次の記事がひどすぎます。
「
別居・離婚…「子に会いたい」 共同親権、思い切実 制度化に慎重論根強く」(北海道新聞2021年6月21日)
子を連れて別居することと、その後、面会交流ができないことをもって離婚後の共同親権の導入に結びつけるというものですが、この両者の間には何の関連性もありません。
子に会えないことを1つのキャッチフレーズのように使われているのが「離婚後の共同親権」なのですが、そこには極めて意図的な政治宣伝があります。
離婚後の単独親権制度のもとでも制度的に面会交流は認められています。
家裁での面会交流における手続でも一定の強制力をもちます。
単に感情的に会わせたくないというだけの理由で面会交流を拒絶することはできません。
従って、面会交流については制度として存在しているわけで、親権の帰属とは関連性がないことは明らかです。
しかし、この記事はこの関連がないにも関わらず、結びつけてしまっています。
そして、これを識者のコメントで正当化しています。
※「桃山学院大学の花元彩教授(民法)」の見解が掲載されていましたが、2021年8月25日付朝刊において「訂正」と題し、同教授のコメントを「削除」するとしたため、本ブログからも削除します。 このコメントをみてもわかりますが、全く関連性がありません。しかも「子の父母に特別な問題がないのであれば」という前提をもとに共同親権制度など導入する必要がありません。
もともと面会交流ができないという事例設定から、何故、「父母に特別な問題がないのであれば」につながるのかも意味不明であり、これで離婚後の共同親権制度の導入が正当化されるわけがありません。
ところで、子を連れて出ることと面会交流も全く関連性がありません。
夫婦が離婚することを前提にする以上、そこには全く別々の生活が始まることになるのですから、子はどちらかが養育・監護することになるのですから、離婚後の共同親権といっても「理念」として共同養育だなどと主張するのですが、それを半々で担うなどという非現実的なことを言い出します。
そこには子どもの視点は全く無視、自分がという「親」のエゴ丸出しでしかありません。
「
Q 共同養育支援法(旧名称:親子断絶防止法)のフレンドリー ペアレント ルールの義務化の問題点はどこにありますか。」
面会交流に限定してみても、実際に現状で実現できていないものを離婚後の共同親権を導入すれば何故、面会交流が実現するのかも不明です。
一部には欧米のように子どもがそれぞれの親の間を行ったり来たりすることを思い描いているようです。それを守らなければ親権が剥奪され、子どもに会えなくなるという強制力をもって実現するという発想があります。
あるいは親権者になれば我が物顔で乗り込んでくるこは目に見えています。今でさえ、離婚前だと「オレは親権者だ!」と言って子の学校に乗り込んでいくなどの暴挙もあります。それが離婚後も継続することを制度的に認めてしまうことになります。
めちゃくちゃにかき回されるのは明らかでしょう。
普通の常識人は、現在の制度の中で面会交流をルールに基づいて実施しているのです。
2021年6月22日撮影 上記記事はDVへの懸念についても申し訳程度に触れているだけです。
「
DV保護と離婚後の共同親権は両立しない 嘉田由紀子議員に反省なし 橋本崇載氏の見事なまでのシェルター敵視」
離婚後、子に会えないという場合、そこには何が障害になっているのかという分析が必要で、それをすべて「離婚後の単独親権」の問題に矮小化してしまっているのは非常に問題です。本来、面会が実現できていないのであれば、その原因を分析するのが当然なのに、親権の問題にしてしまうことは、この肝心の原因分析の過程をすっ飛ばしてしまう思考停止状態に陥ります。有害無益です。
北海道新聞にはもっと現実に即した取材をして頂きたいと思います。
※本記事に対して、クレームが入りました。そのため、現在、北海道新聞社に照会書を送付しました。「
北海道新聞社に対し、「共同親権」に関する記事について照会文を送付しました」
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