法科大学院支援委員会の見解の問題点 その4
- 2013/02/19
- 09:32
「法科大学院支援委員会の見解の問題点 その3」からの続きです。
「また、決議(案)は、司法修習制度について、前期修習の復活や司法修習制度全般における充実を提言していますが、その実現の可能性、展望や前期修習復活後の司法修習全般における具体的修習内容の提言を欠くばかりか、それらを確実に実現するための明確で具体的な活動方針・ 内容も欠いていると思います。」
え~!? 具体的内容を欠くですって!?
これで具体的内容を欠くなら、日弁連の提言なんて、もっと具体的内容を欠いているでしょう。
「日弁連による「法科大学院制度の改善に関する具体的提言」」
法科大学院の統廃合や定数削減などと言っていますが、全く具体性がありません。これだけで利害が絡んでしまった各法科大学院の利害調整などできるはずもないのです。
弁護士会の中でも、例えば、先般、このような声明が出されました。
「法科大学院の地域適正配置についての11弁護士会会長共同声明」(2013年2月1日)
静岡県弁護士会、長野県弁護士会、新潟県弁護士会、広島弁護士会
島根県弁護士会、熊本県弁護士会、鹿児島県弁護士会、宮崎県弁護士会
沖縄弁護士会、香川県弁護士会、愛媛弁護士会
この中で、法科大学院がないのは、宮崎県、愛媛県。
それ以外の県にある法科大学院は、文科省の目からみれば統廃合の対象になりそうな法科大学院ばかりです。
そのような法科大学院を抱える弁護士会が、この「共同声明」を出したということなのでしょうが、もはや日弁連には利害調整しうるだけの力はありません。
法科大学院が制度として生き残るためには、大規模な統廃合と定員削減を断行しなければならないのですが、この法科大学院の乱立状況のもとでは、もはや手遅れといえます(最初から失敗とも言えますが。)。
日弁連の提言が「具体的」と言いながら、全く具体性がない所以です。
それから本決議案に活動方針がない? ご心配いりません。
活動方針が決議の中に記載されていないのは当たり前のことです。
もちろん、それを具体化する活動は重要ですが、その点の区別もできないとは驚きです。
決議案が承認されたときには、私たちは、それを実現するための活動は、いくらでもあります。この間、そのようなノウハウを蓄積してきました。
簡単に実現できることではありませんが、やり遂げることは可能です。
活動方針あれば従うかのようないいぶりは止めましょう。
また、「司法修習全般への具体的修習内容の提言を欠く」という主張に至っては、ヤクザの言い掛かりレベルのものです。
ここで「司法修習全般への具体的修習内容」を大展開すべきところではありません。
あくまで法曹志望者が激減し、法曹養成制度が機能しなくっていること、法科大学院における教育は格差がありすぎ、質の確保という点からも限界に来ていること、などから、司法試験年間合格者数を減らし、法科大学院から受験資格要件を撤廃せよ、そして司法修習を充実させよというものですから、ここで、「具体的内容」を大展開する必要などないのです。
少なくとも従前の司法修習の方がよほどましでしたし、年輩弁護士はみな、そのような修習を受けてきたではないですか。
「司法修習の在り方」ということであれば別の意見書でしょう。その程度のことはわかっていると思うのですが、法科大学院を守りたいという気持ちだけが、このような言い掛かりに走らせるのでしょう。
「万一、一方で法科大学院修了が司法試験受験資格とされなくなり、他方で現行の1年修習が継続されることになれば、旧司法試験時代の法曹養成制度以上に批判を受けるべき悪しき状況に陥ることになるのではないでしょうか。」
そのような受験資格要件のみ撤廃される事態になるということは、構造改革の視点からみて、法科大学院制度が役に立たなかったということ。即ち、構造改革の手段として失敗したということ。
弁護士会の意見書によって「実現」されたというものではありません。
すり替えてはいけませんね。
法科大学院は、構造改革を進める立場に立っても、反対する立場に立ったとしても、法曹養成には不可欠とは言えなくなったという現実を直視すべきでしょう。
他方で、修習が形骸化されています。
すべて法科大学院制度と司法試験年間合格者数の激増が原因です。
金食い虫の法科大学院と大量の司法修習生の修習の場がないということで、司法修習は、期間短縮とともに形骸化されてしまったのです。
法科大学院信奉者の中にははっきりと司法修習不要論を主張する方もいますが、それが法科大学院信奉者全体の本音でしょう。法科大学院を守るためであれば、司法修習制度すらも敵なのです。
でも滑稽だなと思うのは、いつも大企業や自治体などの顧問をしているような弁護士たちが、恥ずかしげもなく「司法研修所を最高裁による支配」だなんて言うんですよね。
権威や権力に弱い人たちが言うか、っていうセリフですよ。
なお、法科大学院から受験資格要件が撤廃されれば、司法試験合格者数も激減されるでしょう。養成のためのムダな国費を省くことになりますから。
司法試験の選抜機能を復活させ、自力で勉強させる方がよほどコストは掛かりませんから。
法科大学院から受験資格要件の撤廃を実現しない限り、司法修習の実質的な復活はあり得ないということです。
従って、受験資格要件撤廃こそが、司法修習の充実を勝ち取ることができるかどうかのカギとなります。
この問題は結果を出せなかった法科大学院制度なのですから、それが廃止され、司法修習が形骸化されたままになるなどということを言ってみても説得力はないのです。
何? 法科大学院に行かなくていいなんて言ったら、マインドのない受験技術だけを優先した人ばかりになるって?
予備校が盛んになった以降の旧試組はマインドがないというのですか。
法科大学院制度信奉者たちは、本当に傲慢な人たちですね。
「このように、「法科大学院課程修了を司法試験受験資格としないこと」と司法修習制度の展望などを欠く決議(案) は、法曹に対する国民の理念や期待を脇におき、現在の法曹養成制度をめぐる樣々な問題改善のための法曹としての責務を放棄する姿勢を表明することと理解されるでしょうし、当会の信頼を損ないかねず、また、国民から厳しい批判を受けることになるのではないでしょうか。」
国民からの批判は起きません。結果を出せない法科大学院に多額の税金を注ぎ込むことの方が批判が起きます。
法科大学院制度の現状を知ったら、国民は怒るでしょうね。湯水のように税金を垂れ流しているだけですから。
一部、御用マスコミが騒ぐだけで、そのようなもの取るに足りません。
言うべきことを言う、それが法曹としての責務です。
(終わり)
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「また、決議(案)は、司法修習制度について、前期修習の復活や司法修習制度全般における充実を提言していますが、その実現の可能性、展望や前期修習復活後の司法修習全般における具体的修習内容の提言を欠くばかりか、それらを確実に実現するための明確で具体的な活動方針・ 内容も欠いていると思います。」
え~!? 具体的内容を欠くですって!?
これで具体的内容を欠くなら、日弁連の提言なんて、もっと具体的内容を欠いているでしょう。
「日弁連による「法科大学院制度の改善に関する具体的提言」」
法科大学院の統廃合や定数削減などと言っていますが、全く具体性がありません。これだけで利害が絡んでしまった各法科大学院の利害調整などできるはずもないのです。
弁護士会の中でも、例えば、先般、このような声明が出されました。
「法科大学院の地域適正配置についての11弁護士会会長共同声明」(2013年2月1日)
静岡県弁護士会、長野県弁護士会、新潟県弁護士会、広島弁護士会
島根県弁護士会、熊本県弁護士会、鹿児島県弁護士会、宮崎県弁護士会
沖縄弁護士会、香川県弁護士会、愛媛弁護士会
この中で、法科大学院がないのは、宮崎県、愛媛県。
それ以外の県にある法科大学院は、文科省の目からみれば統廃合の対象になりそうな法科大学院ばかりです。
そのような法科大学院を抱える弁護士会が、この「共同声明」を出したということなのでしょうが、もはや日弁連には利害調整しうるだけの力はありません。
法科大学院が制度として生き残るためには、大規模な統廃合と定員削減を断行しなければならないのですが、この法科大学院の乱立状況のもとでは、もはや手遅れといえます(最初から失敗とも言えますが。)。
日弁連の提言が「具体的」と言いながら、全く具体性がない所以です。
それから本決議案に活動方針がない? ご心配いりません。
活動方針が決議の中に記載されていないのは当たり前のことです。
もちろん、それを具体化する活動は重要ですが、その点の区別もできないとは驚きです。
決議案が承認されたときには、私たちは、それを実現するための活動は、いくらでもあります。この間、そのようなノウハウを蓄積してきました。
簡単に実現できることではありませんが、やり遂げることは可能です。
活動方針あれば従うかのようないいぶりは止めましょう。
また、「司法修習全般への具体的修習内容の提言を欠く」という主張に至っては、ヤクザの言い掛かりレベルのものです。
ここで「司法修習全般への具体的修習内容」を大展開すべきところではありません。
あくまで法曹志望者が激減し、法曹養成制度が機能しなくっていること、法科大学院における教育は格差がありすぎ、質の確保という点からも限界に来ていること、などから、司法試験年間合格者数を減らし、法科大学院から受験資格要件を撤廃せよ、そして司法修習を充実させよというものですから、ここで、「具体的内容」を大展開する必要などないのです。
少なくとも従前の司法修習の方がよほどましでしたし、年輩弁護士はみな、そのような修習を受けてきたではないですか。
「司法修習の在り方」ということであれば別の意見書でしょう。その程度のことはわかっていると思うのですが、法科大学院を守りたいという気持ちだけが、このような言い掛かりに走らせるのでしょう。
「万一、一方で法科大学院修了が司法試験受験資格とされなくなり、他方で現行の1年修習が継続されることになれば、旧司法試験時代の法曹養成制度以上に批判を受けるべき悪しき状況に陥ることになるのではないでしょうか。」
そのような受験資格要件のみ撤廃される事態になるということは、構造改革の視点からみて、法科大学院制度が役に立たなかったということ。即ち、構造改革の手段として失敗したということ。
弁護士会の意見書によって「実現」されたというものではありません。
すり替えてはいけませんね。
法科大学院は、構造改革を進める立場に立っても、反対する立場に立ったとしても、法曹養成には不可欠とは言えなくなったという現実を直視すべきでしょう。
他方で、修習が形骸化されています。
すべて法科大学院制度と司法試験年間合格者数の激増が原因です。
金食い虫の法科大学院と大量の司法修習生の修習の場がないということで、司法修習は、期間短縮とともに形骸化されてしまったのです。
法科大学院信奉者の中にははっきりと司法修習不要論を主張する方もいますが、それが法科大学院信奉者全体の本音でしょう。法科大学院を守るためであれば、司法修習制度すらも敵なのです。
でも滑稽だなと思うのは、いつも大企業や自治体などの顧問をしているような弁護士たちが、恥ずかしげもなく「司法研修所を最高裁による支配」だなんて言うんですよね。
権威や権力に弱い人たちが言うか、っていうセリフですよ。
なお、法科大学院から受験資格要件が撤廃されれば、司法試験合格者数も激減されるでしょう。養成のためのムダな国費を省くことになりますから。
司法試験の選抜機能を復活させ、自力で勉強させる方がよほどコストは掛かりませんから。
法科大学院から受験資格要件の撤廃を実現しない限り、司法修習の実質的な復活はあり得ないということです。
従って、受験資格要件撤廃こそが、司法修習の充実を勝ち取ることができるかどうかのカギとなります。
この問題は結果を出せなかった法科大学院制度なのですから、それが廃止され、司法修習が形骸化されたままになるなどということを言ってみても説得力はないのです。
何? 法科大学院に行かなくていいなんて言ったら、マインドのない受験技術だけを優先した人ばかりになるって?
予備校が盛んになった以降の旧試組はマインドがないというのですか。
法科大学院制度信奉者たちは、本当に傲慢な人たちですね。
「このように、「法科大学院課程修了を司法試験受験資格としないこと」と司法修習制度の展望などを欠く決議(案) は、法曹に対する国民の理念や期待を脇におき、現在の法曹養成制度をめぐる樣々な問題改善のための法曹としての責務を放棄する姿勢を表明することと理解されるでしょうし、当会の信頼を損ないかねず、また、国民から厳しい批判を受けることになるのではないでしょうか。」
国民からの批判は起きません。結果を出せない法科大学院に多額の税金を注ぎ込むことの方が批判が起きます。
法科大学院制度の現状を知ったら、国民は怒るでしょうね。湯水のように税金を垂れ流しているだけですから。
一部、御用マスコミが騒ぐだけで、そのようなもの取るに足りません。
言うべきことを言う、それが法曹としての責務です。
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