コメント
はじめましておじゃましますm(__)m
失礼いたします
早川ブログのコメント欄の常連でございます
(^^)
早川ブログの1月1日の記事「国政選挙がない年は波乱もなく、改革も進まない」と
1月3日の「誰であっても麒麟を目指すのはいい」も読んで下さいまし
多少の誤解は解けると思われます。
早川ブログのコメント欄の常連でございます
(^^)
早川ブログの1月1日の記事「国政選挙がない年は波乱もなく、改革も進まない」と
1月3日の「誰であっても麒麟を目指すのはいい」も読んで下さいまし
多少の誤解は解けると思われます。
下品な言葉で失礼致します
早川忠孝?まだ生きていたのか、この下衆野郎!自民党(~確か日本維新の怪から立候補して落選そして政界から引退)から評判が悪い野郎で況してや弁護士だと。てめえみたいなカメレオン右翼野郎が靖国問題をマトモな思考と意見を持っている弁護士さんと語る資格なんかねぇや。てめえのお陰で、私の選挙区の住民が如何に肩身が狭い思いをしたか、(因みに私は支持していないが) 、早川忠孝は正直いって弁護士の資格なぞありません。テメェの与太話を披露するなら、弁護士バッジを返上せい。貴重なコメント欄をこんな見苦しい文章で埋めた事を誠に申し訳ございません。私自身は、ブログ主様の靖国問題のお考えは至極真っ当な意見であり、賛成です
No title
自分のは承認しないで、何故、上記の下品な表現は承認するのかと騒いでいるネットウヨクさんへ
確かに表現は下品ですが、その自覚があること、
反面、あなたのコメントは、「あなた何様?」という無礼そのものであること、
出直してください。
確かに表現は下品ですが、その自覚があること、
反面、あなたのコメントは、「あなた何様?」という無礼そのものであること、
出直してください。
No title
ニューギニアには富士山並みかそれ以上に高い山脈が屏風のように横たわっているそうです。ニューギニアで戦っていた日本軍は敵を攻撃する為、あるいは敵から逃れる為に、この山脈を歩いて越えたそうです。
食糧に不足し、半ば飢えた状態で、しかも、自分の体重並みの重さの装備を背負い、あるいは、重い大砲を引っ張りながら4千メートル級の山を越えるなど、残酷だと思う。無謀だ。事実、山越えの途中で多くの将兵が飢え死に、凍死、疲労死、そして病死して行ったという。まさに野垂れ死にです。
しかも、信じられないことに当時の大本営・日本軍にはニューギニアの地図すら持っていなかったそうだ。それで敵と戦えというのだ。
大本営の上級司令官(その頂点に居たのが東条英機)や軍司令官はよくもこんな残酷な命令を配下の将兵に下したものだ。怒りを通り越して悲しくなります。
如何なる理由があろうとも、降伏・捕虜は許されないとなれば、兵士達は玉砕するか病死・飢え死にするしかないでしょう。多くの日本兵士の命がこんなにも軽く、虫けらの如く扱われたのかと思うと、やりきれない。
戦国時代でさえ、負け戦ともなれば降伏もしたし、豊臣軍に水攻めされた高松城の主の清水宗治のように、自分の首と引き換えに配下の将兵を助けた例もありました。1500年代の戦国時代と太平洋戦争の時代と、どちらの方が人間の命が大切にされたのか分からなくなります。
しかし、一番気の毒だったのは、ニューギニア原住民だったかもしれません。彼等にしてみれば日本とアメリカの戦争に巻き込まれ、自分達の生活をメチャクチャにされたのですから。しかも、敵のスパイとみなされると女子供でも情け容赦なく殺されてしまうケースもあったようです。
日本軍兵士はある意味では被害者であり、ある意味では加害者でもあったわけでしょう。これも悲しい事です。しかし、ニューギニア原住民は明らかに被害者です。
中国を侵略したのしないの、南京大虐殺があったの無かったの、東京裁判がどうのこうの以前に、自国の兵士に残酷な仕打ちをし、無駄死にさせた当時の戦争指導者がその巨大な責任を負うのは当然かと思います。
そのような人間が神として祀られている靖国神社を参拝して、「よく話せば国際社会が理解してくれる」などと考えるのは、超甘い。
ニューギニア戦線等から生き残った元兵士達の私記や関連著作には、大本営や司令官・参謀に対する怨嗟の声に満ちています。
兵士達の間では「参謀の本質とは、まず乱暴、次に横暴、それから無謀」とよく言われていたそうです。
敵からも賞賛された今村均中将のような「立派な司令官」もいましたが、彼等が大本営の主流になることはなかった。
食糧に不足し、半ば飢えた状態で、しかも、自分の体重並みの重さの装備を背負い、あるいは、重い大砲を引っ張りながら4千メートル級の山を越えるなど、残酷だと思う。無謀だ。事実、山越えの途中で多くの将兵が飢え死に、凍死、疲労死、そして病死して行ったという。まさに野垂れ死にです。
しかも、信じられないことに当時の大本営・日本軍にはニューギニアの地図すら持っていなかったそうだ。それで敵と戦えというのだ。
大本営の上級司令官(その頂点に居たのが東条英機)や軍司令官はよくもこんな残酷な命令を配下の将兵に下したものだ。怒りを通り越して悲しくなります。
如何なる理由があろうとも、降伏・捕虜は許されないとなれば、兵士達は玉砕するか病死・飢え死にするしかないでしょう。多くの日本兵士の命がこんなにも軽く、虫けらの如く扱われたのかと思うと、やりきれない。
戦国時代でさえ、負け戦ともなれば降伏もしたし、豊臣軍に水攻めされた高松城の主の清水宗治のように、自分の首と引き換えに配下の将兵を助けた例もありました。1500年代の戦国時代と太平洋戦争の時代と、どちらの方が人間の命が大切にされたのか分からなくなります。
しかし、一番気の毒だったのは、ニューギニア原住民だったかもしれません。彼等にしてみれば日本とアメリカの戦争に巻き込まれ、自分達の生活をメチャクチャにされたのですから。しかも、敵のスパイとみなされると女子供でも情け容赦なく殺されてしまうケースもあったようです。
日本軍兵士はある意味では被害者であり、ある意味では加害者でもあったわけでしょう。これも悲しい事です。しかし、ニューギニア原住民は明らかに被害者です。
中国を侵略したのしないの、南京大虐殺があったの無かったの、東京裁判がどうのこうの以前に、自国の兵士に残酷な仕打ちをし、無駄死にさせた当時の戦争指導者がその巨大な責任を負うのは当然かと思います。
そのような人間が神として祀られている靖国神社を参拝して、「よく話せば国際社会が理解してくれる」などと考えるのは、超甘い。
ニューギニア戦線等から生き残った元兵士達の私記や関連著作には、大本営や司令官・参謀に対する怨嗟の声に満ちています。
兵士達の間では「参謀の本質とは、まず乱暴、次に横暴、それから無謀」とよく言われていたそうです。
敵からも賞賛された今村均中将のような「立派な司令官」もいましたが、彼等が大本営の主流になることはなかった。
みそくそ一緒
靖国神社のポリシーは、生前何をしたかは問わない、戦死すれば一兵卒も将軍も同じ扱いというみそくそ一緒の扱いです。
会員が右肩下がりで減少する水交会は、元将校だけでは会が成り立たないので、兵隊まで入会させて会を維持しています。海軍は、死ぬ時は司令官も一兵卒も一蓮托生ですから、階級を問わず平等という体質が受けています。
会員が右肩下がりで減少する水交会は、元将校だけでは会が成り立たないので、兵隊まで入会させて会を維持しています。海軍は、死ぬ時は司令官も一兵卒も一蓮托生ですから、階級を問わず平等という体質が受けています。
No title
えるもーどiさん
コメント、ありがとうございます。
ご指摘の早川先生の記事を読みましたが、やはりしっくり行きませんし、解釈改憲はダメだとか軍事大国はダメというのであれば、今回の安倍総理の参拝を支持することはできないのではないかと思います。
そこに一貫性を感じませんでした。
コメント、ありがとうございます。
ご指摘の早川先生の記事を読みましたが、やはりしっくり行きませんし、解釈改憲はダメだとか軍事大国はダメというのであれば、今回の安倍総理の参拝を支持することはできないのではないかと思います。
そこに一貫性を感じませんでした。