コメント
No title
>コンビニでのレジ袋禁止で怒り出すのはごく少数、相手にする価値もない
少数意見に真摯に耳を傾けるのが民主主義とブログ主様から教わりましたが。
少数意見に真摯に耳を傾けるのが民主主義とブログ主様から教わりましたが。
怒りだすのはごく少数、その通り。
あまりに厳しい条例を定めると、多くの市民は怒ったりせず、黙って隣町に買い出しに行きます。当然ですよね。
No title
>何のための生産なのかを取り違えた本末転倒なものです。
レジ袋の削減でもプラゴミの削減はごくわずかです。しかし、大きな一歩です。
まだ、こんな事を言ってるのですか。
企業は「エコを推進すること」を主目的で生産なんてしてませんよ。
>>何のための生産なのですか。雇用確保のためですか。生産によって私たちの生活を豊かにするためではなく、雇用のためというのは本末転倒です。
>いつまでたっても経済成長なんてあり得ません。私たちの生活は豊かになりません。
別の記事でもこんな事を言ってましたけど。
企業が物を生産する主な目的は経済的利益を得るためですよ。
それが、企業の雇用を生み出し従業員の賃金となるのです。
そして、企業の社会的責任の一つとして多くの労働者を雇用することもありますよ。
管理人さんは、「生産力が上がる」とか「経済成長」とか「国民生活を豊かにする」とはどういう意味で使っているのですか?
経済成長とは「エコ社会が達成される」という意味ではありませんよ。
経済成長って言ったら普通はGDPの伸びだと思うんですけど。
GDPとは国内総生産ですよ。国内総生産とは、国内で生産された財やサービスの付加価値の総和ですよ。
つまり、企業の利益と労働者の賃金などを総計したものですよ。
例えば自動車メーカーなら車を作って売ったとして車を売った売上金から部品や材料などの原価を引いたものが自動車メーカーが生み出した財の付加価値ですよ。
この付加価値を企業の利益と実際に作った従業員の賃金や報酬に分配されるのですよ。
この付加価値が増えていくことが経済成長と言うのです。
たくさん車を作ってたくさん車が売れると付加価値が多くなるから企業の利益をも多くなりますし、その企業で働く従業員の雇用が増えたり給料が増えたりします。
このように企業が生み出す財やサービスの付加価値を国内全体について総和したものが増えていけばGDPが伸びていくことになりますね。
そのようにGDPが伸びていくことを経済成長と言うのですよ。
「経済成長して国民の生活が豊かになる」という事は、国内で生産された財やサービスの付加価値が増えて経済的利益が増えて企業や資本家の儲けが増え、労働者の雇用が増えたり賃金や報酬が増えることにより国民が裕福になることですよ。
国民が裕福になると国民に経済的に余裕があるのだから物やサービスが売れて、企業もさらに儲けることが出来て労働者に対する分配も多くなります。
国の行き過ぎた規制や経済政策の無策により景気が悪くなったり、物やサービスが売れなくなったりして企業が雇用を減らすことにより失業者が増え、賃金を減らすことにより低所得者が増えます。国民生活が困窮してしまいます。
そうすると、国民がお金を持っていないのだから、さらに物やサービスも売れなくなり、さらに企業が雇用を減らしたり、賃金を減らす悪循環に陥ります。これが不景気です。
ただし、企業もまったく社会的責任を放棄しり、公共的な利益を無視すると問題が発生します。
上でも言った通り、たくさんの労働者を雇用するという社会的責任もあります。
経済的利益に偏重して公害問題などが発生するのも問題でしょう
だから一定の規制は必要でしょうし、企業も環境など公共的な利益について一定の配慮も必要になるでしょう。
でも、「企業は環境など公共的な利益のためだけを目的として生産している」というのも間違いですよ。
トヨタも環境のために一定の規制をすることにまで反対している訳でもないでしょう。
トヨタの社長は「環境のためにすべてEVに置き換えると言うのはやり過ぎである。雇用の喪失など大きな弊害も出てくる」と言ってるんですよ。
>結局、ゴミ袋の生産によって生活している人たちもいるんだ、
>相手にする価値もない
まあ、管理人さんからすればゴミ袋を生産している人なんて自分とは関係ないからどうでもいいでしょうね。
自分は失業する恐れもなく、生活に困る訳ではないから「環境のために失業して生活に困るような連中なんてどうでもよい!そんな連中の悲鳴など相手にする価値もない!」という事になるのでしょう。
管理人さんの問題点は、企業の経済的活動は公共の福祉などによって一定の制限がされるのは仕方のないことですけど、「公共の利益のためには何をやってもいい!公共の利益のためには企業やそこで働く従業員の生活なんぞまったく無価値なゴミみたいなものだ!」と考えて、公共の利益のために企業や個人の自由が制限された場合の副作用についてまったく無関心なところなのですよ。
だから、公共の利益を実現するのは絶対的正義だから何をやってもいいと思い込むんですよ。
特に、経済的な利益を完全に無視しますよね。自分は経済的にまったく困っていないからと言う理由で。
まあ、他人の立場で物を考えることが出来ないということを露呈しているだけですね。
管理人さんは、も少し想像力を働かせるべきですね。
レジ袋の削減でもプラゴミの削減はごくわずかです。しかし、大きな一歩です。
まだ、こんな事を言ってるのですか。
企業は「エコを推進すること」を主目的で生産なんてしてませんよ。
>>何のための生産なのですか。雇用確保のためですか。生産によって私たちの生活を豊かにするためではなく、雇用のためというのは本末転倒です。
>いつまでたっても経済成長なんてあり得ません。私たちの生活は豊かになりません。
別の記事でもこんな事を言ってましたけど。
企業が物を生産する主な目的は経済的利益を得るためですよ。
それが、企業の雇用を生み出し従業員の賃金となるのです。
そして、企業の社会的責任の一つとして多くの労働者を雇用することもありますよ。
管理人さんは、「生産力が上がる」とか「経済成長」とか「国民生活を豊かにする」とはどういう意味で使っているのですか?
経済成長とは「エコ社会が達成される」という意味ではありませんよ。
経済成長って言ったら普通はGDPの伸びだと思うんですけど。
GDPとは国内総生産ですよ。国内総生産とは、国内で生産された財やサービスの付加価値の総和ですよ。
つまり、企業の利益と労働者の賃金などを総計したものですよ。
例えば自動車メーカーなら車を作って売ったとして車を売った売上金から部品や材料などの原価を引いたものが自動車メーカーが生み出した財の付加価値ですよ。
この付加価値を企業の利益と実際に作った従業員の賃金や報酬に分配されるのですよ。
この付加価値が増えていくことが経済成長と言うのです。
たくさん車を作ってたくさん車が売れると付加価値が多くなるから企業の利益をも多くなりますし、その企業で働く従業員の雇用が増えたり給料が増えたりします。
このように企業が生み出す財やサービスの付加価値を国内全体について総和したものが増えていけばGDPが伸びていくことになりますね。
そのようにGDPが伸びていくことを経済成長と言うのですよ。
「経済成長して国民の生活が豊かになる」という事は、国内で生産された財やサービスの付加価値が増えて経済的利益が増えて企業や資本家の儲けが増え、労働者の雇用が増えたり賃金や報酬が増えることにより国民が裕福になることですよ。
国民が裕福になると国民に経済的に余裕があるのだから物やサービスが売れて、企業もさらに儲けることが出来て労働者に対する分配も多くなります。
国の行き過ぎた規制や経済政策の無策により景気が悪くなったり、物やサービスが売れなくなったりして企業が雇用を減らすことにより失業者が増え、賃金を減らすことにより低所得者が増えます。国民生活が困窮してしまいます。
そうすると、国民がお金を持っていないのだから、さらに物やサービスも売れなくなり、さらに企業が雇用を減らしたり、賃金を減らす悪循環に陥ります。これが不景気です。
ただし、企業もまったく社会的責任を放棄しり、公共的な利益を無視すると問題が発生します。
上でも言った通り、たくさんの労働者を雇用するという社会的責任もあります。
経済的利益に偏重して公害問題などが発生するのも問題でしょう
だから一定の規制は必要でしょうし、企業も環境など公共的な利益について一定の配慮も必要になるでしょう。
でも、「企業は環境など公共的な利益のためだけを目的として生産している」というのも間違いですよ。
トヨタも環境のために一定の規制をすることにまで反対している訳でもないでしょう。
トヨタの社長は「環境のためにすべてEVに置き換えると言うのはやり過ぎである。雇用の喪失など大きな弊害も出てくる」と言ってるんですよ。
>結局、ゴミ袋の生産によって生活している人たちもいるんだ、
>相手にする価値もない
まあ、管理人さんからすればゴミ袋を生産している人なんて自分とは関係ないからどうでもいいでしょうね。
自分は失業する恐れもなく、生活に困る訳ではないから「環境のために失業して生活に困るような連中なんてどうでもよい!そんな連中の悲鳴など相手にする価値もない!」という事になるのでしょう。
管理人さんの問題点は、企業の経済的活動は公共の福祉などによって一定の制限がされるのは仕方のないことですけど、「公共の利益のためには何をやってもいい!公共の利益のためには企業やそこで働く従業員の生活なんぞまったく無価値なゴミみたいなものだ!」と考えて、公共の利益のために企業や個人の自由が制限された場合の副作用についてまったく無関心なところなのですよ。
だから、公共の利益を実現するのは絶対的正義だから何をやってもいいと思い込むんですよ。
特に、経済的な利益を完全に無視しますよね。自分は経済的にまったく困っていないからと言う理由で。
まあ、他人の立場で物を考えることが出来ないということを露呈しているだけですね。
管理人さんは、も少し想像力を働かせるべきですね。
鍋や皿持って来い
コロナ禍で売上減って苦しい飲食店の中には、箸や皿持参した客は〇円値引きしますと宣言している店があります。箸や皿持って来る、家に持ち帰って食べる人は自分で作って食べるので、効果はなさそうです。
昭和20年頃あったスケトウダラやおにぎりの配給は、鍋や皿を持って来ないと貰えませんでした。
けん玉太郎より若いコロナった某国首相のスローガン「みんなマスク外して集まれ、パブでビールだ!」に付け加えて「ジョッキは自分で持って来い!」だと、一杯£5を£4に値引きできます。
昭和20年頃あったスケトウダラやおにぎりの配給は、鍋や皿を持って来ないと貰えませんでした。
けん玉太郎より若いコロナった某国首相のスローガン「みんなマスク外して集まれ、パブでビールだ!」に付け加えて「ジョッキは自分で持って来い!」だと、一杯£5を£4に値引きできます。
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自分がいつも行くセイコーマートでは、レジ袋を普通にもらうので違和感を感じないですね。
使う責任
亀岡市の条例には「市の責務」、「市民等の責務」、「事業者の責務」を定めているようだが、SDGSにある「つくる責任、つかう責任」が想起できる(注1)。使う責任が一般市民には求められる。マイバッグを持って出かけるのが私は当たり前になって久しいが、出来ない・やりたくない人も一定数いるのはやむを得ないことだろう。それは公共教育が希薄だったためではないかと思う(注2)。
ともあれ、レジ袋をどうしてもほしくて入手した人は、使用後のレジ袋をポイ捨てせずに正しくリサイクルに回してもらいたい。それが最低限のマナー、と言うより市民としての責任かと思う。
【注】
1, https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/17goals/12-responsible/
2, 来春から高校必修「公共」ってどんな内容? SDGs、模擬選挙、領土…「主体的、対話的」学び促す検定教科書
https://www.tokyo-np.co.jp/article/94800
ともあれ、レジ袋をどうしてもほしくて入手した人は、使用後のレジ袋をポイ捨てせずに正しくリサイクルに回してもらいたい。それが最低限のマナー、と言うより市民としての責任かと思う。
【注】
1, https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/17goals/12-responsible/
2, 来春から高校必修「公共」ってどんな内容? SDGs、模擬選挙、領土…「主体的、対話的」学び促す検定教科書
https://www.tokyo-np.co.jp/article/94800
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いつも、どこかで撮った写真を貼るのが、このブログの特徴の一つ。
記事の主題に沿った風景なのか、それとも、その時、気に入ったものを貼っっているのか。
どちらでも良いのですが、今回は・・・、
さすがに、レジ袋の撮り置きがなかったのかな~、なんて思ってしまいましたは冗談ですよ、
と、そんなことを思いながら、ふと、脳裏をよぎった出来事があります。
デジカメが出現し、その将来を考えた結果、
主力のフィルム事業で培った技術を有効に使い事業の多角化に成功した富士フィルムと、
あっという間に沈没した世界のコダック。
2000年当時から、たったの6年で、利益の3分の二を生み出していた主力事業の生産が半減し、
10年後には10分の一になってしまうことまでを正確に見通した経営陣だったのかはわかりませんが、
とにかく、当時、デジカメを手にした誰もが思いついた、これは便利だ、に素早く対応し、今も生き残る富士フイルムを見ると、
時代の変化を見通し対応する経営の当然さを教えてくれるものだと思います。
逆に、こちらは、創業時から、無き道を作り歩むことを事業の命題としてきたような会社だったからでしょうか、
彼らなりの勝算のもと、ミラーレスカメラへの参入で、今や、その地位を確立したソニー。
他分野でも紆余曲折はあったにせよ、
時に、時代を切り開く革新的製品で、時に、既存の市場へ果敢に参入し、
事業の多角化に成功して来た会社ではないでしょうか。
いずれにせよ、その理由はどうでも、
事業環境の変化を見通し、対応出来なければ淘汰されるだけの過酷な、
でも、それが当然のこの世界ということなんでしょうね。
写真が趣味と一口に言っても、
撮り好き、メカ好き、その両方好き、といろいろなタイプがいると言われているようで、
猪野さんがどのタイプなのか、それとも、いずれにもハマらないタイプなのかはわかりませんが、
写真好きでなくとも、富士とコダックの顛末は、頭の隅に残っていることでしょうね。
なんてことを、ふと、思ってしまった記事でした。
記事の主題に沿った風景なのか、それとも、その時、気に入ったものを貼っっているのか。
どちらでも良いのですが、今回は・・・、
さすがに、レジ袋の撮り置きがなかったのかな~、なんて思ってしまいましたは冗談ですよ、
と、そんなことを思いながら、ふと、脳裏をよぎった出来事があります。
デジカメが出現し、その将来を考えた結果、
主力のフィルム事業で培った技術を有効に使い事業の多角化に成功した富士フィルムと、
あっという間に沈没した世界のコダック。
2000年当時から、たったの6年で、利益の3分の二を生み出していた主力事業の生産が半減し、
10年後には10分の一になってしまうことまでを正確に見通した経営陣だったのかはわかりませんが、
とにかく、当時、デジカメを手にした誰もが思いついた、これは便利だ、に素早く対応し、今も生き残る富士フイルムを見ると、
時代の変化を見通し対応する経営の当然さを教えてくれるものだと思います。
逆に、こちらは、創業時から、無き道を作り歩むことを事業の命題としてきたような会社だったからでしょうか、
彼らなりの勝算のもと、ミラーレスカメラへの参入で、今や、その地位を確立したソニー。
他分野でも紆余曲折はあったにせよ、
時に、時代を切り開く革新的製品で、時に、既存の市場へ果敢に参入し、
事業の多角化に成功して来た会社ではないでしょうか。
いずれにせよ、その理由はどうでも、
事業環境の変化を見通し、対応出来なければ淘汰されるだけの過酷な、
でも、それが当然のこの世界ということなんでしょうね。
写真が趣味と一口に言っても、
撮り好き、メカ好き、その両方好き、といろいろなタイプがいると言われているようで、
猪野さんがどのタイプなのか、それとも、いずれにもハマらないタイプなのかはわかりませんが、
写真好きでなくとも、富士とコダックの顛末は、頭の隅に残っていることでしょうね。
なんてことを、ふと、思ってしまった記事でした。