やっぱり高林敏之氏に反論しておきますね!
文章に品は保ちたいのですが、今回は高林氏の文章表現に合わせてみました。
高林氏の表現が段々と乱暴になってくるんですね。
最後に「不毛な議論が終わったようでヤレヤレです。」なんて言われてしまっては、まだまだ議論したいんだというお誘いを受けたようで(それ以前にはもう止めると言っておきながら。)、私もがんばらねばと思った次第です。
自分のをちゃんと読め?
私の文章もちゃんと読んでね。
全く意味のない反論です。私の主張は世俗派がどうこういう問題ではないのにね。何度も反論しているんだけどな。
とはいっても、その世俗派のやってきたこともイスラム教、イスラム文化と全く無関係だったことはないでしょう。
それから、イスラム国家という言葉の定義ですか。
通常、使われている意味で十分ではないですか。高林氏が述べるようなね。それとも「専門家」という立場からは、「イスラム国家」など存在しない! と言いたいのかな。それ自体、不毛な議論ですね。
問題は、イスラム教という世界観がどのように影響しているかですよ。それを国是の中心に置こうとすればするほど、イスラムの価値観を国民に強要していくことになりますから。
イスラム国家では、死刑の多用、体刑、男尊女卑、夫が妻を殴るなど問題になるのかな、なるとは思えないです。
高林氏のいう「世俗派」が実権を握っていたときから、そうでしたから。
もともとこの地域は大国が石油の利権を巡って支配を及ぼそうと勢力争いをしてきたところ、石油以外の産業もなく、富を独占する人たちが大国の後ろ盾の下に国民を抑圧してきたという中で、独裁国家が生まれてきたということ。
独裁国家が世俗派かどうかなどある意味、どうでもいい話で強権的な体質が根深くあるということ、それが世俗派が倒れ、イスラム派にそれにとって代わったというだけのことですから。
クーデター?
問題ですよ。結局、エジプトでは民主制は根付いていなかったということをさらけ出したんですから。
それから世俗派についていえば、高林氏にはもう1つのすり替えがあります。
「世俗派」というそれこそひとくくりにして議論していること。
過去の世俗派と現在の世俗派が全く同一であり、それを指示するエジプト国民も全く同じだということを論証しなければ、このような過去の「世俗派が!」みたいな議論は成り立たないのですが、高林氏の議論の仕方は、「イスラーム」を持ち上げるために、どうしても「世俗派」でひとくくりにしてしまうのでしょう。
そうでないというのであれば、単に全く無関係の過去の世俗派の話を持ち出して私の議論に難癖をつけているだけだということです。
モルシ政権がめざそうとした憲法改悪、そしてイスラム化が問題だと再三述べているのにね。そのような傾向が出てくれば反発が出てきて当然なんですよ。
私だったら絶対に嫌ですね。
モルシ一派かどうかが大きな問題なのでしょうか?
もともとモルシ政権がイスラム化に舵を切ったことが問題。それに便乗してくるイスラム勢力が出てくることも必然のこと。
「独裁」についても今、イスラム化の強制が始まっていないというだけのことでしょうに。将来、どうなるかはもちろんわかりませんが、しかし、大統領権限の強化とかは、立憲主義の思想とは相容れないの。
再三言っているように、それはね、権力を縛るというよりも権力の行使を正当化するためのものだけになってしまうのね。
自民党の憲法改正草案が批判されているのも同じ観点から。
立憲主義について、もうちょっと学ばれた方がいいんじゃないかな。
後の方にいくと私に対しては、立憲主義の例外があるようだと「批判」されていますが、理解が不足しているのは、高林氏の方でしょう。
私に対する批判の中で述べられたのかどうかはよくわかりませんが、次のようなつぶやきもありました。
「私は「民主主義」が北半球の一部にしか通用しないとは思っていないのです。「イスラーム(これはアフリカとかにも置き換え可能でしょう)と民主主義は両立しない」という、まさしく「原理主義」に無意識に陥り、結果として軍部の違法行為を許容することが問題なのだと思います。」
高林氏は、結局、立憲主義を、民主主義とか投票箱程度にしか考えていないということなのでしょう。
立憲主義は、ちょっと違うんですけどね。
民主主義は、手段であって目的ではないということ。日本国憲法で考えればよくわかることです。
憲法にいう三原則は、基本的人権の尊重、民主主義、平和主義ですが、これは同列ではありません。
基本的人権の尊重 > 民主主義
平和主義 > 民主主義
この原理を高林氏は全くご理解されていないようです。それを担保するのが憲法81条違憲立法審査権ね。多数派の意思を否定する統治機構です。
だから憲法は、基本的人権の尊重を「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」としているのですね。
数の論理では奪えないもの、それが基本的人権の尊重なのですが、どうにも高林氏は、立憲主義=投票箱と考えているとしか思えないくらないの文章(高林氏の立憲主義は、キーワードとして並べられているだけです。)ですから(その逆にイスラームの記述ばかりが厚い)、本当に立憲主義を理解しているのかなと思わざるを得ないわけです。
まあ国民全体ではなく、特定の層の利益代表になってしまったモルシ政権の最大の弱点がここにありますから、触れられないだけなのかもしれませんけれど。
世俗派や王政が人権を侵害してきたということですが(王政は初めて出てきたかな。)、過去の事実において中東地域においては当然のことごとく人権侵害を繰り返してきた、そんなことは百も承知ですよ。
まだまだ民度は低く、強権支配体制に利用されることでしょう。しかも民衆がイスラム観に支配されていますからね。
おっ、またイスラムへの偏見だ! なんていう反論が来るかな?
偏見といわれても説得力はないですよ。イスラム観には男尊女卑の発想しか見えませんからね。基本的人権の思想を理解するまでには、まだまだ遠い道のりがあることでしょう。
日本人もよく民度が低いという言われ方をしますが、同じように教訓としなければならないといこと、日本国民の中には、あたかも自分が多数派にいるんだと思っているだけで支配されているという実感を持っていない人も少なくないですからね。
エジプトの混乱を見る場合、人ごとではなく、自分たちに置き換えてどうなのかということこそ私が今回の意見を述べた趣旨ですが、何度も述べているんだけれど、イスラームしか見えないと言い掛かりにしか聞こえないんでしょうね。
私はクーデターが問題なしなんて言ってないでしょうに。
どうしても人の話を決めつけるんですね。こう決めつけないと私に対する批判の中核が失われてしまいますからね。何度も繰り返しているのに。
こういう態度ってどうなのかな。
驚き呆れるしかない。
それからね、立憲主義については私は既に述べていますよ。
モルシ政権には立憲主義を破壊する要素があったとね。
まあ高林氏は、二重権力の問題だ!と繰り返すのでしょうが、大統領の権限強化は結局は多数派の意思にのみ依拠することになり、立憲主義破壊の要因そのものなんですよ。
立憲主義の目的は、権力を憲法で縛り、基本的人権の侵害を抑制することにあるわけですが、その目的を変えてはいけませんね、自民党の憲法改正草案が良い例。
結局、国民の支持も得られず、それを利用した軍によるクーデターで崩壊。まだまだまだエジプトの春は遠いということです。
だから、トルコの例を出してみて何の意味があるのですか?
知識のひけらかしですか?
偏見?
主たる争点かどうかの問題ではないでしょうに。それが逸脱を始めたというイスラム化の問題だと言っているのです。
まあ、その意味ではモルシ政権は特定の利益代表でしかなりえず、国民統合に失敗したということでしょうね。
またクーデター論の繰り返しですか。
私の見解と違うっているのにね。ここまでくると、高林氏の論争能力に問題を感じます。あるいは悪意そのものを感じます。
それにね、私の主張は、このエジプトでの出来事を日本での教訓にしましょう、と言っていること。とにかく、この高林氏は決めつけがすごい。
高林氏は、どれだけイスラーム万能主義あるいは「井の中の蛙」なんだか。
この「イスラーム」世界の専門家は高林氏だけのなのかな。
後にはご自身が「特異」な見解と認めているけど。
イスラム教も変わらなければならないでしょうし、まだまだ発展途上ですよ。
ちょっと逆戻りが多すぎるかな。
いえいえ、今後も反論していきますよ。せっかくのお誘いですから!
言い掛かりをつけられては仕方ありませんね。
立憲民主制については、高林氏はキーワードだけを並べているだけなのにね。
もちろん、高林氏とは永久に噛み合いませんよ。
少数派高林氏がんばれ。
かくいう私も少数派であることが多いですから。
私は、今後もエジプトを教訓にしたいですね。多数派の横暴、そして、宗教が政治に関わってくることの問題を。
日の丸・君が代の強制反対、靖国神社の国有化反対、天皇の元首化反対。これもイスラム社会から学ぶ教訓です。
特定の宗教団体の利益を代表する者が政権を取り、その支持層に傾斜していくようでは国民を二分していくのは必然です。
日の丸・君が代を強制することはどのような意味を持つのか、仮にそれが投票箱の結果、多数派を握ったからといって、少数派に強要していくことの問題。
ネットウヨクたちが、私のエジプトから学ぶ教訓としての意見に対し、民主主義を否定するのかと騒ぐのも日の丸・君が代を強制する最大の根拠を失うからに過ぎません。
その意味では非常に同質性があるのです。
基本的人権とは何か、人類が互いに共存していくための知恵です。
また全体主義国家や宗教国家の出現を防ぐためのものであり、基本的人権こそ最大限に守られなければならないということなのです。
ブログランキングに登録しています。
クリックをお願いいたします。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
- 関連記事
-
スポンサーサイト