中原徹大阪府教育長、詭弁でごまかし、しかし、最後の醜態をさらす強権主義者
- 2013/10/16
- 06:53
中原徹大阪府教育長による君が代斉唱について、教員が起立しているかどうかのみならず、「斉唱」をしているかどうか口元チェックを「指示」していますが、これほどあからさまな憲法違反の職務命令を発するよう通知(2013年9月)するのは常軌を逸しています。
「君が代斉唱 大阪府教委の口元チェックは明らかな憲法違反!」
ところが、これに対し、中原徹大阪府教育長は、当人のブログにおいて極めて見苦しい「弁明」をしています。
「「口元」を確認という言葉は、一定の媒体が積極的に用いているだけで、大阪府教育委員会ではそのような扱いにしていません。ほんの数秒間、遠くから起立・斉唱している職員をさっと眺めて、明らかに式の秩序を乱す公務員を確認するだけです。口の動きに注目しろなどとは指示していませんし、求めていません。」(朝日新聞社説記事について、2013年9月30日アップ)
口元チェックという言葉は確かに文書の中には使われていません(報道によりますが)。
しかし、あからさま詭弁です。
中原氏自身が、かつて大阪府立和泉高校において、卒業式の際、教職員の口の動きを見て実際に歌っているかを「監視」していると報じられましたが、中原徹校長は、取材に対して、下記のように答えたとされます。
「起立斉唱のルールを作ったのは議会で、私は教育委員会の指示に従っただけ。ルールを守らなくてもいいというのは、教員の世界の古い慣習。過激すぎるというのは感情論だ。」
「国歌不斉唱 口元「監視」」
あるいは2013年4月には、斉唱していないという教員について「中原徹教育長は記者団に対し「職務命令を守る気がなかったと言われても社会通念上、仕方がない。府民をばかにした態度だ」と述べ、9月までに起立と斉唱を確認する客観基準の作成を目指す考えを示し」ているのです。
「口元チェックの中原徹現教育長は健在! 大阪は真っ暗」
口の動きを監視していたことに対して、教育委員会の指示に従っただけと述べているのです。つまり、起立斉唱という職務命令の中には、単に起立するだけでなく、斉唱することも含まれるとするのが中原氏の持論なのです。
それを言うにこと欠いて「口の動きに注目しろなどとは指示していませんし、求めていません。」などというのはあまりに白々しい。自分自身がしてきたことと違うではありませんか。
「起立斉唱しているかの判断基準は「総合的に現認し、公務の信頼性を維持するため、十分な誠意ある態度をとっているかどうかで判断すべきだ」とした。判断が困難な場合は、詳細を報告し、府教委に相談するよう指示」という内容からは、「明らかに式の秩序を乱す公務員を確認するだけ」であれば単純に起立したかどうかだけです。
しかも、最高裁判決は、単に起立しなかったことによる式の秩序を乱す程度は低いという評価です(最高裁は、平成24年1月16日の判決で「積極的な妨害等の作為ではなく、物理的に式次第お遂行を妨げるものではない。(略)当該式典の進行に具体的にどの程度の支障や混乱をもたらしたのかは客観的な評価の困難な事柄であるといえる」と述べています。
これを考えれば、「判断が困難な場合は、詳細を報告し、府教委に相談するよう指示」しなければならないような事態とはどのような事態を想定しているというのですか。
斉唱しているかどうかわからない場合だけでしょう。
口パクもなければ明らかに斉唱をしていないと言える場合ですから、何も現場が迷うようなこともありません。中原徹大阪府教育長の通達からは、その教員について斉唱していないという報告あるのみです。現場で迷うのは明らかに口パクなのです。
中原氏がここまで詭弁を弄するのは何か。明らかに間違った指示であることが大阪でも常識になりつつあるという状況に動揺しているからでしょう。
背景には、もともと中原氏は維新の会の橋下代表の威を借る狐だということがあります。中原氏は、維新の権力を笠にきて強権を発動してきた人です。
ところが、この朝日新聞への社説への「弁明」を載せた日の前日には、堺市長選で維新の会が敗北し、いよいよ維新の会の衰退が誰の目から見ても明らかになってきたという日です。
橋下氏は維新の会の代表辞任を否定したそうですが、中原氏が拠って立つ基盤がぐらつき始めているということでもあります。
なお、上記ブログの中原氏の朝日新聞への「弁明」は恥ずかしい限りの的外れなものです。中原氏が前段で朝日新聞の社説に賛同できる部分があると言いますが、朝日新聞の社説の趣旨は、口元チェックなんてやっているより人材育成に力を入れよという点にあるのですから、人材育成にだけ賛同するのはあまりにもずれています。これも中原氏の焦りの一面かと思います。
さて、中原氏は、動揺が垣間見え、そんな指示はしていないなどと述べていますが、他方で、それを「補足」するような文書を各学校に送付しているわけでありません。
要は公式には「口元チェック」を否定していないのです。
しかも式への来賓とされる人たちの中には結構、お節介というかオレがオレがの人たちがいるもので、「あの教員は斉唱していない!」などとクレームを付ける人たちがいます。
「君が代不斉唱と来賓通報、大阪 入学式司会の教諭」(日テレ2013年4月16日)
そうなると管理職としてはおちおちしてはいられません。来賓の誰かによって「密告」されるとなると管理職としての職務怠慢というレッテルを貼られてしまいます。
現場の管理職としては、口元チェックをせざるを得ない状況に変わりありません。
中原氏は、なお足下の権力基盤が揺らぎ「弁明」で取り繕いながらも、なおも権力統制を推進し、教員統制によって自らの基盤固めに躍起になっているのです。
なお、中原氏の詭弁はもう1つあります。
「今回の斉唱の取扱いは、非公開の会議で、教育委員で話し合って決めた結果です。行政機関である教育委員会が、適式に成立した条例を執行するのは当然ですし、この職務命令は最高裁でも合憲とされています。
おそらく、毎日新聞社は、そもそもこの条令が嫌いなのだと思いますし、最高裁の判決にも異論があるのでしょう・・・しかし、条令が嫌いなのであれば条例を作った議会に文句を言うべきであるし、判決に異論があるならばそれを批判されたらよいと思います。」(一面記事の価値とは、2013年9月19日アップ)
最高裁が職務命令として合憲としたのはあくまで起立の部分です。声に出して歌えという斉唱部分については何ら判断していません。
むしろ最高裁の論理(基準)は、斉唱まで命じることは制約の程度が大きく思想良心の自由の侵害を認めるでしょうし、ましてやそれに基づく懲戒処分などを容認しようはずもありません。
「大阪府の「君が代」斉唱チェックはやりすぎ? 弁護士に聞いた判断のポイント」(弁護士ドットコム)
大阪市長の橋下徹氏といい、この中原徹大阪府教育長といい、どちらも弁護士という立場ですが、この憲法感覚は法曹失格です。
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「君が代斉唱 大阪府教委の口元チェックは明らかな憲法違反!」
ところが、これに対し、中原徹大阪府教育長は、当人のブログにおいて極めて見苦しい「弁明」をしています。
「「口元」を確認という言葉は、一定の媒体が積極的に用いているだけで、大阪府教育委員会ではそのような扱いにしていません。ほんの数秒間、遠くから起立・斉唱している職員をさっと眺めて、明らかに式の秩序を乱す公務員を確認するだけです。口の動きに注目しろなどとは指示していませんし、求めていません。」(朝日新聞社説記事について、2013年9月30日アップ)
口元チェックという言葉は確かに文書の中には使われていません(報道によりますが)。
しかし、あからさま詭弁です。
中原氏自身が、かつて大阪府立和泉高校において、卒業式の際、教職員の口の動きを見て実際に歌っているかを「監視」していると報じられましたが、中原徹校長は、取材に対して、下記のように答えたとされます。
「起立斉唱のルールを作ったのは議会で、私は教育委員会の指示に従っただけ。ルールを守らなくてもいいというのは、教員の世界の古い慣習。過激すぎるというのは感情論だ。」
「国歌不斉唱 口元「監視」」
あるいは2013年4月には、斉唱していないという教員について「中原徹教育長は記者団に対し「職務命令を守る気がなかったと言われても社会通念上、仕方がない。府民をばかにした態度だ」と述べ、9月までに起立と斉唱を確認する客観基準の作成を目指す考えを示し」ているのです。
「口元チェックの中原徹現教育長は健在! 大阪は真っ暗」
口の動きを監視していたことに対して、教育委員会の指示に従っただけと述べているのです。つまり、起立斉唱という職務命令の中には、単に起立するだけでなく、斉唱することも含まれるとするのが中原氏の持論なのです。
それを言うにこと欠いて「口の動きに注目しろなどとは指示していませんし、求めていません。」などというのはあまりに白々しい。自分自身がしてきたことと違うではありませんか。
「起立斉唱しているかの判断基準は「総合的に現認し、公務の信頼性を維持するため、十分な誠意ある態度をとっているかどうかで判断すべきだ」とした。判断が困難な場合は、詳細を報告し、府教委に相談するよう指示」という内容からは、「明らかに式の秩序を乱す公務員を確認するだけ」であれば単純に起立したかどうかだけです。
しかも、最高裁判決は、単に起立しなかったことによる式の秩序を乱す程度は低いという評価です(最高裁は、平成24年1月16日の判決で「積極的な妨害等の作為ではなく、物理的に式次第お遂行を妨げるものではない。(略)当該式典の進行に具体的にどの程度の支障や混乱をもたらしたのかは客観的な評価の困難な事柄であるといえる」と述べています。
これを考えれば、「判断が困難な場合は、詳細を報告し、府教委に相談するよう指示」しなければならないような事態とはどのような事態を想定しているというのですか。
斉唱しているかどうかわからない場合だけでしょう。
口パクもなければ明らかに斉唱をしていないと言える場合ですから、何も現場が迷うようなこともありません。中原徹大阪府教育長の通達からは、その教員について斉唱していないという報告あるのみです。現場で迷うのは明らかに口パクなのです。
中原氏がここまで詭弁を弄するのは何か。明らかに間違った指示であることが大阪でも常識になりつつあるという状況に動揺しているからでしょう。
背景には、もともと中原氏は維新の会の橋下代表の威を借る狐だということがあります。中原氏は、維新の権力を笠にきて強権を発動してきた人です。
ところが、この朝日新聞への社説への「弁明」を載せた日の前日には、堺市長選で維新の会が敗北し、いよいよ維新の会の衰退が誰の目から見ても明らかになってきたという日です。
橋下氏は維新の会の代表辞任を否定したそうですが、中原氏が拠って立つ基盤がぐらつき始めているということでもあります。
なお、上記ブログの中原氏の朝日新聞への「弁明」は恥ずかしい限りの的外れなものです。中原氏が前段で朝日新聞の社説に賛同できる部分があると言いますが、朝日新聞の社説の趣旨は、口元チェックなんてやっているより人材育成に力を入れよという点にあるのですから、人材育成にだけ賛同するのはあまりにもずれています。これも中原氏の焦りの一面かと思います。
さて、中原氏は、動揺が垣間見え、そんな指示はしていないなどと述べていますが、他方で、それを「補足」するような文書を各学校に送付しているわけでありません。
要は公式には「口元チェック」を否定していないのです。
しかも式への来賓とされる人たちの中には結構、お節介というかオレがオレがの人たちがいるもので、「あの教員は斉唱していない!」などとクレームを付ける人たちがいます。
「君が代不斉唱と来賓通報、大阪 入学式司会の教諭」(日テレ2013年4月16日)
そうなると管理職としてはおちおちしてはいられません。来賓の誰かによって「密告」されるとなると管理職としての職務怠慢というレッテルを貼られてしまいます。
現場の管理職としては、口元チェックをせざるを得ない状況に変わりありません。
中原氏は、なお足下の権力基盤が揺らぎ「弁明」で取り繕いながらも、なおも権力統制を推進し、教員統制によって自らの基盤固めに躍起になっているのです。
なお、中原氏の詭弁はもう1つあります。
「今回の斉唱の取扱いは、非公開の会議で、教育委員で話し合って決めた結果です。行政機関である教育委員会が、適式に成立した条例を執行するのは当然ですし、この職務命令は最高裁でも合憲とされています。
おそらく、毎日新聞社は、そもそもこの条令が嫌いなのだと思いますし、最高裁の判決にも異論があるのでしょう・・・しかし、条令が嫌いなのであれば条例を作った議会に文句を言うべきであるし、判決に異論があるならばそれを批判されたらよいと思います。」(一面記事の価値とは、2013年9月19日アップ)
最高裁が職務命令として合憲としたのはあくまで起立の部分です。声に出して歌えという斉唱部分については何ら判断していません。
むしろ最高裁の論理(基準)は、斉唱まで命じることは制約の程度が大きく思想良心の自由の侵害を認めるでしょうし、ましてやそれに基づく懲戒処分などを容認しようはずもありません。
「大阪府の「君が代」斉唱チェックはやりすぎ? 弁護士に聞いた判断のポイント」(弁護士ドットコム)
大阪市長の橋下徹氏といい、この中原徹大阪府教育長といい、どちらも弁護士という立場ですが、この憲法感覚は法曹失格です。
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