先日、「
12歳の娘と真摯な恋愛はあり得る…はずがありません」をエントリーしました。
今回はその続きです。
父親と12歳の娘との間で恋愛関係が成り立ちますか。
父親の年齢もさまざまでしょうね。産まれた年齢の分だけ差となります。
12歳の娘にとっての恋愛はありません。まだ子どもです。12歳でありながら大人と同じレベルの恋愛ができる、そういった子がいないとは限らない、などというのは話になりません。結論として「いない」です。
「いるかもしれない」という議論の立て方は全く意味がありません。単に自分が恋愛対象としたいときの言い訳レベルの意味でしかないからです。
では父親の方はどうでしょうか。
娘に対して本気で恋愛感情を抱くという場合が想定できるのか、です。
これも結論として「想定できない」となります。
この場合、娘に対する恋愛感情とは一体、何をもって「恋愛感情」と言っているのか、です。問われているのはその点です。
「あり得ないなんてどうして言えるのか」
なんて言っている人をまもとに相手にする必要はありません。その感情というものを説明してみてよ、と言われたら何と答えるのでしょう。
言葉で説明せよということ自体にハードルはありますが、それはともかく恋愛感情んも年齢相応のものがあり、まだ未成熟な子に対して恋愛感情というのは自身も成長していないだけということを露呈しているだけのものです。
そこに目の前に中学生の女の子がいて、そこにどのような恋愛感情が抱けるのか考えてみたらいいのです。
その中学生に何らかの性的なものを感じたとしてのであれば、それは恋愛感情ではなく、単なる性欲だけですから。
2022年10月16日撮影 これが娘ではなく単純に未成年と置き換えても同じです。
(この意味でいうと娘が40歳になって60歳の父親と恋愛関係になりました、と言われてもそれはご勝手にどうぞとしかなりません)
恋愛関係は存在しない
これが結論であり、人間社会の到達点でもあります。
それを否定しても意味がありません。
否定するのは単純に自分の性欲を正当化したいだけです。
あるいはもっと別の観点に立てば、自分の支配の確立です。
娘も自分の所有物という発想です。
支配の中で、娘が父親に依存する関係はできるかもしれません。しかし、それは未成年である娘を社会から隔離したり支配することで作り上げた洗脳です。
未成年や娘との恋愛を成り立つという人がいたら、「あ~、この人は未成年や娘に対してそういう感情を持っているんだ」と思ったらいいです。
気持ち悪い。
日本人はロリコン趣味だと言われることがありますが、多分、そこにあるのは自分に言うことを聞かせるための存在でしかない異性を求めているんでしょうね。
あるいは単純に性欲です。これは明らかに恋愛感情とは違いますね。
別の観点からいえば、12歳の娘に父親に対する恋愛感情というものの存在を社会は認めない、というように言えばわかるでしょうか。
このルールに反するものは認めない、だから禁断だというように言われることもありますが、そこにあるのは何なのか、よくよく考えるべきでしょう。
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