離婚した夫婦、あるいは離婚に向けて一方当事者が子を連れて出たあとの面会交流のあり方について紛争になることはよくあります。
家裁で面交流調停として争われます。監護親が非監護親に対する不信や恐怖などから面会交流実施に消極な場合も当然にあります。
面会交流は子の健全な成長のために必要なことだ
という命題は結構なんですが、家庭裁判所は、これだけで当事者に対して強権的に面会交流の実施を迫ってくるのだから、ひどいなと思うわけです。
これでは当事者にとって全く説得力がないわけです。
この点については、『家庭の法と裁判 28』の中で、福市航介弁護士が論考の中で論じています。
「手続代理人から見た面会交流調停」
福市弁護士は、論考内容については所属団体とは関係がないと断り書きがあるので、離婚後の共同親権についてはどちらかの立場なのでしょう(私は存じません)。
それはともかく、家裁の対応が、面会交流に消極的な監護親に対し、面会交流原則実施論の立場から強権的に押し付けることを強く批判しています。
監護親の理解、納得がないまま、面会交流を実施してもうまくいかなくなることを懸念したものです。
当事者、特に監護親が、どこに引っ掛かっているのか、というところに手が届かなければ何の意味がありません。
面会交流は子の健全な成長のために必要なことだ
ということを言われても監護親は裁判所不信にしかなりません。これは当然のことで、否定できない一般論にすり替えて相手に有無を言わせない手法は、素人の当事者を黙らせることはできても、納得させることとはほど遠いやり方だからです。これではとても専門職(裁判官、調査官)とは思えないのですが、現実は、これが実態です。
手続代理人の役割は、そうした家裁の乱暴なやり方に対して、当事者(監護親)がどこを不安視し、面会交流が実施できないかを具体的に裁判所に検討させるところにあります。
面会交流は子の健全な成長のために必要なことだ
という一般論と、この面会交流原則実施論は似て非なるものですので、注意が必要です。
「
Q 選択制を当事者に委ねてしまうと大きい声の方に流されてしまうというのであれば、家庭裁判所が関与して判断すればいいのではないしょうか。」

ところで、家裁が関与した面会交流で、子が非監護親に殺されるという痛ましい事件も起き、最高裁も面会交流原則実施論の運用にも修正を余儀なくされています。
2017年4月には、これら国会でも取り上げられています。
「子の面会交流 変更可 仁比氏に最高裁認識示す」(赤旗2017年4月27日)
「元夫が娘と面会中に無理心中「ごめんな。行かせてごめんな」母親が涙の告白」(週刊女性PRIME2017年5月17日)
以前の家裁であれば、極端な面会交流原則実施論に立っていましたから、DV案件であっても、母と子は別だから、面会させることはできるはずだという極端な押し付けがありました。しかし、こうしたこうした傾向は克服されつつあります。
しかし、暴力的なもの、その予兆があるものであれば(裁判所に伝わればという前提があります)そのように対応して当然なのですが、そうではない事案も多々あります。
日弁連が現行法のDV防止法では被害救済が不十分だとして改正意見を出しました。
「
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律の改正を求める意見書」
現状ではDV概念が狭く、また一般的な認識ともずれが生じています。DVは相手に対する支配が本質であり、暴力はその手段の1つに過ぎません。暴力(しかも有罪証拠のあるもの)に限定してしまうのでは、被害者の救済は不可能になります。
母子の安全を守ることも重要だし、母が元夫に怯えながら、面会交流に関して関係を継続することを強要されてしまう状態では、日々の母子の安定的な生活が害されます。
家裁では、この辺りの認識が弱く、手続代理人は、とにかくここを説得的に主張し、子の福祉を害するという観点から裁判所を説得していかなければなりません。
これが結構、大変なのです。
こうした状況下で、離婚後の共同親権が制度化されてしまったら、ようやく面会交流原則実施論にも修正がなされてきたことさえもすっ飛んでしまうでしょう。
私が離婚後の共同親権に反対するのは、こうした家裁の実務運用があるからでもあります。
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