『ヘイト・スピーチ法の比較研究』（奈須祐治著）

　ヘイトスピーチとはどのように向き合うべきなのか。
　米国、カナダ、英国、日本でのそれぞれの対応を検討した研究書です。




米国について
　米国では表現の自由という観点からヘイトとされるものについても規制立法が連邦最高裁で違憲として扱われていく歴史が概観されています。
　アメリカでは黒人が奴隷としての歴史から出発しますが、根深い差別意識は今でも続いています。
　しかし、民族や人種に基づく差別表現を規制することは黒人の側にとっても規制は表裏ということが示されています。黒人が白人に対する行為・行動も対象となるからです。
　ただ、本書では、ヘイトスピーチは規制されていなくてもヘイトクライムは規制されていると紹介されていますが、ヘイトクライムとは、「人種、宗教、肌の色、民族的出自、性的指向、性別、心身の障害などを理由とした憎悪あるいは偏見を動機とする犯罪」とされています。犯罪行為であれば、別にヘイトクライムに対する規制があろうがなかろうが、取り締まり、刑罰の対象になるのは当たり前のことで、この観点が欠落しているように思います。これは本書全体を通じて言えます。その意味では、両者の区別が明確でないようにも思います。
　個別の事件であれば、ヘイトかどうかとは関係なく犯罪になるのであり、その動機によって刑が加重されるのも特別のことでありません。突発的、感情的な事件ではなく、特定の者（民族、人種、あるいは反対派）を狙った犯行であり、計画性もそうだし、与えた影響などからも加重されるのはそれ自体に問題があるわけではありません。
　事例として紹介されているのが黒人宅の庭で十字架を燃やす行為です。しかし、これは表現の自由の問題としてとらえるものではなく、他人の敷地に入り込んでの行為であり、しかも脅す意思も明確ですから住居侵入罪でも悪質な部類に入ります。ヘイトに関する事件ではありますが、ヘイト規制の問題ではありません。
　ヘイト規制についてスコーキー村で起きた事件
　ヒトラー賞賛のデモを当局が35万ドルの保証金を求めたものです。法外です。この当局の実質的な禁止を裁判所が違憲としたものです。
　これを著者は、スコーキー村ではこのデモに対するカウンターが過激化したことや、その村ではデモ側が少数だった特殊性があるのではないかと分析しています。つまりカウンターが「少数」の地域であれば逆になったのではないか、と。
　それは著者の願望でしょうか。いずれにせよ、ヒトラー賞賛層が他の地域で多数派であればなおさら規制などできないのではないですか。著者の分析には無理があります。内容規制を違憲とする米国の司法判断は一貫していますから。
　また著者は、環境型セクハラを表現の自由の規制として検討していますが、例えば企業の中で、その企業で働く従業員が対象であったり、閉鎖された空間の中でのあり方の問題ですから、これをヘイト規制との比較で検討することには違和感があります。それ以上に対価型セクハラはまさに個別の問題であり、ヘイトとの関係で論じるべきものではありません。

カナダについて
　カナダでは特に原住民であったインディアンがフランス系住民に対し、「煽動」する行為に対して刑罰が科されてきた歴史が紹介されています。要は、支配層が、被支配層に対する弾圧の様相です。
　カナダ初のヘイトスピーチ規制法は、そのヘイトスピーチが国民の不安を煽るもの、「国民の間に不安や無秩序を引き起こす傾向があるもの」に限定されているとされます。
　また規制はあるものの、カナダ最高裁が刑法、人権法の「憎悪」や「侮辱」等の文言を極端なものに限定する解釈を行ってきたことが指摘されています。この点についてはカナダはヘイト規制の国だと言いながら、この最高裁による限定化が紹介されないことの指摘であり、とても重要なことです。
　最初に規制ありきだったところへ、最高裁が表現の自由を守る観点から限定を加えていくというのは（端的に違憲としないのだろろかとは思いつつ）、非常に重要な観点です。
　比較紹介の観点から「差別」が取り上げられています。
　ヘイトと差別は、似たようで違うものです。差別が禁止されるということはあり得る選択肢です。この分野では小樽市で起きた入浴拒否事件（1999年）がありますが、これは実際に入浴を禁止された幼児がいましたし、一般的にも「外国人お断り」とされれば入店を拒否される人が想定されるものです。労基法において、「国籍、信条又は社会的身分」を理由として差別を禁止していることには合理性があります。
　なので、この「差別」の問題とヘイトを同列に論じることには違和感があります。

　こうした外国の規制では、その外国特有の問題もあるように思います。後に紹介する英国もそうですが、他民族と多宗教が入り乱れています。特に宗教が絡むと潜在的な他宗教に対する憎悪の念がいつ噴出するかわからない状態にあります。つまり、こうした長年に渡って積み重ねられてきた憎悪の念などは、ひとたび火がつけば暴走することもありえます。国民が不安に思う形で煽りを禁止するのは、まさに統治の観点からのものという実態が浮かび上がってきます。治安維持のためには、この多民族、多宗教の「平穏」を力で維持する必要があるということです。
　著者の分析では、政治学的な視点が薄いように思います。

英国について
　英国でもファシストによるユダヤ人に対する運動が大きくなり、取り締まりとしての公共秩序法（1936年）に始まります。
　これも体制維持という統治的側面が強いように思います。
　その後の規制では、1986年の公共秩序法が、脅迫的な、口汚い、若しくは侮辱的な言葉や行為、文書の提示する行為が人種的憎悪を煽動することを意図し、または煽動される可能性が高い場合を処罰するとしています。
　1965年から1976年の間に20人が起訴、そのうち3分の1が無罪、黒人も対象になったといのですから、統治目的で警察権も発動されていたことがうかがわれます。
　規制の仕方も抽象的であり、政治的濫用の恐れも大きいことも示されています。
　ホロコーストについては学問的見地から否定することは許されるが、「脅迫的な、口汚い、又は侮辱的な言葉」である場合には処罰の対象となるとされています。
　内容ではなく態様ということであれば、確かに表現の自由との「調和」ということもあり得るのかもしれません。
　そうした諸国では、多民族、多宗教の中で煽る行為が一触即発のようになる危険性もはらみうるからです。

　こうした事情のない日本でも移民政策として訴えるのか、あるいは在日韓国、北朝鮮籍の人たちに認められた在留資格のあり方について他の外国人と平等にせよと主張すればヘイトではなくなるのか、朝鮮学校への補助金の停止を求めるだけのデモもヘイトなのか、ひいては実際に朝鮮学校への補助金を停止した自治体は「差別」ということになるのか、など実は政治的意見とヘイトの区別は困難です。
　昨今、日韓の間では徴用工問題に端を発して止まるところを知らない対立にまで発展していますが、韓国側の内情からいえば、日韓問題を政権浮揚に利用していることも少なくありませんが、それを「韓国人は～」と言ったらヘイトになるのでしょうか。そうした批判には少なからずの「憎悪」はつきものであり、動機などは限定する機能は薄いといえます。

日本について
　まず部落問題から入っているのですが、1970年代に入ってからの部落解放同盟による暴力行為と逆差別問題が触れられていないのは全くもって不十分です。
　八鹿高校事件（1974年）はあまりに有名ですし、部落解放同盟に反発が広がるのもと当然です。これでは差別を煽り、食い物にしているのです。日弁連も「エセ同和行政」として取り上げていました。共産党系の全国部落解放運動連合会は、規制立法に反対していました。
　規制立法ができなかったことの分析が本著は表層的なのです。
　部落問題は、ヘイトとは直接結びつかないのは、部落という差別問題が人為的に作り出されたものという特徴があります。こうした観点も本著の分析からは落ちていることです。同じ民族の中で、人為的に作り出されたのが身分制度です。これは早晩、解消する問題し、解消されてきました。それを敢えて利権のために「差別」が恒久化する必要があったわけです。
　それで成立したのが「部落差別解消推進法」（2016年）です。自民、公明、民進が賛成、維新と共産が反対しています。
「過去を総括できない解同（部落解放同盟）に差別を語る資格はない　部落差別永久化する部落差別解消推進法案は廃案にせよ」

　橋下大阪府知事が誕生し、部落の利権にメスを入れるという方針転換がされました。そうしたエセ同和行政に対する反発も維新の会の支持層でもあります。
　同和問題はヘイトは少々、意味合いが違います。諸外国の多民族、多宗教間の対立とは異なります。本著ではその違いが全く認識されていません。
　本著において、日本のその後のヘイトに対する規制等については特筆すべきものはありません。結局のところ、個別事件を列挙しての「ヘイト」というものであり、本来の意味でのヘイトとは全く違うところは、米国等を概観してきたときの手法と同じです。





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