別居するにあたって子の「連れ去り」をすれば親権者になれる
このようなことを聞いたことがありますか。
今の日本は離婚にあたって未成年の子がある場合にはどちらかに親権を定めなければなりません。これはむしろ当然のことで離婚する以上、子の父と母は別々の生活になるわけですから、どちらかの元で養育、監護がなされることになりますが、それが親権者です(親権と監護権が分離することもあり得ますが、極めて例外的なものになります)。
どちらが親権者になるのかということになりますが、基本的には監護の継続性で決まります。別居前にどちらが主に監護してきたのか、さらにどちらに適性があるのかという観点から決まるのですが、何故か「別居後からの監護の継続性」で親権者が決まるという俗論がまことしやかに流布されています。これをその通りだと言ってしまう弁護士もいるのですから驚きです。弁護士としての適性を疑わざるを得ません。
「
『家庭の法と裁判 26』 子の監護者指定、面会について」
そうした俗論を前提にしたこの論考は多くの誤りがあります。
この上條まゆみ氏の論考がとてもよい教材になります。
「
【実録】「子の連れ去り」をめぐる夫婦それぞれの言い分 <夫編>」
「
【実録】「子の連れ去り」をめぐる夫婦それぞれの言い分 <妻編>」

この母親が「連れ去り」を計画したという表記も「連れ去り勝ち」を前提にしている点で誤りです。
それを夫側が弁護士に相談したところ、連れ去られたらもう二度と会えないとかいうアドバイスがあったというのです。
「知人の弁護士に家庭の状況を相談すると、弁護士は「奥さんに子どもを連れて出られたら終わりだよ、一生子どもに会えないよ」と忠告。」
その弁護士もあまりに無能すぎます。実際にそのような誤った回答をする弁護士が実際にいるのも、「連れ去り勝ち」という俗論を信じ込んでいる弁護士がネット上で騒いでいますからそうなんだろうなとは思います。
さて、この母親に精神疾患があり、安定していないという状況があることは母側の言い分としても認めているところなので、そうなのでしょう。
この場合、安定して子に対する監護が実行できるかどうかが問題なります。
つまり、仮に母親が子を連れて別居したとしても、夫側は子の監護者指定ないしは引渡の審判を申し立てることになります。
いずれが子の監護者として適性があるかを直ちに申し立てることになります。
それまでの子の監護状況に加え、母親に精神的な安定性を欠くということであれば、そのための補助体制が整っているのか、あるいは補助があれば監護が可能なのかどうか、などが裁判所の調査の対象となります。
決して別居時に子を連れて出た方が監護者に指定されるわけでもありませんし、そんなに甘いものではありません。
時々、「だったら父親に「連れ去り」を指南すればいいのか」などというずれた意見をツイッター上で見ることもありますが、何を言っても通じない人たちなんだろうなと思います。
それはともかく母が先に子を連れて出たからといって監護者に指定されるわけではないという家裁の実務(運用)を全く知らないとしたら、この論考を執筆した上條まゆみ氏は勉強不足、取材不足です。あるいは意図的なのかもしれません。
そして児相の関与についても触れられています。
当事者間に紛争が大きい場合に児相が基本的にはそれぞれの親権者(離婚前なのでどちらも)の同意を得て児相で一時保護しますが、同意が得られない場合には家裁に審判を申し立てることになります。いずれにしても児相の判断だけで子を保護することはできませんが、児相はあくまで子の保護の観点から行うものです。
それを前提に裁判所が父と母のうち、どちらが監護者として適性があるのかを調査し、指定します。行政は通常、その判断に従います。
なので、取材記事にあるような
「長男が児童養護施設に入所し、どちらの親元にもいないことが「子の福祉」に反すると判断した裁判所は、尚之さんが申し立てた監護者指定調停を受領。結果、尚之さんが長男の監護者として指定されたことで、現在に至っている。」
という記載は誤りです。それにしても「調停を受領」って何でしょう。申立からあれば受理した上で手続きを進めることが裁判所の役割として当たり前中の当たり前で、なんでこんな表現になるんでしょう。また裁判所は前述したとおり、あくまで児相は保護状態にあることを前提に裁判所として父母のどちらが監護者としての適性を判断するのですから、別に児相にいることが「子の福祉」に反するから監護者指定の調停(審判手続きじゃないかなと思いますが,調停手続きだけで解決したのであれば母方も父方を監護者とすることに合意したことになります。妻側の言い分からするともしかすると合意したとしても不自然ではありません)手続きを進めているわけではなくて、裁判所として独自に手続きを進めているのです(前提として監護者指定まで児相保護にあるのはやむを得ないとも裁判所は考えています。)。
児相の判断で引き渡さない、子に面会させないということもあり得るわけで、ここまで誤った前提で論じているのは、この父親の行動を賞賛したいがために話を歪曲してしまっているのでしょう。
本当は児相(行政)がもっと主体的に判断しても良いと思うのですが、実際には紛争のど真ん中にあるので司法の判断が出るまでは自らの責任回避のために判断を先送りするという姿勢です(裁判所の判断が長引くとそれだけ子が児相保護の下に置かれることが長くなることを意味します)。
いずれ裁判所の判断がどちらか一方を指定することになりますが、その後、児相が子をその指定された監護者に引き渡すのは児相(行政)の責任において行うものです。
家裁の調査の結果、父親が監護者に指定されたというのがこの事案です。
ここで表れている事実を前提にすればそうなっても全く不思議はないし、それは仮に母が子を先に連れて別居したとしても、監護者指定の審判では父が監護者として指定されるであろうということです。もちろん推測の域を出ませんが、先に連れて出たからといって、それだけで監護者(親権者)になれるほど甘くはありません。
(時折、「連れ去られ負け」を主張する人たちがいますが、他の事情のについて全く不明なので(その当の本人が意図的にか無視するか、「俺だって監護を半分、やっていたんだ」と言っているだけです。実際に甲乙つけがたい事案があることは前掲「家庭の法と裁判」にも紹介されています)、それだけでその真偽を判断できるはずもありません。)
「連れ去り勝ち」の俗論を信じてしまっている人たちは、なら先に連れ出していたら子の親権者(監護者)になれたと言うのですが、それは甘過ぎというか、現実を見れない人たちです。
「連れ去り」の問題は、それまで監護者でもない親が子を連れて行ってしまうこと、監護者としての適性がない場合に問題があるのであり、離婚後の共同親権の導入推進論者がいうところの「連れ去り」の問題ではありません。
離婚後の共同親権の導入推進論者のみなさん、上條まゆみさん、よくよく勉強しましょう、
というより現実をよく見ましょう。
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