自民党は、政権交代後、民主党前政権によって成し遂げようとした義務教育における35人学級実現を拒否し、文科省がその実現を断念しています。
もちろん35人学級を実現するためにはお金が掛かります。多数の教員を養成するのにも予算が必要だし、教員となった後もその人件費が必要となります。
しかし、義務教育において少人数教育を実現するのは当然のことです。
文科省「
少人数学級の実現」
教員が多くの生徒を受け持つことになれば、1人1人に掛ける時間が短くならざるを得ません。
それでは、勉学はもちろんのこと、学校の日常生活にも目が行き届かないのは当然なのです。
教師はスーパーマンではないのです。中には、多数の子どもたちを相手に、対応できる教員もいるかもしれませんが、多くの教師はスーパーマンではないし、スーパーマンにはなれないのです。
従って、求められていることは、教師として普通にやっていけるだけの学級規模に適正化すること、少人数教育なのです。
もちろん、少なければ少ないほどよい、というものではありません。生徒にとってはクラスは学校の日常生活を送る基礎単位ですから、多くの色んな友だちと接することも必要です。
それでも通常は、20人から30人、可能であれば25人以下です。35人でも多すぎるのです。
その35人ですら自民党政権は拒否するのですから、子どもたちに対する教育を蔑ろにしていると言わざるを得ません。
この点についての自民党側の言い分は、あまりに滑稽です。
「
自民党内には全国一律の底上げよりも、学力向上やいじめ問題対応などに焦点を絞った追加配置(加配)の方が費用対効果が高いとの主張が強い。」(
朝日新聞2013年1月26日)
焦点を絞った追加配置! 何とずれた発想でしょう。
要は問題の発生したところに教員を絞って重点的に配置するということのようですが、問題が発生したところに配置するという発想自体がナンセンスの極みです。
本来であれば、問題の小さな芽がないかどうかに気配りし、小さな段階で問題を解決することが生徒にとっても、その学級にとっても、その学校にとっても、大切なことは明らかでしょう。
しかし、自民党の発想ときたら!
小学校の勉強についていけない状態になったから、重点的に配置しましょ!?
イジメ問題が起きたから重点に配置しましょ!?、
何を馬鹿なことを考えているのでしょうね。
大規模な学級では、教える側が1人1人に目を掛けられないから、児童・生徒の勉強の遅れをバックアップできないし、あるいは、その子の理解度、到達度をその都度、確認することもできない、そのようにならないようにするために少人数学級が必要なのに、この自民党という集団は、このようなことがまるで理解できていない。
自民党議員の中には子どもの頃から勉強ができていたので、勉強についていけなくなってしまった子のことなど、まるで理解できないのかもしれません。あるいは自己責任などと思っているのでしょうか。
あるいは自民党議員の中にも子どもの頃から勉強ができかなったレベルの人もいるかもしれません。でも、それでも少人数学級に反対するようであれば、そのような人たちって、自分が勉強ができなかったことすらも理解できていなかったということかもしれません。妙に自信だけは満ちあふれていますからね。
少人数学級は、勉強について来れない子を1人でも少なくしたい、という切実な要求から来ているものだということ、どんな子だって最初から勉強嫌いの子って、それほど多くはない、というよりも、子どもは生まれながらにして多くの好奇心で満ちあふれている存在です。その好奇心を育てていくことが大切なのであって、それは小学生であろうと代わりありません。小学校低学年で勉強につまづけば、その後の授業に興味が持てなくなってしまうのは、誰にでも分かり切ったこと。
将来の可能性を秘めた多くの子どもたちを切り捨てる自民党政権って、優しさの欠片もない人たちなのでしょう。
ところで、専門職大学院については、どのような教育方法がとられているかご存知ですか。
専門職大学院設置基準においては、
(授業を行う学生数)
第7条 専門職大学院が一の授業科目について
同時に授業を行う学生数は、授業の方法及び施設、設備その他の教育上の諸条件を考慮して、教育効果を十分にあげられるような適当な人数とするものとする。
(授業の方法等)
第8条 専門職大学院においては、その目的を達成し得る実践的な教育を行うよう専攻分野に応じ事例研究、現地調査又は
双方向若しくは多方向に行われる討論若しくは質疑応答その他の適切な方法により授業を行うなど適切に配慮しなければならない。
2項(略)
と規定されています。
これが俗に言う、少人数による双方向教育です。
法科大学院制度がその典型です。
「
法科大学院における双方向授業とは?」
大の大人である大学院生には手取り足取りですよ。高い学費を払ってくれる人には好待遇、義務教育で来る子どもたちは、何とマスプロ授業。
これって本末転倒でしょ。一部のエリート養成には税金も注ぎ込むけど(法科大学院制度の地盤沈下は著しいけれど。)、圧倒的多数の子どもたちにはお金を掛けることを拒否することには、怒りすらも込み上げてきます。
イジメだって同じ。イジメが問題になったから重点配点って、結局、力で押さえつけようというだけでしょ。
本来は、イジメという現象が起きないように、あるいは小さな芽の段階でそれを見つけて対処したりするには、日常的に多く接していることが大切なんです。
それが大規模な学級であれば、1人1人の子と接している時間は極めて限られてしまうのは当然のこと。
重点的にした方が効率的というのは、要は金を掛けたくないことの裏返しにすぎず、学力の問題やイジメの問題を解決していくという視点からは、何もしないというのと同じなのです。
それでいて、安倍晋三氏は、公共事業や軍事費、そして一部のエリートだけに莫大な税金を注ぎ込もうというのですから、本当に下品です。
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