事件数の激減と法曹養成
- 2012/12/05
- 07:58
2001年に出された司法審意見書では、法曹人口(実態は弁護士人口の激増)とそのための法曹養成制度としての法科大学院制度を提言しました。
ところが、10年以上がたった現在、弁護士人口激増に見合う事件はなく、指標となる裁判所に対する訴訟件数は減少の一途であり、刑事事件ですら減少しています。
事件数が少ないため、既存の法律事務所では新たに生まれた新法曹(弁護士)を雇用する必要はなく、そのため大量の未就職者が出ています。
もう1つの問題は、司法修習でも、修習で学べる素材である事件が減ってしまっているということです。修習生の人数が増えたところに、事件が減少したとあっては、修習生の修習に支障をきたすことになります。
「刑事弁護できない弁護士が続出するだろうなあ」(福岡の家電弁護士 なにわ電気商会)でも、修習でも刑事弁護を学ぶ機会がなく、弁護士に登録した後も刑事弁護にあたる機会がないため、刑事弁護ができない弁護士の出現への危惧が紹介されています。
法曹は、通常は、司法試験で法的素養の有無を確認し、その法的素養に基づいて、実際の生の事件をもとに実務的な能力を養っていくことになります。
それだけでなく、司法修習修了後は、通常は、いずれかの先輩弁護士の元で、実際の事件の処理を通じて、実務能力を学ぶことになります。
現状は、この実際の事件がないために、司法修習生が実務能力を身につけていくことが困難な状況なのです。
それにもかかわらず、法曹人口の激増など、明らかに不可能です。
医学部でいえば、献体が不足しているのに医師を育成しようとしているようなものです。
また、人材養成にあたっては、実際の事件があればよいというものではありません。
ロースクール研究No20には、山野目章夫早稲田大学大学院法務研究科教授の以下のような記述があります。
「法科大学院教育のあり方の省察とそれに基づく実践とが成立可能であるためには、一つの前提が要る。学び手と教え手の双方についての精選である。上述のような仕方の双方向・多方向の授業を通じての自己の修練という意義を理解し、そして、それを実践してゆくことができる人々が、どうみても社会において、現下の入学収容人員ほど多数を見出すことができるとは考えにくい。同様に、双方向・多方向の授業の意義を理解して学生を求められる水準に導いてゆく技量を備える教え手の面でも、今の設立認可校の数に即応するほど人的基盤があるとみることは、残念ながら難しい。」
山野目教授の立場は、法科大学院制度擁護ですが、では、どの程度の定員、法科大学院数を考えているのは、全体からはわかりません。
ただ、少なくとも人材養成は、それほど簡単ではなく、単に定員さえ増やせばよいというものではないという当然の前提を改めて確認させるものです。
このような専門職は、需要との関係で育成していくことが重要なことであり、需要を無視した増員が粗製濫造とならざるを得ない背景事情といえます。
司法修習修了後の新規登録弁護士の就職難は、単にその人が就職できないというだけでなく、人材育成の観点からも問題になります。
司法修習の目的は、資格を与えるということは法廷法曹の育成を前提にしています。
ところが、最高裁司法修習委員会は、従来の目的を否定し、法廷での法曹は司法修習修了後のOJTに委ねられるとしています。しかし、これでは司法修習として最高裁、検察庁、弁護士会での修習の意義の自己否定に他なりません。
修了後のOJTに委ねると言うのであれば、新規登録弁護士が法律事務所等に所属せず、いきなり独立する「即独」などもってのほか、ということになりますが、その当たりは、全くもって問題にされていません。
法廷以外の法曹であるならば、何もこれを「法曹」と呼称する必然性がないばかりか、全く異質なものを一緒くたにしてしまい、養成課程を曖昧にしてしまう点で非常に問題です。
従来は法学部や大学院(法科大学院ではなく)などが担っていたのですから、それで足りるはずですし、敢えて法科大学院制度を設ける必然性はありませんでした。
人材育成に失敗した法科大学院制度は、廃止も含め、根本的に見直す時期に来ているといえます。
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ところが、10年以上がたった現在、弁護士人口激増に見合う事件はなく、指標となる裁判所に対する訴訟件数は減少の一途であり、刑事事件ですら減少しています。
事件数が少ないため、既存の法律事務所では新たに生まれた新法曹(弁護士)を雇用する必要はなく、そのため大量の未就職者が出ています。
もう1つの問題は、司法修習でも、修習で学べる素材である事件が減ってしまっているということです。修習生の人数が増えたところに、事件が減少したとあっては、修習生の修習に支障をきたすことになります。
「刑事弁護できない弁護士が続出するだろうなあ」(福岡の家電弁護士 なにわ電気商会)でも、修習でも刑事弁護を学ぶ機会がなく、弁護士に登録した後も刑事弁護にあたる機会がないため、刑事弁護ができない弁護士の出現への危惧が紹介されています。
法曹は、通常は、司法試験で法的素養の有無を確認し、その法的素養に基づいて、実際の生の事件をもとに実務的な能力を養っていくことになります。
それだけでなく、司法修習修了後は、通常は、いずれかの先輩弁護士の元で、実際の事件の処理を通じて、実務能力を学ぶことになります。
現状は、この実際の事件がないために、司法修習生が実務能力を身につけていくことが困難な状況なのです。
それにもかかわらず、法曹人口の激増など、明らかに不可能です。
医学部でいえば、献体が不足しているのに医師を育成しようとしているようなものです。
また、人材養成にあたっては、実際の事件があればよいというものではありません。
ロースクール研究No20には、山野目章夫早稲田大学大学院法務研究科教授の以下のような記述があります。
「法科大学院教育のあり方の省察とそれに基づく実践とが成立可能であるためには、一つの前提が要る。学び手と教え手の双方についての精選である。上述のような仕方の双方向・多方向の授業を通じての自己の修練という意義を理解し、そして、それを実践してゆくことができる人々が、どうみても社会において、現下の入学収容人員ほど多数を見出すことができるとは考えにくい。同様に、双方向・多方向の授業の意義を理解して学生を求められる水準に導いてゆく技量を備える教え手の面でも、今の設立認可校の数に即応するほど人的基盤があるとみることは、残念ながら難しい。」
山野目教授の立場は、法科大学院制度擁護ですが、では、どの程度の定員、法科大学院数を考えているのは、全体からはわかりません。
ただ、少なくとも人材養成は、それほど簡単ではなく、単に定員さえ増やせばよいというものではないという当然の前提を改めて確認させるものです。
このような専門職は、需要との関係で育成していくことが重要なことであり、需要を無視した増員が粗製濫造とならざるを得ない背景事情といえます。
司法修習修了後の新規登録弁護士の就職難は、単にその人が就職できないというだけでなく、人材育成の観点からも問題になります。
司法修習の目的は、資格を与えるということは法廷法曹の育成を前提にしています。
ところが、最高裁司法修習委員会は、従来の目的を否定し、法廷での法曹は司法修習修了後のOJTに委ねられるとしています。しかし、これでは司法修習として最高裁、検察庁、弁護士会での修習の意義の自己否定に他なりません。
修了後のOJTに委ねると言うのであれば、新規登録弁護士が法律事務所等に所属せず、いきなり独立する「即独」などもってのほか、ということになりますが、その当たりは、全くもって問題にされていません。
法廷以外の法曹であるならば、何もこれを「法曹」と呼称する必然性がないばかりか、全く異質なものを一緒くたにしてしまい、養成課程を曖昧にしてしまう点で非常に問題です。
従来は法学部や大学院(法科大学院ではなく)などが担っていたのですから、それで足りるはずですし、敢えて法科大学院制度を設ける必然性はありませんでした。
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