中原徹校長の弁明 大阪府教育委員会の職務命令?
- 2012/03/23
- 09:23
中原徹氏は、今回の「口元チェック」については、府教育委員会の職務命令があったからと主張しています。橋下氏も同じような主張をしています。
その根拠は、「斉唱」だからというものです。
要は、起立するだけでなく、「斉唱」も命じているというものです。
だから、その命令に従って、教員が「斉唱」しているかどうかを確認した、というのですが、果たして、この主張は正しいのでしょうか。
これは、端的に中原徹氏の責任逃れそのものです。中原徹氏が批判されて当然のことです。
中原徹氏は、橋下氏にいいところを見せようと、「斉唱」をしていたかどうかを口元チェックまでして、従来の起立の有無の確認以上に踏み込んだ行為をしたということ。
それは、反抗する教員を殲滅するために送り込まれた「民間人校長」としては当然の職責であったこと。
ところが、中原徹氏が認識していた以上に、大事になり、その責任を府教委に転嫁しようとした、これが府教委による職務命令だと言い張る背景です。
中原徹氏のブログ「読売新聞の記事について」では、
「大阪府の教育長から、すべての教職員に対し、起立・斉唱をするように文書による職務命令が出されました。教育委員会からは、複数回にわたって、全校長に対し、この職務命令を各学校で徹底するよう指示がありました。
私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。確実に確認しようとすれば、誰かが起立しているすべての教職員の口元まで近寄って歌っているかを確かめないといけなくなりますが、これでは、せっかくの卒業式の雰囲気が台無しになり、生徒や保護者のための学校の卒業式としては相応しくないと考え、「どのようにして『斉唱』を確認すればよいか」につき教育委員会に相談しました。
その結果、教育委員会からは、「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示を得ました。」
となっています。
「君が代」斉唱について、従来、問題とされていたのは、起立の有無です。
起立の有無の確認が管理職の職務だというのであれば、従来通りです。
ところが、中原徹氏は、どのような思考を辿ったのか、
「私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。」
という発想につながっていくのです。
ご主人様がどうしたら喜んでくれるのか、という発想がなければ、出てこない発想です。そして、反抗する教員を殲滅するために送り込まれた「民間人校長」ならではの発想です。
恐らく府教育委員会も、中原徹氏のような、どのように確認したらよいか、などという質問は想定していなかったでしょう。言われてびっくり、
それが、「「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示」
になってしまったのでしょう。
ところで、この「指示」は文書によるものではありません。文書による「指示」であれば、中原徹氏だけに出す「指示文書」などあろうはずなく、府下の学校の校長すべてに「指示文書」を送付しなければなりませんが、そうなると、「口元チェック」をしていない他の学校の管理職はすべて「指示違反」になってしまいます。
なお、中原徹氏が示す府教委の指示は「上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員」であって、外形上、起立したとは評価できない行為のことでしょう。
この内容を、どのようにみても、「口元チェック」までせよというようには、読めません。
ところが、中原徹氏は、自らの意思で「口元チェック」にまで踏み込んだのです。
中原徹氏は、自らの意思で踏み込んだ以上、その責任を回避してはいけません。橋下氏への忠義心を見せたいばかりにやったことが、これだけ大騒ぎになるとは思っていなかったのであれば、世間知らずそのものですが、自らが認識していた以上に大騒ぎになってしまったものですから、自分の行動の正当化根拠を府教委の職務命令の「斉唱」部分に求めたに過ぎません。
今さら、府教委の命令に従っただけというのは、卑怯、極まる態度です。
府教委は、生野照子教育委員長がやりすぎというコメントを述べていましたが、従来の基準からいけば、当然のコメントです。
以下のブログに府教委に対する取材記事が掲載されていますが、
「「校長の斉唱チェック方法おかしくなかった」
――国歌斉唱「口元チェック」大阪府教育委員会に質問してみました 」
(東京プレスクラブ2012年3月20日)
やりとりをみると、電話での取材なのでしょうか、それとも対面なのか、それはそれとして、取材に答えている府教委の氏名が記載されていません。
これが公式回答なのか、いずれにせよ、府教委内部で、「口元チェック」までは想定しておらず、委員長との間にも不協和音が生じているのでしょう。
ここまで事態が大きくなり、形式的には、「斉唱」には実際に歌うことまで含まれているということから、中原徹氏から歌っていない教員について報告が上げられると、府教委は、その判断を強いられます。
不処分とすれば、中原徹氏の行為は「やりすぎ」を公認することになりますが、それもできずに処分に踏み切れば、最高裁までの裁判闘争が展開されるのは必然であり、しかも、敗訴する可能性も大きいとなれば、府教委も困った状態になります(処分する方向で報じられていますが。)。
府教委は、中原徹氏のような「民間人校長」によって、職務命令がここまで一人歩きするとは思ってもみなかったことでしょう。
現場において、どんどん拡大解釈されていく、そして、それを命令の発信者が止めることができない状況に非常な恐ろしいことです。
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その根拠は、「斉唱」だからというものです。
要は、起立するだけでなく、「斉唱」も命じているというものです。
だから、その命令に従って、教員が「斉唱」しているかどうかを確認した、というのですが、果たして、この主張は正しいのでしょうか。
これは、端的に中原徹氏の責任逃れそのものです。中原徹氏が批判されて当然のことです。
中原徹氏は、橋下氏にいいところを見せようと、「斉唱」をしていたかどうかを口元チェックまでして、従来の起立の有無の確認以上に踏み込んだ行為をしたということ。
それは、反抗する教員を殲滅するために送り込まれた「民間人校長」としては当然の職責であったこと。
ところが、中原徹氏が認識していた以上に、大事になり、その責任を府教委に転嫁しようとした、これが府教委による職務命令だと言い張る背景です。
中原徹氏のブログ「読売新聞の記事について」では、
「大阪府の教育長から、すべての教職員に対し、起立・斉唱をするように文書による職務命令が出されました。教育委員会からは、複数回にわたって、全校長に対し、この職務命令を各学校で徹底するよう指示がありました。
私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。確実に確認しようとすれば、誰かが起立しているすべての教職員の口元まで近寄って歌っているかを確かめないといけなくなりますが、これでは、せっかくの卒業式の雰囲気が台無しになり、生徒や保護者のための学校の卒業式としては相応しくないと考え、「どのようにして『斉唱』を確認すればよいか」につき教育委員会に相談しました。
その結果、教育委員会からは、「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示を得ました。」
となっています。
「君が代」斉唱について、従来、問題とされていたのは、起立の有無です。
起立の有無の確認が管理職の職務だというのであれば、従来通りです。
ところが、中原徹氏は、どのような思考を辿ったのか、
「私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。」
という発想につながっていくのです。
ご主人様がどうしたら喜んでくれるのか、という発想がなければ、出てこない発想です。そして、反抗する教員を殲滅するために送り込まれた「民間人校長」ならではの発想です。
恐らく府教育委員会も、中原徹氏のような、どのように確認したらよいか、などという質問は想定していなかったでしょう。言われてびっくり、
それが、「「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示」
になってしまったのでしょう。
ところで、この「指示」は文書によるものではありません。文書による「指示」であれば、中原徹氏だけに出す「指示文書」などあろうはずなく、府下の学校の校長すべてに「指示文書」を送付しなければなりませんが、そうなると、「口元チェック」をしていない他の学校の管理職はすべて「指示違反」になってしまいます。
なお、中原徹氏が示す府教委の指示は「上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員」であって、外形上、起立したとは評価できない行為のことでしょう。
この内容を、どのようにみても、「口元チェック」までせよというようには、読めません。
ところが、中原徹氏は、自らの意思で「口元チェック」にまで踏み込んだのです。
中原徹氏は、自らの意思で踏み込んだ以上、その責任を回避してはいけません。橋下氏への忠義心を見せたいばかりにやったことが、これだけ大騒ぎになるとは思っていなかったのであれば、世間知らずそのものですが、自らが認識していた以上に大騒ぎになってしまったものですから、自分の行動の正当化根拠を府教委の職務命令の「斉唱」部分に求めたに過ぎません。
今さら、府教委の命令に従っただけというのは、卑怯、極まる態度です。
府教委は、生野照子教育委員長がやりすぎというコメントを述べていましたが、従来の基準からいけば、当然のコメントです。
以下のブログに府教委に対する取材記事が掲載されていますが、
「「校長の斉唱チェック方法おかしくなかった」
――国歌斉唱「口元チェック」大阪府教育委員会に質問してみました 」
(東京プレスクラブ2012年3月20日)
やりとりをみると、電話での取材なのでしょうか、それとも対面なのか、それはそれとして、取材に答えている府教委の氏名が記載されていません。
これが公式回答なのか、いずれにせよ、府教委内部で、「口元チェック」までは想定しておらず、委員長との間にも不協和音が生じているのでしょう。
ここまで事態が大きくなり、形式的には、「斉唱」には実際に歌うことまで含まれているということから、中原徹氏から歌っていない教員について報告が上げられると、府教委は、その判断を強いられます。
不処分とすれば、中原徹氏の行為は「やりすぎ」を公認することになりますが、それもできずに処分に踏み切れば、最高裁までの裁判闘争が展開されるのは必然であり、しかも、敗訴する可能性も大きいとなれば、府教委も困った状態になります(処分する方向で報じられていますが。)。
府教委は、中原徹氏のような「民間人校長」によって、職務命令がここまで一人歩きするとは思ってもみなかったことでしょう。
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