2013年11月20日、「自動車運転死傷行為処罰法」が成立しました。
危険運転致死傷罪の対象とはなりえず、他方で従来の自動車運転過失致死傷罪では「軽すぎ」という間を埋めるものとして本法が出てきたということになります。
この間、自動車事故による結果は悲惨を極めたというのも事実です。
減少したとはいえ、未だに年間4000~5000人の人たちが亡くなっているという現実は大きなものがあります。
無謀運転のはてに自損事故で運転者が死亡するがごとき事故には同情心は全く起きませんが、それに巻き込まれた人たちが亡くなるということに対して非常な憤りが起きます。
ただ今回の新法の対象は拡大されたとはいえ、行為態様としてはごく限られています。
①アルコールや薬物、特定の病気によって、正常な運転に支障が生じるおそれがある状態で死亡事故を起こした場合
②アルコールなどを摂取し、人身事故を起こしたあと、逃走して飲酒を隠そうとした場合
③危険な速度で道路を逆走したり、通行が禁止されている道路を走行したりして人身事故を起こした場合
③でいえば、街中にある一方通行路を、その街に不慣れで(地方から出てくるとよくあること)、間違って逆走する車も少なくありませんが、このような場合も該当するということになりますが、それほど悪質事案とは思われません。
このように限られていながらも処罰範囲を巡っては大きな問題も内法しています。
「
無免許運転は、やはり悪質と思う。」
「
「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律案」に関する意見書」(日弁連意見書2013年5月9日)
その他の問題点
「
「特定の病気」への偏見を助長する!? 自動車事故「厳罰化法」の問題点とは?」(弁護士ドットコム)
厳罰化は処罰範囲の不明確さと合わさって「結果責任」を問われかねない危険を内包しています。死亡事故を起こしたんだから重罰だという具合です。
通常の感覚があれば、死亡事故を起こした運転手は生涯に渡って悔悟の念にとらわれるでしょう。
しかし、ちょっとした不注意が重大事故を招いた場合であっても果たして社会から抹殺しなければならないものなのかどうかという点が問われているのだと思います。
ただ、遺族の方の中の言葉になるほどと思うものがありました。記憶ですが、「結果責任を問うということにしなければ運転者が本気になって事故を減らそうとはしない。」というものですが、確かに、今、自動車を運転している人たちが事故を起こした場合、死亡事故につながるかもしれないという緊張感を持っているのか疑問に思うことも少なくありません。
その典型が携帯電話を使用しながらの運転です。
「
携帯電話に支配されてしまうこと」
さらには未熟な技量しかないのに運転してしまうということ。
本来、運転免許を与えてはいけないレベルなのに取得できてしまうこと自体、現在の免許制度は問題があります。アクセルとブレーキを間違えるなどというのは運転技術が未熟も甚だしいと言わざるを得ません。
普段、どのような思いで車を運転をしているのか、つまり車が走る凶器であることをどれだけ自覚しているのか、問うてみたいところです。
「
危険運転致死傷罪に問題があるのか、車優先社会を転換せよ」
最初から安全運転をする気がないような運転も少なくないこと。
一時停止のラインを最初から無視する車が多すぎます。歩道を歩いていて冷やっとさせられた経験は誰もがあると思いますが、最初から人や自転車が来るなど全く眼中にないかのような運転です。




(逆に先日は、私が優先道路であっても見通しの悪い交差点を通過する際は一時停止しました。住宅街だからです。他方には一時停止標識があるにも関わらず、自転車は全く速度を落とすことなく、停止した私の車の前を通過していきました。一時停止せず、仮に徐行で交差点に進入しても自転車にぶつかっていたでしょう(自転車が自動車の側面にぶつかるという態様)。自転車の無謀運転には憤りを感じますが、そうはいっても事故は回避しなければなりませんから、やはりそのような運転が求められるのです。「
優先道路と交通事故 本当に優先?」)
信号を守らない運転も数多いです。
右折車であればやむを得ないところもありますが、直進車や左折車が黄色信号から明らかに赤信号になっているにも関わらず、止まることなく突っ切る、あるいはそのまま左折してしまうという運転は非常に問題です。既に反対側が青信号に変わっていることも少なくありません。
最初から信号を守る意思がないからです。
このような事例は、幹線道路等で、10キロや15キロの速度超過という問題とは根本的に異なります。
例えば、一時停止ですが、何故、一時停止をしなければならないのかという理解に欠けているからです。
「
交通違反取締方法から改めて問い直す 問われる警察の姿勢と車優先社会」
このように見てくると遺族の方の発言は非常に重みがあるように思います。
しかし、それでも厳罰化は問題が多いということには変わりありません。
発想としてはやはり自動車優先社会からの転換が必要です。公共交通機関の整備も不可欠です。自動車事故を起こした場合に生じる結果について深く認識できる教育も必要です。
これは何も自動車運転者に限りません。多くの人は自動車以上に自転車を使用するからです。教習所で片手間にするような性質のものではなく(ここだとどうしても正解思考的で身になっているとは思えない実態だと思います。)、小中学校の中できっちりと教育を行うべきでしょう。それが他者への思いやりにもつながります。
今の現状は明らかに悪循環です。自動車優先の発想の中でひとたび重大な結果を伴う事故を起こせば社会から退場させるではますます窮屈になります。
発想の転換こそ必要なのです。
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