1945 年 12 月 6 日の段階で、総司令部内において『日本の憲法についての準備的研究と提案のレポート』
が作成されている。このレポートは、帝国憲法体制に関する様々な問題点を摘出し、①憲法を改正する必
要があること、②提案される憲法改正案については、総司令部の同意を必要とすること、③憲法改正には、
信教の自由や言論の自由等の諸権利、三権分立の徹底、地方自治の承認などの諸規定が設けられるべきこ
と、を提案していたとされる(西・前掲注 4、22 頁参照)。
6 また、総司令部は、高野岩三郎大原社会問題研究所所長らを中心とした憲法研究会が 1945 年 12 月 26
日に発表した「憲法草案要綱」に注目していたとされる。同案は、総司令部によって各章ごとに分析され、
国民主権が認められていることや出生、身分、性、人種及び国籍による差別待遇が禁止されていることな
どが「著しく自由主義的な規定」と評価され、また、「この草案中に盛り込まれている諸事項は、民主主
義的で賛成できるものである」と評価されたとされる(西・前掲注 4、20-21 頁参照)。
No title
ちなみに、
マックアーサーの権限の根拠は、ポツダム緊急勅令です。
大日本帝国憲法第8条第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づき昭和20年(1945年)9月20日に公布・即日施行された「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)と以下の同法施行に関する件(昭和20年勅令第543号)の通称である。
「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)において、日本国政府はポツダム宣言の受諾に伴う連合国軍最高司令官の要求事項に基づき、特に必要ある場合は命令をもって所要を定め、必要な罰則を設けるとしている。敗戦後の日本国内における連合国軍最高司令官の法的根拠と日本国政府を介した間接的な執行権限を示している。
帝国憲法改正に関しては、マックアーサーは権限を有していません。
あるとすれば当時ワシントンDCにあった極東委員会でしょうね。
マックアーサーの権限の根拠は、ポツダム緊急勅令です。
大日本帝国憲法第8条第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づき昭和20年(1945年)9月20日に公布・即日施行された「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)と以下の同法施行に関する件(昭和20年勅令第543号)の通称である。
「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号)において、日本国政府はポツダム宣言の受諾に伴う連合国軍最高司令官の要求事項に基づき、特に必要ある場合は命令をもって所要を定め、必要な罰則を設けるとしている。敗戦後の日本国内における連合国軍最高司令官の法的根拠と日本国政府を介した間接的な執行権限を示している。
帝国憲法改正に関しては、マックアーサーは権限を有していません。
あるとすれば当時ワシントンDCにあった極東委員会でしょうね。
No title
松本丞治は、1945年(昭和20年)に幣原内閣が成立すると、
憲法改正担当の国務大臣として入閣、
自ら中心となって憲法草案(松本試案)を作成した。
しかし
この草案は内容が保守的にすぎるとしてGHQに拒絶されている。
1946年(昭和21年)、満鉄監事を理由に公職追放となった[3]。Wiki引用
松本丞治は、保守的というよりも商法が専門で、憲法に関する専門家ではなかった。
従って、時代の変化に対応できるような試案はできなかっただけ。
憲法改正担当の国務大臣として入閣、
自ら中心となって憲法草案(松本試案)を作成した。
しかし
この草案は内容が保守的にすぎるとしてGHQに拒絶されている。
1946年(昭和21年)、満鉄監事を理由に公職追放となった[3]。Wiki引用
松本丞治は、保守的というよりも商法が専門で、憲法に関する専門家ではなかった。
従って、時代の変化に対応できるような試案はできなかっただけ。
おやおや、お忘れのようだ
戦艦ミズーリ―艦上で調印された降伏文書の一項目には、
「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」
とあります。
日本の国家統治の権限は、GHQ総司令官たるダグラス・マッカーサーの制限下に置かれました。
これが権限の根拠です。
「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」
とあります。
日本の国家統治の権限は、GHQ総司令官たるダグラス・マッカーサーの制限下に置かれました。
これが権限の根拠です。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*戦艦ミズーリ―艦上で調印された降伏文書の一項目
これは条約ですよ。
国家間の文書による合意で、いわゆる休戦協定
休戦協定は大日本帝国憲法第13条の天皇の権限で全権代表が締結したものです。
*戦艦ミズーリ―艦上で調印された降伏文書の一項目
これは条約ですよ。
国家間の文書による合意で、いわゆる休戦協定
休戦協定は大日本帝国憲法第13条の天皇の権限で全権代表が締結したものです。
東大平行線さん
ググってみたら国会図書館 日本国憲法の誕生 というのがありました。
これを参照されているのですか?
これを参照されているのですか?
条文の文言を
読まないで、ピント外れの屁理屈だけこねても、誰も納得させられませんよ>平行線さん
No title
rot さん
*
はい、
引用するに便利ですから。
引用文
3-1 天皇「人間宣言」
1946(昭和21)年1月1日に発せられた詔書。このなかで昭和天皇は、天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念であると述べ、自らの神性を否定した。これは、後に、天皇の地位に根本的な変更がもたらされる布石ともなった。同日、マッカーサーはこの詔書に対する声明を発表し、天皇が日本国民の民主化に指導的役割を果たしたと高く評価した。
これ以後、
大日本帝国は主権者である現御神(アキツ神神)天皇が
法的には不存在になりました。
帝国議会も、主権者天皇の協賛機関から、以後実質的には憲法制定会議になりました。
*
はい、
引用するに便利ですから。
引用文
3-1 天皇「人間宣言」
1946(昭和21)年1月1日に発せられた詔書。このなかで昭和天皇は、天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念であると述べ、自らの神性を否定した。これは、後に、天皇の地位に根本的な変更がもたらされる布石ともなった。同日、マッカーサーはこの詔書に対する声明を発表し、天皇が日本国民の民主化に指導的役割を果たしたと高く評価した。
これ以後、
大日本帝国は主権者である現御神(アキツ神神)天皇が
法的には不存在になりました。
帝国議会も、主権者天皇の協賛機関から、以後実質的には憲法制定会議になりました。
No title
宇宙戦士バルディオスさん
*ピント外れの屁理屈
連合国最高司令官は占領政策実行のために派遣されていただけで、
旧勢力(大日本帝国憲法下で権力行使した勢力)に対しては権力行使で対応しましたが、
臣民から国民となった者に対しては間接統治でそれなりに扱うことが命ぜられたはずですよ。
それが極東委員会の見解ですからネ。
*ピント外れの屁理屈
連合国最高司令官は占領政策実行のために派遣されていただけで、
旧勢力(大日本帝国憲法下で権力行使した勢力)に対しては権力行使で対応しましたが、
臣民から国民となった者に対しては間接統治でそれなりに扱うことが命ぜられたはずですよ。
それが極東委員会の見解ですからネ。
令和スタートしましたね!
思いはそれぞれあると思いますが
ひとまずは平和な時代になることを祈願しましょう。
ひとまずは平和な時代になることを祈願しましょう。
ですから
日本政府とGHQ総司令官の間は降伏文書によって律し、日本政府と国民の間は一部ポツダム勅令によって律したのです。
占領者であるGHQにとって、間接統治をおこなう以上、日本政府に言う事を聞かせれば十分なので。
占領者であるGHQにとって、間接統治をおこなう以上、日本政府に言う事を聞かせれば十分なので。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*日本政府とGHQ総司令官の間は降伏文書によって律し
戦争は国家間の武力による闘争、
終戦は国家間での文書による合意(条約、協定等)。
GHQは第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関である。Wiki
間接統治ですから、国内問題は勅令で行います。
解りますか?
*日本政府とGHQ総司令官の間は降伏文書によって律し
戦争は国家間の武力による闘争、
終戦は国家間での文書による合意(条約、協定等)。
GHQは第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関である。Wiki
間接統治ですから、国内問題は勅令で行います。
解りますか?
違います
間接統治ですから、国内の統治は日本政府にやらせます。ポツダム勅令は、日本政府の手段に過ぎません。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*国内の統治は日本政府にやらせます。
日本国政府ができたのは、昭和22年5月3日施行です。
その前は、降伏した大日本帝国で政治家や軍人は如何していましたか?極東軍事裁判で忙しかったはずですネ。
ポツダム勅令は、日本国政府ではなく崩壊した大日本帝国が形式上昭和20年(1945年)9月20日に公布・即日施行したものなのですよ。
*国内の統治は日本政府にやらせます。
日本国政府ができたのは、昭和22年5月3日施行です。
その前は、降伏した大日本帝国で政治家や軍人は如何していましたか?極東軍事裁判で忙しかったはずですネ。
ポツダム勅令は、日本国政府ではなく崩壊した大日本帝国が形式上昭和20年(1945年)9月20日に公布・即日施行したものなのですよ。
存続しています
>日本国政府ができたのは、昭和22年5月3日施行です。
大日本帝国政府が、日本国政府に名称を変更したに過ぎません。
ドイツと違って、我が国の政体は存続しています。
大日本帝国政府が、日本国政府に名称を変更したに過ぎません。
ドイツと違って、我が国の政体は存続しています。
西修の『証言でつづる日本国憲法の成立経緯』では
>日本国憲法は、形式的にも、実質的にも日本人が制定したものです。
これと正反対のことが書かれています。
日本国憲法の草案(マッカーサー草案)は、GHQ民政局(ホイットニー准将が長)により、殆ど秘密の内に、日本人を完全に排除して作成されたものです。当時のGHQには日本人に対する信頼感が殆ど全くありませんでしたので(だからこそ、厳し過ぎる改正要件を定めた)、日本人の作った草案を取り入れる可能性はありませんでした。西は、当時のGHQ幕僚にインタビューして裏を取っていますので、本書の内容は信頼できます。
>日本国憲法は、実質的には鈴木安蔵が千葉卓三郎(1852-1883 明治時代の自由民権運動家)の思想にヒントを得て草案
だから、このような主張は間違いです。マッカーサー草案と鈴木卓三の案と似た点があったとしても、偶然に過ぎません。
これと正反対のことが書かれています。
日本国憲法の草案(マッカーサー草案)は、GHQ民政局(ホイットニー准将が長)により、殆ど秘密の内に、日本人を完全に排除して作成されたものです。当時のGHQには日本人に対する信頼感が殆ど全くありませんでしたので(だからこそ、厳し過ぎる改正要件を定めた)、日本人の作った草案を取り入れる可能性はありませんでした。西は、当時のGHQ幕僚にインタビューして裏を取っていますので、本書の内容は信頼できます。
>日本国憲法は、実質的には鈴木安蔵が千葉卓三郎(1852-1883 明治時代の自由民権運動家)の思想にヒントを得て草案
だから、このような主張は間違いです。マッカーサー草案と鈴木卓三の案と似た点があったとしても、偶然に過ぎません。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*大日本帝国政府が、日本国政府に名称を変更したに過ぎません。
国家とは、法的統治団体です。
政治的な最高意思決定権という意味での「主権」が、天皇主権から、国民主権に変更された以上、同一性を維持することはできません。
その時期は神格化された天皇が、人間宣言という詔書で始まり、日本国憲法の制定及び施行で完了しています。
形式上、大日本帝国憲法の改正手続きで日本国憲法が裁可されたことになって日本国憲法が公布及び施行されましたが、
実質上は、憲法制定会議化した帝国議会で暴力革命ではなく、平和裏に在野の知識を結集して政治形態の変更がなされただけです。
宮沢俊義教授は、「8月革命」と呼んでいます。
*大日本帝国政府が、日本国政府に名称を変更したに過ぎません。
国家とは、法的統治団体です。
政治的な最高意思決定権という意味での「主権」が、天皇主権から、国民主権に変更された以上、同一性を維持することはできません。
その時期は神格化された天皇が、人間宣言という詔書で始まり、日本国憲法の制定及び施行で完了しています。
形式上、大日本帝国憲法の改正手続きで日本国憲法が裁可されたことになって日本国憲法が公布及び施行されましたが、
実質上は、憲法制定会議化した帝国議会で暴力革命ではなく、平和裏に在野の知識を結集して政治形態の変更がなされただけです。
宮沢俊義教授は、「8月革命」と呼んでいます。
No title
*マッカーサー草案と鈴木卓三の案と似た点があったとしても、偶然に過ぎません。
偶然ではありません。
類似点があることは必然なのですよ。
なぜなら、その起源が同一だからです。
即ち、英米法はマグナカルタから始まり、予算は国王の自由にはならないという原則から始まり、オランダのピューリタン、アメリカ独立宣言、フランス憲法から日本国憲法に結実したものです。
英米法における憲法思想は1215年から始まったものですから、類似点が多いのは当然のことです。
これらの基礎知識があれば憲法なんて一週間もああれば草案作成は可能です。
違う点は憲法第24条と、憲法81条の違憲法令審査権ぐらいですよ。前者はベアテ・シロタ・ゴードン
後者はアメリカの判例法上違憲審査権を明文化した点ぐらいですよ。あとは整合性を整え矛盾点を修正。その結果出てきたのが「象徴」です。
偶然ではありません。
類似点があることは必然なのですよ。
なぜなら、その起源が同一だからです。
即ち、英米法はマグナカルタから始まり、予算は国王の自由にはならないという原則から始まり、オランダのピューリタン、アメリカ独立宣言、フランス憲法から日本国憲法に結実したものです。
英米法における憲法思想は1215年から始まったものですから、類似点が多いのは当然のことです。
これらの基礎知識があれば憲法なんて一週間もああれば草案作成は可能です。
違う点は憲法第24条と、憲法81条の違憲法令審査権ぐらいですよ。前者はベアテ・シロタ・ゴードン
後者はアメリカの判例法上違憲審査権を明文化した点ぐらいですよ。あとは整合性を整え矛盾点を修正。その結果出てきたのが「象徴」です。
類似点があったからといって
>類似点があることは必然なのですよ。
鈴木が草案を作成したことにはなりませんね。鈴木の書いた案がGHQに持ち込まれて、これをベースにGHQがマッカーサー草案を作成したという事実がない限り、鈴木起草説は否定されます。
>政治的な最高意思決定権という意味での「主権」が、天皇主権から、国民主権に変更された以上、同一性を維持することはできません。
昔懐かしい8月革命説ですな。ああ、古臭い。しかし、行政権一つとってみても、帝国憲法における勅令や命令は、大臣の副署を必要としました(法律の施行も)。最高決定権が、帝国憲法においても天皇には存在せず、大臣、帝国議会、裁判所にあったのは明らかであり、「主権」の所在が変わったという主張は、誤りです。
鈴木が草案を作成したことにはなりませんね。鈴木の書いた案がGHQに持ち込まれて、これをベースにGHQがマッカーサー草案を作成したという事実がない限り、鈴木起草説は否定されます。
>政治的な最高意思決定権という意味での「主権」が、天皇主権から、国民主権に変更された以上、同一性を維持することはできません。
昔懐かしい8月革命説ですな。ああ、古臭い。しかし、行政権一つとってみても、帝国憲法における勅令や命令は、大臣の副署を必要としました(法律の施行も)。最高決定権が、帝国憲法においても天皇には存在せず、大臣、帝国議会、裁判所にあったのは明らかであり、「主権」の所在が変わったという主張は、誤りです。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*最高決定権が、帝国憲法においても天皇には存在せず、
大日本帝国憲法第4条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
2.26事件で天皇はなにをしたかは歴史的事実。
1945年8月10日、および8月14日の
両聖断は大日本帝国憲法下では主権が天皇にあったという証拠ですネ。
*最高決定権が、帝国憲法においても天皇には存在せず、
大日本帝国憲法第4条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
2.26事件で天皇はなにをしたかは歴史的事実。
1945年8月10日、および8月14日の
両聖断は大日本帝国憲法下では主権が天皇にあったという証拠ですネ。
逆に言えば
>2.26事件で天皇はなにをしたかは歴史的事実。
1945年8月10日、および8月14日の
両聖断
この2事項以外は、天皇大権というものは名目だったわけで。大権の各機能、すなわち立法・行政・司法・統帥は、それぞれ帝国議会、政府、裁判所、軍部が行使していた。これが、帝国憲法の本当の姿です。
1945年8月10日、および8月14日の
両聖断
この2事項以外は、天皇大権というものは名目だったわけで。大権の各機能、すなわち立法・行政・司法・統帥は、それぞれ帝国議会、政府、裁判所、軍部が行使していた。これが、帝国憲法の本当の姿です。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*大権の各機能、すなわち立法・行政・司法・統帥は、それぞれ帝国議会、政府、裁判所、軍部が行使していた。
英米法の法の支配の原則により、個人の人権保障のための統治機構を考えるからこそ、三権がそれぞれ牽制するように分立するのですよ。
大陸法であるプロシャの憲法の引き直しの大日本帝国憲法では
三権が分立する必然性はないのです。
故に、実質的に天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シているのですよ。
*大権の各機能、すなわち立法・行政・司法・統帥は、それぞれ帝国議会、政府、裁判所、軍部が行使していた。
英米法の法の支配の原則により、個人の人権保障のための統治機構を考えるからこそ、三権がそれぞれ牽制するように分立するのですよ。
大陸法であるプロシャの憲法の引き直しの大日本帝国憲法では
三権が分立する必然性はないのです。
故に、実質的に天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シているのですよ。
ドイツ憲法の
焼き直しという主張は、事実に反します。ドイツ憲法には首相の規定があり、極めて強い権限が付与されていました。一方、大日本帝国憲法の条文には、大臣はあっても総理はありませんでした。内閣も総理も、憲法上の機関ではありませんでした。このように、両者には非常に大きな違いがあります。
帝国議会の協賛した法律には、大臣も天皇も拒否する権限はなかったのですから、これが分立でなくて何だというのでしょうか。
帝国議会の協賛した法律には、大臣も天皇も拒否する権限はなかったのですから、これが分立でなくて何だというのでしょうか。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*帝国議会の協賛した法律には、大臣も天皇も拒否する権限はなかったのですから、
そもそも、帝国議会は法律の制定権がないのですよ。
単に、協賛するだけです。どこが分立ですか?
そもそも、
天皇には立法権があるのですよ。(大日本帝国憲法第5条)
天皇は、必要があれば、勅令で法律に変えることができる。
(大日本帝国憲法第8条)
*帝国議会の協賛した法律には、大臣も天皇も拒否する権限はなかったのですから、
そもそも、帝国議会は法律の制定権がないのですよ。
単に、協賛するだけです。どこが分立ですか?
そもそも、
天皇には立法権があるのですよ。(大日本帝国憲法第5条)
天皇は、必要があれば、勅令で法律に変えることができる。
(大日本帝国憲法第8条)
天皇にはありません
帝国憲法第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
これは、天皇は立法につき、帝国議会の議決に逆らえないと書かれているのです。(美濃部達吉の説)
同第6条天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
これは、日本国憲法の国事行為と同じですね。
勅令は、天皇の自由に出せたものではありません。
同第8条天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
本条による緊急勅令は、公共の安全を保持するか、災厄を回避する緊急の必要性がある場合に限り、かつ帝国議会の休会中に限って、大臣の副署を得た場合に限って出すことができました。このように厳しい要件によって制限され、責任は輔弼する大臣が負いました。
貴殿は、帝国憲法について勉強が足らないようですね。
これは、天皇は立法につき、帝国議会の議決に逆らえないと書かれているのです。(美濃部達吉の説)
同第6条天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
これは、日本国憲法の国事行為と同じですね。
勅令は、天皇の自由に出せたものではありません。
同第8条天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
本条による緊急勅令は、公共の安全を保持するか、災厄を回避する緊急の必要性がある場合に限り、かつ帝国議会の休会中に限って、大臣の副署を得た場合に限って出すことができました。このように厳しい要件によって制限され、責任は輔弼する大臣が負いました。
貴殿は、帝国憲法について勉強が足らないようですね。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*これは、天皇は立法につき、帝国議会の議決に逆らえないと書かれているのです。(美濃部達吉の説)
だからどうだっていうのですか??
天皇機関説という少数説がいかなる影響を与えたのですか?
美濃部はこれで、貴族院議員を辞任した学説ですよ。
*勅令は、天皇の自由に出せたものではありません。
治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」。では、
嘉仁
裕仁 御璽
の原本の写真はなにを意味するのですか?
*これは、天皇は立法につき、帝国議会の議決に逆らえないと書かれているのです。(美濃部達吉の説)
だからどうだっていうのですか??
天皇機関説という少数説がいかなる影響を与えたのですか?
美濃部はこれで、貴族院議員を辞任した学説ですよ。
*勅令は、天皇の自由に出せたものではありません。
治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」。では、
嘉仁
裕仁 御璽
の原本の写真はなにを意味するのですか?
問題はそこにない
>美濃部はこれで、貴族院議員を辞任した学説ですよ。
天皇が、帝国議会で決議された法律の施行を拒否した実例があったか、なかったかです。あったというなら、実例を挙げて下さい。
>治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」。では、
嘉仁
裕仁 御璽
の原本の写真はなにを意味するのですか?
本当に、そこには大臣の副署はないのですか?
(なお、副署に際しては、今日の国政と同様、内閣の閣議決定が必要とされる)
原本の写真とだけ文字で書かれても、判断しようがありません。
天皇が、帝国議会で決議された法律の施行を拒否した実例があったか、なかったかです。あったというなら、実例を挙げて下さい。
>治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」。では、
嘉仁
裕仁 御璽
の原本の写真はなにを意味するのですか?
本当に、そこには大臣の副署はないのですか?
(なお、副署に際しては、今日の国政と同様、内閣の閣議決定が必要とされる)
原本の写真とだけ文字で書かれても、判断しようがありません。
No title
*大臣の副署はないのですか?
副署はありますよ。
補佐の国務大臣が天皇の署名にそえて署名しますから。
でも、当時の総理大臣及び各大臣は、全て天皇が実質的にその地位につけ組織したものでみんな天皇の部下ですよ。部下が副署したとしてもそれは政府の権威づけにすぎません。
現在のように、
首長たる内閣総理大臣が、総理大臣の責任で内閣を組織するものではないことはご存じなのですか?
現在の副署は内閣の連帯責任の根拠で帝国憲法下の副署の意味が全く違うのですよ。
副署はありますよ。
補佐の国務大臣が天皇の署名にそえて署名しますから。
でも、当時の総理大臣及び各大臣は、全て天皇が実質的にその地位につけ組織したものでみんな天皇の部下ですよ。部下が副署したとしてもそれは政府の権威づけにすぎません。
現在のように、
首長たる内閣総理大臣が、総理大臣の責任で内閣を組織するものではないことはご存じなのですか?
現在の副署は内閣の連帯責任の根拠で帝国憲法下の副署の意味が全く違うのですよ。
組閣は
戦前においては、実質的に元老、重臣が合議して天皇に奏上し、それに基づいて天皇が命ずるという形を取っていました。大正デモクラシーの時代は、衆議院選挙で与党となった政党の党首に、組閣の大命が降下しました。
つまり、実質的に総理以下大臣を地位に付けていたのは、重臣です。天皇が自由自在に総理を決めていたのではありません(もちろん、天皇にも感情というものはあって、「この者は総理に相応しくない」と感じることはありましたが)。
なお、戦前においても、大臣の副署には、その前に閣議決定が必要で、内閣が連帯して責任を負うことになっていました。この点は、現在と変わりありません。
つまり、実質的に総理以下大臣を地位に付けていたのは、重臣です。天皇が自由自在に総理を決めていたのではありません(もちろん、天皇にも感情というものはあって、「この者は総理に相応しくない」と感じることはありましたが)。
なお、戦前においても、大臣の副署には、その前に閣議決定が必要で、内閣が連帯して責任を負うことになっていました。この点は、現在と変わりありません。
No title
*戦前においても、大臣の副署には、その前に閣議決定が必要で、内閣が連帯して責任を負うことになっていました。この点は、現在と変わりありません。
以下官邸ホームページからの引用
明治22年(1889年)2月11日に公布された明治憲法の下においては、天皇が統治権を総攬するものとし、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(第55条第1項)と定められていたが、内閣それ自体については特段の規定は設けられていなかった。
行政権は、国務大臣の輔弼によって天皇が自ら行うという原則に立ち、内閣は、本来、国務大臣が天皇を輔弼するについて協議するために設けられた組織体であり、同時に、国務大臣が諸施策を決定し、行政上の方針を統一するために協議する場でもあった。
同年12月24日、内閣制度運用の基準として、「内閣官制」が公布された。この「内閣官制」は、明治18年の「内閣職権」をおおむね踏襲するものであったが、内閣総理大臣の各省大臣に対する統制権限が弱められたことなどの違いが見られる。
以上首相官邸ホームページからの引用
現在の首長である内閣総理大臣を頂点とする議院内閣制との違いが分かりませんか?
昔は総理といえども、首長ではなかったのですよ。
以下官邸ホームページからの引用
明治22年(1889年)2月11日に公布された明治憲法の下においては、天皇が統治権を総攬するものとし、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(第55条第1項)と定められていたが、内閣それ自体については特段の規定は設けられていなかった。
行政権は、国務大臣の輔弼によって天皇が自ら行うという原則に立ち、内閣は、本来、国務大臣が天皇を輔弼するについて協議するために設けられた組織体であり、同時に、国務大臣が諸施策を決定し、行政上の方針を統一するために協議する場でもあった。
同年12月24日、内閣制度運用の基準として、「内閣官制」が公布された。この「内閣官制」は、明治18年の「内閣職権」をおおむね踏襲するものであったが、内閣総理大臣の各省大臣に対する統制権限が弱められたことなどの違いが見られる。
以上首相官邸ホームページからの引用
現在の首長である内閣総理大臣を頂点とする議院内閣制との違いが分かりませんか?
昔は総理といえども、首長ではなかったのですよ。
憲法上の機関ではなかったが
内閣が連帯して輔弼の責任を負うことに、違いはなかった。同輩中の首席ではあっても、国家行政権の行使において、閣議において決定し、連帯して責任を負うことは、戦前戦後同じ。
現に内閣官制では、
第四條 凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ
第五條 左ノ各件ハ閣議ヲ経ヘシ
一 法律案及予算決算案
二 外國条約及重要ナル國際条件
三 官制又ハ規則及法律施行ニ係ル勅令
四 諸省ノ間主管権限ノ争議
五 天皇ヨリ下付セラレ又ハ帝國議會ヨリ送致スル人民ノ請願
六 予算外ノ支出
七 勅任官及地方長官ノ任命及進退
其ノ他各省主任ノ事務ニ就キ高等行政ニ関係シ事体稍重キモノハ總テ閣議ヲ経ヘシ
このように、主要な行政事項については、内閣の連帯責任と、総理による主たる責任が定められていた。
なお、
帝国憲法第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
天皇の政治的無答責は、帝国憲法も定めたところです。
現に内閣官制では、
第四條 凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ
第五條 左ノ各件ハ閣議ヲ経ヘシ
一 法律案及予算決算案
二 外國条約及重要ナル國際条件
三 官制又ハ規則及法律施行ニ係ル勅令
四 諸省ノ間主管権限ノ争議
五 天皇ヨリ下付セラレ又ハ帝國議會ヨリ送致スル人民ノ請願
六 予算外ノ支出
七 勅任官及地方長官ノ任命及進退
其ノ他各省主任ノ事務ニ就キ高等行政ニ関係シ事体稍重キモノハ總テ閣議ヲ経ヘシ
このように、主要な行政事項については、内閣の連帯責任と、総理による主たる責任が定められていた。
なお、
帝国憲法第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
天皇の政治的無答責は、帝国憲法も定めたところです。
No title
*現に内閣官制では、
第四條 凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ
その様な理解は、間違いです。
法律を基準に、憲法を解釈するなんて?
初学者でも間違えてはいけないことです。
*天皇の政治的無答責は、帝国憲法も定めたところです。
そうであるなら、憲法なんぞ必要がありません。
何のために憲法なんて、苦労して作ったのですか?
独裁者其のものですネ。
第四條 凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ
その様な理解は、間違いです。
法律を基準に、憲法を解釈するなんて?
初学者でも間違えてはいけないことです。
*天皇の政治的無答責は、帝国憲法も定めたところです。
そうであるなら、憲法なんぞ必要がありません。
何のために憲法なんて、苦労して作ったのですか?
独裁者其のものですネ。
憲法の解釈の元に
法律も勅令も成り立っているものです。
No title
宇宙戦士バルディオス さん
*憲法の解釈の元に
法律も勅令も成り立っている
民法の家督相続や、戸主の権限規定は、さすがに日本国憲法の解釈では成り立ちえないと考えて、戦後全面改正されました。
刑事訴訟法も、大陸法由来であった規定が全面的に改正され、英米法の当事者主義の刑事訴訟法に戦後全面改正。
更に、解釈のもと成り立つと考えていた、尊属殺人重罰規定は
昭和48年成り立っていたとの考えが間違いであったことが明確になりました。
即ち、
法律を基準に憲法を解釈していたことが最高裁判所大法廷で否定されました。
*憲法の解釈の元に
法律も勅令も成り立っている
民法の家督相続や、戸主の権限規定は、さすがに日本国憲法の解釈では成り立ちえないと考えて、戦後全面改正されました。
刑事訴訟法も、大陸法由来であった規定が全面的に改正され、英米法の当事者主義の刑事訴訟法に戦後全面改正。
更に、解釈のもと成り立つと考えていた、尊属殺人重罰規定は
昭和48年成り立っていたとの考えが間違いであったことが明確になりました。
即ち、
法律を基準に憲法を解釈していたことが最高裁判所大法廷で否定されました。
内閣官制は
帝国憲法と別に矛盾はしていなかったのです。
現憲法下で、それに適合するように内閣法が制定された。問題は、旧憲法と内閣官制が適合していたかどうかであって、引用の事例とは無関係でしょう。
現憲法下で、それに適合するように内閣法が制定された。問題は、旧憲法と内閣官制が適合していたかどうかであって、引用の事例とは無関係でしょう。
再読愚考:元号問題大激論 20-1
270にも及ぶコメントがついた元号についての記事。
>日本の伝統、天皇制、合理性、宗教・・・
などといった元号以外のテーマも多岐にわたりコメントされている。
再読愚考シリーズとしては過去最長の20連続コメントにもなってしまった。
数日に分けてアップしていく。
>元号そのものにイデオロギーがプンプンに臭っているわけですが、安倍氏によってそれがグレードアップしたわけです。
↑
「日の丸・君が代」については近代天皇制と抜きがたく結びついており、また戦前の日本における帝国主義・軍国主義ともリンクしてしまっている。
だが、元号については大和時代からの話しであり、天皇制と結びついているのはその通りだが、「日の丸・君が代」と全く同列に扱えるかといえば疑問。
>元号の使用がそもそも時代遅れなのは、外務省が西暦で原則とすると決めたことによく表れています。
↑
結局、これは自民党議員からの苦言を受けて、従来通り和暦・西暦併記ということで収まった。
<参考記事>
外務省のトーンダウンに見る日本社会の陰湿さ 「苦言」と表現する毎日新聞の元号への姿勢が異様
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3967.html
<御新茶麿さんのコメント>
ウヨクはキライになっても、皇室はキライにならないで下さい。って、卒業するセンターでもないのだけれど。
↑
ウーン。
御新茶麿さんのギャグはわたしに近いものを感じる。
ネトサヨうざいさんに「ギャクセンスゼロ」と言われないように精進したいものですな。
<バルディオスさんのコメント>
西暦より元号の方が良いという日本人から元号を奪うことは、西暦の強制を意味することです。基本的人権の尊重に反します。
↑
バルディオスさんが「基本的人権ウンヌン」を言い出すとギャグにしか思えない。
ただ、西暦嫌いで和暦好きというのは、それはそれでありでしょう。
(つづく)
>日本の伝統、天皇制、合理性、宗教・・・
などといった元号以外のテーマも多岐にわたりコメントされている。
再読愚考シリーズとしては過去最長の20連続コメントにもなってしまった。
数日に分けてアップしていく。
>元号そのものにイデオロギーがプンプンに臭っているわけですが、安倍氏によってそれがグレードアップしたわけです。
↑
「日の丸・君が代」については近代天皇制と抜きがたく結びついており、また戦前の日本における帝国主義・軍国主義ともリンクしてしまっている。
だが、元号については大和時代からの話しであり、天皇制と結びついているのはその通りだが、「日の丸・君が代」と全く同列に扱えるかといえば疑問。
>元号の使用がそもそも時代遅れなのは、外務省が西暦で原則とすると決めたことによく表れています。
↑
結局、これは自民党議員からの苦言を受けて、従来通り和暦・西暦併記ということで収まった。
<参考記事>
外務省のトーンダウンに見る日本社会の陰湿さ 「苦言」と表現する毎日新聞の元号への姿勢が異様
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3967.html
<御新茶麿さんのコメント>
ウヨクはキライになっても、皇室はキライにならないで下さい。って、卒業するセンターでもないのだけれど。
↑
ウーン。
御新茶麿さんのギャグはわたしに近いものを感じる。
ネトサヨうざいさんに「ギャクセンスゼロ」と言われないように精進したいものですな。
<バルディオスさんのコメント>
西暦より元号の方が良いという日本人から元号を奪うことは、西暦の強制を意味することです。基本的人権の尊重に反します。
↑
バルディオスさんが「基本的人権ウンヌン」を言い出すとギャグにしか思えない。
ただ、西暦嫌いで和暦好きというのは、それはそれでありでしょう。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-2
<なごやんのコメント>
元号問題について、猪野先生に反対するつもりはない。しかしながら、ひのきみ問題と同様に「そこまで言うのかなあ」という感覚がないわけではない。
↑
この後、元号問題については猪野先生などの西暦派と更に距離を置くようにしている。
逆に和暦派の心情はわからないわけではない。
このすれ違い感はなんとも言い難い。
<弁護士さんのコメント>
元号に関して言えば、弁護士実務の上で、実に迷惑しています。ほぼ日本にのみ残る、アジアの希少文化であることは認めますが、現実問題として、文書作成等の際に、これが未だに存在することについては、はなはだ迷惑しています。口に出さないまでも、同じ考えの先生方が多いのではないでしょうか。
↑
なるほどね。
これは猪野先生も同意見では?
<バルディオスさんのコメント>
(弁護士さんのコメントを受けて)日本全部で弁護士は約3万9千人ですから、全国民の0.03%です。僅か0.03%の感じる迷惑なんか、日本国民全体からすれば、無視できる範囲です。
<なごやんのコメント>
これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
<バルディオスさんのコメント>
元号廃止が国民の多数派を占めるのであれば、とっくの昔にそれが世論になって、元号は廃止されているはずです。多数派の意見が通るのが民主主義というものでしょう。それとも、少数派が多数派に自分の意見を押し付けることが民主主義ですか?
<なごやんのコメント>
多数決が民主主義ではない。
<バルディオスさんのコメント>
少数派の考えを多数派に押し付けることを、ファシズムとか全体主義と呼ぶ。
<なごやんのコメント>
あなた(バルディオスさん)は民主主義を知らないどころか、ファシズム・全体主義も知らない。個人の基本的人権を守るのが民主主義。個人ではなく国家のあり方を優先するのがファシズム。多数派とか少数派とかの問題ではない。
↑
バルディオスさんのコメントはゆうじさんばりの屁理屈芸。
しかし、民主主義やファシズムの根本をバルディオスさんが理解していなかったとは驚いた。
(つづく)
元号問題について、猪野先生に反対するつもりはない。しかしながら、ひのきみ問題と同様に「そこまで言うのかなあ」という感覚がないわけではない。
↑
この後、元号問題については猪野先生などの西暦派と更に距離を置くようにしている。
逆に和暦派の心情はわからないわけではない。
このすれ違い感はなんとも言い難い。
<弁護士さんのコメント>
元号に関して言えば、弁護士実務の上で、実に迷惑しています。ほぼ日本にのみ残る、アジアの希少文化であることは認めますが、現実問題として、文書作成等の際に、これが未だに存在することについては、はなはだ迷惑しています。口に出さないまでも、同じ考えの先生方が多いのではないでしょうか。
↑
なるほどね。
これは猪野先生も同意見では?
<バルディオスさんのコメント>
(弁護士さんのコメントを受けて)日本全部で弁護士は約3万9千人ですから、全国民の0.03%です。僅か0.03%の感じる迷惑なんか、日本国民全体からすれば、無視できる範囲です。
<なごやんのコメント>
これは人数に焦点を当てて可否を論じる問題なのだろうか?
<バルディオスさんのコメント>
元号廃止が国民の多数派を占めるのであれば、とっくの昔にそれが世論になって、元号は廃止されているはずです。多数派の意見が通るのが民主主義というものでしょう。それとも、少数派が多数派に自分の意見を押し付けることが民主主義ですか?
<なごやんのコメント>
多数決が民主主義ではない。
<バルディオスさんのコメント>
少数派の考えを多数派に押し付けることを、ファシズムとか全体主義と呼ぶ。
<なごやんのコメント>
あなた(バルディオスさん)は民主主義を知らないどころか、ファシズム・全体主義も知らない。個人の基本的人権を守るのが民主主義。個人ではなく国家のあり方を優先するのがファシズム。多数派とか少数派とかの問題ではない。
↑
バルディオスさんのコメントはゆうじさんばりの屁理屈芸。
しかし、民主主義やファシズムの根本をバルディオスさんが理解していなかったとは驚いた。
(つづく)
No title
なごやんさん
民主主義の頭に議会制の三文字が抜けてますよ。
終局的にはそれなんだから。
民主主義の頭に議会制の三文字が抜けてますよ。
終局的にはそれなんだから。
再読愚考:元号問題大激論 20-3
<東大さんのコメント>
統治の連続性を表す手段という目的を達成するためには、一年の統治の途中で表記を変更することは統治の混乱を招きひいては生産性を阻害する要因となります。混乱と生産性とを犠牲にしてでも和暦を存続する意義はない。故に、不合理な統治を招来する和暦は現代社会では有害な制度。
↑
合理性だけを言えば東大さんの弁もわかるが、この世の中、それだけですむ話ではない。
<ひまわりさんのコメント>
伝統とは実はごく単純なものなのです。機能性も合理性も流行性も何もありません。有るのは「個性の継続」、これしかないことを忘れないでください。
↑
このコメントだけ取ると、東大さんの「合理性」より、ひまわりさんの「個性」のほうがわたしは説得力を感じる。
主は世界をさまざまな色どりで華やかに飾り付けられている。
個性の違いを尊ぶ文化にアグリー。
<東大さんのコメント>
位牌の表面に記される戒名は、仏の弟子になったことをあらわす名前です。本来は出家して仏門に入り、守らなければならない戒律を受け入れた弟子に与えられる名前です。
↑
たしかにその通りだが、江戸時代にはすでに生前に戒名を与えられると「逆修戒名」と言って、戒名自体が死後に贈られるのが当たり前となってしまっていた。
こういう仏教の変質は、寺社勢力が江戸時代に幕藩体制側に取り込まれることで顕著になった。
仏法・王法、聖俗のバランスについては議論のあるところ。
<体制派さんのコメント>
ま、要するに彼ら(和暦に反対するような人)は反日思想なんですよ。元号だけでなく、他日本の伝統・成長性(発展)・人口増加などには否定的な見解ありきなんです。彼らの全ての理屈付けはそこから出発しているんです。
↑
これはどうなんだろう。
ちょっとクソミソではないか?
日本の伝統を重んじる人であっても、わが国の成長性や人口増加に否定的な見解を持つ人はたくさんいると思うが?
<rotさんのコメント>
(体制派さんのコメントに対して)元号という制度を廃止するという考えが、なぜ反日という様な昨今あふれ返る安直な排外主義的決めつけを受けなければならないのか。それにしても反日思想とはね。日本の伝統や発展、人口増加に反対しているとか、言い掛かりも甚だしいとしか思えません。
↑
まあ、そうだよね。
体制派さんの半径1マイルではそうなっているのでしょう。
(つづく)
統治の連続性を表す手段という目的を達成するためには、一年の統治の途中で表記を変更することは統治の混乱を招きひいては生産性を阻害する要因となります。混乱と生産性とを犠牲にしてでも和暦を存続する意義はない。故に、不合理な統治を招来する和暦は現代社会では有害な制度。
↑
合理性だけを言えば東大さんの弁もわかるが、この世の中、それだけですむ話ではない。
<ひまわりさんのコメント>
伝統とは実はごく単純なものなのです。機能性も合理性も流行性も何もありません。有るのは「個性の継続」、これしかないことを忘れないでください。
↑
このコメントだけ取ると、東大さんの「合理性」より、ひまわりさんの「個性」のほうがわたしは説得力を感じる。
主は世界をさまざまな色どりで華やかに飾り付けられている。
個性の違いを尊ぶ文化にアグリー。
<東大さんのコメント>
位牌の表面に記される戒名は、仏の弟子になったことをあらわす名前です。本来は出家して仏門に入り、守らなければならない戒律を受け入れた弟子に与えられる名前です。
↑
たしかにその通りだが、江戸時代にはすでに生前に戒名を与えられると「逆修戒名」と言って、戒名自体が死後に贈られるのが当たり前となってしまっていた。
こういう仏教の変質は、寺社勢力が江戸時代に幕藩体制側に取り込まれることで顕著になった。
仏法・王法、聖俗のバランスについては議論のあるところ。
<体制派さんのコメント>
ま、要するに彼ら(和暦に反対するような人)は反日思想なんですよ。元号だけでなく、他日本の伝統・成長性(発展)・人口増加などには否定的な見解ありきなんです。彼らの全ての理屈付けはそこから出発しているんです。
↑
これはどうなんだろう。
ちょっとクソミソではないか?
日本の伝統を重んじる人であっても、わが国の成長性や人口増加に否定的な見解を持つ人はたくさんいると思うが?
<rotさんのコメント>
(体制派さんのコメントに対して)元号という制度を廃止するという考えが、なぜ反日という様な昨今あふれ返る安直な排外主義的決めつけを受けなければならないのか。それにしても反日思想とはね。日本の伝統や発展、人口増加に反対しているとか、言い掛かりも甚だしいとしか思えません。
↑
まあ、そうだよね。
体制派さんの半径1マイルではそうなっているのでしょう。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-4
<東大さんのコメント>
(元号が1500年余り続いたのは)日本が、唯、世界に目を向けていなかっただけでしょう。日本ももっと早く世界に目を向けていれば、改変をしない便利な西暦を利用できたはずですよ。
↑
これまた別の意味で安直。
改変しないという意味なら、イスラム暦だろうが、仏暦だろうが、皇紀だろうがOKということか?
<なごやんのコメント>
元号問題に関しては、このブログでは主に三つの立場に分かれている。
1.西暦派 2.和暦派 3.主の年派
「主の年=西暦」なのだが、西暦派から見れば、主の年派は「ウザイ」存在だと思う。また和暦派から見れば、主の年派は、西暦派と同じ暦法を使っているため、同一視しやすい。なお、主の年派から西暦派を見ると、合理性を過度に強調して、暦の持っている意味性をスポイルしている部分に不満がある。また、和暦派には、元号を広く強制するようなことは止めてもらいたいと考えている。
↑
元号問題を概観しての感想。
この見方が今現在のなごやんの結論。
<猪野亨さんのコメント>
伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。意味のない文化なども廃れていく。そのいい例が和服です。
↑
猪野先生、これは言い過ぎでは?
<猪野亨さんのコメント>
私が問題にしているのは、元号に違和感を持つ人たちに対して、反日だとか、あるいは伝統がわからんのか、という強制の雰囲気を作ろうとしていることです。
↑
元号に反対する人=反日思想・伝統否定というわけではない。
たしかにそれはその通り。
<ひまわりさんのコメント>
私がなぜ長年先生のブログにお世話になっているかわかりますか?(猪野先生に)連帯感があるんですよ。少なくとも私には。ケンカ友達ってヤツかも知れません。もっとこのブログを盛り上げましょうよ!
↑
イデオロギーの違いは、それはそれとして、猪野先生を根本の部分で信用しているのはわたしも同じ。
ひまわりさんの見解に賛成。
(つづく)
(元号が1500年余り続いたのは)日本が、唯、世界に目を向けていなかっただけでしょう。日本ももっと早く世界に目を向けていれば、改変をしない便利な西暦を利用できたはずですよ。
↑
これまた別の意味で安直。
改変しないという意味なら、イスラム暦だろうが、仏暦だろうが、皇紀だろうがOKということか?
<なごやんのコメント>
元号問題に関しては、このブログでは主に三つの立場に分かれている。
1.西暦派 2.和暦派 3.主の年派
「主の年=西暦」なのだが、西暦派から見れば、主の年派は「ウザイ」存在だと思う。また和暦派から見れば、主の年派は、西暦派と同じ暦法を使っているため、同一視しやすい。なお、主の年派から西暦派を見ると、合理性を過度に強調して、暦の持っている意味性をスポイルしている部分に不満がある。また、和暦派には、元号を広く強制するようなことは止めてもらいたいと考えている。
↑
元号問題を概観しての感想。
この見方が今現在のなごやんの結論。
<猪野亨さんのコメント>
伝統文化なるものの方が胡散臭くて仕方がない。意味のない文化なども廃れていく。そのいい例が和服です。
↑
猪野先生、これは言い過ぎでは?
<猪野亨さんのコメント>
私が問題にしているのは、元号に違和感を持つ人たちに対して、反日だとか、あるいは伝統がわからんのか、という強制の雰囲気を作ろうとしていることです。
↑
元号に反対する人=反日思想・伝統否定というわけではない。
たしかにそれはその通り。
<ひまわりさんのコメント>
私がなぜ長年先生のブログにお世話になっているかわかりますか?(猪野先生に)連帯感があるんですよ。少なくとも私には。ケンカ友達ってヤツかも知れません。もっとこのブログを盛り上げましょうよ!
↑
イデオロギーの違いは、それはそれとして、猪野先生を根本の部分で信用しているのはわたしも同じ。
ひまわりさんの見解に賛成。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-5
<片割月さんのコメント>
元号を単に、好き嫌いの問題に解消しようとするひまわりさん。猪野様が問題提起しているのは、制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評しているのです。
↑
ひまわりさんと猪野先生の視点の相違はしかたない。
「制度としての元号の在り方」については、元号の強制性は確かに問題がある。
「(元号の)政治利用」とは何だろう?
「令和フィーバー」が政治利用ということか?
であるなら、新元号に乗せられてしまった庶民側の責任のほうが重い。
新元号を使うことで、時代が一新されたような錯覚を呼び起こすのは「コズルイ手」だが、イメージ選挙でコロリと騙されてしまうようなものであり、為政者側を非難するのもどうか。
<ゆうじさんのコメント>
人権第一の立憲民主党さんですら、令和、令和と言ってるんだから、誰も嫌がらないものなんですよ。違和感を感じるのは猪野先生の思い過ごしですよ。
↑
やっぱり、みごとな「コジツケ芸」。
<ひまわりさんのコメント>
私はお互いの価値観を尊重し合った上で議論なり賛同なりしようよって言ってるだけなんですよ。私は先生の意見を感情論だと言いましたし私自身も感情論です、と言いました。
↑
ひまわりさんがご自身の見解を「感情論」というのはよいが、猪野先生の見解は「感情論」とはいえないのでは?
これは片割月さんご指摘の通り「制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評」している「政治論」が猪野先生。
先生ご自身も「私は、感情論ではありませんよ。元号の政治利用の問題を論じているんですから。」とコメントしている。
なお、わたしの立場は「信仰論」。
理性的な議論や広がりがあるのは猪野先生の「政治論」。
ひまわりさんの「感情論」やなごやんの「信仰論」は、共鳴する人には共鳴するといったレベルのもの。
これらの「論」の中で、一番共感する人が多いのはひまわりさんの「感情論」だろう。
(つづく)
元号を単に、好き嫌いの問題に解消しようとするひまわりさん。猪野様が問題提起しているのは、制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評しているのです。
↑
ひまわりさんと猪野先生の視点の相違はしかたない。
「制度としての元号の在り方」については、元号の強制性は確かに問題がある。
「(元号の)政治利用」とは何だろう?
「令和フィーバー」が政治利用ということか?
であるなら、新元号に乗せられてしまった庶民側の責任のほうが重い。
新元号を使うことで、時代が一新されたような錯覚を呼び起こすのは「コズルイ手」だが、イメージ選挙でコロリと騙されてしまうようなものであり、為政者側を非難するのもどうか。
<ゆうじさんのコメント>
人権第一の立憲民主党さんですら、令和、令和と言ってるんだから、誰も嫌がらないものなんですよ。違和感を感じるのは猪野先生の思い過ごしですよ。
↑
やっぱり、みごとな「コジツケ芸」。
<ひまわりさんのコメント>
私はお互いの価値観を尊重し合った上で議論なり賛同なりしようよって言ってるだけなんですよ。私は先生の意見を感情論だと言いましたし私自身も感情論です、と言いました。
↑
ひまわりさんがご自身の見解を「感情論」というのはよいが、猪野先生の見解は「感情論」とはいえないのでは?
これは片割月さんご指摘の通り「制度としての元号の在り方や、その政治利用に疑問を唱え批評」している「政治論」が猪野先生。
先生ご自身も「私は、感情論ではありませんよ。元号の政治利用の問題を論じているんですから。」とコメントしている。
なお、わたしの立場は「信仰論」。
理性的な議論や広がりがあるのは猪野先生の「政治論」。
ひまわりさんの「感情論」やなごやんの「信仰論」は、共鳴する人には共鳴するといったレベルのもの。
これらの「論」の中で、一番共感する人が多いのはひまわりさんの「感情論」だろう。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-6
<ゆうじさんのコメント>
摂政ではなく生前退位とするのは陛下のご意向で国民の圧倒的多数の支持に押されて政府が段取りしたものです。摂政より天皇のほうが儀式等の席次が有利で皇室外交が円滑現職天皇の崩御は自粛ムードを呼び景気に悪影響
↑
なるほど。
明仁さんが天皇を引退してから4か月経ったが、これはたいへんよいジャッジだった。
さすがに85歳のご高齢で国事・公務をこなしていくのは困難。
美智子さんとご一緒にゆっくりとプライベートな時間を過ごされることを希望。
マスコミなどもそっとしておく配慮が必要。
なにしろ、日本で一番ストレスの多い職業を勤め上げたのだから。
次代以降の天皇も定年制を引くべき。
<参考コメント>
再読愚考:日本で二番目にストレスの多い職業<2019/08/12(22:35)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3828.html
<御新茶磨さんのコメント>
(天皇・皇族が)いつ引退するかとか、誰と結婚するかとかは、御本人の意思を国民が最大限に尊重するのは当然でしょう。愛する人と一緒にさせないなんて、本当に女性皇族の人権を尊重する立場からは出ないでしょう。国民主権のもとで、皇室典範の改正等の法改正が必要ですので、国民の側で陛下のお気持ちを尊重して退位が実現したのは何よりです。
↑
全面的に賛成。
<御新茶磨さんのコメント>
私の好きな法格言に、「シンボルを軽んずるものは、年老いて男のシンボルに泣く。」というのがあります。ギリシャの法哲学者バイアグラだったかと思いますが。
↑
私の知っているギリシャの哲学者の格言にこのようなものがある。
「女は20歳を過ぎたら年増。30歳を過ぎたら大年増。40歳を過ぎたら猫又以外の何物でもない。」
名前はパタリロだったな。
<rotさんのコメント>
どうも伝統が好き嫌いとかいう風に区別されているというのもおかしいと思うんです。
↑
なるほどね。
「創られた伝統」ということか。
「それって、すり替えじゃない?」というのも留意する必要性は認める。
<ひまわりさんのコメント>
(猪野先生に向けて)あれあれ、さんざん伝統文化を否定していたのに?
(rotさんに向けて)いや、(伝統の)好き嫌いですよ。
↑
猪野先生の和服否定はいくら何でも言い過ぎ。
しかし、「好き嫌い」だけの議論にひまわりさんがするのも賛成できない。
猪野先生とひまわりさんの視点はあきらかに違う。
(つづく)
摂政ではなく生前退位とするのは陛下のご意向で国民の圧倒的多数の支持に押されて政府が段取りしたものです。摂政より天皇のほうが儀式等の席次が有利で皇室外交が円滑現職天皇の崩御は自粛ムードを呼び景気に悪影響
↑
なるほど。
明仁さんが天皇を引退してから4か月経ったが、これはたいへんよいジャッジだった。
さすがに85歳のご高齢で国事・公務をこなしていくのは困難。
美智子さんとご一緒にゆっくりとプライベートな時間を過ごされることを希望。
マスコミなどもそっとしておく配慮が必要。
なにしろ、日本で一番ストレスの多い職業を勤め上げたのだから。
次代以降の天皇も定年制を引くべき。
<参考コメント>
再読愚考:日本で二番目にストレスの多い職業<2019/08/12(22:35)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3828.html
<御新茶磨さんのコメント>
(天皇・皇族が)いつ引退するかとか、誰と結婚するかとかは、御本人の意思を国民が最大限に尊重するのは当然でしょう。愛する人と一緒にさせないなんて、本当に女性皇族の人権を尊重する立場からは出ないでしょう。国民主権のもとで、皇室典範の改正等の法改正が必要ですので、国民の側で陛下のお気持ちを尊重して退位が実現したのは何よりです。
↑
全面的に賛成。
<御新茶磨さんのコメント>
私の好きな法格言に、「シンボルを軽んずるものは、年老いて男のシンボルに泣く。」というのがあります。ギリシャの法哲学者バイアグラだったかと思いますが。
↑
私の知っているギリシャの哲学者の格言にこのようなものがある。
「女は20歳を過ぎたら年増。30歳を過ぎたら大年増。40歳を過ぎたら猫又以外の何物でもない。」
名前はパタリロだったな。
<rotさんのコメント>
どうも伝統が好き嫌いとかいう風に区別されているというのもおかしいと思うんです。
↑
なるほどね。
「創られた伝統」ということか。
「それって、すり替えじゃない?」というのも留意する必要性は認める。
<ひまわりさんのコメント>
(猪野先生に向けて)あれあれ、さんざん伝統文化を否定していたのに?
(rotさんに向けて)いや、(伝統の)好き嫌いですよ。
↑
猪野先生の和服否定はいくら何でも言い過ぎ。
しかし、「好き嫌い」だけの議論にひまわりさんがするのも賛成できない。
猪野先生とひまわりさんの視点はあきらかに違う。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-7
<なごやんのコメント>
この曲を聞いてリラックスしましょう。
「この国に生まれてよかった」(村下孝蔵)
https://www.youtube.com/watch?v=hQG0z-TKTOI
↑
村下孝蔵はいいよね。
この曲の世界は「政治」も「信仰」もない、「感情」、いや「情感」の世界なのだが、これはこれでよいと思う。
「政治」にリンクしたプロテストソングも、「信仰」にリンクしたプレイズソングもそれぞれあってよい。
ただ、猪野先生的には「元号って政治マターの話しでしょ」ということだと思う。
その視点自体は否定しない。
<rotさんのコメント>
実際、元号がいつ変更され、どの様な名称でどの様に呼ぶのかなど元号の歴史においては常に一部の権力者の密室における秘儀として決められ実行されて来た。今回もその例に違わなかったし、これからもそうです。だから元号は伝統や文化などでは有り得ないし、強制しなければ全く意味が無い物なのだといえます。
<片割月さんのコメント>
元号を文化・伝統と見なすことまで否定出来るでしょうか?
↑
ウーン。
rotさんの見解はネガティブありきのコメント。
「元号が伝統や文化ではない」というのは、そう言い切っていいものなのか?
片割月さんのレスに説得力を感じる。
<東大さんのコメント>
(天皇は)勝手に象徴という地位をやめる選択はできないのです。
↑
まあ、そうなのだが、もう少し天皇も人間扱いしてあげるべきだとは東大さんは思いませんか?
<ひまわりさんのコメント>
私のような保守は伝統文化を必要以上に絶賛したりはしません。人々が大切に思ってきた価値観をひとまず尊重して欲しい。伝統文化をそのように見て欲しいと願うだけです。
↑
わたしは穏健保守なので、ひまわりさんの言いたいことはよくわかる。
頭のいい人が「これが正しい!」とスパッと答えを出すことには懐疑的。
猪野先生は人権を重んじる理性主義者、合理主義者なのだろう。
これは秋風亭さん、rotさんにも言えることだが、「これが正しい」と言い切られると、頭のよくないわたしなど、「そうなのかなあ」と漠然とした疑念を持ってしまう。
(つづく)
この曲を聞いてリラックスしましょう。
「この国に生まれてよかった」(村下孝蔵)
https://www.youtube.com/watch?v=hQG0z-TKTOI
↑
村下孝蔵はいいよね。
この曲の世界は「政治」も「信仰」もない、「感情」、いや「情感」の世界なのだが、これはこれでよいと思う。
「政治」にリンクしたプロテストソングも、「信仰」にリンクしたプレイズソングもそれぞれあってよい。
ただ、猪野先生的には「元号って政治マターの話しでしょ」ということだと思う。
その視点自体は否定しない。
<rotさんのコメント>
実際、元号がいつ変更され、どの様な名称でどの様に呼ぶのかなど元号の歴史においては常に一部の権力者の密室における秘儀として決められ実行されて来た。今回もその例に違わなかったし、これからもそうです。だから元号は伝統や文化などでは有り得ないし、強制しなければ全く意味が無い物なのだといえます。
<片割月さんのコメント>
元号を文化・伝統と見なすことまで否定出来るでしょうか?
↑
ウーン。
rotさんの見解はネガティブありきのコメント。
「元号が伝統や文化ではない」というのは、そう言い切っていいものなのか?
片割月さんのレスに説得力を感じる。
<東大さんのコメント>
(天皇は)勝手に象徴という地位をやめる選択はできないのです。
↑
まあ、そうなのだが、もう少し天皇も人間扱いしてあげるべきだとは東大さんは思いませんか?
<ひまわりさんのコメント>
私のような保守は伝統文化を必要以上に絶賛したりはしません。人々が大切に思ってきた価値観をひとまず尊重して欲しい。伝統文化をそのように見て欲しいと願うだけです。
↑
わたしは穏健保守なので、ひまわりさんの言いたいことはよくわかる。
頭のいい人が「これが正しい!」とスパッと答えを出すことには懐疑的。
猪野先生は人権を重んじる理性主義者、合理主義者なのだろう。
これは秋風亭さん、rotさんにも言えることだが、「これが正しい」と言い切られると、頭のよくないわたしなど、「そうなのかなあ」と漠然とした疑念を持ってしまう。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-8
<ボドサケラスさんのコメント>
すなわち本件(元号問題)は、革命の残滓たる「反天皇」連と、ひまわりさんのような「日本大好きマン」「力と心を合わせて頑張ろうマン」の衝突って事。
↑
「反天皇」:西暦派
「日本大好き」:和暦派
という理解でよろしいか?
なら、私のような主の年派はどうなるのだろう?
和暦派から見れば、わたしなど「反天皇」の部類だろうし、西暦派から見ればなごやんは日本の伝統を広く見すぎていると言われるのか?
<rotさんのコメント>
それでも文化という言葉、概念は総体的に進歩を表す、立派なものとして認識されているものであると言えるでしょう。人間社会というものは、常に新しいものを生み出し続けている事が決定的な特徴であり本質ではないかと思うのです。
↑
ああ、これはわたしの歴史観と全く違う。
典型的な進歩史観。
rotさんご指摘のように文化とは「とても広い概念になる」のだが、一言でいえば「人間の営み=文化」だと私は捉えている。
「人間の営み」だから、「食文化」とか「服飾文化」という言い方も成り立つ。
逆に「サルの文化」とか「クマの文化」は根本的にありえない。
確かに時代の進展に合わせて「食文化」や「服飾文化」が複雑になり進化してきたとは言える。
ただ、神の命令に背き罪(sin)の影響下にある人間の存在自体は変わらない。
(但し、キリストの降臨により罪(sin)から逃れる道は開かれている。)
これは根本的なイデオロギーの違いなので、いかんともしがたい。
<片割月さんのコメント>
私、自分にイデオロギーなどというご大層なものは無いと思っています。
<ボドサケラスさんのコメント>
イデオロギーを持たない人間など居ない。問題は、自分がイデオロギーを持っている事に無自覚であること、自分のイデオロギーを絶対的と思い込むこと、イデオロギーの鋳型により非論理的レベルで現実認知を歪めること。だろう。
↑
これはボドサケラスさんのコメントが正鵠を射ている。
わたしはキリスト教(保守的プロテスタント)のイデオロギーを自らの芯としている。
ただ、信仰は神様と個人ひとりびとりとの関係であるため、他人が強制するものではない。
(「1+1=2」と言った科学的な真理とは別なので、「絶対」と人に強いることは意味がない。)
「認知バイアス」については、ボドサケラスさんとすれば、「なごやんは偏りまくり」と言いたいところだろう。
(つづく)
すなわち本件(元号問題)は、革命の残滓たる「反天皇」連と、ひまわりさんのような「日本大好きマン」「力と心を合わせて頑張ろうマン」の衝突って事。
↑
「反天皇」:西暦派
「日本大好き」:和暦派
という理解でよろしいか?
なら、私のような主の年派はどうなるのだろう?
和暦派から見れば、わたしなど「反天皇」の部類だろうし、西暦派から見ればなごやんは日本の伝統を広く見すぎていると言われるのか?
<rotさんのコメント>
それでも文化という言葉、概念は総体的に進歩を表す、立派なものとして認識されているものであると言えるでしょう。人間社会というものは、常に新しいものを生み出し続けている事が決定的な特徴であり本質ではないかと思うのです。
↑
ああ、これはわたしの歴史観と全く違う。
典型的な進歩史観。
rotさんご指摘のように文化とは「とても広い概念になる」のだが、一言でいえば「人間の営み=文化」だと私は捉えている。
「人間の営み」だから、「食文化」とか「服飾文化」という言い方も成り立つ。
逆に「サルの文化」とか「クマの文化」は根本的にありえない。
確かに時代の進展に合わせて「食文化」や「服飾文化」が複雑になり進化してきたとは言える。
ただ、神の命令に背き罪(sin)の影響下にある人間の存在自体は変わらない。
(但し、キリストの降臨により罪(sin)から逃れる道は開かれている。)
これは根本的なイデオロギーの違いなので、いかんともしがたい。
<片割月さんのコメント>
私、自分にイデオロギーなどというご大層なものは無いと思っています。
<ボドサケラスさんのコメント>
イデオロギーを持たない人間など居ない。問題は、自分がイデオロギーを持っている事に無自覚であること、自分のイデオロギーを絶対的と思い込むこと、イデオロギーの鋳型により非論理的レベルで現実認知を歪めること。だろう。
↑
これはボドサケラスさんのコメントが正鵠を射ている。
わたしはキリスト教(保守的プロテスタント)のイデオロギーを自らの芯としている。
ただ、信仰は神様と個人ひとりびとりとの関係であるため、他人が強制するものではない。
(「1+1=2」と言った科学的な真理とは別なので、「絶対」と人に強いることは意味がない。)
「認知バイアス」については、ボドサケラスさんとすれば、「なごやんは偏りまくり」と言いたいところだろう。
(つづく)
う!
>>>まあ、そうだよね。
体制派さんの半径1マイルではそうなっているのでしょう。
↑まぁ、なごやんさん。
私の見識1マイルって視野が狭いという意味かな?
前に女性感でも似た事いってたね。
じゃ、あなたの視野の広さを見せてもらいましょうか。他人を批判する以上、挑発には乗って下さい。
で、何の話にしますか? あなたの話題に合わせますが、ここで逃げの一手はやめてね。
多分、なんの話でもあなたの視野の方が狭いけど、やりましょう。
体制派さんの半径1マイルではそうなっているのでしょう。
↑まぁ、なごやんさん。
私の見識1マイルって視野が狭いという意味かな?
前に女性感でも似た事いってたね。
じゃ、あなたの視野の広さを見せてもらいましょうか。他人を批判する以上、挑発には乗って下さい。
で、何の話にしますか? あなたの話題に合わせますが、ここで逃げの一手はやめてね。
多分、なんの話でもあなたの視野の方が狭いけど、やりましょう。
No title
>村下孝蔵はいいよね。
この曲の世界は「政治」も「信仰」もない、「感情」、いや「情感」の世界なのだが、これはこれでよいと思う。
↑
36年前、「初恋」がヒットするまでは頻繁にテレビ出演してたくせに売れた途端に出演拒否をした偏屈歌手ですな。
この曲の世界は「政治」も「信仰」もない、「感情」、いや「情感」の世界なのだが、これはこれでよいと思う。
↑
36年前、「初恋」がヒットするまでは頻繁にテレビ出演してたくせに売れた途端に出演拒否をした偏屈歌手ですな。
再読愚考:元号問題大激論 20-9
<ボドサケラスさんのコメント>
片割月氏はイデオロギーに基づいて元号を否定している訳ではない(あるいは革新系イデオロギーとは別のイデオロギーに基づいて元号を否定しているか。例えば合理至上イデオロギー)。一方で猪野氏・rot氏・秋風亭氏らは革新系イデオロギーに基づいて天皇に結び付く一連の日本文化を否定している。ちなみになごやん氏はキリスト教イデオロギーに基づいて元号を使用しないし、愛着もない。で、私やひまわり氏は日本教イデオロギーに基づいて元号や天皇その他文化を尊重している(一定以上に尊重すべきと考えている)。
↑
アグリー
<御新茶磨さんのコメント>
このような国民からの敬意を獲得して行かれたのは、災害に苦しむ人に寄り添い、ハンセン氏病などの差別で苦しむ人に寄り添い、激戦地などで戦没者を慰霊し、象徴としてのあるべき姿を示されることによってでした。そのようにされて来た陛下ですもの、象徴としての務めが果たせなくなる前に退位すべきだとお考えになったのは尤もと思いましたよ。
↑
コメントの趣旨としては賛成なのだが、あくまでこの功績は明仁さん個人(同時に美智子さん個人)に帰すべきもので、「陛下」という言葉が天皇一般をさすのであれば賛成しない。
現代の天皇制は「聖家族」としての天皇・皇后・皇族を前提としており、そこにある「毒」をキリスト者であるわたしは見逃していない。
<御新茶磨さんのコメント>
物事を素直に見れば当たり前なのに、和服の伝統文化を否定して、お百姓さんが着ていた粗末な木綿の着物こそ伝統などと論じたがるのを見ると、ありのままを見た上で価値判断をするのではなくて、人民こそがというイデオロギーを通してしかものを見れなくなってしまってはいないかなあと感じてしまうのですよ。
↑
まあ、たしかにお百姓さんの木綿の着物が伝統かといえば、違うよね。
ただ、「文化、伝統!」と声高に叫ばれるものに、「それって創られた伝統では?」という視点も必要。
<参考コメント>
再読愚考:掻(書)いちゃ、ダメ! 再考 2-2<2019/08/15(07:07)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3867.html
(つづく)
片割月氏はイデオロギーに基づいて元号を否定している訳ではない(あるいは革新系イデオロギーとは別のイデオロギーに基づいて元号を否定しているか。例えば合理至上イデオロギー)。一方で猪野氏・rot氏・秋風亭氏らは革新系イデオロギーに基づいて天皇に結び付く一連の日本文化を否定している。ちなみになごやん氏はキリスト教イデオロギーに基づいて元号を使用しないし、愛着もない。で、私やひまわり氏は日本教イデオロギーに基づいて元号や天皇その他文化を尊重している(一定以上に尊重すべきと考えている)。
↑
アグリー
<御新茶磨さんのコメント>
このような国民からの敬意を獲得して行かれたのは、災害に苦しむ人に寄り添い、ハンセン氏病などの差別で苦しむ人に寄り添い、激戦地などで戦没者を慰霊し、象徴としてのあるべき姿を示されることによってでした。そのようにされて来た陛下ですもの、象徴としての務めが果たせなくなる前に退位すべきだとお考えになったのは尤もと思いましたよ。
↑
コメントの趣旨としては賛成なのだが、あくまでこの功績は明仁さん個人(同時に美智子さん個人)に帰すべきもので、「陛下」という言葉が天皇一般をさすのであれば賛成しない。
現代の天皇制は「聖家族」としての天皇・皇后・皇族を前提としており、そこにある「毒」をキリスト者であるわたしは見逃していない。
<御新茶磨さんのコメント>
物事を素直に見れば当たり前なのに、和服の伝統文化を否定して、お百姓さんが着ていた粗末な木綿の着物こそ伝統などと論じたがるのを見ると、ありのままを見た上で価値判断をするのではなくて、人民こそがというイデオロギーを通してしかものを見れなくなってしまってはいないかなあと感じてしまうのですよ。
↑
まあ、たしかにお百姓さんの木綿の着物が伝統かといえば、違うよね。
ただ、「文化、伝統!」と声高に叫ばれるものに、「それって創られた伝統では?」という視点も必要。
<参考コメント>
再読愚考:掻(書)いちゃ、ダメ! 再考 2-2<2019/08/15(07:07)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3867.html
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-10
<ボドサケラスさんのコメント>
我ら日本教徒は皇室を日本文明の要石と捉えるので・・・
↑
確かにこのような捉え方はある。
ただ、わたしは「アダムが耕し、エバが紡いでいた時、誰が天皇だったのか?」と考える。
<ボドサケラスさんのコメント>
今度は民族の定義論になるけれども、天皇(スメラミコト)を否定するようなイデオロギーの人々は「戦後、日本原住民から派生した別民族」と分類することも出来る。「戦後日本式左翼族」ですね。
↑
ボドサケラスさんは、いわゆる「まつろわぬ民」のことを言いたいのだろう。
現代では「在日朝鮮人・共産主義者・クリスチャン」がその代表格と言われている。
しかし、古代における出雲族や中世の武家・寺社勢力など、「まつろわぬ民」は常に日本に存在し続けた。
そして、天皇制は、そういった敵対者を取り込むこと(出雲族→国津神、武家・寺社→勤皇家・鎮護仏教)により、安定し、肥大化していった歴史を持つ。
これはまるで「にっぽん昆虫記」「人間昆虫記」のようなイメージ。
<参考コメント>
覧古考新:まつろわぬ民<2018/02/19(03:25)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-802.html
<ボドサケラスさんのコメント>
むしろ彼ら(エセ保守)は天皇に敬意を払うべきと考えているし、実際に敬意を払っている。ただし、その敬意は陛下という「個人」にフォーカスすべきではない、ということ。
↑
つまり天皇は「虚ろな偽神」ということ。
生きた人間としての裕仁さん、明仁さん、徳仁さん個人には注目しない、イヤ、それどころか無視したい。
天皇というミームを受け止める器としての、のっぺらぼうな「カオナシ」がいるだけ。
>天皇制で重要なのは、その能力ではなく「天皇がいる」ことそのもの。
これではまるで「利己的な遺伝子」の世界。
<参考コメント>
覧古考新:天皇制とキリスト教3-2<2017/07/17(02:48)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1908.html
(つづく)
我ら日本教徒は皇室を日本文明の要石と捉えるので・・・
↑
確かにこのような捉え方はある。
ただ、わたしは「アダムが耕し、エバが紡いでいた時、誰が天皇だったのか?」と考える。
<ボドサケラスさんのコメント>
今度は民族の定義論になるけれども、天皇(スメラミコト)を否定するようなイデオロギーの人々は「戦後、日本原住民から派生した別民族」と分類することも出来る。「戦後日本式左翼族」ですね。
↑
ボドサケラスさんは、いわゆる「まつろわぬ民」のことを言いたいのだろう。
現代では「在日朝鮮人・共産主義者・クリスチャン」がその代表格と言われている。
しかし、古代における出雲族や中世の武家・寺社勢力など、「まつろわぬ民」は常に日本に存在し続けた。
そして、天皇制は、そういった敵対者を取り込むこと(出雲族→国津神、武家・寺社→勤皇家・鎮護仏教)により、安定し、肥大化していった歴史を持つ。
これはまるで「にっぽん昆虫記」「人間昆虫記」のようなイメージ。
<参考コメント>
覧古考新:まつろわぬ民<2018/02/19(03:25)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-802.html
<ボドサケラスさんのコメント>
むしろ彼ら(エセ保守)は天皇に敬意を払うべきと考えているし、実際に敬意を払っている。ただし、その敬意は陛下という「個人」にフォーカスすべきではない、ということ。
↑
つまり天皇は「虚ろな偽神」ということ。
生きた人間としての裕仁さん、明仁さん、徳仁さん個人には注目しない、イヤ、それどころか無視したい。
天皇というミームを受け止める器としての、のっぺらぼうな「カオナシ」がいるだけ。
>天皇制で重要なのは、その能力ではなく「天皇がいる」ことそのもの。
これではまるで「利己的な遺伝子」の世界。
<参考コメント>
覧古考新:天皇制とキリスト教3-2<2017/07/17(02:48)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1908.html
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-11
<ひまわりさんのコメント>
新元号の令和を快く迎える人々や一般参賀に参加する人々も日本教徒なんですね。そしてその日本教徒は多神教でもありました。もしかしたら我が国は世界でもっとも宗教に寛容な民族だったのかもしれません。
↑
「日本教」と言う言葉自体は山本七平氏の造語。
「和を以て貴しとなす」を信条とする人間中心の相対的な世界観をもつ信仰形態。
芥川龍之介は「神々の微笑」の中で、その特徴を「造り変える力」と表現し、遠藤周作は「沈黙」の中で「沼」と言い表した。
ひまわりさんは「多神教優越論」を取るようだが、わたしとしては賛成できない。
<参考コメント>
再読愚考:イブラヒムさんとのダイアローグ 3-2<2019/07/31(03:49)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3758.html
<ひまわりさんのコメント>
日本教そもものには罪はないと思いますが。ただ教えるところは自然に対する畏怖と感謝だけですので。
つまり左派は天皇の権威を恐れている、ということではないですか?それゆえ天皇を封印したいのではないでしょうか。
↑
日本教が「自然に対する畏怖と感謝だけ」で構成されているわけではない。
たとえば、「和を強制する」という村社会・島国根性、地震・台風などの圧倒的な天災に対する諦観、感謝を強調するあまり批判精神を「不平・不満」と捉えてしまう奴隷根性など、さまざまなマイナスの側面がある(コインの裏表でプラス面もある)。
また天皇は「四重の入れ子構造」になっている。
「古代の祭祀王としての天皇」「中世の超越的権威者としての天皇」「近代の国家君主としての天皇」「現代の聖家族としての象徴天皇」、この四つが入れ子のようになっている。
「古代」を包み込む形で「中世」があり、さらに「近代」、そして今は「現代」が一番表に出ている。
「古代」を否定して「中世」、「中世」を拒絶して「近代」といったものではない。
この四つの天皇像はどれも正解であり、有効でもある。
ただ、厄介なのは天皇を観察する個人個人によって、この四つの内のどれかを過大に見積もってしまうこと。
反天皇の見解を強く持つ人は「近代」の天皇像に敏感に反応しやすい。
親天皇の人々は、維新の志士と同様に「中世」的な超越者としての天皇を押し頂くようなことを考える(但し、必ずしも天皇親政を指向しない)。
まあ、天皇論については色々な識者が論じているが、アングルがついてしまっていることが多く、一筋縄でいかないのが現実。
ひまわりさんのコメントに戻ると、左派が恐れている天皇とはまさに「近代の国家君主としての天皇」になる。
具体的には、明治・昭和初期の白馬に乗った大元帥のイメージ。
帝国主義侵略者である大日本帝国のシンボルでもある。
これが日本教徒になると、「中世の超越的権威者としての天皇」ともっと中立・公正・公的な天皇像になる。
「民安かれ、国安かれ」と日々、無私無心に祈るイメージ。
どちらも間違ってはいない。
ある意味、天皇とは古代エジプトのファラオがそのまま現代にまで生き残ったようなものであり、単純に「ジャパニーズ・エンペラー」などと考えると、その全体像を掴み損ねる。
天皇とはまさに「万邦無比」の存在なのだ。
<参考コメント>
四重の入れ子構造論<2019/04/30(14:59)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3999.html
(つづく)
新元号の令和を快く迎える人々や一般参賀に参加する人々も日本教徒なんですね。そしてその日本教徒は多神教でもありました。もしかしたら我が国は世界でもっとも宗教に寛容な民族だったのかもしれません。
↑
「日本教」と言う言葉自体は山本七平氏の造語。
「和を以て貴しとなす」を信条とする人間中心の相対的な世界観をもつ信仰形態。
芥川龍之介は「神々の微笑」の中で、その特徴を「造り変える力」と表現し、遠藤周作は「沈黙」の中で「沼」と言い表した。
ひまわりさんは「多神教優越論」を取るようだが、わたしとしては賛成できない。
<参考コメント>
再読愚考:イブラヒムさんとのダイアローグ 3-2<2019/07/31(03:49)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3758.html
<ひまわりさんのコメント>
日本教そもものには罪はないと思いますが。ただ教えるところは自然に対する畏怖と感謝だけですので。
つまり左派は天皇の権威を恐れている、ということではないですか?それゆえ天皇を封印したいのではないでしょうか。
↑
日本教が「自然に対する畏怖と感謝だけ」で構成されているわけではない。
たとえば、「和を強制する」という村社会・島国根性、地震・台風などの圧倒的な天災に対する諦観、感謝を強調するあまり批判精神を「不平・不満」と捉えてしまう奴隷根性など、さまざまなマイナスの側面がある(コインの裏表でプラス面もある)。
また天皇は「四重の入れ子構造」になっている。
「古代の祭祀王としての天皇」「中世の超越的権威者としての天皇」「近代の国家君主としての天皇」「現代の聖家族としての象徴天皇」、この四つが入れ子のようになっている。
「古代」を包み込む形で「中世」があり、さらに「近代」、そして今は「現代」が一番表に出ている。
「古代」を否定して「中世」、「中世」を拒絶して「近代」といったものではない。
この四つの天皇像はどれも正解であり、有効でもある。
ただ、厄介なのは天皇を観察する個人個人によって、この四つの内のどれかを過大に見積もってしまうこと。
反天皇の見解を強く持つ人は「近代」の天皇像に敏感に反応しやすい。
親天皇の人々は、維新の志士と同様に「中世」的な超越者としての天皇を押し頂くようなことを考える(但し、必ずしも天皇親政を指向しない)。
まあ、天皇論については色々な識者が論じているが、アングルがついてしまっていることが多く、一筋縄でいかないのが現実。
ひまわりさんのコメントに戻ると、左派が恐れている天皇とはまさに「近代の国家君主としての天皇」になる。
具体的には、明治・昭和初期の白馬に乗った大元帥のイメージ。
帝国主義侵略者である大日本帝国のシンボルでもある。
これが日本教徒になると、「中世の超越的権威者としての天皇」ともっと中立・公正・公的な天皇像になる。
「民安かれ、国安かれ」と日々、無私無心に祈るイメージ。
どちらも間違ってはいない。
ある意味、天皇とは古代エジプトのファラオがそのまま現代にまで生き残ったようなものであり、単純に「ジャパニーズ・エンペラー」などと考えると、その全体像を掴み損ねる。
天皇とはまさに「万邦無比」の存在なのだ。
<参考コメント>
四重の入れ子構造論<2019/04/30(14:59)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3999.html
(つづく)
No title
なごやんさん
*もう少し天皇も人間扱いしてあげるべきだとは東大さんは思いませんか?.
最大限人間扱いをしているからこそ、
なざわざ、皇室経済法第4条で内廷費として予算化。
実質は生活保護。
ちなみに、大日本帝国憲法下の主権者天皇は、財閥でしたから
横浜正金銀行を通じて海外資産も豊富にお持ちでした。
エリザベス女王にも比肩するぐらいの超お金持ち。
欧米では、お金持ちだから、王室とか貴族とか尊敬されていますが、
象徴天皇だから尊敬?されるというのは理解不能。
*もう少し天皇も人間扱いしてあげるべきだとは東大さんは思いませんか?.
最大限人間扱いをしているからこそ、
なざわざ、皇室経済法第4条で内廷費として予算化。
実質は生活保護。
ちなみに、大日本帝国憲法下の主権者天皇は、財閥でしたから
横浜正金銀行を通じて海外資産も豊富にお持ちでした。
エリザベス女王にも比肩するぐらいの超お金持ち。
欧米では、お金持ちだから、王室とか貴族とか尊敬されていますが、
象徴天皇だから尊敬?されるというのは理解不能。
再読愚考:元号問題大激論 20-12
<rotさんのコメント>
いま西暦が日本の近代化、民主主義に基づく政治経済社会の近代化の中で定着して来て、それが世界共通の紀年法として西暦が存在する様になった事に対応した自然なものであるのに対して、元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、それに対して日本国内では反対している人が少数という様な、世界の中の日本という前提を無視した問題のすり替えと元号批判を封じようとする圧力で正当化する事は間違っているという事です。
↑
「世界共通の紀年法として西暦」・・・
その西暦の意味性はスポイルしてOKなのだろうか?
元号の強制を問題とする視点は分かるが、日本独自の暦法を積極的に否定するのは、結局、「反天皇」という立ち位置からではないのか?
西暦は、「反天皇のダシ」の一つに使われているだけではないか?
わたしは西暦派と主の年派の違いを考えると、ピジン話者とネイティブ話者の違いを見ているようにも思えてきた。
ピジン話者は、いい加減な文法、語彙表現でも「通じればいい(合理性)」と気にしないが、ネイティブ話者としては「そんな言い方は言葉本来の表現ではない」と違和感ありあり。
なにか「軒を貸して母屋を取られた」ようにも思える。
<片割月さんのコメント>
反対していなくとも、現実の活動を見れば元号ではなく、自然と西暦を使っているのが多いわけです。言葉で反対しなくとも、無言の抵抗であり、実質的には反対に近いのよ。
↑
わたしは会社では西暦が標準となっているのでそれに従っている。
個人的には信仰上の理由で「主の年」を使っている。
「ひのきみ」と違い、元号に積極的に反対とも言えないのだが・・・
<猪野亨さんのコメント>
元号の否定が自虐史観ですか。極端でしょ。
<体制派さんのコメント>
いやいや、元号否定派は左翼思想でその理由は自虐史観。あんた(猪野先生)なんか、丸出しやん。
↑
自虐史観というと侮蔑的ニュアンスが入りすぎている。
元号否定派は「天皇制をよしとしない」とは言えるかもしれない。
(つづく)
いま西暦が日本の近代化、民主主義に基づく政治経済社会の近代化の中で定着して来て、それが世界共通の紀年法として西暦が存在する様になった事に対応した自然なものであるのに対して、元号主流化が日本の復古主義的イデオロギーにもとづき世界の進行方向とは真逆な元号の強制化によって進められている事が問題なのに、それに対して日本国内では反対している人が少数という様な、世界の中の日本という前提を無視した問題のすり替えと元号批判を封じようとする圧力で正当化する事は間違っているという事です。
↑
「世界共通の紀年法として西暦」・・・
その西暦の意味性はスポイルしてOKなのだろうか?
元号の強制を問題とする視点は分かるが、日本独自の暦法を積極的に否定するのは、結局、「反天皇」という立ち位置からではないのか?
西暦は、「反天皇のダシ」の一つに使われているだけではないか?
わたしは西暦派と主の年派の違いを考えると、ピジン話者とネイティブ話者の違いを見ているようにも思えてきた。
ピジン話者は、いい加減な文法、語彙表現でも「通じればいい(合理性)」と気にしないが、ネイティブ話者としては「そんな言い方は言葉本来の表現ではない」と違和感ありあり。
なにか「軒を貸して母屋を取られた」ようにも思える。
<片割月さんのコメント>
反対していなくとも、現実の活動を見れば元号ではなく、自然と西暦を使っているのが多いわけです。言葉で反対しなくとも、無言の抵抗であり、実質的には反対に近いのよ。
↑
わたしは会社では西暦が標準となっているのでそれに従っている。
個人的には信仰上の理由で「主の年」を使っている。
「ひのきみ」と違い、元号に積極的に反対とも言えないのだが・・・
<猪野亨さんのコメント>
元号の否定が自虐史観ですか。極端でしょ。
<体制派さんのコメント>
いやいや、元号否定派は左翼思想でその理由は自虐史観。あんた(猪野先生)なんか、丸出しやん。
↑
自虐史観というと侮蔑的ニュアンスが入りすぎている。
元号否定派は「天皇制をよしとしない」とは言えるかもしれない。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-13
<rotさんのコメント>
とりあえず西暦の便利さを認めるという事なら公文書、公示、公報は西暦にしましょう。
<ひまわりさんのコメント>
そうですね。時の流れには逆らえないもの一理あります。ただせめて()などで平行記載してもらいたいと思います。また行事や式典、または民間の冠婚葬祭などは元号記載をメインにしたいものです。
↑
まあ、西暦が主で和暦が従で、あとはケースバイケースでよい。
元号のもっている「縁起物」「記憶」と言う面は評価。
<御新茶磨さんのコメント>
元号変更は、面倒で合理性が無いナアという御意見の表明であれば、そういう考え方もあるでしょうねえという受け止め方で済む話なんですが、結論が元号廃止にまで行っちゃったり、併存派でも、元号存続は古臭い価値観に捉われているとか,ましてや安倍内閣支持などと評すれば、少数派だからって言っていいこととイケナイことはあるんじゃないかなあ、という疑問を持ちます、ヨ。
↑
まあ、わたしは主体的に元号を遠ざけている。
その程度の軽い否定派と言えるかもしれない。
「元号の政治利用」とか「天皇制の押しつけ」と見なす人から見れば、御新茶磨さんもなごやんも「考えが浅すぎる」と見えるのだろう。
<rotさんのコメント>
私(rotさん)は元号は廃止したほうが良い、つまり元祖である中国の様に新元号継続を止める事を考えるべきだと思っていますが、言ってはいけない事なんでしょうか?
<御新茶磨さんのコメント>
意見は御自由ですし、表現方法も御自由ですよ。但し、御自分の出した結論や、表現方法に対して、相手にも批判する自由があるのです。
↑
「批判されない自由はない」
これは御新茶磨さんのコメントが的確。
<御新茶磨さんのコメント>
50歳を過ぎ自分の人生の終わりが見え、次の世代や、そのまた次の世代に、どのような世の中をバトンタッチするのかを考えるようになって、司法試験合格者も1500人より大幅に減員しなければならないとか、安倍内閣不支持とかを積極的に表明するようになりました。天皇や皇室、元号を含めた日本の文化も大切に引き継いで行きたいというのも、その一環なのです。
↑
「父祖の遺影の前に恥じない。孫子(まごこ)の笑顔を曇らせない。」
これが保守の態度。
(つづく)
とりあえず西暦の便利さを認めるという事なら公文書、公示、公報は西暦にしましょう。
<ひまわりさんのコメント>
そうですね。時の流れには逆らえないもの一理あります。ただせめて()などで平行記載してもらいたいと思います。また行事や式典、または民間の冠婚葬祭などは元号記載をメインにしたいものです。
↑
まあ、西暦が主で和暦が従で、あとはケースバイケースでよい。
元号のもっている「縁起物」「記憶」と言う面は評価。
<御新茶磨さんのコメント>
元号変更は、面倒で合理性が無いナアという御意見の表明であれば、そういう考え方もあるでしょうねえという受け止め方で済む話なんですが、結論が元号廃止にまで行っちゃったり、併存派でも、元号存続は古臭い価値観に捉われているとか,ましてや安倍内閣支持などと評すれば、少数派だからって言っていいこととイケナイことはあるんじゃないかなあ、という疑問を持ちます、ヨ。
↑
まあ、わたしは主体的に元号を遠ざけている。
その程度の軽い否定派と言えるかもしれない。
「元号の政治利用」とか「天皇制の押しつけ」と見なす人から見れば、御新茶磨さんもなごやんも「考えが浅すぎる」と見えるのだろう。
<rotさんのコメント>
私(rotさん)は元号は廃止したほうが良い、つまり元祖である中国の様に新元号継続を止める事を考えるべきだと思っていますが、言ってはいけない事なんでしょうか?
<御新茶磨さんのコメント>
意見は御自由ですし、表現方法も御自由ですよ。但し、御自分の出した結論や、表現方法に対して、相手にも批判する自由があるのです。
↑
「批判されない自由はない」
これは御新茶磨さんのコメントが的確。
<御新茶磨さんのコメント>
50歳を過ぎ自分の人生の終わりが見え、次の世代や、そのまた次の世代に、どのような世の中をバトンタッチするのかを考えるようになって、司法試験合格者も1500人より大幅に減員しなければならないとか、安倍内閣不支持とかを積極的に表明するようになりました。天皇や皇室、元号を含めた日本の文化も大切に引き継いで行きたいというのも、その一環なのです。
↑
「父祖の遺影の前に恥じない。孫子(まごこ)の笑顔を曇らせない。」
これが保守の態度。
(つづく)
No title
①純資産:50億ドル(約5500億円)
リヒテンシュタインのハンス=アダム2世公爵は、給与の代わりに経費として27万709ドルを受け取っている。
他の王族に比べ、受け取る経費が少なく見えるかもしれないが、リヒテンシュタイン王室には50億ドル相当の資産があると言われている。その大部分は、プライベートで所有するLGTリヒテンシュタイン銀行や、不動産、森、ワイナリーといった資産を管理するPrince of Liechtenstein Foundationを通じた投資によるものだ。
②純資産:40億ドル(約4400億円)
ルクセンブルクの王族は給与は受け取っていないが、1948年以降、活動を続けるために毎年32万4851ドル前後を助成として受け取っている。
2017年の予算はまた、大公の家計費として1218万1914ドルを計上している。個人資産は全て大公に帰属する。
一族の財産は、40億ドルと言われている。
④位 女王エリザベス2世(イギリス)
女王エリザベス2世
Ben A. Pruchnie/Getty Images
純資産:5億~6億ドル(約550億~660億円)
イギリス王室の資産は不動産、アート、株などで構成されている。
クラウン・エステートと呼ばれるバッキンガム宮殿や宝飾品といった大半の資産は、女王ではなく国に帰属するものだが、バルモラル城やサンドリンガム・ハウスは女王の所有だ。
フォーブスによると、エリザベス女王の個人資産は5億3000万ドルと推定される
リヒテンシュタインのハンス=アダム2世公爵は、給与の代わりに経費として27万709ドルを受け取っている。
他の王族に比べ、受け取る経費が少なく見えるかもしれないが、リヒテンシュタイン王室には50億ドル相当の資産があると言われている。その大部分は、プライベートで所有するLGTリヒテンシュタイン銀行や、不動産、森、ワイナリーといった資産を管理するPrince of Liechtenstein Foundationを通じた投資によるものだ。
②純資産:40億ドル(約4400億円)
ルクセンブルクの王族は給与は受け取っていないが、1948年以降、活動を続けるために毎年32万4851ドル前後を助成として受け取っている。
2017年の予算はまた、大公の家計費として1218万1914ドルを計上している。個人資産は全て大公に帰属する。
一族の財産は、40億ドルと言われている。
④位 女王エリザベス2世(イギリス)
女王エリザベス2世
Ben A. Pruchnie/Getty Images
純資産:5億~6億ドル(約550億~660億円)
イギリス王室の資産は不動産、アート、株などで構成されている。
クラウン・エステートと呼ばれるバッキンガム宮殿や宝飾品といった大半の資産は、女王ではなく国に帰属するものだが、バルモラル城やサンドリンガム・ハウスは女王の所有だ。
フォーブスによると、エリザベス女王の個人資産は5億3000万ドルと推定される
No title
皇居の広さ(国有地・皇室用財産)230万平方メートル
バッキンガム宮殿の広さ(私有地)3.3万平方メートル
天皇もエリザベス女王程度の広さで十分ではないでしょうか?
象徴で、都心に常時いないのですから?
バッキンガム宮殿の広さ(私有地)3.3万平方メートル
天皇もエリザベス女王程度の広さで十分ではないでしょうか?
象徴で、都心に常時いないのですから?
どうも、どうも。
なごやんさん、どうもです。
お互い、片割月さんに嫌われちゃったペアですが。
そう言えば、数か月前、こんな議論をしてましたねエ~。ステレオで、ぶつかっっちゃたのはrotさんと片割月さんでしたか。
rotさんだけじゃなく、片割月さんも、女性だったようですねー。大変失礼致しました。こういうところに、ピンと来ないからイカンのだよなア、私は。
それはそうと、ギャグって難しいですよね。パタリロを御存知とは、お互い、オヤジギャグ世代ですか。文大統領が左右に人気という片割月さんのセンスには感心してましたのになア。まあ、お互いに精進致しましょう。
保守ですかねえ、私。
確かに、司法「改革」の苦みを噛みしめる今日、1000人か、せめて1500人の、漸進改善であったならとは思いますねー。改革のお好きなそうな皆さん、どうかくれぐれもお気をつけてー。
お互い、片割月さんに嫌われちゃったペアですが。
そう言えば、数か月前、こんな議論をしてましたねエ~。ステレオで、ぶつかっっちゃたのはrotさんと片割月さんでしたか。
rotさんだけじゃなく、片割月さんも、女性だったようですねー。大変失礼致しました。こういうところに、ピンと来ないからイカンのだよなア、私は。
それはそうと、ギャグって難しいですよね。パタリロを御存知とは、お互い、オヤジギャグ世代ですか。文大統領が左右に人気という片割月さんのセンスには感心してましたのになア。まあ、お互いに精進致しましょう。
保守ですかねえ、私。
確かに、司法「改革」の苦みを噛みしめる今日、1000人か、せめて1500人の、漸進改善であったならとは思いますねー。改革のお好きなそうな皆さん、どうかくれぐれもお気をつけてー。
(^_^)/やあ、どうも、西暦統一派のrotです。
<rotさんだけじゃなく、片割月さんも、女性だったようですねー。大変失礼致しました。こういうところに、ピンと来ないからイカンのだよなア、私は。>
これは御新茶磨さんの呼び出しでしょうか、しかし月様はその通りでおられますが、私が?は御新茶磨さんのジョークでしょうね。
このエントリーのコメント数も、伸びる伸びるですが、元号や天皇制の問題は日本にとっても、国民にとっても簡単に結論を出すことの出来ない大きな問題であるということは、なごやんさんや御新茶磨さんとも見解の一致ができるのではないかと思います。
したがって、ここで性急に結論を求めても仕方がないものなのだとは思いますが、但し私、小学生の頃より歴史、特に日本史については物語、小説など文学や哲学など他の文系の分野には持つことの出来なかった愛着を現在も持ち続けられたという自負がございますので、大いに意見を述べさせてもらった訳です。
その意見の中で私が危惧しているところは、現在の日本が且つての様な復古的歴史観の迷路に陥る危険に対して、きちんとした理解が出来たうえで元号や天皇制と向き合うことが出来ているだろうかということです。
だから日本だけが独自の元号を持つということは独自の文化や伝統を維持することだからよい事なのだ。という立場から、メリット、利点、いわば明るい面を見るだけでは、世界における日本と日本国民の幸福につながっていくのだろうかという疑問を抱かざるを得ない訳です(^_^)/。
これは御新茶磨さんの呼び出しでしょうか、しかし月様はその通りでおられますが、私が?は御新茶磨さんのジョークでしょうね。
このエントリーのコメント数も、伸びる伸びるですが、元号や天皇制の問題は日本にとっても、国民にとっても簡単に結論を出すことの出来ない大きな問題であるということは、なごやんさんや御新茶磨さんとも見解の一致ができるのではないかと思います。
したがって、ここで性急に結論を求めても仕方がないものなのだとは思いますが、但し私、小学生の頃より歴史、特に日本史については物語、小説など文学や哲学など他の文系の分野には持つことの出来なかった愛着を現在も持ち続けられたという自負がございますので、大いに意見を述べさせてもらった訳です。
その意見の中で私が危惧しているところは、現在の日本が且つての様な復古的歴史観の迷路に陥る危険に対して、きちんとした理解が出来たうえで元号や天皇制と向き合うことが出来ているだろうかということです。
だから日本だけが独自の元号を持つということは独自の文化や伝統を維持することだからよい事なのだ。という立場から、メリット、利点、いわば明るい面を見るだけでは、世界における日本と日本国民の幸福につながっていくのだろうかという疑問を抱かざるを得ない訳です(^_^)/。
再読愚考:元号問題大激論 20-14
<ボドサケラスさんのコメント>
インドはワケわかんない文明だけど、長い間植民地支配されていても全然インドはインドしてる。よくも悪くもめっちゃインド。鍛えに鍛えられた、超絶強固な文明。
↑
インドはもうあと何年かで中国を人口で抜き去り、世界一の人口大国になるという。
(歴史的インドに属するパキスタン、バングラデシュまで含めれば、もうすでに世界一といっていい文明圏)
われわれが普段目にするメルカトル図法だと赤道付近が小さく見えてしまうが、実際、インドはヨーロッパロシアを除いた欧州全土と同じ広さを誇っている。
伊達に「亜大陸」と名付けられているわけではない。
21世紀の後半以降、確実にインドは世界的な大国として影響を及ぼすようになるだろう。
<参考コメント>
再読愚考:営業活動とインドについて 2-2(2019/02/15(19:46))
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3117.html
<ひまわりさんのコメント>
左派は着物産業は斜陽産業にしたいように思えてならない。
↑
イエイエ。
それは猪野先生の過言芸ですから。
本気にしちゃダメ。
<ひまわりさんのコメント>
左派は結局は反天皇、反皇室になのだろうか。
皇居も伝統文化の一つと受け止めて頂けるかは私には分からない。
↑
「貴ありて賤あり」
部落差別が是正されるべき因習であるように、天皇・皇室も逆の意味で廃されるべきと考えるのでしょうな。
(つづく)
インドはワケわかんない文明だけど、長い間植民地支配されていても全然インドはインドしてる。よくも悪くもめっちゃインド。鍛えに鍛えられた、超絶強固な文明。
↑
インドはもうあと何年かで中国を人口で抜き去り、世界一の人口大国になるという。
(歴史的インドに属するパキスタン、バングラデシュまで含めれば、もうすでに世界一といっていい文明圏)
われわれが普段目にするメルカトル図法だと赤道付近が小さく見えてしまうが、実際、インドはヨーロッパロシアを除いた欧州全土と同じ広さを誇っている。
伊達に「亜大陸」と名付けられているわけではない。
21世紀の後半以降、確実にインドは世界的な大国として影響を及ぼすようになるだろう。
<参考コメント>
再読愚考:営業活動とインドについて 2-2(2019/02/15(19:46))
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3117.html
<ひまわりさんのコメント>
左派は着物産業は斜陽産業にしたいように思えてならない。
↑
イエイエ。
それは猪野先生の過言芸ですから。
本気にしちゃダメ。
<ひまわりさんのコメント>
左派は結局は反天皇、反皇室になのだろうか。
皇居も伝統文化の一つと受け止めて頂けるかは私には分からない。
↑
「貴ありて賤あり」
部落差別が是正されるべき因習であるように、天皇・皇室も逆の意味で廃されるべきと考えるのでしょうな。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-15
<東大さんのコメント>
憲法に忠実であれば、天皇の「象徴としての行為」というのは、どこにも根拠がなく、国政に関与してはならない立場は批判し続けないと同調圧力によりいつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です
↑
なるほどねえ。
たしかにそういう側面はある。
<ひまわりさんのコメント>
これ(東大さんのコメント)は天皇の責任ではありませんよ。墓参りをさせない根拠にはなりません。横暴すぎます。
↑
そもそも天皇は責任を負えない。
東大さんご指摘のように現代の天皇にはあやふやで、その存在を担ぎ上げて政治利用しようとする政治勢力が必ず存在している。
わたしは明仁さんなり、徳仁さんなりの「プライベート」な部分を守り、その範囲を広げて、個人としてのあり方を認めるべきと思うが、議論はあるだろう。
<参考コメント>
覧古考新:猪野先生はその点は感じられないのだろうか?<2018/04/12(22:45)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
<rotさんのコメント>
令という字がこれまで元号に一度も使われなかった事にも理由が有り、むしろ禁じ手、禁字として対象から除外されていたのだという事ではないでしょうか。
歴史上の元号を振り返ると『明和』九年が迷惑を連想させるとして改元されたというのよく知られていますが、『令和』九年なども冷悪、霊悪を連想させないでしょうか。
↑
これはrotさんの個人的憶測。
別に言って悪いわけではないが、ネガティブすぎる。
<rotさんのコメント>
私はその時(元号がこの先も存在感を維持できるか)に重要なのは、二文字の漢字に対する印象とそれにもとづく好悪の国民的受け止めだと思うのですが、『令和』がそのような国民的好感を持って受け止められるか前記で挙げた理由により疑問に思っている訳です。
↑
その後の「令和フィーバー」を見ると国民一般からは好意的に「令和」という名前は受け取られたといっていいだろう。
<エヴァさんのコメント>
秋篠宮殿下ご自身は即位を辞退されるという話も出回っており、正直、そうして欲しい。
↑
わたしも同様に思うが、実際にはすんなりいくのか?
(つづく)
憲法に忠実であれば、天皇の「象徴としての行為」というのは、どこにも根拠がなく、国政に関与してはならない立場は批判し続けないと同調圧力によりいつの間にか元首まがい天皇に祭り上げられかねない危うい立場です
↑
なるほどねえ。
たしかにそういう側面はある。
<ひまわりさんのコメント>
これ(東大さんのコメント)は天皇の責任ではありませんよ。墓参りをさせない根拠にはなりません。横暴すぎます。
↑
そもそも天皇は責任を負えない。
東大さんご指摘のように現代の天皇にはあやふやで、その存在を担ぎ上げて政治利用しようとする政治勢力が必ず存在している。
わたしは明仁さんなり、徳仁さんなりの「プライベート」な部分を守り、その範囲を広げて、個人としてのあり方を認めるべきと思うが、議論はあるだろう。
<参考コメント>
覧古考新:猪野先生はその点は感じられないのだろうか?<2018/04/12(22:45)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
<rotさんのコメント>
令という字がこれまで元号に一度も使われなかった事にも理由が有り、むしろ禁じ手、禁字として対象から除外されていたのだという事ではないでしょうか。
歴史上の元号を振り返ると『明和』九年が迷惑を連想させるとして改元されたというのよく知られていますが、『令和』九年なども冷悪、霊悪を連想させないでしょうか。
↑
これはrotさんの個人的憶測。
別に言って悪いわけではないが、ネガティブすぎる。
<rotさんのコメント>
私はその時(元号がこの先も存在感を維持できるか)に重要なのは、二文字の漢字に対する印象とそれにもとづく好悪の国民的受け止めだと思うのですが、『令和』がそのような国民的好感を持って受け止められるか前記で挙げた理由により疑問に思っている訳です。
↑
その後の「令和フィーバー」を見ると国民一般からは好意的に「令和」という名前は受け取られたといっていいだろう。
<エヴァさんのコメント>
秋篠宮殿下ご自身は即位を辞退されるという話も出回っており、正直、そうして欲しい。
↑
わたしも同様に思うが、実際にはすんなりいくのか?
(つづく)
No title
ヨーロッパの王室の話であるなら、王室財産の承継人としておめでたい限りですが、
日本の天皇の即位といっても皇室用財産という国有財産はありますが所詮は国有でしかありません。
即位に経済的な意味がない以上自らの一生を犠牲にするほど重要なものかどうかは考慮の余地がありますね。
社会は変化しますから、
その時になってから人生の方向を変更させるのもたいへんです。
辞退者が出ても不思議ではありません。
日本の天皇の即位といっても皇室用財産という国有財産はありますが所詮は国有でしかありません。
即位に経済的な意味がない以上自らの一生を犠牲にするほど重要なものかどうかは考慮の余地がありますね。
社会は変化しますから、
その時になってから人生の方向を変更させるのもたいへんです。
辞退者が出ても不思議ではありません。
ごめんなさーい。
rotさん、男性だったのですね。大変失礼致しました。4/15に片割月さんを男性と間違えていたお詫びをした記憶が、時間とともに入れ違ってしまっていました。
「rot氏とか呼ぶから、男だって勘違いしちゃうんだよなア。」くらいに、いつの間にか思い込んでしまっていたのです。多分、いつもお二人の仲がおよろしいのと、左の立ち位置が同じなので、お二人の内ハンドルネームがアルファベットの方が女性って思い込んでしまったのだと思います。大変失礼をば致しましたァ。数か月前のことなのに、こんなに大激論した記憶も朧で、トホホですが。
元号は日本国民にとり大きな問題ではありますが、西暦との併用派が8割で、令和の祝賀ムードを見れば、慰安婦合意後の政府の対韓政策支持83%と同様、国民の結論は出ていると思います。どんな問題でも、全体主義国家ではない以上、2割程度の反対意見もあってよいのですが。
ただ、歴史教育に関する、政府に都合の良い教育に陥る懸念については共有しています。
しかし、以前の左バネの効いた教育に戻すことにも反対ですが。
ネット情報ですが、伊達政宗は武士で人殺しだから道徳の教科書に載せるのは反対等の運動をしている人達がいるのだそうです。
正に、現代の物差しで過去を裁く考えでしょう。戦国時代は、戦・人殺しの時代ですが、その時代にあっても、名将もいれば凡将もおり、同じ時代をそれぞれがどう生きたかに学ぶべきところが有るはずなのに。
豊臣秀吉も、中韓朝の教科書と同じように日本の教科書で描く必要はないのであり、今太閤と言われた人や、キャバレー王や、名前まで拝借して選挙に出ていた御仁など、貧しい家に生まれた男の子が逆境を跳ね返して頭角をあらわすモデルになった国民に愛される英雄ではあるのです。
小市民しか育たないような教育では、習近平やプーチンやトランプのド迫力に圧倒されてしまいますやん。
天皇・元号も世界に類を見ない日本独特の歴史・伝統・文化としてその価値を正しく次の世代に伝えて行きたいものです。
東京住まいですが、皇居に行けば、見学の外国人が列をなし、あるいは、皇居の公園を散策していますよ。外国人だって、ちゃんとその価値はわかるのです。我々がロンドン観光に行けば、バッキンガム宮殿と衛兵交代は見たいと思うのと一緒です。
それから、東大平行線さん、財産目当てで天皇になる人はいませんヨ。上皇陛下も、国民への敬意と信頼を以って天皇の務めを果たし得たことは幸せであったと述懐して下さいましたし、天皇陛下も嫌々ではなく喜んでそのお務めをお引き受け下さっているのがわかるでしょうに。
この、天皇陛下と国民の相思相愛の関係が子孫にも引き継いで行けるよう、陛下も国民も努力して行こうということなのですよ。
「rot氏とか呼ぶから、男だって勘違いしちゃうんだよなア。」くらいに、いつの間にか思い込んでしまっていたのです。多分、いつもお二人の仲がおよろしいのと、左の立ち位置が同じなので、お二人の内ハンドルネームがアルファベットの方が女性って思い込んでしまったのだと思います。大変失礼をば致しましたァ。数か月前のことなのに、こんなに大激論した記憶も朧で、トホホですが。
元号は日本国民にとり大きな問題ではありますが、西暦との併用派が8割で、令和の祝賀ムードを見れば、慰安婦合意後の政府の対韓政策支持83%と同様、国民の結論は出ていると思います。どんな問題でも、全体主義国家ではない以上、2割程度の反対意見もあってよいのですが。
ただ、歴史教育に関する、政府に都合の良い教育に陥る懸念については共有しています。
しかし、以前の左バネの効いた教育に戻すことにも反対ですが。
ネット情報ですが、伊達政宗は武士で人殺しだから道徳の教科書に載せるのは反対等の運動をしている人達がいるのだそうです。
正に、現代の物差しで過去を裁く考えでしょう。戦国時代は、戦・人殺しの時代ですが、その時代にあっても、名将もいれば凡将もおり、同じ時代をそれぞれがどう生きたかに学ぶべきところが有るはずなのに。
豊臣秀吉も、中韓朝の教科書と同じように日本の教科書で描く必要はないのであり、今太閤と言われた人や、キャバレー王や、名前まで拝借して選挙に出ていた御仁など、貧しい家に生まれた男の子が逆境を跳ね返して頭角をあらわすモデルになった国民に愛される英雄ではあるのです。
小市民しか育たないような教育では、習近平やプーチンやトランプのド迫力に圧倒されてしまいますやん。
天皇・元号も世界に類を見ない日本独特の歴史・伝統・文化としてその価値を正しく次の世代に伝えて行きたいものです。
東京住まいですが、皇居に行けば、見学の外国人が列をなし、あるいは、皇居の公園を散策していますよ。外国人だって、ちゃんとその価値はわかるのです。我々がロンドン観光に行けば、バッキンガム宮殿と衛兵交代は見たいと思うのと一緒です。
それから、東大平行線さん、財産目当てで天皇になる人はいませんヨ。上皇陛下も、国民への敬意と信頼を以って天皇の務めを果たし得たことは幸せであったと述懐して下さいましたし、天皇陛下も嫌々ではなく喜んでそのお務めをお引き受け下さっているのがわかるでしょうに。
この、天皇陛下と国民の相思相愛の関係が子孫にも引き継いで行けるよう、陛下も国民も努力して行こうということなのですよ。
No title
御新茶磨 さん
*東大平行線さん、財産目当てで天皇になる人はいませんヨ。
人間である以上、何に価値を見出すかは自由です。
エスカレーターように先代の退位でその地位を漫然と承継することを潔しとしない人に即位辞退の自由は認めるべきではないですか?
人間である以上それが当然です。
現人神であるなら別ですが??
しかし今時、現人神なんてことはありませんよね。
*東大平行線さん、財産目当てで天皇になる人はいませんヨ。
人間である以上、何に価値を見出すかは自由です。
エスカレーターように先代の退位でその地位を漫然と承継することを潔しとしない人に即位辞退の自由は認めるべきではないですか?
人間である以上それが当然です。
現人神であるなら別ですが??
しかし今時、現人神なんてことはありませんよね。
やって頂いているという姿勢
即位辞退も、退位も、離婚も、御本人が望めば、実際上は、誰も止められませんのですよ。
もし、陛下がこんな国民は嫌だア~、天皇なんかやってられるかア~、バカバカしいーとお見捨てになったら、ボイコットに刑事罰を科す訳にも、代執行する訳にもいかず、強制執行も元は国有財産なので意味はないので、強制手段はないのですよ。天皇・皇族をやって頂いているのです。
ただ、別れるとも言っていないのに離婚規定を設けないのは無粋だからに過ぎません。皇后様への男系エセ保守からの身を引けコールも酷かったですよねー。
御希望なら、規定の整備と実施に数か月お待ち頂くことにはなりますが、離婚も退位も実際上は御自由なのです。
ただ、国民への敬愛と信頼を以って天皇としての務めを果たし得たことは幸せであったと述懐された上皇陛下同様、皆様、その地位を決意をもってお引き受け下さっていらっしゃるのはお判りでしょう。
天皇制反対のサヨクが、天皇・皇族の自由・人権を論ずるとき、御本人の意思をまるっきり無視するのが特徴ですね。本人の意思無き所に人権有りとも思えませんが。
もし、陛下がこんな国民は嫌だア~、天皇なんかやってられるかア~、バカバカしいーとお見捨てになったら、ボイコットに刑事罰を科す訳にも、代執行する訳にもいかず、強制執行も元は国有財産なので意味はないので、強制手段はないのですよ。天皇・皇族をやって頂いているのです。
ただ、別れるとも言っていないのに離婚規定を設けないのは無粋だからに過ぎません。皇后様への男系エセ保守からの身を引けコールも酷かったですよねー。
御希望なら、規定の整備と実施に数か月お待ち頂くことにはなりますが、離婚も退位も実際上は御自由なのです。
ただ、国民への敬愛と信頼を以って天皇としての務めを果たし得たことは幸せであったと述懐された上皇陛下同様、皆様、その地位を決意をもってお引き受け下さっていらっしゃるのはお判りでしょう。
天皇制反対のサヨクが、天皇・皇族の自由・人権を論ずるとき、御本人の意思をまるっきり無視するのが特徴ですね。本人の意思無き所に人権有りとも思えませんが。
No title
*実際上は御自由なのです。
そうですか?
アフリカに移住し、国籍離脱も自由ですか?(憲法第22条第2項)
ハーレムを作るには日本の一夫一婦は窮屈すぎる?
ハーレムを作る自由なんてどうですか?
やっていただいているなら仕方がありませんか?
そうですか?
アフリカに移住し、国籍離脱も自由ですか?(憲法第22条第2項)
ハーレムを作るには日本の一夫一婦は窮屈すぎる?
ハーレムを作る自由なんてどうですか?
やっていただいているなら仕方がありませんか?
国民の道徳の範を体現されるお方ですので。
もし、外国の方と恋愛されて、配偶者の母国で、その国の人間として生きて行きたいと御決断されたら、人道上それを否定してはならないと思います。その場合には、御意思に沿って皇室典範を改正すべきです。
ハーレムとか一般人でも不道徳な事柄については、戦後、側室を排した歴代天皇の姿勢をご覧になればおわかりでしょう。天皇・皇族と国民との相思相愛の幸せな関係はお互いの努力によって続いて行くものなのです。
ハーレムとか一般人でも不道徳な事柄については、戦後、側室を排した歴代天皇の姿勢をご覧になればおわかりでしょう。天皇・皇族と国民との相思相愛の幸せな関係はお互いの努力によって続いて行くものなのです。
No title
*戦後、側室を排した歴代天皇の姿勢
それまでの天皇は側室が控えてハーレム状態であったということをお認めになるのですネ。
「側室を廃した」と主張なされますが、その様なルールを作るには法律で作らねばなりません。
しかし、天皇には国政に関する行為はできません。
むしろ、憲法では世襲であることが優先ですから、
側室を廃したかどうかは分かりません。
むしろ、世襲制で側室がいない方が不自然でしょう。
地方自治体の公務員が管理する戸籍ではなく、皇統譜での自前の管理で別扱いなのも大日本帝国憲法下と同様です。
それまでの天皇は側室が控えてハーレム状態であったということをお認めになるのですネ。
「側室を廃した」と主張なされますが、その様なルールを作るには法律で作らねばなりません。
しかし、天皇には国政に関する行為はできません。
むしろ、憲法では世襲であることが優先ですから、
側室を廃したかどうかは分かりません。
むしろ、世襲制で側室がいない方が不自然でしょう。
地方自治体の公務員が管理する戸籍ではなく、皇統譜での自前の管理で別扱いなのも大日本帝国憲法下と同様です。
再読愚考:元号問題大激論 20-16
<rotさんのコメント>
安倍の命令が~とか言ってるのは貴方(ボドサケラスさん)だけですよ、酔ってでもいるんですか。
<ボドサケラスさんのコメント>
貴方(rotさん)はシラフでそれなのか?
↑
このあたりのやり取りは、誰がいい悪いではなく、コメントが錯綜して、よくわからなくなってくる。
<ひまわりさんのコメント>
(東大さんに向けて)なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのかをもう少し詳しくお伺いしたいです。
<東大さんのコメント>
憲法は、天皇を日本国の象徴で日本国民統合の象徴であると規定しています。象徴には、個人に認められるプライバシュー権なる権利はありません。従って人権侵害はありません。
<なごやんのコメント>
東大さん、いくら何でもそれは言い過ぎでしょう。天皇の人権が制限を受ける部分はあるにしても、そもそも「権利」自体がないというのは、反対だ。
<東大さんのコメント>
天皇は国民ではない以上、国民の権利義務はありません。
(天皇に)人権なんぞ認めていたら、一夫一婦制は無理でしょう。
↑
こりゃ、東大さん無理筋だ。
全ての自然人には当然、人権がある。
これに例外はない。
人種・民族・国籍・社会的地位・出自・性別・障害の有無・性的指向・年齢・知的肉体的能力・・・どのように違おうが、人権そのものは、神さまが各個人にそれぞれ与えたものだから、当然ある。
これを否定することは神さまのなさることを否定することであり、絶対認められない。
但し、社会的な事情で制限を受ける場合はある。
例えば、選挙権があるのはその国の国民に限定されるとか、ある一定の職業に就くためには特定の出自に限るとか。
天皇がそういった点で「制限」を受けるのは合理的なこと。
そして、ある個人が天皇であることを辞めれば、当然、その「制限」は解除され、他の国民と同様の人権保護を受ける対象になる。
<追記>
「全ての人には人権がある」
もし、それが真であるなら、そもそも「人間とは何か?」という命題にぶち当たる。
二足歩行するのが人間なのか?頭がいいのが人間なのか?
古今東西、さまざまな思想家・哲学者がこの問いに答えを出してきた。
わたしがなるほどと思ったのはこの答え。
「人間から生まれたものは人間である」
これは近代初期に生まれた言葉で、ある意味当たり前で、それほど違和感を感じる人は多くないだろう。
ただ、この言葉は進化論を否定している。
進化論では「人間でないものから人間が生まれる」「人間から人間でないものが生まれる」ということを是認している。
「神さまが人間ひとりびとりに人権を与えた」と考えるキリスト教的な人権観から言えば、進化論は人間のあり方を不安定にさせる「悪魔の思想」と言える。
(同様な傾向は精神分析・共産主義にも言われている。20世紀の三大偉人とも言われる、ダーウィン・フロイト・マルクスの三名は「サタンに導かれた天才」とする見解がキリスト教会の中にはある。)
(つづく)
安倍の命令が~とか言ってるのは貴方(ボドサケラスさん)だけですよ、酔ってでもいるんですか。
<ボドサケラスさんのコメント>
貴方(rotさん)はシラフでそれなのか?
↑
このあたりのやり取りは、誰がいい悪いではなく、コメントが錯綜して、よくわからなくなってくる。
<ひまわりさんのコメント>
(東大さんに向けて)なぜ陛下がお伊勢参りしないことが平和主義・日本に繋がるのかをもう少し詳しくお伺いしたいです。
<東大さんのコメント>
憲法は、天皇を日本国の象徴で日本国民統合の象徴であると規定しています。象徴には、個人に認められるプライバシュー権なる権利はありません。従って人権侵害はありません。
<なごやんのコメント>
東大さん、いくら何でもそれは言い過ぎでしょう。天皇の人権が制限を受ける部分はあるにしても、そもそも「権利」自体がないというのは、反対だ。
<東大さんのコメント>
天皇は国民ではない以上、国民の権利義務はありません。
(天皇に)人権なんぞ認めていたら、一夫一婦制は無理でしょう。
↑
こりゃ、東大さん無理筋だ。
全ての自然人には当然、人権がある。
これに例外はない。
人種・民族・国籍・社会的地位・出自・性別・障害の有無・性的指向・年齢・知的肉体的能力・・・どのように違おうが、人権そのものは、神さまが各個人にそれぞれ与えたものだから、当然ある。
これを否定することは神さまのなさることを否定することであり、絶対認められない。
但し、社会的な事情で制限を受ける場合はある。
例えば、選挙権があるのはその国の国民に限定されるとか、ある一定の職業に就くためには特定の出自に限るとか。
天皇がそういった点で「制限」を受けるのは合理的なこと。
そして、ある個人が天皇であることを辞めれば、当然、その「制限」は解除され、他の国民と同様の人権保護を受ける対象になる。
<追記>
「全ての人には人権がある」
もし、それが真であるなら、そもそも「人間とは何か?」という命題にぶち当たる。
二足歩行するのが人間なのか?頭がいいのが人間なのか?
古今東西、さまざまな思想家・哲学者がこの問いに答えを出してきた。
わたしがなるほどと思ったのはこの答え。
「人間から生まれたものは人間である」
これは近代初期に生まれた言葉で、ある意味当たり前で、それほど違和感を感じる人は多くないだろう。
ただ、この言葉は進化論を否定している。
進化論では「人間でないものから人間が生まれる」「人間から人間でないものが生まれる」ということを是認している。
「神さまが人間ひとりびとりに人権を与えた」と考えるキリスト教的な人権観から言えば、進化論は人間のあり方を不安定にさせる「悪魔の思想」と言える。
(同様な傾向は精神分析・共産主義にも言われている。20世紀の三大偉人とも言われる、ダーウィン・フロイト・マルクスの三名は「サタンに導かれた天才」とする見解がキリスト教会の中にはある。)
(つづく)
No title
*例えば、選挙権があるのはその国の国民に限定されるとか、ある一定の職業に就くためには特定の出自に限るとか。
天皇がそういった点で「制限」を受けるのは合理的なこと。
秘密投票ですから、誰も投票結果には影響されません。
にも拘らず天皇皇族だけ制限するのはいかなる合理性があるのですか?
むしろ、
戸籍に従い選挙人名簿を作成するために、天皇及び皇族が選挙人名簿から漏れているだけでしょう。
皇統譜に従い選挙人名簿を作成することに拡大しさえすれば済むことですよ。
天皇がそういった点で「制限」を受けるのは合理的なこと。
秘密投票ですから、誰も投票結果には影響されません。
にも拘らず天皇皇族だけ制限するのはいかなる合理性があるのですか?
むしろ、
戸籍に従い選挙人名簿を作成するために、天皇及び皇族が選挙人名簿から漏れているだけでしょう。
皇統譜に従い選挙人名簿を作成することに拡大しさえすれば済むことですよ。
男系は側室と不可分
長い間男系で維持されていましたので、側室制度は不可分でしたよね。正室が男児に恵まれるとは限らないのは今の皇室を見ればわかる通りです。
長く続いた男尊女卑の時代には男系が自然で、それを維持するためには側室制度が必要だったのです。一夫一婦制の現代の物差しで、ハーレム云々と過去を裁くことは当を得ません。左翼の人はそういう姿勢に陥りがちですが。
近代国家に相応しく、昭和天皇以降は側室を排されたのです。もともと、側室を設けよという法があった訳ではありませんので、禁止する法律も必要なく、因習は廃すれば良いだけでした。
皇統譜は国民ではないからですし、国政に関与しない以上参政権も無し、バレなきゃ良かろうってもんじゃないのです。
長く続いた男尊女卑の時代には男系が自然で、それを維持するためには側室制度が必要だったのです。一夫一婦制の現代の物差しで、ハーレム云々と過去を裁くことは当を得ません。左翼の人はそういう姿勢に陥りがちですが。
近代国家に相応しく、昭和天皇以降は側室を排されたのです。もともと、側室を設けよという法があった訳ではありませんので、禁止する法律も必要なく、因習は廃すれば良いだけでした。
皇統譜は国民ではないからですし、国政に関与しない以上参政権も無し、バレなきゃ良かろうってもんじゃないのです。
No title
御新茶磨 さん
*近代国家に相応しく、昭和天皇以降は側室を排されたのです。
近代国家は、個人の尊重を義務付けられている法的統治団体です。
天皇及び皇族も国民と等しく個人として尊重される存在であるべきです。
にも拘らず、象徴として奉られるのは矛盾です。
側室制度の因習だけではなく、天皇制という因習も辞退されるべきかと?
*近代国家に相応しく、昭和天皇以降は側室を排されたのです。
近代国家は、個人の尊重を義務付けられている法的統治団体です。
天皇及び皇族も国民と等しく個人として尊重される存在であるべきです。
にも拘らず、象徴として奉られるのは矛盾です。
側室制度の因習だけではなく、天皇制という因習も辞退されるべきかと?
伝統と因習の違い
民主主義国家は、立憲君主制の君主から一切の政治的権能を奪うことで、民主主義と君主制との折り合いを付け、最高権力者と最高権威者とを分けたのです。
最高権力者が最高権威者を兼ねる国、例えば、トランプ・プーチン・習近平・マクロンの国よりも、両者を分けた日英蘭スウェーデンなどの方が国家の安定性は上です。
因習か伝統かは、現在の社会に良い影響をもたらしているかどうかで区別されます。我が国の最高権力者である安倍晋三総理大臣に最高権威者を兼ねて頂き、平和を願う陛下のお言葉よりも、安倍総理の勇ましいお言葉を聞きたくなったなら、主権者ですので改憲して天皇制を廃することも可能ではあります。
天皇皇族が人権を制約されるのは恐縮の至りではありますが、その地位を、喜びを持ってお引き受け頂いているのはありがたいことだと思います。この敬意と親愛と信頼に基づく相思相愛の関係は、夫婦関係と同様、相互の努力によって続いて行くものなのです。
最高権力者が最高権威者を兼ねる国、例えば、トランプ・プーチン・習近平・マクロンの国よりも、両者を分けた日英蘭スウェーデンなどの方が国家の安定性は上です。
因習か伝統かは、現在の社会に良い影響をもたらしているかどうかで区別されます。我が国の最高権力者である安倍晋三総理大臣に最高権威者を兼ねて頂き、平和を願う陛下のお言葉よりも、安倍総理の勇ましいお言葉を聞きたくなったなら、主権者ですので改憲して天皇制を廃することも可能ではあります。
天皇皇族が人権を制約されるのは恐縮の至りではありますが、その地位を、喜びを持ってお引き受け頂いているのはありがたいことだと思います。この敬意と親愛と信頼に基づく相思相愛の関係は、夫婦関係と同様、相互の努力によって続いて行くものなのです。
No title
御新茶磨 さん
*立憲君主制の君主から一切の政治的権能を奪うことで、民主主義と君主制との折り合いを付け、最高権力者と最高権威者とを分けたのです。
天皇さんは君主ではありませんよ。
従って、天皇さんは最高権威者ではありません。
象徴=主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。
「もの」ですから人格は否定されています。
人格否定の地位を、喜びを持ってお引き受け頂いているのですか?
訳が分かりません。マゾ?
*立憲君主制の君主から一切の政治的権能を奪うことで、民主主義と君主制との折り合いを付け、最高権力者と最高権威者とを分けたのです。
天皇さんは君主ではありませんよ。
従って、天皇さんは最高権威者ではありません。
象徴=主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。
「もの」ですから人格は否定されています。
人格否定の地位を、喜びを持ってお引き受け頂いているのですか?
訳が分かりません。マゾ?
他国の王との違いは。
君主という言葉を使う必要はありませんが、天皇も、種類としては、後期立憲君主型の権限がない君主の一つでしょう。それとも、イギリスやオランダやスペインやデンマークやスェーデンの王様とどこか違うのでしょうか。但し、日本の場合、ローマ法王を兼ねているような、祭祀王ではありますが。
最高の権威者なので、勲章くれたり、総理や最高裁長官を任命したりされてますね。トランプ大統領も習近平国家主席も会いたがるのはそういうことでしょ。
人間を、象徴即ちクリスチャンにとっての十字架にあたるものにしたので、人格があるのは当然です。戦後の昭和の天皇も、平成の天皇も、令和の天皇も同じに見えている人は、自分の目を疑った方が良いでしょう。
天皇陛下は、モノではありませんし、その人格に国民の多くは敬愛を抱いているのです。
民間から入ったお妃が、二人も続いて、失語症や適応障害になる厳しい世界を喜んでお引き受け下さっているのですから、常人の精神力でないことは確かだと思いますが、国民への敬愛と信頼が喜びのもとであったと上皇陛下は述懐されておられましたよね。そのお言葉をどう受け止めるのかは各自の人格次第だと思います。
貴兄が、訳がわからずマゾと受け止めたなら、それが貴兄なりの理解なのだと思うだけです。
最高の権威者なので、勲章くれたり、総理や最高裁長官を任命したりされてますね。トランプ大統領も習近平国家主席も会いたがるのはそういうことでしょ。
人間を、象徴即ちクリスチャンにとっての十字架にあたるものにしたので、人格があるのは当然です。戦後の昭和の天皇も、平成の天皇も、令和の天皇も同じに見えている人は、自分の目を疑った方が良いでしょう。
天皇陛下は、モノではありませんし、その人格に国民の多くは敬愛を抱いているのです。
民間から入ったお妃が、二人も続いて、失語症や適応障害になる厳しい世界を喜んでお引き受け下さっているのですから、常人の精神力でないことは確かだと思いますが、国民への敬愛と信頼が喜びのもとであったと上皇陛下は述懐されておられましたよね。そのお言葉をどう受け止めるのかは各自の人格次第だと思います。
貴兄が、訳がわからずマゾと受け止めたなら、それが貴兄なりの理解なのだと思うだけです。
再読愚考:元号問題大激論 20-17
<御新茶磨さんのコメント>
今、平成の終わりを迎えて、まあ、いい時代でしたよね。いろいろな評価はあり得るけれど、陛下がおっしゃったように、戦争が無い時代で何よりでした。
令和の時代が終わるとき、正に平「和」な良い時代だったと振り返れるのか、命令の令だったと思うのか、どんな時代を作っていくかは主権者である私達国民次第。「和」やかに、令年をお迎えしたいものですね。
↑
フム。
こういう時代の「記憶」のしかたはありだと思う。
<NANAさんのコメント>
そういったところ(安倍総理の国会質疑)にも、私は安倍政権の説明責任の欠如と強権的、統制的な政治姿勢を感じますね。
↑
まあ、そうですなあ。
<御新茶磨さんのコメント>
目的が宗教的意義を持ち、効果が特定の宗教を助長等するものでなければ合憲というのが通説で、目的効果基準による合憲判例が幾つも出ていたかと思います。伊勢神宮参拝も、この基準からすれば合憲でしょう。
↑
たしかに目的効果基準が通説。
<御新茶磨さんのコメント>
天皇に人権無しとまでおっしゃる方がいるとは、サヨクの天皇嫌いには付いて行けません。外国人の人権だって、国民であるが故のものは認められないけれど、出来るだけ広く認めるようにしようというのが人権感覚というものだと思います。天皇・皇族も、その地位故の制約はありますが、なるべく広く人権をお認めしようというのが普通の感性でしょう。
民間から皇族になった二人の女性が、失語症や適応障害になるほどの大変なお仕事であることが全然わかっていないのだものなア。
↑
全く同感。
<参考コメント>
覧古考新:猪野先生はその点は感じられないのだろうか?<2018/04/12(22:45)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
再読愚考:日本で二番目にストレスの多い職業<2019/08/12(22:35)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3828.html
<御新茶磨さんのコメント>
天皇の歴史や、皇族の人権については、むしろお詳しい方にお願いしたいけれど、御夫婦の在り方については、普通の国民の一人に過ぎない私でも自信をもって、素晴らしいと太鼓判です。
↑
この感覚自体は、よくわかる。
私も賛成だ。
ただ、それは「現代の聖家族としての象徴天皇」という天皇制の枠の中で語られていることは認識しておいたほうがよい。
(つづく)
今、平成の終わりを迎えて、まあ、いい時代でしたよね。いろいろな評価はあり得るけれど、陛下がおっしゃったように、戦争が無い時代で何よりでした。
令和の時代が終わるとき、正に平「和」な良い時代だったと振り返れるのか、命令の令だったと思うのか、どんな時代を作っていくかは主権者である私達国民次第。「和」やかに、令年をお迎えしたいものですね。
↑
フム。
こういう時代の「記憶」のしかたはありだと思う。
<NANAさんのコメント>
そういったところ(安倍総理の国会質疑)にも、私は安倍政権の説明責任の欠如と強権的、統制的な政治姿勢を感じますね。
↑
まあ、そうですなあ。
<御新茶磨さんのコメント>
目的が宗教的意義を持ち、効果が特定の宗教を助長等するものでなければ合憲というのが通説で、目的効果基準による合憲判例が幾つも出ていたかと思います。伊勢神宮参拝も、この基準からすれば合憲でしょう。
↑
たしかに目的効果基準が通説。
<御新茶磨さんのコメント>
天皇に人権無しとまでおっしゃる方がいるとは、サヨクの天皇嫌いには付いて行けません。外国人の人権だって、国民であるが故のものは認められないけれど、出来るだけ広く認めるようにしようというのが人権感覚というものだと思います。天皇・皇族も、その地位故の制約はありますが、なるべく広く人権をお認めしようというのが普通の感性でしょう。
民間から皇族になった二人の女性が、失語症や適応障害になるほどの大変なお仕事であることが全然わかっていないのだものなア。
↑
全く同感。
<参考コメント>
覧古考新:猪野先生はその点は感じられないのだろうか?<2018/04/12(22:45)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
再読愚考:日本で二番目にストレスの多い職業<2019/08/12(22:35)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3828.html
<御新茶磨さんのコメント>
天皇の歴史や、皇族の人権については、むしろお詳しい方にお願いしたいけれど、御夫婦の在り方については、普通の国民の一人に過ぎない私でも自信をもって、素晴らしいと太鼓判です。
↑
この感覚自体は、よくわかる。
私も賛成だ。
ただ、それは「現代の聖家族としての象徴天皇」という天皇制の枠の中で語られていることは認識しておいたほうがよい。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-18
<なごやんのコメント>
私自身は「主の年」派であり、和暦の使用は避けているが、日本語の「縦書き」文化には和暦のほうがなじむ気がする。
<rotさんのコメント>
朝日朝刊の一面を見ての私の感想は縦書きでも西暦は使いやすいし便利ではないだろうかという事でした。
↑
これは個人的な感想だから、わたしとrotさんどちらの感じ方が正しい、間違っているということはない。
まあ、新聞はわかりやすさを重視するので算用数字を多用するという点は分かる。
ただ、書道など芸術分野だと、やはり漢数字で和暦のほうがなじむでしょう。
<御新茶磨さんのコメント>
例えて言えば、日本て、誰も登って来ないようなところに咲く可憐な高山植物みたいなもので、世界史的に見れば、バラやヒマワリではなく、大したことないと言えば大したことないし、こんなはずれにこんなに長く続いた高度な文化が栄えたのは大したことだと言えば大したもんでもありましょう。
↑
実を言うと我が国の世界史(東洋史)への正式なデビューは紀元8世紀とかなり遅い。
これはチベットと変わりがない。
(ゆうじさんがわが国の歴史を1300年と記すのは同じ歴史認識から来るものと思う。)
その後、現代では我が国が先進国のひとつと数えられ、チベットがへき地の代名詞のごとく言われているのは、「海」があるかないかにかかっている。
まさに「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」ということ。
<参考コメント>
再読愚考:通奏低音のように 再考 3-3<2019/07/01(06:42)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3646.html
<ひまわりさんのコメント>
以前も言いましたがこの傾向は日の丸や君が代そして皇室関係の話にも同様な反応を起こします。そしてきまって近代戦争関連を持ち出すのです。これは左派の方々の特徴でもあるのでしょう。まるでお約束のようです。
↑
「四重の入れ子構造」を持っている天皇制について、「近代の国家君主としての天皇」に絞って見るとこうなる。
(つづく)
私自身は「主の年」派であり、和暦の使用は避けているが、日本語の「縦書き」文化には和暦のほうがなじむ気がする。
<rotさんのコメント>
朝日朝刊の一面を見ての私の感想は縦書きでも西暦は使いやすいし便利ではないだろうかという事でした。
↑
これは個人的な感想だから、わたしとrotさんどちらの感じ方が正しい、間違っているということはない。
まあ、新聞はわかりやすさを重視するので算用数字を多用するという点は分かる。
ただ、書道など芸術分野だと、やはり漢数字で和暦のほうがなじむでしょう。
<御新茶磨さんのコメント>
例えて言えば、日本て、誰も登って来ないようなところに咲く可憐な高山植物みたいなもので、世界史的に見れば、バラやヒマワリではなく、大したことないと言えば大したことないし、こんなはずれにこんなに長く続いた高度な文化が栄えたのは大したことだと言えば大したもんでもありましょう。
↑
実を言うと我が国の世界史(東洋史)への正式なデビューは紀元8世紀とかなり遅い。
これはチベットと変わりがない。
(ゆうじさんがわが国の歴史を1300年と記すのは同じ歴史認識から来るものと思う。)
その後、現代では我が国が先進国のひとつと数えられ、チベットがへき地の代名詞のごとく言われているのは、「海」があるかないかにかかっている。
まさに「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」ということ。
<参考コメント>
再読愚考:通奏低音のように 再考 3-3<2019/07/01(06:42)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3646.html
<ひまわりさんのコメント>
以前も言いましたがこの傾向は日の丸や君が代そして皇室関係の話にも同様な反応を起こします。そしてきまって近代戦争関連を持ち出すのです。これは左派の方々の特徴でもあるのでしょう。まるでお約束のようです。
↑
「四重の入れ子構造」を持っている天皇制について、「近代の国家君主としての天皇」に絞って見るとこうなる。
(つづく)
No title
*イギリスやオランダやスペインやデンマークやスェーデンの王様とどこか違うのでしょうか。
君主制とは、ある政治共同体において世襲の君主が主権を持つ政治形態[3]。
イギリスは、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国という正式名があり、エリザベス女王は立憲君主です。
つまり主権者なのですよ。しかも相当の資産家です。
これに対して
天皇は主権を持ちません。単なる象徴です。
資産はありません。
皇居は国有地です。
皇室経済法という法律で内廷費というお手元金で生活しています。
君主制とは、ある政治共同体において世襲の君主が主権を持つ政治形態[3]。
イギリスは、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国という正式名があり、エリザベス女王は立憲君主です。
つまり主権者なのですよ。しかも相当の資産家です。
これに対して
天皇は主権を持ちません。単なる象徴です。
資産はありません。
皇居は国有地です。
皇室経済法という法律で内廷費というお手元金で生活しています。
英国女王に政治的権限はないでしょう。
イギリス女王も後期の立憲君主ですので政治的な権限はありませんでしょう。他の王様も同じです。
フォークランド紛争をやったのはサッチャー首相でしたし、EU離脱問題もエリザベス女王が実質的に決める訳でもないでしょうに。
後期型の立憲君主かどうかが、資産の高で決まる訳でもないでしょう。
フォークランド紛争をやったのはサッチャー首相でしたし、EU離脱問題もエリザベス女王が実質的に決める訳でもないでしょうに。
後期型の立憲君主かどうかが、資産の高で決まる訳でもないでしょう。
No title
御新茶磨 さん
*イギリス女王も後期の立憲君主ですので政治的な権限はありませんでしょう
イギリス女王は主権を持っている君主ですよ。ただ、1215年マグナカルタ以来、憲法によりその主権が制限され国王も法の支配を受けているのです。これが世界の常識です。
これに対して日本国の場合には国民主権ですよね。
憲法第1条ぐらい読んだことがあるでしょう。
大日本帝国の天皇は主権者でしたが、戦争で君主の否定され、その地位を降りざるを得なかったのですよ。当然に資産も失いました。
よって天皇にはヨーロッパの君主たちがする国王の自主的な多額の寄付の文化もありません。
*イギリス女王も後期の立憲君主ですので政治的な権限はありませんでしょう
イギリス女王は主権を持っている君主ですよ。ただ、1215年マグナカルタ以来、憲法によりその主権が制限され国王も法の支配を受けているのです。これが世界の常識です。
これに対して日本国の場合には国民主権ですよね。
憲法第1条ぐらい読んだことがあるでしょう。
大日本帝国の天皇は主権者でしたが、戦争で君主の否定され、その地位を降りざるを得なかったのですよ。当然に資産も失いました。
よって天皇にはヨーロッパの君主たちがする国王の自主的な多額の寄付の文化もありません。
天皇・皇族と基本的人権
さらに根本的な問題として、天皇・皇族は憲法上の基本的人権を有するかという問題がある。
憲法第三章は、およそ人間が人間として生まれながら有すべき基本的人権を日本国民に対して保障しているものである。
従って、天皇が神性を否定して人間となったとされる以上は、天皇もこの意味における基本的人権の享有を妨げられるということはない。
たとえば天皇も個人として尊重され(第十三条)、思想・良心・信教・学問の自由(第十九条・第二十条・第二十三条)などを保障され、また財産権(第二十九条)も保障される。
しかし天皇は必ずしもあらゆる基本的人権を享有するものではない。
たとえば、天皇は選挙権・被選挙権は有しないし、特定の政党に加入する自由(第二十一条)は有しないし、外国に移住する自由や国籍を離脱する自由(第二十二条)は有しないというべきである。
これらは天皇の象徴たる地位からの例外である。
すなわち天皇はその象徴たる地位から、国政に対するあらゆる能動性を有しないものとされているのであり、天皇が選挙権を行使して特定の政党の候補者に投票したり、特定の政党に加入して政治活動に参加することなどは、結局において、国政に関与することとなり、「国政に関する権能を有しない」(第四条)という地位に反するというべきである。
また「日本国民統合の象徴」(第一条)たる天皇が、その地位のままで、外国に移住したり、日本の国籍を離脱したりすることは許されない。
天皇の婚姻および皇族男子の婚姻は、両性の合意のみで成立する(第二十四条第一項)のではなく、皇室会議の議を経なければならない(皇室典範第十条)。
このように、天皇はその象徴たる地位から、基本的人権の享有について一定の制約を受ける。
天皇以外の皇族も、人間として基本的人権を享有する。
問題は、天皇が享有し得ない基本的人権を、皇族は享有し得るかである。
なぜなら、皇族は天皇とは異なり象徴ではないからである。
しかし、皇族は象徴ではないにしても、皇位継承の資格を有するものとして、天皇に最も親近の地位にあり、その意味において、皇族の行動は、象徴たる天皇の地位に深い関係をもつ。
たとえば、将来皇位につくべき皇太子や天皇の配偶者である皇后が現に天皇でないという理由から、たとえば特定の政党に加入したりすることは、象徴たる天皇の非政治性を害することとなると考えられる。
すなわち、これらの皇族の活動は、その天皇との親近性から、一定の制約を受けざるを得ない。
従って、同じ皇族であるにしても、天皇との親近性が比較的に遠いものについては、この制約の程度がその距離に比例して、減少するものと考えてよいであろう。どのような権利や自由を、これらの皇族が享有するかということは、個々の場合について、具体的に決定するよりほかはない。
〔佐藤 功著『全訂新版 日本国憲法概説』 学陽書房 より引用〕
この叙述に基づけば天皇は象徴としての地位にある限り基本的人権の全面的な享有は出来ない、また皇族も天皇との親近性から、やはり基本的人権の全面的な享有は出来ない、ということです。
また歴史科学協議会編『天皇・天皇制をよむ』東大出版会、の一項目、
「皇室・皇族の「人格」「人権」-世襲制と「公務」 (青木哲夫)では次のように述べられています。
《皇位世襲制の矛盾》
もちろん、天皇であれ、その家族、親族であれ、人間である以上、人格・人権は守られなくてはならない。だが現実にはそうなっていない。・・・(中略)・・・皇室典範や関連する現行制度が問題であるのだが、では、それらの制度を改正・改善すれば皇室・皇族の人格・人権は守られるのだろうか。皇室典範や現行制度が、おおもとのところでは皇位の世襲制に発していることを見逃してはならないと思われる。
いわゆる「お世継ぎ」問題に関して考えてみる。
まず天皇という地位が世襲であると定めているのは日本国憲法第二条である。
したがって、天皇の地位の存続を前提とする限り、血縁の継承は、この家族・親族全体にとっては必須のもの、義務的なものである。
もとより、皇室・皇族内の女性(それも特定の女性)だけがその責任を負うものではないが、皇室・皇族全体としては責任があると考えられる。
特定の血族の世襲を定めている以上、子孫の保持や職業選択への規制はやむをえないし、離脱の完全な自由も認める事はできない。
・・・(中略)・・・
《象徴天皇制と基本的人権》
皇室・皇族の人権をめぐる問題は、天皇制という世襲制度と基本的人権保障の矛盾のなかにある。
「これらの人びとには、平等であるふつうの市民に適用されるべき”人権„規定はまともには適用されない構造になっている。
一般市民とは隔絶した特別な存在であるから、もともと私たちとは平等ではないのである。」(奥平2004年、73頁)奥平康広「「天皇の世継ぎ」問題がはらむもの」(『世界』2004年8月号)
人格人権が認められない人々がいる事は、それが誰であっても、改められなくてはならないことである。
そのためには、何が必要か?
根本にもどって考える必要があると思われる。
憲法第三章は、およそ人間が人間として生まれながら有すべき基本的人権を日本国民に対して保障しているものである。
従って、天皇が神性を否定して人間となったとされる以上は、天皇もこの意味における基本的人権の享有を妨げられるということはない。
たとえば天皇も個人として尊重され(第十三条)、思想・良心・信教・学問の自由(第十九条・第二十条・第二十三条)などを保障され、また財産権(第二十九条)も保障される。
しかし天皇は必ずしもあらゆる基本的人権を享有するものではない。
たとえば、天皇は選挙権・被選挙権は有しないし、特定の政党に加入する自由(第二十一条)は有しないし、外国に移住する自由や国籍を離脱する自由(第二十二条)は有しないというべきである。
これらは天皇の象徴たる地位からの例外である。
すなわち天皇はその象徴たる地位から、国政に対するあらゆる能動性を有しないものとされているのであり、天皇が選挙権を行使して特定の政党の候補者に投票したり、特定の政党に加入して政治活動に参加することなどは、結局において、国政に関与することとなり、「国政に関する権能を有しない」(第四条)という地位に反するというべきである。
また「日本国民統合の象徴」(第一条)たる天皇が、その地位のままで、外国に移住したり、日本の国籍を離脱したりすることは許されない。
天皇の婚姻および皇族男子の婚姻は、両性の合意のみで成立する(第二十四条第一項)のではなく、皇室会議の議を経なければならない(皇室典範第十条)。
このように、天皇はその象徴たる地位から、基本的人権の享有について一定の制約を受ける。
天皇以外の皇族も、人間として基本的人権を享有する。
問題は、天皇が享有し得ない基本的人権を、皇族は享有し得るかである。
なぜなら、皇族は天皇とは異なり象徴ではないからである。
しかし、皇族は象徴ではないにしても、皇位継承の資格を有するものとして、天皇に最も親近の地位にあり、その意味において、皇族の行動は、象徴たる天皇の地位に深い関係をもつ。
たとえば、将来皇位につくべき皇太子や天皇の配偶者である皇后が現に天皇でないという理由から、たとえば特定の政党に加入したりすることは、象徴たる天皇の非政治性を害することとなると考えられる。
すなわち、これらの皇族の活動は、その天皇との親近性から、一定の制約を受けざるを得ない。
従って、同じ皇族であるにしても、天皇との親近性が比較的に遠いものについては、この制約の程度がその距離に比例して、減少するものと考えてよいであろう。どのような権利や自由を、これらの皇族が享有するかということは、個々の場合について、具体的に決定するよりほかはない。
〔佐藤 功著『全訂新版 日本国憲法概説』 学陽書房 より引用〕
この叙述に基づけば天皇は象徴としての地位にある限り基本的人権の全面的な享有は出来ない、また皇族も天皇との親近性から、やはり基本的人権の全面的な享有は出来ない、ということです。
また歴史科学協議会編『天皇・天皇制をよむ』東大出版会、の一項目、
「皇室・皇族の「人格」「人権」-世襲制と「公務」 (青木哲夫)では次のように述べられています。
《皇位世襲制の矛盾》
もちろん、天皇であれ、その家族、親族であれ、人間である以上、人格・人権は守られなくてはならない。だが現実にはそうなっていない。・・・(中略)・・・皇室典範や関連する現行制度が問題であるのだが、では、それらの制度を改正・改善すれば皇室・皇族の人格・人権は守られるのだろうか。皇室典範や現行制度が、おおもとのところでは皇位の世襲制に発していることを見逃してはならないと思われる。
いわゆる「お世継ぎ」問題に関して考えてみる。
まず天皇という地位が世襲であると定めているのは日本国憲法第二条である。
したがって、天皇の地位の存続を前提とする限り、血縁の継承は、この家族・親族全体にとっては必須のもの、義務的なものである。
もとより、皇室・皇族内の女性(それも特定の女性)だけがその責任を負うものではないが、皇室・皇族全体としては責任があると考えられる。
特定の血族の世襲を定めている以上、子孫の保持や職業選択への規制はやむをえないし、離脱の完全な自由も認める事はできない。
・・・(中略)・・・
《象徴天皇制と基本的人権》
皇室・皇族の人権をめぐる問題は、天皇制という世襲制度と基本的人権保障の矛盾のなかにある。
「これらの人びとには、平等であるふつうの市民に適用されるべき”人権„規定はまともには適用されない構造になっている。
一般市民とは隔絶した特別な存在であるから、もともと私たちとは平等ではないのである。」(奥平2004年、73頁)奥平康広「「天皇の世継ぎ」問題がはらむもの」(『世界』2004年8月号)
人格人権が認められない人々がいる事は、それが誰であっても、改められなくてはならないことである。
そのためには、何が必要か?
根本にもどって考える必要があると思われる。
世界の常識を教わる私
エーッ、イギリスって国民主権じゃなかったのオ~?民主主義国なのに―?オランダもスェーデンもスペインも、王様の居る国はみんなそうなのオ~。
現代の先進国は民主主義国で、国民主権なので、国王は仮に形式上は主権者とされている国があるのだとしても、実質的には、政治的な権能をすべて失い、権威だけの存在になっているのだとばかり思い込んでおりました。
スゴイ世界の常識を教わってしまった気がします。
たしか、アイルランド独立投票の時、エリザベス女王が独立を悲しむお言葉を述べたことが政治的発言だと問題になったような記事を読みましたが、主権者である女王様を差し置いて、EU離脱とか唱えている人は不敬罪とかギロチンとかなのお?
現代の先進国は民主主義国で、国民主権なので、国王は仮に形式上は主権者とされている国があるのだとしても、実質的には、政治的な権能をすべて失い、権威だけの存在になっているのだとばかり思い込んでおりました。
スゴイ世界の常識を教わってしまった気がします。
たしか、アイルランド独立投票の時、エリザベス女王が独立を悲しむお言葉を述べたことが政治的発言だと問題になったような記事を読みましたが、主権者である女王様を差し置いて、EU離脱とか唱えている人は不敬罪とかギロチンとかなのお?
左翼の皇族人権論の特徴について
rotさんは、佐藤功先生の日本国憲法概説をお持ちなのだナア。私も、司法試験の人権の基本書はこれでした。統治は清宮、30年以上昔の時代ですが。
天皇皇族も人権を人間である以上有するが、その地位に基づく一定の制約を受けること、そのこと自体は、お世継ぎ問題を含め、真に心苦しいことであるところまでは認識は共通ですネ。
ただ、左翼が天皇・皇族の人権を論じるときに特徴的なのは、あくまでも天皇制廃止という目的実現の手段として、人権を口実に使っているだけなので、人権の享有主体である御本人達の意思をまるっきり無視してしまうところです。
皇族の誰かが、皇族を辞めて他の職業につきたいとおっしゃっているでしょうか。そういう方が現れたとき、皇室典範に離脱の手続きを設けて差し上げれば足る話のはずなのに。
皆さん、やりがいを感じて、自らの務めをお引き受け下さっていらっしゃるのがわかられないとは、左翼の人もさすがにおっしゃらないのでしょうに。
別れたくない御夫婦にも、離婚規定を設けよという無粋な底意地の悪さは、雅子皇太子妃に離婚を勧めていた男系派とウマが合いそうですね。
左翼って、天皇・皇室のことになるとどうしてそんなに意地悪になるのか知らねえ。30年近くに亘って、国会開会式のお言葉を欠席するなんて、子供の世界じゃシカトって言うんでしょ、イジメよね、主権者である国民統合の象徴に対する。人権なんて、どの口が言う、ですよねー。
国民への敬愛と信頼を以って象徴天皇としての務め得たことは幸せでしたとおっしゃって下さった上皇陛下のお言葉は、皇族方にも共通する感慨でしょう。サヨクは、平和を願うお言葉は都合よく利用するくせに、こういうお言葉は聞き流しますよね。
本人の意思のないところに、どんな人権があるっていうのかなあ。人権を尊重するのなら、まずは、御本人の意思になるべく沿うように計らおうとするのが当然でしょうに。
もちろん、子供が欲しくないという皇族に妊娠を強要したり、こんな人権無視の偽善者達とは付き合い切れんと外国に移住したいと決意されたのに皇籍離脱を認めなかったりという事態が生じた場合には、そこまで人間を犠牲にすべきではないと思いますので、私も天皇制廃止の改憲論者となるつもりです。
でも、そんな事態にはなっていないので、皇室と国民との相思相愛の関係を大事にしつつ、今のところは護憲、2/3を僅かに切らせただけの現状では、山尾立憲的加憲案にもエールを送りつつ。
天皇皇族も人権を人間である以上有するが、その地位に基づく一定の制約を受けること、そのこと自体は、お世継ぎ問題を含め、真に心苦しいことであるところまでは認識は共通ですネ。
ただ、左翼が天皇・皇族の人権を論じるときに特徴的なのは、あくまでも天皇制廃止という目的実現の手段として、人権を口実に使っているだけなので、人権の享有主体である御本人達の意思をまるっきり無視してしまうところです。
皇族の誰かが、皇族を辞めて他の職業につきたいとおっしゃっているでしょうか。そういう方が現れたとき、皇室典範に離脱の手続きを設けて差し上げれば足る話のはずなのに。
皆さん、やりがいを感じて、自らの務めをお引き受け下さっていらっしゃるのがわかられないとは、左翼の人もさすがにおっしゃらないのでしょうに。
別れたくない御夫婦にも、離婚規定を設けよという無粋な底意地の悪さは、雅子皇太子妃に離婚を勧めていた男系派とウマが合いそうですね。
左翼って、天皇・皇室のことになるとどうしてそんなに意地悪になるのか知らねえ。30年近くに亘って、国会開会式のお言葉を欠席するなんて、子供の世界じゃシカトって言うんでしょ、イジメよね、主権者である国民統合の象徴に対する。人権なんて、どの口が言う、ですよねー。
国民への敬愛と信頼を以って象徴天皇としての務め得たことは幸せでしたとおっしゃって下さった上皇陛下のお言葉は、皇族方にも共通する感慨でしょう。サヨクは、平和を願うお言葉は都合よく利用するくせに、こういうお言葉は聞き流しますよね。
本人の意思のないところに、どんな人権があるっていうのかなあ。人権を尊重するのなら、まずは、御本人の意思になるべく沿うように計らおうとするのが当然でしょうに。
もちろん、子供が欲しくないという皇族に妊娠を強要したり、こんな人権無視の偽善者達とは付き合い切れんと外国に移住したいと決意されたのに皇籍離脱を認めなかったりという事態が生じた場合には、そこまで人間を犠牲にすべきではないと思いますので、私も天皇制廃止の改憲論者となるつもりです。
でも、そんな事態にはなっていないので、皇室と国民との相思相愛の関係を大事にしつつ、今のところは護憲、2/3を僅かに切らせただけの現状では、山尾立憲的加憲案にもエールを送りつつ。
再読愚考:元号問題大激論 20-19
<ひまわりさんのコメント>
このような時代の変化の中でも天皇が参拝をしなかったのは様々な理由はありますが、天皇家にとっては伊勢神宮への畏怖であり慣習であると考えるのが自然でしょう。
↑
江戸時代以前は神仏習合が当たり前であり、「天照大神の本地は大日如来」といった説が広く流布されていた。
「蟻の熊野詣」といって熊野三宮への行幸が盛んだったり、御寺とよばれた泉涌寺が皇室ゆかりの寺として尊崇されたりで、伊勢神宮を頂点とした国家神道のイメージは後年できたかなり特殊な形態だと思った方がよい。
いわゆる「創られた伝統」というもの。
<東大さんのコメント>
この(日本国憲法の)価値観は平和主義を前提として個人の権利を最大限に尊重する国家という法的統治で運営するというものです。決して、外国から一方的的に押し付けられたというのは被害妄想です。
↑
ここまではよい。
しかし、
<東大さんのコメント>
故に、天皇は日本国民統合の象徴として、学問や文芸にひたすら尽くし存在。常陸宮さんのように、大学の実験室で研究する存在が最も妥当というべきでしょう。被災地の訪問は政治家の役割です。象徴の役割ではありません。
↑
これは賛成できない。
徳川幕藩体制のあり方から天皇のあるべき姿を引張ってくるのは無理がある。
それに、安倍総理が被災地に訪問してカメラ目線で握手しても、ぜんぜんありがたくない。
やはり、これは天皇皇后夫妻がそろって被災者を励ましてこそ、絵になるし、かつ人々にとっても元気になるきっかけになるのでは?
<追記>
わたしも被災地支援に何回か現地に行ったことがある。
宗教団体だと、キリスト教・天理教、そして曹洞宗の青年僧侶の姿を必ず見かけた(次点は立正佼成会)。
キリスト教は核になるスタッフがしっかりしており、人繰りがうまく、支援物資の管理がたいへんスムーズ。組織的、合理的な手慣れている感じがした。
天理教は、独特の衣装や、ロゴでそれとわかるのだが、個人個人の動きがたいへんよい。
人がやりたがらない汚れ仕事を前向き、積極的にこなしており、評判がすこぶるいい。
曹洞宗の若手僧侶は一目でわかる。僧衣でなくとも、そもそもオーラが違う。もう、その場にいるだけで空気が変わる。
被災者個人はそれぞれ何らかの不安・心細さを抱えており、僧侶の姿が見えると「お坊さんだ!」と駆け寄ってきて話をしたがる。これは余人にはマネできない。
後で僧侶の一人から聞いた話だが、彼らはみな「聞聴ボランティア」の講習を受けているそうで、人々の不安を和らげ、励ます技術を磨いているのだそうだ。
なお、これらの宗教団体は現地では絶対布教活動は行わない。
人が困っているところに親切顔で近寄り、自らの信仰を押し付ける悪い意味での「新興宗教」のようなマネはしない。
それぞれの宗教のもっている「助け合い」とか「思いやり」の考え方から行っているボランティア活動であり、対価など一切期待していない。
(つづく)
このような時代の変化の中でも天皇が参拝をしなかったのは様々な理由はありますが、天皇家にとっては伊勢神宮への畏怖であり慣習であると考えるのが自然でしょう。
↑
江戸時代以前は神仏習合が当たり前であり、「天照大神の本地は大日如来」といった説が広く流布されていた。
「蟻の熊野詣」といって熊野三宮への行幸が盛んだったり、御寺とよばれた泉涌寺が皇室ゆかりの寺として尊崇されたりで、伊勢神宮を頂点とした国家神道のイメージは後年できたかなり特殊な形態だと思った方がよい。
いわゆる「創られた伝統」というもの。
<東大さんのコメント>
この(日本国憲法の)価値観は平和主義を前提として個人の権利を最大限に尊重する国家という法的統治で運営するというものです。決して、外国から一方的的に押し付けられたというのは被害妄想です。
↑
ここまではよい。
しかし、
<東大さんのコメント>
故に、天皇は日本国民統合の象徴として、学問や文芸にひたすら尽くし存在。常陸宮さんのように、大学の実験室で研究する存在が最も妥当というべきでしょう。被災地の訪問は政治家の役割です。象徴の役割ではありません。
↑
これは賛成できない。
徳川幕藩体制のあり方から天皇のあるべき姿を引張ってくるのは無理がある。
それに、安倍総理が被災地に訪問してカメラ目線で握手しても、ぜんぜんありがたくない。
やはり、これは天皇皇后夫妻がそろって被災者を励ましてこそ、絵になるし、かつ人々にとっても元気になるきっかけになるのでは?
<追記>
わたしも被災地支援に何回か現地に行ったことがある。
宗教団体だと、キリスト教・天理教、そして曹洞宗の青年僧侶の姿を必ず見かけた(次点は立正佼成会)。
キリスト教は核になるスタッフがしっかりしており、人繰りがうまく、支援物資の管理がたいへんスムーズ。組織的、合理的な手慣れている感じがした。
天理教は、独特の衣装や、ロゴでそれとわかるのだが、個人個人の動きがたいへんよい。
人がやりたがらない汚れ仕事を前向き、積極的にこなしており、評判がすこぶるいい。
曹洞宗の若手僧侶は一目でわかる。僧衣でなくとも、そもそもオーラが違う。もう、その場にいるだけで空気が変わる。
被災者個人はそれぞれ何らかの不安・心細さを抱えており、僧侶の姿が見えると「お坊さんだ!」と駆け寄ってきて話をしたがる。これは余人にはマネできない。
後で僧侶の一人から聞いた話だが、彼らはみな「聞聴ボランティア」の講習を受けているそうで、人々の不安を和らげ、励ます技術を磨いているのだそうだ。
なお、これらの宗教団体は現地では絶対布教活動は行わない。
人が困っているところに親切顔で近寄り、自らの信仰を押し付ける悪い意味での「新興宗教」のようなマネはしない。
それぞれの宗教のもっている「助け合い」とか「思いやり」の考え方から行っているボランティア活動であり、対価など一切期待していない。
(つづく)
再読愚考:元号問題大激論 20-20
<なごやんのコメント>
わたしは「質の高い平和」を求めるべきだと思う。単に「戦争がない状態」という消極的な意味ではなく、もっと積極的、アグレッシブな「平和」を。その先頭の旗印には「平和憲法」が相応しいと思う。
「平和とは永遠の闘争である」(ホセ・フィゲーレス・フェレール)
<ひまわりさんのコメント>
(なごやんのコメントに)素晴らしいと思います。しかし私にはハードルがとてもとても高いです。私はもっと足元をみたいです。それは「大切にしているものをお互い認め合うこと」です。
<なごやんのコメント>
(ひまわりさんのコメントに)それはよろしいんじゃないでしょうか。わたしは「認めます」ね。私自身はこの記事・コメントを読んで、西暦と「主の年」は同じもののはずなのだが、「暦の意味性」という点では、和暦派と主の年派のほうが近いと感じた。
↑
和暦派であるひまわりさんと「和暦はなるべく使わない西暦を使う」と明言してるなごやんのコメントがかみ合っている。
これは皮肉な話だが、
>西暦がキリスト教に由来しているかどうかは、別にどうでもいい話です。共通の尺度以上の意味はありません。
とバッサリ「暦の意味性」を切り捨てている猪野先生にはやはり賛成はできない。
この後は、東大さんとバルディオスさんの憲法に関する「無限ダイアローグ芸」が展開される。
これは記事がフェードアウトするいつもの後奏のようなものだから、付言しない。
今回読み返してみて、御新茶麿さんとは意外と感覚があっているように思えてきた。
最近の徴用工をめぐる問題についても、ほぼなごやんと同じような見解を御新茶麿さんは持っている。
また、特にギャグについては、同じオヤジ系の臭いがする。
「外道照身霊破光線!汝の本性みたり!」と片割月さんに嫌われちゃったペアとして、「ばぁれたかぁ〜」と昭和系のギャグを飛ばして、今後も頑張っていきたい。
【再読愚考:元号問題大激論:完】
わたしは「質の高い平和」を求めるべきだと思う。単に「戦争がない状態」という消極的な意味ではなく、もっと積極的、アグレッシブな「平和」を。その先頭の旗印には「平和憲法」が相応しいと思う。
「平和とは永遠の闘争である」(ホセ・フィゲーレス・フェレール)
<ひまわりさんのコメント>
(なごやんのコメントに)素晴らしいと思います。しかし私にはハードルがとてもとても高いです。私はもっと足元をみたいです。それは「大切にしているものをお互い認め合うこと」です。
<なごやんのコメント>
(ひまわりさんのコメントに)それはよろしいんじゃないでしょうか。わたしは「認めます」ね。私自身はこの記事・コメントを読んで、西暦と「主の年」は同じもののはずなのだが、「暦の意味性」という点では、和暦派と主の年派のほうが近いと感じた。
↑
和暦派であるひまわりさんと「和暦はなるべく使わない西暦を使う」と明言してるなごやんのコメントがかみ合っている。
これは皮肉な話だが、
>西暦がキリスト教に由来しているかどうかは、別にどうでもいい話です。共通の尺度以上の意味はありません。
とバッサリ「暦の意味性」を切り捨てている猪野先生にはやはり賛成はできない。
この後は、東大さんとバルディオスさんの憲法に関する「無限ダイアローグ芸」が展開される。
これは記事がフェードアウトするいつもの後奏のようなものだから、付言しない。
今回読み返してみて、御新茶麿さんとは意外と感覚があっているように思えてきた。
最近の徴用工をめぐる問題についても、ほぼなごやんと同じような見解を御新茶麿さんは持っている。
また、特にギャグについては、同じオヤジ系の臭いがする。
「外道照身霊破光線!汝の本性みたり!」と片割月さんに嫌われちゃったペアとして、「ばぁれたかぁ〜」と昭和系のギャグを飛ばして、今後も頑張っていきたい。
【再読愚考:元号問題大激論:完】
イタリア→リビアだけなのか。
片割月さんだけに嫌われたのか、全女性の総スカンを食う存在なのか、女性弁護士さんとの女性専用車問題を含め、ヒヤヒヤですが、互いに精進致しましょう。
それはそうと、rot氏が男だったとすると、あとは女性はどなたなのかしら。今後失礼の無いように。
それはそうと、rot氏が男だったとすると、あとは女性はどなたなのかしら。今後失礼の無いように。
人権人権って言うなら
小泉の育休取得権利も認めたらんかい!
って、閣僚に成っちまったから、ダメだな。
ぺーぺー議員ならともかく、大臣だからな。
大臣に人権など、ない。
もちろん皇族にも、ない。
古今東西、為政者や貴族や王とは、そういうもんや。
だから尊敬を集められる。尊敬すべき対象となる。
そもそも人権などというものは、社会に一定の持続的安定と安心感をもたらす為に作られた「設定」や。
話題になったノア・ハラリが言うところの「幻想」や。信じる力って奴や。神や宗教戒律と変わらん。カギカッコつきの「原理原則」であって、そこから外れるモノも居るし、外すべきモノも居る。
形式科学とちゃうねん。あんまり「原理原則」やら「設定」やらを大上段から振りかざしたり、盲信すべきもんやない。
って、閣僚に成っちまったから、ダメだな。
ぺーぺー議員ならともかく、大臣だからな。
大臣に人権など、ない。
もちろん皇族にも、ない。
古今東西、為政者や貴族や王とは、そういうもんや。
だから尊敬を集められる。尊敬すべき対象となる。
そもそも人権などというものは、社会に一定の持続的安定と安心感をもたらす為に作られた「設定」や。
話題になったノア・ハラリが言うところの「幻想」や。信じる力って奴や。神や宗教戒律と変わらん。カギカッコつきの「原理原則」であって、そこから外れるモノも居るし、外すべきモノも居る。
形式科学とちゃうねん。あんまり「原理原則」やら「設定」やらを大上段から振りかざしたり、盲信すべきもんやない。
No title
*そもそも人権などというものは、社会に一定の持続的安定と安心感をもたらす為に作られた「設定」や。
今時、中学生でも人権の意味を学習するはずですが?
しないのですかネ。
マグナカルタ、で絶対君主がらの徴税権に箍をはめて領主の財産権が人権の始まりで、
ピューリタン革命で絶対君主の排除及び富農階級の成立、文化的にはルネサンスを経て宗教にとらわれない自由な人間が確立してそれを犯そうとする君主との闘いで憲法による政治で君主に箍をはめるシステムである立憲君主制の確立。その傾向がアメリカの渡り独立宣言、合衆国憲法で結実。
日本は「憲法草案要綱」を作成した民間グループ。統計学者の高野岩三郎の呼びかけで1945年11月5日に結成された。メンバーは、高野、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵ら。国民主権や生存権規定、寄生的土地所有の廃止などを盛りこんだ改正案の内容にはGHQのスタッフも注目し、GHQ草案作成に大きな影響を与えた。なお、憲法研究会案に満足できなかった高野は、天皇制廃止・大統領制を採用した独自の「改正憲法私案要綱」を雑誌に発表した。
つまり、人権のもとは財産権であったということですよ。
領主もやたらに、戦費調達に異議を述べたのが人権
今時、中学生でも人権の意味を学習するはずですが?
しないのですかネ。
マグナカルタ、で絶対君主がらの徴税権に箍をはめて領主の財産権が人権の始まりで、
ピューリタン革命で絶対君主の排除及び富農階級の成立、文化的にはルネサンスを経て宗教にとらわれない自由な人間が確立してそれを犯そうとする君主との闘いで憲法による政治で君主に箍をはめるシステムである立憲君主制の確立。その傾向がアメリカの渡り独立宣言、合衆国憲法で結実。
日本は「憲法草案要綱」を作成した民間グループ。統計学者の高野岩三郎の呼びかけで1945年11月5日に結成された。メンバーは、高野、馬場恒吾、杉森孝次郎、森戸辰男、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵ら。国民主権や生存権規定、寄生的土地所有の廃止などを盛りこんだ改正案の内容にはGHQのスタッフも注目し、GHQ草案作成に大きな影響を与えた。なお、憲法研究会案に満足できなかった高野は、天皇制廃止・大統領制を採用した独自の「改正憲法私案要綱」を雑誌に発表した。
つまり、人権のもとは財産権であったということですよ。
領主もやたらに、戦費調達に異議を述べたのが人権
No title
天皇とかいう"国営宗教"は廃止すべき
なんてtoutubeが物議を??
検索して視聴してみると、あっと驚く*****
なんてtoutubeが物議を??
検索して視聴してみると、あっと驚く*****
No title
東大さん
>マグナカルタ、で絶対君主がらの徴税権に箍をはめて領主の財産権が人権の始まりで、
ピューリタン革命で絶対君主の排除及び富農階級の成立、文化的にはルネサンスを経て宗教にとらわれない自由な人間が確立してそれを犯そうとする君主との闘いで憲法による政治で君主に箍をはめるシステムである立憲君主制の確立。その傾向がアメリカの渡り独立宣言、合衆国憲法で結実。
↑
財産権の保障は、フランス革命以来の近代市民社会において最も強く要請された憲法的価値のひとつである。フランス人権宣言第17条は「所有は、神聖かつ不可侵の権利であり、何人も、適法に確認された公の必要が明白にそれを要求する場合で、かつ、正当かつ事前の補償のもとでなければ、それを奪われない。 」として財産権の不可侵性を宣言した。
フランス革命に触れられないとは誰からの引用ですか?
>マグナカルタ、で絶対君主がらの徴税権に箍をはめて領主の財産権が人権の始まりで、
ピューリタン革命で絶対君主の排除及び富農階級の成立、文化的にはルネサンスを経て宗教にとらわれない自由な人間が確立してそれを犯そうとする君主との闘いで憲法による政治で君主に箍をはめるシステムである立憲君主制の確立。その傾向がアメリカの渡り独立宣言、合衆国憲法で結実。
↑
財産権の保障は、フランス革命以来の近代市民社会において最も強く要請された憲法的価値のひとつである。フランス人権宣言第17条は「所有は、神聖かつ不可侵の権利であり、何人も、適法に確認された公の必要が明白にそれを要求する場合で、かつ、正当かつ事前の補償のもとでなければ、それを奪われない。 」として財産権の不可侵性を宣言した。
フランス革命に触れられないとは誰からの引用ですか?
No title
*フランス革命に触れられないとは誰からの引用ですか?
いいえ、独立宣言がフランスに影響を与えたのは独立戦争にフランス人将校(ラファェット伯爵)等の参戦の影響です。
彼らがご区立戦争後フランスに帰国して、フランス革命に発展しただけでしょう。
いいえ、独立宣言がフランスに影響を与えたのは独立戦争にフランス人将校(ラファェット伯爵)等の参戦の影響です。
彼らがご区立戦争後フランスに帰国して、フランス革命に発展しただけでしょう。
No title
>財産権の保障は、フランス革命以来の近代市民社会において最も強く要請された憲法的価値のひとつである。
それゆえ、徴用工裁判のように、個人の請求権を消滅させるなど、極めて困難であることが想像できる。
それゆえ、徴用工裁判のように、個人の請求権を消滅させるなど、極めて困難であることが想像できる。
No title
2019年7月19日 金曜 午後7:05
河野外相が駐日韓国大使に「待った」 異例の“公開抗議”の理由は?
外務省関係者もビックリ!でも
「極めて無礼」と異例の猛抗議…一体なぜ?
7月19日午前、韓国の南官杓駐日韓国大使と面会した河野外相。
その冒頭、河野外相が南駐日大使にカメラの前で激しい抗議をする極めて異例の事態が起きた。
南駐日韓国大使の通訳:
この方法を基礎として、より良い解決策を…
河野外相:
ちょっと待ってください!韓国側の提案は全く受け入れられるものでない。極めて無礼でございます。
相手側の発言中、身を乗り出すようにして割り込んだ河野大臣。
この怒りの“待った”が飛び出したきっかけは、日韓関係に大きな溝をもたらしているいわゆる徴用工訴訟問題だ。
世界の議論で、国家の外交での請求権消滅の確認だけで、
個人の損害賠償請求権が完全に消滅しているという、
断定的前提をとる河野太郎前外相とは、
いかなる教育を受けて外相になりえたのか疑問ですネ。
河野外相が駐日韓国大使に「待った」 異例の“公開抗議”の理由は?
外務省関係者もビックリ!でも
「極めて無礼」と異例の猛抗議…一体なぜ?
7月19日午前、韓国の南官杓駐日韓国大使と面会した河野外相。
その冒頭、河野外相が南駐日大使にカメラの前で激しい抗議をする極めて異例の事態が起きた。
南駐日韓国大使の通訳:
この方法を基礎として、より良い解決策を…
河野外相:
ちょっと待ってください!韓国側の提案は全く受け入れられるものでない。極めて無礼でございます。
相手側の発言中、身を乗り出すようにして割り込んだ河野大臣。
この怒りの“待った”が飛び出したきっかけは、日韓関係に大きな溝をもたらしているいわゆる徴用工訴訟問題だ。
世界の議論で、国家の外交での請求権消滅の確認だけで、
個人の損害賠償請求権が完全に消滅しているという、
断定的前提をとる河野太郎前外相とは、
いかなる教育を受けて外相になりえたのか疑問ですネ。
No title
一世一元の制(いっせいいちげんのせい)とは、君主(皇帝、天皇、国王)1人につき年号(元号)を一つ制定する制度である。Wiki引用
天皇は、大日本帝国憲法下では主権者で、君主でした。
でも、日本国憲法下では、天皇は君主ではありません。
君主でもない天皇が交代したからといって、なぜ一世一元制が必然なのでしょうね?
元号法?
千葉県台風第15号大停電です。
災いを避けるために大昔のように元号を変えましょうか?
天皇は、大日本帝国憲法下では主権者で、君主でした。
でも、日本国憲法下では、天皇は君主ではありません。
君主でもない天皇が交代したからといって、なぜ一世一元制が必然なのでしょうね?
元号法?
千葉県台風第15号大停電です。
災いを避けるために大昔のように元号を変えましょうか?
国民多数の共感を得るのはどちらでしょう。
一世一元にしたおかげで、元号は、一人の人間の人生の長さで時代を画する意味を得ました。昭和を代表するスターは、美空ひばりと石原裕次郎、野球ならON、平成はイチローかな。元号は、我々の感性も豊かにしてくれますね。
個人請求権は消滅していなくても、秋風亭さんが紹介して下さった訴訟権能喪失説以外にも、矛先が自国に向き変るという考え方もあるようです。どうしてそうなるのかは、国際法は門外漢でわかりませんが。
元外交官が企業出身だとしても、問題なのはその発言の中味でしょう。中味が妥当なら支持するのは、鵜呑みにしている訳ではないものなア。
毅然とした対応を示した河野外相の党と、解任すべしとした党首の党と、どちらに対韓外交を任せたいかは、次の選挙で、日本国民がお示しすればよいことでしょう。
人権は出来るだけ幅広く認められるべきで、外国人にも権利の性質がそぐわないものを除き、出来るだけ国民に近づけて認めようという方針からすれば、天皇・皇族にもその地位から来る制約は有るものの、出来るだけ広くお認めすべきだろうと思います。
大臣の私生活上の幸せもできるだけ尊重しては上げたいけれど、まずは、国民を優先し、職務に支障が無いように制度を整えてからねというところかと。
個人請求権は消滅していなくても、秋風亭さんが紹介して下さった訴訟権能喪失説以外にも、矛先が自国に向き変るという考え方もあるようです。どうしてそうなるのかは、国際法は門外漢でわかりませんが。
元外交官が企業出身だとしても、問題なのはその発言の中味でしょう。中味が妥当なら支持するのは、鵜呑みにしている訳ではないものなア。
毅然とした対応を示した河野外相の党と、解任すべしとした党首の党と、どちらに対韓外交を任せたいかは、次の選挙で、日本国民がお示しすればよいことでしょう。
人権は出来るだけ幅広く認められるべきで、外国人にも権利の性質がそぐわないものを除き、出来るだけ国民に近づけて認めようという方針からすれば、天皇・皇族にもその地位から来る制約は有るものの、出来るだけ広くお認めすべきだろうと思います。
大臣の私生活上の幸せもできるだけ尊重しては上げたいけれど、まずは、国民を優先し、職務に支障が無いように制度を整えてからねというところかと。
No title
*元号は、一人の人間の人生の長さで時代を画する意味を得ました。
そうでしょうか?
現天皇は1960年生まれ、皇嗣は1965年生まれですから、順当にいけば、次の元号は5年の間隔しかないわけですネ。
*人権は出来るだけ幅広く認められるべき
国籍に違いで人権が変わる方がおかしいと思うのでしたら、象徴たる人間?にも自由を広く認めるべきでしょう。
辞退する自由も含めて>
そうでしょうか?
現天皇は1960年生まれ、皇嗣は1965年生まれですから、順当にいけば、次の元号は5年の間隔しかないわけですネ。
*人権は出来るだけ幅広く認められるべき
国籍に違いで人権が変わる方がおかしいと思うのでしたら、象徴たる人間?にも自由を広く認めるべきでしょう。
辞退する自由も含めて>
男女平等がいいですね。
皇太子不在は深刻ですネ。私は、男女平等から、双系を支持します。現在の日本共産党と同意見なのです。
次が愛子様なら、一世一元の利点が生きますよね。
お辞めになりたければ強制手段はなく、実際には自由なのですが、喜びをもってお引き受け頂いている現状では、辞める規定を設けるような無粋はしないだけだという点については何度かご説明済みです。
次が愛子様なら、一世一元の利点が生きますよね。
お辞めになりたければ強制手段はなく、実際には自由なのですが、喜びをもってお引き受け頂いている現状では、辞める規定を設けるような無粋はしないだけだという点については何度かご説明済みです。
No title
御新茶磨 さん
*喜びをもってお引き受け頂いている現状で?
どうしてそのように判断なさるのですか?
平成天皇は、身体的に苦痛であったから退位したのではないですか?
憲法第2条では、皇位は世襲。皇室典範第4条では、崩御が即位する。
そして、身体的に事故があるときには摂政と定められています。
なんで特例法による退位辞任なのですか??
憲法上特例を定める余地のないにもかかわらず、特例法を定めたのは、『誰の意思に基づくのですか?』
天皇が辞めたいのにやめられなかったので、
国会議員の多くが忖度したのですか?
制度としてぐちゃぐちゃですネ。
*喜びをもってお引き受け頂いている現状で?
どうしてそのように判断なさるのですか?
平成天皇は、身体的に苦痛であったから退位したのではないですか?
憲法第2条では、皇位は世襲。皇室典範第4条では、崩御が即位する。
そして、身体的に事故があるときには摂政と定められています。
なんで特例法による退位辞任なのですか??
憲法上特例を定める余地のないにもかかわらず、特例法を定めたのは、『誰の意思に基づくのですか?』
天皇が辞めたいのにやめられなかったので、
国会議員の多くが忖度したのですか?
制度としてぐちゃぐちゃですネ。
喜びと特例の御説明
上皇陛下の譲位にあたってのお言葉が典型例です。象徴天皇としての務めを国民に対する敬愛と信頼をもって果たし得たことは幸せでしたと、自らの人生を述懐されておられました。
皇族方の公務を果たされるお姿やお言葉を見て、嫌々やらされているように見えるとしたら、余程のへそ曲がりかと。
憲法上は皇室典範の改正によるべきでしたが、死ぬまで天皇やっとれ、摂政でエエやないかという反天皇の安倍総理が、自己の意に従わなかった上皇陛下に「特例」として退位させてやるからなと恥をかかせたのです。ただ、上皇陛下をお守りする人々の努力で、皇室典範の特例にあたる法律としてかろうじてぐちゃぐちゃは回避されました。
しかし、明治以後は、皇室典範に基づき即位されていたのに、今上天皇を皇室典範「特例」法に基づいて即位して頂くことになったのは残念です。
どこの国の国民だって、自分達の王様には、堂々と退位し、堂々と即位して頂きたいのに、特例だなんて。
私が安倍総理を嫌う一番の点は、この徹底した反天皇振りです。
しかし、上皇陛下は、全てを包む大御心で、退位を実現してくれた国民への感謝を述べられました。ですから、私も、過去は割り切って、次の天皇陛下が特例ではなく皇室典範に基づいて即位できるよう、政府・国会には皇室典範改正を急いでもらいたいと思っているのです。
皇族方の公務を果たされるお姿やお言葉を見て、嫌々やらされているように見えるとしたら、余程のへそ曲がりかと。
憲法上は皇室典範の改正によるべきでしたが、死ぬまで天皇やっとれ、摂政でエエやないかという反天皇の安倍総理が、自己の意に従わなかった上皇陛下に「特例」として退位させてやるからなと恥をかかせたのです。ただ、上皇陛下をお守りする人々の努力で、皇室典範の特例にあたる法律としてかろうじてぐちゃぐちゃは回避されました。
しかし、明治以後は、皇室典範に基づき即位されていたのに、今上天皇を皇室典範「特例」法に基づいて即位して頂くことになったのは残念です。
どこの国の国民だって、自分達の王様には、堂々と退位し、堂々と即位して頂きたいのに、特例だなんて。
私が安倍総理を嫌う一番の点は、この徹底した反天皇振りです。
しかし、上皇陛下は、全てを包む大御心で、退位を実現してくれた国民への感謝を述べられました。ですから、私も、過去は割り切って、次の天皇陛下が特例ではなく皇室典範に基づいて即位できるよう、政府・国会には皇室典範改正を急いでもらいたいと思っているのです。
No title
御新茶磨 さん
*どこの国の国民だって、自分達の王様には、堂々と退位し、堂々と即位して頂きたいのに、特例だなんて。
理解不足ですよ。
天皇は、自分たちの『王様』ではありません。
国有財産ちゅうの皇室用財産に住まわせてあげて、
挙句の果てに宮廷費、内廷費、皇族費まで負担する生活保護者でしょう。
ちなみに、昔は天皇財閥の御曹司でも、今や空疎な象徴。
*どこの国の国民だって、自分達の王様には、堂々と退位し、堂々と即位して頂きたいのに、特例だなんて。
理解不足ですよ。
天皇は、自分たちの『王様』ではありません。
国有財産ちゅうの皇室用財産に住まわせてあげて、
挙句の果てに宮廷費、内廷費、皇族費まで負担する生活保護者でしょう。
ちなみに、昔は天皇財閥の御曹司でも、今や空疎な象徴。
ベルギー王と同じでしょう。
イギリス国王やオランダ国王やスウェーデン国王ととこが違うのでしょうか。
ローマ法王を兼ねたような祭祀王ではあるのだけれど。
国家の機関ですので経費は国家負担で当然でしょう。
衣食住に不自由はないとはいえ、人権を制約されたご不自由な生活、民間からお妃に上がった女性が二代続いて失語症や適応障害になっているのに、羨ましい人っているのかなあ。
少なくともボクには耐えられそうもありません、ゴメンナサイ、佳子様。
ローマ法王を兼ねたような祭祀王ではあるのだけれど。
国家の機関ですので経費は国家負担で当然でしょう。
衣食住に不自由はないとはいえ、人権を制約されたご不自由な生活、民間からお妃に上がった女性が二代続いて失語症や適応障害になっているのに、羨ましい人っているのかなあ。
少なくともボクには耐えられそうもありません、ゴメンナサイ、佳子様。
No title
御新茶磨 さん
*国家の機関ですので経費は国家負担で当然でしょう。
一昔まえに、「天皇機関説」なる学説がありました。
絶対君主を立憲君主に装うために編み出された珍説ですネ。
現在の天皇は単なる象徴で、国家機関ではありません。
だからこそ皇室経済法という天皇及び皇族のための品位を守るための生活保護法が必要なのですよ。
ちなみに
イギリス国王は、バッキンガム宮殿の修理費用も自前ですよ。
現在も、グレートブリテン島の領主さんで大金持ちなのですよ。
*国家の機関ですので経費は国家負担で当然でしょう。
一昔まえに、「天皇機関説」なる学説がありました。
絶対君主を立憲君主に装うために編み出された珍説ですネ。
現在の天皇は単なる象徴で、国家機関ではありません。
だからこそ皇室経済法という天皇及び皇族のための品位を守るための生活保護法が必要なのですよ。
ちなみに
イギリス国王は、バッキンガム宮殿の修理費用も自前ですよ。
現在も、グレートブリテン島の領主さんで大金持ちなのですよ。
富裕王家以外はどうなのかなあ。
機関でも象徴でも憲法が求めるものなのですから、国費負担は当然でしょう。
大富豪の王家は税金不要なのかもしれませんが(戴冠式や結婚式も自前なのかしら?確か、ダイアナ妃がファッションにお金使い過ぎという批判があった気が。)、皇室のような質素な王家は税金で運営されているのではないのかしらん。
オランダ、ベルギー、スェーデンなどは国家予算組んでいないのかなあ。
で、皇族の人権制約を同情するフリをよくするサヨクの人は、生活保護だというのが本音ってことでいいのかナア。
大富豪の王家は税金不要なのかもしれませんが(戴冠式や結婚式も自前なのかしら?確か、ダイアナ妃がファッションにお金使い過ぎという批判があった気が。)、皇室のような質素な王家は税金で運営されているのではないのかしらん。
オランダ、ベルギー、スェーデンなどは国家予算組んでいないのかなあ。
で、皇族の人権制約を同情するフリをよくするサヨクの人は、生活保護だというのが本音ってことでいいのかナア。
No title
御新茶磨 さん
*機関でも象徴でも憲法が求めるものなのですから、国費負担は当然でしょう。
憲法は国家機関の暴走を抑制する抽象的法規範です。
憲法に規定があるから負担もというのは非論理的ですネ。
憲法で費用負担をしているのは歳費だけです。
しかも、憲法第49条の相当額の歳費(費用)だけ
実体は、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律で、お手盛りで給料化しています。
法律で一般的に国庫負担が決定されます。皇室経済法等。
ちなみに、
英王室は税金ではなく、独自の収入源を持っています。広大な所領です。グレートブリテン島の海岸線の多くや西部ランカスター、南西部コーンワルなどに加え、ロンドン中心部のリージェント・ストリートにも土地や不動産をもち、そこから地代などが入ってくるのです。
*機関でも象徴でも憲法が求めるものなのですから、国費負担は当然でしょう。
憲法は国家機関の暴走を抑制する抽象的法規範です。
憲法に規定があるから負担もというのは非論理的ですネ。
憲法で費用負担をしているのは歳費だけです。
しかも、憲法第49条の相当額の歳費(費用)だけ
実体は、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律で、お手盛りで給料化しています。
法律で一般的に国庫負担が決定されます。皇室経済法等。
ちなみに、
英王室は税金ではなく、独自の収入源を持っています。広大な所領です。グレートブリテン島の海岸線の多くや西部ランカスター、南西部コーンワルなどに加え、ロンドン中心部のリージェント・ストリートにも土地や不動産をもち、そこから地代などが入ってくるのです。
英王室って税金投入無しなのかしらん。
憲法で裁判所が必要とされるなら、裁判官の給与や建築費・維持費の出費は当然なのと同様でしょう。で、憲法に沿って法律が作られる訳です。
英王室って、独自の収入源以外に、税金の投入は無かったかしら。故ダイアナ妃がファッションに金を使い過ぎるとチャールズ皇太子が批判したというような記事を読んだ気がするのだけれど、税金の使い方という公的な苦言ではなく、独自収入の使い方という私的な問題での文句だったのかしらん。
ま、他の、富裕でない質素な王家は税金で支えられている訳で、天皇家も質素グループに入っていることは国民としては喜ぶべきことでしょう。
英王室って、独自の収入源以外に、税金の投入は無かったかしら。故ダイアナ妃がファッションに金を使い過ぎるとチャールズ皇太子が批判したというような記事を読んだ気がするのだけれど、税金の使い方という公的な苦言ではなく、独自収入の使い方という私的な問題での文句だったのかしらん。
ま、他の、富裕でない質素な王家は税金で支えられている訳で、天皇家も質素グループに入っていることは国民としては喜ぶべきことでしょう。
No title
*他の、富裕でない質素な王家
富裕の程度の差はありますが、富裕でない王家というのは自己矛盾です。
富裕だからこそ王家なのですよ。
敗戦で、天皇財閥から、ほぼ無一文になったのが天皇家。
具体的には、終戦直後の1945年11月、GHQ(連合国軍総司令部)は「天皇は世界有数の財閥であり、ただちに財産税賦課によって適切に処理されるべき」として、皇室財産の解体に着手した。GHQによる評価の結果、弾き出された昭和天皇の財産は37億1563万円だった。
主な内訳は、皇居や赤坂御用地といった土地(7憶7263万円)、宮内庁舎などの建物(2億3414万円)、皇室所有の御料林の木材である立木竹(16億3976万円)、美術品(4億4949万円)、有価証券(2億2012万円)、現金預金(5500万円)などとなっている。
GHQによって評価された天皇家の財産はいきなり大半が消えることとなる。
なんせ、90%の財産税を国庫に納入。
富裕の程度の差はありますが、富裕でない王家というのは自己矛盾です。
富裕だからこそ王家なのですよ。
敗戦で、天皇財閥から、ほぼ無一文になったのが天皇家。
具体的には、終戦直後の1945年11月、GHQ(連合国軍総司令部)は「天皇は世界有数の財閥であり、ただちに財産税賦課によって適切に処理されるべき」として、皇室財産の解体に着手した。GHQによる評価の結果、弾き出された昭和天皇の財産は37億1563万円だった。
主な内訳は、皇居や赤坂御用地といった土地(7憶7263万円)、宮内庁舎などの建物(2億3414万円)、皇室所有の御料林の木材である立木竹(16億3976万円)、美術品(4億4949万円)、有価証券(2億2012万円)、現金預金(5500万円)などとなっている。
GHQによって評価された天皇家の財産はいきなり大半が消えることとなる。
なんせ、90%の財産税を国庫に納入。
No title
成田国際空港用地の一部にも三里塚御料牧場(成田市)も元は天皇の財産でした。
ここには、
当時の皇太子専用の地下防空壕(コンクリート造り)もありました。
真珠湾攻撃と同時に請け負った会社が作ったそうです。
昭和天皇は、自分の子供だけは守れると考えていたのでしょうか?
ここには、
当時の皇太子専用の地下防空壕(コンクリート造り)もありました。
真珠湾攻撃と同時に請け負った会社が作ったそうです。
昭和天皇は、自分の子供だけは守れると考えていたのでしょうか?
シアワセですネ。
皇室が英王室に比べ質素であることはむしろ日本に相応しく、日本国民としては喜ぶべきことでしょう。
富にこそ権威を感じるという御方は、ホテル王でいらっしゃるアメリカ合衆国大統領閣下に、御遠慮なく、最敬礼をどうぞ。
松代だかどこかの岩盤の固いところに大防空壕を掘って、陸軍はそこを大本営としようとしたのですが、昭和天皇は頑としてこれを拒み、空襲が激しくなる中、皇居におわして国民と共にあられたのです。その姿勢が、戦後の国民の皇室に対する気持ちに大きな影響を与えたであろうことは想像に難くありません。尚、御幼少だった上皇陛下は、日光かどこかに御学友達と疎開されていたはずです。
富にこそ権威を感じるという御方は、ホテル王でいらっしゃるアメリカ合衆国大統領閣下に、御遠慮なく、最敬礼をどうぞ。
松代だかどこかの岩盤の固いところに大防空壕を掘って、陸軍はそこを大本営としようとしたのですが、昭和天皇は頑としてこれを拒み、空襲が激しくなる中、皇居におわして国民と共にあられたのです。その姿勢が、戦後の国民の皇室に対する気持ちに大きな影響を与えたであろうことは想像に難くありません。尚、御幼少だった上皇陛下は、日光かどこかに御学友達と疎開されていたはずです。