最高裁 逆転「無罪」判決の問題点
- 2012/02/17
- 12:32
最高裁は、2012年2月13日、一審千葉地裁が無罪とした覚せい剤営利目的の密輸事件について東京高裁が逆転有罪としたものを破棄し、「無罪」としました。
判決文
最高裁は、その理由の中で、控訴審の在り方を次のように述べています。
「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており,控訴審は,第1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく,当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし,これに事後的な審査を加えるべきものである。
第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって,刑訴法382条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」
そして、裁判員制度を意識して、次のように締めくくります。
「このことは,裁判員制度の導入を契機として,第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては,より強く妥当する。」
この最高裁判決の問題点は、地方裁判所の「無罪」判断に吟味を加えているというよりは、裁判員裁判なのだから、その判断でいいんだ、というようにしか見えない点です。
今回は、裁判員制度裁判が「無罪」だったものを尊重せよという構図になっていますから、これによって被告人の人権が侵害されることはありません。
しかし、これが逆だったらどうなるでしょう。
裁判員裁判が「有罪」だというのであるから尊重せよ、というのであれば、「市民感覚」が有罪なんだからそれでいいんだということになりかねません。
今回の最高裁判決は、地裁判決、高裁判決について、一見、「詳細」に検討していますが、結局は地裁が無罪に導いた理由付けについて、「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要」という視点から、「不合理ではない」と言っているだけのものです。
即ち、個別の論点ごとに
「必ずしも説明のつかない事実であるとはいえない。」
「およそ不自然不合理であるということはできない。」
「その旨を指摘して上記弁解は排斥できないとした第1審判決のような評価も可能である。」
「その旨の第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない。」
「その旨の第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない。」(繰り返し)
「偽造旅券の密輸を依頼されていた旨の被告人の弁解とも両立し得るものである。」
「その旨の第1審判決の判示が不合理であるとはいえない。」
とした上で、
「このように,間接事実の評価に関する原判断は,第1審判決の説示が論理則,経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものとはいえないのであって,第1審判決のような見方も否定できないというべきである。」
と結んでいるだけなのです。
このように見てくると最高裁判決は、裁判員裁判だからという結論ありきの理由を述べたにすぎない、というレベルものです。
これまで痴漢冤罪などの事件で、一定の変化は出始めているものの、被告人の弁解を不合理と決めつけ、その供述を排斥してきたことの反省の上に立っての判決というには程遠いレベルということです。
この千葉地裁の裁判員裁判の判決に対する最高裁の評価の手法では、千葉地裁の裁判員裁判の判決が「有罪」の選択をしていたとしても、「不合理とまではいえない。」という評価にならざるを得ず、極論すれば、最高裁は、どちらにでも解釈・評価しうるものであれば、「市民感覚」でどっちに結論を出してもいいよ、それを尊重してあげるからね、と言っているだけなのです。
最高裁は、裁判員制度を合憲としましたが、量刑の判断のみならず、有罪・無罪の事実認定についてまで、「市民感覚」の尊重を判決で述べたという点で、この裁判員制度のもつ危険な側面が露骨に示されたということです。
このようなこじつけとも言える理由で、一審判決を「尊重」することの弊害は、今後、必ずや出てきます。
今後は、地裁の裁判員裁判は「有罪」、高裁が「無罪」とした事件で、最高裁にもそのような事件が係属していますが、最高裁がどのように判断するのか、一番、問われている問題といえます。
この最高裁判決を読んだ下記ブログの感想は、ある意味、恐ろしいものを感じました。
「昨日の最高裁判決について」(日本裁判官ネットワークブログ)
このブログ主の元裁判官は、裁判員制度を賛美しているようですが、そのような方からみると、今回の最高裁判決は、「大変感銘」を受けるもののようです。
裁判員裁判であれば、どのような結果であっても素晴らしいということなのでしょうか。
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判決文
最高裁は、その理由の中で、控訴審の在り方を次のように述べています。
「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており,控訴審は,第1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく,当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし,これに事後的な審査を加えるべきものである。
第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって,刑訴法382条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」
そして、裁判員制度を意識して、次のように締めくくります。
「このことは,裁判員制度の導入を契機として,第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては,より強く妥当する。」
この最高裁判決の問題点は、地方裁判所の「無罪」判断に吟味を加えているというよりは、裁判員裁判なのだから、その判断でいいんだ、というようにしか見えない点です。
今回は、裁判員制度裁判が「無罪」だったものを尊重せよという構図になっていますから、これによって被告人の人権が侵害されることはありません。
しかし、これが逆だったらどうなるでしょう。
裁判員裁判が「有罪」だというのであるから尊重せよ、というのであれば、「市民感覚」が有罪なんだからそれでいいんだということになりかねません。
今回の最高裁判決は、地裁判決、高裁判決について、一見、「詳細」に検討していますが、結局は地裁が無罪に導いた理由付けについて、「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要」という視点から、「不合理ではない」と言っているだけのものです。
即ち、個別の論点ごとに
「必ずしも説明のつかない事実であるとはいえない。」
「およそ不自然不合理であるということはできない。」
「その旨を指摘して上記弁解は排斥できないとした第1審判決のような評価も可能である。」
「その旨の第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない。」
「その旨の第1審判決の判断に不合理な点があるとはいえない。」(繰り返し)
「偽造旅券の密輸を依頼されていた旨の被告人の弁解とも両立し得るものである。」
「その旨の第1審判決の判示が不合理であるとはいえない。」
とした上で、
「このように,間接事実の評価に関する原判断は,第1審判決の説示が論理則,経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものとはいえないのであって,第1審判決のような見方も否定できないというべきである。」
と結んでいるだけなのです。
このように見てくると最高裁判決は、裁判員裁判だからという結論ありきの理由を述べたにすぎない、というレベルものです。
これまで痴漢冤罪などの事件で、一定の変化は出始めているものの、被告人の弁解を不合理と決めつけ、その供述を排斥してきたことの反省の上に立っての判決というには程遠いレベルということです。
この千葉地裁の裁判員裁判の判決に対する最高裁の評価の手法では、千葉地裁の裁判員裁判の判決が「有罪」の選択をしていたとしても、「不合理とまではいえない。」という評価にならざるを得ず、極論すれば、最高裁は、どちらにでも解釈・評価しうるものであれば、「市民感覚」でどっちに結論を出してもいいよ、それを尊重してあげるからね、と言っているだけなのです。
最高裁は、裁判員制度を合憲としましたが、量刑の判断のみならず、有罪・無罪の事実認定についてまで、「市民感覚」の尊重を判決で述べたという点で、この裁判員制度のもつ危険な側面が露骨に示されたということです。
このようなこじつけとも言える理由で、一審判決を「尊重」することの弊害は、今後、必ずや出てきます。
今後は、地裁の裁判員裁判は「有罪」、高裁が「無罪」とした事件で、最高裁にもそのような事件が係属していますが、最高裁がどのように判断するのか、一番、問われている問題といえます。
この最高裁判決を読んだ下記ブログの感想は、ある意味、恐ろしいものを感じました。
「昨日の最高裁判決について」(日本裁判官ネットワークブログ)
このブログ主の元裁判官は、裁判員制度を賛美しているようですが、そのような方からみると、今回の最高裁判決は、「大変感銘」を受けるもののようです。
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