コメント
展示内容に関しては、監督に責任がある。
自分は会場の安全や、円滑な運営に責任を負うだけ。
津田氏に責任を押し付ける愛知県知事。侮蔑の念しかない。
津田氏に責任を押し付ける愛知県知事。侮蔑の念しかない。
「燃やした」ではなく「燃やされた」
>まず、大前提にすべきは、これ(天皇の写真を焼くこと)は表現の自由の範ちゅうに属するものということです。
>表現の自由の範ちゅうではあるが、(天皇の写真を焼くことは)決して共感はされないということです。
↑
「それはそれ、これはこれ」で筋が通った話。
わたしは猪野先生のスタンスを支持する。
>昭和天皇の写真を燃やす、その灰を足で踏みつけるという映像だそうです。
↑
「表現の不自由展・その後」に出展された作品の内、上記説明に該当しそうなのは以下の2点。(但し、「灰を足で踏みつける」という表現は確認できなかった)
遠近を抱えて(4点組)
https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/
焼かれるべき絵
焼かれるべき絵:焼いたもの
https://censorship.social/artists/shimada-yoshiko/
以下は実物を観ないでネット上だけの情報による類推を含めた感想。
上記2作品とも「天皇を貶める」ことを目的とした作品とは思えない。
「燃やす」という行為は、富山近代美術館が「遠近を抱えて」の作品売却、図録470冊全てを焼却したことに対する抗議の意味だと解釈できる。
「遠近を抱えて」の作者大浦信行氏は一貫して同作を「自画像である」としており、自らの内面を表す素材の一つとして昭和天皇の顔写真を使ったものと思われる。
「遠近を抱えて」=「自画像」なら、それを載せた図録が燃やされたことに「自らを燃やされ否定された」と作者が感じても不思議ではない。
なお、「焼かれるべき絵」は上記富山近代美術館の「遠近を抱えて」に対する処置についての抗議の表明であり、付随的な位置づけとなる。
最初から、自ら怒りと特定の意図をもって昭和天皇の顔写真を「燃やした」のではなく、第三者に自らの内面を表した自画像を「燃やされた」。
その怒りとも困惑とも言える作者の複雑な感情の波をわたしは感じ取った。
>表現の自由の範ちゅうではあるが、(天皇の写真を焼くことは)決して共感はされないということです。
↑
「それはそれ、これはこれ」で筋が通った話。
わたしは猪野先生のスタンスを支持する。
>昭和天皇の写真を燃やす、その灰を足で踏みつけるという映像だそうです。
↑
「表現の不自由展・その後」に出展された作品の内、上記説明に該当しそうなのは以下の2点。(但し、「灰を足で踏みつける」という表現は確認できなかった)
遠近を抱えて(4点組)
https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/
焼かれるべき絵
焼かれるべき絵:焼いたもの
https://censorship.social/artists/shimada-yoshiko/
以下は実物を観ないでネット上だけの情報による類推を含めた感想。
上記2作品とも「天皇を貶める」ことを目的とした作品とは思えない。
「燃やす」という行為は、富山近代美術館が「遠近を抱えて」の作品売却、図録470冊全てを焼却したことに対する抗議の意味だと解釈できる。
「遠近を抱えて」の作者大浦信行氏は一貫して同作を「自画像である」としており、自らの内面を表す素材の一つとして昭和天皇の顔写真を使ったものと思われる。
「遠近を抱えて」=「自画像」なら、それを載せた図録が燃やされたことに「自らを燃やされ否定された」と作者が感じても不思議ではない。
なお、「焼かれるべき絵」は上記富山近代美術館の「遠近を抱えて」に対する処置についての抗議の表明であり、付随的な位置づけとなる。
最初から、自ら怒りと特定の意図をもって昭和天皇の顔写真を「燃やした」のではなく、第三者に自らの内面を表した自画像を「燃やされた」。
その怒りとも困惑とも言える作者の複雑な感情の波をわたしは感じ取った。
表現の不自由・その先
重ねた忖度が生んだ「不自由社会」 芸術が消され、次は(朝日8/14)
https://www.asahi.com/articles/ASM8B0NV1M89UPQJ00R.html?iref=pc_ss_date
【抜粋引用開始】
「権力が政治性を理由に表現を抑制しないというのは近代社会の原則なのに。『反日』とみなされた作品や本が美術館や図書館に置けなくなったり、『反日』的として撤去された作品の図版を国立大学の授業で見せただけで攻撃されたりなど、いくらでも拡大解釈可能な問題だ。本当はとても危険なのに、今回の件はどっちもどっちだよね、みたいな雰囲気がある。」
(五十嵐太郎東北大教授)
「『反日』とみなしたものは、どんどんつぶしていく。次の段階では、個人のツイッターやフェイスブックの書き込みにも攻撃が及ぶと思った方がいい。クレームがきて、家を暴かれて。単なる芸術家の問題とみて傍観していたら、いつか自分たちの日常が決壊し、大変なことになる。」
(中島岳志東工大教授)
【抜粋引用終了】
↑
五十嵐・中島両氏の見解に賛成。
https://www.asahi.com/articles/ASM8B0NV1M89UPQJ00R.html?iref=pc_ss_date
【抜粋引用開始】
「権力が政治性を理由に表現を抑制しないというのは近代社会の原則なのに。『反日』とみなされた作品や本が美術館や図書館に置けなくなったり、『反日』的として撤去された作品の図版を国立大学の授業で見せただけで攻撃されたりなど、いくらでも拡大解釈可能な問題だ。本当はとても危険なのに、今回の件はどっちもどっちだよね、みたいな雰囲気がある。」
(五十嵐太郎東北大教授)
「『反日』とみなしたものは、どんどんつぶしていく。次の段階では、個人のツイッターやフェイスブックの書き込みにも攻撃が及ぶと思った方がいい。クレームがきて、家を暴かれて。単なる芸術家の問題とみて傍観していたら、いつか自分たちの日常が決壊し、大変なことになる。」
(中島岳志東工大教授)
【抜粋引用終了】
↑
五十嵐・中島両氏の見解に賛成。
他の表現を出せば良かった
帝様の御神影を焼く行為が表現の自由なら、忌まわしい大極旗を玄関マットにする、売春婦像にとびげり(格闘物理技、威力100、命中率95%)や延髄切りを食らわす映像も表現の自由です。だからといってぶんざえもんの似顔絵を描いておくと、落書きだらけになって事後の掃除が大変になりました。
このような映像を付けなかったから、右翼の逆鱗に触れて展覧会が中止になりました。
このような映像を付けなかったから、右翼の逆鱗に触れて展覧会が中止になりました。
No title
この記事の内容とは外れるのですが、神原元弁護士がこのようなツイートをしています。
https://twitter.com/kambara7/status/1157998809047162880
この件、問題の本質は「表現の自由」ではない。戦時性暴力という歴史の真実が右翼の暴力によって踏みにじられたことこそ問題の本質だ。
「表現の自由」を言うなら、デマやヘイトスピーチにも「表現の自由」を与えなければならなくなる。
https://t.co/pQaqdbtk7e #表現の不自由展・その後
https://twitter.com/kambara7/status/1158002168839823361
リベラルに告ぐ。この件で「表現の自由」を訴えてはならない。
「表現の自由」を言うなら右翼の抗議も「表現の自由」の名で容認されなければならないからだ(脅迫のような犯罪は除く)。
我々が掲げるべき旗は「真実と正義」である。
https://twitter.com/kambara7/status/1157998809047162880
この件、問題の本質は「表現の自由」ではない。戦時性暴力という歴史の真実が右翼の暴力によって踏みにじられたことこそ問題の本質だ。
「表現の自由」を言うなら、デマやヘイトスピーチにも「表現の自由」を与えなければならなくなる。
https://t.co/pQaqdbtk7e #表現の不自由展・その後
https://twitter.com/kambara7/status/1158002168839823361
リベラルに告ぐ。この件で「表現の自由」を訴えてはならない。
「表現の自由」を言うなら右翼の抗議も「表現の自由」の名で容認されなければならないからだ(脅迫のような犯罪は除く)。
我々が掲げるべき旗は「真実と正義」である。
やはり現物を観てみたい
あいちトリエンナーレの慰安婦像騒動 表現の自由と特定のイデオロギーを並列したのは悪手だった【現場レポ】(ブロゴス8/3)
https://blogos.com/article/395581/
【引用開始】
映像作品自体は、反戦を訴えたもので、戦争の象徴として靖国神社や昭和天皇の肖像が出てくる。兵隊がたくさん死んで靖国に祀られ、戦火を表す炎の表現として、肖像を燃やすのはわからなくはない。
ただし、寿司屋で炙りサーモンするときのカセットバーナーで、昭和天皇の肖像を焼いていき、最後は燃え尽きて灰になった肖像を足で踏みつける表現は過激だ。
【引用終了】
↑
現地で出展作品を観た人の記事より。
前コメントで確認できなかった「灰を足で踏みつける」という部分が明記されている。
この内容だと、天皇の肖像をバーナーで焼き、しかもその灰を足で踏みつけると、かなり過激な反天皇色を感じさせる。
「表現の不自由展・その後」中止事件と「天皇の写真を燃やした」という誤解(ブロゴス8/12)
https://blogos.com/article/397354/
【抜粋引用開始】
その動画で燃やしていたのは大浦さんの作品で、そこに確かに昭和天皇もコラージュされているのだが、「天皇の写真を燃やした」というのとは意味合いが違う。大浦さんはこう言っている。 「天皇制を批判するために天皇の写真を燃やしたという、そういう政治的な文脈で受け取られたのかもしれませんが、それは全く違います」
(中略)
あなた(作者の大浦信行氏)にとって昭和天皇とは何ですか? その問いをもう私(篠田博之「創」編集長)は何度も大浦さんに投げているのだが、自画像だ、天皇も自画像だ、とわかったようなわからないような返事が返ってくる。しかし、話を総合すると、海外へ行って自分のアイデンティティを模索するなかで天皇に行き着いたということらしい。
【抜粋引用終了】
↑
この記事だと、前コメントで私が「一貫して同作を自画像である」としていたことを肯定する内容になる。
ただ、この二つの記事を並べて読むと、「天皇の肖像をバーナーで焼き、しかもその灰を足で踏みつける」=「自画像を焼いてその灰を足で踏みつける」となんだかよくわからない話になってしまう。
正直、これ以上の憶測は無理。
やはり現物を観てみたい。
そのうえでなければ良いとも悪いとも言い切れない。
「表現の不自由展・その後」の再開を希望する。
表現の不自由展「再開を」実行委メンバーが知事に質問状(朝日8/6)
https://www.asahi.com/articles/ASM865HL9M86OIPE02X.html
https://blogos.com/article/395581/
【引用開始】
映像作品自体は、反戦を訴えたもので、戦争の象徴として靖国神社や昭和天皇の肖像が出てくる。兵隊がたくさん死んで靖国に祀られ、戦火を表す炎の表現として、肖像を燃やすのはわからなくはない。
ただし、寿司屋で炙りサーモンするときのカセットバーナーで、昭和天皇の肖像を焼いていき、最後は燃え尽きて灰になった肖像を足で踏みつける表現は過激だ。
【引用終了】
↑
現地で出展作品を観た人の記事より。
前コメントで確認できなかった「灰を足で踏みつける」という部分が明記されている。
この内容だと、天皇の肖像をバーナーで焼き、しかもその灰を足で踏みつけると、かなり過激な反天皇色を感じさせる。
「表現の不自由展・その後」中止事件と「天皇の写真を燃やした」という誤解(ブロゴス8/12)
https://blogos.com/article/397354/
【抜粋引用開始】
その動画で燃やしていたのは大浦さんの作品で、そこに確かに昭和天皇もコラージュされているのだが、「天皇の写真を燃やした」というのとは意味合いが違う。大浦さんはこう言っている。 「天皇制を批判するために天皇の写真を燃やしたという、そういう政治的な文脈で受け取られたのかもしれませんが、それは全く違います」
(中略)
あなた(作者の大浦信行氏)にとって昭和天皇とは何ですか? その問いをもう私(篠田博之「創」編集長)は何度も大浦さんに投げているのだが、自画像だ、天皇も自画像だ、とわかったようなわからないような返事が返ってくる。しかし、話を総合すると、海外へ行って自分のアイデンティティを模索するなかで天皇に行き着いたということらしい。
【抜粋引用終了】
↑
この記事だと、前コメントで私が「一貫して同作を自画像である」としていたことを肯定する内容になる。
ただ、この二つの記事を並べて読むと、「天皇の肖像をバーナーで焼き、しかもその灰を足で踏みつける」=「自画像を焼いてその灰を足で踏みつける」となんだかよくわからない話になってしまう。
正直、これ以上の憶測は無理。
やはり現物を観てみたい。
そのうえでなければ良いとも悪いとも言い切れない。
「表現の不自由展・その後」の再開を希望する。
表現の不自由展「再開を」実行委メンバーが知事に質問状(朝日8/6)
https://www.asahi.com/articles/ASM865HL9M86OIPE02X.html
No title
>昭和天皇の写真を焼く行為が表現の自由? そうですよ 但し、共感を得るかどうかは別問題
逆効果ですけどご自由に、ということですか?
逆効果ですけどご自由に、ということですか?
TOYOTAセンチュリー
協賛企業に名を連ねた(現在、削除されているらしい)TOYOTAは、どの面下げて皇族方に「乗用車のご用命はTOYOTAに」って言うんだろうね。
https://samurai20.jp/2019/08/aichitriennale-6/
https://samurai20.jp/2019/08/aichitriennale-6/
No title
ソウル在住の日本人記者談
>韓国は日本から基礎となる部材を調達し、高度なハイテク製品を組み上げて輸出することで経済成長を成し遂げてきた。ラベルは韓国製であっても、中身は「日本製の部品の集合体」だったり、日本製の工作機械で作られていることがほとんどだ。
>「このため、韓国は日本のことを部品だけ供給する『下請け』だと見下しています。『そんな下請けの町工場が、メーカーに反旗を翻すとは何事だ!』と怒っているわけです。そもそも日本の銀行が信用状を発行しなければ輸出もできない『鵜飼いの鵜』にすぎないのに、自分たちが『鵜匠』だと勘違いしているのです」
勘違いしているのは日本人も同じ。
まさか日本が韓国の大企業に部品を提供する『下請け』になっていたとは、今の今まで気づかなかったのでは。
また、活動家や政治家は確かにまともに相手にできる相手には見えない。しかし、韓国の官僚は違う。先日、日本は韓国にWTOで負けたばかり。官僚の質では、日本が不利(対韓関係に限らない)。日本の官僚の無能さに、いまだに多くの日本人が気付いていない。
輸出規制問題でも、韓国官僚は、先日の参院選の最中に、アメリカ議会に対してしきりにロビー活動をしていた。
「ファーウェイを心置きなくたたくためには、サムスンなど韓国企業がその穴を埋めなければいけません。ところで、アメリカが必死に中国と戦っているとき、日本による韓国に対する輸出規制は、アメリカの足を引っ張るものです。」
岩屋防衛大臣が、このことを、先日のBS番組で認めていたので、間違いない。
すっかり出遅れてしまった日本の官僚は、今後、巻き返せるだろうか。多分、期待しないほうがいい。
日本人は、心したほうがいい。日本は確実にむしばまれている。
>韓国は日本から基礎となる部材を調達し、高度なハイテク製品を組み上げて輸出することで経済成長を成し遂げてきた。ラベルは韓国製であっても、中身は「日本製の部品の集合体」だったり、日本製の工作機械で作られていることがほとんどだ。
>「このため、韓国は日本のことを部品だけ供給する『下請け』だと見下しています。『そんな下請けの町工場が、メーカーに反旗を翻すとは何事だ!』と怒っているわけです。そもそも日本の銀行が信用状を発行しなければ輸出もできない『鵜飼いの鵜』にすぎないのに、自分たちが『鵜匠』だと勘違いしているのです」
勘違いしているのは日本人も同じ。
まさか日本が韓国の大企業に部品を提供する『下請け』になっていたとは、今の今まで気づかなかったのでは。
また、活動家や政治家は確かにまともに相手にできる相手には見えない。しかし、韓国の官僚は違う。先日、日本は韓国にWTOで負けたばかり。官僚の質では、日本が不利(対韓関係に限らない)。日本の官僚の無能さに、いまだに多くの日本人が気付いていない。
輸出規制問題でも、韓国官僚は、先日の参院選の最中に、アメリカ議会に対してしきりにロビー活動をしていた。
「ファーウェイを心置きなくたたくためには、サムスンなど韓国企業がその穴を埋めなければいけません。ところで、アメリカが必死に中国と戦っているとき、日本による韓国に対する輸出規制は、アメリカの足を引っ張るものです。」
岩屋防衛大臣が、このことを、先日のBS番組で認めていたので、間違いない。
すっかり出遅れてしまった日本の官僚は、今後、巻き返せるだろうか。多分、期待しないほうがいい。
日本人は、心したほうがいい。日本は確実にむしばまれている。
No title
>輸出規制問題でも、韓国官僚は、先日の参院選の最中に、アメリカ議会に対してしきりにロビー活動をしていた。
輸出規制?はさておき、外相は「日韓基本条約はサンフランシスコ講和条約を元に締結したので、条約違反は講和条約に影響する恐れがある」旨を国務長官に伝えたそうですな。国務長官は困惑して「それはできない」と答えたそうです。
当たり前ですが。
輸出規制?はさておき、外相は「日韓基本条約はサンフランシスコ講和条約を元に締結したので、条約違反は講和条約に影響する恐れがある」旨を国務長官に伝えたそうですな。国務長官は困惑して「それはできない」と答えたそうです。
当たり前ですが。
No title
*日本人は、心したほうがいい。日本は確実にむしばまれている。
私もそう思います。
企業には国籍はありません。現在の規制対象を製造している会社は公開会社である以上、TOBの対象です。
経営権を握れば経営者は日本政府に対して輸出規制の違憲性を主張し、過剰な規制として国家賠償を請求しかねません。
安全保障上の理由なんて抗弁が立つはずはありません。
私もそう思います。
企業には国籍はありません。現在の規制対象を製造している会社は公開会社である以上、TOBの対象です。
経営権を握れば経営者は日本政府に対して輸出規制の違憲性を主張し、過剰な規制として国家賠償を請求しかねません。
安全保障上の理由なんて抗弁が立つはずはありません。
No title
東大さん
また憲法違反ですか。
やる企業あるかもしれませんね。
売名行為として。
私だってプラカードと拡声器持って都内で「消費税は憲法違反」と叫べば「専門家も消費税反対を叫ぶ」と売名できますから。
また憲法違反ですか。
やる企業あるかもしれませんね。
売名行為として。
私だってプラカードと拡声器持って都内で「消費税は憲法違反」と叫べば「専門家も消費税反対を叫ぶ」と売名できますから。
ネオ皇国史観
もし戦前に、今回と同じ天皇の写真を素材にした作品が発表されたら、発表した人、関係者はどうなったでしょう。
皇室に対する罪としては大逆罪、不敬罪を想起しますが、神聖にして侵すべからず天皇に対して『臣民』が許されない行為をしたとして、危害を加えようとしたと見做されるのか、不敬の行為ありと見做されるのか、そんな世の中に再び戻る事は真っ平<(_ _)>です。
しかし現在の日本に生きる我々にとって、まったくそんな心配はしなくて良い世の中になったと、自信を持って断定できる様になったと言っていいのでしょうか。
もしそうならば今回の様な写真云々に関する事態など起こらなかった筈ではないでしょうか。
結局、今回の表現の自由展・その後の展示作品をめぐる表現の自由の問題というものの本質的な問題点はどこにあると考えるべきなのでしょうか。
この『事件』をどう理解して、どう解釈するか、真っ当な意見や、優れた見解、詳細な分析が多くの人によってなされており、私も納得、賛成する事が多いです。
けれども私にはまだ本当の意味で公平にして公正と心から納得できる見解には出会っていない感が強く有ります。
そもそも、この表現の自由展・その後が中止されたまま、中止されて終わりという様な状況で表現の自由に対する自分の信頼が回復すること自体がおかしいのかもしれないし、有り得ないのかもしれない。
日本人の心だとか、日本の心などを強調する人達の考える『表現の自由』とは、一体誰のための自由なのでしょうか。
皇室に対する罪としては大逆罪、不敬罪を想起しますが、神聖にして侵すべからず天皇に対して『臣民』が許されない行為をしたとして、危害を加えようとしたと見做されるのか、不敬の行為ありと見做されるのか、そんな世の中に再び戻る事は真っ平<(_ _)>です。
しかし現在の日本に生きる我々にとって、まったくそんな心配はしなくて良い世の中になったと、自信を持って断定できる様になったと言っていいのでしょうか。
もしそうならば今回の様な写真云々に関する事態など起こらなかった筈ではないでしょうか。
結局、今回の表現の自由展・その後の展示作品をめぐる表現の自由の問題というものの本質的な問題点はどこにあると考えるべきなのでしょうか。
この『事件』をどう理解して、どう解釈するか、真っ当な意見や、優れた見解、詳細な分析が多くの人によってなされており、私も納得、賛成する事が多いです。
けれども私にはまだ本当の意味で公平にして公正と心から納得できる見解には出会っていない感が強く有ります。
そもそも、この表現の自由展・その後が中止されたまま、中止されて終わりという様な状況で表現の自由に対する自分の信頼が回復すること自体がおかしいのかもしれないし、有り得ないのかもしれない。
日本人の心だとか、日本の心などを強調する人達の考える『表現の自由』とは、一体誰のための自由なのでしょうか。
No title
どんな理由があろうとも、人の顔写真は燃してはいけません。
法律に書いてなくてもやってはいけないことは世の中にはあるのです。
それを我々大人は子供達にどれだけ伝えられるでしょう。
法律に書いてなくてもやってはいけないことは世の中にはあるのです。
それを我々大人は子供達にどれだけ伝えられるでしょう。
天皇の写真を燃やすでググってみたら猪野先生のこの論考がトップに
もちろん普通の人の顔写真を焼くなどというのは論外どころか、場合によっては法による裁きも覚悟しなければいけない行為なんだろうと思います。
しかし、誰の顔写真でもそうであるという事を認めれば、表現の自由を守ることは出来ません。
それは権力者に対する抵抗や批判を不可能にし、表現の自由を自ら捨て去るに等しいと思います。
この場合、そういう表現の自由だけが失われるだけで、失われても良いと考える事は愚かなのでしょう。
自分がそういう自由は許されないと考えても、他のすべての人にとって絶対に必要な自由であるかも知れないと考えるべきなのだと思います。
しかし、誰の顔写真でもそうであるという事を認めれば、表現の自由を守ることは出来ません。
それは権力者に対する抵抗や批判を不可能にし、表現の自由を自ら捨て去るに等しいと思います。
この場合、そういう表現の自由だけが失われるだけで、失われても良いと考える事は愚かなのでしょう。
自分がそういう自由は許されないと考えても、他のすべての人にとって絶対に必要な自由であるかも知れないと考えるべきなのだと思います。
No title
>それは権力者に対する抵抗や批判を不可能にし、表現の自由を自ら捨て去るに等しいと思います。
そのお言葉はまさに反体制概念であり芸術概念とかなり乖離していることに自覚しましょう。
そんな顔写真を燃やすなんて芸術性作品も作れず、話し合い解決もできない無能な人と思われるだけですよ。
そのお言葉はまさに反体制概念であり芸術概念とかなり乖離していることに自覚しましょう。
そんな顔写真を燃やすなんて芸術性作品も作れず、話し合い解決もできない無能な人と思われるだけですよ。
観念論
観念論
<そのお言葉はまさに反体制概念であり芸術概念とかなり乖離していることに自覚しましょう。
そんな顔写真を燃やすなんて芸術性作品も作れず、話し合い解決もできない無能な人と思われるだけですよ。>
的はずれ、の一言ですね。
私が第一に考えたのは芸術表現として、ではありませんから。
さらには芸術について無理解な人の考える観念論ですね。
<そのお言葉はまさに反体制概念であり芸術概念とかなり乖離していることに自覚しましょう。
そんな顔写真を燃やすなんて芸術性作品も作れず、話し合い解決もできない無能な人と思われるだけですよ。>
的はずれ、の一言ですね。
私が第一に考えたのは芸術表現として、ではありませんから。
さらには芸術について無理解な人の考える観念論ですね。
No title
「原爆投下はやむを得なかったと思う」と、
シャーシャーと述べた昭和天皇は、人間として重要な何かが欠落していた。
敗戦迫る中、
昭和天皇の最大の関心事は、
国民の命よりも、
三種の神器の保管にあった。
ふざけるな!と言いたい。
昭和天皇の顔写真を燃やしたくなる人がいたとしても不思議ではないし、
むしろ、まともな人間の心を持っていると言えるかもしれない。
シャーシャーと述べた昭和天皇は、人間として重要な何かが欠落していた。
敗戦迫る中、
昭和天皇の最大の関心事は、
国民の命よりも、
三種の神器の保管にあった。
ふざけるな!と言いたい。
昭和天皇の顔写真を燃やしたくなる人がいたとしても不思議ではないし、
むしろ、まともな人間の心を持っていると言えるかもしれない。
No title
私が第一に考えたのは芸術表現として、ではありませんから。
またすり替えですか。
はて、それなら表現の自由の名を借りた反体制表現、つまり非芸術的オブジェを認めるのですね。
>さらには芸術について無理解な人の考える観念論ですね。
無理解?観念論?
海外渡航20回超で大英、ルーブル、オルセー、ボストンと一通り鑑賞してきた私に無理解とは噴飯ものです。
これらの美術博物館を鑑賞していれば、あなたも芸術に言及するのは恥ずかしいはずですが。
バッハより日本のヒップホップを比較して後者に軍配を上げるようなもの、自由ですがブログ主の書き込み通り、それは多数のそう思わない人々から御自分の感性に疑念を持たれ評価を下げるだけです。
アートとオブジェクション、ミュージックとノイズのボーダーラインを破壊することはノイジーマイノリティ側にとってまさに自殺行為です。
ノイズに反体制が加わればミュージックを超越するとでも?
ハッキリ言って小学生の図画工作レベル以下の芸術性皆無の愚策も反体制作品と示唆すれば祭り上げられるならこれほど楽でこともありませんよね。
「表現の不自由展」ではなく「芸術性皆無の単なる物体展」の方が相応しいタイトルでしょう。
またすり替えですか。
はて、それなら表現の自由の名を借りた反体制表現、つまり非芸術的オブジェを認めるのですね。
>さらには芸術について無理解な人の考える観念論ですね。
無理解?観念論?
海外渡航20回超で大英、ルーブル、オルセー、ボストンと一通り鑑賞してきた私に無理解とは噴飯ものです。
これらの美術博物館を鑑賞していれば、あなたも芸術に言及するのは恥ずかしいはずですが。
バッハより日本のヒップホップを比較して後者に軍配を上げるようなもの、自由ですがブログ主の書き込み通り、それは多数のそう思わない人々から御自分の感性に疑念を持たれ評価を下げるだけです。
アートとオブジェクション、ミュージックとノイズのボーダーラインを破壊することはノイジーマイノリティ側にとってまさに自殺行為です。
ノイズに反体制が加わればミュージックを超越するとでも?
ハッキリ言って小学生の図画工作レベル以下の芸術性皆無の愚策も反体制作品と示唆すれば祭り上げられるならこれほど楽でこともありませんよね。
「表現の不自由展」ではなく「芸術性皆無の単なる物体展」の方が相応しいタイトルでしょう。
No title
>昭和天皇の最大の関心事は、
国民の命よりも、
三種の神器の保管にあった
↑
ソースは?
国民の命よりも、
三種の神器の保管にあった
↑
ソースは?
No title
>海外渡航20回超で大英、ルーブル、オルセー、ボストンと一通り鑑賞してきた私に無理解とは噴飯ものです。
イーグルさん
また始まりましたね。「公認会計士」もそうだけれど、匿名の中で、それを言ってもダメだということくらい、もうそろそろ理解しましょうよ。
イーグルさん
また始まりましたね。「公認会計士」もそうだけれど、匿名の中で、それを言ってもダメだということくらい、もうそろそろ理解しましょうよ。
No title
昭和天皇は三種の神器を国民よりも守りたかったという説はビックリしました。
天皇は自身の命より国民の命を慮ったという説もあり、真実はどうなんでしょうか?
私は昭和天皇が慈悲深い人物で、国民の命を慮った説を信じています。
天皇は自身の命より国民の命を慮ったという説もあり、真実はどうなんでしょうか?
私は昭和天皇が慈悲深い人物で、国民の命を慮った説を信じています。
「裕仁さんはごく普通の人だったんだ」
ついさきほど、「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記」を観た。
昭和天皇が先の戦争や自らのあり方、戦後日本の方向性についてどのように考えていたのかを、初代宮内庁長官である田島道治氏が天皇との対話形式で記録した資料であり、たいへん興味深い内容だった。
感想を一言でいえば「裕仁さんはごく普通の人だったんだ」。
戦争に対する反省、悔悟を語り、自らの至らなさも明け透けに側近に打ち明けている。
また、象徴天皇としては行き過ぎた言葉も語って、田嶋氏から諫められもしている。
我々が感じたり、言ったりするレベルの話は、まったく同じように感じ、引け目に思ったりしている。
現人神などではない、戦中戦後を生きたあの時代の日本人のひとりが裕仁さんなのだろう。
非難する人、賞賛する人、それぞれあるだろうが、まずは一人の日本人、裕仁さんの言葉として耳を傾けてもよいと思う。
<参考サイト>
NHKスペシャル▽昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記”
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190817_2
昭和天皇「拝謁記」-戦争への悔恨―
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1
昭和天皇が先の戦争や自らのあり方、戦後日本の方向性についてどのように考えていたのかを、初代宮内庁長官である田島道治氏が天皇との対話形式で記録した資料であり、たいへん興味深い内容だった。
感想を一言でいえば「裕仁さんはごく普通の人だったんだ」。
戦争に対する反省、悔悟を語り、自らの至らなさも明け透けに側近に打ち明けている。
また、象徴天皇としては行き過ぎた言葉も語って、田嶋氏から諫められもしている。
我々が感じたり、言ったりするレベルの話は、まったく同じように感じ、引け目に思ったりしている。
現人神などではない、戦中戦後を生きたあの時代の日本人のひとりが裕仁さんなのだろう。
非難する人、賞賛する人、それぞれあるだろうが、まずは一人の日本人、裕仁さんの言葉として耳を傾けてもよいと思う。
<参考サイト>
NHKスペシャル▽昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記”
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190817_2
昭和天皇「拝謁記」-戦争への悔恨―
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1
No title
>イーグルさん
また始まりましたね。「公認会計士」もそうだけれど、匿名の中で、それを言ってもダメだということくらい、もうそろそろ理解しましょうよ。
↑
え?
大新聞でも「政府関係者」とか「米国国務省関係者」なんて書いてますが、失礼ながら大新聞ほどの真実性の証明を要しない個人ブログ掲示板でも控えるべきなのでしょうか?
疑わしいのならその旨の「行ったことがある人しかわからない」「有資格者でしか答えられない」質問をしてくださいませ。
今まで充分(特に○○司法書士さんとの応酬)で答えてきたつもりですが。
また始まりましたね。「公認会計士」もそうだけれど、匿名の中で、それを言ってもダメだということくらい、もうそろそろ理解しましょうよ。
↑
え?
大新聞でも「政府関係者」とか「米国国務省関係者」なんて書いてますが、失礼ながら大新聞ほどの真実性の証明を要しない個人ブログ掲示板でも控えるべきなのでしょうか?
疑わしいのならその旨の「行ったことがある人しかわからない」「有資格者でしか答えられない」質問をしてくださいませ。
今まで充分(特に○○司法書士さんとの応酬)で答えてきたつもりですが。
No title
上記文中、「オブジェクト」を入力したところ、間違えて「オブジェクション」が表示されて選択してました。
訂正します。
訂正します。
No title
>大新聞でも「政府関係者」とか「米国国務省関係者」なんて書いてますが、失礼ながら大新聞ほどの真実性の証明を要しない個人ブログ掲示板でも控えるべきなのでしょうか?
まだわかっていませんね。あなたのような氏素性もしれない人が言っても意味がないんですよ。
しかも言うに事欠いて「海外渡航20回超」などと披瀝することに何の意味があるんですか。
単なる世間知らず?
まだわかっていませんね。あなたのような氏素性もしれない人が言っても意味がないんですよ。
しかも言うに事欠いて「海外渡航20回超」などと披瀝することに何の意味があるんですか。
単なる世間知らず?
No title
昭和天皇は、国民の命よりも戦果を期待し、敗戦の受け入れを遅らせ、より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。
海外有名自慢
イーグルとコヨーテさんの海外有名美術館巡り自慢は、芸術理解とは何の関係も無いと思います。
という一言ですね。
反体制とか政治的とか決めつけて、だから駄目だと、今回の件で展示中止を求めた多くの人達が同じ様に言っている方が、よほど政治的過ぎて、政治的な色眼鏡で見ている事に気付いていないのか、まったく話にならないと思うだけですよ。
まして一つも芸術的作品を創造していない鑑賞者としての立場で、いかなる創作者および作品であれ芸術性皆無とまで痛罵できるとは、私には信じられません。
という一言ですね。
反体制とか政治的とか決めつけて、だから駄目だと、今回の件で展示中止を求めた多くの人達が同じ様に言っている方が、よほど政治的過ぎて、政治的な色眼鏡で見ている事に気付いていないのか、まったく話にならないと思うだけですよ。
まして一つも芸術的作品を創造していない鑑賞者としての立場で、いかなる創作者および作品であれ芸術性皆無とまで痛罵できるとは、私には信じられません。
No title
>反体制とか政治的とか決めつけて、だから駄目だと、今回の件で展示中止を求めた多くの人達が同じ様に言っている方が、よほど政治的過ぎて、政治的な色眼鏡で見ている事に気付いていないのか、まったく話にならないと思うだけですよ。
↑
他人様のことはよくわかりませんが、私が否定する理由は芸術性のが無さ。反体制は推定される、というより推定を求めていることは明白でしょう。
展示拒否を勲章にしているのだから。
>まして一つも芸術的作品を創造していない鑑賞者としての立場で、いかなる創作者および作品であれ芸術性皆無とまで痛罵できるとは、私には信じられません。
↑
それなら美術評論家という職業も成立しないことになります。
ましてや言論は自由ということに行き着きますけど。
↑
他人様のことはよくわかりませんが、私が否定する理由は芸術性のが無さ。反体制は推定される、というより推定を求めていることは明白でしょう。
展示拒否を勲章にしているのだから。
>まして一つも芸術的作品を創造していない鑑賞者としての立場で、いかなる創作者および作品であれ芸術性皆無とまで痛罵できるとは、私には信じられません。
↑
それなら美術評論家という職業も成立しないことになります。
ましてや言論は自由ということに行き着きますけど。
No title
>昭和天皇は、国民の命よりも戦果を期待し、敗戦の受け入れを遅らせ、より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。
↑
三種の神器のことを尋ねたのですけど。
↑
三種の神器のことを尋ねたのですけど。
No title
>まだわかっていませんね。あなたのような氏素性もしれない人が言っても意味がないんですよ。
↑
それならブログ主を除き思想の左右問わずこの掲示板の住人全員が正体不明で当てはまりますね。
私は別に信じて欲しいとは言っておりませんが、信じなくとも「人畜無害」と見過ごす寛容さは持ち合わせていませんか?
大新聞の「〇〇関係者」の方が比較にならないくらい影響力がありますし(もっとも裁判になればソースの秘匿など一蹴されてますけど)。
↑
それならブログ主を除き思想の左右問わずこの掲示板の住人全員が正体不明で当てはまりますね。
私は別に信じて欲しいとは言っておりませんが、信じなくとも「人畜無害」と見過ごす寛容さは持ち合わせていませんか?
大新聞の「〇〇関係者」の方が比較にならないくらい影響力がありますし(もっとも裁判になればソースの秘匿など一蹴されてますけど)。
No title
>それならブログ主を除き思想の左右問わずこの掲示板の住人全員が正体不明で当てはまりますね。
やっぱり、わかっていないな。
匿名ブログで、
「オレは公認会計士だ」とか、「海外経験が~」なんて言ってみても、誰にとっても説得力が増すことはないよ、っていうこと。
むしろ、何だか、また「自慢話」が始まったよ、本当なのかな、くらいにしか思われませんよ、ということですよ。
やっぱり、わかっていないな。
匿名ブログで、
「オレは公認会計士だ」とか、「海外経験が~」なんて言ってみても、誰にとっても説得力が増すことはないよ、っていうこと。
むしろ、何だか、また「自慢話」が始まったよ、本当なのかな、くらいにしか思われませんよ、ということですよ。
No title
>むしろ、何だか、また「自慢話」が始まったよ、本当なのかな、くらいにしか思われませんよ、ということですよ。
はい、構いません。
寧ろ公認会計士、税理士、ニュージーランド在住経験、海外渡航20回超などなど、を否定する反対尋問をお待ちしてます。
はい、構いません。
寧ろ公認会計士、税理士、ニュージーランド在住経験、海外渡航20回超などなど、を否定する反対尋問をお待ちしてます。
No title
昭和天皇が国民の生命よりも、三種の神器の確保に汲々としていた姿は、
「木戸幸一日記」「昭和天皇独白録」や、これに関連した研究書籍に出ています。
原武史氏の著作にも出ていたと記憶しています。
「天皇の側の論理」では、
原爆を落とされて多くの一般市民が残酷に殺されても仕方ないが、
(天皇にとって、日本国民が5万死のうが10万死のうが痛くも痒くも無い)
伊勢・熱田の両神宮がアメリカ軍の制圧下に入り、
三種の神器が確保出来なくなる事態は断じてあってはならない、
ということ。
ポツダム宣言を受諾したのも、これが最大の動機。
「木戸幸一日記」「昭和天皇独白録」や、これに関連した研究書籍に出ています。
原武史氏の著作にも出ていたと記憶しています。
「天皇の側の論理」では、
原爆を落とされて多くの一般市民が残酷に殺されても仕方ないが、
(天皇にとって、日本国民が5万死のうが10万死のうが痛くも痒くも無い)
伊勢・熱田の両神宮がアメリカ軍の制圧下に入り、
三種の神器が確保出来なくなる事態は断じてあってはならない、
ということ。
ポツダム宣言を受諾したのも、これが最大の動機。
キーワード「下剋上」
<猪野亨さんのコメント>
昭和天皇は、国民の命よりも戦果を期待し、敗戦の受け入れを遅らせ、より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。
↑
いわゆる「一撃講和論」。
前コメントの「拝謁記」では、
「私(昭和天皇)ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたような時ニ其時を見付けたいといふ念もあつた」
と明確に事実と認めている。
(別の歴史資料でも猪野先生の指摘は事実だと認められる)
また、
「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或(あるい)はもつと早く止(や)める事が出来なかつたかといふやうな疑を(天皇)退位論者でなくとも疑問を持つと思ふし、又首相をかへる事ハ大権で出来る事故(ことゆえ)、なぜしなかつたかと疑ふ向きもあると思ふ」と述べ、その昭和天皇の発言に田島宮内庁長官が同意すると
「いやそうだらうと思ふが事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」
と答えている。
この「下剋上」という言葉は、「拝謁記」の別の箇所でも散見され、当時の日本、また軍部のあり方を想像させる。
ただ、「下剋上」だから仕方なかったとまでは天皇は言っていない。
「戦争責任」自体を裕仁さんは実感していたが、公的にはそうは言えない「苦悩」をわたしは今般の番組を通じて感じ取ることができた。
昭和天皇は、国民の命よりも戦果を期待し、敗戦の受け入れを遅らせ、より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。
↑
いわゆる「一撃講和論」。
前コメントの「拝謁記」では、
「私(昭和天皇)ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたような時ニ其時を見付けたいといふ念もあつた」
と明確に事実と認めている。
(別の歴史資料でも猪野先生の指摘は事実だと認められる)
また、
「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或(あるい)はもつと早く止(や)める事が出来なかつたかといふやうな疑を(天皇)退位論者でなくとも疑問を持つと思ふし、又首相をかへる事ハ大権で出来る事故(ことゆえ)、なぜしなかつたかと疑ふ向きもあると思ふ」と述べ、その昭和天皇の発言に田島宮内庁長官が同意すると
「いやそうだらうと思ふが事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」
と答えている。
この「下剋上」という言葉は、「拝謁記」の別の箇所でも散見され、当時の日本、また軍部のあり方を想像させる。
ただ、「下剋上」だから仕方なかったとまでは天皇は言っていない。
「戦争責任」自体を裕仁さんは実感していたが、公的にはそうは言えない「苦悩」をわたしは今般の番組を通じて感じ取ることができた。
No title
>昭和天皇は、国民の命よりも戦果を期待し、敗戦の受け入れを遅らせ、
>より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。
↑その思い込みが仮に本当だとしても
顔写真を焼いて展示会に出すその行為を正当化する根拠にはなりません。
人様の顔写真を焼きそれを大衆にさらすなんて
どんな理由があろうともダメなのです。
そんなことも分からないのですね。
特定の思想にかぶれると見えるものも見えなくなるのですね。
>より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。
↑その思い込みが仮に本当だとしても
顔写真を焼いて展示会に出すその行為を正当化する根拠にはなりません。
人様の顔写真を焼きそれを大衆にさらすなんて
どんな理由があろうともダメなのです。
そんなことも分からないのですね。
特定の思想にかぶれると見えるものも見えなくなるのですね。
No title
>反対尋問
だから相手にされていないといことを自覚しなきゃ、ダメなんですって。
だから相手にされていないといことを自覚しなきゃ、ダメなんですって。
No title
>特定の思想にかぶれると見えるものも見えなくなるのですね。
ではなくて、天皇の地位に鑑み、私人の写真とかというものとは違うでしょ、という単純な話。
それがいいかどうかは、別の問題。
ではなくて、天皇の地位に鑑み、私人の写真とかというものとは違うでしょ、という単純な話。
それがいいかどうかは、別の問題。
特定の思想とは何か
特定の思想とか言う言葉を振りかざす人は、御自分は特定の思想とは無縁で関係無いという論理なのでしょうか。
表現の自由展・その後における表現の自由不可の論理
< >昭和天皇は、国民の命よりも戦果を期待し、敗戦の受け入れを遅らせ、
>より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。 >
思い込みではありません。
これは歴史的事実です。
<↑その思い込みが仮に本当だとしても
顔写真を焼いて展示会に出すその行為を正当化する根拠にはなりません。>
本当の歴史的事実を基にして、それを批判する表現の自由を行使することの何がいけないというのですか。
そうまでしても表現の自由を行使させないために、特定の思想だとか、政治性があるから駄目だという様な理由にもならない決めつけをするしかなくなるのでしょう。
>より多くの国民の生命が奪われたという事実というだけで、十分ですよ。 >
思い込みではありません。
これは歴史的事実です。
<↑その思い込みが仮に本当だとしても
顔写真を焼いて展示会に出すその行為を正当化する根拠にはなりません。>
本当の歴史的事実を基にして、それを批判する表現の自由を行使することの何がいけないというのですか。
そうまでしても表現の自由を行使させないために、特定の思想だとか、政治性があるから駄目だという様な理由にもならない決めつけをするしかなくなるのでしょう。
rotさん
特定思想云々について横レス
rotさんの支持する社民党は
支持率0.4%(共同通信)なので
ごく一部の意見、という意味と思われます。
なお、大村知事は、河村市長らの介入に不快感を示している一方で
当作品の選定については津田芸術監督の責任としています。
ですから、選挙で選ばれた大村が認めたんだから特定思想じゃない、という反論は成り立ちません。
特定思想云々について横レス
rotさんの支持する社民党は
支持率0.4%(共同通信)なので
ごく一部の意見、という意味と思われます。
なお、大村知事は、河村市長らの介入に不快感を示している一方で
当作品の選定については津田芸術監督の責任としています。
ですから、選挙で選ばれた大村が認めたんだから特定思想じゃない、という反論は成り立ちません。
No title
表現の自由なら赤報隊事件を賞賛するジオラマを作って公共施設で展示しても構わないわけですな。
最後の砦の○○の自由を安売りすることもなかろうに。
最後の砦の○○の自由を安売りすることもなかろうに。
後悔(自責の念)と責任回避に揺れる裕仁天皇
>「下剋上」だから仕方なかったとまでは天皇は言っていない。
NHKの番組「拝謁記」のHPをざっくり目を通してみた。
「(早期終戦などは)下剋上でとても出来るものではなかつた」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」
裕仁天皇のこうした言葉は〈仕方なかった〉と同義だろう。後悔と同時に責任から逃れたいという心情も見て取れる。その心情は「太平洋戦争ハ近衛が始めたといつてよいよ」「五五三の海軍比率が海軍を刺戟して・・・パールハーバーになつた」としたところにも表れている。また満州事変について米国の圧力を望んだ発言には苦笑してしまう。
ましてや「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」と、国民にも反省すべき点があると述べている。「おまえが言うな」だ。
しかし、「「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。」という番組での検証は、軍部の暴走を止められなかった「責任」を感じていることを伺わせる。
〈昭和天皇は戦後も戦前・戦中を生きていたのではないか。〉という古川隆久教授の分析は、後悔の念を文脈にしているが、現実には戦後も象徴天皇という位置づけを逸脱した行動がある。裕仁天皇は自身が考える天皇制というある種の国体を、共産主義の脅威から守りたかった。だから戦後の独立後も米軍の駐留を望み、そのように発言・行動している。その意味でも、戦後も〈天皇制を守る〉という文脈の中で「戦前・戦中を生きていた」と言える。
NHKの番組「拝謁記」のHPをざっくり目を通してみた。
「(早期終戦などは)下剋上でとても出来るものではなかつた」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」
裕仁天皇のこうした言葉は〈仕方なかった〉と同義だろう。後悔と同時に責任から逃れたいという心情も見て取れる。その心情は「太平洋戦争ハ近衛が始めたといつてよいよ」「五五三の海軍比率が海軍を刺戟して・・・パールハーバーになつた」としたところにも表れている。また満州事変について米国の圧力を望んだ発言には苦笑してしまう。
ましてや「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」と、国民にも反省すべき点があると述べている。「おまえが言うな」だ。
しかし、「「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。」という番組での検証は、軍部の暴走を止められなかった「責任」を感じていることを伺わせる。
〈昭和天皇は戦後も戦前・戦中を生きていたのではないか。〉という古川隆久教授の分析は、後悔の念を文脈にしているが、現実には戦後も象徴天皇という位置づけを逸脱した行動がある。裕仁天皇は自身が考える天皇制というある種の国体を、共産主義の脅威から守りたかった。だから戦後の独立後も米軍の駐留を望み、そのように発言・行動している。その意味でも、戦後も〈天皇制を守る〉という文脈の中で「戦前・戦中を生きていた」と言える。
破壊より創造へ
裕仁天皇に関連した作品にそうした史実を突合させたところでどれほど意味があるか。作品の説明を見れば、作者の心の有り様を表現したに過ぎないのであり、見る人がどんな感想を持とうが主観的なものに過ぎない。ましてや優劣をつけたり、芸術ではないと言ってみたり、感性よりも評価を気にするようでは寂しい限り。
なお、作者の作風が破壊を基調としているからといって、見る側も〈空疎な破壊〉をイメージしてしまっては意味が無い。その意味で主観を失わず、創造へ如何につなげていくかが問われよう。
一方、作者としては、わき上がる主観が創造へのエネルギーとなることを期待するのではないか。残念ながら今回の主観は、社会に対し自由に対する抑圧、萎縮へ作用することになってしまった。そして暴力への道を開きつつある。テロ脅迫は以前にも北星学園大学に向けてのものなどがあり、おそらく一般人がしているものだろう。犯罪に対する認識が薄くなっているのは深刻な事態だ。シャルリ・エブド事件のようなことは絶対起こしてはならない。
芸術家が人々に求めるもの----それは破壊よりも新たに人間を解き放つ芸術を編み出すための創造だろう。芸術を見る側にも創造する力が必要だ。その営みをどのように繋いでいくか。そのためにも表現の自由は保証されなくてはならない。
展示の再開を強く求めたい。
〔参考〕
芸術は自己表現であり、心のありようを映し出すもの。問わず語りに口をついて出るのも歌であり、そのように生まれていった思いの数々が、歌い継がれる中で歌詞を変えながら歴史を作り出していく。その中には自然とイデオロギーが生まれていくこともあるだろう。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1270.html
2017/11/18(00:31)のコメント
なお、作者の作風が破壊を基調としているからといって、見る側も〈空疎な破壊〉をイメージしてしまっては意味が無い。その意味で主観を失わず、創造へ如何につなげていくかが問われよう。
一方、作者としては、わき上がる主観が創造へのエネルギーとなることを期待するのではないか。残念ながら今回の主観は、社会に対し自由に対する抑圧、萎縮へ作用することになってしまった。そして暴力への道を開きつつある。テロ脅迫は以前にも北星学園大学に向けてのものなどがあり、おそらく一般人がしているものだろう。犯罪に対する認識が薄くなっているのは深刻な事態だ。シャルリ・エブド事件のようなことは絶対起こしてはならない。
芸術家が人々に求めるもの----それは破壊よりも新たに人間を解き放つ芸術を編み出すための創造だろう。芸術を見る側にも創造する力が必要だ。その営みをどのように繋いでいくか。そのためにも表現の自由は保証されなくてはならない。
展示の再開を強く求めたい。
〔参考〕
芸術は自己表現であり、心のありようを映し出すもの。問わず語りに口をついて出るのも歌であり、そのように生まれていった思いの数々が、歌い継がれる中で歌詞を変えながら歴史を作り出していく。その中には自然とイデオロギーが生まれていくこともあるだろう。
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1270.html
2017/11/18(00:31)のコメント
No title
>ましてや優劣をつけたり、芸術ではないと言ってみたり、感性よりも評価を気にするようでは寂しい限り。
↑
政治的意図を主張したいなら同じ政治という土俵でどうぞ。
芸術とは第三者からの共感、共鳴無しには成立しない分野。正攻法で作品を作れない自称芸術家の売名や自己満足の世界ではありません。
本当に「表現の自由」を追求したかったのか甚だ疑問。「騒ぐ自由」ならすでに実現しているので勘弁していただきたい。
↑
政治的意図を主張したいなら同じ政治という土俵でどうぞ。
芸術とは第三者からの共感、共鳴無しには成立しない分野。正攻法で作品を作れない自称芸術家の売名や自己満足の世界ではありません。
本当に「表現の自由」を追求したかったのか甚だ疑問。「騒ぐ自由」ならすでに実現しているので勘弁していただきたい。
No title
>表現の自由なら赤報隊事件を賞賛するジオラマを作って公共施設で展示しても構わないわけですな。
センスが最悪。
センスが最悪。
No title
猪野先生には芸術に関する業績が無く
本件に関して「センス」の良し悪しを語る専門知識は無いものと思います。
(もちろん、我々も同様です)
加えて、津田芸術監督には芸術に関する業績が無いにもかかわらず、
作品の選定課程において、専門家である学芸員らの選定した作品を退けた経緯があり、
(採用方針を示して、具体的な選定は学芸員や外部有識者に任せる、という仕事のやり方ではない)
本件には、芸術を置き去りにしたという問題点があります。
本件に関して「センス」の良し悪しを語る専門知識は無いものと思います。
(もちろん、我々も同様です)
加えて、津田芸術監督には芸術に関する業績が無いにもかかわらず、
作品の選定課程において、専門家である学芸員らの選定した作品を退けた経緯があり、
(採用方針を示して、具体的な選定は学芸員や外部有識者に任せる、という仕事のやり方ではない)
本件には、芸術を置き去りにしたという問題点があります。
大人の自由に子供を引きずらないでください。
どんな理由があろうが誰の写真だろうが焼いた顔写真の展示はいけません。
表現の自由の範ちゅうだ、というのも
共感の問題は別である、というのも話しのすり替えです。
自由の表現の範ちゅうを語るなら表現の制限も平行して語るべきです。
共感の問題は別である、というのも共感が得られればあわよくば
その行為を認知させたいという下心がみえみえです。
共感を得ようが得まいが表現の自由の範ちゅうであろうがなかろうが
やってはいけないことはあるのです。簡単な事ではないですか。
陛下の顔写真を焼くことに容認する側はもっともらしく理由を述べてますが、
結局は天皇嫌いの感情論にしか過ぎません。
展示会にて子供がその作品のことを聞かれたときなんて答えるのでしょう。
天皇陛下は悪い人だからここまでしてもいいんだ、とでも言うのでしょうか。
天皇も人間だけど?と返されたらなんと返事すればいいのでしょう。
一般人の焼いた写真はダメだけど天皇陛下だけは燃やしてもかまわないなんて
もしそれを言えちゃうなら天皇嫌いの中でも特定思想そのものではないですか。
これ右左の話ではないですよ。人としての話しです。
>本当の歴史的事実を基にして、それを批判する表現の自由を行使することの何がいけないというのですか。
↑ありがとうございます。貴方自身が自ら特定の思想だと証明してくれました。
私の話は歴史認識は関係ないことぐらい冷静な方なら分かりそうなものです。
ただ陛下の顔写真の事について話しただけです。相当お嫌いのようですね。
なんなら原爆を落としたトルーマンの写真でも焼いて展示会に出してみたら?
ヒトラーの写真を引き裂いて子供達にばらまいてみたら?
世の中にはこんな悪い人がいる!と貴方の歴認識とやらを教えてさしあげれば?
子を持つ親として道徳上、倫理上、そして教育上私は反対です。
世の中には法律で許されてもやってはいけないことがあります。
私は子供には法律が許しても友達が許しても親がダメといったらダメ、
としつけてきました。
法律にないから、友達が文句言わないから、
と迷惑行為をしてしまう大人になって欲しくないからです。
だからみなさん大人の自由に子供を引きずらないでください。
はっきり言って迷惑なんですよ。
因みに歴史認識が感情的になりヒステリー状態になったのが今の韓国です。
日本の歴代総理大臣は何回焼かれたでことしょう。
今回は日本企業のロゴマークが公衆の面前で踏みつぶされました。
不買運動もやってますね。(なんならフッ化水素も不買運動すればいいのに)
韓国の子供達はそのような大人達を見て育って行くのでしょうね。
この現象日本とは違いますがいつまで違うと言い切れますかね。
表現の自由の範ちゅうだ、というのも
共感の問題は別である、というのも話しのすり替えです。
自由の表現の範ちゅうを語るなら表現の制限も平行して語るべきです。
共感の問題は別である、というのも共感が得られればあわよくば
その行為を認知させたいという下心がみえみえです。
共感を得ようが得まいが表現の自由の範ちゅうであろうがなかろうが
やってはいけないことはあるのです。簡単な事ではないですか。
陛下の顔写真を焼くことに容認する側はもっともらしく理由を述べてますが、
結局は天皇嫌いの感情論にしか過ぎません。
展示会にて子供がその作品のことを聞かれたときなんて答えるのでしょう。
天皇陛下は悪い人だからここまでしてもいいんだ、とでも言うのでしょうか。
天皇も人間だけど?と返されたらなんと返事すればいいのでしょう。
一般人の焼いた写真はダメだけど天皇陛下だけは燃やしてもかまわないなんて
もしそれを言えちゃうなら天皇嫌いの中でも特定思想そのものではないですか。
これ右左の話ではないですよ。人としての話しです。
>本当の歴史的事実を基にして、それを批判する表現の自由を行使することの何がいけないというのですか。
↑ありがとうございます。貴方自身が自ら特定の思想だと証明してくれました。
私の話は歴史認識は関係ないことぐらい冷静な方なら分かりそうなものです。
ただ陛下の顔写真の事について話しただけです。相当お嫌いのようですね。
なんなら原爆を落としたトルーマンの写真でも焼いて展示会に出してみたら?
ヒトラーの写真を引き裂いて子供達にばらまいてみたら?
世の中にはこんな悪い人がいる!と貴方の歴認識とやらを教えてさしあげれば?
子を持つ親として道徳上、倫理上、そして教育上私は反対です。
世の中には法律で許されてもやってはいけないことがあります。
私は子供には法律が許しても友達が許しても親がダメといったらダメ、
としつけてきました。
法律にないから、友達が文句言わないから、
と迷惑行為をしてしまう大人になって欲しくないからです。
だからみなさん大人の自由に子供を引きずらないでください。
はっきり言って迷惑なんですよ。
因みに歴史認識が感情的になりヒステリー状態になったのが今の韓国です。
日本の歴代総理大臣は何回焼かれたでことしょう。
今回は日本企業のロゴマークが公衆の面前で踏みつぶされました。
不買運動もやってますね。(なんならフッ化水素も不買運動すればいいのに)
韓国の子供達はそのような大人達を見て育って行くのでしょうね。
この現象日本とは違いますがいつまで違うと言い切れますかね。
No title
>本件に関して「センス」の良し悪しを語る専門知識は無いものと思います。
わかってないですね。
犯罪を賛美するということ例に持ち出したことのセンスですよ。
わかってないですね。
犯罪を賛美するということ例に持ち出したことのセンスですよ。
No title
>共感の問題は別である、というのも話しのすり替えです。
表現の自由ですよ。
表現の自由ではないというなら刑罰を科すことも可能ですか。
明治憲法じゃあるまいし。
表現の自由ですよ。
表現の自由ではないというなら刑罰を科すことも可能ですか。
明治憲法じゃあるまいし。
No title
猪野先生
>犯罪を賛美するということ例に持ち出したことのセンスですよ。
その場合、イーグルさんだけを非難するのはどうかと思います。
韓国では、天皇の写真を燃やすことを賛美する方々は、
裕仁皇太子や伊藤博文へのテロをも賛美するので
朝日新聞テロを例に出したのは、
そうした前提に立ったうえでの皮肉と思われます。
>犯罪を賛美するということ例に持ち出したことのセンスですよ。
その場合、イーグルさんだけを非難するのはどうかと思います。
韓国では、天皇の写真を燃やすことを賛美する方々は、
裕仁皇太子や伊藤博文へのテロをも賛美するので
朝日新聞テロを例に出したのは、
そうした前提に立ったうえでの皮肉と思われます。
No title
>裕仁皇太子や伊藤博文へのテロをも賛美するので
なるほど、侵略の意味も分かっていないということね。
なるほど、侵略の意味も分かっていないということね。
No title
なぜ表現の自由しか主張なさらない。
自由の制限をどうして語らない?
得意の別問題と逃げますか?
ほんと勝手な大人達ですね。
自分の思想が絶対だという傲慢さが出ています。
違うというなら子供達になんて説明します?
ご伝授お願いします。具体的に。
人の親として真剣ですよ。こちらは。
自由の制限をどうして語らない?
得意の別問題と逃げますか?
ほんと勝手な大人達ですね。
自分の思想が絶対だという傲慢さが出ています。
違うというなら子供達になんて説明します?
ご伝授お願いします。具体的に。
人の親として真剣ですよ。こちらは。
No title
天皇の特殊な地位、戦前は絶対の存在で、無礼があったら投獄されたこと、アジア・太平洋戦争が殺戮のための侵略戦争であり、その最高責任者であったこと、
そうした立場が故に未だにそうした行動に出る人たちがいる、
説明してあげてください。
そうした立場が故に未だにそうした行動に出る人たちがいる、
説明してあげてください。
No title
子供達が分かるわけないではありあませんか。
いい加減にして下さい。
写真を見て怖いよーと震えるだけですよ。
おねしょしたりトラウマになったりそんなレベルですよ、子供は。
ほんと迷惑です。
大人達の身勝手な自由に子供を振り回さないでください。
で、自由の制限は?
お答えください。
まさか表現の自由は主張するが制限は語らない訳ありませんよね。
反抗期のガキではないんだから。
いい加減にして下さい。
写真を見て怖いよーと震えるだけですよ。
おねしょしたりトラウマになったりそんなレベルですよ、子供は。
ほんと迷惑です。
大人達の身勝手な自由に子供を振り回さないでください。
で、自由の制限は?
お答えください。
まさか表現の自由は主張するが制限は語らない訳ありませんよね。
反抗期のガキではないんだから。
No title
何歳を想定しているのかな?
振り回す?
過去の侵略、殺戮の事実すら否定したい人が偉そうなことを言ってはダメね。
自由の制限?
何でそんなのが可能になるの?
もうちょっと勉強してから出直した方がいいね。
ところで、反抗期のガキとはどういう意味ですか。
振り回す?
過去の侵略、殺戮の事実すら否定したい人が偉そうなことを言ってはダメね。
自由の制限?
何でそんなのが可能になるの?
もうちょっと勉強してから出直した方がいいね。
ところで、反抗期のガキとはどういう意味ですか。
No title
結局、天皇の陰の部分しか主張してないではありませんか。
偏っているんですよ、先生は。
で答えてよ。
自由の制限は?
偏っているんですよ、先生は。
で答えてよ。
自由の制限は?
No title
>で答えてよ。
自由の制限は?
いい加減にしてもらいたいね。
これはどういう意味で言っていますか。
自由の制限は?
いい加減にしてもらいたいね。
これはどういう意味で言っていますか。
展示再開希望
ぜひとももう一度再開してくれ。
そして、ぬる甘い日本人に見せつけてくれ。
亡国の王、敗軍の兵なれば、墓から引き摺り出してでも永遠の侮辱を加えるべきとする、儒教の厳しさをな。
そして、ぬる甘い日本人に見せつけてくれ。
亡国の王、敗軍の兵なれば、墓から引き摺り出してでも永遠の侮辱を加えるべきとする、儒教の厳しさをな。
No title
>反抗期のガキ
やれやれ。。。
汚い言葉。センスの悪さ。
それこそ、「子供たちが震える」言葉です。
前にも書きましたように、
ひまわりさんのブログ主への「押し付けがましさ」は目に余ります。
上から目線の典型であり、実に失礼な人です。
猪野様の寛容さには敬服いたします。
やれやれ。。。
汚い言葉。センスの悪さ。
それこそ、「子供たちが震える」言葉です。
前にも書きましたように、
ひまわりさんのブログ主への「押し付けがましさ」は目に余ります。
上から目線の典型であり、実に失礼な人です。
猪野様の寛容さには敬服いたします。
No title
ひまわり氏があまりに低レベル、低俗の言い掛かりをつけてきているので、ひと言。
子が何?
全くすり替えの議論も甚だしいというか無知というか、無節操というか、何歳を想定しているのかについても答えない。
子に見せるか言うのかというのは年齢にもよる、当たり前。
以前、議論になったはだしのゲンは何歳くらいからがいいかね、という議論と一緒。
本当にただ言い掛かりをつけるためだけに、あたかも子を守るため、みたいに言う。卑劣。
子が何?
全くすり替えの議論も甚だしいというか無知というか、無節操というか、何歳を想定しているのかについても答えない。
子に見せるか言うのかというのは年齢にもよる、当たり前。
以前、議論になったはだしのゲンは何歳くらいからがいいかね、という議論と一緒。
本当にただ言い掛かりをつけるためだけに、あたかも子を守るため、みたいに言う。卑劣。
表現の自由の大切さが分かる子供はいくらでもいるだろうけど、大人は・・・
ひまわりさん、子供をダシにするのは止めてくださいね。
子供が写真云々で怖がったりしませんよ。
怪獣ものでもアクションものでも、怪談物でも、もっと怖いのはいくらでもありますから。
<↑ありがとうございます。貴方自身が自ら特定の思想だと証明してくれました。>
貴方のそういう考えの方がよっぽど怖いですね。
いくらでも戦前みたいな弾圧が可能になりますからね。
子供が写真云々で怖がったりしませんよ。
怪獣ものでもアクションものでも、怪談物でも、もっと怖いのはいくらでもありますから。
<↑ありがとうございます。貴方自身が自ら特定の思想だと証明してくれました。>
貴方のそういう考えの方がよっぽど怖いですね。
いくらでも戦前みたいな弾圧が可能になりますからね。
No title
>亡国の王、敗軍の兵なれば、墓から引き摺り出してでも永遠の侮辱を加えるべきとする、儒教の厳しさをな。
まあ、イギリスでも、王政復古で、復帰した王様が、ウェストミンスター寺院に埋葬されていたクロムウェルの遺体を絞首刑に処して、その首をさらしたそうだ。
まあ、イギリスでも、王政復古で、復帰した王様が、ウェストミンスター寺院に埋葬されていたクロムウェルの遺体を絞首刑に処して、その首をさらしたそうだ。
みなさんへ
コメントをしている人の中で、今、問題となっている「遠近を抱えて(4点組)」を鑑賞した人が一人でもいるのだろうか?
わたしは観ていない。
20分程度の映像作品だそうだが、
>昭和天皇の写真を燃やす、その灰を足で踏みつけるという映像だそうです。
と伝聞形式、第三者の感想によって間接的に憶測も交えて想像するしかない状況であり、この作品自体の評論には限界があると思う。
わたしの現在の見解は以下の通りで変更なし。
↓
<なごやんのコメント>
正直、これ以上の憶測は無理。やはり現物を観てみたい。そのうえでなければ良いとも悪いとも言い切れない。「表現の不自由展・その後」の再開を希望する。
わたしは観ていない。
20分程度の映像作品だそうだが、
>昭和天皇の写真を燃やす、その灰を足で踏みつけるという映像だそうです。
と伝聞形式、第三者の感想によって間接的に憶測も交えて想像するしかない状況であり、この作品自体の評論には限界があると思う。
わたしの現在の見解は以下の通りで変更なし。
↓
<なごやんのコメント>
正直、これ以上の憶測は無理。やはり現物を観てみたい。そのうえでなければ良いとも悪いとも言い切れない。「表現の不自由展・その後」の再開を希望する。
反論できない相手を一方的に辱めるのは楽しいか?
相手がいかなる状況でも節度を順守される方々だからといって、自分たちは何をしても許されるというわけではない。
これはまずありえないことだが、もし上皇陛下が「故人(父君である昭和天皇)に対する敬愛追慕の情を著しく侵害され、精神的苦痛を受けた」として、大村愛知県知事、津田監督、東とかいうおっさんを相手取って名誉棄損の訴え(民事)を起こしたら如何?その瞬間、三人とも日本にはもう住めなくなる。裁判の結果を待つまでもない。それだけ皇族の言葉は重いからこそ、まず絶対に反論なされないのに、それをいいことにアホ共は!
自分たちが地雷原の上で「これが芸術だ!」と言いながら裸踊りをしてるサルにすぎないことに気付かないとは哀れだ。そして、大騒ぎになるや醜い責任のなすり合い。表現の自由は、こんな連中のおもちゃではない。
これはまずありえないことだが、もし上皇陛下が「故人(父君である昭和天皇)に対する敬愛追慕の情を著しく侵害され、精神的苦痛を受けた」として、大村愛知県知事、津田監督、東とかいうおっさんを相手取って名誉棄損の訴え(民事)を起こしたら如何?その瞬間、三人とも日本にはもう住めなくなる。裁判の結果を待つまでもない。それだけ皇族の言葉は重いからこそ、まず絶対に反論なされないのに、それをいいことにアホ共は!
自分たちが地雷原の上で「これが芸術だ!」と言いながら裸踊りをしてるサルにすぎないことに気付かないとは哀れだ。そして、大騒ぎになるや醜い責任のなすり合い。表現の自由は、こんな連中のおもちゃではない。
不敬罪―思想信条の自由に対する弾圧法規
『天皇・天皇制をよむ』東京大学出版会より引用させて頂きます。
不敬罪の敗退
― 官憲当局は、敗戦にもかかわらず天皇制そのものは無疵で残っていると信じた。
1946年5月、「コメよこせ」大会の参加者のひとりが掲げた「朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね」とあるプラカードのゆえに、不敬罪容疑で逮捕され起訴されたのは、その証拠である。
さすが第一審では不敬罪適用を回避して、より普通の罪たる名誉棄損罪を転用して有罪(懲役八月)とした。第二審では不敬罪成立を前提としつつ、これより先に発せられた大赦令(1946年勅511号)が不敬罪の罪を―治安維持法その他もろもろの罪とともに―「これを赦免する」とあることを理由に、免訴とした。最高裁も、この処理を肯定した。
大赦令はしかしながら、不敬罪そのものを廃止したわけではない。
これを立法的に消滅させるためには、刑法一部改正(1947年法124号)がなければならなかった。
社会支配層がいかに不敬罪存続に固執したかは、吉田・マッカーサー間の往復書簡のなかの議論にみることができる。
極言すれば、不敬罪消滅は「占領軍による‟押し付け„」であった。
不敬罪廃止にともない刑法(232条2項)は、天皇、皇嗣などに対する名誉棄損の告訴は、内閣総理大臣が代わってなす、と定めた。
天皇・皇嗣が前面に出るのは適わしくないと考えられたのでもあろうか。 ―
(奥平康弘)
<三人とも日本にはもう住めなくなる。裁判の結果を待つまでもない。それだけ皇族の言葉は重いからこそ、まず絶対に反論なされないのに、それをいいことにアホ共は!>
こういう認識の人がいるからこそ、表現の自由と、思想及び良心の自由、思想信条の自由を、憲法と共に守らねばならないのだと思います。
不敬罪の敗退
― 官憲当局は、敗戦にもかかわらず天皇制そのものは無疵で残っていると信じた。
1946年5月、「コメよこせ」大会の参加者のひとりが掲げた「朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね」とあるプラカードのゆえに、不敬罪容疑で逮捕され起訴されたのは、その証拠である。
さすが第一審では不敬罪適用を回避して、より普通の罪たる名誉棄損罪を転用して有罪(懲役八月)とした。第二審では不敬罪成立を前提としつつ、これより先に発せられた大赦令(1946年勅511号)が不敬罪の罪を―治安維持法その他もろもろの罪とともに―「これを赦免する」とあることを理由に、免訴とした。最高裁も、この処理を肯定した。
大赦令はしかしながら、不敬罪そのものを廃止したわけではない。
これを立法的に消滅させるためには、刑法一部改正(1947年法124号)がなければならなかった。
社会支配層がいかに不敬罪存続に固執したかは、吉田・マッカーサー間の往復書簡のなかの議論にみることができる。
極言すれば、不敬罪消滅は「占領軍による‟押し付け„」であった。
不敬罪廃止にともない刑法(232条2項)は、天皇、皇嗣などに対する名誉棄損の告訴は、内閣総理大臣が代わってなす、と定めた。
天皇・皇嗣が前面に出るのは適わしくないと考えられたのでもあろうか。 ―
(奥平康弘)
<三人とも日本にはもう住めなくなる。裁判の結果を待つまでもない。それだけ皇族の言葉は重いからこそ、まず絶対に反論なされないのに、それをいいことにアホ共は!>
こういう認識の人がいるからこそ、表現の自由と、思想及び良心の自由、思想信条の自由を、憲法と共に守らねばならないのだと思います。
No title
>その瞬間、三人とも日本にはもう住めなくなる。
↑
それにしてもメディアは慰安婦像のことばかりで昭和天皇の写真焼却に対してはほとんど言及せずに映像も無し。
得意の報道しない自由、というやつですね。
>こういう認識の人がいるからこそ、表現の自由と、思想及び良心の自由、思想信条の自由を、憲法と共に守らねばならないのだと思います。
↑
儚いものと認識する姿勢は評価しますけどね。
権力と戦うようなポーズだけとって、いざやることといえば気が引けるのか、この程度のプチレジスタンス。
サイレントマジョリティーにとっては〇〇の自由なんて霞のようなもの。
音楽ならグラミー賞、俳優ならゴールデングローブ賞、映画ならアカデミー賞............
自分たちが果たして何をやってるのか、それが自身でわかるまではアートを理解できない虚しい人生を送ることになるでしょう。
>犯罪を賛美するということ例に持ち出したことのセンスですよ。
↑
単なるセンスですね。
表現に自由と言うことに対しては一致と言うことですね。
↑
それにしてもメディアは慰安婦像のことばかりで昭和天皇の写真焼却に対してはほとんど言及せずに映像も無し。
得意の報道しない自由、というやつですね。
>こういう認識の人がいるからこそ、表現の自由と、思想及び良心の自由、思想信条の自由を、憲法と共に守らねばならないのだと思います。
↑
儚いものと認識する姿勢は評価しますけどね。
権力と戦うようなポーズだけとって、いざやることといえば気が引けるのか、この程度のプチレジスタンス。
サイレントマジョリティーにとっては〇〇の自由なんて霞のようなもの。
音楽ならグラミー賞、俳優ならゴールデングローブ賞、映画ならアカデミー賞............
自分たちが果たして何をやってるのか、それが自身でわかるまではアートを理解できない虚しい人生を送ることになるでしょう。
>犯罪を賛美するということ例に持ち出したことのセンスですよ。
↑
単なるセンスですね。
表現に自由と言うことに対しては一致と言うことですね。
「甘受すべき」
猪野先生の提示された「公人・私人の区分」を考えると、これは「甘受すべき」というのが法的結論だろうね。
安倍総理の似顔絵に角を生やした絵を燃やしたとしても、「甘受すべき」。
但し、こういった批判表現でも、橋下氏の出自に関する報道などは、私人である橋下氏の子供にも影響があるため、ダメだと思う。
安倍総理の似顔絵に角を生やした絵を燃やしたとしても、「甘受すべき」。
但し、こういった批判表現でも、橋下氏の出自に関する報道などは、私人である橋下氏の子供にも影響があるため、ダメだと思う。
いやあ、すごいコメですね。驚きました。
初めて投稿いたします。
いやあ、すごいコメですね。
全体主義の亡霊というかなんというか驚きました。
民主化されて70数年、まだまだ、たったの70数年なのでしょうか。
それとも革命も反省もなく他国によって民主化された国の末路なのでしょうか。
反日と騒いでいる人は、戦前の非国民と騒いでる人なのでしょうかね。
戦前の鬼畜米英プロバガンダが、今は中韓なのでしょうかね。
もう韓国叩きが国是なのかと思うくらいですよ。
どうなっちゃうんでしょうねえ日本は。
いやあ、すごいコメですね。
全体主義の亡霊というかなんというか驚きました。
民主化されて70数年、まだまだ、たったの70数年なのでしょうか。
それとも革命も反省もなく他国によって民主化された国の末路なのでしょうか。
反日と騒いでいる人は、戦前の非国民と騒いでる人なのでしょうかね。
戦前の鬼畜米英プロバガンダが、今は中韓なのでしょうかね。
もう韓国叩きが国是なのかと思うくらいですよ。
どうなっちゃうんでしょうねえ日本は。
憲法よりも皇統を守る裕仁天皇
裕仁天皇は戦後も天皇であり続け、君主気分が抜けないままであったことは前回も述べた。現在の沖縄の苦悩もここに原点がある。
引用開始----
そして47年9月の「天皇メッセージ」である。琉球諸島の軍事占領の継続を米国に希望し、占領は日本に主権を残したまま「25年から50年、あるいはそれ以上」貸与するという擬制(フィクション)に基づくべきだ―としている。宮内府御用掛だった故寺崎英成氏を通じてシーボルトGHQ外交局長に伝えられた(注1)。
引用終わり----
これは9/19付けの実録にある。また、51年ダレス特使の訪日で裕仁天皇と会見をしている。米側資料では
引用開始----
米軍の駐留は、日本がその義務(再軍備)を果たすまで「日本側の要請」に応えて米国が施す「恩恵」であるという、米国の「根本方針」にたった論理を展開した。これに対し昭和天皇は、「全面的な同意」(wholehearted agreement)を表明したのである(注2)。
引用終わり----
とされている。これも象徴を逸脱した言動になろう。
こうした行動原理は憲法上のものではなく、「事態の重要さ」に基づいており、戦前から一貫する。独白録では「満州は田舎であるから事件が起つても大したことはない」と述べている。だから奉勅命令なしの出撃は統帥権の干犯であっても無視できた。しかし、敗戦濃厚な事態に押され、天皇主導で徹底抗戦が講和へ方針転換されるときも重視したのは「皇室の御安泰、国体の護持」である。裕仁天皇の「事態の重要さ」はここにあり、彼は何を語ったのかを見ておきたい(注3)。
独白録では--
「敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った」
木戸幸一には--
「伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番良いと思ふ。…万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」
さらに52年3月のリッジウェイとの会談では恥知らずな質問をした。
「〔共産側が朝鮮半島で〕仮に大攻勢に転じた場合、米軍は原子兵器を使用されるお考えはあるか? この問題に対しては恐らく貴司令官も答弁する立場にないと言われるかも知れないが?」
裕仁天皇による〈皇統を守る〉ためのなりふり構わない姿がここにある。裕仁天皇が話題になるときは常に想起しておきたい。
【注】
1, https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html
2, 昭和天皇の戦後日本(岩波書店/2015) 第3章/ 3 「非公式チャネル」の展開
3, 同 第4章/ 2 天皇の「行動原理」とは何か
引用開始----
そして47年9月の「天皇メッセージ」である。琉球諸島の軍事占領の継続を米国に希望し、占領は日本に主権を残したまま「25年から50年、あるいはそれ以上」貸与するという擬制(フィクション)に基づくべきだ―としている。宮内府御用掛だった故寺崎英成氏を通じてシーボルトGHQ外交局長に伝えられた(注1)。
引用終わり----
これは9/19付けの実録にある。また、51年ダレス特使の訪日で裕仁天皇と会見をしている。米側資料では
引用開始----
米軍の駐留は、日本がその義務(再軍備)を果たすまで「日本側の要請」に応えて米国が施す「恩恵」であるという、米国の「根本方針」にたった論理を展開した。これに対し昭和天皇は、「全面的な同意」(wholehearted agreement)を表明したのである(注2)。
引用終わり----
とされている。これも象徴を逸脱した言動になろう。
こうした行動原理は憲法上のものではなく、「事態の重要さ」に基づいており、戦前から一貫する。独白録では「満州は田舎であるから事件が起つても大したことはない」と述べている。だから奉勅命令なしの出撃は統帥権の干犯であっても無視できた。しかし、敗戦濃厚な事態に押され、天皇主導で徹底抗戦が講和へ方針転換されるときも重視したのは「皇室の御安泰、国体の護持」である。裕仁天皇の「事態の重要さ」はここにあり、彼は何を語ったのかを見ておきたい(注3)。
独白録では--
「敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った」
木戸幸一には--
「伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番良いと思ふ。…万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思ふ」
さらに52年3月のリッジウェイとの会談では恥知らずな質問をした。
「〔共産側が朝鮮半島で〕仮に大攻勢に転じた場合、米軍は原子兵器を使用されるお考えはあるか? この問題に対しては恐らく貴司令官も答弁する立場にないと言われるかも知れないが?」
裕仁天皇による〈皇統を守る〉ためのなりふり構わない姿がここにある。裕仁天皇が話題になるときは常に想起しておきたい。
【注】
1, https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-975015.html
2, 昭和天皇の戦後日本(岩波書店/2015) 第3章/ 3 「非公式チャネル」の展開
3, 同 第4章/ 2 天皇の「行動原理」とは何か
TC1
愛知トリエンナーレに補助金不交付の愚挙。
朝日は日米貿易協定妥結を上回る紙面を割くも、読売は社会面でわずか三段の記事。
購読紙によって「表現の自由」の見え方が異なってくる。
朝日は日米貿易協定妥結を上回る紙面を割くも、読売は社会面でわずか三段の記事。
購読紙によって「表現の自由」の見え方が異なってくる。
↑
>購読紙によって「表現の自由」の見え方が異なってくる。
ナイーブ杉内。
表現の自由への考え方で各紙紙面が異なってんじゃ無い。
単に政治スタンスだわ。
もっと言えば、どの層に向けて売るかのマーケティングだわ。
(そもそも表現の自由の問題じゃねえし。表現の自由云々はミスリードだし。)
ナイーブ杉内。
表現の自由への考え方で各紙紙面が異なってんじゃ無い。
単に政治スタンスだわ。
もっと言えば、どの層に向けて売るかのマーケティングだわ。
(そもそも表現の自由の問題じゃねえし。表現の自由云々はミスリードだし。)
↑
お、俺の上のレスはズレてんな。
なごやんすまんな。これが俺の読壊力や。
なごやんすまんな。これが俺の読壊力や。
TC5
芸大生ら「不交付撤回を」 トリエンナーレ補助金巡り200人集会(朝日9/28)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14196457.html?iref=pc_ss_date
>「このままじゃ、お上が認める作品だけになってしまう」(芸大生)
↑
そんな世界はイヤだ。
芸術と自由は切り離せない。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14196457.html?iref=pc_ss_date
>「このままじゃ、お上が認める作品だけになってしまう」(芸大生)
↑
そんな世界はイヤだ。
芸術と自由は切り離せない。
表現の自由はあっても
それは、必ず公的補助金が与えられることを意味しない。
補助金が止められたからといって、それを検閲と称することは、誤りである。公的補助金が止められてくらいで、勝手に自費で表現することはできるのだから。
補助金が止められたからといって、それを検閲と称することは、誤りである。公的補助金が止められてくらいで、勝手に自費で表現することはできるのだから。
No title
検閲とは
行政が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、
発 表 前 に
その内容を精査した上、不適当と認められるものの発表を禁止すること。
https://ja.wikipedia.org/wiki/検閲
行政が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、
発 表 前 に
その内容を精査した上、不適当と認められるものの発表を禁止すること。
https://ja.wikipedia.org/wiki/検閲
ならない
>>「このままじゃ、お上が認める作品だけになってしまう」(芸大生)
例え文化庁等から補助金がもらえなくても、自費で発表することは可能だから。身銭を切る覚悟がなくて、自由なんて言わないで欲しい。カネがもらえないことは、発表を禁じられることではない。
例えば小説家が、補助金が無くては小説が書けないと言ったら、笑われるだろう。
例え文化庁等から補助金がもらえなくても、自費で発表することは可能だから。身銭を切る覚悟がなくて、自由なんて言わないで欲しい。カネがもらえないことは、発表を禁じられることではない。
例えば小説家が、補助金が無くては小説が書けないと言ったら、笑われるだろう。
上の芸大生ダサすぎ問題
>「このままじゃ、お上が認める作品だけになってしまう」(芸大生)
↑
つまり逆説的に言えば、「補助金が無けりゃ芸術家様は作品を創らない」と言ってるわけだ。
あ、ほ、か?
「好き放題しながら芸術家という肩書のタックスイーターになりたい。社会に寄生させてくれー」
だが断る。
↑
つまり逆説的に言えば、「補助金が無けりゃ芸術家様は作品を創らない」と言ってるわけだ。
あ、ほ、か?
「好き放題しながら芸術家という肩書のタックスイーターになりたい。社会に寄生させてくれー」
だが断る。
芸術活動の自由と文化の享受に対する政治行政の不当な介入や干渉は民主主義の否定である
たとえばゴッホなど過去の有名あるいは無名な画家の少なからぬ人々が経済的窮乏によって創作活動に困難をきたしていた時代において、芸術家の創作活動に対するパトロンによる援助(パトロネージュというそうです)は絶対的に必要なものだったのではないでしょうか。
しかし現代における芸術に対する支援は、その様な過去の時代における富裕層、支配権力者によるパトロン的援助では無く、国民主権のもとでの、国民の文化的生活の権利保障としての役割を持つものであるならば、芸術活動、表現における自由が最大限に保障されると共に、その活動において創作された自由な芸術作品を享受する権利を、国民から奪う様な政治的な介入、干渉は、民主主義国家において許されないものである事を、政治および行政は認識すべきであると考えます。
それゆえ、今回のあいちトリエンナーレに対する補助金不交付は、民主主義国家における表現の自由と芸術活動と国民の文化的生活に対する不当な措置であり、撤回されるべきだと思います。
しかし現代における芸術に対する支援は、その様な過去の時代における富裕層、支配権力者によるパトロン的援助では無く、国民主権のもとでの、国民の文化的生活の権利保障としての役割を持つものであるならば、芸術活動、表現における自由が最大限に保障されると共に、その活動において創作された自由な芸術作品を享受する権利を、国民から奪う様な政治的な介入、干渉は、民主主義国家において許されないものである事を、政治および行政は認識すべきであると考えます。
それゆえ、今回のあいちトリエンナーレに対する補助金不交付は、民主主義国家における表現の自由と芸術活動と国民の文化的生活に対する不当な措置であり、撤回されるべきだと思います。
TC1
(天声人語)検閲と自己検閲(朝日9/28)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14196451.html?iref=tenseijingo_backnumber
>議論を呼びそうな展示は避けようと自治体が自己検閲を強めないか。
↑
この国は「忖度」で動く国であることをお忘れなく。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14196451.html?iref=tenseijingo_backnumber
>議論を呼びそうな展示は避けようと自治体が自己検閲を強めないか。
↑
この国は「忖度」で動く国であることをお忘れなく。
TC6
わたしの実弟なごやん博士も国からお金を引き出すためにいろいろと作文していると聞く。
なごやん博士は科学者だが、やはりある種のパトロンのようなものは必要なのだろう。
なごやん博士は科学者だが、やはりある種のパトロンのようなものは必要なのだろう。
補助金を交付しないことは
>その活動において創作された自由な芸術作品を享受する権利を、国民から奪う様な政治的な介入、干渉は、
権利を奪う介入でも干渉でもありません。
行政が動かないなら、企業の後援を頼ればいいのです。
権利を奪う介入でも干渉でもありません。
行政が動かないなら、企業の後援を頼ればいいのです。
勘弁してくれや
>芸術活動の自由と文化の享受に対する政治行政の不当な介入や干渉は民主主義の否定である
自称ゲイジツカ様への補助金交付を止めたら、国民の文化的生活をおくる権利を侵害した事になるんかい・・・
民主主義の否定なのかい・・・
軽々しく人権だの民主主義だのを持ち出すなって。
恐ろしいまでに人権意識が低いな。
民主主義云々言うなら、公金を国民が納得できない用途に投入する粉とを問題視しろと。
自称ゲイジツカ様への補助金交付を止めたら、国民の文化的生活をおくる権利を侵害した事になるんかい・・・
民主主義の否定なのかい・・・
軽々しく人権だの民主主義だのを持ち出すなって。
恐ろしいまでに人権意識が低いな。
民主主義云々言うなら、公金を国民が納得できない用途に投入する粉とを問題視しろと。
朝日新聞低脳化問題
>議論を呼びそうな展示は避けようと自治体が自己検閲を強めないか。
公金は有権者の受け入れる用途に使われるべきやろ?
なら役所が公金の使用を慎重かつ厳格にやるのは有権者として歓迎すべき事やん。
自己検閲?
下らん造語を作りなさるなぁ。。。
クズかどうかは別にして、朝日新聞って「くおりてぃぺぃぱぁ」は「頭の良いバカ」だった筈なのだが、最近ただのバカになってきてない?
マーケティング的に高齢左翼層にフォーカスしてるから、そのせいか?
公金は有権者の受け入れる用途に使われるべきやろ?
なら役所が公金の使用を慎重かつ厳格にやるのは有権者として歓迎すべき事やん。
自己検閲?
下らん造語を作りなさるなぁ。。。
クズかどうかは別にして、朝日新聞って「くおりてぃぺぃぱぁ」は「頭の良いバカ」だった筈なのだが、最近ただのバカになってきてない?
マーケティング的に高齢左翼層にフォーカスしてるから、そのせいか?
No title
まあ、芸術もそうだが、五輪にも税金なんて投入するなよといいたい。スポンサーを見つけろよ。
TC1
>恐ろしいまでに人権意識が低いな。
↑
「人権はまぼろし!」というほど人権意識が高くはない。
↑
「人権はまぼろし!」というほど人権意識が高くはない。
TC2
自己検閲の意味が分かっていない。
図書館に行って9/28日付の朝日紙面を確認するか、月額980円の有料会員になること。
図書館に行って9/28日付の朝日紙面を確認するか、月額980円の有料会員になること。
No title
慰安婦を表現した少女像などの作品展示について、批判や抗議が殺到して展示継続が難しくなる可能性を把握していながら、文化庁に報告がなかったことも問題視。
「愛知県側では4月の段階で、会場が混乱するのではと警察当局と相談していたらしいが、文化庁にはその内容が来ていなかった。
少なくとも各方面に相談した段階で申請先の文化庁にも相談すべきだったのではないか」と述べた。
展示会での作品が、観客に非常に感銘を与えて、展示会の混乱が生じた場合にも、補助金の交付を取り消すのかな?
萩生田さんて、論理的な説明が不得意なのかな?
政治家は選挙民しだいですが、行政府の長は選任者の眼力が問われるのですよ。
それよりも補助金適正化法の何条に違反するのかな?
事前に警察への報告で十分善良な管理者の義務を果していますよ。
「愛知県側では4月の段階で、会場が混乱するのではと警察当局と相談していたらしいが、文化庁にはその内容が来ていなかった。
少なくとも各方面に相談した段階で申請先の文化庁にも相談すべきだったのではないか」と述べた。
展示会での作品が、観客に非常に感銘を与えて、展示会の混乱が生じた場合にも、補助金の交付を取り消すのかな?
萩生田さんて、論理的な説明が不得意なのかな?
政治家は選挙民しだいですが、行政府の長は選任者の眼力が問われるのですよ。
それよりも補助金適正化法の何条に違反するのかな?
事前に警察への報告で十分善良な管理者の義務を果していますよ。
No title
*五輪にも税金なんて投入するなよといいたい
ですよね?
開発途上国がインフラ投資の口実として五輪をするならまだわかりますが、今更政治家の思いだけで税金を使うなんて?理解不能??
ですよね?
開発途上国がインフラ投資の口実として五輪をするならまだわかりますが、今更政治家の思いだけで税金を使うなんて?理解不能??
↑
>>恐ろしいまでに人権意識が低いな。
>人権はまぼろし!」というほど人権意識が高くはない。
普段、人権人権言ってる左翼のくせに、って話さ。
俺はいいのさ。
俺はノアハラリや呉智英と同じく、人権という宗教(比喩ではない)を信じて無いのでね。
人権神授説は御馳走様。
貴方の宗教も御馳走様。
>自己検閲の意味が分かっていない。
>図書館に行って9/28日付の朝日紙面を確認するか、月額980円の有料会員になること。
だが断る。
そこまでプロバガンダの監視は出来ん。
>人権はまぼろし!」というほど人権意識が高くはない。
普段、人権人権言ってる左翼のくせに、って話さ。
俺はいいのさ。
俺はノアハラリや呉智英と同じく、人権という宗教(比喩ではない)を信じて無いのでね。
人権神授説は御馳走様。
貴方の宗教も御馳走様。
>自己検閲の意味が分かっていない。
>図書館に行って9/28日付の朝日紙面を確認するか、月額980円の有料会員になること。
だが断る。
そこまでプロバガンダの監視は出来ん。
No title
*人権という宗教(比喩ではない)を信じて無いのでね。
人権神授説は御馳走様。
天賦人権説の間違いではないですか?
それとも
王権神授説?の間違いかな?
人権神授説は御馳走様。
天賦人権説の間違いではないですか?
それとも
王権神授説?の間違いかな?
TC4
>普段、人権人権言ってる左翼のくせに、って話さ。俺はいいのさ。
↑
ダブスタなの?
↑
ダブスタなの?
↑
あんた理解してるくせに、なんですっとぼけてんの?
最近ちょっと酷くね?
俺は人権教の外に居るのでね?
例えば、いつも善人で敬虔なキリスト教徒面してる奴が聖母を軽んずるような言動をし、それに「キリスト教徒としてどうなのよw自滅乙」ってツッコミ入れてる仏教徒ワイ、という構図。
最近ちょっと酷くね?
俺は人権教の外に居るのでね?
例えば、いつも善人で敬虔なキリスト教徒面してる奴が聖母を軽んずるような言動をし、それに「キリスト教徒としてどうなのよw自滅乙」ってツッコミ入れてる仏教徒ワイ、という構図。
TC9
たとえがよくないなあ。
わからないのなら、わからないでいいのに。
わからないのなら、わからないでいいのに。
↑
わからないフリして茶化してろや。
もう相手に出来んわ。
もう相手に出来んわ。
No title
≪文化庁の補助金不交付決定、議事録存在せず≫
文化庁が「あいちトリエンナーレ2019」に対して補助金の不交付を決めた問題で、その決定過程の議事録が存在しないことが明らかになった。
文化庁が「不交付」の決定を下した、あいちトリエンナーレ2019に対する補助金約7800万円について、その不交付を決定した審査過程の議事録が存在しないことがわかった。
(日本共産党の本村伸子議員がTwitter)
これは、本村議員が文化庁に対して問い合わせをした結果判明したもので、京都にある文化庁地域文化創生本部が10月1日に回答したもの。
不交付決定に対して行政事件訴訟法に基づき不交付決定の取り消しが提起されたら議事録は出てくるのかな??
内容が萩生田発言で、公開に耐えられないと判断したのかな??
文化庁が「あいちトリエンナーレ2019」に対して補助金の不交付を決めた問題で、その決定過程の議事録が存在しないことが明らかになった。
文化庁が「不交付」の決定を下した、あいちトリエンナーレ2019に対する補助金約7800万円について、その不交付を決定した審査過程の議事録が存在しないことがわかった。
(日本共産党の本村伸子議員がTwitter)
これは、本村議員が文化庁に対して問い合わせをした結果判明したもので、京都にある文化庁地域文化創生本部が10月1日に回答したもの。
不交付決定に対して行政事件訴訟法に基づき不交付決定の取り消しが提起されたら議事録は出てくるのかな??
内容が萩生田発言で、公開に耐えられないと判断したのかな??
TC2
不自由展、抗議電話1日200件 中間報告発表後(中日10/2)
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019100201001634.html
↑
なんじゃ、こりゃ?
こんな電凸に負けるな愛知県!
根性見せたれ!
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019100201001634.html
↑
なんじゃ、こりゃ?
こんな電凸に負けるな愛知県!
根性見せたれ!
TC3
世界の検閲、スペインで問題提起 禁じられた作品、展示を計画(朝日10/7)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14207877.html?iref=pc_ss_date
↑
ここに慰安婦を表現した少女像があるのは「日本の恥」。
わたしは恥ずかしい。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14207877.html?iref=pc_ss_date
↑
ここに慰安婦を表現した少女像があるのは「日本の恥」。
わたしは恥ずかしい。
TC6
表現の不自由展、8日午後から再開へ 大村知事が方針(朝日10/7)
https://www.asahi.com/articles/ASMB762HMMB7OIPE025.html?iref=com_flash
↑
行って観たいが、14日までか。
ちょっと無理だなあ。
https://www.asahi.com/articles/ASMB762HMMB7OIPE025.html?iref=com_flash
↑
行って観たいが、14日までか。
ちょっと無理だなあ。
迷うな、躊躇うな、一歩も退くな!
即位の礼にあてつけるように再開を決めた、その意気や良し!
この上は、何があっても絶対退くな!たとえ、補助金を巡って日本政府と訴訟になっても、有力国会議員が多数視察に来ても、自民党本部と完全に決裂しても、修正予算を巡って県議会が紛糾しても、地元財界から総スカンを喰っても、名古屋市との対立が先鋭化しても、知事四選が不可能になっても、何が何でも残りの会期を全うしろ!全身火だるまになる覚悟で行け!踏みにじられてもあきらめるな!
間違っても、「再度中止」で恥の上塗りだけはするな!むしろ批判の矢を浴びまくって、弁慶の如く立ち往生せよ。それでこそ、日本男児だ。
自分の判断で再開を決した以上、他人に責任を転嫁することはできない。それを忘れるな、大村愛知県知事!愛知県民に選ばれしものよ。
この上は、何があっても絶対退くな!たとえ、補助金を巡って日本政府と訴訟になっても、有力国会議員が多数視察に来ても、自民党本部と完全に決裂しても、修正予算を巡って県議会が紛糾しても、地元財界から総スカンを喰っても、名古屋市との対立が先鋭化しても、知事四選が不可能になっても、何が何でも残りの会期を全うしろ!全身火だるまになる覚悟で行け!踏みにじられてもあきらめるな!
間違っても、「再度中止」で恥の上塗りだけはするな!むしろ批判の矢を浴びまくって、弁慶の如く立ち往生せよ。それでこそ、日本男児だ。
自分の判断で再開を決した以上、他人に責任を転嫁することはできない。それを忘れるな、大村愛知県知事!愛知県民に選ばれしものよ。
TC7
河村市長座り込み「こんな不正義なこと」(毎日10/8)
https://mainichi.jp/articles/20191008/k00/00m/040/127000c
↑
「こんな不正義なことはいけない」?
河村市長、あなたが正義を決めるのか?
まず、一人でも多くの人に作品を鑑賞してもらうこと。
そのうえで話し合えばいい。
https://mainichi.jp/articles/20191008/k00/00m/040/127000c
↑
「こんな不正義なことはいけない」?
河村市長、あなたが正義を決めるのか?
まず、一人でも多くの人に作品を鑑賞してもらうこと。
そのうえで話し合えばいい。
↑
バチカンの教皇庁保有施設で行われる教皇庁主催の美術展で、ヨハネパウロ二世の写真を燃やして踏みつける美術品(笑)が展示されたとする。
あるいは「絶滅危惧種・愚かな殉教者の墓」なる作品が展示されたとする。
キュレーターが実は反キリスト教の共産主義者だったもんで、そうなっちゃった。
さて、表現の自由により教皇庁は展示を阻止してはいけないのかね?
一人でも多くのキリスト教徒に見せなきゃならんのかね?
それが正義かね?
下らん。
正義は関係域内の価値観によって決まり、正当な手続きにより担保される。
展示再開決定にあたって、河村は「聞いていない。実行委員会の会合も無かった」と言っているが、この言が確かならば手続き的な不備は明らかだろう。河村は実行委員会会長代行だ。
それ以前にもトリエンナーレの手続き軽視は橋下徹なども指摘していたが、こりゃほとんど体質だわ。(ちなみに繰り返し言うが、河村(行政)は表現者側であるから展示に口出しするのは手続き上問題なく、表現の自由にも抵触しない)
しかしまあ、そもそも「自画像」だの「芸術」だのと表すれば、国家や民族の象徴を燃やして踏みつけるような行為すら受け入れて、公共施設で公金を使い、広く国民に見せなければならんのかね?
それが正義かね?
でも、私としちゃ再開して良かったよ。
芸術家様および実行委員会およびマスメディアの形振り構わぬ独善性と傲慢さがあらわになったからな。
また、検証委員会(笑)を含めた文化系補助金ゴロに国民の目が向けられたからな。私は文化系事業への公金支出を否定しないが、公金である以上は正当な支出でなければならない。多少なりとも文化屋タックスイーターの利権にメスが入れば、と期待する。
あるいは「絶滅危惧種・愚かな殉教者の墓」なる作品が展示されたとする。
キュレーターが実は反キリスト教の共産主義者だったもんで、そうなっちゃった。
さて、表現の自由により教皇庁は展示を阻止してはいけないのかね?
一人でも多くのキリスト教徒に見せなきゃならんのかね?
それが正義かね?
下らん。
正義は関係域内の価値観によって決まり、正当な手続きにより担保される。
展示再開決定にあたって、河村は「聞いていない。実行委員会の会合も無かった」と言っているが、この言が確かならば手続き的な不備は明らかだろう。河村は実行委員会会長代行だ。
それ以前にもトリエンナーレの手続き軽視は橋下徹なども指摘していたが、こりゃほとんど体質だわ。(ちなみに繰り返し言うが、河村(行政)は表現者側であるから展示に口出しするのは手続き上問題なく、表現の自由にも抵触しない)
しかしまあ、そもそも「自画像」だの「芸術」だのと表すれば、国家や民族の象徴を燃やして踏みつけるような行為すら受け入れて、公共施設で公金を使い、広く国民に見せなければならんのかね?
それが正義かね?
でも、私としちゃ再開して良かったよ。
芸術家様および実行委員会およびマスメディアの形振り構わぬ独善性と傲慢さがあらわになったからな。
また、検証委員会(笑)を含めた文化系補助金ゴロに国民の目が向けられたからな。私は文化系事業への公金支出を否定しないが、公金である以上は正当な支出でなければならない。多少なりとも文化屋タックスイーターの利権にメスが入れば、と期待する。
「関係域内の価値観」とは?
>バチカンの教皇庁保有施設・・・
↑
比較対象が違う。
近代民主主義国家における表現の自由のあり方がテーマであり、比較するなら、アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進民主主義国を挙げるべき。
バチカンのような宗教国家を取り上げるのはすり替え。
また、これが主権国家を対象に言っているのではないなら、かなり話がズレている。
>正義は関係域内の価値観によって決まり、正当な手続きにより担保される。
↑
デュープロは分かるが、「関係域内の価値観」とは今回は何を指すのか?
>しかしまあ、そもそも「自画像」だの「芸術」だのと表すれば・・・
↑
あなたの現時点での感想はよいが、本来は観てからジャッジすべきもの。
「遠近を抱えて」がどのようなものなのかは伝聞情報だけなので何とも言えない。
もし、下記サイトで描かれているようなチベット仏教の交合仏も一緒に燃やされているのなら、さらにわけがわからない。
「遠近を抱えて(4点組)」
https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/
>私は文化系事業への公金支出を否定しないが、公金である以上は正当な支出でなければならない。
↑
何をもって正当な支出になるのか?
上記のあなたの表現した「正義」が必要条件?
もしそうであるなら、「関係域内の価値観」がポイントか?
↑
比較対象が違う。
近代民主主義国家における表現の自由のあり方がテーマであり、比較するなら、アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進民主主義国を挙げるべき。
バチカンのような宗教国家を取り上げるのはすり替え。
また、これが主権国家を対象に言っているのではないなら、かなり話がズレている。
>正義は関係域内の価値観によって決まり、正当な手続きにより担保される。
↑
デュープロは分かるが、「関係域内の価値観」とは今回は何を指すのか?
>しかしまあ、そもそも「自画像」だの「芸術」だのと表すれば・・・
↑
あなたの現時点での感想はよいが、本来は観てからジャッジすべきもの。
「遠近を抱えて」がどのようなものなのかは伝聞情報だけなので何とも言えない。
もし、下記サイトで描かれているようなチベット仏教の交合仏も一緒に燃やされているのなら、さらにわけがわからない。
「遠近を抱えて(4点組)」
https://censorship.social/artists/oura-nobuyuki/
>私は文化系事業への公金支出を否定しないが、公金である以上は正当な支出でなければならない。
↑
何をもって正当な支出になるのか?
上記のあなたの表現した「正義」が必要条件?
もしそうであるなら、「関係域内の価値観」がポイントか?
TC6
少女像、日本糾弾ではない意図 理解の鍵は「民衆美術」(朝日10/10)
https://www.asahi.com/articles/ASMB963R4MB9UCLV00S.html
↑
製作者から見れば、少女像に反発する日本人は思い違いをしているということか?
芸術は作者の意図に限らず、受け手側の感性が問われるというが・・・
https://www.asahi.com/articles/ASMB963R4MB9UCLV00S.html
↑
製作者から見れば、少女像に反発する日本人は思い違いをしているということか?
芸術は作者の意図に限らず、受け手側の感性が問われるというが・・・
↑
>比較対象が違う
天皇という存在はしばしば教皇に喩えられるし、天皇に思い入れがないキリスト教徒にも分かりやすいように教皇を例にとったんだがな。
>近代民主主義国家における表現の自由のあり方がテーマであり、比較するなら、アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進民主主義国を挙げるべき。
>バチカンのような宗教国家を取り上げるのはすり替え。
じゃあバチカン・教皇庁じゃなくてローマ市で良いよ。ミラノ市でもトリノ市でもナポリ市でもベネチア市でも構わん。
アメリカなら、ジョージワシントンと星条旗と十字架を一緒に焼いて踏みつける感じか?
フランスなら、マリアンヌとトリコロールと自由平等博愛の標語を一緒に焼いて踏みつける感じか?
ドイツならソーセージとジャガイモとチーズを一緒に焼いて踏みつける感じか?
行政が公金で「それ」を主催し、出来るだけ沢山の人に見せるのが正義かね?
少なくとも俺の中に宿る常識では理解不能だな。
>デュープロは分かるが、「関係域内の価値観」とは今回は何を指すのか?
今回なら、
国民や民族や宗教といった集団の象徴をクソコラ化したり、燃やして踏みつけたりする。
集団の為に殉じた人間を愚弄する。
そういう行為に対して日本人は如何なる価値判断をするのか。是か非か。公益性を認めるのか。
>本来は観てからジャッジすべきもの。
>「遠近を抱えて」がどのようなものなのかは伝聞情報だけなので何とも言えない。
貴方はこの理屈を何度も言ってるが、俺には全く理解できんのだよな。
一、実際に自分で見なきゃジャッジ出来ないなら、貴方は半径二メートルまでのモノしかジャッジ出来ない。モリカケで安倍を云々言う事も出来ん。
でもさ、シャルリエブドの絵だってそうだけど、絵の中身を文章で説明されりゃ「あー、そりゃムスリムもキレるわ」ってくらいわかるやろ。
現物確認は裏取りや。
二、見ればジャッジ出来るのか?現代美術なんて見てもわかんないやろ?
99.9%はわかったフリしてドヤってるか、思い上がって分かったつもりになってるだけ。
作品に対する芸術家様の高尚な御説明を拝聴しても、その説明自体が論理破綻してたり、支離滅裂だったり、理解を超えていたり、芸術家本人も理解してなかったり、嘘八百だったり。
見ても聞いてもわかんないのに、どうジャッジするの?
まあ、百歩譲って「わかった」としても、だから何なん?
作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しないぞ?
>何をもって正当な支出になるのか?
>上記のあなたの表現した「正義」が必要条件?
>もしそうであるなら、「関係域内の価値観」がポイントか?
程度問題ではあるが、ガバナンスの効いた法治国家においては、大概の場合、一定程度の手続きを踏んでいれば関係域内の正義に則した支出しか出来ない。
一般的に法は総意としての社会正義を背景とし、正義は主権者の価値観に依存するから。
実際に、「補助金は公益に資するものに支出する事が出来る」と法で決まってる(ソースはググれ)。
法の制定および公益性の判断、この二段階において域内の価値観が反映される。
尚、首長には支出が公益性に資するかをチェックする義務がある。これを怠れば自費で賠償させられる、はず。
ま、トリエンナーレの場合、イデオロギスト兼利権屋の連中が手続きをぶっ飛ばしたから崩壊したんだろ。文化庁補助金も手続き不備(虚偽・隠蔽)で停止だしな。
形式だけでも手続きを守ろうと努力すれば、ここまでにはならない。
「俺達の正義。反日無罪。あー、ゲイジツ補助金おいしいれす(^q^)」とやるからそうなる。
しかし、このようなことは日常茶飯事なんだろうね。今回は川村が騒いだから表沙汰になったけど。
天皇という存在はしばしば教皇に喩えられるし、天皇に思い入れがないキリスト教徒にも分かりやすいように教皇を例にとったんだがな。
>近代民主主義国家における表現の自由のあり方がテーマであり、比較するなら、アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進民主主義国を挙げるべき。
>バチカンのような宗教国家を取り上げるのはすり替え。
じゃあバチカン・教皇庁じゃなくてローマ市で良いよ。ミラノ市でもトリノ市でもナポリ市でもベネチア市でも構わん。
アメリカなら、ジョージワシントンと星条旗と十字架を一緒に焼いて踏みつける感じか?
フランスなら、マリアンヌとトリコロールと自由平等博愛の標語を一緒に焼いて踏みつける感じか?
ドイツならソーセージとジャガイモとチーズを一緒に焼いて踏みつける感じか?
行政が公金で「それ」を主催し、出来るだけ沢山の人に見せるのが正義かね?
少なくとも俺の中に宿る常識では理解不能だな。
>デュープロは分かるが、「関係域内の価値観」とは今回は何を指すのか?
今回なら、
国民や民族や宗教といった集団の象徴をクソコラ化したり、燃やして踏みつけたりする。
集団の為に殉じた人間を愚弄する。
そういう行為に対して日本人は如何なる価値判断をするのか。是か非か。公益性を認めるのか。
>本来は観てからジャッジすべきもの。
>「遠近を抱えて」がどのようなものなのかは伝聞情報だけなので何とも言えない。
貴方はこの理屈を何度も言ってるが、俺には全く理解できんのだよな。
一、実際に自分で見なきゃジャッジ出来ないなら、貴方は半径二メートルまでのモノしかジャッジ出来ない。モリカケで安倍を云々言う事も出来ん。
でもさ、シャルリエブドの絵だってそうだけど、絵の中身を文章で説明されりゃ「あー、そりゃムスリムもキレるわ」ってくらいわかるやろ。
現物確認は裏取りや。
二、見ればジャッジ出来るのか?現代美術なんて見てもわかんないやろ?
99.9%はわかったフリしてドヤってるか、思い上がって分かったつもりになってるだけ。
作品に対する芸術家様の高尚な御説明を拝聴しても、その説明自体が論理破綻してたり、支離滅裂だったり、理解を超えていたり、芸術家本人も理解してなかったり、嘘八百だったり。
見ても聞いてもわかんないのに、どうジャッジするの?
まあ、百歩譲って「わかった」としても、だから何なん?
作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しないぞ?
>何をもって正当な支出になるのか?
>上記のあなたの表現した「正義」が必要条件?
>もしそうであるなら、「関係域内の価値観」がポイントか?
程度問題ではあるが、ガバナンスの効いた法治国家においては、大概の場合、一定程度の手続きを踏んでいれば関係域内の正義に則した支出しか出来ない。
一般的に法は総意としての社会正義を背景とし、正義は主権者の価値観に依存するから。
実際に、「補助金は公益に資するものに支出する事が出来る」と法で決まってる(ソースはググれ)。
法の制定および公益性の判断、この二段階において域内の価値観が反映される。
尚、首長には支出が公益性に資するかをチェックする義務がある。これを怠れば自費で賠償させられる、はず。
ま、トリエンナーレの場合、イデオロギスト兼利権屋の連中が手続きをぶっ飛ばしたから崩壊したんだろ。文化庁補助金も手続き不備(虚偽・隠蔽)で停止だしな。
形式だけでも手続きを守ろうと努力すれば、ここまでにはならない。
「俺達の正義。反日無罪。あー、ゲイジツ補助金おいしいれす(^q^)」とやるからそうなる。
しかし、このようなことは日常茶飯事なんだろうね。今回は川村が騒いだから表沙汰になったけど。
「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」
>天皇という存在はしばしば教皇に喩えられるし、天皇に思い入れがないキリスト教徒にも分かりやすいように教皇を例にとったんだがな。
↑
わたしプロテスタントだから、それはちょっとズレているなあ。
プロテスタントには「教皇=反キリスト」という歴史的文書も残されている。
まあ、いまはそこまで言わないが。
>行政が公金で「それ(シンボルを毀損する)」を主催し、出来るだけ沢山の人に見せるのが正義かね?
>国民や民族や宗教といった集団の象徴をクソコラ化したり、燃やして踏みつけたりする。
↑
「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」と短絡的に結び付けていない?
実物を観ていないので何とも言えないが、そんな単純な意図で芸術が成り立っているとは思い難い。
月刊「創」の篠田編集長は20分の動画「遠近を抱えてPart2」を三回観ているそうだが、ボドサケラスさんのような考え方を「残念」と表現している。
<参考記事>
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」再開後初の天皇動画上映に拍手が湧いた理由
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191010-00146092/
>一、実際に自分で見なきゃジャッジ出来ないなら、貴方は半径二メートルまでのモノしかジャッジ出来ない。モリカケで安倍を云々言う事も出来ん。
↑
これは相手が芸術作品だから。
20分の動画作品を自分では観ずに、他人の部分的なコメントだけで分かったような気になるのは、芸術に対する傲慢ではないか。
>二、見ればジャッジ出来るのか?現代美術なんて見てもわかんないやろ?
↑
たしかにモダンアートは分かりがたい。
会田誠作品なんて全く理解できない。
>作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しないぞ?
↑
ボドサケラスさんは、作者が作品に込めた意図をどう考えているのだろう?
大浦氏は「天皇批判といった意図は全くない」と言っているが?
>法の制定および公益性の判断、この二段階において域内の価値観が反映される。
↑
これは了解した。
>ま、トリエンナーレの場合、イデオロギスト兼利権屋の連中が手続きをぶっ飛ばしたから崩壊したんだろ。文化庁補助金も手続き不備(虚偽・隠蔽)で停止だしな。
↑
そりゃ、「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」で腹が立ったので補助金だしませんとは言えんわな。
手続き上の問題にして、牽制しているだけでしょう。
>「俺達の正義。反日無罪。あー、ゲイジツ補助金おいしいれす(^q^)」とやるからそうなる。
↑
そういうアングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
まずは虚心坦懐に芸術を感じることからはじめたほうがよいのでは。
もちろん、政治的なプロパガンダが隠された芸術作品と言うのもあるし、それに対する批判もあっていい。
しかし、「天皇批判といった意図は全くない」という作者の言葉はウソだろうか?
わたしは芸術家が自分の作品について、補助金ほしさにウソをついているとは考えられない。
この不思議を「反日無罪」の一言で片づけるのは、粗雑な議論だと思う。
↑
わたしプロテスタントだから、それはちょっとズレているなあ。
プロテスタントには「教皇=反キリスト」という歴史的文書も残されている。
まあ、いまはそこまで言わないが。
>行政が公金で「それ(シンボルを毀損する)」を主催し、出来るだけ沢山の人に見せるのが正義かね?
>国民や民族や宗教といった集団の象徴をクソコラ化したり、燃やして踏みつけたりする。
↑
「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」と短絡的に結び付けていない?
実物を観ていないので何とも言えないが、そんな単純な意図で芸術が成り立っているとは思い難い。
月刊「創」の篠田編集長は20分の動画「遠近を抱えてPart2」を三回観ているそうだが、ボドサケラスさんのような考え方を「残念」と表現している。
<参考記事>
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」再開後初の天皇動画上映に拍手が湧いた理由
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20191010-00146092/
>一、実際に自分で見なきゃジャッジ出来ないなら、貴方は半径二メートルまでのモノしかジャッジ出来ない。モリカケで安倍を云々言う事も出来ん。
↑
これは相手が芸術作品だから。
20分の動画作品を自分では観ずに、他人の部分的なコメントだけで分かったような気になるのは、芸術に対する傲慢ではないか。
>二、見ればジャッジ出来るのか?現代美術なんて見てもわかんないやろ?
↑
たしかにモダンアートは分かりがたい。
会田誠作品なんて全く理解できない。
>作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しないぞ?
↑
ボドサケラスさんは、作者が作品に込めた意図をどう考えているのだろう?
大浦氏は「天皇批判といった意図は全くない」と言っているが?
>法の制定および公益性の判断、この二段階において域内の価値観が反映される。
↑
これは了解した。
>ま、トリエンナーレの場合、イデオロギスト兼利権屋の連中が手続きをぶっ飛ばしたから崩壊したんだろ。文化庁補助金も手続き不備(虚偽・隠蔽)で停止だしな。
↑
そりゃ、「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」で腹が立ったので補助金だしませんとは言えんわな。
手続き上の問題にして、牽制しているだけでしょう。
>「俺達の正義。反日無罪。あー、ゲイジツ補助金おいしいれす(^q^)」とやるからそうなる。
↑
そういうアングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
まずは虚心坦懐に芸術を感じることからはじめたほうがよいのでは。
もちろん、政治的なプロパガンダが隠された芸術作品と言うのもあるし、それに対する批判もあっていい。
しかし、「天皇批判といった意図は全くない」という作者の言葉はウソだろうか?
わたしは芸術家が自分の作品について、補助金ほしさにウソをついているとは考えられない。
この不思議を「反日無罪」の一言で片づけるのは、粗雑な議論だと思う。
昇華
(インタビュー)天皇は「表現の自由」か 美術家・映画監督、大浦信行さん(朝日10/11)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14215598.html?iref=pc_ss_date
【抜粋引用開始】
「天皇の肖像が燃えたという部分だけを切り取って批判されていることを残念に感じています。」
「僕(大浦氏)にとって燃やすことは、傷つけることではなく昇華させることでした。」
「祈りだと言い直せば伝わるでしょうか。(中略)そもそも天皇を批判するために燃やしたのだとしたら、そんな作品は幼稚すぎて表現とは呼べません。」
「灰を踏みにじったと批判されているシーンも同様です。踏みにじったと見れば天皇批判の行為に映るでしょうが、残り火を足で消化したと見る人には昇華を完結させた行為と映るはずです。」
【抜粋引用終了】
↑
「ああ、トリュフォーか・・・」
瞬間、そう思った。
フランソワ・トリュフォーが監督した映画「華氏451」の最後のシーン。
本人間が散策しながら本を暗記するシーンと、各国語の本が燃え上がるシーンが交互に映し出される。
これはまさに本が本人間に「昇華」していく場面だった。
大浦氏が自画像とよぶ天皇像を含めたイメージが燃え上がり、「昇華」完結した後に何が残るのか?
これについては、やはり作品全体を鑑賞しないことには何ともいえない。
ただ、大浦氏を単なる「反日」と言い切るのは、たいへん皮相的だということはよくわかった。
<参考コメント>
再読愚考:なごやん劇場2:誕生!アベTV! 再考 2-2<2019/04/15(07:00)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3332.html
https://www.asahi.com/articles/DA3S14215598.html?iref=pc_ss_date
【抜粋引用開始】
「天皇の肖像が燃えたという部分だけを切り取って批判されていることを残念に感じています。」
「僕(大浦氏)にとって燃やすことは、傷つけることではなく昇華させることでした。」
「祈りだと言い直せば伝わるでしょうか。(中略)そもそも天皇を批判するために燃やしたのだとしたら、そんな作品は幼稚すぎて表現とは呼べません。」
「灰を踏みにじったと批判されているシーンも同様です。踏みにじったと見れば天皇批判の行為に映るでしょうが、残り火を足で消化したと見る人には昇華を完結させた行為と映るはずです。」
【抜粋引用終了】
↑
「ああ、トリュフォーか・・・」
瞬間、そう思った。
フランソワ・トリュフォーが監督した映画「華氏451」の最後のシーン。
本人間が散策しながら本を暗記するシーンと、各国語の本が燃え上がるシーンが交互に映し出される。
これはまさに本が本人間に「昇華」していく場面だった。
大浦氏が自画像とよぶ天皇像を含めたイメージが燃え上がり、「昇華」完結した後に何が残るのか?
これについては、やはり作品全体を鑑賞しないことには何ともいえない。
ただ、大浦氏を単なる「反日」と言い切るのは、たいへん皮相的だということはよくわかった。
<参考コメント>
再読愚考:なごやん劇場2:誕生!アベTV! 再考 2-2<2019/04/15(07:00)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3332.html
「表現の不自由」とか言ってる場合でしょうか
銀座の画廊<秋華洞>社長のブログ
美術商という美術業界内部の人が、この問題をどうとらえているかを知る手がかりの一つ。こんな意見もあるということで、ご参考までに。(動画あり)
https://www.aojc.co.jp/blog/2019/10/post-4894.html
一部だけ引用。
「第一は、上記の内容が単なる政治的な偏見によるもので、芸術とは何ら関係がないことです。特に、天皇像を焼く、特攻隊を愚弄する、という作品を見たある女性は、涙が出て止まらなかったそうですが、同じことを別の国でやれば即座に殺されてしまうような国民の根源的な怒りを招くものでもあり、最低でも国家侮辱罪で捕まることでしょう。温厚な日本人に甘えた、たるみきった展示です。」
「第二の問題は、実は今回の展示は、事前に予算申請する際には伝えなかった反日的内容をゲリラ的に展示してしまったことです。有名な東・津田の動画など傍証材料も出揃っています。この意味で大村愛知県知事と津田監督は、予算をだまし取ったことになり、実は刑事罰が適用されるべき案件でもあります。」
以上、引用終わり。
美術商という美術業界内部の人が、この問題をどうとらえているかを知る手がかりの一つ。こんな意見もあるということで、ご参考までに。(動画あり)
https://www.aojc.co.jp/blog/2019/10/post-4894.html
一部だけ引用。
「第一は、上記の内容が単なる政治的な偏見によるもので、芸術とは何ら関係がないことです。特に、天皇像を焼く、特攻隊を愚弄する、という作品を見たある女性は、涙が出て止まらなかったそうですが、同じことを別の国でやれば即座に殺されてしまうような国民の根源的な怒りを招くものでもあり、最低でも国家侮辱罪で捕まることでしょう。温厚な日本人に甘えた、たるみきった展示です。」
「第二の問題は、実は今回の展示は、事前に予算申請する際には伝えなかった反日的内容をゲリラ的に展示してしまったことです。有名な東・津田の動画など傍証材料も出揃っています。この意味で大村愛知県知事と津田監督は、予算をだまし取ったことになり、実は刑事罰が適用されるべき案件でもあります。」
以上、引用終わり。
No title
表現の不自由・展は展示されている対象物が表現者の表現対象ではありません。
表現者の表現対象は、脅迫電話をかける人権抑圧者であり、補助金を取り消す愚かな行為をする政治家たちです。
従って、予約者だけで開催しても、はたまた中止しても表現者は成功です。
次に公の機関の関与に際して、市長さんが市長として反対するのは立場を忘れた暴挙ですネ。
市長たるべきものは表現内容に関与しないこと肝要です。
この点文部大臣の所業は、自らをして法律の根拠なく行政権を振り回す大臣不適格者であることを顕在化させる傑作ですネ。
大村知事だけは知性にあふれる知事であることが証明されました。
表現者の表現対象は、脅迫電話をかける人権抑圧者であり、補助金を取り消す愚かな行為をする政治家たちです。
従って、予約者だけで開催しても、はたまた中止しても表現者は成功です。
次に公の機関の関与に際して、市長さんが市長として反対するのは立場を忘れた暴挙ですネ。
市長たるべきものは表現内容に関与しないこと肝要です。
この点文部大臣の所業は、自らをして法律の根拠なく行政権を振り回す大臣不適格者であることを顕在化させる傑作ですネ。
大村知事だけは知性にあふれる知事であることが証明されました。
↑
なげえ・・・
>わたしプロテスタントだから、それはちょっとズレているなあ。
じゃあなけなしの共感力を発揮してカソリックの気持ちになって考えてくれや。
>「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」と短絡的に結び付けていない?
短絡的も糞もない。
意図はどうあれ、事実そういう表現手法を採用しているんだから。
詳細は後述。
>月刊「創」の篠田編集長は20分の動画「遠近を抱えてPart2」を三回観ているそうだが、ボドサケラスさんのような考え方を「残念」と表現している。
このジャーナリストの発言は甘え。
あるいは傲り。
はたまた独善。
>これは相手が芸術作品だから。
>20分の動画作品を自分では観ずに、他人の部分的なコメントだけで分かったような気になるのは、芸術に対する傲慢ではないか。
反論として成立して無くない?
ちょっと何を言いたいのかわからない。
>ボドサケラスさんは、作者が作品に込めた意図をどう考えているのだろう?
>大浦氏は「天皇批判といった意図は全くない」と言っているが?
当該作品に関する大浦氏のコメントは判断材料にならない。少なくとも、私は判断材料にしない。
真偽不明で、かつ内容も意味不明だから。
また、仮に作者が極めて正直な人間であっても、作者の表層意識により語られる「作品解説」と、否応なく作者の潜在意識が現出してしまう「作品」との間には、多かれ少なかれ不作為な解離が生じる。
そういう意味でも、作者の「語り」は大いに疑ってかかるべき。
さて、
繰り返し言うが、作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しない(特に公益が必須である場合は)。
あるいは、作者の意図は、世間における作品自体の正当性、あるいは価値を担保しない(すぐれて私的である限りにおいては作品の正当性など不要だが)。
そして、作者の意図は、必ずしも表現手法の正当化根拠とならない。
言いたくはないが、遠い昔の話。
ワイオッサンにはとある小説を紙媒体とネットで晒していた黒歴史がある。
その作品について、あるとき某出版社から商業化の打診をうけた。
商業出版であるから、当然ながら作法から内容まで、編集者の指摘と修正要求が多々ある。
特に、当時のガキオッサンが編集から修正要求されたのは、少年の主人公が宇都宮くんだりのクラブで普通にガンジャを入手して吸う、という至極現実的な描写だったり、用法容量を守って中毒にならぬよう健康的にシャブを使う(実際可能である)、といった描写だった。
必要な描写であると反発するガキオッサンに、編集者は言った。
「おいガキ、テメーがそういうつもりじゃねぇこたぁ知ってる。キャラ的に有効な描写であることもわかる。
だが直せ、な?そのコアラ並にちいせぇ脳ミソ働かせて読者への影響ってもんを考えてみろやカス。塩田送りにすんぞ?
そんな描写じゃなきゃ無理なのは、テメーの筆がジャクだからサ」
ガキオッサンは即座に修正した。
尚、諸般の事情により本は出版されなかった模様。
>そりゃ、「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」で腹が立ったので補助金だしませんとは言えんわな。
ふむ?
そういうアングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
まずは虚心坦懐に実際の手続きに関する問題について確認をすることからはじめたほうがよいのでは。
>手続き上の問題にして、牽制しているだけでしょう。
そういう事を言うのなら、一応ちゃんと諸々の手続きをこなしてなきゃダメだって。
>そういうアングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
・芸術監督様の今までの発言(本件以外のも含めて)。
・不自由展実行委員の強烈なメンツ。
・実際の展示作品群が示す政治的傾斜。
・一連の流れの中における彼らの行動と被害者面
もはや状況証拠は充分だろう。
>まずは虚心坦懐に芸術を感じることからはじめたほうがよいのでは。
幸いにも、教科書と担任の言葉を素直に受け入れる12歳少女の危うい心をワイオッサンは喪って久しい。
しかしそもそもこれ、監督やキュレーターが最も芸術と向き合っていないだろ?
>しかし、「天皇批判といった意図は全くない」という作者の言葉はウソだろうか?
嘘かも知れない。
本当かも知れない。
防衛機制に起因する重層的自己暗示により、本人は本当と思い込んでる嘘かも知れない(そういうの、めっちゃ多いじゃん。特に芸術家には)。
はっきりいって、この供述はどうでもいい。
>わたしは芸術家が自分の作品について、補助金ほしさにウソをついているとは考えられない。
いやいや、だからなんでそこでそんなにナイーブになれるの?
大丈夫?
意識的に嘘を言うのは容易だし、無意識で嘘を言うのは更に容易。
それこそ貴方が以前出した馬鹿芸大生のように、気持ちよく被害者面しながら罪悪感の欠片もなく寄生虫やる事も人によっては容易。
>この不思議を「反日無罪」の一言で片づけるのは、粗雑な議論だと思う。
私の「反日無罪」という批判がフォーカスしているのは、個々の作品や作者より、監督・実行委員や被害者コスプレしてる連中の方。
個々の作品や作者に関しては「それぞれ」としか言いようがないやろ。
>「天皇の肖像が燃えたという部分だけを切り取って批判されていることを残念に感じています。」
「僕(大浦氏)にとって燃やすことは、傷つけることではなく昇華させることでした。」
「祈りだと言い直せば伝わるでしょうか。(中略)そもそも天皇を批判するために燃やしたのだとしたら、そんな作品は幼稚すぎて表現とは呼べません。」
「灰を踏みにじったと批判されているシーンも同様です。踏みにじったと見れば天皇批判の行為に映るでしょうが、残り火を足で消化したと見る人には昇華を完結させた行為と映るはずです。」
【抜粋引用終了】
で?
13歳少女のように、素直に作者の言葉を信じろと?
芸術を含めたあらゆる作品は、鑑賞者たる人間の脳に普遍的に搭載される認知機能および知識や文化や価値観を前提として、作者が設定した目標を達成すべく製作される。
当該作品で昇華を表し、伝えたいのであれば、鑑賞者が己の知識や文化から昇華を連想しうる描写をせねばならないが、そうなってはいない。
仮に「昇華」なる目標が事実だったとしても、それを(全員とは言わずとも)それなりの多数に伝えられないのは、作者の能力が無いからだよ。
ビジネス文書や論文じゃないんだから、テメーの能力不足で伝わらないのを客のせいにしちゃいけません。
文学でも映画でも絵画でも、普通の作品は、全部言わずに客に一定程度解釈を投げている。それで、ちゃんと伝わるようにする。
あえて分かりにくい表現をして解釈の幅を持たせるのであれば、「作者の意図しない客の自由な解釈の発生」まで製作意図に含めてなけりゃダメよ。
特に、当該作は昇華の意図なるモノに対して逆説的な表現まで採用してるんだからね。
しかし、昇華云々以前に、小汚いオッサンの自画像とやらのために国や民族や宗教の象徴をクソコラされたら「ハァ?なめてんの?」といわれても仕方ない気がするがねw
そういう不快感も解らんのなら、ちょっとこの作者は共感力という脳の標準的機能に欠けていると思う。
と、ツラツラ書いてきたが、ぶっちゃけこの芸術家殿は名を売るために天皇という権威を利用し、政治で手っ取り早く話題化しようとしただけだと思うけどね。
>わたしプロテスタントだから、それはちょっとズレているなあ。
じゃあなけなしの共感力を発揮してカソリックの気持ちになって考えてくれや。
>「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」と短絡的に結び付けていない?
短絡的も糞もない。
意図はどうあれ、事実そういう表現手法を採用しているんだから。
詳細は後述。
>月刊「創」の篠田編集長は20分の動画「遠近を抱えてPart2」を三回観ているそうだが、ボドサケラスさんのような考え方を「残念」と表現している。
このジャーナリストの発言は甘え。
あるいは傲り。
はたまた独善。
>これは相手が芸術作品だから。
>20分の動画作品を自分では観ずに、他人の部分的なコメントだけで分かったような気になるのは、芸術に対する傲慢ではないか。
反論として成立して無くない?
ちょっと何を言いたいのかわからない。
>ボドサケラスさんは、作者が作品に込めた意図をどう考えているのだろう?
>大浦氏は「天皇批判といった意図は全くない」と言っているが?
当該作品に関する大浦氏のコメントは判断材料にならない。少なくとも、私は判断材料にしない。
真偽不明で、かつ内容も意味不明だから。
また、仮に作者が極めて正直な人間であっても、作者の表層意識により語られる「作品解説」と、否応なく作者の潜在意識が現出してしまう「作品」との間には、多かれ少なかれ不作為な解離が生じる。
そういう意味でも、作者の「語り」は大いに疑ってかかるべき。
さて、
繰り返し言うが、作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しない(特に公益が必須である場合は)。
あるいは、作者の意図は、世間における作品自体の正当性、あるいは価値を担保しない(すぐれて私的である限りにおいては作品の正当性など不要だが)。
そして、作者の意図は、必ずしも表現手法の正当化根拠とならない。
言いたくはないが、遠い昔の話。
ワイオッサンにはとある小説を紙媒体とネットで晒していた黒歴史がある。
その作品について、あるとき某出版社から商業化の打診をうけた。
商業出版であるから、当然ながら作法から内容まで、編集者の指摘と修正要求が多々ある。
特に、当時のガキオッサンが編集から修正要求されたのは、少年の主人公が宇都宮くんだりのクラブで普通にガンジャを入手して吸う、という至極現実的な描写だったり、用法容量を守って中毒にならぬよう健康的にシャブを使う(実際可能である)、といった描写だった。
必要な描写であると反発するガキオッサンに、編集者は言った。
「おいガキ、テメーがそういうつもりじゃねぇこたぁ知ってる。キャラ的に有効な描写であることもわかる。
だが直せ、な?そのコアラ並にちいせぇ脳ミソ働かせて読者への影響ってもんを考えてみろやカス。塩田送りにすんぞ?
そんな描写じゃなきゃ無理なのは、テメーの筆がジャクだからサ」
ガキオッサンは即座に修正した。
尚、諸般の事情により本は出版されなかった模様。
>そりゃ、「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」で腹が立ったので補助金だしませんとは言えんわな。
ふむ?
そういうアングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
まずは虚心坦懐に実際の手続きに関する問題について確認をすることからはじめたほうがよいのでは。
>手続き上の問題にして、牽制しているだけでしょう。
そういう事を言うのなら、一応ちゃんと諸々の手続きをこなしてなきゃダメだって。
>そういうアングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
・芸術監督様の今までの発言(本件以外のも含めて)。
・不自由展実行委員の強烈なメンツ。
・実際の展示作品群が示す政治的傾斜。
・一連の流れの中における彼らの行動と被害者面
もはや状況証拠は充分だろう。
>まずは虚心坦懐に芸術を感じることからはじめたほうがよいのでは。
幸いにも、教科書と担任の言葉を素直に受け入れる12歳少女の危うい心をワイオッサンは喪って久しい。
しかしそもそもこれ、監督やキュレーターが最も芸術と向き合っていないだろ?
>しかし、「天皇批判といった意図は全くない」という作者の言葉はウソだろうか?
嘘かも知れない。
本当かも知れない。
防衛機制に起因する重層的自己暗示により、本人は本当と思い込んでる嘘かも知れない(そういうの、めっちゃ多いじゃん。特に芸術家には)。
はっきりいって、この供述はどうでもいい。
>わたしは芸術家が自分の作品について、補助金ほしさにウソをついているとは考えられない。
いやいや、だからなんでそこでそんなにナイーブになれるの?
大丈夫?
意識的に嘘を言うのは容易だし、無意識で嘘を言うのは更に容易。
それこそ貴方が以前出した馬鹿芸大生のように、気持ちよく被害者面しながら罪悪感の欠片もなく寄生虫やる事も人によっては容易。
>この不思議を「反日無罪」の一言で片づけるのは、粗雑な議論だと思う。
私の「反日無罪」という批判がフォーカスしているのは、個々の作品や作者より、監督・実行委員や被害者コスプレしてる連中の方。
個々の作品や作者に関しては「それぞれ」としか言いようがないやろ。
>「天皇の肖像が燃えたという部分だけを切り取って批判されていることを残念に感じています。」
「僕(大浦氏)にとって燃やすことは、傷つけることではなく昇華させることでした。」
「祈りだと言い直せば伝わるでしょうか。(中略)そもそも天皇を批判するために燃やしたのだとしたら、そんな作品は幼稚すぎて表現とは呼べません。」
「灰を踏みにじったと批判されているシーンも同様です。踏みにじったと見れば天皇批判の行為に映るでしょうが、残り火を足で消化したと見る人には昇華を完結させた行為と映るはずです。」
【抜粋引用終了】
で?
13歳少女のように、素直に作者の言葉を信じろと?
芸術を含めたあらゆる作品は、鑑賞者たる人間の脳に普遍的に搭載される認知機能および知識や文化や価値観を前提として、作者が設定した目標を達成すべく製作される。
当該作品で昇華を表し、伝えたいのであれば、鑑賞者が己の知識や文化から昇華を連想しうる描写をせねばならないが、そうなってはいない。
仮に「昇華」なる目標が事実だったとしても、それを(全員とは言わずとも)それなりの多数に伝えられないのは、作者の能力が無いからだよ。
ビジネス文書や論文じゃないんだから、テメーの能力不足で伝わらないのを客のせいにしちゃいけません。
文学でも映画でも絵画でも、普通の作品は、全部言わずに客に一定程度解釈を投げている。それで、ちゃんと伝わるようにする。
あえて分かりにくい表現をして解釈の幅を持たせるのであれば、「作者の意図しない客の自由な解釈の発生」まで製作意図に含めてなけりゃダメよ。
特に、当該作は昇華の意図なるモノに対して逆説的な表現まで採用してるんだからね。
しかし、昇華云々以前に、小汚いオッサンの自画像とやらのために国や民族や宗教の象徴をクソコラされたら「ハァ?なめてんの?」といわれても仕方ない気がするがねw
そういう不快感も解らんのなら、ちょっとこの作者は共感力という脳の標準的機能に欠けていると思う。
と、ツラツラ書いてきたが、ぶっちゃけこの芸術家殿は名を売るために天皇という権威を利用し、政治で手っ取り早く話題化しようとしただけだと思うけどね。
TC16
「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」ということ。
作者の言い分も無視するのでは、これでは何を言っても無駄でしょう。
長文ごくろうさま。
作者の言い分も無視するのでは、これでは何を言っても無駄でしょう。
長文ごくろうさま。
No title
>「天皇の肖像が燃えたという部分だけを切り取って批判されていることを残念に感じています。」
便所の落書と五十歩百歩のことをやっておきながらいざとなったら恐くなったんだろうね。
便所の落書と五十歩百歩のことをやっておきながらいざとなったら恐くなったんだろうね。
↑
>「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」ということ。
またこのパターンで逃げるのか。
形勢悪くなるといつもコレな。
ま、あんたには道理を尽くして説明しても無駄だね。
それこそ「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」ということだね。
>作者の言い分も無視するのでは、これでは何を言っても無駄でしょう。
作者の言い分を判断基準に入れない理由も縷々説明しているのにね。
ま、もう自分の信じたいものをナイーブに信じたら?
>長文ごくろうさま。
いつも嫌がらせと宗教の強要、御苦労様。
またこのパターンで逃げるのか。
形勢悪くなるといつもコレな。
ま、あんたには道理を尽くして説明しても無駄だね。
それこそ「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」ということだね。
>作者の言い分も無視するのでは、これでは何を言っても無駄でしょう。
作者の言い分を判断基準に入れない理由も縷々説明しているのにね。
ま、もう自分の信じたいものをナイーブに信じたら?
>長文ごくろうさま。
いつも嫌がらせと宗教の強要、御苦労様。
猪野先生、さすがに冷静です。
「表現の自由の範ちゅうではあるが、決して共感はされないということです。」という猪野先生が相変らず冷静でいらっしゃいます。
慰安婦像などは芸術だとも思わないし、事前にわかっていれば、税金を支出して展示すべきかどうかを慎重に検討すべきものだったと思いますが、それをすり抜けられてしまったということでしょう。
内容に腹は立ちますし、私人による批判は当然自由ですが、行政が表現の内容に口を出して展示を止めさせようとすることは、表現の自由を委縮させますので、表現の自由が民主主義の基盤をなす重要な人権であることに鑑みれば、慎重であるべきでしょう。
事後的に、税金の使い道として適切だったかを十分に検討し、今後の税金支出を含む支援の是非や、人選の当否を考えればよいことかと思います。その段階で、事前にわからなかった原因と、何らかの対策を講ずるべきかどうかも検討したらよいでしょう。
慰安婦像などは芸術だとも思わないし、事前にわかっていれば、税金を支出して展示すべきかどうかを慎重に検討すべきものだったと思いますが、それをすり抜けられてしまったということでしょう。
内容に腹は立ちますし、私人による批判は当然自由ですが、行政が表現の内容に口を出して展示を止めさせようとすることは、表現の自由を委縮させますので、表現の自由が民主主義の基盤をなす重要な人権であることに鑑みれば、慎重であるべきでしょう。
事後的に、税金の使い道として適切だったかを十分に検討し、今後の税金支出を含む支援の是非や、人選の当否を考えればよいことかと思います。その段階で、事前にわからなかった原因と、何らかの対策を講ずるべきかどうかも検討したらよいでしょう。
表現を封印しない道
大浦信行さんへのインタビューは朝日新聞10月12日朝刊オピニオン&フォーラム『天皇は「表現の自由」か』と題されたものです。
私が読んで共感し重要だと思った個所は、今回、一番驚いている事は何ですか、という質問に、
大浦さんが「令和と呼ばれる時代になっても日本の人々の中に天皇タブーというものがこんなに根強く残っていたのか、ということです」と答えられ、
続いて、そこでいう天皇タブーとはどのようなものでしょう、という質問に、「芸術、表現の中で天皇を扱うこと自体が認められない、そんな風潮です。どのような動機からであれ、どのような形であれです」
さらに、表現の具体的な中身に問題があるから、ではないのですか、という問いに、
「そうとは限りません。昭和天皇が存命だった時期には、劇映画で昭和天皇を正面から演じること自体がほぼ不可能でした」
と述べられた冒頭の部分です。
大浦さんはインタビューの最後の質問、「不自由展・その後」の再開をどう見ていますか、に対してこう答えられています。
「再開は歓迎しています。ただ、一度中止になったことや文化庁が補助をやめると宣言している問題は消えません。萎縮と自主規制がさらに進んでしまうでしょう。
日本を『天皇の表現がない社会』にする決定打になってしまうかもしれません。
表現者が勇気を持って、表現を封印しない道を探し続けることが必要だと思います」
この大浦さんの言葉を表現者ではない我々がどの様に受け止めるべきか、表現者だけが勇気を持って表現を封印しない道を探し続ければ良いのか、ということが問われているのだとすべての人に考えて欲しいと思います。
私が読んで共感し重要だと思った個所は、今回、一番驚いている事は何ですか、という質問に、
大浦さんが「令和と呼ばれる時代になっても日本の人々の中に天皇タブーというものがこんなに根強く残っていたのか、ということです」と答えられ、
続いて、そこでいう天皇タブーとはどのようなものでしょう、という質問に、「芸術、表現の中で天皇を扱うこと自体が認められない、そんな風潮です。どのような動機からであれ、どのような形であれです」
さらに、表現の具体的な中身に問題があるから、ではないのですか、という問いに、
「そうとは限りません。昭和天皇が存命だった時期には、劇映画で昭和天皇を正面から演じること自体がほぼ不可能でした」
と述べられた冒頭の部分です。
大浦さんはインタビューの最後の質問、「不自由展・その後」の再開をどう見ていますか、に対してこう答えられています。
「再開は歓迎しています。ただ、一度中止になったことや文化庁が補助をやめると宣言している問題は消えません。萎縮と自主規制がさらに進んでしまうでしょう。
日本を『天皇の表現がない社会』にする決定打になってしまうかもしれません。
表現者が勇気を持って、表現を封印しない道を探し続けることが必要だと思います」
この大浦さんの言葉を表現者ではない我々がどの様に受け止めるべきか、表現者だけが勇気を持って表現を封印しない道を探し続ければ良いのか、ということが問われているのだとすべての人に考えて欲しいと思います。
↑
>行政が表現の内容に口を出して展示を止めさせようとすることは、表現の自由を委縮させますので、表現の自由が民主主義の基盤をなす重要な人権であることに鑑みれば、慎重であるべきでしょう。
言うて、大村知事が実行委員会長で河村市長が会長代行。
公費を主たる原資として、首長が主催者となる公共事業ですから、行政は表現者側。
ゆえに首長が展示に反対するのは表現の自由に抵触しません。
もちろん私的展示会なら内容も好きにやればいいが、行政主催ならそうはいかない。
補助金は公益性があるモノにしか支出できず、首長は有権者・納税者への責任として公金支出の正当性を精査する法的義務が課されています。
すなわち展示内容が公益に資さないならば、それこそ「民主主義の観点から」展示内容を指摘・修正する義務がある。
尚、個々の芸術家やキュレーターには表現の自由が勿論保証されているが、「もらった補助金でやりたい放題やる自由」はありません。
言うて、大村知事が実行委員会長で河村市長が会長代行。
公費を主たる原資として、首長が主催者となる公共事業ですから、行政は表現者側。
ゆえに首長が展示に反対するのは表現の自由に抵触しません。
もちろん私的展示会なら内容も好きにやればいいが、行政主催ならそうはいかない。
補助金は公益性があるモノにしか支出できず、首長は有権者・納税者への責任として公金支出の正当性を精査する法的義務が課されています。
すなわち展示内容が公益に資さないならば、それこそ「民主主義の観点から」展示内容を指摘・修正する義務がある。
尚、個々の芸術家やキュレーターには表現の自由が勿論保証されているが、「もらった補助金でやりたい放題やる自由」はありません。
No title
補助金(ほじょきん)とは、政府が私企業や個人などの民間部門に対して行う一方的な貨幣の給付[1]。
なお、経済学上はより広義に補助政策全体(特別減税や公共事業・公共サービスなどを含む)を指すこともあるが、一般には一方的な貨幣の給付のみを補助金という。
補助金適正化法
補助金を受けたものは、法令の定並びに補助金等の交付の決定の内容及びこれに附した条件その他法令に基く各省庁の長の処分に従い、善良な管理者の注意をもつて補助事業等を行わなければならず、いやしくも補助金等の他の用途への使用(利子補給金にあつては、その交付の目的となつている融資又は利子の軽減をしないことにより、補助金等の交付の目的に反してその交付を受けたことになることをいう。)をしてはならないとされている。(同法第11条)。
金銭給付を約束しておきながら、恣意的に交付を取り消す権限が法律上あるとは?
萩生田大臣は補助金をポケットマネーと勘違いしているのでは??
なお、経済学上はより広義に補助政策全体(特別減税や公共事業・公共サービスなどを含む)を指すこともあるが、一般には一方的な貨幣の給付のみを補助金という。
補助金適正化法
補助金を受けたものは、法令の定並びに補助金等の交付の決定の内容及びこれに附した条件その他法令に基く各省庁の長の処分に従い、善良な管理者の注意をもつて補助事業等を行わなければならず、いやしくも補助金等の他の用途への使用(利子補給金にあつては、その交付の目的となつている融資又は利子の軽減をしないことにより、補助金等の交付の目的に反してその交付を受けたことになることをいう。)をしてはならないとされている。(同法第11条)。
金銭給付を約束しておきながら、恣意的に交付を取り消す権限が法律上あるとは?
萩生田大臣は補助金をポケットマネーと勘違いしているのでは??
TC1
>言うて、
↑
「金を出すから口も出す」という考え方。
「金は出すが口は出さない」
これが物事の本質(本件では「表現の自由」)を尊重し、相手(本件では芸術)をリスペクトする態度。
↑
「金を出すから口も出す」という考え方。
「金は出すが口は出さない」
これが物事の本質(本件では「表現の自由」)を尊重し、相手(本件では芸術)をリスペクトする態度。
TC3
公益性とは何か?
安倍政治に忖度することか?「日本スゴイ!」ということか?天皇を守ったつもりになることか?
わが国の民主主義を構成する「表現の自由」を尊重する。
これこそが公益性。
安倍政治に忖度することか?「日本スゴイ!」ということか?天皇を守ったつもりになることか?
わが国の民主主義を構成する「表現の自由」を尊重する。
これこそが公益性。
TC4
あいち芸術祭 閉幕後も山積する課題(朝日10/16)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14218963.html?iref=editorial_backnumber
↑
全面的に賛成。
「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」という暴論が通ってしまうのでは、民主主義の破壊につながる。
「人権はまぼろし!」などと近代民主主義ではありえない極論を唱えて恥じないのだから、宜なるかな。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14218963.html?iref=editorial_backnumber
↑
全面的に賛成。
「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」という暴論が通ってしまうのでは、民主主義の破壊につながる。
「人権はまぼろし!」などと近代民主主義ではありえない極論を唱えて恥じないのだから、宜なるかな。
TC5
(多事奏論)自由と萎縮 ありもしない危機?ご冗談を(朝日10/16)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14218735.html?iref=pc_ss_date
>ありもしない危機?ご冗談を。自信をもって頂きたい。あなた(安倍総理)が営々と築き上げてきた、いま、ここにある危機だ。
↑
あいトリ問題を「いまここにある危機」と表現。
文学的表現には賛否が分かれるが、高橋純子編集委員はなかなか面白い。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14218735.html?iref=pc_ss_date
>ありもしない危機?ご冗談を。自信をもって頂きたい。あなた(安倍総理)が営々と築き上げてきた、いま、ここにある危機だ。
↑
あいトリ問題を「いまここにある危機」と表現。
文学的表現には賛否が分かれるが、高橋純子編集委員はなかなか面白い。
TC6
「あんた日本人?」鳴りやまぬ電話・泣く職員…電凸ルポ(朝日10/16)
https://www.asahi.com/articles/ASMBC3WHKMBCOIPE00H.html?iref=pc_ss_date
>津田大介芸術監督も「現代美術は見た目だけでなく、文脈が重要なのに作家の意図と異なる形で切り取られてSNSで拡散した」と話す。
↑
映像作品の一部分どころか一画面のみ、それに不確かな伝聞情報、作者の説明は全く無視。
それで批判などできるのだろうか?
https://www.asahi.com/articles/ASMBC3WHKMBCOIPE00H.html?iref=pc_ss_date
>津田大介芸術監督も「現代美術は見た目だけでなく、文脈が重要なのに作家の意図と異なる形で切り取られてSNSで拡散した」と話す。
↑
映像作品の一部分どころか一画面のみ、それに不確かな伝聞情報、作者の説明は全く無視。
それで批判などできるのだろうか?
↑
>「金を出すから口も出す」という考え方。
>「金は出すが口は出さない」
>これが物事の本質(本件では「表現の自由」)を尊重し、相手(本件では芸術)をリスペクトする態度。
んな「オレ流表現の自由」を振り回されてもなぁ・・・
>公益性とは何か?
>安倍政治に忖度することか?「日本スゴイ!」ということか?天皇を守ったつもりになることか?
はい、お得意のストローマン頂きました。
>わが国の民主主義を構成する「表現の自由」を尊重する。
>これこそが公益性。
表現の自由は尊重するのは当然で、実際に我が国の行政府はコレを尊重している。河村市長もしかり。
が、「オレ流表現の自由」は尊重しちゃダメだろ。
ワガママ言うなよ。
税金使って好き放題やる権利なんて誰にも無いんだよ。
好き放題やりたきゃ自費でやれ。自費でやれば、公序良俗と公共の福祉に抵触しないかぎり行政は関与しない。
>「金は出すが口は出さない」
>これが物事の本質(本件では「表現の自由」)を尊重し、相手(本件では芸術)をリスペクトする態度。
んな「オレ流表現の自由」を振り回されてもなぁ・・・
>公益性とは何か?
>安倍政治に忖度することか?「日本スゴイ!」ということか?天皇を守ったつもりになることか?
はい、お得意のストローマン頂きました。
>わが国の民主主義を構成する「表現の自由」を尊重する。
>これこそが公益性。
表現の自由は尊重するのは当然で、実際に我が国の行政府はコレを尊重している。河村市長もしかり。
が、「オレ流表現の自由」は尊重しちゃダメだろ。
ワガママ言うなよ。
税金使って好き放題やる権利なんて誰にも無いんだよ。
好き放題やりたきゃ自費でやれ。自費でやれば、公序良俗と公共の福祉に抵触しないかぎり行政は関与しない。
No title
公益性に関する批判に対して、
大浦氏の発言を持ち上げ、これを抗弁としている方々がおられるようですが、
その是非を問う以前に、これは、大村知事、津田芸術監督の責任とは切り離すべき問題です。
>公益性とは何か?
こうした、公益性を問われる事業では、委員会制度によってそれを担保するのが通例です。
>安倍政治に忖度することか?「日本スゴイ!」ということか?天皇を守ったつもりになることか?
海外における複数の受賞歴のある芸術家を芸術監督として、
芸術における公益性に関して、「現状でできうる世界最高レベルの判断」ができる体制を築くことが一つの対案です。
現在、行政関係の各種委員会において委員長を務めている大学教授らも
実情はともかく建前においてはそういう趣旨で招かれています。
津田のようなジャーナリストに好き勝手やらせるなど論外です。
本来、大浦氏は、芸術監督によって選考される立場であって、当作品の趣旨について疑義が生じた際には、津田芸術監督が率先して説明責任を果たさなければなりません。ところが、津田氏のやったことといえば、トークイベントでふざけた説明をして、視聴者の怒りを煽っただけ。
大浦氏が発言しなければならない事態こそが、まともな芸術祭を組織できていない現状を露呈しています。
ジャーナリスト、政治運動家である津田氏を芸術監督に起用し、
現場の学芸員らの意見を排除した展示作品選定を行うことを許したことは、大村知事に責任があります。
大浦氏の発言を持ち上げ、これを抗弁としている方々がおられるようですが、
その是非を問う以前に、これは、大村知事、津田芸術監督の責任とは切り離すべき問題です。
>公益性とは何か?
こうした、公益性を問われる事業では、委員会制度によってそれを担保するのが通例です。
>安倍政治に忖度することか?「日本スゴイ!」ということか?天皇を守ったつもりになることか?
海外における複数の受賞歴のある芸術家を芸術監督として、
芸術における公益性に関して、「現状でできうる世界最高レベルの判断」ができる体制を築くことが一つの対案です。
現在、行政関係の各種委員会において委員長を務めている大学教授らも
実情はともかく建前においてはそういう趣旨で招かれています。
津田のようなジャーナリストに好き勝手やらせるなど論外です。
本来、大浦氏は、芸術監督によって選考される立場であって、当作品の趣旨について疑義が生じた際には、津田芸術監督が率先して説明責任を果たさなければなりません。ところが、津田氏のやったことといえば、トークイベントでふざけた説明をして、視聴者の怒りを煽っただけ。
大浦氏が発言しなければならない事態こそが、まともな芸術祭を組織できていない現状を露呈しています。
ジャーナリスト、政治運動家である津田氏を芸術監督に起用し、
現場の学芸員らの意見を排除した展示作品選定を行うことを許したことは、大村知事に責任があります。
No title
第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
そもそも、一切の表現の自由の保障は、権力保持者に対する異議申したて権の保障に起源を有します。
ジャーナリスト、政治運動家にこそ本来認められるべき基本的人権です。
大村知事は、憲法第21条の本質を理解して行動しています。
これに対して名古屋市長さんは、みっともないですネ。
知性のかけらもありません。お里が知れますね。
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
そもそも、一切の表現の自由の保障は、権力保持者に対する異議申したて権の保障に起源を有します。
ジャーナリスト、政治運動家にこそ本来認められるべき基本的人権です。
大村知事は、憲法第21条の本質を理解して行動しています。
これに対して名古屋市長さんは、みっともないですネ。
知性のかけらもありません。お里が知れますね。
↑
>「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」という暴論が通ってしまうのでは、民主主義の破壊につながる。
強弁乙。
投擲前のブーメランが後頭部に刺さってますな。
>「人権はまぼろし!」などと近代民主主義ではありえない極論を唱えて恥じないのだから、宜なるかな。
ノアハラリに同じ事を言ってきなよ、宗教者さん。
あ、ちなみに神も幻想ですからね?
強弁乙。
投擲前のブーメランが後頭部に刺さってますな。
>「人権はまぼろし!」などと近代民主主義ではありえない極論を唱えて恥じないのだから、宜なるかな。
ノアハラリに同じ事を言ってきなよ、宗教者さん。
あ、ちなみに神も幻想ですからね?
No title
>「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」という暴論が通ってしまうのでは、民主主義の破壊につながる。
↑これは大爆笑だ。他でもないなごやんさんが、これを言うのかって感じだ。なごやんさんなんか、「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」そのものじゃないか。
しかも、それだけではなく、他者への強要も凄いぞ!悪いけど、強要者+盲信者のあなたに民主主義を語る資格は無いと思うがな。
そりゃそうと、別記事での議論もよろしくね。
↑これは大爆笑だ。他でもないなごやんさんが、これを言うのかって感じだ。なごやんさんなんか、「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」そのものじゃないか。
しかも、それだけではなく、他者への強要も凄いぞ!悪いけど、強要者+盲信者のあなたに民主主義を語る資格は無いと思うがな。
そりゃそうと、別記事での議論もよろしくね。
No title
確かに、天皇をパロディー化することへの批判はいまだ強く、小林よしのり氏の「かば焼きの日」とかいう漫画が掲載を拒否されて、別の雑誌に登載されたという話を読んだことがあります。
フランスの雑誌社がテロにあったのも、マホメッドをパロッタからだったとか。
漫画でも、扱い方のレベルによって、前者のように毒を含みつつユーモアを堪能できるものもあれば、後者のように品のないレベルになってしまうこともありますが、後者の表現の自由も、テロや権力や多数や団体からの圧力からは保護されるべきですね。
ただ、天皇の肖像画を焼くというレベルでは嫌がらせの域を超えず、トランプ大統領の写真や安倍総理の写真や文大統領の写真に火をつけて抗議するレベルであって、芸術として公費で展示すべきものではないでしょう。
しかし、民主主義を支える表現の自由の重要性からは、その制約には慎重であるべきであって、主催者ではあっても行政が、表現の中味に立ち入って審査し、補助金全額を不支給とすることが許されるなら、表現者はお上の顔色を窺わざるを得なくなります。
事後的に、津田氏の人選の妥当性も含めて、税金の使い道としての相当性が検証されるべきは、他の支出と当然同じですけれど。検証の結果は、今後の支援の有無に生かしてもらいましょう。
反日プロパガンダの道具に過ぎないものを芸術だとした手口のイヤラシサには腹を立てつつ、表現の自由は尊重すべしという立場です。
イヤラシサの表現について学ばんとコンビニに赴けども、エロ本は既に無し。ダ~カ~ラ~。
フランスの雑誌社がテロにあったのも、マホメッドをパロッタからだったとか。
漫画でも、扱い方のレベルによって、前者のように毒を含みつつユーモアを堪能できるものもあれば、後者のように品のないレベルになってしまうこともありますが、後者の表現の自由も、テロや権力や多数や団体からの圧力からは保護されるべきですね。
ただ、天皇の肖像画を焼くというレベルでは嫌がらせの域を超えず、トランプ大統領の写真や安倍総理の写真や文大統領の写真に火をつけて抗議するレベルであって、芸術として公費で展示すべきものではないでしょう。
しかし、民主主義を支える表現の自由の重要性からは、その制約には慎重であるべきであって、主催者ではあっても行政が、表現の中味に立ち入って審査し、補助金全額を不支給とすることが許されるなら、表現者はお上の顔色を窺わざるを得なくなります。
事後的に、津田氏の人選の妥当性も含めて、税金の使い道としての相当性が検証されるべきは、他の支出と当然同じですけれど。検証の結果は、今後の支援の有無に生かしてもらいましょう。
反日プロパガンダの道具に過ぎないものを芸術だとした手口のイヤラシサには腹を立てつつ、表現の自由は尊重すべしという立場です。
イヤラシサの表現について学ばんとコンビニに赴けども、エロ本は既に無し。ダ~カ~ラ~。
No title
表現の不自由に関しまして、その。
エ~と、表現の自由は最大限に尊重致したく存じまあす。
実物がいいけど、出来ましたら御同業でない方が、何かとなんですんで、一つ。
実物がいいけど、出来ましたら御同業でない方が、何かとなんですんで、一つ。
↑
>民主主義を支える表現の自由の重要性からは、その制約には慎重であるべきであって、主催者ではあっても行政が、表現の中味に立ち入って審査し、補助金全額を不支給とすることが許されるなら、表現者はお上の顔色を窺わざるを得なくなります。
表現の自由を尊重することには当然ですが異論はありません。
しかし、その為にはどうすれば表現の自由を侵害した事になるのか、構成条件を明確化すべきでしょう。
①私人の表現を行政が規制する場合
これは議論の必要なく、公共の福祉や他者の権利を侵害する場合を除けばNGです。
ヘイト表現について等、各論は議論の余地が有りますが。
②行政自体が表現者、あるいは表現者の一部である場合
トリエンナーレがコレです。
この場合、原理的に「行政は表現の自由を侵害する事が不可能」です。
自分の鼻を自分の歯で噛めないのと同じ理屈。
不可能な行為を犯したとして河村市長を糾弾するのはナンセンスです。
河村が中止を要求した行動は、表現者チーム内で表現内容について意見の齟齬があるに過ぎません。つまり、単なる内紛。
また、内容に関する公益性の話は別の議論。
③行政が主催していないが、表現者に補助金が交付されている場合。
行政は公益性を根拠として補助金を交付できます。
交付申請者は申請手続きに則り公益性を認められ、大臣・知事・市長の許可を得て補助金を受給します。
ここで表現者が補助金申請に反する表現を実行したならば、国民から集めた税金の私的濫用です。補助金詐欺です。
有権者の代表たる各行政の長は、公的支出に関する法的監督責任を負っているので、補助金が不正に使用されようとしている場合、交付を停止する義務がある。その義務を果たさなければ、住民監査でポケットマネーから賠償させられます。
ただし、補助金詐欺師たる表現者の表現行為そのものを各行政(の長)が停止させたら、それは表現の自由の侵害でしょう。
表現の自由を尊重することには当然ですが異論はありません。
しかし、その為にはどうすれば表現の自由を侵害した事になるのか、構成条件を明確化すべきでしょう。
①私人の表現を行政が規制する場合
これは議論の必要なく、公共の福祉や他者の権利を侵害する場合を除けばNGです。
ヘイト表現について等、各論は議論の余地が有りますが。
②行政自体が表現者、あるいは表現者の一部である場合
トリエンナーレがコレです。
この場合、原理的に「行政は表現の自由を侵害する事が不可能」です。
自分の鼻を自分の歯で噛めないのと同じ理屈。
不可能な行為を犯したとして河村市長を糾弾するのはナンセンスです。
河村が中止を要求した行動は、表現者チーム内で表現内容について意見の齟齬があるに過ぎません。つまり、単なる内紛。
また、内容に関する公益性の話は別の議論。
③行政が主催していないが、表現者に補助金が交付されている場合。
行政は公益性を根拠として補助金を交付できます。
交付申請者は申請手続きに則り公益性を認められ、大臣・知事・市長の許可を得て補助金を受給します。
ここで表現者が補助金申請に反する表現を実行したならば、国民から集めた税金の私的濫用です。補助金詐欺です。
有権者の代表たる各行政の長は、公的支出に関する法的監督責任を負っているので、補助金が不正に使用されようとしている場合、交付を停止する義務がある。その義務を果たさなければ、住民監査でポケットマネーから賠償させられます。
ただし、補助金詐欺師たる表現者の表現行為そのものを各行政(の長)が停止させたら、それは表現の自由の侵害でしょう。
どちらが「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」なのか?
<なごやんのスタンス>
実際の映像を観ずに、伝聞情報だけでは何とも言えない。
製作者の説明を聞いて、その意図を理解しようとする。
<ボドサケラスさんのスタンス>
実際の映像は一切観ずに、「反日」と決めつけ、正当性がないと断定。
製作者の説明は全く無視。
どちらが「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」なのだろうか?
実際の映像を観ずに、伝聞情報だけでは何とも言えない。
製作者の説明を聞いて、その意図を理解しようとする。
<ボドサケラスさんのスタンス>
実際の映像は一切観ずに、「反日」と決めつけ、正当性がないと断定。
製作者の説明は全く無視。
どちらが「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」なのだろうか?
No title
ボドサケラスさんの批判の論点は10/14夜の書き込みにまとめられてますね。
製作者の意図の問題ではないです。
それとは違う論点で1つ指摘しておきます。
>津田大介芸術監督も「現代美術は見た目だけでなく、文脈が重要なのに作家の意図と異なる形で切り取られてSNSで拡散した」と話す。
開催前、最初に「天皇を燃やす」という切り取り方をしたのは、津田芸術監督自身です。
------------------
津田:これが一番やばい企画なんですよ。おそらく、政治的に。
東:やっぱり…天皇が燃えたりしてるんですか?
津田:ああ…(笑)
中略
津田:二代前じゃん。二代前になると人々の記憶も、二代前だし、歴史上の人物かな、みたいな。そういう捉え方もね。
製作者の意図の問題ではないです。
それとは違う論点で1つ指摘しておきます。
>津田大介芸術監督も「現代美術は見た目だけでなく、文脈が重要なのに作家の意図と異なる形で切り取られてSNSで拡散した」と話す。
開催前、最初に「天皇を燃やす」という切り取り方をしたのは、津田芸術監督自身です。
------------------
津田:これが一番やばい企画なんですよ。おそらく、政治的に。
東:やっぱり…天皇が燃えたりしてるんですか?
津田:ああ…(笑)
中略
津田:二代前じゃん。二代前になると人々の記憶も、二代前だし、歴史上の人物かな、みたいな。そういう捉え方もね。
TC2
「人権はマボロシ!」と叫ぶ人間が、重要な人権である「表現の自由」をトクトクと説く不思議。
↑
>どちらが「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」なのか?
貴方です。
長文を読めない人(読んでも読まない人)だから解らないでしょうが。
>「人権はマボロシ!」と叫ぶ人間が、重要な人権である「表現の自由」をトクトクと説く不思議。
「アーメン!」と叫べる人間にとっては不思議でしょう。
私は神も仏も霊魂も全く信じていないが、菩提寺に寄進し、神社に参拝し、先祖の墓参りをする人間です。
貴方には解らんでしょう。
ま、貴方のような人のシンプルさには、僅かながら羨ましさを感じなくはない。随分と生きやすいでしょうね。
貴方です。
長文を読めない人(読んでも読まない人)だから解らないでしょうが。
>「人権はマボロシ!」と叫ぶ人間が、重要な人権である「表現の自由」をトクトクと説く不思議。
「アーメン!」と叫べる人間にとっては不思議でしょう。
私は神も仏も霊魂も全く信じていないが、菩提寺に寄進し、神社に参拝し、先祖の墓参りをする人間です。
貴方には解らんでしょう。
ま、貴方のような人のシンプルさには、僅かながら羨ましさを感じなくはない。随分と生きやすいでしょうね。
表現の自由を守るとは
主催者が行政だとは言っても、絵や彫刻を市長が作る訳でなし、作品を創造するのは作者ですので、ミロのビーナスに市長がブラジャーさせてはイカンでしょう。
行政が、補助金を全額不支給にしたり、開催中に中止を求めたりすれば、表現者はお上の顔色を窺うようになります。戦前の、粛軍演説をした代議士がその座を追われたような世の中にしたくなければ、委縮しやすい表現の自由を委縮させないよう、権力・多数・団体等の側は細心の注意を払う必要があります。事後的に、検証し、今後の人選や支援継続に生かす位に留めるべきでしょう。もちろん、個人の批判は自由ですが、多数の抗議電話で迷惑をかけるようなやり方も考え物ですよね。
日頃、エロ表現について、出版社などに多数の抗議電話をするらしい側から、今回のような反日表現の自由を言い立てられると、オマ言う感が漂いますが、むしろ、自分の意に沿わない表現の自由こそ全力で守らなければなりません。
そういう崇高な志のもとに、むしろ敢えてコンビニのエロ本の表現の自由を守ろうとしたのに、この気高い理念が理解されているのかどうか…、正に自由を守ることは難しいのです。
行政が、補助金を全額不支給にしたり、開催中に中止を求めたりすれば、表現者はお上の顔色を窺うようになります。戦前の、粛軍演説をした代議士がその座を追われたような世の中にしたくなければ、委縮しやすい表現の自由を委縮させないよう、権力・多数・団体等の側は細心の注意を払う必要があります。事後的に、検証し、今後の人選や支援継続に生かす位に留めるべきでしょう。もちろん、個人の批判は自由ですが、多数の抗議電話で迷惑をかけるようなやり方も考え物ですよね。
日頃、エロ表現について、出版社などに多数の抗議電話をするらしい側から、今回のような反日表現の自由を言い立てられると、オマ言う感が漂いますが、むしろ、自分の意に沿わない表現の自由こそ全力で守らなければなりません。
そういう崇高な志のもとに、むしろ敢えてコンビニのエロ本の表現の自由を守ろうとしたのに、この気高い理念が理解されているのかどうか…、正に自由を守ることは難しいのです。
↑
>主催者が行政だとは言っても、絵や彫刻を市長が作る訳でなし、作品を創造するのは作者ですので、ミロのビーナスに市長がブラジャーさせてはイカンでしょう。
しかし展示会の基礎的な性質を決めるのは主催者。
ガンダーラ仏教美術展にミロのビーナスが飾ってあったら取り除くよう指示あるいは意見しても何もおかしくない(まあ例に挙げておいて何だけど、ガンダーラ美術はギリシア美術の影響をメチャ受けているがw)。
>行政が、補助金を全額不支給にしたり、開催中に中止を求めたりすれば、表現者はお上の顔色を窺うようになります。
顔色を窺うも糞もない。
前述した私のコメントを再読して下さい。
国民の代表を首長とする行政、あるいは議会は、補助金交付申請者の申請内容が公益性に資すると判断できるから、首長の名において交付を許可する訳です。
ならば補助金を受給した方は申請内容に沿って補助金を使わねばならんでしょう?当然のこと。契約の信義則です。
逆に言えば、適正な手続きで申請し、申請内容通りに補助金を使っていればなんの問題もないはず。
私の会社も工業技術に関する補助金を受給した事がありますが、これを目的外使用することはありません。それやったら補助金不正受給になる。
尚、「お上」って何でしょうか。
民主国家である以上、行政のトップは国民の代表で、予算承認権を握っている議会も国民の代表。
予算執行の監督責任は民主主義に基づいて国民の代表である首長が持つ。
論理は一貫しています。
ま、完全に好き勝手やりたきゃ自費でやればいい、って話。
>戦前の、粛軍演説をした代議士がその座を追われたような世の中にしたくなければ、
最近話題の森ゆうこ議員はまっっったく萎縮などせず、無茶苦茶やっとりますな。彼女の応援団も。
それが議会の現状です。
>委縮しやすい表現の自由を委縮させないよう、権力・多数・団体等の側は細心の注意を払う必要があります。
むしろ萎縮しとるのは権力やマジョリティの方ではないかと思いますが。団体はともかく。これは米国でも同じ。欧州では多少潮目が変わったか。
ま、弱者やマイノリティや自称先住民である事を嵩にきて、居丈高に振る舞いつつアファーマティブアクション棒で殴り付けて利権と優遇政策を漁る姿には、些かウンザリであります。
>もちろん、個人の批判は自由ですが、多数の抗議電話で迷惑をかけるようなやり方も考え物ですよね。
貴方の上のコメントとも絡むが、議論にあたっては、法的に縛られる公権力と、それ以外を分けた方がよろしいのでは?
公権力でなければ単なる道義的問題、或いは考え方の問題なので、表現の自由には抵触しない。
私の意見を申し上げれば、組織動員されていないスタンドアローンの個人による抗議電話は問題ないと考えるし、
そもそも抗議電話くらいで萎縮する表現者側がヘボだと思う(脅迫やテロは論外)。
ただ、組織的抗議電話や、ガイセン右翼やガイセン左翼や、不買運動で経済的圧力をかけるのはどうかと思う。
しかし展示会の基礎的な性質を決めるのは主催者。
ガンダーラ仏教美術展にミロのビーナスが飾ってあったら取り除くよう指示あるいは意見しても何もおかしくない(まあ例に挙げておいて何だけど、ガンダーラ美術はギリシア美術の影響をメチャ受けているがw)。
>行政が、補助金を全額不支給にしたり、開催中に中止を求めたりすれば、表現者はお上の顔色を窺うようになります。
顔色を窺うも糞もない。
前述した私のコメントを再読して下さい。
国民の代表を首長とする行政、あるいは議会は、補助金交付申請者の申請内容が公益性に資すると判断できるから、首長の名において交付を許可する訳です。
ならば補助金を受給した方は申請内容に沿って補助金を使わねばならんでしょう?当然のこと。契約の信義則です。
逆に言えば、適正な手続きで申請し、申請内容通りに補助金を使っていればなんの問題もないはず。
私の会社も工業技術に関する補助金を受給した事がありますが、これを目的外使用することはありません。それやったら補助金不正受給になる。
尚、「お上」って何でしょうか。
民主国家である以上、行政のトップは国民の代表で、予算承認権を握っている議会も国民の代表。
予算執行の監督責任は民主主義に基づいて国民の代表である首長が持つ。
論理は一貫しています。
ま、完全に好き勝手やりたきゃ自費でやればいい、って話。
>戦前の、粛軍演説をした代議士がその座を追われたような世の中にしたくなければ、
最近話題の森ゆうこ議員はまっっったく萎縮などせず、無茶苦茶やっとりますな。彼女の応援団も。
それが議会の現状です。
>委縮しやすい表現の自由を委縮させないよう、権力・多数・団体等の側は細心の注意を払う必要があります。
むしろ萎縮しとるのは権力やマジョリティの方ではないかと思いますが。団体はともかく。これは米国でも同じ。欧州では多少潮目が変わったか。
ま、弱者やマイノリティや自称先住民である事を嵩にきて、居丈高に振る舞いつつアファーマティブアクション棒で殴り付けて利権と優遇政策を漁る姿には、些かウンザリであります。
>もちろん、個人の批判は自由ですが、多数の抗議電話で迷惑をかけるようなやり方も考え物ですよね。
貴方の上のコメントとも絡むが、議論にあたっては、法的に縛られる公権力と、それ以外を分けた方がよろしいのでは?
公権力でなければ単なる道義的問題、或いは考え方の問題なので、表現の自由には抵触しない。
私の意見を申し上げれば、組織動員されていないスタンドアローンの個人による抗議電話は問題ないと考えるし、
そもそも抗議電話くらいで萎縮する表現者側がヘボだと思う(脅迫やテロは論外)。
ただ、組織的抗議電話や、ガイセン右翼やガイセン左翼や、不買運動で経済的圧力をかけるのはどうかと思う。
TC2
「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(現代ビジネス)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67828
>不適切な解釈のパターンA)部分しか見ない。B)制作背景を考えない。C)作品の狙いを考えない。
↑
なるほど。リスペクトを欠いた「失礼な解釈」、「わがままな消費者」はいるものだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67828
>不適切な解釈のパターンA)部分しか見ない。B)制作背景を考えない。C)作品の狙いを考えない。
↑
なるほど。リスペクトを欠いた「失礼な解釈」、「わがままな消費者」はいるものだ。
TC3
閉会のあいちトリエンナーレ、不自由展を本気で美術批評してみる(ヤフーニュース)
https://news.yahoo.co.jp/byline/taketosekiguchi/20191016-00147019/
>そして一通り展示を見た私に残った印象は、政治性よりも「非現代性」とも呼べそうな、その表現様式だった。
↑
これは見方としてある。少女像の白い影の意味、またそれを「ベタ」と呼ぶのもわかる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/taketosekiguchi/20191016-00147019/
>そして一通り展示を見た私に残った印象は、政治性よりも「非現代性」とも呼べそうな、その表現様式だった。
↑
これは見方としてある。少女像の白い影の意味、またそれを「ベタ」と呼ぶのもわかる。
TC4
「天皇批判ではない」不自由展作家の新作、山形で上映会(朝日10/15)
https://www.asahi.com/articles/ASMBH0TMDMBGUZHB00N.html?iref=pc_ss_date
>「燃えているのは、(天皇や他のイメージを貼り合わせた)僕の内面を映し出した自画像としてのコラージュ作品。昭和天皇を批判するものではない」
↑
「芸術家は作品を通して語るべき」という言葉もあるが・・・
https://www.asahi.com/articles/ASMBH0TMDMBGUZHB00N.html?iref=pc_ss_date
>「燃えているのは、(天皇や他のイメージを貼り合わせた)僕の内面を映し出した自画像としてのコラージュ作品。昭和天皇を批判するものではない」
↑
「芸術家は作品を通して語るべき」という言葉もあるが・・・
TC6
>逆に言えば、適正な手続きで申請し、申請内容通りに補助金を使っていればなんの問題もないはず。
↑
議事録さえ残っていない「ブラックボックス」が適正な手続きなのか?
<参考記事>
議事録なし「モリカケと一緒」 愛知・大村知事が批判(朝日10/16)
https://www.asahi.com/articles/ASMBJ3T9XMBJOIPE00K.html?iref=pc_ss_date
↑
議事録さえ残っていない「ブラックボックス」が適正な手続きなのか?
<参考記事>
議事録なし「モリカケと一緒」 愛知・大村知事が批判(朝日10/16)
https://www.asahi.com/articles/ASMBJ3T9XMBJOIPE00K.html?iref=pc_ss_date
TC7
>むしろ萎縮しとるのは権力やマジョリティの方ではないかと思いますが。
↑
鈴木大介氏の父と同じようなメンテリティー。
<参考記事>
(耕論)嫌韓論の正体(朝日10/19)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14223405.html?pn=4
↑
鈴木大介氏の父と同じようなメンテリティー。
<参考記事>
(耕論)嫌韓論の正体(朝日10/19)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14223405.html?pn=4
TC13
>私は神も仏も霊魂も全く信じていないが、菩提寺に寄進し、神社に参拝し、先祖の墓参りをする人間です。貴方には解らんでしょう。
↑
わたしは欧米人でない、日本人なのでこの「見立て」とか「みなし」の文化については肌感覚としてよくわかる。
ただ、クリスチャンなので、「天皇に人権なし」と、天皇を「玉(ギョク)」扱いはしない。
天皇を敬っているようで利用するようなマネはできない。
↑
わたしは欧米人でない、日本人なのでこの「見立て」とか「みなし」の文化については肌感覚としてよくわかる。
ただ、クリスチャンなので、「天皇に人権なし」と、天皇を「玉(ギョク)」扱いはしない。
天皇を敬っているようで利用するようなマネはできない。
TC14
社労士さんが引用した「銀座の画廊<秋華洞>社長のブログ」より。
>国が維持され、発展してこそ、私達が自由に活動できるのです。その原点を忘れて、今もなお文化庁に抗議する不見識で顔の見えない人たちすべてに言いたいです。あなたたちこそ、表現の自由の敵だ。
↑
これは認識が逆立ちしている。
芸術は国家に奉仕するものではない。
「かかっているのはたかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば大した価値のあるものじゃない。」(ヤン・ウェンリー)
>国が維持され、発展してこそ、私達が自由に活動できるのです。その原点を忘れて、今もなお文化庁に抗議する不見識で顔の見えない人たちすべてに言いたいです。あなたたちこそ、表現の自由の敵だ。
↑
これは認識が逆立ちしている。
芸術は国家に奉仕するものではない。
「かかっているのはたかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば大した価値のあるものじゃない。」(ヤン・ウェンリー)
No title
銀英伝の台詞は抜き出すだけじゃ状況がわかりませんよ。
その台詞の前にちゃーんと
「勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやってくれ」
って言ってますしおすし。
僕はこっちの台詞推しですかね?
「思うのは自由だが、言うのは必ずしも自由じゃないのさ」
ちなみに「銀河英雄伝説 Die Neue These」は絶賛上映中!本伝には劣りますが有名な場面は押さえていますのでおすすめ。余裕があれば本伝のほうを見るべしですが。
その台詞の前にちゃーんと
「勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやってくれ」
って言ってますしおすし。
僕はこっちの台詞推しですかね?
「思うのは自由だが、言うのは必ずしも自由じゃないのさ」
ちなみに「銀河英雄伝説 Die Neue These」は絶賛上映中!本伝には劣りますが有名な場面は押さえていますのでおすすめ。余裕があれば本伝のほうを見るべしですが。
TC6
あいちトリエンナーレで『平和の少女像』作者の話を聞いて(マガジン9 10/16)
https://maga9.jp/191016-4/
>この(少女)像は空いた椅子に座って少女像に握手してくれることで完成する、と(制作者は)語った。
>少女像もピエタ像も、性暴力の告発でもあるが、何より戦争のない、誰もが人権を搾取されない平和な世界への希求が込められた塑像だということが分かる。
↑
なるほど。
これはよくわかる。
作家は「少女像は反日ではない」とも言っているが、認知バイアスがあると、作者の意図も発言も全く無視して「反日無罪」の括りにして一丁あがりになるのだろう。
https://maga9.jp/191016-4/
>この(少女)像は空いた椅子に座って少女像に握手してくれることで完成する、と(制作者は)語った。
>少女像もピエタ像も、性暴力の告発でもあるが、何より戦争のない、誰もが人権を搾取されない平和な世界への希求が込められた塑像だということが分かる。
↑
なるほど。
これはよくわかる。
作家は「少女像は反日ではない」とも言っているが、認知バイアスがあると、作者の意図も発言も全く無視して「反日無罪」の括りにして一丁あがりになるのだろう。
No title
批判・感想=否定、ていうわけじゃないんだろうけど
やっぱり、自分の感想を表明するっていうのは白か黒かにならざるを得ないのかねぇ……。
(これは個人の感想で、作品を否定するわけではございません)っていうのがある意味「○○しぐさ」みたいな感じになるのもなんだかなぁ。
NHKドラマ「聖☆おにいさん」に『冒涜に怒りを覚える』『放送料払って侮辱の言葉を聞くとは」と牧師…そこからいくつかの考察
https://togetter.com/li/1419161
やっぱり、自分の感想を表明するっていうのは白か黒かにならざるを得ないのかねぇ……。
(これは個人の感想で、作品を否定するわけではございません)っていうのがある意味「○○しぐさ」みたいな感じになるのもなんだかなぁ。
NHKドラマ「聖☆おにいさん」に『冒涜に怒りを覚える』『放送料払って侮辱の言葉を聞くとは」と牧師…そこからいくつかの考察
https://togetter.com/li/1419161
TC4
NHKドラマ「聖☆おにいさん」は楽しく観たけどな。
クリスチャンの間でも賛否はあるが、わたしは原作もアニメ、ドラマも面白がっていた。
後半になるとギリシャ・ローマ神話など「眠っている神々」を引っ張り出してきたので、面白みが減じた。
クリスチャンの間でも賛否はあるが、わたしは原作もアニメ、ドラマも面白がっていた。
後半になるとギリシャ・ローマ神話など「眠っている神々」を引っ張り出してきたので、面白みが減じた。
嗚呼、港町十三番地。
自分の乗ってる船の船旗を焼き、船主の肖像を汚損し、寄航する先々で船と船員の悪口を言いふらし、あまつさえ船体そのものまで棄損しようとする輩は、海に突き落とすしかない。
TC1
抵抗の中で生まれた民衆美術 不自由展「少女像」の背景考える(朝日10/23)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14229143.html?_requesturl=articles%2FDA3S14229143.html
>民衆美術の歴史から、日本が学べることは何か。古川さんは、「日本ではいまだに『芸術か政治か』という二択に固執している」という。「アーティストには、一度『政治』にはみ出すとアートの世界に戻れない、という意識があるのかもしれません。本当にあらがうべきものを見極めて覚悟をもってあらがうこと、抵抗しても孤立しないという連帯感を築いていくことが、大切だと思います」
↑
このコメントから1920年代のメキシコ壁画運動を思い出した。
韓国の民衆芸術がメキシコの壁画運動ほどのムーブメントを呼び起こせるのか。
今はなんとも言えない。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14229143.html?_requesturl=articles%2FDA3S14229143.html
>民衆美術の歴史から、日本が学べることは何か。古川さんは、「日本ではいまだに『芸術か政治か』という二択に固執している」という。「アーティストには、一度『政治』にはみ出すとアートの世界に戻れない、という意識があるのかもしれません。本当にあらがうべきものを見極めて覚悟をもってあらがうこと、抵抗しても孤立しないという連帯感を築いていくことが、大切だと思います」
↑
このコメントから1920年代のメキシコ壁画運動を思い出した。
韓国の民衆芸術がメキシコの壁画運動ほどのムーブメントを呼び起こせるのか。
今はなんとも言えない。
TC2
慰安婦問題扱った映画、川崎市共催の映画祭で上映中止に(朝日10/24)
https://www.asahi.com/articles/ASMBS3RSXMBSUTIL010.html?iref=comtop_8_05
↑
映画祭での上映中止はよいことではない。
観に行きたいなあ。
https://www.asahi.com/articles/ASMBS3RSXMBSUTIL010.html?iref=comtop_8_05
↑
映画祭での上映中止はよいことではない。
観に行きたいなあ。
狭量な正義のコワさ
狭量な正義が自由を押しつぶしそうになっている危険を感じます。
ヘイトスピーチから被害者を守ることは正しい。しかし、その手段として刑罰を選択すれば、権力の表現の内容への強度な介入を招くことになるのに、それは分かっているけれど、ヘイトスピーチは別だとして、あくまでも刑罰を求める。
しかし、刑罰権を行使するのはあくまでも権力。嫌韓言動を批判すると、日本人に対するヘイトだという主張も出て来る訳で、何を処罰対象と認定するかは権力次第なのに、むしろ日頃安倍政権を批判している側が、どうして安倍政権下の日本の権力が、刑罰権を真のヘイトだけに限定して行使してくれると信頼できるのでしょうか。
ヘイト憎しのあまり、刑法の謙抑主義や罪刑法定主義など、自由を守る他の要素も総合的に考慮して落としどころを考察すべきなのに、被害者救済に力が入る余り、他の要素を等閑に付してしまってバランスを失しているように思われます。
右でも、慰安婦像などの反日プロパガンダと、そのために日本の税金を使われてしまったことへの怒りのあまり、権力が表現の内容に介入することを招くことへの警戒感が薄れてしまっているように思われるのです。
表現の自由を狭めるものは権力ばかりではありません。所謂ポリコレが表現を狭めるのも一例です。
週刊誌の韓国に関する記事の一部に問題があった場合に、多くの作家が執筆拒否をすることによっても圧力をかけることができますし、大量の電話で嫌がらせをすることも可能です。5人や10人の短い電話まで咎めている訳ではありませんし、大量の電話が組織的なものか否かの立証はかなり難しいのではないでしょうか。現に、少年のエッチ漫画には相当な抗議が殺到した模様です。
行政が主催する場合でも、作品の選択など芸術的素養を要するところは専門家に委ねるのが一般でしょう。そして、芸術である以上、芸術監督の裁量はできるだけ広く尊重されるべきです。
もちろん、表現の不自由展と銘打って補助金を獲得しておきながら、展示物が慰安婦像だけで「世界の慰安婦像展」という実態だとしたら、補助金全額不支給も検討し得るかなとは思います。
けれども、今回の件は、私には芸術とは思えないものも、芸術だという意見もあり、昭和天皇への侮辱だと思えるものにも、屁理屈っぽい、そうではないという解釈論もある訳です。
本来、芸術監督や作者の裁量や自由をできるだけ尊重すべき美術展において、開催中に行政側が批判したり、撤去を求めたり、補助金の全額不支給をしたりすれば、芸術家や作成者は首長の顔色を窺うようになるでしょう。民主的に選ばれたと言っても、首長が権力者であることに変わりは有りません。芸術家や表現者が権力者に迎合する世の中は誰も望んではいないでしょう。
自分の金でやれという点は、補助金が無ければ表現できないかのよう言う愛知甘エンターレへの評価としては同感ですが、一旦補助金の支給を決定すれば、それを前提に事業を計画するのですから、2階に上げて梯子を外すやり方をされては、今後権力に迎合する芸術家を産むでしょう。
やはり、表現の自由が狭められていくことへの警戒感が薄過ぎると言わざるを得ません。
香港を見ればわかるように、自由とは、ある程度まで奪われてしまうと、途中で抵抗しても、元に戻すことはなかなかできないものです。
コンビニのエロ本についても、子供に見せたくないという親御さんのお気持ちはわかりますが、買いたい人もあり、漫画家や文筆家の表現の場や表現によって生活の糧を得る場でもあるという要素を考えた上での、一律撤去だったでしょうか。まして、オリンピックで来日する外人に対して外聞が悪いからというのが切っ掛けでは情けない限りです。
じつは、狭量な正義が表現の自由の幅を狭めて行くという一例かと思い、何度か、ジョークにしてみました。
大きな尻が見たいからだとか、巨乳が見たいからにちがいないとかいう誤解を招きがちですが、あくまでも、大所高所の見地から申し上げておりますのです、ハイ。
表現の自由の委縮がコワーい、言論の自由への制約もコワーい。
そろそろ、渋ーいお茶が一杯コワイ。
ヘイトスピーチから被害者を守ることは正しい。しかし、その手段として刑罰を選択すれば、権力の表現の内容への強度な介入を招くことになるのに、それは分かっているけれど、ヘイトスピーチは別だとして、あくまでも刑罰を求める。
しかし、刑罰権を行使するのはあくまでも権力。嫌韓言動を批判すると、日本人に対するヘイトだという主張も出て来る訳で、何を処罰対象と認定するかは権力次第なのに、むしろ日頃安倍政権を批判している側が、どうして安倍政権下の日本の権力が、刑罰権を真のヘイトだけに限定して行使してくれると信頼できるのでしょうか。
ヘイト憎しのあまり、刑法の謙抑主義や罪刑法定主義など、自由を守る他の要素も総合的に考慮して落としどころを考察すべきなのに、被害者救済に力が入る余り、他の要素を等閑に付してしまってバランスを失しているように思われます。
右でも、慰安婦像などの反日プロパガンダと、そのために日本の税金を使われてしまったことへの怒りのあまり、権力が表現の内容に介入することを招くことへの警戒感が薄れてしまっているように思われるのです。
表現の自由を狭めるものは権力ばかりではありません。所謂ポリコレが表現を狭めるのも一例です。
週刊誌の韓国に関する記事の一部に問題があった場合に、多くの作家が執筆拒否をすることによっても圧力をかけることができますし、大量の電話で嫌がらせをすることも可能です。5人や10人の短い電話まで咎めている訳ではありませんし、大量の電話が組織的なものか否かの立証はかなり難しいのではないでしょうか。現に、少年のエッチ漫画には相当な抗議が殺到した模様です。
行政が主催する場合でも、作品の選択など芸術的素養を要するところは専門家に委ねるのが一般でしょう。そして、芸術である以上、芸術監督の裁量はできるだけ広く尊重されるべきです。
もちろん、表現の不自由展と銘打って補助金を獲得しておきながら、展示物が慰安婦像だけで「世界の慰安婦像展」という実態だとしたら、補助金全額不支給も検討し得るかなとは思います。
けれども、今回の件は、私には芸術とは思えないものも、芸術だという意見もあり、昭和天皇への侮辱だと思えるものにも、屁理屈っぽい、そうではないという解釈論もある訳です。
本来、芸術監督や作者の裁量や自由をできるだけ尊重すべき美術展において、開催中に行政側が批判したり、撤去を求めたり、補助金の全額不支給をしたりすれば、芸術家や作成者は首長の顔色を窺うようになるでしょう。民主的に選ばれたと言っても、首長が権力者であることに変わりは有りません。芸術家や表現者が権力者に迎合する世の中は誰も望んではいないでしょう。
自分の金でやれという点は、補助金が無ければ表現できないかのよう言う愛知甘エンターレへの評価としては同感ですが、一旦補助金の支給を決定すれば、それを前提に事業を計画するのですから、2階に上げて梯子を外すやり方をされては、今後権力に迎合する芸術家を産むでしょう。
やはり、表現の自由が狭められていくことへの警戒感が薄過ぎると言わざるを得ません。
香港を見ればわかるように、自由とは、ある程度まで奪われてしまうと、途中で抵抗しても、元に戻すことはなかなかできないものです。
コンビニのエロ本についても、子供に見せたくないという親御さんのお気持ちはわかりますが、買いたい人もあり、漫画家や文筆家の表現の場や表現によって生活の糧を得る場でもあるという要素を考えた上での、一律撤去だったでしょうか。まして、オリンピックで来日する外人に対して外聞が悪いからというのが切っ掛けでは情けない限りです。
じつは、狭量な正義が表現の自由の幅を狭めて行くという一例かと思い、何度か、ジョークにしてみました。
大きな尻が見たいからだとか、巨乳が見たいからにちがいないとかいう誤解を招きがちですが、あくまでも、大所高所の見地から申し上げておりますのです、ハイ。
表現の自由の委縮がコワーい、言論の自由への制約もコワーい。
そろそろ、渋ーいお茶が一杯コワイ。
No title
猛批判のなか出席した大村知事に竹田恒泰氏&河村名古屋市長が激怒! 竹田氏「共産党を見習え」 河村氏「大した度胸だよな」 天皇陛下「即位礼正殿の儀」
10/24(木) 16:56配信
天皇陛下が国内外に即位を正式に宣明される「即位礼正殿の儀」が22日、つつがなく終わった。皇室、日本の慶事に、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」(14日閉幕)で昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏みつける映像作品の公開を認めた愛知県の大村秀章知事も、なんと参列した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191024-00000000-ykf-soci
10/24(木) 16:56配信
天皇陛下が国内外に即位を正式に宣明される「即位礼正殿の儀」が22日、つつがなく終わった。皇室、日本の慶事に、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」(14日閉幕)で昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏みつける映像作品の公開を認めた愛知県の大村秀章知事も、なんと参列した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191024-00000000-ykf-soci
TC2
夕刊フジねえ。
大村愛知県知事はデュープロにのっとり行動しており、なんら批難される謂れはない。
竹田氏の神懸かった発言もどうなのか。
大村愛知県知事はデュープロにのっとり行動しており、なんら批難される謂れはない。
竹田氏の神懸かった発言もどうなのか。
エセ保守ザンショ。
なごやんさんのおっしゃるように大村知事の主張は正しいし、むしろ、竹田・河村両氏の方が、たとえ天皇制反対の国民であっても、摂政に任せて死ぬまでやっとれの反天皇総理であっても、国民全てを大きく包まれる大御心を理解できていませんよね。日本国及び日本国民統合の象徴である天皇陛下の御即位を皆でお祝いする,良いことじゃありませんか。共産党がオトナゲないだけで。
TC10
「萎縮NO!」声あげる映画人 是枝監督「公益が国益に回収されている」(朝日11/3)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14242477.html
>是枝裕和監督は、「公益」と「国益」という言葉に区別がついていないことが問題だと指摘。「ここ20年ほどで公共、公益の価値が、すべて“国益”に回収されてきた。『あいち』も『宮本』も、文化全体の価値観が一元化されている流れで起きている」と語った。「アームズ・レングス(腕の長さの距離)」と呼ばれる原則が、公的助成をめぐる問題では世界基準になっているとの紹介もあった。公権力は文化に金を出しても、芸術表現の自由と独立性を維持するため、ほどよい距離を取るべきだとの論だ。
↑
「アームズ・レングス」
金融機関などでよくいう「アームズ・レングス・ルール」とは違うが、発想としては同じ。
民主主義社会であるなら、公権力が謙抑的にふるまうのはあるべき姿。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14242477.html
>是枝裕和監督は、「公益」と「国益」という言葉に区別がついていないことが問題だと指摘。「ここ20年ほどで公共、公益の価値が、すべて“国益”に回収されてきた。『あいち』も『宮本』も、文化全体の価値観が一元化されている流れで起きている」と語った。「アームズ・レングス(腕の長さの距離)」と呼ばれる原則が、公的助成をめぐる問題では世界基準になっているとの紹介もあった。公権力は文化に金を出しても、芸術表現の自由と独立性を維持するため、ほどよい距離を取るべきだとの論だ。
↑
「アームズ・レングス」
金融機関などでよくいう「アームズ・レングス・ルール」とは違うが、発想としては同じ。
民主主義社会であるなら、公権力が謙抑的にふるまうのはあるべき姿。
TC1
表現への圧力 萎縮を招く危うい流れ(朝日11/9)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14250072.html?iref=editorial_backnumber
>民主主義の発展には、不都合なことも表に出して議論を交わし、考えることが大切で、権力は無用の介入をしてはならない――。そんな近代社会の基本を理解せず、芸術への尊敬を欠く国だと宣言したに等しい。
>公益という、いかようにも解釈できる用語には危うさがつきまとう。
↑
全くその通り。
このような動きにはひとつひとつ疑問の声を上げ続ける必要がある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14250072.html?iref=editorial_backnumber
>民主主義の発展には、不都合なことも表に出して議論を交わし、考えることが大切で、権力は無用の介入をしてはならない――。そんな近代社会の基本を理解せず、芸術への尊敬を欠く国だと宣言したに等しい。
>公益という、いかようにも解釈できる用語には危うさがつきまとう。
↑
全くその通り。
このような動きにはひとつひとつ疑問の声を上げ続ける必要がある。
再読愚考:表現の不自由展について 12-1
つい最近まで議論が続いている愛知トリエンナーレについての記事。
>まず、大前提にすべきは、これ(昭和天皇の写真を燃やす、その灰を足で踏みつけるという映像)は表現の自由の範ちゅうに属するものということです。
↑
これはわたしのコメントでも触れているが、わかる話。
但し、次が問題。
>昭和天皇の責任を問うという表現方法として写真を焼き、その灰を足で踏みつけるという映像表現は明らかに表現の自由の範ちゅうです。
>昭和天皇の戦争責任を訴える上で有効な表現かといえば、・・・
↑
再読して、ここで引っかかった。
猪野先生は「遠近を抱えて」を完全に反天皇の意図を持った作品とみなしている。
先生はこの約20分といわれる映像作品を実際に鑑賞したのだろうか?
他者からのあいまいな伝聞情報と憶測で話をしていないか。
これではボドサケラスさんと同じではないか。
作者が繰り返し「天皇を貶める意味はない」といっていることをどう理解するのだろう。
<追記>
同じ「表現の不自由展」に出展された作品の中でも「落米のおそれあり」は、反基地、反米のメッセージがあるとみてよい。
ただ、これはパロディ色が濃く、芸術的にはどうかと思う。
<参考サイト>
「落米のおそれあり」
https://censorship.social/artists/okamoto-mitsuhiro/
>こうした行動(表現)は、天皇制のあり方に疑問を持ちながらも国民の中にそうした疑問が拡がっていかないことへの苛立ちでもあり、ある種の自己満足というべきものです。
↑
それは猪野先生の感情ではないのか?
もし、作者がそう考えているのなら、「昭和天皇を燃やしたのは、アジア人民の怒りの炎です」的なベタなメッセージを発したことだろう。
少なくとも「自画像」などというわけがない。
>どこまで共感を得るやり方を取れるのかは、まさに津田大介氏の手腕でしたが、津田大介氏についてもどうかと思う部分もあったことも事実でしょう。
↑
津田氏の適性についてはゆうじさんが疑問を投げかけているが、たしかにその点はわたしも首を傾げる点がある。
(つづく)
>まず、大前提にすべきは、これ(昭和天皇の写真を燃やす、その灰を足で踏みつけるという映像)は表現の自由の範ちゅうに属するものということです。
↑
これはわたしのコメントでも触れているが、わかる話。
但し、次が問題。
>昭和天皇の責任を問うという表現方法として写真を焼き、その灰を足で踏みつけるという映像表現は明らかに表現の自由の範ちゅうです。
>昭和天皇の戦争責任を訴える上で有効な表現かといえば、・・・
↑
再読して、ここで引っかかった。
猪野先生は「遠近を抱えて」を完全に反天皇の意図を持った作品とみなしている。
先生はこの約20分といわれる映像作品を実際に鑑賞したのだろうか?
他者からのあいまいな伝聞情報と憶測で話をしていないか。
これではボドサケラスさんと同じではないか。
作者が繰り返し「天皇を貶める意味はない」といっていることをどう理解するのだろう。
<追記>
同じ「表現の不自由展」に出展された作品の中でも「落米のおそれあり」は、反基地、反米のメッセージがあるとみてよい。
ただ、これはパロディ色が濃く、芸術的にはどうかと思う。
<参考サイト>
「落米のおそれあり」
https://censorship.social/artists/okamoto-mitsuhiro/
>こうした行動(表現)は、天皇制のあり方に疑問を持ちながらも国民の中にそうした疑問が拡がっていかないことへの苛立ちでもあり、ある種の自己満足というべきものです。
↑
それは猪野先生の感情ではないのか?
もし、作者がそう考えているのなら、「昭和天皇を燃やしたのは、アジア人民の怒りの炎です」的なベタなメッセージを発したことだろう。
少なくとも「自画像」などというわけがない。
>どこまで共感を得るやり方を取れるのかは、まさに津田大介氏の手腕でしたが、津田大介氏についてもどうかと思う部分もあったことも事実でしょう。
↑
津田氏の適性についてはゆうじさんが疑問を投げかけているが、たしかにその点はわたしも首を傾げる点がある。
(つづく)
No title
久し振りにブログみたら、コメント欄は
なごやんと東大平行線のコメントが殆どですな。
かなり興醒め
なごやんと東大平行線のコメントが殆どですな。
かなり興醒め
No title
ネトサヨうざいさん
秋風亭さんが消えたので、
(散々マウントとってたところで
現場の実情を知らないことを指摘されたゆえと
推測します)
だいぶスッキリしましたよ。
秋風亭さんが消えたので、
(散々マウントとってたところで
現場の実情を知らないことを指摘されたゆえと
推測します)
だいぶスッキリしましたよ。
再読愚考:表現の不自由展について 12-2
<なごやんのコメント>
上記2作品(遠近を抱えて・焼かれるべき絵)とも「天皇を貶める」ことを目的とした作品とは思えない。
↑
>実物を観ないでネット上だけの情報による類推を含めた感想
だが、「反天皇」「反日」とレッテル貼りをして決めつけることにわたしは一貫して慎重姿勢を隠していない。
そんな単純な作品だと、ろくに観てもいないのに言い切れるのはなぜだろう?
<HNを検討中さんのコメント>
(神原元弁護士のツイート)この件、問題の本質は「表現の自由」ではない。戦時性暴力という歴史の真実が右翼の暴力によって踏みにじられたことこそ問題の本質だ。我々が掲げるべき旗は「真実と正義」である。
↑
いまこれを言うのは間違っている。
<なごやんのコメント>
(「遠近を抱えて」は)「天皇の肖像をバーナーで焼き、しかもその灰を足で踏みつける」=「自画像を焼いてその灰を足で踏みつける」となんだかよくわからない話になってしまう。
↑
この伝聞情報だけで作品を解説できる人がいるのだろうか?
わたしは全くわからない。
<弁護士さんのコメント>
日本の官僚の無能さに、いまだに多くの日本人が気付いていない。
↑
モリカケ問題をめぐる顛末で官僚に対する信頼感はさらに低下傾向。
ただ、政治家の勝手な言動に振り回されて、余計な仕事が増えるばかりの現状には同情も禁じ得ない。
<片割月さんのコメント>
昭和天皇の顔写真を燃やしたくなる人がいたとしても不思議ではないし、むしろ、まともな人間の心を持っていると言えるかもしれない。
↑
作者は昭和天皇が憎くて顔写真を燃やしたのか?
わたしはそうではないと思う。
(つづく)
上記2作品(遠近を抱えて・焼かれるべき絵)とも「天皇を貶める」ことを目的とした作品とは思えない。
↑
>実物を観ないでネット上だけの情報による類推を含めた感想
だが、「反天皇」「反日」とレッテル貼りをして決めつけることにわたしは一貫して慎重姿勢を隠していない。
そんな単純な作品だと、ろくに観てもいないのに言い切れるのはなぜだろう?
<HNを検討中さんのコメント>
(神原元弁護士のツイート)この件、問題の本質は「表現の自由」ではない。戦時性暴力という歴史の真実が右翼の暴力によって踏みにじられたことこそ問題の本質だ。我々が掲げるべき旗は「真実と正義」である。
↑
いまこれを言うのは間違っている。
<なごやんのコメント>
(「遠近を抱えて」は)「天皇の肖像をバーナーで焼き、しかもその灰を足で踏みつける」=「自画像を焼いてその灰を足で踏みつける」となんだかよくわからない話になってしまう。
↑
この伝聞情報だけで作品を解説できる人がいるのだろうか?
わたしは全くわからない。
<弁護士さんのコメント>
日本の官僚の無能さに、いまだに多くの日本人が気付いていない。
↑
モリカケ問題をめぐる顛末で官僚に対する信頼感はさらに低下傾向。
ただ、政治家の勝手な言動に振り回されて、余計な仕事が増えるばかりの現状には同情も禁じ得ない。
<片割月さんのコメント>
昭和天皇の顔写真を燃やしたくなる人がいたとしても不思議ではないし、むしろ、まともな人間の心を持っていると言えるかもしれない。
↑
作者は昭和天皇が憎くて顔写真を燃やしたのか?
わたしはそうではないと思う。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-3
<イーグルさんのコメント>
バッハより日本のヒップホップを比較して後者に軍配を上げるようなもの・・・
↑
あなたがバッハを語るのか?
SDGの意味が分かっているのか?
<なごやんのコメント>
ついさきほど、「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記」を観た。感想を一言でいえば「裕仁さんはごく普通の人だったんだ」。
「戦争責任」自体を裕仁さんは実感していたが、公的にはそうは言えない「苦悩」をわたしは今般の番組を通じて感じ取ることができた。
↑
喜怒哀楽、反省、悔悟、言い過ぎ、保身・・・
裕仁さんは、実に普通の人だった。
そのごく普通の人が、「生まれ」という自分の責任とは言えない理由で、天皇にならざるを得ないというのは、たいへんしんどいこと。
<秋風亭さんのコメント>
後悔(自責の念)と責任回避に揺れる裕仁天皇
↑
秋風亭さんのほうがわたしより冷ややかに裕仁さんを見ている。
これはわたしが私人「裕仁さん」と公人「昭和天皇」とを分けてみるのに対して、秋風亭さんはあくまで「裕仁天皇」を見ている違いではないかと思う。
<ゆうじさんのコメント>
本件(「表現の不自由展」)には、芸術を置き去りにしたという問題点があります。
↑
これはたしかによく考えないといけない点。
(つづく)
バッハより日本のヒップホップを比較して後者に軍配を上げるようなもの・・・
↑
あなたがバッハを語るのか?
SDGの意味が分かっているのか?
<なごやんのコメント>
ついさきほど、「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録“拝謁(はいえつ)記」を観た。感想を一言でいえば「裕仁さんはごく普通の人だったんだ」。
「戦争責任」自体を裕仁さんは実感していたが、公的にはそうは言えない「苦悩」をわたしは今般の番組を通じて感じ取ることができた。
↑
喜怒哀楽、反省、悔悟、言い過ぎ、保身・・・
裕仁さんは、実に普通の人だった。
そのごく普通の人が、「生まれ」という自分の責任とは言えない理由で、天皇にならざるを得ないというのは、たいへんしんどいこと。
<秋風亭さんのコメント>
後悔(自責の念)と責任回避に揺れる裕仁天皇
↑
秋風亭さんのほうがわたしより冷ややかに裕仁さんを見ている。
これはわたしが私人「裕仁さん」と公人「昭和天皇」とを分けてみるのに対して、秋風亭さんはあくまで「裕仁天皇」を見ている違いではないかと思う。
<ゆうじさんのコメント>
本件(「表現の不自由展」)には、芸術を置き去りにしたという問題点があります。
↑
これはたしかによく考えないといけない点。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-4
<ひまわりさんのコメント>
陛下の顔写真を焼くことに容認する側はもっともらしく理由を述べてますが、結局は天皇嫌いの感情論にしか過ぎません。
↑
本当に天皇の顔写真だけを悪意をもってガスバーナーで焼いたのだろうか?
ただ、それなら前述したように「昭和天皇を燃やしたのは、アジア人民の怒りの炎です」で作者インタビューはOKのはずだが?
逆にその点が何を言っているのかわからないのでは、プロパガンダとしては中途半端。
チベット仏教の交合仏や人体模型は一緒に燃やされていないのか?
<ひまわりさんのコメント>
なぜ表現の自由しか主張なさらない。自由の制限をどうして語らない?
<猪野亨さんのコメント>
いい加減にしてもらいたいね。これはどういう意味で言っていますか。
↑
「自由の制限とは何か?」と考えること自体はありだと思う。
ここで出てくる線は「公人と私人の別」であり、「プライバシー権」であり、「芸術かエログロか」といったことを考えることになる。
<なごやんのコメント>
コメントをしている人の中で、今、問題となっている「遠近を抱えて(4点組)」を鑑賞した人が一人でもいるのだろうか?20分程度の映像作品だそうだが、伝聞形式、第三者の感想によって間接的に憶測も交えて想像するしかない状況であり、この作品自体の評論には限界があると思う。
↑
この見解は今でも同じ。
もっと多くの人がオープンな形でこの作品に触れられればいい。
それこそ、NHKが放送しないのか。
<社労士さんのコメント>
(もし上皇陛下が「故人(父君である昭和天皇)に対する敬愛追慕の情を著しく侵害され、精神的苦痛を受けた」と発言したら、)三人(大村愛知県知事、津田監督、東とかいうおっさん)とも日本にはもう住めなくなる。裁判の結果を待つまでもない。それだけ皇族の言葉は重いからこそ、まず絶対に反論なされないのに、それをいいことにアホ共は!
<rotさんのコメント>
こういう認識の(社労士さんのような)人がいるからこそ、表現の自由と、思想及び良心の自由、思想信条の自由を、憲法と共に守らねばならないのだと思います。
↑
これはrotさんの考え方のほうに親和性を感じる。
社労士さんも「遠近を抱えて」を観てもいないのに、「反天皇」と決めつけている。
(つづく)
陛下の顔写真を焼くことに容認する側はもっともらしく理由を述べてますが、結局は天皇嫌いの感情論にしか過ぎません。
↑
本当に天皇の顔写真だけを悪意をもってガスバーナーで焼いたのだろうか?
ただ、それなら前述したように「昭和天皇を燃やしたのは、アジア人民の怒りの炎です」で作者インタビューはOKのはずだが?
逆にその点が何を言っているのかわからないのでは、プロパガンダとしては中途半端。
チベット仏教の交合仏や人体模型は一緒に燃やされていないのか?
<ひまわりさんのコメント>
なぜ表現の自由しか主張なさらない。自由の制限をどうして語らない?
<猪野亨さんのコメント>
いい加減にしてもらいたいね。これはどういう意味で言っていますか。
↑
「自由の制限とは何か?」と考えること自体はありだと思う。
ここで出てくる線は「公人と私人の別」であり、「プライバシー権」であり、「芸術かエログロか」といったことを考えることになる。
<なごやんのコメント>
コメントをしている人の中で、今、問題となっている「遠近を抱えて(4点組)」を鑑賞した人が一人でもいるのだろうか?20分程度の映像作品だそうだが、伝聞形式、第三者の感想によって間接的に憶測も交えて想像するしかない状況であり、この作品自体の評論には限界があると思う。
↑
この見解は今でも同じ。
もっと多くの人がオープンな形でこの作品に触れられればいい。
それこそ、NHKが放送しないのか。
<社労士さんのコメント>
(もし上皇陛下が「故人(父君である昭和天皇)に対する敬愛追慕の情を著しく侵害され、精神的苦痛を受けた」と発言したら、)三人(大村愛知県知事、津田監督、東とかいうおっさん)とも日本にはもう住めなくなる。裁判の結果を待つまでもない。それだけ皇族の言葉は重いからこそ、まず絶対に反論なされないのに、それをいいことにアホ共は!
<rotさんのコメント>
こういう認識の(社労士さんのような)人がいるからこそ、表現の自由と、思想及び良心の自由、思想信条の自由を、憲法と共に守らねばならないのだと思います。
↑
これはrotさんの考え方のほうに親和性を感じる。
社労士さんも「遠近を抱えて」を観てもいないのに、「反天皇」と決めつけている。
(つづく)
No title
なごやんさん
>あなたがバッハを語るのか?
SDGの意味が分かっているのか?
それが言論の自由なんだが。
知らない者が語るのを批判するのは封建主義者の論理だが?
それともクリスチャンの論理か?
>あなたがバッハを語るのか?
SDGの意味が分かっているのか?
それが言論の自由なんだが。
知らない者が語るのを批判するのは封建主義者の論理だが?
それともクリスチャンの論理か?
再読愚考:表現の不自由展について 12-5
<イーグルさんのコメント>
それにしてもメディアは慰安婦像のことばかりで昭和天皇の写真焼却に対してはほとんど言及せずに映像も無し。
↑
「表現の不自由展」の問題が発生して後半は、天皇の写真焼却のほうに焦点が当たるようになった。
ただ、慰安婦を表す少女像は観ればある程度分かるが、「遠近を抱えて」は観てもよくわからないとの意見が多く、また、全体を観た人自体少ない。
正直なところ、もし、プロパガンダ芸術と見なすなら、「少女像」は効果・意図・拡散性から言っても十分に目的を果たしているが、「遠近を抱えて」は何を言っているかダイレクトには伝わらず、また伝達効率もたいへん悪い。
失敗作だと言える。
<秋風亭さんのコメント>
しかし、敗戦濃厚な事態に押され、天皇主導で徹底抗戦が講和へ方針転換されるときも重視したのは「皇室の御安泰、国体の護持」である。
↑
まあ、そうでしょうな。
「ヒロヒト 詔書 曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」
ということですかな?
<なごやんのコメント>
芸大生ら「不交付撤回を」 トリエンナーレ補助金巡り200人集会(朝日9/28)
>「このままじゃ、お上が認める作品だけになってしまう」(芸大生)
<バルディオスさんのコメント>
表現の自由はあってもそれは、必ず公的補助金が与えられることを意味しない。
<ボドサケラスさんのコメント>
つまり逆説的に言えば、「補助金が無けりゃ芸術家様は作品を創らない」と言ってるわけだ。あ、ほ、か?
↑
芸大生、ボロクソに言われているが、残念ながら、バルディオスさんやボドサケラスさんのような見方の方が多数派だと思われる。
(つづく)
それにしてもメディアは慰安婦像のことばかりで昭和天皇の写真焼却に対してはほとんど言及せずに映像も無し。
↑
「表現の不自由展」の問題が発生して後半は、天皇の写真焼却のほうに焦点が当たるようになった。
ただ、慰安婦を表す少女像は観ればある程度分かるが、「遠近を抱えて」は観てもよくわからないとの意見が多く、また、全体を観た人自体少ない。
正直なところ、もし、プロパガンダ芸術と見なすなら、「少女像」は効果・意図・拡散性から言っても十分に目的を果たしているが、「遠近を抱えて」は何を言っているかダイレクトには伝わらず、また伝達効率もたいへん悪い。
失敗作だと言える。
<秋風亭さんのコメント>
しかし、敗戦濃厚な事態に押され、天皇主導で徹底抗戦が講和へ方針転換されるときも重視したのは「皇室の御安泰、国体の護持」である。
↑
まあ、そうでしょうな。
「ヒロヒト 詔書 曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」
ということですかな?
<なごやんのコメント>
芸大生ら「不交付撤回を」 トリエンナーレ補助金巡り200人集会(朝日9/28)
>「このままじゃ、お上が認める作品だけになってしまう」(芸大生)
<バルディオスさんのコメント>
表現の自由はあってもそれは、必ず公的補助金が与えられることを意味しない。
<ボドサケラスさんのコメント>
つまり逆説的に言えば、「補助金が無けりゃ芸術家様は作品を創らない」と言ってるわけだ。あ、ほ、か?
↑
芸大生、ボロクソに言われているが、残念ながら、バルディオスさんやボドサケラスさんのような見方の方が多数派だと思われる。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-6
<rotさんのコメント>
現代における芸術に対する支援は、その様な過去の時代における富裕層、支配権力者によるパトロン的援助では無く、国民主権のもとでの、国民の文化的生活の権利保障としての役割を持つものであるならば、芸術活動、表現における自由が最大限に保障されると共に、その活動において創作された自由な芸術作品を享受する権利を、国民から奪う様な政治的な介入、干渉は、民主主義国家において許されないものである事を、政治および行政は認識すべきであると考えます。
<ボドサケラスさんのコメント>
民主主義云々言うなら、公金を国民が納得できない用途に投入する粉とを問題視しろと。公金は有権者の受け入れる用途に使われるべきやろ?なら役所が公金の使用を慎重かつ厳格にやるのは有権者として歓迎すべき事やん。
↑
今回、文化庁が補助金を停止したのはあくまで「手続き上の問題」。
「国民が納得する」とか「有権者の受け入れる用途」という内容を問題視したわけではない。
これは「表現の自由」を尊重する民主主義社会では当たり前のこと。
ボドサケラスさんは政府が「これは公金を投入すべき芸術」「有権者が受け入れるからOK」と判断することを積極的に是認している。
わたしは「芸術のことは芸術家に任せる」のが一番だと思う。
為政者が恣意的に芸術を峻別するのは「退廃芸術」のレッテル貼りをしたナチズムを連想させる。
(つづく)
現代における芸術に対する支援は、その様な過去の時代における富裕層、支配権力者によるパトロン的援助では無く、国民主権のもとでの、国民の文化的生活の権利保障としての役割を持つものであるならば、芸術活動、表現における自由が最大限に保障されると共に、その活動において創作された自由な芸術作品を享受する権利を、国民から奪う様な政治的な介入、干渉は、民主主義国家において許されないものである事を、政治および行政は認識すべきであると考えます。
<ボドサケラスさんのコメント>
民主主義云々言うなら、公金を国民が納得できない用途に投入する粉とを問題視しろと。公金は有権者の受け入れる用途に使われるべきやろ?なら役所が公金の使用を慎重かつ厳格にやるのは有権者として歓迎すべき事やん。
↑
今回、文化庁が補助金を停止したのはあくまで「手続き上の問題」。
「国民が納得する」とか「有権者の受け入れる用途」という内容を問題視したわけではない。
これは「表現の自由」を尊重する民主主義社会では当たり前のこと。
ボドサケラスさんは政府が「これは公金を投入すべき芸術」「有権者が受け入れるからOK」と判断することを積極的に是認している。
わたしは「芸術のことは芸術家に任せる」のが一番だと思う。
為政者が恣意的に芸術を峻別するのは「退廃芸術」のレッテル貼りをしたナチズムを連想させる。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-7
<ボドサケラスさんのコメント>
正義は関係域内の価値観によって決まり、正当な手続きにより担保される。私は文化系事業への公金支出を否定しないが、公金である以上は正当な支出でなければならない。
<なごやんのコメント>
(正義について)デュープロは分かるが、「関係域内の価値観」とは今回は何を指すのか?
<ボドサケラスさんのコメント>
(正義について、「関係域内の価値観」とは)今回なら、国民や民族や宗教といった集団の象徴をクソコラ化したり、燃やして踏みつけたりする。是か非か。公益性を認めるのか。
(「表現の不自由展」を巡る騒動は)「俺達の正義。反日無罪。あー、ゲイジツ補助金おいしいれす(^q^)」とやるからそう(文化庁の補助金停止と)なる。
<なごやんのコメント>
(ボドサケラスさんは)「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」と短絡的に結び付けていない?20分の動画作品を自分では観ずに、他人の部分的なコメントだけで分かったような気になるのは、芸術に対する傲慢ではないか。 大浦氏は「天皇批判といった意図は全くない」と言っているが?そういう(反日無罪という)アングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
↑
ボドサケラスさんのコメントを再読して、以前ムスリムがナイキのシューズに難癖をつけているのを思い出した。
<参考記事>
米ナイキに製品回収の圧力-スニーカーのロゴにイスラム教徒が抗議(ブルームバーグ2/1)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-02-01/PM8DYX6JTSER01
これは一部韓国人が「旭日旗に似ている!」と、放射線状の世界中のあらゆる意匠・デザインにイチャモンをつけている感覚とも類似するかもしれない。
まあ、全く同じだとは言わない。
猪野先生だって、本件については不確かな情報だけで「反日」認定しているのだから。
ただ、なぜここまで狂信的に噛みつけるのかという点では、ムスリムや一部韓国人の事例に似ている気がする。
(つづく)
正義は関係域内の価値観によって決まり、正当な手続きにより担保される。私は文化系事業への公金支出を否定しないが、公金である以上は正当な支出でなければならない。
<なごやんのコメント>
(正義について)デュープロは分かるが、「関係域内の価値観」とは今回は何を指すのか?
<ボドサケラスさんのコメント>
(正義について、「関係域内の価値観」とは)今回なら、国民や民族や宗教といった集団の象徴をクソコラ化したり、燃やして踏みつけたりする。是か非か。公益性を認めるのか。
(「表現の不自由展」を巡る騒動は)「俺達の正義。反日無罪。あー、ゲイジツ補助金おいしいれす(^q^)」とやるからそう(文化庁の補助金停止と)なる。
<なごやんのコメント>
(ボドサケラスさんは)「天皇像を含めた写真を燃やす=シンボルの毀損」と短絡的に結び付けていない?20分の動画作品を自分では観ずに、他人の部分的なコメントだけで分かったような気になるのは、芸術に対する傲慢ではないか。 大浦氏は「天皇批判といった意図は全くない」と言っているが?そういう(反日無罪という)アングルをはじめから設定して物事を見るのは認知バイアスではないか?
↑
ボドサケラスさんのコメントを再読して、以前ムスリムがナイキのシューズに難癖をつけているのを思い出した。
<参考記事>
米ナイキに製品回収の圧力-スニーカーのロゴにイスラム教徒が抗議(ブルームバーグ2/1)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-02-01/PM8DYX6JTSER01
これは一部韓国人が「旭日旗に似ている!」と、放射線状の世界中のあらゆる意匠・デザインにイチャモンをつけている感覚とも類似するかもしれない。
まあ、全く同じだとは言わない。
猪野先生だって、本件については不確かな情報だけで「反日」認定しているのだから。
ただ、なぜここまで狂信的に噛みつけるのかという点では、ムスリムや一部韓国人の事例に似ている気がする。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-8
<ボドサケラスさんのコメント>
当該作品に関する大浦氏のコメントは判断材料にならない。少なくとも、私は判断材料にしない。真偽不明で、かつ内容も意味不明だから。
繰り返し言うが、作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しない(特に公益が必須である場合は)。
(「天皇批判といった意図は全くない」という作者の言葉は)嘘かも知れない。本当かも知れない。はっきりいって、この供述はどうでもいい。
↑
「オレはこの作品を反日認定した。こんなものは正当性を有しない。作者の発言など知らん!」ということ。
まさに
>「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」ということ。
<ボドサケラスさんのコメント>
芸術を含めたあらゆる作品は、鑑賞者たる人間の脳に普遍的に搭載される認知機能および知識や文化や価値観を前提として、作者が設定した目標を達成すべく製作される。当該作品で昇華を表し、伝えたいのであれば、鑑賞者が己の知識や文化から昇華を連想しうる描写をせねばならないが、そうなってはいない。仮に「昇華」なる目標が事実だったとしても、それを(全員とは言わずとも)それなりの多数に伝えられないのは、作者の能力が無いからだよ。
↑
要約すれば「オレが理解できないから認めない」ということ。
なぜ、もったいぶって多言を弄するのか?
<ボドサケラスさんのコメント>
作者の言い分を判断基準に入れない理由も縷々説明しているのにね。ま、もう自分の信じたいものをナイーブに信じたら?
↑
自分本位の説明で相手が納得するのだろうか?
あなたの判断基準とやらは、「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」と「オレが理解できないから認めない」の二つだけ。
<ボドサケラスさんのコメント>
いつも嫌がらせと宗教の強要、御苦労様。
↑
イヤガラセはよくするが、宗教の強要はしたことがない。
(つづく)
当該作品に関する大浦氏のコメントは判断材料にならない。少なくとも、私は判断材料にしない。真偽不明で、かつ内容も意味不明だから。
繰り返し言うが、作者が作品に込めた意図なるモノは、必ずしも展示の正当性を担保しない(特に公益が必須である場合は)。
(「天皇批判といった意図は全くない」という作者の言葉は)嘘かも知れない。本当かも知れない。はっきりいって、この供述はどうでもいい。
↑
「オレはこの作品を反日認定した。こんなものは正当性を有しない。作者の発言など知らん!」ということ。
まさに
>「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」ということ。
<ボドサケラスさんのコメント>
芸術を含めたあらゆる作品は、鑑賞者たる人間の脳に普遍的に搭載される認知機能および知識や文化や価値観を前提として、作者が設定した目標を達成すべく製作される。当該作品で昇華を表し、伝えたいのであれば、鑑賞者が己の知識や文化から昇華を連想しうる描写をせねばならないが、そうなってはいない。仮に「昇華」なる目標が事実だったとしても、それを(全員とは言わずとも)それなりの多数に伝えられないのは、作者の能力が無いからだよ。
↑
要約すれば「オレが理解できないから認めない」ということ。
なぜ、もったいぶって多言を弄するのか?
<ボドサケラスさんのコメント>
作者の言い分を判断基準に入れない理由も縷々説明しているのにね。ま、もう自分の信じたいものをナイーブに信じたら?
↑
自分本位の説明で相手が納得するのだろうか?
あなたの判断基準とやらは、「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」と「オレが理解できないから認めない」の二つだけ。
<ボドサケラスさんのコメント>
いつも嫌がらせと宗教の強要、御苦労様。
↑
イヤガラセはよくするが、宗教の強要はしたことがない。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-9
<rotさんのコメント>
大浦さんの言葉を表現者ではない我々がどの様に受け止めるべきか、表現者だけが勇気を持って表現を封印しない道を探し続ければ良いのか、ということが問われているのだとすべての人に考えて欲しいと思います。
↑
確かに、その通り。
<御新茶麿さんのコメント>
行政が表現の内容に口を出して展示を止めさせようとすることは、表現の自由を委縮させますので、表現の自由が民主主義の基盤をなす重要な人権であることに鑑みれば、慎重であるべきでしょう。
<ボドサケラスさんのコメント>
補助金は公益性があるモノにしか支出できず、首長は有権者・納税者への責任として公金支出の正当性を精査する法的義務が課されています。すなわち展示内容が公益に資さないならば、それこそ「民主主義の観点から」展示内容を指摘・修正する義務がある。
↑
御新茶麿さんのコメントは常識の範囲内のこと。
逆に「公益性」を盾に「表現の自由」に介入しようとするボドサケラスさんは、民主主義の基盤を理解しているとは言えない。
これは文化庁があくまで「手続き上の問題」として補助金不交付を決めたことからもわかる。
政府としては、「公益性」を盾にするマネができるほど民主主義を無視はできない。
<なごやんのコメント>
「金は出すが口は出さない」これが物事の本質(本件では「表現の自由」)を尊重し、相手(本件では芸術)をリスペクトする態度。
わが国の民主主義を構成する「表現の自由」を尊重する。これこそが公益性。
<ボドサケラスさんのコメント>
表現の自由は尊重するのは当然で、実際に我が国の行政府はコレを尊重している。河村市長もしかり。が、「オレ流表現の自由」は尊重しちゃダメだろ。ワガママ言うなよ。
↑
「人権はマボロシ!」と言っているのに、「表現の自由」を尊重とはこれいかに?
要は、「利戦論」と同じで、その時と情勢によって、コロコロと言うことが変わるということか。
物事の視点に一貫性がない、功利主義者ならではの弁。
<参考コメント>
その場その場でなるようになる<2017/11/25(09:58)>
「非戦論」「義戦論」「利戦論」<2017/11/26(08:53)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3137.html
(つづく)
大浦さんの言葉を表現者ではない我々がどの様に受け止めるべきか、表現者だけが勇気を持って表現を封印しない道を探し続ければ良いのか、ということが問われているのだとすべての人に考えて欲しいと思います。
↑
確かに、その通り。
<御新茶麿さんのコメント>
行政が表現の内容に口を出して展示を止めさせようとすることは、表現の自由を委縮させますので、表現の自由が民主主義の基盤をなす重要な人権であることに鑑みれば、慎重であるべきでしょう。
<ボドサケラスさんのコメント>
補助金は公益性があるモノにしか支出できず、首長は有権者・納税者への責任として公金支出の正当性を精査する法的義務が課されています。すなわち展示内容が公益に資さないならば、それこそ「民主主義の観点から」展示内容を指摘・修正する義務がある。
↑
御新茶麿さんのコメントは常識の範囲内のこと。
逆に「公益性」を盾に「表現の自由」に介入しようとするボドサケラスさんは、民主主義の基盤を理解しているとは言えない。
これは文化庁があくまで「手続き上の問題」として補助金不交付を決めたことからもわかる。
政府としては、「公益性」を盾にするマネができるほど民主主義を無視はできない。
<なごやんのコメント>
「金は出すが口は出さない」これが物事の本質(本件では「表現の自由」)を尊重し、相手(本件では芸術)をリスペクトする態度。
わが国の民主主義を構成する「表現の自由」を尊重する。これこそが公益性。
<ボドサケラスさんのコメント>
表現の自由は尊重するのは当然で、実際に我が国の行政府はコレを尊重している。河村市長もしかり。が、「オレ流表現の自由」は尊重しちゃダメだろ。ワガママ言うなよ。
↑
「人権はマボロシ!」と言っているのに、「表現の自由」を尊重とはこれいかに?
要は、「利戦論」と同じで、その時と情勢によって、コロコロと言うことが変わるということか。
物事の視点に一貫性がない、功利主義者ならではの弁。
<参考コメント>
その場その場でなるようになる<2017/11/25(09:58)>
「非戦論」「義戦論」「利戦論」<2017/11/26(08:53)>
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-3137.html
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-10
<ゆうじさんのコメント>
ジャーナリスト、政治運動家である津田氏を芸術監督に起用し、現場の学芸員らの意見を排除した展示作品選定を行うことを許したことは、大村知事に責任があります。
↑
この視点はあり。
不思議と「表現の不自由展」に関しては、ゆうじさんの違ったアングルからの見方に面白味がある。
<体制派さんのコメント>
なごやんさんなんか、「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」そのものじゃないか。しかも、それだけではなく、他者への強要も凄いぞ!悪いけど、強要者+盲信者のあなたに民主主義を語る資格は無いと思うがな。
↑
前述したようにイヤガラセは、わたしはよくしている(だから他者からのイヤガラセも容認している)。
ただ、体制派さんのいう「強要」がボドサケラスさんと同様に「宗教の強要」を意味するなら、わたしはそんなことをしたことはない。
わたしは「聖書ではこう言っている」とか「キリスト教ではこう考えている」とは再三、コメントしている。
しかしながら、「キリスト教を信じろ」とは一回も言っていない。
これは「そもそも信仰は強要できない」との、キリスト教(プロテスタント)の考えに基づく。
信仰とは「ひとりびとりが十字架の前に進み出て、自らの罪(sin)を告白し、イエスを救い主として受け入れる」ことだとわたしは考えている。
神と個人個人との極めてパーソナルな関係。
これだと、人に強いられてとか、自らの意思でなく信仰を表明することはありえない(だからカトリックのような幼児洗礼をわたしは否定している)。
もし、お二人がわたしに宗教を強要されたと感じているのなら、それはそれぞれの内に宿る罪(sin)が「拒絶反応」を起こしているのであり、よいことだと思う。
わたしにはキリスト教の概要ぐらいしか話す能力はない。
願えるなら神がお二人のうなじを柔らかくしていただけますように。
「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』とは言えないのです。」(Ⅰコリント12:3)
(つづく)
ジャーナリスト、政治運動家である津田氏を芸術監督に起用し、現場の学芸員らの意見を排除した展示作品選定を行うことを許したことは、大村知事に責任があります。
↑
この視点はあり。
不思議と「表現の不自由展」に関しては、ゆうじさんの違ったアングルからの見方に面白味がある。
<体制派さんのコメント>
なごやんさんなんか、「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」そのものじゃないか。しかも、それだけではなく、他者への強要も凄いぞ!悪いけど、強要者+盲信者のあなたに民主主義を語る資格は無いと思うがな。
↑
前述したようにイヤガラセは、わたしはよくしている(だから他者からのイヤガラセも容認している)。
ただ、体制派さんのいう「強要」がボドサケラスさんと同様に「宗教の強要」を意味するなら、わたしはそんなことをしたことはない。
わたしは「聖書ではこう言っている」とか「キリスト教ではこう考えている」とは再三、コメントしている。
しかしながら、「キリスト教を信じろ」とは一回も言っていない。
これは「そもそも信仰は強要できない」との、キリスト教(プロテスタント)の考えに基づく。
信仰とは「ひとりびとりが十字架の前に進み出て、自らの罪(sin)を告白し、イエスを救い主として受け入れる」ことだとわたしは考えている。
神と個人個人との極めてパーソナルな関係。
これだと、人に強いられてとか、自らの意思でなく信仰を表明することはありえない(だからカトリックのような幼児洗礼をわたしは否定している)。
もし、お二人がわたしに宗教を強要されたと感じているのなら、それはそれぞれの内に宿る罪(sin)が「拒絶反応」を起こしているのであり、よいことだと思う。
わたしにはキリスト教の概要ぐらいしか話す能力はない。
願えるなら神がお二人のうなじを柔らかくしていただけますように。
「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』とは言えないのです。」(Ⅰコリント12:3)
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-11
<御新茶麿さんのコメント>
反日プロパガンダの道具に過ぎないものを芸術だとした手口のイヤラシサには腹を立てつつ、表現の自由は尊重すべしという立場です。
↑
わたしは「反日プロパガンダ」とは認めていないが、御新茶麿さんの意見自体は穏当のものだと思う。
<ボドサケラスさんのコメント>
表現の自由を尊重することには当然ですが異論はありません。しかし、その為にはどうすれば表現の自由を侵害した事になるのか、構成条件を明確化すべきでしょう。
①私人の表現を行政が規制する場合
②行政自体が表現者、あるいは表現者の一部である場合
トリエンナーレがコレです。この場合、原理的に「行政は表現の自由を侵害する事が不可能」です。
③行政が主催していないが、表現者に補助金が交付されている場合。
↑
「表現の不自由展」については、「表現の自由」が侵害されたとは言えない。
抗議・クレームの電話を入れた人は一般人であり、そもそも「表現の自由」を侵害できる公的な存在ではない。
政府も直接、「表現の不自由展」の内容を問題にしたわけではない。
河村たかし名古屋市長の言動は、「表現の自由」に触れてはいるが、「内紛」と言えなくもない。
<ゆうじさんのコメント>
開催前、最初に「天皇を燃やす」という切り取り方をしたのは、津田芸術監督自身です。
↑
こういう切り取り方をしておきながら、腰砕けになったのは不明のそしりを免れない。
<参考サイト>
津田大介氏は「表現の不自由展」で何を目指したのか 開幕前に語っていた「企画意図」(J-cast 8/6)
https://www.j-cast.com/2019/08/06364491.html?p=all
<ボドサケラスさんのコメント>
むしろ萎縮しとるのは権力やマジョリティの方ではないかと思いますが。
↑
被害者ズラしたレッドネックの類と同じ。
もし、ボドサケラスさんがアメリカ人なら、喜んでトランプ支持を表明しただろう。
たいへんさもしい。
<なごやんのコメント>
「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(現代ビジネス)
>不適切な解釈のパターンA)部分しか見ない。B)制作背景を考えない。C)作品の狙いを考えない。
↑
今回は不適切な解釈があまりにも多すぎないか。
ボドサケラスさんの「遠近を抱えて」に対する態度など、全面的に上記指摘に当てはまる。
(つづく)
反日プロパガンダの道具に過ぎないものを芸術だとした手口のイヤラシサには腹を立てつつ、表現の自由は尊重すべしという立場です。
↑
わたしは「反日プロパガンダ」とは認めていないが、御新茶麿さんの意見自体は穏当のものだと思う。
<ボドサケラスさんのコメント>
表現の自由を尊重することには当然ですが異論はありません。しかし、その為にはどうすれば表現の自由を侵害した事になるのか、構成条件を明確化すべきでしょう。
①私人の表現を行政が規制する場合
②行政自体が表現者、あるいは表現者の一部である場合
トリエンナーレがコレです。この場合、原理的に「行政は表現の自由を侵害する事が不可能」です。
③行政が主催していないが、表現者に補助金が交付されている場合。
↑
「表現の不自由展」については、「表現の自由」が侵害されたとは言えない。
抗議・クレームの電話を入れた人は一般人であり、そもそも「表現の自由」を侵害できる公的な存在ではない。
政府も直接、「表現の不自由展」の内容を問題にしたわけではない。
河村たかし名古屋市長の言動は、「表現の自由」に触れてはいるが、「内紛」と言えなくもない。
<ゆうじさんのコメント>
開催前、最初に「天皇を燃やす」という切り取り方をしたのは、津田芸術監督自身です。
↑
こういう切り取り方をしておきながら、腰砕けになったのは不明のそしりを免れない。
<参考サイト>
津田大介氏は「表現の不自由展」で何を目指したのか 開幕前に語っていた「企画意図」(J-cast 8/6)
https://www.j-cast.com/2019/08/06364491.html?p=all
<ボドサケラスさんのコメント>
むしろ萎縮しとるのは権力やマジョリティの方ではないかと思いますが。
↑
被害者ズラしたレッドネックの類と同じ。
もし、ボドサケラスさんがアメリカ人なら、喜んでトランプ支持を表明しただろう。
たいへんさもしい。
<なごやんのコメント>
「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(現代ビジネス)
>不適切な解釈のパターンA)部分しか見ない。B)制作背景を考えない。C)作品の狙いを考えない。
↑
今回は不適切な解釈があまりにも多すぎないか。
ボドサケラスさんの「遠近を抱えて」に対する態度など、全面的に上記指摘に当てはまる。
(つづく)
再読愚考:表現の不自由展について 12-12
以上、「表現の不自由展」について再読した。
全体を俯瞰するとわたし以外のほとんどのコメンテーターは猪野先生を含めて、「遠近を抱えて」についてプラス評価にしろ、マイナス評価にしろ「反天皇・反日認定」していることは共通している。
これにわたしは納得できない。
もし、同作がプロパガンダ芸術であるとするなら、完全な失敗作で作者としては表に出したくないような作品になるのではないか。
勝手に周りが忖度してくれるのはありがたいとしても、反日・反天皇を訴えたいのなら、「天皇を憎む」とか「日本をDisる」といった、プロパガンダの意思があいまいになってしまっている。
全体を観なければ判断できないのが正解だが、あえていまある情報だけで再度考えてみると、昭和天皇が作者の内面の自画像の一部であるなら、それは「昇華」すべきマイナスの部分になるのかもしれない。
但し、あくまで自分の内面であり、炎で焼き切らないと脱せないような、単純に切り捨てられないような自分自身を表現しているのではと思う。
まあ、この視点も全くの的外れの可能性も否定できない。
やはり、実物を観てみることが重要。
批判にしても、評価にしても、そのあとでよい。
あと、この記事のコメントから、2019年下期なごやんの「L&S(ロング&ショート)戦略」に基づく、「TC(ツイートコメント)」が目立つようになってきた。
もうそろそろ、この「再読愚考」シリーズも完結を迎えることになる。
<追記>
本件についてはコメントを書き上げた後に以下のドキュメンタリー番組を観た。
目撃!にっぽん「激論の“トリエンナーレ”~作家と市民の75日~」(NHK)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077368/index.html
この中で「遠近を抱えて」の作者大浦氏はこのようなコメントを発信している。
「僕自身には天皇を批判するとか冒とくする意図は全くありません。僕自身の内なる天皇を従軍看護婦の女性に託して祈りを捧げるということなんです。」
正直、よくわからない。
従軍看護婦の立ち位置が作品全体の中でどうなっているのか?
「祈りを捧げる」とはどういう意味なのか?
これだけだと天皇を「マイナスの部分」とは言えない。
やはり、一度観ないことには何とも言いきれない。
【再読愚考:表現の不自由展について:完】
全体を俯瞰するとわたし以外のほとんどのコメンテーターは猪野先生を含めて、「遠近を抱えて」についてプラス評価にしろ、マイナス評価にしろ「反天皇・反日認定」していることは共通している。
これにわたしは納得できない。
もし、同作がプロパガンダ芸術であるとするなら、完全な失敗作で作者としては表に出したくないような作品になるのではないか。
勝手に周りが忖度してくれるのはありがたいとしても、反日・反天皇を訴えたいのなら、「天皇を憎む」とか「日本をDisる」といった、プロパガンダの意思があいまいになってしまっている。
全体を観なければ判断できないのが正解だが、あえていまある情報だけで再度考えてみると、昭和天皇が作者の内面の自画像の一部であるなら、それは「昇華」すべきマイナスの部分になるのかもしれない。
但し、あくまで自分の内面であり、炎で焼き切らないと脱せないような、単純に切り捨てられないような自分自身を表現しているのではと思う。
まあ、この視点も全くの的外れの可能性も否定できない。
やはり、実物を観てみることが重要。
批判にしても、評価にしても、そのあとでよい。
あと、この記事のコメントから、2019年下期なごやんの「L&S(ロング&ショート)戦略」に基づく、「TC(ツイートコメント)」が目立つようになってきた。
もうそろそろ、この「再読愚考」シリーズも完結を迎えることになる。
<追記>
本件についてはコメントを書き上げた後に以下のドキュメンタリー番組を観た。
目撃!にっぽん「激論の“トリエンナーレ”~作家と市民の75日~」(NHK)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/4359/1077368/index.html
この中で「遠近を抱えて」の作者大浦氏はこのようなコメントを発信している。
「僕自身には天皇を批判するとか冒とくする意図は全くありません。僕自身の内なる天皇を従軍看護婦の女性に託して祈りを捧げるということなんです。」
正直、よくわからない。
従軍看護婦の立ち位置が作品全体の中でどうなっているのか?
「祈りを捧げる」とはどういう意味なのか?
これだけだと天皇を「マイナスの部分」とは言えない。
やはり、一度観ないことには何とも言いきれない。
【再読愚考:表現の不自由展について:完】
No title
>>> わたしは「聖書ではこう言っている」とか「キリスト教ではこう考えている」とは再三、コメントしている。しかしながら、「キリスト教を信じろ」とは一回も言っていない。
↑それは屁理屈です(^^♪。
ひつこく、聖書の引用やキリスト教の考えを相手に語るのは強要と同じ。要するにあなたのキリスト教を押し付けてきておるわけだ。皆、そう感じていると思うぞ。
↑それは屁理屈です(^^♪。
ひつこく、聖書の引用やキリスト教の考えを相手に語るのは強要と同じ。要するにあなたのキリスト教を押し付けてきておるわけだ。皆、そう感じていると思うぞ。
私が語らなければ、路傍の石が語るでしょう。
「ウラン濃縮に転用可能な物質を横流しするのは、人類に対する罪です。霊的に生まれ変わりなさい。」と猊下が広島で発言されたら、少しは反省するだろうか?無理だな、どうせ他国人には理解不能な屁理屈並べるだけで、自分たちじゃ何一つ出来ないだろう。
No title
どう見ても強要とも押しつけとも言えないと思いますけどね。
「表現の自由」を語る資格
「自分なら辞めてる」文化庁前長官 補助金不交付を問う(朝日11/30)
https://www.asahi.com/articles/ASMCX76S1MCXULZU00Q.html?iref=comtop_favorite_01
「補助金を出すことは審査委員会で決めたのに、彼らの意見を聞かずに不交付にしたのは、非常にまずい。デュープロセス(適法手続き)になっていない」
「ある芸術家の評価は、専門家に任せるべきです。文化政策において、常に念頭に置いておかなければならないのが、ナチスの文化政策です。政治への防御壁を作っておく必要がある。」
「あいちトリエンナーレの動きのなかでいえば、一貫して『表現の自由』を唱え、介入しなかった大村秀章・愛知県知事の姿勢はぶれずに、非常によかった」
↑
いずれも文化庁前長官の青柳正規東大名誉教授の弁。
全面的に賛成。
「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」「オレが理解できないから認めない」というなら、ナチスのいう「退廃芸術」の「退廃」の部分を、「反日」とか「反天皇」にすり替えただけ。
「表現の自由」を語る資格などない。
https://www.asahi.com/articles/ASMCX76S1MCXULZU00Q.html?iref=comtop_favorite_01
「補助金を出すことは審査委員会で決めたのに、彼らの意見を聞かずに不交付にしたのは、非常にまずい。デュープロセス(適法手続き)になっていない」
「ある芸術家の評価は、専門家に任せるべきです。文化政策において、常に念頭に置いておかなければならないのが、ナチスの文化政策です。政治への防御壁を作っておく必要がある。」
「あいちトリエンナーレの動きのなかでいえば、一貫して『表現の自由』を唱え、介入しなかった大村秀章・愛知県知事の姿勢はぶれずに、非常によかった」
↑
いずれも文化庁前長官の青柳正規東大名誉教授の弁。
全面的に賛成。
「オレがこう感じたんだから、そうなんだ!」「オレが理解できないから認めない」というなら、ナチスのいう「退廃芸術」の「退廃」の部分を、「反日」とか「反天皇」にすり替えただけ。
「表現の自由」を語る資格などない。
「遠近を抱えてpart2」全編を観る
まず、ユーチューブで公開された「遠近を抱えてpart2」の全編映像をご覧いただきたい。
あいちトリエンナーレ 「表現の不自由展」 昭和天皇の肖像をバーナーで焼く映像 全編
https://www.youtube.com/watch?v=WSM9PSOsOFY
正直、いきなり昭和天皇をコラージュした作品をバーナーで焼いているところから始まり、ちょっと驚いた。
しかも、このバーナーで焼くという行為はしつこいぐらいたびたび登場する。
幼少期の天皇から、白馬に乗った大元帥、そして戦後老年期の昭和天皇の写真を含めた作品も焼かれている。
映像全体のストーリーは存在しない。
真珠湾攻撃での特殊潜航艇の戦果を報告するニュース音声や、従軍看護婦の母あての手紙の朗読とか、ある特定のニュアンスを感じさせるようにも思えない。
逆に、右翼っぽく感じられなくもない。
しかも、従軍看護婦役らしい女性が、全くそうは見えない。
海辺でドラム缶が爆発するのもよくわからない。
背景の音楽は朝鮮民謡っぽい感じで、ちょっとおどろおどろしいぐらいに暗い。
全体を通して、わたしはこの映像から昭和天皇に対する憎しみのようなものは全く感じなかった。
バーナーで燃やすという行為も、なにか「にじみ絵」をつくっているような、芸術作品を作り出す一工程のように見えた。
たとえば、昭和天皇がキリスト像であっても、わたしは同じような感想を持つだろう。
天皇を批判するとか反日とかいった弁は全くの的外れだと思う。
ただ、作者の中でなぜ昭和天皇が自画像なのかは、やはりまだよくわからない。
<参考映像>
The Art of Taboo: 大浦信行 Nobuyuki Oura
https://www.youtube.com/watch?v=KaCKL0Bcito
↑
大浦氏は「(日本)民族のアイデンティティは天皇制にあるんじゃないと思うのね。縄文にあると思ってるんですよ。」と語る。
なら、棟方志功のような作品を手掛けるならわかるが、なぜ、ここまで昭和天皇にこだわるのか?
やはり、謎だ。
あいちトリエンナーレ 「表現の不自由展」 昭和天皇の肖像をバーナーで焼く映像 全編
https://www.youtube.com/watch?v=WSM9PSOsOFY
正直、いきなり昭和天皇をコラージュした作品をバーナーで焼いているところから始まり、ちょっと驚いた。
しかも、このバーナーで焼くという行為はしつこいぐらいたびたび登場する。
幼少期の天皇から、白馬に乗った大元帥、そして戦後老年期の昭和天皇の写真を含めた作品も焼かれている。
映像全体のストーリーは存在しない。
真珠湾攻撃での特殊潜航艇の戦果を報告するニュース音声や、従軍看護婦の母あての手紙の朗読とか、ある特定のニュアンスを感じさせるようにも思えない。
逆に、右翼っぽく感じられなくもない。
しかも、従軍看護婦役らしい女性が、全くそうは見えない。
海辺でドラム缶が爆発するのもよくわからない。
背景の音楽は朝鮮民謡っぽい感じで、ちょっとおどろおどろしいぐらいに暗い。
全体を通して、わたしはこの映像から昭和天皇に対する憎しみのようなものは全く感じなかった。
バーナーで燃やすという行為も、なにか「にじみ絵」をつくっているような、芸術作品を作り出す一工程のように見えた。
たとえば、昭和天皇がキリスト像であっても、わたしは同じような感想を持つだろう。
天皇を批判するとか反日とかいった弁は全くの的外れだと思う。
ただ、作者の中でなぜ昭和天皇が自画像なのかは、やはりまだよくわからない。
<参考映像>
The Art of Taboo: 大浦信行 Nobuyuki Oura
https://www.youtube.com/watch?v=KaCKL0Bcito
↑
大浦氏は「(日本)民族のアイデンティティは天皇制にあるんじゃないと思うのね。縄文にあると思ってるんですよ。」と語る。
なら、棟方志功のような作品を手掛けるならわかるが、なぜ、ここまで昭和天皇にこだわるのか?
やはり、謎だ。
No title
普通に自費でやる分には、問題は無いと思います。
問題なのは、国のお金が使われたことだと思います。
リコール運動も自費かどうかは知りません。
考えさせる内容でした。
問題なのは、国のお金が使われたことだと思います。
リコール運動も自費かどうかは知りません。
考えさせる内容でした。
No title
今の日本は、安保闘争を繰り広げた人たちに作られているのが
事実です。メディアの方々に多くいると聞かされます。
闘争運動の勝利型に見えます。
それの反対運動をするつもりも、批判もありません。
客観視したいがすることは、難しいですね。
事実です。メディアの方々に多くいると聞かされます。
闘争運動の勝利型に見えます。
それの反対運動をするつもりも、批判もありません。
客観視したいがすることは、難しいですね。
No title
*問題なのは、国のお金が使われたことだと思います。
当事者は補助金適正化法に従い、必要書類を整えて補助金に申請をします。
この申請に対して交付された補助金は、適正化法違反があれば、交付された補助を取り消し且つ年率11%程度のペナルティで返還請求されるものです。
補助金の目的外使用ではなく展示会は開かれていますから内容に介入して不交付にすることは一種の事後検閲で違法な公権力の行使ですネ。
自治体ができることは内容に関する介入ではなく目的外使用かどうかだけです。
内容に関しては『寛容の態度』が好ましいですネ。
当事者は補助金適正化法に従い、必要書類を整えて補助金に申請をします。
この申請に対して交付された補助金は、適正化法違反があれば、交付された補助を取り消し且つ年率11%程度のペナルティで返還請求されるものです。
補助金の目的外使用ではなく展示会は開かれていますから内容に介入して不交付にすることは一種の事後検閲で違法な公権力の行使ですネ。
自治体ができることは内容に関する介入ではなく目的外使用かどうかだけです。
内容に関しては『寛容の態度』が好ましいですネ。
No title
>一種の事後検閲で違法な公権力の行使ですネ。
検閲とは、最高裁は行政権が主体となって、
思想内容等の表現物を対象とし、
その全部又は一部の発表の禁止を目的として、
対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に発表前にその内容を審査した上、
不適当と認めるものの発表を禁止すること
です(最判昭59年12月12日)としています。
これ以外は、検閲ではないとしています。
行政権が主体となること
なので、公権力が主体となる場合は
検閲ではありませんし
発表前に内容を審査した上で不適当するものであり
発表をしてしまったものを
回収するのも検閲ではありません
なので、事後検閲という概念はないと思いますよ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484714014
検閲とは、最高裁は行政権が主体となって、
思想内容等の表現物を対象とし、
その全部又は一部の発表の禁止を目的として、
対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に発表前にその内容を審査した上、
不適当と認めるものの発表を禁止すること
です(最判昭59年12月12日)としています。
これ以外は、検閲ではないとしています。
行政権が主体となること
なので、公権力が主体となる場合は
検閲ではありませんし
発表前に内容を審査した上で不適当するものであり
発表をしてしまったものを
回収するのも検閲ではありません
なので、事後検閲という概念はないと思いますよ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484714014
No title
*リコール運動も自費かどうかは知りません。
リコールは一定数の署名が必要で、その署名が真実になされたものであるかどうか公的調査が必要です。
その費用はすべて公金です。
署名が真実である場合には解職、そして選挙となります。
これも又公金です。
整形医の道楽に付き合うのも結構金がかかるのです。
公金支出を最低限に抑えるにはリコール署名に正当な根拠は無いとの反対運動が必要ですネ。
愛知県民のみなさん。
リコールは一定数の署名が必要で、その署名が真実になされたものであるかどうか公的調査が必要です。
その費用はすべて公金です。
署名が真実である場合には解職、そして選挙となります。
これも又公金です。
整形医の道楽に付き合うのも結構金がかかるのです。
公金支出を最低限に抑えるにはリコール署名に正当な根拠は無いとの反対運動が必要ですネ。
愛知県民のみなさん。