コメント
TC1
>家庭裁判所では、DVは夫婦間の問題であって子には関係がないとして面会交流を監護親側に要求する場合がありますが、これは非常に問題だと思っています。
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そりゃ、そうだよね。
監護親(主に母親)は精神的な負担になるし、それを受けて子どもにもマイナスの影響があるでしょう。
「親子の絆は絶対」という観念からそのような判断を家裁はするのだろうか?
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そりゃ、そうだよね。
監護親(主に母親)は精神的な負担になるし、それを受けて子どもにもマイナスの影響があるでしょう。
「親子の絆は絶対」という観念からそのような判断を家裁はするのだろうか?
TC2
>DV事件では客観証拠がない限り、暴力を振るった側はその暴力行為を否定することが多くあります。
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これはイジメ問題も同じだな。
「証拠は?」と言われても、なかなか難しいものがある。
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これはイジメ問題も同じだな。
「証拠は?」と言われても、なかなか難しいものがある。
TC3
>それがでっち上げであっても裁判所がそのでっち上げを見抜けず、そのDVを前提に考えるのであれば離婚後の共同親権制度を導入しようともその例外として処理されることにならざるを得ません。
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そうだよね。
デッチ上げはデッチ上げで問題だが、それが共同親権で解決できるとはとても思えない。
逆に、デッチ上げを取り上げるのは、そんなズレた視点で共同親権を主張するおかしさを感じる。
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そうだよね。
デッチ上げはデッチ上げで問題だが、それが共同親権で解決できるとはとても思えない。
逆に、デッチ上げを取り上げるのは、そんなズレた視点で共同親権を主張するおかしさを感じる。
「逃れの町」
>DV被害を訴える被害には生命への安全が掛かっていますから、有罪立証のような厳密な根拠を求めていたら守れる生命も守れなくなってしまいます。妥当な判決です。
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TC2で指摘したようにイジメ問題も同じ。
DV被害の緊急シェルターは日本各地にあるが、厳密な審査を経ないと入所できないとは聞いていない。
緊急性があるのだから、とりあえずはかくまう。
そのうえで、公的機関やサポート団体に情報連携して、次の安定した生活への道筋を立てる。
キリスト教関連でもこういった働きをしている人は多い。
わたしは直接かかわったことはなく、話に聞くだけだが、その背景には聖書で説くところの「逃れの町」と言う考え方がある。
「逃れの町」とは、過失で殺人を犯してしまった人が復讐から逃れて安全に住むことを保証された町のことを言い、古代イスラエル国内に複数個所存在した。
DV加害からの逃避なのだから、復讐からの避難とは違うのだが、世俗法の世界から切り離されたアジール、縁切寺のような存在は必要だと思う。
ちなみに北方謙三のハードボイルド小説「逃がれの街」はこの聖書の記述から取った題名。
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TC2で指摘したようにイジメ問題も同じ。
DV被害の緊急シェルターは日本各地にあるが、厳密な審査を経ないと入所できないとは聞いていない。
緊急性があるのだから、とりあえずはかくまう。
そのうえで、公的機関やサポート団体に情報連携して、次の安定した生活への道筋を立てる。
キリスト教関連でもこういった働きをしている人は多い。
わたしは直接かかわったことはなく、話に聞くだけだが、その背景には聖書で説くところの「逃れの町」と言う考え方がある。
「逃れの町」とは、過失で殺人を犯してしまった人が復讐から逃れて安全に住むことを保証された町のことを言い、古代イスラエル国内に複数個所存在した。
DV加害からの逃避なのだから、復讐からの避難とは違うのだが、世俗法の世界から切り離されたアジール、縁切寺のような存在は必要だと思う。
ちなみに北方謙三のハードボイルド小説「逃がれの街」はこの聖書の記述から取った題名。