法科大学院支援委員会の見解の問題点 その1
- 2013/02/12
- 22:31
前回は、「法科大学院支援委員会が何故? 黒幕が狙う謀略とは。」という中で、札幌弁護士会法科大学院支援委員会の文書が出てきた背景を紹介しました。
今回は、その文書の内容についてコメントしたいと思います。
原文は、こちら。
「「法曹養成制度の抜本的改革を求める決議(案)、 『1 法科大学院課程修了を司法試験受験資格としないこと』 」 に対する法科大学院支援委員会の意見」(PDF)
引用が少々、長くなりますが、ご容赦ください。こちらで要約してもよいのですが、「要約が間違っている!」という難癖をつけられても面倒なので、そのまま掲載します。
「1 司法制度改革審議会意見書の理念、 構想
(1) いうまでもなく、法科大学院制度は、司法制度改革審議会(以下「改革審」という。)意見書(以下「改革審意見書」 という。)で構想され、制度化されたものです。
当時、 改革審意見書が法科大学院修了を司法試験受験資格として、法科大学院を中核としたプロセスとしての法曹養成制度を構想した問題意識、理念などは、次のように集約できると思います。
(2) すなわち、21世紀における法曹のあり方は、国民の期待に応える司法制度の構築及び国民的基盤の確立 (国民の司法参加) とともに司法制度改革を支える柱の一つであること、そして、国民生活の様々な場面において法曹に対する需要がますます多様化一高度化することが予想される中で、法曹が国民各自の具体的なニーズに即した法的サービスを提供できるよう、高度の専門的な法的知識を有することはもとより、幅広い教養と豊かな人間性を基礎に十分な職業倫理を身に付け、社会の様々な分野において厚い層をなして活躍する、質・量ともに豊かな存在であることが期待されました。」
ここの部分は、司法審意見書の引き写しです。彼らにとってのバイブルであり、すべての正当化基準になるものです。
この司法審の思想は、新自由主義、構造改革路線から導かれたもの、それはさておいたとしても、法曹需要に関する予想がはっきりと外れている中で、なおこれを金科玉条のごとく持ち出すという神経が分かりません。
彼らにとっては、司法審意見書の枠から踏み外すことは絶対にできないものなのですが、それにしても、自分の頭で考えない典型的な思考停止状態ですね。
思考停止の典型例
「中本和洋弁護士、一体、何しに札幌に来たの?」
このような法科大学院制度推進派の弁護士の発想は、司法審の枠を踏み外さないものだから、どのような発言をするのかも予測できてしまいます。これも「金太郎アメ」の一種です。
「(3) しかし、旧司法試験は開かれた制度としての長所を持つものの、合格者の質の面では、 受験競争が厳しい状態にある中で、大学では法曹として求められる充実した教育を受けることのないまま、受験技術を優先する傾向が顕著となっていたこと、また、量の面では、大幅に合格者数を増やしてもその質を維持することには大きな困難が伴うことなどの問題点が認められ、これら は旧司法試験の内容、方法の改善や単に合格者を大幅に増加するだけでは解決できなぃとぃう認識の基に、法曹人口の拡大とともに、多様化・高度化する国民のニーズに応えることができる豊かな質を備えた法曹を養成するため、司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院を中核とした法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度が構想されました。質の面では、受験競争が厳しい状態にある中で、大学では法曹として求められる充実した教育を受けることのないまま、受験技術を優先する傾向が顕著となっていたこと、また、量の面では、大幅に合格者数を増やしてもその質を維持することには大きな困難が伴うことなどの問題点が認められ、これらは旧司法試験の内容、方法の改善や単に合格者を大幅に増加するだけでは解決できないという認識の基に、法曹人口の拡大とともに、多様化・高度化する国民のニーズに応えることができる豊かな質を備えた法曹を養成するため、司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院を中核とした法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度が構想されました。」
受験技術が優先されてきたということは事実でしょうが、だからどうなんだというものです。学者登用試験ではないのだから、ある程度、答案が画一化されていくことは当たり前のことです。
この問題は、単純に司法試験年間合格者数を増加させるだけでは、今まで不合格だった層まで合格してしまうことになり、質の低下につながることは明らかだったことから、その手当として法科大学院制度を当てることにしただけです。
それから重要な点は、受験技術が優先されようとも、司法試験は選抜機能を果たしてきたということです。
「司法試験予備校の弊害?」
「(法務省)それから、司法試験の選抜機能、能力判定機能ということについて問題点を申しましたけれども、考査委員の方々は、これまでの司法試験で能力のない者が合格して、能力のある者が不合格になっているとは考えておられません。つまり、答案の画一化に悩みながらも、これまでのところ司法試験は何とかその機能をたしていると評価できると思います。」 司法審第15回議事録(平成2000年3月)
この年輩弁護士たちは、この事実すらも否定して、旧試験組(予備校が搭乗が登場して以降)のできが悪いというレッテルを貼っているだけなのです。
もちろん、合格者数だけを増やせば選抜機能は失われますが、それは受験技術とは全く関係がありません。
ところで、司法試験自体、その出題傾向に変遷があり、これら年輩弁護士が受験した頃は、いわゆる「一行問題」であり(もっとも「一行問題」はその後も続きますが、旧来の一行問題からは進化していますし、最終的には廃れましたね。)、事前に整理したことをはき出すだけで合格しえた時代、さらにいえば日本全体の貧富の差がまだまだ激しく、大学に行き、司法試験を受験できたこと自体、恵まれていたということ、そのようなことは、全く認識していないのですから、お目出たいというべきでしょうか。
(くだらない苦労話だったら止めて下さいね。そのようなものは単なる自慢話レベルでしかないですから。)
要は、自分たちの主張を正当化するために、旧試験(しかも予備校が登場した以降)を悪く言っているだけなのです。
「法科大学院支援委員会の見解の問題点 その2」へ続く
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今回は、その文書の内容についてコメントしたいと思います。
原文は、こちら。
「「法曹養成制度の抜本的改革を求める決議(案)、 『1 法科大学院課程修了を司法試験受験資格としないこと』 」 に対する法科大学院支援委員会の意見」(PDF)
引用が少々、長くなりますが、ご容赦ください。こちらで要約してもよいのですが、「要約が間違っている!」という難癖をつけられても面倒なので、そのまま掲載します。
「1 司法制度改革審議会意見書の理念、 構想
(1) いうまでもなく、法科大学院制度は、司法制度改革審議会(以下「改革審」という。)意見書(以下「改革審意見書」 という。)で構想され、制度化されたものです。
当時、 改革審意見書が法科大学院修了を司法試験受験資格として、法科大学院を中核としたプロセスとしての法曹養成制度を構想した問題意識、理念などは、次のように集約できると思います。
(2) すなわち、21世紀における法曹のあり方は、国民の期待に応える司法制度の構築及び国民的基盤の確立 (国民の司法参加) とともに司法制度改革を支える柱の一つであること、そして、国民生活の様々な場面において法曹に対する需要がますます多様化一高度化することが予想される中で、法曹が国民各自の具体的なニーズに即した法的サービスを提供できるよう、高度の専門的な法的知識を有することはもとより、幅広い教養と豊かな人間性を基礎に十分な職業倫理を身に付け、社会の様々な分野において厚い層をなして活躍する、質・量ともに豊かな存在であることが期待されました。」
ここの部分は、司法審意見書の引き写しです。彼らにとってのバイブルであり、すべての正当化基準になるものです。
この司法審の思想は、新自由主義、構造改革路線から導かれたもの、それはさておいたとしても、法曹需要に関する予想がはっきりと外れている中で、なおこれを金科玉条のごとく持ち出すという神経が分かりません。
彼らにとっては、司法審意見書の枠から踏み外すことは絶対にできないものなのですが、それにしても、自分の頭で考えない典型的な思考停止状態ですね。
思考停止の典型例
「中本和洋弁護士、一体、何しに札幌に来たの?」
このような法科大学院制度推進派の弁護士の発想は、司法審の枠を踏み外さないものだから、どのような発言をするのかも予測できてしまいます。これも「金太郎アメ」の一種です。
「(3) しかし、旧司法試験は開かれた制度としての長所を持つものの、合格者の質の面では、 受験競争が厳しい状態にある中で、大学では法曹として求められる充実した教育を受けることのないまま、受験技術を優先する傾向が顕著となっていたこと、また、量の面では、大幅に合格者数を増やしてもその質を維持することには大きな困難が伴うことなどの問題点が認められ、これら は旧司法試験の内容、方法の改善や単に合格者を大幅に増加するだけでは解決できなぃとぃう認識の基に、法曹人口の拡大とともに、多様化・高度化する国民のニーズに応えることができる豊かな質を備えた法曹を養成するため、司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院を中核とした法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度が構想されました。質の面では、受験競争が厳しい状態にある中で、大学では法曹として求められる充実した教育を受けることのないまま、受験技術を優先する傾向が顕著となっていたこと、また、量の面では、大幅に合格者数を増やしてもその質を維持することには大きな困難が伴うことなどの問題点が認められ、これらは旧司法試験の内容、方法の改善や単に合格者を大幅に増加するだけでは解決できないという認識の基に、法曹人口の拡大とともに、多様化・高度化する国民のニーズに応えることができる豊かな質を備えた法曹を養成するため、司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法科大学院を中核とした法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度が構想されました。」
受験技術が優先されてきたということは事実でしょうが、だからどうなんだというものです。学者登用試験ではないのだから、ある程度、答案が画一化されていくことは当たり前のことです。
この問題は、単純に司法試験年間合格者数を増加させるだけでは、今まで不合格だった層まで合格してしまうことになり、質の低下につながることは明らかだったことから、その手当として法科大学院制度を当てることにしただけです。
それから重要な点は、受験技術が優先されようとも、司法試験は選抜機能を果たしてきたということです。
「司法試験予備校の弊害?」
「(法務省)それから、司法試験の選抜機能、能力判定機能ということについて問題点を申しましたけれども、考査委員の方々は、これまでの司法試験で能力のない者が合格して、能力のある者が不合格になっているとは考えておられません。つまり、答案の画一化に悩みながらも、これまでのところ司法試験は何とかその機能をたしていると評価できると思います。」 司法審第15回議事録(平成2000年3月)
この年輩弁護士たちは、この事実すらも否定して、旧試験組(予備校が搭乗が登場して以降)のできが悪いというレッテルを貼っているだけなのです。
もちろん、合格者数だけを増やせば選抜機能は失われますが、それは受験技術とは全く関係がありません。
ところで、司法試験自体、その出題傾向に変遷があり、これら年輩弁護士が受験した頃は、いわゆる「一行問題」であり(もっとも「一行問題」はその後も続きますが、旧来の一行問題からは進化していますし、最終的には廃れましたね。)、事前に整理したことをはき出すだけで合格しえた時代、さらにいえば日本全体の貧富の差がまだまだ激しく、大学に行き、司法試験を受験できたこと自体、恵まれていたということ、そのようなことは、全く認識していないのですから、お目出たいというべきでしょうか。
(くだらない苦労話だったら止めて下さいね。そのようなものは単なる自慢話レベルでしかないですから。)
要は、自分たちの主張を正当化するために、旧試験(しかも予備校が登場した以降)を悪く言っているだけなのです。
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